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インドネシア記~交通編

ジャカルタでは数々の驚きがあったのですが、まずは交通です。ちなみに今回の旅行では一切の公共交通機関を使用していません、それどころか1歩も歩いていません。

まず、驚くのは信号が殆どありません。殆どがインターチェンジ方式で常に左折が可、本線から見れば左から合流後に。折込み直線部は短く渋滞の起点です。さらに進んだ交差点の端にUターンスペースが設置されている感じです。またはロータリーです。「右折」という概念が無いのです。なので歩道はあるにはあるのですが役に立ちません。そもそも横断歩道なぞありません。なので歩ける状態じゃないわけです。歩いて5分のところにもクルマで移動です。

渋滞が酷いのは仕方が無いとして、まるでレース場のような運転の仕方です。タイや中国、イタリア市街も酷かったですがこれは飛び抜けています。まるでF1の第1コーナーのように左が膨れてきたら右に避け、右のクルマもさらに右に避けてな感じです。車線と言う概念はあまり無さそうです。折込部が渋滞になるのですが頭を突っ込んだ勝ちです。それでもあまり突っ張らないというか微妙な阿吽があるようです。車線変更も車間感覚は日本の1/3でしょうか、車半分入るスペースがあれば突っ込んできます。さらにその間と125ccのバイクが渋滞であれば縫うように、流れていれば邪魔にフラフラ存在します。F1とバイクが一緒にレースをしているようなもんです。バンコクと並び多くのジャカルタ駐在日本人は運転禁止だそうですが理解できます。

ちなみに運転士の給料は2~3万円で、メイドと併せて3~5万円だそうです。仕事では会社がクルマと運転手を付けてくれて、家ではクルマを買いさえすれば運転手を雇うというのが一般的なようです。

125ccのバイクが非常に多いのですが、6~7万円するそうです、給与水準から考えると1~2ヶ月の月給分で、日本人にとって軽自動車程度の価値があるのかもしれません。なのか皆きれいに乗ってます。

公共交通機関は余り発達していないように感じました(一切使用していません)。幹線道路にはバス専用のレーンもあるのですが、その路線以外は非常にボロいバスがたまに走っているという印象で、地下鉄は無く、鉄道の利便性も地図を見る限りにおいてあまり便利とはいえないようです。

走ってる車のほとんどが10年未満の車なようです、インドネシアは左側通行で日本の中古車が走っていてもおかしく無い気がしますが新車ばかりです。直近、急激に発展したということでしょうか。

自ずと移動はタクシーが最有力候補となるのですが、ブルーバードというグループだと間違いないようです、その上位ブランドでベンツが主なシルバーバードがお勧めです。初乗り80円くらいなのでバンバン乗りましょう、尚英語は通じないようです。地図を用意して指差すのが妥当でしょう。

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インドネシア記~食糧編

インドネシア・ジャカルタに行ってきました。イスラム国そして赤道直下さらに南半球は初めてだったのでいろいろと面白かったです。

ちょっと何編かに分けて雑記を。ジャカルタというと「暑い」というイメージがあるかもしれませんが一年を通して気温パターンに変動が無く、最高気温が30度程度、暑くなるとスコールが降り、気温を下げてくれます。湿度も(温度も)日本の夏ほど高くはなく過ごし易い気候でした。もっとも街を一切歩いていません、その点については今後。

まずは食糧編です。偏った情報を基にしていると思われますので突っ込み歓迎です。そもそも下町というか庶民の口にするものは一切食べていません。

インドネシアの食い物は「美味くない」につきます。何が不味いかと言うとまずは食材が不味いです。肉も野菜も果物も美味しくありません。イスラム国なので豚は無く、牛は特殊材料で基本は鶏と魚です、そういえば羊にはお目にかかって無いなぁ。その鶏もぱさぱさとして味が薄いのです。魚は新鮮で無いのか処置が拙いのか美味くありません。

野菜はエグミ(アク)と味のバランスが非常に悪いです、褒められるのは食感しかありません。果物は最低です、甘くありません。マンゴスチンを食したかったのですが発見できませんでした。メロンやスイカは食感だけ、イチゴは酸っぱいだけ、甘くないバナナの不味いこと。そのせいか焼きバナナが有りました、日本人には焼かないと食えない代物です。焼いたものはそれはそれで抵抗がありましたが。

調理法が単純な上にメニューのレパートリーがありません。肉や魚はスパイスでローストするか、揚げて香辛料をまぶす程度の素朴な調理法が多かったです。インド料理やタイ料理のようにソースや調理法が凝ってないのです。素材が不味い上に素朴な調理法ですから美味いわけがありません。写真は牛スープなのですがスープは美味しかったです、鶏スープも。麺も食べましたが多分いけます(私がソフト麺をチョイスしたのが拙く、フォーのような麺が合う気がしました)。

タイや中国のように「美味いもの」を求めるという感覚が乏しいように感じました。美味しい店に行列が並ぶという事は皆無らしいですし。

日本食は美味くもないがそこそこの物がそこそこの値段で食せます、関東の物価と同じで味は少し落ちる程度です。ジャカルタ都心では¥700程度で日本食のランチが食せるようです。

 

