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成人年齢を引き下げると、、、

成人年齢引き下げに男性は「賛成」。女性は反対~秋瑾の「窓際OLのコラム」

引用記事は日本人は子供だということなのだが、どっかに線引きは必要なわけで、スケベ心で強引に論じてみよう。

ちょっと脱線するが現在のことはいざ知らず私が若者(昭和末期)であった頃は「知っている者」と「知らない者」の情報格差が大きかったような気がする。若者特有の理念に振り回されていて「どんな仕事をすれば金が稼げるのか」という点が希薄だったような気がする。なので私は給料の安いメーカーの技術者なんぞを目指したわけだ。学校(中学・高校)は人生において逃げられない真実から逃避した概念で運営されていた気がする。

なので「赤字でも意味がある」と主張する給料のど安い企業があったり、生産性の議論が抜け落ちた頭脳で「再生ファンドはハゲタカ」という主張が説得力を持つに至る。「赤字の企業」に価値はないですから、だからといって「赤字の企業の技術」に価値が無いとは言いません。
それは単に経営者が無能ということだけで、若者気質とは一切関係ありません。現在の若者はそこまでの情報格差はなさそうである。あとは社会要請に基づき若者が最適な行動を行うと仮定する。なので現在の若者の姿は社会が要請した鏡だという仮定。

 

そう考えると若者の真実が見えてくる気がする。怒鳴りつければ職を辞めるのは耐える価値があるかどうかというだけということになる。人権を無視した「伝統」に価値を見出せないのであろう、怒鳴る本人の給料が安ければもう当たり前の話だ。そもそも私の世代でも堪え性のない人間はある一定の割合で存在していたが、大量採用なので気にならなかったのであろう。シゴキに耐える価値をバランスよく判断した結果「堪え性が無い若者」がクローズアップされるだけであろう。長期に勤め上げたほうが退職金など総報酬が多いのは誰でも知っているのだから早く見切りを付けた方が合理的である。馬鹿みたいにシゴキに耐えたことを美談とする合理性は無いわけだ。なので(給料が上がるので)シゴキに耐えた旧世代より、(選択がある)現代の若者の方が頭がいい、はずだ。シゴキに耐えて安月給で給料が上がらないのであれば、シゴキに耐える意味が分からない、仮にシゴキに耐えた人が美談を訴えても。

現代の若者軟弱論は以前のと同質で、社会が変わったことを自覚できなくかつ頭が悪い人の常套文句だといえる。大体不機嫌を撒き散らすのが「大人」とか、「職人は見て覚える」は効率が一切無視されているわけで意味がわからん。

ちなみにさらに脱線だけど、伝統を礼賛するあまり、「○○時代から製法が変わらない」という表現は単に技術革新が止まったことの証明であり、当時の職人の給料で生活すればいい。なので伝統芸能職人は生きていけないのだ。伝統技術も常に技術革新が必要であったはずであり、とある時点で止まった瞬間に当時の職人の給料で生きていかなくてはならないのだ。だから伝統芸能は廃れるのだ。伝統芸能の多くが機械化や現代科学技術との融合を嫌い、その結果高コストの商品を「伝統芸能品」として商売しているがその価値は一般人には分からない、わかる必要はない。
発展が止まった文化は単なる懐古主義というか骨董主義で、同じ物を作れば現代の名工よりは当時の物の方が価値は高いであろう。

 

 

やっと本題。くどいのであるが若者は合理的であると仮定する。

政治家の顧客は老人であることは明白なので民主党も自民党も老人票を取り込むことが最大関心となる。少数政党も「老人」のこぼれ票を期待しているか、イデオロギーで差別化した政党しかない。若者が投票すべき政党が存在しないのだ。これは政党の側が責められる問題でもない。顧客満足度を高めて再投票してもらうのが政党のお仕事であるからだ。政党政治家は自分の主義主張を訴えているわけではなく、顧客に受ける主張をしているのだ。若者人口が少ないので若者を顧客とする政党は存在できないであろう。

老人票の草刈場と化している選挙に対する若者の態度は傍観が合理的であってもおかしくはない。というのは老人対策と若者対策は矛盾するからだ。政府の施策も老人向けであれば短期的だし、若者向けであれば長期的に行う。対象も介護・医療を厚くするか規制緩和、、、どう考えても相容れない。若者は政治に興味が無いのではなく、権利行使の場が存在しないのだ。だから無関心になる。

 

かなり論理が飛躍する。税収の主負担である現役世代を優遇するか、非生産世代である老人を優遇するかで政策はがらっと変わる。高度成長期を演出した団塊の世代を冷遇する気にはならないけど、厚遇もおかしいということ。いや政府が老人を厚遇するという事実の元に若者は戦略をとると言った方が正しいか。

そういった視点では若者の影響力を老人に対して高めた方が良いと思う。現在の年齢人口分布がフラットだと仮定すると年齢比がそのまま人口比なので0-20齢、21-60齢、61-80齢の比が1:2:1である。生産性を挙げる人口が同数の非生産性人口を養う構図である、そして選挙権比は2:1なのだ。実際に税金を納めない1/3(法人というか企業の人員構成を含めるともっと下がるはずだが)が影響力を持つのも異常な気がする。

 

この際若者の未成熟さを論じるよりも非現役の影響力を薄めた方が良くないか?法律が決まった頃と世代比率は変わっているのは想像に難くないし。若者は未熟であるかもしれないけれど馬鹿ではない、その上で若者というか現役世代の(長期視野)での政策を望んでもおかしくない。

 

ちなみに18-20歳の犯罪が抑制されることが期待できる、またアンダー18でもこの点に敏感になるであろう。高校が義務教育化している現在「子供と大人」の線引きがはっきりしていいと思う。

 

 

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千里中央に対する雑感

所要で大阪大学を訪ねた。新大阪から御堂筋線で一本。

いやぁ驚いた、アクセスの良さ、街の規模に。モノレールで空港まで一本、そして大阪(梅田)まで20分、新幹線(新大阪)まで13分。通勤に使用するなら始発なので並べば座れるのであろう。住みたい。

