goo

「暴力装置」についての雑感

仙谷さんの「自衛隊」への忌避感が強く印象付けられるエピソードだけど、「あーそういう人なんだな」というパーソナリティを印象付けた以外には違和感は無い。
例えば米国空軍はU.S.Air Force だし、軍=force=力=暴力でしょ、その認識の品位には違和感があるのは理解できるが論理として間違っていないであろう。

よくある話の「官房長官には政治的なバランスが求められる」という義務感が分からない、他国との関係や自衛隊への士気に影響するのであろう事はわかるけど、「間違っている」とか「常識でない」という批判は理解できないなぁ。仙谷氏は親中派という噂だけど、経済力成長率が高い中国に配慮すること自体は論理としては間違っていないと思うんだけど。親中派だから左で国益を失うという主張(ソースなし)の方が余程短胆略的だと思う。人を右か左か色分けして、左だからだめだとちう判断をしたとしか見えない。どっちが馬鹿なのか。
極論だけれど「永山判例」で提示された死刑条件をいとも簡単に超えるほうが余程恐い気がする。これこそ論理もへったくれもない。政治の世界でロジックが通用するのかどうか分からないけれど、少なくとも挙げた批判はロジカルですらない、感情である。

問題があるとすると、仙谷氏は自身の政府首脳としての権限や能力と、自衛隊への文民統制に疑問を持っているか、理解していないかという点である。彼が言う「暴力」とは外向きには自衛隊、内向きには警察であろう、消防や教員も暴力の手先になる可能性がある。そこをコントロールするのが政府であり、いわゆる「装置」だということだ。本来コントロールすべき組織をなにか勝手に動いてしまう組織であると思っているのであれば、歴史や暴力の本質を理解していないわけで、その御仁が官房長官では拙いということになる。

細かい揚げ足取りをしなければ「自衛隊は暴力(装置)である」というのは(言い方に問題があるにせよ)極自然な発言であると思う。逆にこれが問題だと言う御仁は暴力(=force, power)の定義を聞きたい。
前回のエントリーでも述べたけど、印象で言葉狩りをして、しかも論理性が無くて、馬鹿丸出しで、何がしたいの?全て池上さんに任せるの?

鳩山氏は酷かった。鳩山氏が「最低でも県外へ」で沖縄県民が今なお苦しんでいるであろう、根拠無く有り得ない希望を述べた。しかし菅氏はそこまで失点があったのか?現実路線に舵を切れば批判されるようだけれど、鳩山イズムを強硬に進めるほうが日本にとって幸せだと思っているのか?すごく疑問。

マスコミにとって、現政権を叩けばカネになるということか。その悪影響は計算できないもんね。やったもん勝ちだと。マスコミも国民も低脳なのか!じゃぁしょうがない。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

褒めて伸ばすかこき下ろすか~マスコミは今後も政権の批判しかできないのか

「ペンは剣よりも強し」とはよく言ったもので、民主主義の世界ではペンの暴力はかなりの殺傷能力がある。冤罪を作り出したり、誰かの社会生命を抹殺するのはいとも簡単である。発言した当の本人が想像できないほど殺傷能力がある。ペンが微力だというのは民主主義の世界では完全なる誤解で、警察力や軍以上に殺傷能力がある。マスコミ人が控えめに「ペンは剣よりも強し」等と発言したならば、彼のことを徹底的に追求すべきだ、完膚なきまでに叩きのめすべきだ。彼は剣よりも殺傷能力のある「ペン」を自在に操る可能性や能力がある。彼が所属している組織(マスコミや出版社)を匂わすようであれば即危険人物である。彼が組織力を背景に抹殺できると誤解しているか、抹殺できると確信しているからだ。どちらにしても組織力を背景とした脅しを掛ける若人は危険である、オヤジでもそれは変わらない。

福田氏・麻生氏・鳩山氏・菅氏に至るマスコミのいじりようは、揚げ足取りとしか思えない論調で、低レベルで、とても「褒めて伸ばす」という視点が皆無である。どんな人間でも失点を探せばあるだろうし、そこを突くのは「ペンの暴力」であろう。近々でも柳田大臣が仲間内でジョークを披露したらそれがどうも致命傷になったようだし、仙谷官房長官の「暴力装置」に至っては何が問題あるのか分からない。さらに麻生元総理は「未曾有」を読めなかっただけだ。国家のリーダーがそれなりの常識を持たなくてはならないという視点は理解できてもパーフェクトであることを求めるのであれば高校生クイズの優勝者に総理大臣になってもらえばいい。マスコミはそう言ってるとしか思えない。さらにマスコミもしょっちゅう訂正を入れているがそれはどうなんだと思う。

