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基地問題~持つ者の贅沢な悩み

あーあ、通勤時間がもったいないから引越しを考えている。

 

私の住んでいる自治体には米軍基地が2箇所あり、1箇所は空軍だが、市や県の広報で基地問題が話題になる事は少ない。ゴミ処分場などの新規の迷惑施設建設問題も田舎なので都心ほどの盛り上がりも無い。首都圏と言うこともあって、基地みたいな迷惑施設が嫌いなら引っ越すという選択が簡単だということであろう。たまに基地移転訴訟で棄却されたり、迷惑料でいくら貰ったというのがニュースに出る程度。プラリサイクル工場ができたときも一部のそこに住んでいない環境屋が騒いだだけで、なんの関心も集めずに終わった。

騒音に困っていれば、政府に迷惑料を請求するのではなく引っ越し料を請求すればいいのに。

引っ越せない理由は「土地と家」を持っているからであろう。そして基地は過去50年は増えていないであろうから、分かっていてそこに家を買って住んだ人を除けば、先祖代々そこに住んでいる人が基地移転を主張するのであろう。「後から来た基地はどっか行け」みたいな。

それはイデオロギーを除けば持つ者の贅沢な悩みだ。先祖代々の土地に住むのにどれほどの価値があるのかは持たざる者としては全く理解できないのであるが、持ったものにしか分からない価値観があるのであろう、資産家でない家に生まれた私には分からない贅沢な悩みだ。

私など家を買ったにも関わらず、かつその通勤時間を知った上で転職しているに関わらず、「通勤時間が苦痛」で引越しを考えているほどである。その価値観は共有できない。

23区に家を持つ人にとってはゴミ処理施設などの迷惑施設が新設されるのにピリピリ来るのはよく理解できる。高くなった資産価値が減るのは迷惑なのであろう。ゴミ処理施設が必要なのは当然だが、我が家の隣だけは許さんという反対運動はよく理解できる。これも持つ者の悩みであろう。

 

もし基地問題がイデオロギーの問題だというであれば、迷惑であるかどうかは全く関係ないので、迷惑料を支払う理由は一切無い。正当な手段で基地を無くせばいいからだ。日本は民主主義なので「基地はいらない」という民意が高まれば、それは実現可能だ。偏狭な個人のイデオロギーを斟酌して、国の利益をゆがませるよりは、偏狭なイデオロギーを一般的な高みに持っていく方が真っ当だ。「迷惑被ったんだからいくらかよこせや」とか「飛行機が落ちてくるのが怖くて夜も寝られないんや」というのはヤクザビジネスみたいな感じがする。

持つ者の悩みを聞いて「基地の移動」を行えば新たな軋轢を生むということだ。迷惑施設の引越しは新設と同義なので、新設されたエリアの人には寝耳に水かもしれない。まさか多くの基地新設当時はど田舎に作ったのであろうから、基地の周りに住んでいる人は基地がそこにあることを知ってて住んでるに違いない。その人たちの意見を聞いて何になるというのか。

なんか馬鹿馬鹿しくなってきた。普天間を想定して、近所の米軍基地を参考に書き始めたが、多くの基地の周りで問題にならない理由が鮮明になり、普天間や名護の問題の「意味の無ささ」が明確になった。結局理屈ではなく感情なのね。

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行儀がいいということ、差別が発生するということ。

行儀(マナー・エチケット・上品さ)が良いと何が得になるのであろう?

僕はこの行儀を割りと重視しているのであるが、全く利点が見えない。守った方が損な感じだ。そしてそれは多分その通りで、世の高齢者の多くは行儀が悪い、少なくとも世の高齢者は行儀がなってないのが多い。

これは「評判」というシステムにおいて見ず知らず(もう2度と会わない人)に対して行儀を行使するコストが高いのであろう、毎日が「旅の恥は掻き捨て」状態な訳だ。極めて合理的だ。また私個人の経験であるが「行儀の悪い」同僚・先輩・上司に対してそれを指摘することも無いし。知人に(不道徳を)指摘されない、当然他人にも指摘されない、マナーを守るインセンティブは全く無い。

ということは他人の迷惑を顧みず、自分の利益を最大化するのが合理的ということになる。7人掛けのシートに均等に6人で座り、「あのーすいません」というスペースを作らないのが正義だ。ヘッドホンの音漏れもまぁ殺される事はないので、自分の好きな音量で聞き、漏れ音を心配しない方がお得だ。電車でもう2度と会わない女性に「痴漢」認定されないように体を押し付けるのが最適解だ。

論理的にはそれは間違っていない。他の人を不幸に陥れても自分だけが快適であれば良いのだから。

多分、この点をきちんと理解しているのが「モンスター」なのであろう。モンスターは極めて合理的であろうと推察される。「恥」という無価値な捉われから開放された価値観を有しているからだ。

 

ということは、今後の日本では法家主義と厳罰主義しか選択の余地はないであろうか。まだ現代は「みっともない」という観念が有されているとは思うが、それはすこぶる合理的でない。合理的とは「かっこ悪い」というのが存在しない生き方だ、で多様の価値観はそこに行き着くと思う。

ということは「差別」の復活だ。エレガントさや上品さ、その基準を決めるマナーやモラルには強制力は無いのだから。強制力が無い以上、傍若無人が既得権益で、と同時に傍若無人を忌避するのも自由ということになる。傍若無人派とエレガント派がお互いを嫌うようになる。

そして差別の妥当性が生まれる。差別は当然の帰結となる。

そう考えると、現代の日本では差別が悪いことと共有されているのにびっくりする。
(こんなことを書くと怒られるのは分かってはいるのですが)

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減価償却についての雑感

後輩から「減価償却がわからん」と質問を受けた。そういえば結構分かりにくい。自分用のためにも整理してみる。

(1)減価償却はローンだ。
設備投資を打ったらそれは「ローンで返済」すると言う説明はどうであろうか。もちろん借金するかどうかは関係ない。7年ローンで返済し、その返済額はその設備で生産した物に乗っかると。減価償却(ローン)が終われば、ローンの済んだ家は無料で住めるといった具合。なのでP/L上は減価償却が済めば原価率が下がることになる。
要は減価償却終えるのが目的なのではなく、減価償却が済んだ設備で生産するのがお得になるのだ。

(2)設備投資はサンクコストだ。
設備投資と減価償却の関係はB/Sに乗っかるが、その値段で売れるわけではないので、現金回収不可能なサンクコストである。
なので「減価償却が終わるまでは生産を続ける」という思考法はナンセンスである。新たな投資を打った方が儲かるのであれば、サンクコストとして処理して、その製品での減価償却にこだわる必要は無い。P/L上では「減価償却が終わった設備での生産がお得になる」のであって、「減価償却を目標にする」のは全く意味が無い。

もう打ってしまった設備を是として受け入れ、その上で新たな投資をした方が得なのか、微々たる儲けの商品で減価償却をした方が得なのかの判断だ。少なくとも減価償却完了を目標とするのはアホだ。

(3)減価償却と投資キャッシュフローは別物だ
また設備投資したときはその資金の出所はキャッシュフローに現れる。借金しなければ投資キャッシュフローとして現れ、営業キャッシュフローを食い詰める。多額な設備投資はFCFを悪くする要因なので経営判断が必要な場合もあるであろう。減価償却をしてもキャッシュがよくなるわけではないのは当たり前の事。

(4)サプライヤーへの投資
例えば新規容器への設備投資をした場合、容器メーカーは金型代を予定数量に割り返した代金をオンして容器代を提示する。予定数量を超えた場合は金型代を下げた形で値段交渉することが可能であろう(減価償却が済んだ場合と 同等)。一方、予定数量に満たない場合での金型廃棄は、突然「未償却分の請求」が来ることになる。これは見えない負債を抱えているのと同じことだ。限界利益への影響が非常に大きい。であれば辛くとも金型代を払ってしまった方が経営的には安定するのではないか。

(5)減価償却は税法や会計の要請であり、現実に合わせた償却期間を設けるのが妥当
標題の通りなのだが製品寿命が短いのが自明であるときは償却期間は短く取るしかない。原価計算で減価償却期間が7年でも、製品寿命が2年しかなければそれで回収するしかない。その後廃棄するのであれはさらに当然だ。

 

これらを複雑のままなんとなく勘案していればそれでいいと思う。ある意味厳密にするのもアレだろうし。しかし感覚とは恐ろしい物で「減価償却」を目的や指標にいている人が多いのにはびっくり。設備投資は所詮サンクコストなのだから、新たな設備を打った方が得な場合もあるし、減価償却の終わった設備を有効に使うという戦術もあろう。少なくとも「減価償却が終わる」ことを目的とするのはクズだ。