このような形態の街は関東で言えば多摩ニュータウンであろうか、団地というか街の雰囲気は非常に似ている、昭和。モノレールからの車窓は本当にそっくり。緑が多いことデパートと古臭いショッピングモールがあるのも同じ。違うのは千里中央駅付近の街の賑わいと、都心への近さと、高速道路が完備されていること、道の幅が広いこと。千里ニュータウンには万博公園や阪大病院・阪大というおまけも付いている。

松原団地も港北ニュータウンも雰囲気は異なる。両者ともにおしゃれや高級感は無い。

多摩ニュータウンは住民・建物の老朽化が叫ばれており、最近ようやく活性化してきた感じがする。それでも永山と南大沢に商業設備が分散しており、単体の街の規模は遠く及ばない。永山・多摩センター・南大沢を足してやっと千里中央よりも大きいといった風情か。多摩センターは新宿まで50分くらいかかるし、大手町までは1時間程度。始発ではない(唐木田まで戻って多摩急行を捕まえれば座れるけれど時間はさらにかかる。)。大学は点在するが阪大ほどの規模はないし、万博公園に相当する大規模公園は無い(小さい自然公園はそれこそ売るほど有る)。

 

なんか住み易そうな感じ、千里中央駅徒歩圏であれば本当に便利だし、モノレールで1~2駅くらいは苦でもなさそう。少なくとも都心へのアクセスやその住環境は千里中央の方が多摩センターよりは優れていると感じた。いや、そもそも千里中央だけで十分満足できそうでした。多摩センター住民が多摩センター、南大沢周辺で満足しているように。足りないときは都心に出ればいいんだし。

東京って街のサイズがでか過ぎる感じがする、それはそれでメリットは多いのは当然だけど。大阪程度の街のサイズは住み易そうだ。東京を知っている身としては名古屋だと少し不満なんだろうな、電車で15分も走ると田園風景になって名駅へのアクセスは楽なんだろうけど。

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温暖化対策の片手落ちにたいする違和感

CO2による温暖化があるのかないのかわからないけれど、大きな違和感がある。

ひとつに理論的なアプローチとしてCO2の出口の話しか為されていない事だ。CO2排出の原因は「石油」を始めとした石化燃料を燃焼させることが原因で、根本の議論は一切されない(資源採掘削減計画は議題に上がらない)。
そして排出の話。その際、入り口を絞らず出口を絞っても、理論的には温暖化を防いだり、止めているわけではなく、単に遅らせているだけということ。石油を始めとした石化燃料をスパッと使用しなければ温暖化「対策」であろうが、絞るだけでは単に温暖化を遅らせるに過ぎない。

 

現在の環境対策が温暖化を遅らせているという仮定を受け入れるのであれば、温度が上がってしまったときの対策について考えなくてはならない。どちらかというとこちらの方が大切である。温度上昇の傾斜を低くすることに金を使うのであれば、温度が上がったらどうすればいいかの方が重要なのは自明である。

農業ではこのアプローチ・研究が盛んなようだ。(原因がCO2かどうかはさておき)熱帯化が観測されている西日本では米の収量が悪くなっているとのこと。熱に強い米への転換を考えているとのことだ。同様に高地の作物を低地で栽培したり、南方の作物を作付けする必要があるであろう。

では漁業はどうか。海水温度が急激に変わると資源量の変動が大きくなることを心配する必要があるのかもしれない、またエチゼンクラゲのような外道が増えるかもしれない。この点を観測し、持続的に漁業が行えるようなルール作りが必要かもしれない。産卵期や産卵海域が変動したことへの対策だ。

また養殖の魚種も変えなくてはならないかもしれない。仙台では宮島の牡蠣を取り寄せるとか、三陸では徳島の若布を取り寄せるとか。

 

今の環境対策に、環境変動後への産業への対策が見えない。各々の業界は心配してアプローチを打っているのであろうが、外野からは見えてこない。日本はまだカネがあるので対応を打てると思うけど、公海での資源乱獲は心配してもいいと思う。また農業で言えば現在の穀物価格は(対策を取る事ができる)EUが握っているのである意味安心である。

環境対策のもうひとつの点は、途上国が環境対応に付いていけるかどうかという点もある。日本や欧米は作付け品種を少しずつ変えることにより農業生産量をコントロールできるかもしれないが、途上国は取り残される心配がある。

 

なので現在の環境対策「温暖化を遅らせるだけ」と認識して、温暖化したときどうするかという点を議論する時期ではないか。いや日本は良いんですよ、情報はいろいろ用意されているし、知識は蓄積されているし、対策もそうは難しくは無いでしょう。

一方、損をするのは資金とノウハウを持たない途上国です。ええ、自分とこだけ良ければいいと割り切るのも有りだと思います。

問題なのは漁業資源です。貧乏国がEEZ内での乱獲をするのは仕方が無いとして、公海で乱獲するのは問題だと思うんですよね。先のワシントン条約会議も、「マグロを売りたい人」にとっては邪魔な条約なので拒否されたということでしょう。かえって規制が行われると抜け道に走る輩を監視するコストが高いということでしょう。日本は漁業資源をコントロールするために公海での漁業に規制を加える一方で、養殖などの技術支援を与えることが必要でしょう。

漁業も農業も本質的には「温暖化した後どうするか」が一番の問題であり、なんか置き去りにされている気がして仕方が無いのですが。

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工場見学で人間の英知を垣間見る件

逆転リサーチャーズ(TV東京系)はタイミングが合えば見ている。感想はローテクが多いなという点か。まぁ特許が詰まった最新鋭の工場は見せてもらえるはずがないから当たり前といえば当たり前か。

仕事柄工場見学は多い、原材料メーカーから包材メーカー、生産委託工場など。上流から下流までだ。30工場以上見学してると思う、そこで偉そうに「綺麗だね」とか言ったりする。

そこで感心するのは特許に絡んだ部分とか、最新鋭の設備とかではなく、汎用的な「ちょっとしたアイデア」だ。例えば有名なのは窓のサンに平行部を作らないで斜めのして埃をサンに溜めないとか。ある工場では「頭上注意」を床に記載していた、下には注意して歩くけど、下に注意し過ぎるから頭を行き交うランウエイにぶつけるので、路面に「頭上注意」が記載しているわけだ。そんな「ちょっとしたアイデア」を見つけるのはすごく楽しい。