 

対策は簡単で、マスコミの発表を全て疑ってかかることだ。マスコミの基本は大本営発表なのでその大本営を疑うことだということだ。またマスコミは論理に非常に弱いという側面がある。当たり前だ、基本は大本営発表なのだから。マスコミは取材と大本営で矛盾が見つかっても大本営を優先する、取材で見つけた事実も発表したい、そう論理の破綻がそこらじゅうに起きている
例えば柳田大臣の失言でも「仲間内」というニュアンスと「とんでもない」というニュアンスが見て取れる。報道自体に矛盾を内包している。言いっ放しなので矛盾を是としているのが現実だ。

簡単に言えばマスコミは自身の責任問題を追及されない立場に居て「ペンは剣よりも弱いけど、頑張ってきた」という立場に居る。大嘘集団である

こき下ろすしか能がないマスコミはことあるごとに政権の揚げ足取りに腐心した。その結果が「失われた20年」のような気がする、マスコミを慮って政府は常に積極策を取れなかったからだ。
結論のようなもの。仙谷さんや小沢さんはもう政治生命をマスコミ改革に投げ打ったらどうであろう。

「あいつらが諸悪の根源だ」という政治家のキャンペーンは結構アリだと思う。職員の給料の高いのも攻撃材料だよね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

TPPって人材交流も定義されてた件

環太平洋うんちゃら(TPP)で話題になったのは所謂関税撤廃で、米作農家が大反対という構図が先ずある。

この問題は(農家票を地盤とした)自民党には決められないので、さっさと民主党が決めるのが良いと思う。関税で保護された小麦や蒟蒻芋農家、米作兼業農家は所得保障で何とかなるので財源を別にすれば「利権と関係ない人」が決めるのが良いと思う。前のエントリーで述べた畜産と酪農は大変だと思う。要は大反対する程がないということ。例えば日本が成長できないのは「農業を保護している」というからだという意見に対して「税収」や「雇用」で決めれば良いことである。産業界は農業を関税で保護した機会損失と税収をまとめれば良い話で、数字の辻褄あわせを別にすれば論争の余地は無いと思うんだけど。

農業を自由化した際の損得を金銭化し、相対するメリット(=税収)が上回ればいいというだけ。多分経済界もそこまでの自信が無いと言うことなのでしょう。だから政治家が仕切りザルを得ない。

ということは政府には本質的には農業を守るという積極的な意思も無く、産業を守るという意思も無いと言える。要は「票の方が重要なのです」ということか。それは多分実に正しいと言える。他国との関税制度が著しく損であれば、それを是正することによって国家の収入が増えるはずであり、そうではないということだろう。さらに企業は世界標準である法人税率への減税を求めていて、税金を払う気は全く無いと思える。関税問題などを解決したければ、企業は関税を撤廃したことによる税収増の青写真を提案しなくてはならないのにその気は無いらしい。それで法人税減税を主張するのはまぁ盗人猛々しいと思われても仕方が無い、と思う。

 

まぁなので少なくとも日本は何も変わらない、成長率が鈍化しても、マイナスになっても。
そのなかで環太平洋地域の無関税への取り組みは割りと劇薬だと思う。とりあえず農業が反対表明を興したが、いやいや製造業もやばいんじゃない?

私の理解ではTPPの概念は人材の交流も視野に入っていたと思っている。「移民政策」がなし崩しになるということだ。私個人としては移民受け入れはデフレを維持するために必要な措置だと思うんだけど、割とスルーされているのがちょっと恐い。

TPP受け入れは農業の頑迷さを笑うのと同時に移民受け入れとセットですよ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

TPPとFTAで農業に影響する雑感と他の因子

TTPが日本の農業へ影響が論じられるけれど、何か違和感がある。ソースを出すのが面倒なので省くけど減反や個別保証で兼業農家の所得はまぁ何とかなるのではないかと思う。仮に日本米が高コストでも政府が買い上げればいいのであって。その財源は関税を充てられないので面倒なのは理解できるけれど。(端折り過ぎ?)