例えて言うと「ローンの終わった家を二束三文で売る」に等しい。

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平野官房長官と福島大臣の男前っぷり

ちょっと仕事でいろいろありまして更新がおろそかになってます。申し訳ない。
関係ないのですがハセキョーのドラマに萌えてしまいます。枯れつつあるハセキョーもまたいいなぁと再認識。

「法的決着も」、重ねて言及=普天間移設で平野官房長官(時事通信) - goo ニュース

この政権でのキーパーソンは平野氏だと再認識しました。鳩山総理の幸運は彼を官房長官に選んだことでしょう。(表に出てはいるが)参謀ってこういう存在だよな。

基地でもJALでもダムでも、総理をはじめ行き過ぎた閣僚の発言を「戻す」発言を繰り返している。その行為は世間や関係者の評判は悪い。感情の成分は政治において重要だとは思うがそれだけでは成り立たないのは当たり前で現実的な落しどころを捨てる必要は一切無い。鳩山氏(や他閣僚)が情緒に揺れても、平野氏が締める。批判は集中するが結局彼の指導で閣僚は現実感覚に戻される。

例えば名護市長選挙の結果のあと鳩山氏は「民意は重い」と述べたが、平野氏が「辺野古もありうる」と修正、その結果鳩山氏は「ゼロベース」に変わった。

どんだけ男前やねん、て感じ。

今日、鳩山氏は平野氏に陳謝させたようだが、どっちが総理か分かったもんじゃない。これこそ権力の2重構造で、お釈迦様の掌で踊っている総理といった具合。泥を被れるのも男前だ。

 

一方、福島氏も相当したたかだ。勝手な想像であるが福島氏は弁護士なので顧客の要望を具現化するということに長けているのであろう。簡単に言うと顧客(支持者)のためには馬鹿に成れるということだ。もっというと現実的に彼女が正しいと思うことと顧客の要望は別である事を理解していると言うことだ。

福島氏の顧客の多くは軍備嫌悪的反戦主義者で顧客のためには「普天間移転はまかりならない」と言うのが彼女の仕事のはずだが、現実的な落しどころを探るための逃げ道を民主党に用意している面があると感じる。本来の社民党の主張では「普天間移転」が最重要課題であったはずだが、辺野古への移転への拒否反応が高いと見るや移転そのものを凍結してもいいと読める発言がある。まぁ強行主義ではないわけだ。というのは論理的に考えて非軍備ではやってけないわけで、顧客満足度と現実的対応をきちんとこなしている。たまにぶちきれているがそれは顧客のためのポーズであろう、「社民党はこんだけやってるのよ」と。そして論理的思考に欠ける感情的反戦主義者をちょろまかすのは彼女にとって簡単なことなのであろう。

NETでの論調では「社民党は現実的でない」という批判が多いようであるが、こと福島氏の発言を見ているとその批判は情緒的だ。まぁ保守も本質は過去を賛美する情緒主義者なので「嫌いなものは嫌い」という観点から逃れられないのであろう。

福島氏は「普天間飛行場の県外・国外移転」を唱えているが時期を指定するわけでもないこと、優先度を明示しないこと、要は主張はするけれどもコミットを求めない姿勢からでも明らかだ。鳩山氏が勝手に期限を切ったのとは対照的だ。

 

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のれん代は誰が払うか

経営者性善説はおかしい~経済学101

にコメントを載せたのだがちょっと噛み合っていないようなので補足。理論や論理を否定しているのではなく、経済弱者(従業員)への視点が優しくないという論点だ。

モノや権利の売買は当事者間での取り決めでその価格が妥当かどうかは当事者間での問題でしかない。盗品から株式まで全てのインセンティブを織り込んで当事者間で合意したらその妥当性は外野からとやかく言ういわれは無い。当然違法の取引は別途の強制力が働く事は言うまでも無い。

なので会社を買収することが善か悪かと言う命題はナンセンスだ。

ただし買収後の処置に利益の最大化を目指す方法論がいろいろあると思う。売買自体に問題があると言うのではなく、買収後の処置が不透明であれば「買収」を嫌うと言うことだ。なので「ハゲタカファンド」の買収を嫌うのは経営者・従業員にとって当然の帰結であり、様々な(中には電波な)論説が行き交うことになる。

買収に当たっての交渉は売る人と買う人ということになる。極論すれば経営者も従業員も蚊帳の外だ。ところが買収はB/Sの値段では買えないのでプレミアム(のれん代)を払うことになる。これを誰が払うかと言うことだ。

私の経験では被買収企業がのれん代を払う。利益を上げている被買収企業でものれん代をB/Sに乗っけられれば赤字になる。のれん代は減価償却費の扱いなのだ、これは株主から押し付けられたもので経営者(当然従業員も)は拒否できない。

株主からするとのれん代を償却しないことには配当が受け取れない→のれん代未償却分が赤字である。またはROEから時価を算定するにあたり障害となる。まぁ理論上はリスクを取っているわけだ。

これは買収価格の決断は買主と売主のみが決断しているが、そのリスクはステークホルダー(経営者・従業員)と共有しているのだ。

リスクを押し付けられる経営者・従業員はたまったものではない。営業利益は叩き出しているのに決算上は法人税を払わないために赤字で、それが理由でボーナスや昇給原資が無くなる事が現実だ。(会計上のテクニックを給与原資削減の理由に使うわけだ、鬼だろ。)
もちろん株主はそのトータルバランス(やる気を削ぐ・引き出す)を考えて配分することであろう。まぁ実態は「辞められないに決まってるから昇給は抑えておけ」という判断に繋がる。

のれん代を被買収企業に押し付ける手法があって、それは買収者のリスクでもあるけれど、経営者・従業員を巻き込んだ形になっている。なので買収者をハゲタカと呼び、嫌う風潮があるのだ。

これは制度上の問題点だと思う。

 

例えて言うと、優秀なアルバイトを雇うために高賃金を提示して雇っておきながら、平均時給との差額以上を稼がなければ時給カットと言っているに等しい。雇った企業の会計上では時給を払ったことにして、赤字操作をしてバイト君はその時給をもらえないわけだ。

会社を操る権利は株主にあるのであろう、それは経営陣のチョイスや買収の売却の権利、それは当然だ。そのこと自体は批判する気は無い。もちろんのれん代を押し込むという手法も経済学的には問題ないであろう。過度にのれん代を押し付ければ優秀な従業員が辞めて会社の収益が下がれば買収者も損するからだ。

であるが直近のテクニカルな部分に従業員が反応するわけにはいかず、やはり従業員は弱者であることには変わりない。

 

究極的には「法」の問題ではない、しかしそれでは従業員的にはあんまりなんだよね。そんなやばい企業からはさっさと抜け出ろという「経済学理論」は机上の空論でしかない。

 

時給が定額制とおぼしきや出来高制であることを理解したら逃げる事は可能だけど、被買収企業の従業員はバイトでいうところの定額制から出来高制に問答無用で変えられたに等しいわけで。ルールが変わったから「不満があるなら出て行きなさい」というのは従業員にとって過酷なルールだと思うんですよ。

 

追記:Rionさんからコメントを頂戴した。至極納得の行く内容でこれから手直しに入りたいと思います。
ちょっとプライベートで一杯一杯で思うようにはならないと思いますが、、。

 

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社長の新年挨拶が分かりにくい件

社長の新年挨拶は良くも悪くも「一言一句」に注目する。そしてその結果長ければ長いほど意味は無い。また分かり易く明確なメッセージでなければ意味は無い、というより周りは混乱するのでマイナスだ。

新年挨拶での社長のメッセージに論理的な正確性を求めるのは間違いだと思う。録音(映像)で社員に説明するに、論理は複雑でその背景を説明しているうちに理解させるのは不可能だからだ。なので方針のベクトルの優先度を明らかにすることが大事であろう。

先日のエントリーで組織改革はその組織を見れば変革の意思が全社員(少なくとも役職)に理解できるような仕組みで無いと意味が無いと述べた。

同様に社長の新年の挨拶はそのものずばり「方針」であり、またその「方針」を自分の都合のいいように利用する輩も居るということも織り込んでなくてはならない。であれば「間違いようの無い」メッセージでなくてはならない。単純な説明は色々なエクスキューズを伴うのは理解できるが、大まかなメッセージに細かいエクスキューズは全く必要ない、それを必要とするメッセージは書き直しと言うこと。

ちなみに我が社の社長訓示は「我々はメーカーなので原点に帰る」的であったが、意味がさっぱり分からない、というより「原点」という過去への郷愁があるようだとは理解できたがその戦術でいいのかという疑問だ。少なくとも戦略ではない。まぁ過去の成功体験戦術を模倣しろというのであればそれでもいいんだけど。

我が社に負けず劣らず電波な会社も多い。業界紙の新年の挨拶を見ると「日本はまだ終わっていない」とか「道徳」とか多い。会社の理念として社長の道徳観を実践するのは結構だけど社員は困るよね、「昔の日本は美しかった」とか言われても。まぁ給料をきちんと払ってくれればサラリーマンだから言うことは聞くけどさ。

それで「部下は働かない」とかは言わないでね、というオチです。我々には会社を改革する権利も義務も無い代わりに、見限る権利はあるわけですから。

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自分の差別感情を認識した件

前記事で被差別を認識したと述べた、喫煙者は嫌煙者から差別を受けていると。

差別を受けたと実感した~だめリーマンの思考法

じゃぁ、私が聖人君子かと言うと全然そんな事はなく、同僚女子社員と飲みに行く際には下ネタの限界点を探ったり、まぁオヤジだ。

そして差別と言う感情を「異質な感覚を持った者を排除する感覚」と仮定するともう差別だらけだ。ちょっと私の内面の醜さを抉り出してみよう。

私が海外に行ったときに感じる現地人に対する不快さはこちら側の問題だと認識する。郷に入れば郷に従えの精神で、私があえてまねしようとは思わなくてもその行為に対する不快感は「そういうもんなんだね」と理解する。しゃべり声がうるさい欧州の地下鉄やアジアの交通ルールとか。

一方、コミュニティの感覚が近いと親近感も湧くようである。返還前の香港の屋台街で金持ちにからかわれたことがある。日系企業勤務の現地人の連れと明らかに日本人の私が屋台でドリアンの試食をためらいつつ強制されているのを見て、白いスーツとイエローのワンピースを着た若いカップルに大笑いされた。彼らは私の事を大笑いしても問題ないと同質の感情の確信があったのであろう。声を掛けると「日本人だろ、ビジネスか?」という質問を受け、観光だと答えると連れが名刺交換を始めた。10分くらい通訳を交えつつ話を聞くと大金持ちだった。恐縮していると「日本は大好きだ」とお互いの文化を褒めつつ別れた。彼等のクルマはショーファー付きのベンツだった。こっちはタクシーですけど。

面白いのは彼らは我々が日本人だと知っていたから「からかった」のであり、同質(本当は彼等は上流階級で私は貧乏なんですけど)だと認識し、我々の対応に満足したという点だ。私は名刺を貰って「いつでも遊びに来てよ」と言われ、連れは私の帰国後にヨットクルーズパーティに参加して、楽しかったらしい。そして想像を絶する金持ちだったらしい。そりゃ屋台街に白いスーツとフリフリワンピは浮きまくりだった。

何が言いたいかと言うと、同質のコミュニティ(例えば王室同士とか)だと判断すれば知らない間柄でも「異国の地(彼らのホームグラウンドでは無い事はたしかであろう)」ではコミュニケーションを取るきっかけになると言うことだ。パジャマ姿の女性やノースリーブ&短パンの男性が闊歩するなかジーンズ&ジャケットという格好が彼らにとって同質と感じさせたのであろう(あと私が明らかに外人だし)。彼らが現地庶民に興味を持たないのは当然として、パーティに招待するのが面白い。何を勘違いしたか我々を招待するに足ると感じたらしい。

逆の見方をすればコミュニティ内外を問わず同質の価値観を持たないと思われる人は興味が全くないわけで、その輩が迷惑を掛けられたりしたらそれは即ち「邪魔」「うざい」「消えろ」的な、いわゆる「嫌いという感情」を持つ。

例えば電車内で私が座っている隣が「デブがダウンを着込んで座っている」と迷惑以外に表現しようがなく、彼が迷惑を与えている感じでいればまだ許容と言うか好感を持つが、ほぼ全ての人にその感覚を期待するのは無理だと理解している。彼らの迷惑が直で来たらその人を嫌いにならざるを得ず、仮に心停止で突っ伏しても私はその人を助ける気はゼロであろう。血でも掛かればクリーニング代を請求したいと思うのかもしれない。

私の中で「迷惑を掛ける」人はそう少なくは無い。コミュニティ内での意思疎通は期待できないので私自身の都合で「迷惑な人」が決定されてしまう。そして究極的にはその人が死んで私が快適な環境を得られるのであればそれを是として受け取る。どうせ知らない人だし、その迷惑な人が死んで損がなければすなわち得だからだ。

これってすごい差別感情だと思う。自分に都合のいい人だけは心配はする。そして関係ない人にはそれなりに幸せになって欲しいと願う。一方、名も知らぬ(私が判断するところの)無礼な振る舞いをする他人は「死んだ方がいい」と思っているのだ。

ここまで極端な感情を持っている人は少ないかもしれない。しかし差別感情は誰にでもあるよという事例だ。本人は軽い差別でも被差別者は重く受け止めるかもしれない。逆もあるかも、論理に乏しい過激派が騒いで潰れて勝手に被害者意識を訴えたり。

標題の件をもう一度まとめると、ささいな現実から差別感情が生まれる事の事例を示したつもり。差別は同質でない価値観を持った人間を排除する意識だからだ。階級社会では差別と言うかもしれないが、お互いのコミュニティに交流は少なく問題は大きくなかったのであろう。コミュニティ同士の慣習の違いが明確になれば差別は発生すると思う。

で人間の本能の一部かもしれない「異質者を排除する」という点を受け入れた上で、教育をして差別問題をいちいち潰すしかないのであろう。

それって悲観論かな?

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組織変更に見る責任の所在

組織変更が話題になってる。目前の仕事のためには、雑談のネタとしては面白いんだけど、私の経験で組織変更は明確な意思や反省点が公にされない限り意味無いと思う。

組織変更を行う際は、事業部制、部並列制、階層制などさまざまあると思うが、今の組織で「どこが悪かった」かが明確になっていない場合が多い気がする。まぁ見ただけでもその対策がありありと分かる場合もあるにはあるが。

ようはこれから「なにが拙かったか」「どのように戦うか」が明確でないと組織をいじる意味は無い。役員は口だけ出し、部長が動けないという問題があるのであれば、役員が部長を委嘱されれば良い話だ。また部を超えての連携が出来ないのであれば役員が管掌して交通整理をすれば良い。

組織をイジルということは現状に問題があると言うことと同意なので、社長は「何が拙かったか」が社員に明確に伝える必要がある。それは言葉でもいいが、その組織を見れば一目瞭然と言うことに最低でもなってないと後任のミドル(部長クラス)が困ることになる。部長が困っているということはなんの前進も期待できない。

1.事業部制、本部制
これは事業部または本部に製販がワンセットになっていなければ、責任の所在など無いに等しい。本当のところを言えば研究スタッフも自前が望ましい。言わば社内の会社。事業部長、本部長は社長と言うわけだ。それでこそ必勝劣敗が言えるし、そうでなければ責任の所在はない。

2.兼務
役員ならともかく、部長クラスで兼務が多ければ、そのウエイトは明らかではなく、やはり責任の所在ははっきりしない。役員の所管、管掌など、責任の所在をはっきりすることだ。冒頭にも記したように部署間の連携が上手くいかない場合には役員が調整する必要もあるであろう。

3.課長へのメッセージ
ここが一番難しいと思う。基本的には部長クラスの大上段な方針を具体的に噛み砕いてジョブを整理していくのは課長だからだ。課員へのメッセージも変わるであろうし(変わらないのであれば意味は無い)、そのサポートは割りと重要。そのためにも課員に伝わり易いトップのメッセージが必要である。社長のメッセージも大事だし、組織図を見ただけで意思が伝わるようでないと失敗する。

4.社長のメッセージ
これが分かり難いと組織は動かない。単純であればあるほど良い。もちろん経営スタンスは単純にはことが進まないのはわかるが、メッセージに色々なエクスキューズを込めても、分かり難くなるだけで何も伝わらない。

 

結局、組織変更はオペレーションの変更とそれを社員にメッセージとしてきちんと伝えるということだと思う。

もし社員が「上司は変わらないから何も変わらない」と思っていたら効果は無かったと思った方がいいと思う。

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民主党は参院選は万全だろう

「参院選勝利へ先頭に」仕事始めで自民総裁(読売新聞) - goo ニュース

標題の件、いやぁネタでもなく本当に。自民党の方が支持率を落し続けている離党が続いて当たり前。

その分析をChikirinさんが行っている。

今年最も面白かった政治文書~Chikirinの日記

酷い。民主党への対立軸は友愛に対する伝統ではなくて、第3の道に対する成長への改革でしょ。

まぁそれが分からないから安倍さんから始まった路線から決別できなかったのだろうけど。

民主党は自信を持って我が道を行ける。あーあ、

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