通常工場は設備産業なので、設備の設置は動かないことが前提だと思う、ところが生産ユニットが移設式で注文に応じてラインを作る工場も「画期的」だと思った。

 

工場見学のコツというか楽しさを倍増する見学法を指南しよう。それは「どんな工程にも意味がある」という簡単な原理だ。なので意味がわからないステーションや工程、ロボットにはどしどし質問しよう。工場見学が盛んな食品工業ではスピードに圧倒されてしまうかもしれないが、本質はスピードではない。「工程」に本質があることが多い。なぜこのロボットが必要なのか、なぜこの工程が存在するのか?この点を理解したり、質問できると工場見学の幅が広がると思う。どんな設備(機械)にも意味があるので何をしているのかわからない「地味」な設備(機械)への質問をしてみよう。工場見学を主催するメーカーは速さや生産性を主張したがるけれど、そこに本質は無い。速さや生産性は並列のヘッドを増やせばいいだけ、クルマのエンジンにたとえるなら4気筒から8気筒に増やせば出力は倍になる。

検査機も重要な観点である。品質管理の基本を知っている人であれば「どのタイミングで何を検査しているか」を知るのは知的好奇心を満たすものだ。

工場には工夫というか英知が詰まっていると思う。何気ないことであればあるほど。また生産性を見るのも面白い。製品売価×生産速度がラインの売り上げの基本となり人間を何人使っているのか、コスト構造を見るのも楽しい。そこらへんを見に行くのが醍醐味だ。

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おっさんは道具の進化に着いていけない件、家電屋は価格競争に陥ってはいけない件

若い頃はおっさんが「パソコンは苦手で」というのが理解できなかった、今は理解できる。私がそのおっさんになったからだ。

我が家で長年進化していなかったパソコンとTVを買った。中高年にありがちな情報弱者を感じると同時に、「今のままでいい」という私の態度に気付き絶句せざるを得ない。

TVについては10年以上使用した25型のブラウン管から40型の液晶に移った。感想は発色はブラウン管か、プラズマにした方が良かったのかという疑問。まぁどうせ慣れるだろうし(実際2~3日で慣れた)あまり気にしていない。

TVでも地デジとかBSとかで悪戦苦闘。ゲーム機やBSチューナーの扱いとか(我が家はCATVなのでBSは配給のチューナーを介さないと見られない)。HDMIって何よ、D端子・S端子って何よ状態。さらに音質を少しは良くしたい、パソコンというよりはNETに繋げた方が面白そうだけどコードが走るのは嫌だし、電波を飛ばす環境を再構築するのも面倒。私が子供の頃オーディオ・TVをシステム化したのだが、父親は全く興味が無かった、現在でも自分の録画システムを持っているが満足に録画予約ができない。「こんな簡単なことが何で出来ないのか」と思っていたが、便利に対して必要性を感じなければ勉強する気にならないのであろう。

 

パソコンはメモリーやグラボを搭載していないペンティアムⅣだったので、サイズの大きいサイトや動画に不満が出たので更新した。職場ではセルロンであるが通信速度が遅いのであまりマシンへのストレスは感じていない(3DやCADを扱う関係でグラボとメモリー1GBは積んだ)。結局CoreI3を筐体サイズから選んだ。パソコン机の更新も考えたのだが画面が思ったより小さかったのと(4:3 17インチから16:9 23インチで縦画面はそれほど変わらず)、ディスプレイが薄くなったのでその後方にマシンを置いた。ちょうどIMac(って知らないだろうけど)のような感じ。

OSがWindows7になり、セッティングや使いこなしというか違和感の削除に丸1日使用。インターフェイスが大幅に変わってるやんけ、IDEが無くなったのはショックだし、マウス・キーボードポートも無くなった、さらにモニターのインターフェースが、、、。前のパソコンからの更新でも同様にSCSIからUSBに変わってそんときは便利だけを享受したなぁ。この差は変化を良しとする世代から、変化についていけない世代へ変わったということであろう。

以前(DOS6.3の頃)であればLANを組むのにも(さらにUNIXを介していたわけで)、結構面倒くさかった。それを勉強のためと一つ一つ物理的な接合から論理的な接合へと一歩一歩組んだのが懐かしい。初めてWin95では勝手にネットワークを構築してくれる楽さに唖然とした。今回はさらにすごくてパソコンを本当につなげただけでネットワーク環境は整ってしまった。プロバイダの契約資料を横に置いていたが全く使用せず唖然とした。

それでもWindows7への違和感は何であろう?若かりし頃は攻略の意志でみなぎっていたはずだ、怪しげなネットワークソフト(WindowsLive?)とかの意義を勉強しようとする熱意も無い。

 

ようやく本題。年寄は変化を嫌う。このことが良くわかった瞬間だ。それでもTVのインターフェイスはゲームや周辺機器と画質への関係性がありそうなので勉強というか(コード類の)無駄遣いをするのであろう。若かりし頃はきちんと勉強して無駄な出費を抑えるのものだが、とりあえずコードを買って期待通りでなければ再考という姿勢だ。←この姿勢が本当におっさんだと思う。

 

「こんなこと出来ます」的な宣伝もいろいろ入っていた。正直おっさんである私の心には響かない。マーケチング的にはどのように伝えればおっさんは快くお金をだすのであろうか。おっさんはその享楽を受け入れられるのであろうか。ある意味永遠のテーマかもしれない、「便利を伝える」のは。老人は所詮便利を頭で理解しても必要性を感じない限り絶対に手を出さない。

そう考えると現在のCMの手法は正しくないのではないか?量販店に脚を運んでもらい、自分の判断で購入し、自分でシステムを構築し、使用方法を勉強するというビジネスモデルはコアなユーザーにとっては便利であるが、情報弱者というかおっさんには不都合なビジネスモデルだと思う。コジマ電気は若者向けのブースはもう止めにして(どうせNET通販には価格競争では勝てないのだから)、安さよりは「どう使うか」という提案的営業でなくては成り立たないと思う。実際私が脚を運んでもぴんと来る説明は無かったので「これならNETで買っても同じだ」と判断した。

当然であるが機会損失も大きいであろう。地デジのTVを売るのではなく、地デジシステムの構築を売るという視点があまりない気がした。これでは現状に不満を持たない(便利さを追求しない)老人へのアプローチとして甚だ不完全だと思う。

チラシに乗せなくてはいけない情報はTVの価格ではなく、地デジシステムを届けるスケジュールと総予算と使用方法の教育方法なのだ。アンテナの改造からレコーダー・サラウンドの設置、レコーダーの使用方法まで。パソコンであれば、NETへの接続、プリンターのセットアップ、その使用方法。BtoBでは基本であるシステム構築提案が最も求められているであろう。そしてアフターサービス。あれ?これって従来の街の電気屋さんじゃない。

電気屋が求められているのは価格競争ではなく、価値の提案とその施設ということ。BtoB営業では基本だと思うんだけど。

 

追記)おっさんや老人は安く買えたことに対する満足度は低いと思う。いや本当は低くは無いのであるが、勉強する時間と熱意がもったいないのだ。TVの機種の検討、値段の調査、施設に対して高額商品であれば5~20%、絶対価格で1~3万円は週末を1~3回潰すことと天秤にかければ自ずと提案営業の意味が出てくる。10万円の洗濯機でもTVでもパソコンでも、NETで買えば安くは買える、予備知識なしで来店されても説明なから購買へのプロセスで1時間程度、設置・使用説明に2時間程度の工数をかけることを事前に説明して、「決して損ではないこと」「お得なこと」を理解してもらうことであろう。

若者でも事前勉強に2・3時間、店頭チェックで2・3時間、設置で2・3時間では週末が2回は潰していることであろう。若者の場合、勉強自体が楽しかったり、時給単価が安かったりで、そういった時間をかけることが苦痛ではない。一方老人は、、、。という話。

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勉強したのであればそれはそれで良いと思う件

米に現行案以外の容認期待=普天間移設問題-鳩山首相(時事通信) - goo ニュース

日経だともうちょっと辛辣な切り口で、所詮現行案か普天間移設なしかになると述べている。米、普天間「継続使用の可能性」~NIKKEI NET
理念で反対しても現実的にはそうはいかないという事例を与党が勉強したのであればそれはそれで良かったのではないか。特に中台の緊張も無いようだし。

民主党の危うさは「理念先行」型という点で、その理念が頭の悪い理念であるために皆が心配する構図。その典型が基地問題であり、頭が悪かったことを勉強するにはいい機会だと思う。政権交代のメリットは十分にあった、しかし以前から心配されていた頭の悪さが払拭したわけではない、行動が証明している。現実と向き合う度胸が試されている。

ところで与党支持者は与党の決断を支持していないらしいのは支持率が低下していたりしていることから見て取れる。支持者が現実と向き合ってしまった事実への違和感が払拭できていないかもしれない。これはいいことだと思う。

派遣を禁止したり、法人税を上げると結局日本が落っこちる現実を受け入れざるを得ない。一時期言われていた「コンクリートから人へ」は政府の予算を増やさないというシグナルであり、それが間違いに気付いたのは当然であろう。非常時かどうかはわからないけど、民主党政権は自民党政権と同様以上にばら撒きに走った、少なくとも民主党はコンクリートよりはばら撒きを選択した。このことを批判したいのではない、結局現実的にとらざるを得ない政策は同じだということ。

防衛や農業人権、いろいろあると思うけど、現実を受け入れたのは多少の進歩だと思う。旧社会党は与党を経験して分解したようだけど、もう分解できないね。

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批判を受け入れること

批判を受け入れるのはなかなか難しい。ちょっとでも気を抜くと「自分を正当化したい」誘惑に襲われる。というか無意識に批判を拒否しているのかもしれない。

yomiuriの有名サイト発言小町ではこの手の「私は常識的でしょ?」に対して「ありえない」というコメントに対してトピ主は素直に受け入れられない、自分に都合のいいコメントを見て満足する。どうも自分への批判を受け入れられない、なので素直に謝罪できないという図式が見える。謝罪のメカニズムと自己への批判を受け入れるのは厳密に言えば異なるのかもしれない、しかし自己の尊厳を毀損された事を認められないという感情が働くと言う意味では根源は同じなのではないか。

NETでの言論で「論理が雑だ」と批判されれば、「この点の指摘は私が主張したのと厳密には異なる、お前馬鹿だろ」と自己弁護する図式である。趣旨を読めない、読まないことを宣言して個人攻撃する有様である。小町で言えば「常識無い」という指摘に対し細々と状況を述べ「私は悪くない」と述べる馬鹿馬鹿しさだ。

議論が出来ない事はこの際あまり関係ない。NETとリアルの差もあまり関係ないと思う。いやリアルの世界の方がよほどシリアスであろう。批判を受け入れられないのは大損だと思う。というより批判の芽を探して対策を採ることが必要であろう。間違いを指摘すると切れる人に仕事の依頼をする人は居なくなる。仮に正しいことでもだ。しかし多くの人にとってはそれはその人にとってだけ正しいと言う事を理解すべきであろう。

 

リアルな世界では面と向かって「注意」「批判」をしてくれないという現実があるからだ。マナーがなってない人に対して「あなたはマナーがなってない」と注意して逆切れされたら損なので誰も注意しない。注意されなければ問題ないと思って居るならば問題であろう。細かい欠点を突いて大枠の議論が出来ない「個別揚げ足取り屋」は議論が発散するだけで意味が無い。自分が負けないという自尊心は確保できるのであろうが、他者から見れば「あ、そう」なだけ。

 

仕事上ではもっとシリアスだ。上司や他部署の小言を無視していると、面と向かって注意されるのではなく「あいつは仕事が出来ない」という噂が蔓延る。「手続き最重視屋」には「じゃぁお前がなんとかしろ」と言うしかない。自分で仕事を増やしていて、生産性に寄与しない。まぁだから周りからアホ呼ばわりされるのであるが。

想像であるが仮想(NET)での批判に耐えられない人はリアルな世界ではどう対応しているのか興味がある。例えばいわゆる理想主義者、戦争絶対反対派がブログなどで散々な議論展開しか出来ない人がリアルの世界でどのようなポジションを得ているかだ。

 

ちょっと嫌味っぽかった。本意はそこに無い。

私は「謝罪」が自分へのプライドを毀損するとは思っていないので、間違いがあれば謝罪する、自分にミスが無くても謝罪に抵抗は無い。謝罪は交渉の行き違いの潤滑油程度という感じか。マクドナルドのスマイル¥0という感じ。

で、謝れない人も居る、自分が悪くない理由を言いつらう訳だ。また批判という行為を受け入れられない人も居る、批判や苦情に対して人格否定と感じるのかしら。こういう人種は面倒くさい。
個人的で矮小な話で申し訳ないというかで恥ずかしいのですが、こういう人種には責任を取らないポジションで「はいはい」と言い、周りには「あいつは馬鹿だから」と言うことになる。そうならないシステムを築くのが人間関係というものであり、それが出来ない人は損していると思う。でも理解できない人はとことんできないみたい。

 

そこで本題なのですが、批判や悪口に対して素直に認める、謝罪することを「認められない」ということなのでしょう。

謝罪や批判を受け入れられない人が多いんは実感としてあります。しかし論理的に考えればそれを受け入れても何の損もないことを理解すべきです、さらに間違いが実際に起きて居るのであればなおさらです。まぁ官僚や超一流企業エリートの「失敗が許されない」人は別だと思いますが。多くのボンクラは完璧では無いので負けを認めても何の損も無いと思うんですけどねぇ。

「自分が常に正しい人」とは付き合いたくないと思いません?それが答えです。

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就職浪人の是非

今年子弟が神奈川県の高校受験をした人(n=1)から聞いた雑感。公立中学では教科書が1/3程度しか終わらないらしい、授業が崩壊しているのか、進み具合が遅い人に合わせているのか。それでは公教育で高校受験を乗り切るのは事実上無理であろう。この「教科書が終わらなくても仕方が無い」という方針に著しい理念の欠如を感じる。この例が例外だとしても、教育理念を否定だと思う。

現実的な処置、例えば成績別のクラス配置の方が理にかなっている。これでは教育の機会を奪っていると同義ではないか。この方針が県・市の主張なのか、教職員組合の主張なのか、その両方なのかは分からないけど。このn=1の事例が本当だとしたらそれだけでも事実上教育の機会を毀損されているのだから教職員関係者は全員首にしてもいいと思う。

教科書をきちんと終わらせるのが高校受験の最低スタートラインであり、それ行え無いのであれば制度が間違っている。個々の先生の能力や教育思想の話ではなく、システムがおかしいと言うことだ。そんなのは先生の能力で決まると思うこと事態が間違っている。

 

前振り長いっす、そこで本題。
以前、新卒偏重というよりは新卒一斉入社は企業側に利点があると述べた(新規採用についての覚書~だめリーマンの思考法)。
人事部にとって一斉採用は初期教育を個々に行うのではなく一斉に行うので合理的だと述べた。そしてその際に第2新卒や就職浪人を新卒と同様に扱えばいいのではないかと述べた。

理想はそうであるが人事部が合理的であればこの戦略はとらないであろう。少数で2~3回食事を採用を決めるのであればともかく、第1印象の決め手が大きい状態で採用を決めるとなると、初期印象がものを言い、企業が求めるイケメンは似通ったものになるのではないか。であれば、全ての企業から落ちこぼれた学生を取るよりは新しい田んぼに期待した方が合理的だ。これが新卒採用に門戸を開かない理由であろう。そして落ちこぼれた中から宝石の原石を探すのはコストに合わないのであろう。

であるが、現実は仮装留年が居るらしい、しかし履歴書を見れば一目瞭然だ。人事部にとっては下らない操作であろう。まぁ表立って差別する事はなくても選考時点で誘導することがあっても全然不思議ではない。

 

そんな不毛な建前の世界で選抜するのであれば、秋から冬にかけて現場実習をしたらどうか。コジマ電機がなどが行っているそうであるが、第2新卒向けに現場、営業・工場・研究等器用さやルーティーンワークが求められる職場で最低賃金で1週間くらい実習してもらい、敗者復活戦を行えばいいのだ。

受け入れる部署の負担も大きいので現実には実現が難しい、ならば人事部が派遣として有期雇用として雇って、春までに採用を決めるのもいいかもしれない。

というのはバブル付近で入社した私などボンクラの極みで、同期も馬鹿ばっかりだった。それがある一定の期間を経れば責任感を積んだ企業戦士が出来上がる(私は例外)、とはいえ今の30代後半から40代前半は使えない奴が多いと自分を無視して思う。そして本当に使えない奴は勝手に辞めていく。

 

この第2新卒は安く雇用できるメリットがある。そもそも非正規からの出発なので「同期間の扱い」に気を使う必要は基本的に無い。ポストの論理に従って上げればいいのだ。もちろんであるが新卒の方が優秀だと言う保証は一切無い。

やはり不況は人材確保がセオリーであろう。前の会社では石油ショック時に入社した人が牛耳って居る。まぁ雇用は増資と同じなので慎重になるのは十分理解できるけど、増資は長期で効くスパンなので景気に左右されるのはおかしいと思う。バブル期のボンクラ具合の教訓を理解しないと。

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東南アジア出張雑感

ここ1年海外出張が多い、インドネシアとタイに合計3回。あと半年で両国ともに1回ずつ程度が予定されている。面倒くさい。

雑記1:インドネシア(クルマは左側通行)では徒歩をしなかったので「人は?」は知らない、なのでタイの話。タイでは日本と同じクルマは左側通行、公共交通機関では気が付かなかったが工場見学の際に「人は右」であった。ヨーロッパ旅行の際には通行方向を意識したことが無かったのでよく分からない。タイでは日本と同様にクルマは左人は右。

いやこのシステムは困るというか根本的な欠点を抱えていると思うんだよね、歩道や一方通行で自転車と擦れ違うときに人は右にかわし、自転車(クルマ・単車)が左にかわそうとすると両者はぶつかろうとするから。なにか合理的な理由があるのであろう、よく分からん。