僕の妄想でいちばんやばいのは酪農ではないかと思う。
飲料用の生乳の価格は問題が軽いとして、加工乳の乳価の取り扱いであろう。つい最近バターが品薄になったけれど、理由は飲料用の生乳の需要が変わらない状態で牛乳を減産したからバターに回す加工乳が減産した分減ったわけで、その手当てを輸入で補えなかったということ。またバターは関税が高いので調達先も無いに等しく、調達先を絞ることによって品薄になった。比較的関税が低いチーズはなんの影響も受けなかった。特に当時イタリア産の禁輸されたのであるがそれでもびくともしなかった。

TTPやFTAで酪農分野が無関税になると、牛乳は飲料用に限定せざるを得ないと思う。現在の日本の酪農システムではチーズやバターは欧州品でも価格競争力が無いと思う。

話は脱線。そもそも牛は出産をして乳を出す、この父は和牛であり、子は肉牛である。牛乳の市場規模が低下すると肉牛の供給元が減ることを意味する。「国産牛」とは乳牛に乳を出させるための副産物なのだ。その副産物が減れば国産牛が高騰するのは自然の流れである。

閑話休題。僕の勝手な見方を披露すると、関税で恩恵を被っている米農家は補助金や所得保証政策でどうにでもなる。しかし酪農は酪農業界だけでなく畜産業界とかかなりの影響力があるうえ、所得保障に馴染まない(酪農家は高所得だと感じた:イメージだけなのでソースは各自探してください)イメージがある。

米粉でパンを作っている場合じゃないと思うんだけど、大丈夫なのかしら。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

マスコミと国は非常に健全である件

とある男が国家機密と言われている映像をインターネット動画にアップロードしたらしい、そしてそれが大騒動になっている。かなり不思議なのはマスコミの興味は国家機密が「どう漏れたか」の前に「国家機密」を垂れ流したことだ。ど素人の感覚では動画サイトの内容を世間に流していいかという検閲があってそれをクリアしたと考えるのが一つの捉え方であろう。このロジックはもう既に国家機密ではないという前提であり、映像を流出させた海保員の立件が難しくなっているということでもある。私の感覚だと放送局があの映像をTVで流して良いかという当局への問い合わせが無いと言うことは考え難いと思う。ということは映像の放映を非公式にしろ許可した部局があるという前提に立つ。

マスコミの大前提の目的として「国家権力の横暴を暴く」という使命があるであろう。その使命は結構リスキーでその後人脈をぶった切った告発の後は情報を貰えなくなる可能性が高い。なので個人の犯罪(例えばインサイダーや横領など)は緩やかに認めるが、組織的な犯罪を暴いてしまうと情報を得るルートや連続性がなくなるというリスクがある。逆に言えば、証拠固めをマスコミがして告発を促すというのが順当であろう、例えばロッキード事件など。

マスコミは本来、「告発」をすべき機関なのであるが、まぁそれはいろいろ無理が生じるので、というスタンスだと言うことで、、という対応になるのは仕方がないと思う。
そう俯瞰するとTV各社がヨウツベの映像を流したのは、ご意向を汲んだと言うことと考えた方が自然である。余談だが流出海保員は、マスコミ自身が国家機密でないことを証明したので、立件は難しいであろう。
結果的にこの映像は「国家機密」ではなかった訳だ、と国が判断をした。政治的にはなんかこじれてるけど、こじれている本人達が本質をどうやら理解していないと言うことも少し分かった。だいたい国家機密であれば放送局に圧力をかけるであろう。それを是認していたわけだ。

 

これは機密の内容がしょぼいというのがあるけれど、マスコミも政府も真摯だと言う意味にも取れる。民主党が「政府の意向」を振りかざさなかったという事実だ。この健全さは評価しても良いと思う。
一方で情報管理の手腕が問われるのではという心配があると思う、しかしイージス艦のMDプログラムが漏れたとは聞かない。ということは仙石官房長官が濡れ衣を背負って政府がリークがあってもいいというスタンスだったと考えるのが妥当であろう。だって困った感が一切感じられないんだもの。

ありようは別として、国も党もマスコミも非常に健全なのではないでしょうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

社章を付けて傍若無人を振舞う件

マナーと言うのは全員で守ると得だから守るという性質があると思う。レストランでうるさくしていたら「出てってくれ」と言われるような強制力を伴うものから、整列乗車のような皆が守ったら結局得をする強制力があまり働かないような場面でも守ることが多い。マナー違反は無用なトラブルを引き起こす恐れがあるということだ。

ところがマナーには強制力が無いので不特定多数の場所(例えば電車等)ではやったもん勝ちの様相もある。マナー違反を指摘して逆切れされてはかなわないという心理があり、なかなか注意できない。それを誰もが分かっているのでマナー違反は各々の裁量で破られることになる。その経験の蓄積は益々「やったもん勝ち」を強固にしていく。