これって日本の農業の努力を享受してきた反動なのであろう。果物の値段では下手すれば100倍違うわけですがだが、努力の差を痛烈に感じました。基本的には雨風が防げる屋根と壁があれば凍死とか無いわけで、しかも日本の真夏よりは住み易い気候な訳です。米も2~3回採れそうな雰囲気だし、果物も採れるでしょう。努力をする必要が認められません。だからなのか農産物は努力の痕跡はゼロです。

インドネシアにおいて高付加価値=輸入品で、高付加価値戦略はざっとみたところ存在しませんでした。例えば日本料理屋の米はカリフォルニア米(なぜか日本食材輸入規制があるらしい)で現地価格と比べればべらぼうに高い。

食い物に意地汚い日本人からすれば、食い物に努力しない民族は不思議に思えました。

気が向けば続きます。

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老いるということは悪くない

人生の折り返し地点を思しき年頃を迎えての雑感。30で徹夜がきつくなり、35で酒が弱くなり、現在は吐いたり泥酔するほど飲めなくなった。体力の衰えを感じる一瞬だ。

若い頃は年配の方の思考論理など分からないので老いに対する漠然とした恐怖があった。体力も脳力も10代後半から20代前半が最高地点であるという事実を知識では知っていたし、人生の最高到達時点なので後は楽しく無い人生を徐々に送るのかと恐怖におののいていた。

サラリーマン生活が始まり、月給という奴を貰うようになって、サラリーマンもいいなぁと思うようになった、自由になる金は倍以上に増えた。学生の頃現実が伴わない理想を語ったり、議論をしていたのが嘘のようだ。もっとも私は議論好きで、幼い部分も濃厚に持っているのであるがこれは逆にコンプレックスとなっている。

一方、仕事や社会人としての勉強は学生時代には想像がつかない世界だった。愚痴を言いながらも3年単位での成長なのか、少なくとも変化は感じている。新人からがむしゃらに3年仕事をすれば仕事への興味は増し、自分でコントロールしたくなる、やりたいことが段々明確になってくる。私の場合はやりたい仕事と求められる仕事が乖離していなかったので、上司に対する不満はあれど先輩に恵まれ楽しんでいた。

10年も経てば視野も広がり、ロジックを意識するようになった。当時の上司が漫談のネタを話しているような人で聞くだけ損なので、関係部署と勝手に調整して、勝手に仕事をしてた。偶然多くの他部署のお偉いさんに気に入られ、彼らの仕事をやってれば文句は言われなかった。彼らにとって私は言うことを聞く便利な男であったろう。しかしそれでも議論はさせてもらった。他部署の上司は若い私がタダでは言うことを聞かないのは知ったうえで仕事を振ってきた。彼らにとって私は教育のし甲斐のある男だったのか、掌で転がされていたのか、多分両方であろうが議論に時間を割いてもらえていた。

次の10年で立場が見えるようになってきた。彼らは偉くなるぐらいなのだから魅力的で、仮にそうでなくても泥を被っている存在なのだという程度の理解をするようになった。若い頃は理解できなかった「出来ない理由」を抱えることもあるだろって程度なのだが。後輩ができてユニットを勝手に作って、(偶然ながら)成果を出せたのは良い思い出。

話が冗長になってしまった。読み返して編集するのが面倒なのでそのまま続ける。

経験と知識とそれらに基づいたロジックがいかに大事かを噛み締めている。自分と言うポジション及びスタンスは若年時代に培われた経験がベースになっているのである意味仕方が無い。この経験則を後輩にいかに平易に伝えることが大事なのではないかと思うのだ。

逆に言えば私が若い頃先輩から様々なことを吸収したということは、年配者は下り坂を下っているわけではないということ。ホントかね?

だって部長・取締役を見ているとなんか疲れてる気がする。でも私が若い頃課長って疲れてるなという印象を持っていたが、現在の私はそうでもない。そう見えるだけなのかしら。多分そうであろう。上に行けば違う視野が広がり、違う楽しさがあるのであろう。私など今の職制でいっぱいいっぱいであるがそのうち慣れるのか。

オヤジを見ていても楽しくなさそうであるが、先輩で楽しく生きている人は非常に多い。若い頃に「年を取るのは拷問」などと思った事は非常に恥ずかしい。今までの結果では老いはそんなに悪くない。

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銀行はリスクとどう付き合うのか

サブプライムローン問題でファンドマネージャーという職業は儲けたら報酬を頂き、損をしても首を切られるだけという論調があった。これではファンドマネージャーには損をしないというインセンティブが働かないためハイリスク・ハイリターンを狙うという論調だった。損をしたら損をきっちり納めてもらうか破産するかの2者択一ではないわけだ、首か報酬かの2択。損はファンドを買った人が払うというもの。

日興コーデ買収、三井住友FGが優先交渉権獲得=関係筋(トムソンロイター) - goo ニュース

これはリスクを積極的に取っていったと判断できるのであろう。なんか景気良い話だ。

The Conscience of a Libertarian 2 ~紺ガエルとの生活(以下略)

しかし、公的資金を投入された銀行は公的資金を仮に返したとしても、政府が潰さない(助ける)というシグナルを発しているので公的な立場であるという。

 

銀行は掛け金が無限大の賭博者になりうる、そしてそうならないためにある一定の規律も必要であろう。金貸しは踏み倒される可能性があるので、常にリスクは持っている。リスクを買った結果が利息ということであろう。なので究極的にリスクが無い状態というのはない。ところが政府が潰さないというシグナルを発している企業がどの程度のリスクが妥当なのかは非常に分かり辛い。