 

雑記2:インドネシアは料理という概念がない。例えば鶏や魚の唐揚げはぶつ切りだ、骨込み。単にぶつ切りに粉をまぶして油で揚げただけ、これにソースやスパイスをかける。これを料理と言えるのか?その疑問に答えるように野菜や果物がことごとく不味い。昭和40年代の外れの野菜や果物を想定してもらえればいいのだけど、全ての野菜・果物がエグくて青臭くて甘くないのだ。努力の痕跡が全く見えない。

一方タイは美味い。今回の出張では屋台は体験できなかったが御馳走になった飯はとても美味かった。インドネシアの事は聞かないでください、レベル。タイスキは日本のシャブシャブやすき焼きを輸入したとのことだが、中華料理タイアレンジもなかなか、食に対する意気込みが違うのであろう。

 

雑記3:よく欧州では1ユーロ¥100で物価観を見ればいいという。同様にインドネシアやタイでもそういう相場観は勉強になる。レートでは$1=¥100=IDR(インドネシアルピア)10,000=THB(タイバーツ)30なのかもしれないが現地の大卒初任給や運転手の給料を元に考えた方がメーカーの技術屋としては役に立つ。タイでもインドネシアでも地方の高卒の月給は¥20,000くらいで所得感は日本人と比べ1/10程度。

まぁややこしい説明を省くとインドネシアではIDR/10を円で考えればいいし、タイではTHB×10=¥と考えれば購買力でそんなもんかなという感じ。ちなみにタイでは500mlの水は7THB~で¥70~という感じ。
ちなみにバンコクのパッポンのgogobarはビール一杯THB100で、現地価格は¥1,000、レートで¥300。安いのか高いのか。

 

私は買わなかったが売春価格も提示しておこう(あくまで店の言い値、その後のオプション等があるかは知らない)。
インドネシアではkaraokeが奢りだったのでチップの値段しか知らないけど1万円(IDR100万)らしい(店に払う額は知らない)。銀座の一等地でホステスを10万円で買うという感じか。

タイではkaraokeに行かなかったので自分で行ったgogobarでの知識であるが、店に払う込みで1,5万円(5,000THB)ていどであった。実際には買わなかったのでこの額で済んだかどうかは分からない。

 

どちらにしても1万円を払うのは現地通貨感覚でその10倍と思えばいいのではないか。

 

非常に不道徳なエントリーですね。実際に買わなかったからここまで赤裸々に、、、ということで。知ってる事はお答えできますがそうでないことなので鵜呑みにしないでください。

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ブラウン管すげー

TVがブラウン管(25型)から液晶(40型)に替わりました。ちなみに以前からチューナーは地デジ、画質が欲しい場合はチューナー経由で、どうでもいい場合には従来のアナログで視聴していた。(なのでソースは同じという前提で、画面の大きさが変わった)

スペック:液晶倍速、40型。型落ち(レグザ40R9000)。

感想、「画質落ちた」。画面が大きくなったのもあるかもしれない、それでも発色はブラウン管。液晶は視野角が狭い、ベストポジションではいい。でも作業しながらTVを見る場合(部屋をうろうろと歩きながらの視聴で)は視野角が結構効く。

PS2の画質最悪、汚い画質を汚く写す、まだWiiは試していない、PS3は所有していない箱も。

 

多分慣れると思う。そこまでこだわりがないからZ9000にしなかったわけだし。プラズマにしとけば良かったという判断は実は存在しない。何故なら部屋が狭くて37型が欲しかったのだが、安さに目が眩んで40型にしたからだ。

そう考えると発色のよさと明るさでブラウン管スゲーということ。大きいブラウン管を所有している人は守った方がいい。画面の粗さは液晶というかハイビジョンはすばらしい、でも発色と応答性はブラウン管だと思う、プラズマは知りません。

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捕鯨反対を利用する件

クロマグロ禁輸が焦点、ワシントン条約会議開始(読売新聞) - goo ニュース

今後多分、公海での漁獲が管理されるのは当然となのかもしれない、その結果EEZの漁業は管理が原則であろう。端を発したのがクジラかもしれない、でも結局はそうではなくて、うなぎやマグロもなのだろう。欧州は漁業資源管理に原理主義的な狭隘さを主張する、彼らにとってクジラもイルカも海洋哺乳類やマグロも友達なのであろう。日本だって取り過ぎた歴史を有していないわけではない。

欧州の海洋生物への執着心は異常だとは思うし、それが文化だと断定されるのには違和感がある。19世紀の油脂はクジラ由来であり、英国は大西洋の、米国は太平洋のクジラを「油脂」のために殺してきた。しかし現在は彼等は海洋哺乳類を「賢い生物」として家畜などとは違う扱いでも問題ないと主張する。たぶんそれは未成熟であるとは思うけど文化なのであろう。

日本人がその稚拙な文化を笑う事は出来ない。なぜなら「捕鯨は文化だ」と主張しているからだ、文化を述べればイデオロギーでぶつかるのはその論理が稚拙かどうかは関係ない。例えば中国人に「日本は文明の歴史が千五百年しかないから」と言われれば口をつぐむと言うのか?文化だから公海で漁獲していいというのも論理性はない。文化であれば近海の話だろで終了。

なので合理的なのは札束が判断すると言うこと。日本の遠洋捕鯨はペイしないらしいことが分かった、クジラを食す文化をあえて絶滅させるのは反対だけど経済的に儲からないのに税金を投入して南氷洋で捕鯨する意味はどれだけあるのか。同様にマグロは獲れる国から買えばいい、金を払えば向こう(南米やアフリカ)から売込みがある。

漁業で日本が公海で取りまくると不都合が想定できる。インドや中国が乱獲を始めないかという疑問だ。日本が公海での漁業無制限OKであれば、、、という主張に反論できなくなるわけだ。

ということは日本は「公海での漁業」全面禁止を主張し、各国EEZ内での操業に限るよう主張し、その漁獲を買い負けないようにするのが基本戦略として挙げられるのではないか。公海がゲーム理論の公共の牧草地になる前に、欧州を巻き込むのが資源管理の解ではないか。海洋資源を途上国から守る戦略が必要であると言うこと。そのためには欧州は便利な存在だ、「自然保護で公海は保護域」とでも言っとけば絶対に賛成するからだ。

さらに日本は太平洋での違法操業を監視できる立場にもある。

 

ということは捕鯨を推進している場合ではないということになる。経済的にペイしない(金を払ってでもクジラを食したい人間が減って)、でも他の漁業権は守りたい。その為にはどうすればいいかは割と明確な気がするが。捕鯨でせっかくここまで突っ張ったことを利用して、対価を安く引き出すのが正解だと思うけどどうであろうか。

 

追記)温暖化が先鋭化すれば蓄肉は温暖化係数が極めて高いため魚にスポットが集まることも想定できる。なので漁業先進国である日本が漁業の国際ルールを構築するのがベストアンサーだと思う。
牛や豚が食えないからサーモンやツナとか言う奴らに付けいれられないシステムを構築する必要があると思う。
とすれば環境原理主義の欧州を巻き込んで国際漁業ルールを作るのが勝ちだと思う。

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理念の功罪

法人税減税に意欲=「国際標準を考慮」-首相(時事通信) - goo ニュース

この記事は時事通信であるが日経夕刊は酷くて(最終版が手元に無いので記憶で書くと)「民主党にも成長戦略に法人税減税が求められている」みたいなコメントが載っていた。ちょー上から目線、民主党は頭が悪いけど結局日経先生が言った通りになるだろ的で素晴らしい。

日経が頭にくるのは分かる。民主党が馬鹿丸出しなのは「中小企業法人税減税」が大本になっていることであろうか。中小企業は伸び盛りのベンチャーを除けば内部留保を再投資できていないから中小企業なのであり、結局法人税なんぞ払って居ないのであるよ。だから万年中小企業は法人税を払う金があれば創業者・従業員へのボーナスで使っちまって、利益を出さず、内部留保を再投資しないのですよ。

法人税減税は投資の呼び水であり、法人が利益を計上→法人税を払って→内部留保を配当か再投資する→「株価+配当=企業価値」が上昇させることを求めるのが基本である。

それを法人税を払っていない企業のために法人税を低減するとはギャグなのかしら。結果論で良いから良いけど。

鳩山さんのうろうろとした目線を見ていると、、、?な感じ。でも平野さんがコントロールしてくれそう。

思うんだけど、鳩山さんはいわゆる保守って奴の理念的でないところが嫌いで自民党を逃げ出したのであろう。菅さんも現実のメカニズムと言うか論理が嫌いなのであろう、生のかいわれ大根を食べなくてはならなかった理由も理解は出来ても納得していなかったのであろう。

 

政治的理念というか理想は現実にはありえないので邪魔と言うか無駄なのかしら。「友愛」というのがそもそも理念に属する概念だと思うけど、現実を無視した概念は結局何の役にも立たない。

そう言うのは言い過ぎか。高尚な理念は現実の清濁を併せ呑めると思っている、現実の調整能力と理念の実現は矛盾しないと言うところか。仮に矛盾してもやはり併せ呑む度量が必要ということか。例えば田沼意次氏のように。

鳩山氏が理念のためなら亡国の松平定信・水野忠邦を指向しているかという疑問だ。

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核と軍備にデジタル(二元論)的な思考回路

鳩山首相「非核三原則、これまで通り堅持」(朝日新聞) - goo ニュース

こんなこと言っていいのかなぁ?と疑問に思っちゃう。日本人の核・軍備アレルギーは日本人としてよく理解できるけど、アレルギーだからといって論理的に向き合ってこなかった結果が「密約」だと思う。そして密約を炙り出した功績は現政権にあると思う。
だからこそ今後核や軍備に対してリベラルに語り合おうって雰囲気が醸成出来てきた。それを縛るような発言は、、、。また元の密約の状態に戻るのかしら。

戦術核が撤廃できていない以上、艦隊や潜水艦に核を積んでいると考えるのは常識であろうし、また北朝鮮への抑止力としての戦術核は無いと困る。まぁ非核三原則が「日本領土に持ち込ませない」のであれば理解できる(米軍基地は米国領ということかしら)。

 

核を嫌うがあまり原発まで嫌われている。理論的には原発の放射線漏れが絶対的には防げないということに立脚している。そしてその論法は「軍備を持てば戦争をする、軍備が無ければ戦争をしない」という他者の存在を無視した二元論に立脚している。理論的には原発の放射線漏れはゼロにはならない、構造物は必ず壊れるからだ。だがそんな二元論は無意味だ。

技術サイドの考え方を整理しよう。技術は絶対ではないので、ある一定の確率で放射線漏れがあることを想定する、その確率を使用に問題が無いレベルまで下げる。ということである。とはいえ技術は完璧で無いので「もし」は存在する、「もし」を想定することも大事。ゼロも百も無い世界だ。

反対派の意見で違和感があるのはゼロか百の論理なのだ。放射線が漏れるか漏れないか。極論すれば技術サイドは漏れる前提で考える、より最低限で漏れる設計を。しかし反対派は絶対安全を求める、その典型例が「安全ならば東京に原発を作れるはずだ」という主張だ。技術に絶対は無い、より事故の確率は抑えようとは考えるけどゼロにはならないのだ。
では反対派が考える「ゼロ」というのも相当胡散臭い。技術屋は「絶対安全」という事柄はないという仮定で考える。例えば自然食品は○○のリスクがあるというように。ところが彼らには「絶対安全」という事象が存在しているらしい。そしてその根拠は明快では無い。

例えば中越沖地震の際、壊れていい部分は割りと壊れた、しかし設計上壊れても仕方が無い部分、かつ壊れたら安全に問題があった部分はびくともしなかった。あれはいい意味で安全であった神話であろう。大学の馬鹿でかい振動試験機では分からなかった部分であろうし。心臓以外の建物や排水ポンプが壊れたから危険という認識はゼロヒャク論理。逆に安全が証明されて良かったとすら思える。

なので「想定できる最大の地震の10倍程度で壊れない原子炉」を設計することは正当であり、かつ強力な地震でも耐えられる事を証明した。余談だけど日本の原発産業は地震に耐えた実績を声高に発していいと思う。

で脱線、心配なんだけど、原発反対主義者のリスク管理はどんなんなのかしら。まさかクルマに乗ってないよね?排ガスコントロールが発達したとはいえHCや窒素酸化物はゼロではないし、運転リスクとどう向き合っているのでしょうか?自分が安全でも相手から突っ込まれて死ぬのは原発の漏洩物質で死ぬより遥かに確率は高いと思います。

 

ここまで書いて反省。ここまで読む人は上記のことなど自明であって、そうでない人(反原発主義者)は論理的にどうこうよりも嫌悪感でここまで辿り着かないですね。分かります。

自己満足なんですよ、所詮blogなんて。

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名護市議会の本音?

シュワブ陸上案に反対決議を可決…名護市議会(読売新聞) - goo ニュース

この記事は読売経由であるが、海上案についての言及は無い。

一方沖縄タイムス本文では「辺野古の海はもとより陸上にも新たな基地はつくらせない」という表現が示されている。しかしリードは「シュワブ陸上案反対決議普天間移設」となっている。 他社の報道も調べた限りは「陸上案反対決議」であった。

ここに名護市の本音が透けて見えると思うのは邪推であろう。

普天間基地の周りに住んでいる人の多くは米軍関係及びその関連業者絡みであろう。雇用の問題はなんか無視され、基地問題で辺野古に移転にしろ居座るにしろ、どちらかに賛成するのは非県民という空気が醸成されている気がしてならない。職を求めて基地に付いていく人や歓迎する人は決して少なくないと思う。それが全会一致と報道に「陸上」という文言が入ったキモチワルサだ。

本音と建前で言えば政治家は言っちゃいけないことがあるのは理解できる。名護市市長は「辺野古の海はもとより陸上にも新たな基地はつくらせない」と述べたらしいが言わない方がよかったのかもしれない。どうせ来るなら一度合意した海岸の方が軋轢が少ないのは容易に想像できる。

そこで名護市の広報が「陸上案は反対決議」とことさら強調したと読むのは読みすぎであろうか。
本音は迷惑施設引き受けの補助金が得られ、雇用も得られる。しかし、「海上案でいいじゃん」とは言えない空気が支配したのではないかという疑問だ。少なくとも一度は合意してるし。

 

沖縄から米軍が撤退でき、雇用も問題なければそれは最高だ。
しかし、旧資本主義国家群の論理が通用しない中国をフィリピン~台湾~南西諸島~日本列島により中国の外海を抑えているというのも事実。フィリピンは米軍を追い出して中国に海南島を占領された上、尖閣諸島も実効支配された、中台海峡もいつどうなるか分からない。このように軍事緊張を抱えている状態では沖縄でなくてはならない理由が存在してしまう。

また沖縄は経済発展が遅れているので雇用の種である米軍は必要悪な面もあろう。少なくとも私が米軍相手に商売をしていたら米軍が移動されたら困る。

 

空気が支配して、言論封鎖がされているとも言える。基地反対派もそれはそれで危険だと認識した方がいい。

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現金を無くすと犯罪が減る

日銀がお金を刷れば景気がよくなるというヘンテコな理論がNBonlineに出ていたが、ありゃ嘘だな。簡単に説明できる。

あなたが銀行から定期預金を解約されたら株を買ったり消費したりするだろうか?安定性の高い定期預金が現金に替わってもリスクの高い投資などするはずが無い。定期預金は国債の比喩だ。通常日銀が買いオペをしても銀行の金庫に現金が増えるだけだ。普通これをポートフォリオというと思った。

(日銀の刷った現金を)政府が遣うと言うのであればそれは財政支出であって、日銀が金を刷るかどうかは関係ない。

 

とまぁこれについてアレコレ考えた、別に新しい意見でもなんでもないけどその真逆をやる。お札(現金)を一切刷らなければいいのだ。で、標題の件、風が吹けば桶屋が儲かる的な荒っぽい思考実験の話。

現金はすごく便利な代物で、便利だからこそ強盗や殺人まで行って幾多の人が欲してきた。この便利な機能に制限を付けると色々なことが出来る。電子マネーで現金を駆逐すればいいのだ。「悪貨が良貨を駆逐する」を地でいくお話し。

1)現金がなくなれば現金を奪う犯罪が無くなる、強盗や誘拐、金庫破りなど。これは間違いないであろう、まぁ振り込め詐欺は無くならないが。

2)マイナス金利が実現できる。リフレの問題点は金を刷るだけでは金庫に金が積みあがるだけという点だ。現金が無くなれば口座に仮想マネーを放り込むしかなくなる。鳩山さんが好きそうな現金保有税という名のマイナス金利を設定できる。持っていると現金が減ってしまうので「迷ったら買え」というインセンティブが働くと妄想してみる。おまけに国庫も潤う、一石二鳥だ。

3)汚職や裏ビジネス、脱税が少なくなる。田中さん、中曽根さん、橋本さん鳩山さんの歴代首相や小沢さんも現金決済がお好きなようだが、現金決済は出所を隠すに格好な決済方法だ。違法性は無いが限りなく黒に近いグレー。これらを撲滅できる。マネーロンダリングも難しくなる。裏の金って奴が存在しにくい世界だ。もちろん口座の入金や増減で課税額が決まれば脱税も難しくなる。

4)現金が高騰すると、イコールマイナス金利である。現金を刷らなくなっても直ちに現金がなくなるわけではない。預金に課税されると箪笥預金の需要が高くなり現金が高騰する。犯罪のためには現金が必要なのだ。そうすると実質マイナス金利なのだ。現金を持っていて、値上がりしてから売る箪笥預金長者が出るかもしれない。現金の価値が上がっても額面以上の価値は政府は保証しないので実質目減りだ。

 

特に2)の効果が景気に付与するのではないでしょうか。

これでリフレが好きな「金庫にお金を積めば景気が良くなる」という無茶な論理を実現できた。リフレ万歳!

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