ちょっと脱線するがメーカー勤務の私は会社から社章を付けることを命じられている。自社に誇りをもつためなのであるが、監視されているようでどうも馴染めない。社章を失くす恐れがあるのとこの違和感で通勤時には社章は付けていない。人に会ったり、出張のときはつける。

ところがこのNET告発時代に社章を付けた男性が空いていない電車内で脚を広げて1.5人分の幅で座っていたり、音漏れを公然と起こしたりしている。遅い時間では酔った人がでかい声でしゃべっているとか。社章を付けて傍若無人を振舞う神経が分からない。多分「自覚」が無いのだと思う。すごくリスキーだと思うんだけど。私の場合見たことがある社章をつけている人が傍若無人を働いているとその企業への信頼は奈落の底に落ちる。取引する気はゼロになる。

 

誰か社章傍若無人サイトでも立ち上げてくれないかな。あっ、それでは電車内のマナーが向上するのではなく単に社章族が地下にもぐるだけか。それでも「マナー違反」の具体例を注意喚起するだけでも意味があるかもしれない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

マネジメントと職場教育について

私の職場はかなり属人的で組織としての対応や教育、もっと言えば組織力の構築が無い。クレームや失敗は個人の責任に負わさないものの、教訓として単に試験項目が増えるだけだ。

属人的な組織の実力はそのリーダーや構成員の力量だけで決まる、そしてそのリーダーは構成員を手持ちのカードとして扱う訳で(何で教育しようという発想にならないのかは理解できない)、カードが痩せ細ることを心配している。教育していないのだから当たり前なんだけど。

 

僕個人的には能力が無いので、チーム力で乗り切りたいのだけれど上司も周りも許してくれない、チームリーダーのカリスマ性が求められる。
そして研究職は論文や特許を出すことが求められるのだけれど、本質的に意味があるかといえばグレーな部分が多い。そこを疑いを持たず(割り切って)粛々とノルマをこなすのは理解できるけど納得できない自分が居るのも事実。

 

利益に貢献しない革新的な提案を求められるのは結構辛い。愚痴です。

 

*例えばコストに合わない画期的な提案を求められる、金型償却や設備投資を考えると絵空事。事業レベルで意味無いことを提案するのがお仕事だというのはなんとなく分かる。でも意味無いのも事実。意味無いものへのノルマは非常に気持ち悪くてモチベーションはマイナスです、常に。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

再事業仕分けの報道のスタンスについて

事業「再仕分け」対象112事業を正式決定(読売新聞) - goo ニュース

事業仕分けは財務省が無駄だと思っていたリストを元に政治主導(笑)で白日のもとに晒したという意味でまぁ意味があったと思う。仕分け人は素人で吟味する時間も無かったであろう。その点を責めたいのではない、そのまま名前を替えて申請した予算を同じ素人手法で再仕分け意味があるのだろうか?元々がムダという前提の予算はやはりムダだというのであればその通りなのであろうけれども、名前を替えて再申請してきた意味を報道されても良いんじゃないかと思う。

要は本当は必要だけれども却下された予算を再申請したという前提で考えれば、何故再申請されたかを省庁に語ってもらう必要があると思う。そこを「また官僚がやりやがった」というニュアンスの報道では国民を馬鹿にしていると思うのだ。本当に必要でないのに再申請したというのであればそのアホさを晒せばいい、しかしそういう検証は報道されない。重ねて言うが仕分け人が完璧だとは思っていないので1次仕分けでのミスを述べたいのではない。再申請が行われているのであれば「何故再申請されているか」という点を考証してもいいんじゃないかと思うわけだ。その点では「名前を替えた」のは官僚の戦略としては拙いのかもしれない。

政府や予算申請が完璧であると思う方が間違い、そもそも弾力的に運用すべきであろう。例えば事業の象徴である「組織」が要らないという判断が結構重要だろう。ところが事業は必要だけど公益法人でやるのけしからんとか、なんか理念が介在すると面倒くさい。公益法人がそもそもの存在理由を考えると国(公務員)で扱うのが適当でないから、かつ廃止できないからこその公益法人だからだ。公益法人が天下りの源泉であることは理解できるんだけど、出世レースに負けた人を雇用するバッファであったことも間違いないであろうし。要は公務員として養う決定をして、、、。
まぁこれは政府というか省庁の問題だね。

指摘したいのは「官僚は悪い」という水戸黄門の世界から抜け出せていない報道の姿勢。報道組織は国民の鏡であると考えると、、、。それでも何故官僚が予算再申請で名前を替えたか、それは利権なのか本質なのか程度のコメントがあってしかるべきだと思う。なんか報道では「官僚悪~」て感じのみで違和感があった、報道の鬼の首をとった感が頭悪そうで痛い。