どうも公的資金と言うのは禁断の果実のようだ。銀行はある種の規制(自己資本比率とか)さえ守っていれば、自己資金はフリーハンドで使えるはずが、このように曖昧な規制というかプレッシャーを意識する必要がある。上Link記事のような案件を銀行が取りうるべきかなどの論調もおせっかいの次元ではなく、真剣に論じられる問題であろう。

下Link記事にもあるがこれは公的資金を返しても全く関係ないということ。公的資金を受けた経験のある銀行は、国が「潰さない」というメッセージを受けてしまった以上、公的な法人であり、「なにをやって儲けてもいい」とはならず、「行員の給料に幾ら払っても良い」とはならず、リスクの線引きという微妙な問題と常に対峙しなくてはならない。なので公的資金を受け入れた銀行は行員の給与に対しての批判も甘受するべき性質なのだ。

面倒くさいなぁ。

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理想主義と観念主義と現実主義

ちょっと仕事上の愚痴を少々。トップダウンで仕事を行う際、トップの言う大分類、組織の長の言う中分類、現場レベルの小分類が乖離するともう無茶苦茶。

例えば大分類で原価率の低減(コストダウン)が大号令で主張したとしても「そんなの出来るか」って感じで組織長が無視し、より売れる商品の開発(コストをかけても)を指示したら現場は困る。何を優先したら良いのかが分からないからだ。他組織は原価率を低減を大前提で仕事を行っているのに自組織は対応できていないので馬鹿呼ばわりされるし。

研究でも大前提とは関係ない例えば「環境」というものを研究テーマに上げるとして、どの程度現実性を重んじるか、大前提と折り合いを付けるかに腐心する。私はサラリーマンなので「自分の理念に逆らう仕事はしたくない」などとはこれっぽちも思わないが、方針が分かり辛い仕事は困る。方針の分かり辛い仕事というのはえてして中間管理職のエゴであることが多く、観念的だ。当然観念の主体はその上司にあるうえ、えてして論理的ではないので、現場はやり辛くて仕方が無い。

 

話を元に戻す。ちょっとしたレッテル張りなのだが、ここでは理想のシステムを頭に描いて、それを現実化するにはどうすれば良いかと考えるのが理想主義者であると定義しよう。一方対極的にあるのが(過去の)理想の状態(例えば明治初期の清廉な政治状況)を定義して、その状態に戻すことを目的としたのが観念主義者だと定義する。これはシステムでは無いのでその定義の概念が都合の良い取捨選択を行うため、非常に観念的になことから私がこう名付けた。

その中間が現実主義だ。「理想?分かるよ、でもね無理なもんは無理。過去?どこかの一部分を過大評価して過去に戻る気は無いね、過去のどの時代よりも現代の方がすばらしいよ。なので少しずつ問題点を修正する方が良いに決まってる」ってのが現実主義者だと思う。理想や過去の状態に現実を曲げるのではなく、現実にあわせてシステムの再構築を徐々に行おうって考え方だ。

お気づきの通り、理想主義は革新派で、現実主義が保守派、観念主義が右翼(国粋派)というレッテル。大きな枠では保守も国粋も同じ枠で括りがちだけど大きく異なるベースがあると思う。ところが世に氾濫するウヨクという言葉はここを曖昧にしていると思う。孔子(儒教)の考え方=堯舜の周朝を理想とした礼教を敬うというのはまさに観念主義であろう。また富の分配の平等を目指す社会というのは理想社会以外のなにものでも無いわけで、共産主義と言うのは理想主義となろう。私はというと理想主義にシンパシーを感じる現実主義者といったところか。

この枠組みが正しいと断言する気は無い、しかし大局的にはこのような大きな枠組み(別の枠組みでもいいけど)を理解しないと、彼らが何を主張しているのか、我々の主張をどうやって理解してもらうかという議論がすれ違うと思うのだ。

そして今回の北朝鮮ミサイル(ロケット)問題への対応に対する議論に違和感が残る。サヨクは北朝鮮にシンパシーを感じているのか、ロケットとミサイルは違うという点に重点を置いている。保守派はミサイルでもロケットでも日本に落ちない保証が無い限り対応をすべきだと主張する。ここに噛み合う要素は無い。サヨクは少数派のくせに保守の疑問に答えていないのだ。またウヨクは北朝鮮との没交渉、または強硬論、もっと言うとぶっ潰せと主張する。日本は脅威を感じているので脅威を無くせと言う主張だ。ところが没交渉で脅威を無くすには戦争しかありえず、しかも交渉無しの戦争などコストがでかすぎる。仮にぶっ潰したあとの処置はどうするのか、同胞が多数居る日本が一定数引き取るとでも言うのか、とても現実的ではない。

なのでサヨクもウヨクも議論が成立しない程度に幼稚化している。幼児がダダをこねていても放っておけば良いのかもしれないが。しかし保守派というのは理想も観念もないので「美しくない」、子供(学生)の頃は理想に燃えていても現実が見えてくると「世の中そう単純ではないよね」ということになるということか。それって本当に「美しくない」のでつい理想や観念に走りたくなる。このように甘美な風景がウヨクにもサヨクにもある。なので保守派は論理で闘い続けなくてはならないのだ、放って置くなんてとんでもないのだ。

 

話を冒頭に戻すと、中間の組織長が仕事に自分の観念や理想を織り込むのはやめて欲しい。もちろん会社の理念は別。会社の理念や方向とは関係ない組織長の個人的な理念は非常に分かり辛い。ロジックが粗漏なだけでなく、勝手に「分かるでしょ」とか言わんで欲しい、全然分からん。ただそれだけを言いたいエントリーです。

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持続性への疑問

不景気もあって政府は環境やら福祉やら育児・教育への支出が増えているようだ(面倒なのできちんとは調べていない)。それって持続性があるのか不思議なんだけど。

介護等福祉分野・保育所など育児分野は機械化でカバーできる部分が少なく、人件費が大きなウエイトを占めるであろう。そして低賃金の象徴として介護がよく挙げられる。これはサービスに見合った代金を払う人が居ないということである。しかし老人が居る以上需要はある、しかし代金は払わん(払えん)というわけだ。そこで政府が補填するのであるが、行政支出を前提とした産業が(今後)発展する産業だとは思えないんだけど。減反費を払う農業のように。

原理原則で考えてみると警察・教育・防衛・道路・ゴミ処理等は民間で補えない分野であろうから行政で担当する部分であろう、保育所は教育の一部と捉えても良いかもしれないが。しかし医療や年金は建前では保険でカバーしてるし、そもそも福祉や保育は行政に頼る筋ではない。保険機構などでカバーする物であろう。

であれば福祉や保育は「行政(税)で面倒を看る」というコンセンサスが無ければ税支出は永続的には成り立たないであろう。であるが税支出が前提で話が論じられていることが多い。そこに税を遣うのであればなにかしらは削る必要があるはずで、または増税があるはずで、そこの議論を聞いたことが無い。ということは福祉や保育は産業として発展しようの無い産業と言うことだ。不況だから一時的な支出はするが、時限的よというに過ぎない。

算数で考えると、保育に払う費用と、その時間労働した収入のどちらが多いかで夫婦のどちらかが働くか育児をするかが決まると思う。5万円の収入のために10万円保育費を払うのは合理的でないというようなもんだ。まれに育児に全時間を注ぎ込むのはストレスを感じるので5万円の収入で5万円の保育費用を払うという事はあるかもしれない。私などはそうなってもおかしくは無い。夫婦の収入は【夫婦の収入-保育費用】か、【夫婦どちらかの収入】となるのだ。ということは保育料の税負担は労働のダンピングを奨励していることになる。育児費用(保育費)が安ければ、安い職場でも応募できるからだ。

いかん混乱してきた。政府や国民は出生率が下がっていることを懸念している、であれば子育てに税負担してもいいわけだ。

だったら老人に泣いてもらうしかないという選択もありうる。が、後期高齢者医療制度の不評をみれば老人が負担する率を下げるための方策(現役の健康保険組合の支出が倍増)でも絶対額が上がれば拒否るというのが実情だ。その(保険料率うpの)結果企業の健康保険組合が相次いで解散している。

環境問題対策に至っては石油価格とのにらみ合いの様相をきたしており、不景気で原油価格が低迷している現在では税支出で環境を盛り上げようという不健全さだ。ちょっと前までのプライマリーバランスをどうのこうのというのからは違和感感じまくりだ。

環境・介護・保育は税支出に頼らないストーリーが描けていない。消費税を上げて・道路特定財源を投入するとかまでは議論が進んでいない。税の力を借りないと発展できないのは基本的には衰退産業のだ、土建が良い例であろう。土建は民間の方がお金は多いであろうから、土建業を馬鹿にしている意味は無い。

なので環境・福祉・保育に関する公的な環境は絶望的である。税で支えるがいいのか、一度淘汰(使う側・使われる側の両方)した方がいいのか?

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携帯電話禁止な件

医師である友人に聞いたが彼が言うには職場では携帯電話は禁止らしい、そしてそれを守らない患者が多いと聞く。検査機として多くの電子機器が備えられ、確率が低いといえど携帯電話の発する電磁波が検査機に影響があるとのこと。そして彼の通信手段はPHSを用いているとのこと。

彼は病院で携帯の電源を切らない患者やその家族の神経がわからないと言う、検査を受けている人や心臓病を患っている人への配慮が足らないことへ憤っている。

そういえば電車の優先席では携帯の電気を切るようにアナウンスされている、しかし守っている人は少ないだけでなく、堂々と携帯をいじっている人が多い。鉄道会社は「携帯を使うな」とは言っていない、「ここでは電源を切れ」と述べているに過ぎないがそれでも守られない。

以前、優先席でないところで携帯を使用しているとき、前に座っている人から「心臓が悪いので携帯を遠慮してください」と声を掛けられ、当然電源を切った。別に優先席に移れとも思わなかったし、彼の不安を取り除くコストは著しく低かったので従った経験がある。

ペースメーカーをはめている人は生死の恐怖を味わったことがあり、かつ小さい確率でもそれを排除した方が精神的に健康になり、だから禁携帯の場所を設けて欲しいということであろう。その感情は非常に良く分かる。

ところが生死の経験が無い人(私も含む)は、そんなこと思いもよらず、他人を気遣うことも無く、張り紙を無視しし・乗務員に注意されても携帯の電源を切らない人は多い。私もその1人だ(携帯を使わないが電源は切っていない)。その人にとっては精神的に安寧な場所が無いといえる。

だったら携帯電話を禁止し、全部PHSにしてはどうであろう、インフラはある。ルールを守らない人がいて、迷惑している人がいるのであれば禁止しかないであろう。極論であるのは分かる。しかし局所での禁止でさえも全く守られないのであればモラルに期待するにはもはや無理であり、禁止するしか方法はないではないか。

 

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歯切れの悪いNHKの報道

ベスト電器元部長ら逮捕 障害者割引郵便悪用容疑(共同通信) - goo ニュース

NHKのニュースを見ていたらなんとも歯切れの悪い報道であった。この事件は障害者団体向けの郵便料金割引制度を悪用し、2.4億円不正を働いたというものだが、被害者のコメントが出てこないことだ。NHKは障害者団体を被害者に仕立て上げたが、どう考えても障害者団体は被害者ではない、障害者団体は¥1も被害はないし、名誉も傷つけられていない。

ダイレクトメールを葉書とすると一通¥50、一方障害者団体の刊行物の郵送料は¥8、被害額が2.4億円なので500万通ぼったくられていたわけだ。青森県住宅公団職員の横領などは帳簿上でごまかすなどで、現物は動いていない。ところが今回の事件は500万通という現物が動いているのだ。NHKではベスト電器以外でその数十倍以上の量の不正があることを匂わせていた。

帳簿上でも500万通の印刷コストは¥2/枚、郵送料込みで¥10/枚とすると、¥5千万の金を遣っていることになる。障害者団体が刊行物だけでそのような大金を使うとは思えず、突出した取引だと思う。商品の割引取引という重要な部分の監査が一切効いていないことの証明だ。お役所仕事のなせる業であろう。

その上500万通の現物を配送しているのだ。よく「料金別納郵便」などという表示があるが、集荷人、配送人にチェックという概念が全く無いということを露呈した。

酔っ払いの財布を盗むのは窃盗で、この犯人を擁護する気は無い(それでも逮捕する必要があるのかは疑問)。なのでJPは泥酔していたと思われても仕方が無いであろう。だからNHKの報道の歯切れが悪いのだ。これは犯人を責めるより、JPが責められるべき問題であろう。

そこを突っ込んだ報道が少ないのでもう少し見守りたい。

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高遠城址公園のコヒガンザクラ(小彼岸桜)を見る

4/12に噂に名高い、長野県伊那市の高遠に行ってきました。桜は見頃で天気も良く、天下第一の桜の名にふさわしいと思いました。行ったことの無い人は是非お勧めします。

通常の桜の名所は堤防沿いなどの直線路が多く、公園でも密度がまばらになりがちの問題があります。ところが高遠の桜は密度が圧倒的です(上空からの写真)、また色もソメイヨシノより濃い目で見ごたえがあります。また高遠城址公園は適度に広く、混雑した感じはありませんでした。最盛期と思われる日曜の昼頃に行きましたが、弁当を広げる場所には不自由しません。混むと言われるていたので、歩く自由や弁当の場所の確保を心配していましたがそうでもなかったです。

また帰りに諏訪市内を通ったのですがソメイヨシノが満開でした。標高を考えると高遠>諏訪だと思うので、コヒガンザクラはソメイヨシノより開花時期が早いのかもしれません。そして諏訪の桜(ソメイヨシノ)は関東より1週間遅いようですね。

先週は会社の近くの公園で夜桜。今日は昼飯時に会社の 近くの八重桜を花見がてら散歩。歩道の片側をソメイヨシノが、反対側を八重桜が植わっていて2度楽しめた。

去年は京都で桜は満喫したが、今年もなかなか。

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論理がわからない人が読めば良い良書の件

ネタにすればいいのか本気で論理の大事さを噛み締めなくてはならないのか、どちらにしても議論が噛み合わないことが分かり易い事例を上げてみたいと思う。

護憲派であれ、改憲派であれ・・・~お玉おばさんでもわかる政治の話コメント欄

多分多くの人にとって読むのが苦痛ではないかと思う。宗教論争のようで背景が分からないと何を言っているのかさっぱり分からないのだ。勝手な交通整理と言うか誤解を承知で論を解説すると自称右派が論理的に捉えようとするのに対し、自称左派がことごとく議論にのっからないのだ。この世の中にこのような行き違いがあるとは信じられないレベルで。

日本人が議論下手というそしりがあるのは知っているがここまで酷いのは珍しいのではないか。付き合う方も粘着性がないと大変。

このblogはたまに覗いている、私は穏健リベラルと自認しているが、左派の論理を知りたいというのがそもそものきっかけ。であるが幼稚園児でも議論をすればここまで噛み合わない事は無いってほど噛み合ってない。およそ日本語である以外の共通点が無い程度に。

本筋。論理って概念は若者には理解しにくい概念ではないか。大学では理論を教える、その理論が正しいことを担保するのが論理だ。例えば「科学」はなぜ「科学」か、という命題は論理学に属する命題であろう。具体的には「砂糖は甘い」というのは帰納的に正しいと万人が認めるであろう、しかし「甘いのは砂糖によるものである」というのは理論的にも論理的にも成立しない。ところがこの手の議論が活発に為されているのだ。そして修辞的な手法でもってごまかしたり、議論の核心を摩り替えたりと手法は様々。

これらのテクニックはなかなか分かり辛いがLink記事コメント欄ではかなりストレートに行われていて勉強になる。レトリックや手法を勉強すれば実社会に役立つこと間違いない。

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倫理や理念だけではシステムは成り立たない件

路上喫煙の違反金、「後で払う」と”吸い逃げ”続出~YOMIURI ONLINE

こういうのって当たり前だと思うのは私だけ?私の感覚がずれてるのかなぁ。なにかの行為を禁止すればその行為を行う場所を新たに提供・指定しなければ違法なのを分かっててやらかす輩が多いのは放置自転車を見れば当然の帰結だと思うんだけど。

煙草だと倫理的にも精神的にも拒否する人が多いと思うので「放置自転車」で説明する。

今まで駅前の空き地に自転車を乗り付けて置いておいたいたが数が増えて、迷惑する人が増えて禁止に至った例が多いと思う。そこで有料の自転車置き場を作っても、今まで無料で駐めていたのにという訳で利用の促進が進まない、さらに有料の駐輪場が駅の改札から遠ければなおさらだ。自転車を放置することが重罪にでもならない限り、徐々にモラルを上げていかなくては解決しないのだ。そのため佃煮の原料のように放置自転車を撤去していかなければ有料の駐輪場は生きてこない。これには撤去費用というコストがかかる。しかしルールを周知徹底するためのコストといえよう。

これはルールを改定すれば皆が従うのではなく、ルールを守るインセンティブを同時に仕掛けないと生きてこないという典型である。駅に自転車で来るなというのは暴挙以外のなにものではなく、誰も守らないルールと言えよう。ルールの作成や改定は守る仕掛けが無ければ空論なのだ。ルールを守る仕掛けとは新たな誘導法の告知であったり、強制力(罰金・逮捕)だったりする。事実上禁止は効力を発揮しない。

話を喫煙に戻すと、喫煙は悪い物として「禁止」しても効力が無いことが理解できるであろうか。ようは非喫煙者が被害を受けないように誘導することが大事といえる。しかし理念が「国民の健康のための禁煙」なので、本当は非喫煙者が被害を受けなければ目的が達成されるはずなのに(喫煙者の健康なぞどうでもいいのに)、理念が邪魔をする。自転車で言えば駅前がきれいになればいいのに、その方法論を回避して「とにかく自転車禁止」と言っている様なものだ。それは守るだけ損というもの。逮捕されないのは明白なのでルールを守らないのが健全。

この手の「倫理」や「理念」で運用を考えない方法論を敷くのはどういう頭をしているのかと疑問に思う。ルールを変えれば皆がそれに従うと思う神経が分からない。まぁ逮捕例でも作ればルールを守ると思うけど、それってかなり違うと思う。 煙草の例で言えば、喫煙所を作り、喫煙者を誘導すれば済む話だ。そうシステムなのだ。喫煙者は煙草を吸うモノなのだから、どこかに吸う場所を作らなくてはならない。それを禁止すればコントロールを拒否したのと同意だと思うんだけど。その結果、どうせルールを破るなら、罰金を払う覚悟なのだから、あとは吸いたい時に吸いたい所で吸うという行為は非常に合理的だ。健康増進法の目的は禁煙の目的は喫煙者の健康を守るためなんだけど、本当は非喫煙者の不快感を取り除くためじゃないの?

別にNewDays(旧キオスク)の煙草の売上利益と灰皿の清掃費用のどちらが高いかは知らないけど、費用は転嫁すれば良い話で排除する必要は無いと思うのだが。JR東日本は競合がないのでいいんだろうが。

寿命が短くなろうがそれは喫煙者の勝手なのだから、それを排除する必要を見出せない。もちろん迷惑をかけているなら迷惑は除去される必要があるであろう。

繰り返すと非喫煙者は喫煙者を追い込むことにより、「どうせルールを犯すなら他人に遠慮せずにやりたいようにやる」ことになる。罰金さえ払うフリをすれば事実上どこでも吸っていいじゃんとなるのだ。

それではかえって非喫煙者は損をしない?

 

健康増進法

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ETC割引の不合理さ

高速千円割引がフェリー直撃 四国-本州で乗用車輸送半減(共同通信) - goo ニュース

私は定額給付金がそれほど景気に影響を与えないのではないかという批判には何も答えられないが、設備投資(道路建設など)を前倒しするのは特定業を保護することへの批判や賄賂を生む温床であった箱物行政よりはクリーンな政策だと思う。また定額給付金よりは減税をという論も税金を払っていない人が少なくないという点からも定額給付金には多少の意味がある。

政府はカネを遣うことが目的なので国の設備を充実した方が良いのはわかるが特定業への優遇は批判の対象になってもおかしくない。さらに、設備投資の前倒しであれば競争入札は行われるはずであり、特定業者への優遇ともことなる。特定業者へ優遇すれば競合他社にとっては不利益な政策であることは明白だ。

そう考えるとETC割引はデメリットはたくさんあるが、メリットは少ない。メリットは観光業へおカネが落ちることであろう、ただそれだけ。土日限定だけなので運送会社などの社会基盤を担う会社にはあまりメリットも無い。というかLink記事では影響が出ているみたい。しかし抜本的な流通費用削減には寄与しないであろう。多分あくまでも一般消費者が対象だと思う。

一方デメリットは多い。

(1)競合他社であるフェリー・鉄道会社・航空会社のような輸送インフラの会社にとっては打撃がでかいであろう。はっきり言って迷惑なはずだ。民営化されたとはいえ国から資産をリースしているNEXCOが優遇され民間会社にしわ寄せが行くのは理解できない。

(2)エコで無い。自家用車で移動することを推奨するのは温暖化ガス排出積極策以外の何物でもない、ガソリン消費を推奨する政策なのだ。だったらJRへの債務と引き換えに値下げを要請した方が余程スマートでは無いか。

(3)観光業への優遇政策だということ。特定産業へ優遇するというのはそれに漏れた産業が損をするということ。家計という総額が決まっていて(消費の促進という面が主だが)、観光業に家計がカネを使うという事は他産業への消費抑制につながる。定額給付金であれば消費の対象は国民の自由だ。

 

この政策はガソリンが高騰した時点での人気取り政策だと理解している。特定財源である揮発油税が切れて、さらに再課税して、その後原油価格の高騰を緩和する政策であったと思う。日本は京都議定書を遵守できておらず、ガソリン高騰は低燃費車への買い替えを促進する外部環境であったはずなのに出てきた答えがこれだ。

なのでETC割引は旧道路公団の懐を暖め(割引額は国からの助成=利用数が増えれば売上は上がる)、競合民間会社の収益を悪化させ、環境の悪化に努め、観光業という特定業への消費誘導であるわけだ。こんな愚策が許されて良いのかと思う。

 

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「指示待ち部下」自身の対策

以前のエントリーで「指示待ち部下」の所在は上司の責任であると説いた。しかし現実的に「指示待ち部下」になっている人への対応を考えてみよう。

「指示待ち部下」の定義を考える。指示待ちに陥るのは上司の指示や教育が不完全というか、勝手に動くと上司が不快感を示すので動くに動けない状態であると定義する。

指示待ち部下の上司は感情的で計画的で無い事は明白だ。有能な上司であれば駒を遊ばせない事は自明だからだ。だから指示待ち状態に陥っても自信を失う必要はこれっぽっちもない。

回避策はジョブをこなすこと、意味無いジョブでもいいから他人の仕事を受けて、勝手にやってしまい、勝手に報告すること。そうして他部署との連携を強めることが脱出の目途になるのではないか。

上司の上司に自分からは訴えなく、聞かれたら「暇だ」と言うのが有効だ。ただし、その人のタイプや受け取り方で自分に不利になるのであまりやらない方がいいが。

 

指示待ち部下の根本は上司の指示が悪いという以外はありえない、そんな上司に巡り合ったことを嘆くのはよくても次の戦略を考えなくてはならない。それは他部署との連携以外にはありえないので同期や近い先輩に可愛がってもらうのが一番の近道であろう。

上司がボンクラから変換する事は期待しない方がいい。その上司が気付いてアドバイスした場面を数回見たことがあるが、100%ボンクラ上司は理解できない。またその上司はボンクラ上司が改心できないことを知っているので放っておくのだ。

 

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二世議員は減らない件

日本の政治を蝕む世襲制度を断ち切る妙案はないのか~DIAMOND online

二世議員が多いことを嘆く論が多い。でもシステムを変えなければそれは単なる愚痴であろう、もちろんシステムとは選挙システムではない。

衆議院議員の仕事はいうまでも無く立法府の一員で「法を作ること」が仕事のはずだ。でも選挙民はそうは思っても無いし、官僚もそう思っていない。有権者と官僚と議員がその存在を別な(例えば陳情とか予算に影響する)存在ということを共有している。なので衆議院議員は地元への利益誘導者であって、立法者ではないこを普く共有している。

議員は選挙で当落を任期ごとに洗礼を受ける、その洗礼が不安定であれば発言力は低下する。毎度当落上にある議員に発言力がないのは当たり前だ、逆に言えば当地に利益を誘導するためには必ず選挙で当選することが分かりきっている人でなければ頼りにならない。利益誘導を確かにするためには地盤を形成する必要があり、国政はの本質はとりあえず関係ないのだ。野党は当然このご利益には、、、と思ったがそうではないようだし。

国会議員の目標は安定した集票能力であり、そうでなければ地元からの支持が無い。逆に言えば地元は「利益誘導」の代弁者を作ることが必要だということだ。そのためには「彼」がどのような政治姿勢であるかとうことよりも、担ぎ易い人物かどうかということになる。そして党内で幅を利かす人物かどうかということであろう。少なくとも人物がいくら立派でも当落がおぼつかない人物を派閥の長には推されないであろう。

前提条件は(1)支持基盤が固い、(2)有能である、なのだ。この優先度は変わらない。人物が有能であるかどうかは国会に送り込んで見なければ分からないので優先度は番号通りとなる。支持基盤は自前で作り上げるより、前任者を引き継いだ方が簡単なので2世議員は当然ファッショナブル(いや必然か)であろう。

なので現実を無視した「世襲」「二世」議員を批判したって意味が無い、それより衆議院議員の官僚や政府への干渉を禁止するとか、国民にその責任があることを啓蒙した方が早いであろう。しかしその国民も日本への全体最適よりは、地元への還元の方が重要なので安定地盤を作り上げ、干渉(交渉?)影響力の大きい議員を送り込まないといけないのだ。大阪府などのように「風」で勢力が変わるところは国家予算が投入されないということなのだ、なので大阪は貧乏。

 

うーん、ちょっとしたロジカルな遊びで考えると国政に近い衆議院は比例代表制で、良識の府である参議院は都府県ブロックの方がいいのかも。現在の選挙システムと真逆だが。または利益誘導のロビイストは知事名義に限るとか、多選を禁じるとか。

もう一件。議員は「選挙に落ちればただの人以下」な状態では、新規参入を拒んでいるというしかない。日本人にとって政治家は利益誘導者であって、落ちた人に冷たい社会であればこの結果(2世議員の温床)は正当じゃないと思うのだ。政治を批判する暇があれば、選んだ人の責任を追及した方が早いと思う。そしてそのシステムに対しての批判も理解できる。だが、政治家本人への批判は全く理解できない、選んだ奴らの責任でいいじゃん。賄賂を受けた政治家を選んだ地域は補助金のカットあるいは削減とか。倫理に頼ることなくシステムで対応できる方法を提言した方が良いと思う。

逆に言えば現在の議院内閣制で「力」を有す議員を地元が応援するのは自然だ。その議員が立法府から行政府へ転進すれば利益を還元してくれる事は自明だからだ。立法府の議員と行政府の宰相が同じ基盤で選出されている以上、利益誘導型は仕方が無い。なので政治家を志す人は元官僚、経済的に成功した人、奇特な人か2世しかない。真っ当な人民が政治家を志すシステムが整ってないのだ。

なので汚職・地元利益誘導や2世議員への個人的な批判は真っ当ではない。システムを具体的に批判することの方が現実的であろう。

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素人の素朴な疑問は間違ってるって知ってる?の件

「素人の素朴な疑問」というフレーズをちょくちょく目にする、一般的な定理や科学的な論理に違和感を感じるということで遣われていると思う。この場合素朴な疑問は100%間違っていると断言できる。だいたい科学者や技術者はプロの目で安全性等を評価している、素人の疑問が定説をひっくり返す事は万に1つも無い(億に1つくらいはあるかも)。それなのに何故「素朴な疑問」を訴えるのであろう?

まず、「素朴な疑問」はなんの検証もせずに「正しいのではないか」と思っているのであろう。自分が理解できない事象は自分の体験・妄想を信じるという類の物だ。この場合多くは境界条件や論理、事実を無視しているといえる。

例えば「サプリメントで健康になった」を考えてみよう。定説ではバランス良く食事を摂り、適度な運動が健康によいと説く。ところがストレス社会に効くサプリメントで体調が良くなったとしたら、(1)プラシーボ効果、(2)その他の影響を先ず考える。自分に起きた現象を客観的に捉えることだ。通常は幾つかの手段を同時に試し、何が効いたか分からない状況ではないのであろうか。科学実験では評価サンプル以外は変化させないのが常套手段。複数の因子を同時に変えると何が影響したのか分からなくなるからだ。その上、「信じている」とプラシーボ効果を発揮するので信心厚い本人には効くが、他人には全く効かないということも全然不思議では無い。

健康診断の数値改善例で「これが効く」と言うものほど当てにならないものは無い。この手の心配を内包する人は同時に色々なことをしているわけで、例えば血圧が高いという対策に同時に色々なことをし、例えばいかがわしい健康食品を飲用するとか、その結果血圧が下がったとしてもどの要因が一番効いたかなぞ分かるわけが無い。他人に推奨するのは損害賠償物だと理解した方が良い。なので「素朴な疑問」も素朴の範疇から出ていないのだが、本人は謙遜して言っているのか本音は「本当のこと」に置き換わっているのが怖い。「素朴な疑問」が正しい事象はほとんど無いのだが、主張する人が多いのは困る。

ちょっと話が脱線するが「日本は文化的な国家だ」という主張も素朴な主張であろう。一部の金持ちに綿々と受け継がれている文化は存在したであろうが、金持ちのみでの教養であり、多くの日本人には「文化」と言われてもピンと来ないであろう。もちろん農村の文化はあるであろうが、それは土着文化であり、「日本が文化的」と比較劣位を対象とした国・地域にも同様なモノは存在するものであろう。

「日本が文化的だ」という主張は「素朴な主張」の範囲を超えるものではなく、単なる自尊心に過ぎない。例を挙げよう、日本食は健康に良いという主張が多い。日本人の平均寿命が上がったのはここ最近の話で、明治期は平均寿命はかなり低かった。ソースを提示するのは省くが塩分過多・低蛋白で寿命どころではない。最近では長野県が高塩分・低蛋白食事の改善を目指し、内陸県では屈指の高寿命を得ている。これは伝統食文化の否定の産物だ。

話を戻すと、どのようなジャンルにしろ「素朴な意見」が幅を利かす事は無い。研究している人はそれほど馬鹿じゃないということ。きちんと調べているのだ。素朴な意見自体を否定するものではない、それを科学的、論理的に昇華して初めて意見になるのだ。特に「食」については「素朴」が幅を効かしている様に見えるが、素朴な意見はそれだけであれば、害があっても理(利)にならない。

かほどに「素朴な」は非論理的で、というか間違っている。自覚するように。

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