 

ここらへんを下敷きにしています、労働保険特会はこう仕分けられた~労務屋ブログ

 

11/10追記)国会でゼネラリストだけが仕分けする違和感をみんなの党誰彼が質問していた、まぁそんなところ。蓮航担当大臣は「何故専門家が居ないのか」という質問には答えていなかった、ゼネラリストのというか一般の判断の論理が重要であるとの回答であった。ゼネラリストの判断では分かり易い案件はそのスタンスで良いと思うんだけど、ゼネラリストには(論理では)分かり難い案件はぶった切ると宣言したように思える。

民主党政権の一般論として、理念的であること、論理的であること、に惑わされている感じがする。外交でのいちゃもんは要は寝技を使えない硬直的な政権であることを露呈した。まぁ国民は分かり易い論理的な政党として民主党を選んだのだからそのことが失点ではないとして、、、、。松平定信と田沼意次の両極端しか選択肢が無いというのではないと思うんだけど。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

法の運用を厳しくしつつ、法を厳しくする件(児童ポルノ・児童買春への雑感)

組合からユニセフがらみで署名の強制が来た。違和感ありまくり。電脳同僚に違和感を伝えると「児童ポルノユーザー」と思われては困るので署名したとのこと。僕は署名しなかった。違和感の内容を記載する。
ちなみに日本ユニセフの児童ポルノがない世界を目指して

1)日本ユニセフは国民運動と称して5つの提言を行っている、4つまでは全く違和感が無い。教育の話であったり、規制強化の話だから。なんで法規制の強化(どうもよく分からないんだけど児童ポルノの単純所持を禁止したいらしい)が必要なのか全く分からない。というのは規制が緩和される中で範囲を厳格化するのであれば理解できる。しかし規制強化と法権限の強化のカップリングでは恣意的な取締りが可能であり、どっちかにしろよというレベルの話だ。

法規制強化であれば全くもって賛成できる。改正するまでもなく児童買春・児童ポルノ法で裁ける範囲だと思うからである。現行法で何が足りないかはユニセフは何も語らない。
児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(平成十一年五月二十六日法律第五十二号))とか(児童買春・児童ポルノ禁止法)。
多分、この話を推進している人の頭の中身は清らかなのであろう、清らかだから馬鹿が許されるかというと違うと思う。

2)日本ユニセフのサイトでは児童ポルノの本質は親であることを看破している。であれば現行児童ポルノ法を規制強化して単純所持を禁止する意味が分からない。現行法では児童ポルノをWebでばら撒くことがすでに違反である、そこを強化すればいいと思うんだけど。あえて単純所持を規制する意味が分からない。
単純所持を規制すると、多くの(純粋な)親馬鹿は逮捕されることになる可能性がある。自分の子供の入浴シーンを撮影しただけで犯罪者予備軍だからだ。ちょっとぐぐっただけでも幼児の入浴シーンはゲットできる。親馬鹿と馬鹿親の違いの区別が難しいというのがユニセフの主張なのであろう。ということは親馬鹿は犯罪者なのだ(または犯罪者予備軍なのだ)。

3)規制の強化と法律の厳格化は相容れない。
法規制をそのままに運用を規制するのが行政の常套手段であり、お題目のために法律は整備したけど運用はザルというのが常識だと思っていた。どちらも締め上げるのは運用上問題があるわけで、まぁ「あいつは馬鹿だ」と思っていてもよさそうなんだけど、それにしても頭が悪すぎる。例えるなら左派が嫌いな特高警察を歓迎するようなものだ。


個人的にはこの法が裁定されても私個人に影響は全くない。しかしこの論理は非常に危険だと思う。だからこそ阻止したい。逆に成立した暁には支持した政治家のデジカメを盗み見て、告発しまくるのが最上だと思う。そして疑問なのがユニセフに賛同している団体はその覚悟があるのかしら?まぁ左派系というかが並んでいるんだけど。だいたい何で組合が賛同するのか全く分からない。


法律は制定されていないけれど、blogに載った写真を元に告発するのは良い感じじゃないですか?>>自宅警備員さん。


※この議論は「児童・幼児虐待がない」ということを証明するのが困難だと言う前提で書いています。なのでどれだけ周りが家族思いの官僚・公務員・警察官と思われる自分の娘に関する児童ポルノに抵触する可能性があればすなわち犯罪です。また児童ポルノの大半は親・親戚がらみなのでしょうから、だからこそ単純所持へ忌避感が強いという前提に立ってます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )