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万引きの告発について

万引きへの対応策が難しいらしい、教育的配慮というやつらしい。また刑法犯なのでいわゆる手続きに則ると言うの大変。100円の万引きに何時間も付き合ってらんないし。

この手の犯罪は企業(個人商店)の収益を圧迫するので厳罰を処した方がいいと思う。万引きは手続きが面倒なので店主も引いてしまうそうなのだ。この手続きが面倒と言うのは、なんらかしらの私刑を容認することになり、私刑を認めるのは抵抗がある。

そのためには段階的に刑罰をオープンにし、実施すること。私刑のルール化だ。制度が追いついていない以上仕方が無い。ルールを変えると最初に捕まった人は損をするが、まぁそのことへの人権を配慮する必要はあまりないであろう、抜け道を作っておけばいいのだ。

私刑のルールとは例えば、万引きした額の100倍を即金で店に払う。払えなければ地域全体で出入り禁止にする、そのためには地域が「出入り禁止のための顔写真などの公表も辞さない」こと。さらに警察が関与しても構わないが警察が関与する場合、店の手続きが煩雑になるため、店への損金はさらに10倍(合わせて1、000倍)を認める。なので万引き犯が捕まった場合、警察を呼ぶのは犯人ということになる。無実の被疑者が犯人で無い事を証明するために警察を呼ぶシステムにすればいいのだ。または手持ちの少ない犯人が呼ぶと言うことも考えられるであろう。

犯罪者は自分の人権を守るために、100倍の費用を負担すればいいということになる。うーん、明快だ。百円の物を万引きし、捕まれば店に1万円払えば無条件に開放、払わなければその地域全般出入り禁止、手持ちが無くて警察を呼べば店に10万円払うと言う構図。

子供が万引きで捕まった事を想定しよう。基本的には子供でも関係ない。子供に手持ちが無いか、保護者と連絡した上で、即金払いか警察か出入り禁止を選択すればよい。

人権は金額と無縁と言う意見もあると思うが、そんなことはない。逆を考えてみよう。

被害者の居ない経済犯みたいな麻薬犯罪であるが、昨今の報道で自粛する向きもあるのではないか。「捕まるわけ無い」から「捕まったら偉いことになる」とルールが変更された瞬間だ。
今まで捕まっても初犯は執行猶予であったがこの分じゃ悪質であれば刑務所行きだ。そしてなにより社会的に抹殺される。近隣社会でニュースは駆け巡るし、周りから「あいつはだめだ」と烙印が押される。

刑罰(評判)が重くなると取る態度が変わるのだ、というより変わらざるを得ない。このアイデアはそもそも論として、被害者が犯罪・犯人を証明する必要があり、そのコストが馬鹿高いという制度上の不備があるからの上での主張だ。なのでそのコストを被疑者が払えばいいのだ。

そしてその被疑者乱発を防ぐための仕掛けは必要であろう。それは警察に通報した場合は証拠を店主(被害者)が提出する義務という従前のルールで対応できる。ようは被疑者がそれを選択すれば良いという話なのだ。

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地方空港改革は政治決着でなく、経済的に決着する件

空港特別会計、抜本見直しへ「不採算生む要因」(読売新聞) - goo ニュース

日航の激震は日本の航空行政が先送りしてきた膿を一気に放出する気配である。利益誘導者である「首長」「議員」が、国の税金を引っ張ってきてレバレッジを効かすことで自治体のGDPの上昇を目論んで、採算度外視で事業を始めたという構図であった。

橋本知事はひも付きのお金は自由度が少ないから任せてくれと述べていたが、空港事業は1割程度(信憑性なし)の出資で済む、レバレッジ10倍の事業だったのだ。投資効果10倍であれば景気刺激策としては十分魅力的だ。空港開設の張本人と言う名誉と、総事業費の1%を税金で回収でき雇用が確保できれば、問題の先送りはともかく、十分魅力的な事業であったであろう。

少し交通行政について考えてみる。日本は国土の均等な発展を国是に、「ハブ」という中心から目をそらしてきた。鉄道の発展と道路の発展の両方をにらみ、さらに船舶や航空も対外的な「主力」がよく分からないでいる。人口密度が多いので破綻までは行っていないが集中投資が上手く行われていないことは確かであろう。ローカル線とバスの並行運行での共倒れはその象徴であろう。

高速道路と高速鉄道などの2重投資は東阪間の混雑路線でしか成立し得ない。1980年代まで遅れていた東北方面、関越方面、九州方面で新幹線や高速道路が出来たのが25年前で、供給量は妥当であったであろう。その後バブルがはじけて現代に至る。その間も交通量はそんなに増えていないのにせっせとインフラを整備した。港湾や空港、高速道路だ。混雑している場所への投資は仕方が無いが、経済発展していない結果論で言えば地方への(利用料が高価な)インフラ整備よりも、アジア圏のハブ空港・港湾の方が重要であったであろう、もちろん結果論であるが。

話をもとに戻す。交通は問題が山積みだ。港湾はハブが他国に持ってかれたので、少量輸送の物品は一旦ハブ港に輸送しなくてはならない(その分コストがかかる)。航空は首都圏の国際空港の地位を成田に任せられないうちに羽田が技術的には可能となってしまったがそれには政治決着が必要だし、採算がとれない地方空港が枯渇しそうでもある。

それが今回の政権交代で隠してきた膿が露見されそうだ。日航の破綻が地方空港の破綻を隠せくなったからだ。もう日航にはナショナルエアラインという立場は存在しきれない、やっと放漫な空港行政の膿が明るみに出る。

日航が窮地に陥ったのは自民党政治の本質であろう。田中角栄氏が上越新幹線と関越道を作り、それが丁度バブルの時期に符合した。この成功体験にしがみついた体質なのであろう。民主党はこの手のシガラミには無縁だ。結局無意味な空港は潰せばいいのだ、静岡も松本も。

そして成田と羽田の関係もすっきりすることを真面目に考えようよ。例えばリニアを羽田経由で成田まで延伸するとか。また国際航空の分野で1stが羽田で2ndが成田でもいいじゃん。例えば成田の着陸料は微料で後は羽田が負担するとか。羽田の滑走路を入札制にして、こなせない分を格安で成田に回せばいいのだ。当然航空料金に反映されることであろう。

話がずれた。日航の破綻劇は地方空港の馬鹿っぷりを露出せざるを得ないであろう、それでいいのだ。東京まで鉄道で1~3時間程度の恵まれた土地で空港を持つ意味をしっかり噛み締めればいい。またJRグループが頑張ってるので、所詮国内路線は短距離であり、これから競合に晒される。先ずは中国地方や東北地方がその対象であろう。

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子供手当ての雑感~経済学者に?な件

子供手当てのへの酷評が多いようである。竹中氏は子供3人を育てるのに15百万円を呉れてやるのは家一軒を与えるような物だと言っているようだし。

別の人はそんな金があるなら教育に使えばいいとか、経済学者から見ると有り得ない愚策だそうだ。

 しかしこれらの論は的を得てるとは全く感じられない。経済学者が論じてるのは効率的に金を遣う方法論を述べているのであるが、少子化対策にはまったくならない。子供手当ては少子化対策だから、反論は完全に的を外している。

学校の教育が良くなっても、子供を増やそうと考える親は皆無であろう。もうその点で「お馬鹿さん」なわけだ。 子供に教育費が掛かる理由は「隣の子を出し抜く」ためで、平均値が上昇して国の国力が上がるなどという遠大な計画に則っているのではない。

平均値はどこにあろうと、偏差値を稼ぎ、就職時に例えば「公務員」になる事を目的としているのだ。竹中氏を初めとした効率的なお金の遣い方は平均値の問題である。一方お金が掛かるので子供を作れない人は偏差値の問題である。

2点目。子供を作るには女性が実質的に会社を辞めるという選択肢しかない。男性は企業に縛り付けられており、育児の共有化は難しい。託児所は完備されてない、小学生に上がろうものなら6時前には家に着いてなくてはならない。それを普通のキャリアで、普通の努力で実現するのは難しいであろう。

なのでキャリア志向の女性が取る選択は(1)子供を作らない、(2)1人は無理やり育て上げるが2人目は要らない。ということであろう。またキャリア志向でなくても、育児の間無収入で子供に金がかかり、一方で子育てから開放されれば働きに出れるのであればその差は雲泥の差だ。子供手当てと言うのは世帯の収入保証の面が強いのだ。だからそのお金でお母さんがオシャレをしてもいいのだ。本来働いて自分で買う服や化粧品を手当てで買うことになんの卑下も必要ない。理想では欧州のように離婚した女性が子供を育てながらフルタイムで働くことができればいいが、現状をみれば望むべくも無い。であれば所得保障としての子供手当ては社会保障の代替としては考え方としては悪くない。(財源とかその金額の妥当性はここでは述べない)

「家一軒もらえるなら3人の子供を育てよう」、結構なことじゃないですか。おまけに第3者への年金も所得控除も無くして財源に充てると言うのであれば、財源論も封じ込める。結局、子供が無い家、巣立った家から子供を持つ家への所得移転であり、税の公平性からも問題が無いように見える。子供があるうちはサポートを受け、子供が巣立てば、サポートする側に立つというものだ。

あくまでも額については検証できないのでその妥当性は問うてません。

なので経済学者の主張するバラマキ反対は説得力を持たない。突っ込みどころを外してるのだ。

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ロジックで畳み掛ける上司

新入社員の頃に警戒したタイプにぶち当たった。

ロジックで部下をコントロールする、と言えば聞こえがいいが、自分のロジック以外の反論を許さない上司:押さえつけるタイプに遭遇した。すごく疲れた、いまだ継続中。

端的に言うと、ロジックで押さえつける能力がある人は頭がいい。現場中心の活動をしている人間にはあらゆる例外が頭を支配し、単純明快なロジックを忘れがちだ。そこを修正するのが老人というか上司であり、やっつける存在ではないのだ。ところが直線的に考えるお偉方は百戦錬磨なので簡単にロジックでやっつける。ロジックで部下をやっつける意義が分からないが。言う事を聞かすというのは分かるけど、ロジックを駆使しないと言う事を聞かない上司部下の関係は、、、意味が分からない。
いや、ロジックでやっつけられることを甘受してるわけではないのだ。ストーリーをぶち壊すのはいい、ぶち壊した後の責任を持ちたくないので嘘をつくしかない。

うーん、私の立場は、この頭のいい、立場を優位にロジカルに責める上役が指示する担当リーダーだ。様々な問題に対して、「本当のことへの対策」と「うるさい上司対策」とを検討せねばならない。その上司(直属の上司ではなくお偉方)への対策として「対策=嘘」を考慮しなくてはならない。多分その上司は「自分の立場を有利にする」ために部下がそれを奔走しなくてはならない、そしてその部下には指示をしなくてはならないということであろう。簡単に言えば「俺のために俺の言う事を聞け」ということ。その部下に相当する私はメリットを一切理解できない。

さすがにそれではついていけない。貧乏くじを引いた。

私の戦術は変更した、愚鈍を徹底した。その上司の言うことはロジカル的にはすごいと感嘆するが現実的ではない。その案を「はいはい」と聞いて、私が何かをする事を放棄した。「言われが事はします」という態度だ。腹心だと思わたらたまったもんではない。直と更に直の上司にどう思われるか。

グダグダ言い続けてたらその上司は私の事をボンクラと思ってくれているらしい。あー良かった。

結論;人望の無い切れるお偉方には愚鈍を演じてもデメリットは少ない、何故なら彼には人望が無いから。

ちなみにその手の人間は人望が全く無いので怖がる必要はないと思う。だって人脈を築けないんだもの。論理がきちんとしてる人は上の受けが良いというのが理解できるけど、実行部隊を持たないことも事実。私が直面してる上司もあと数年したら居なくなるので「愚鈍作戦」で関わりを薄めようと思っている。また「その上司のため」に嘘もついている、いちいち言う事を聞くより嘘をついた方が安いからだ。

ちなみにその上司は思いつきで発言しているだけだ。なので馬鹿馬鹿しくて相手にしてられない。(彼の都合のいい)ロジカルで圧迫してくる、そのロジックの前提を議論するほどの酔狂は持ち合わせていないということ。

なので人気の無い上役に目をつけられないようにするためには、、、。そんなの夢が無いなぁ。

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再生の町、雑感

NHKの「再生の町」は上質なエンターテインメントであった気がする。映画では出来ない時間を緩く創るのはドラマならでは。とにかく面白かったし、泣けた。

牧瀬の額、謎の美少女、挿入歌、今井美樹の主題歌、ストーリー、スピーディーな展開、エピソードの挿入、うーん上手い(優先度の高い順に挙げてます)。上手すぎる。

社会派ドラマはエンターテインメントを極力意識しないと上手く行かないと思う、この際本当の事はどうでもいいという割り切りが必要なのであろう。あくまでも社会派ドラマの見所はドラマであり、主題に引っ張られすぎたドキュメンタリーではつまらんということ。そしてその魅せる種が重要なのだ。

牧瀬の額(デコ)は今でも至宝ですな。

 

あと今期のドラマへのコメント。
ブザービートは結局最後まで見てしまった(見る気無かったのに)。北川景子と山下智久演じるだめだめぶりは少女漫画の高校を舞台にしたそれであろう。TVに突っ込みを入れながら見てしまったのだ。ちょっといけてない主人公(北川)とちょっと物足りないけど誠心誠意な男(山下)が善人とチョイ悪の間で揺れ動く様はまさに学園少女漫画。素直に少女漫画の舞台である高校を舞台にした方が違和感なかったのに。あとはB’Zの挿入歌と言うか主題歌が珠玉。ドラマの演出にぴったり合っていた。またヤマピーがそれなりにバスケが上手いのにちょっと驚いた。

北川景子の駄目っぷりに惚れる。きちんと化粧をすると超美人なのに、すっぴんメイクで泣くともうダメダメ。スッピン時のファッションもアレだし、このギャップがいい。このドラマの主人公は「ちょっと可愛いけど完璧で無い」いわゆる少女漫画の主人公だろう、北川はパーフェクト。アイブサキ(もう漢字調べる気力無いっす)も適任であろう。かわいいなぁ。

 

*未だ誰か分からず、清潔感があって好印象なのですが。あと老人ホームで歌う場面ではレコードを流すのではなく、そこで録音したらもっと好印象だったと思う。

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麻薬を止めたとき

景気の底を打ったと言う話が「アメリカ」では論じられているらしい。GMも増産しているとか、ちょっと前まで在庫がすごい勢いで膨らんでFCFが大変なことになっていたのに消化したのであろうか。

そういえば会社の健全性を見るにB/S、P/LよりもC/Fでいいんじゃね的な主張が多い気がする。在庫でも製品はB/S上では資産になるし、その在庫も赤字で売らなければP/L上でも黒字になるわなぁ。キャッシュの行方が一番の健全性だとの主張はまぁそんなに間違ってないのであろう。例えば営業は黒字でも設備投資に妥当性を欠いたとか、期末に在庫を積み上げ資産に計上するとか、すごい会社だと一旦売り上げて返品を受け付けるとか。これらは期毎のFCFを見れば悪事は露見するんだろうね。

話が脱線した。昨今エコポイントとかエコカー減税とか補助金とか景気刺激策が横行している。私もまだTVがアナログなのだが年内には買い替えないと。何故年内かと言うとエコポイントがあるからだ。クルマだって突如壊れて買い替える人は少ないであろう、ある程度の計画性を持って買い替えるであろう。そうなるとエコポイントなどの景気刺激策と言う名の麻薬は消費を前倒しする効果はあるが、真なる景気刺激策ではないということなのだ。

まぁ収入が増えてないのに消費が増えるはずは無い。せいぜい前倒しをする程度だ。要は未来の消費を買っているわけだ。当然買われた未来の消費は未来には消費されなくなる。麻薬が切れたときだ。

政府の考えでは景気(消費)前倒し策を練ってる間に全体の給与所得が上昇しなければ全く意味が無いと言うことになる。単にGDPの前借になるからだ。その間少しでもキャッシュを動かしておけば雇用が増え給与所得が上がるはずだと言うことが前提となっているのであろう。

ところが派遣や契約社員と言う職種が企業に重く圧し掛かる。派遣を雇って、麻薬が切れたときに解雇すれば非難が出る事は自明なので社員の貸し借りを行っているらしい。国民全体で見れ給与所得は下がっていないが(彼らの単価は安くない)、既得権益を持つ「正社員」で回そうと言う魂胆だ。

そういえば私の会社の後輩も、(当時)私自身または近隣の独身の社員は飲みまくった。またはクルマにパチンコに、給料全部遣うくらい。しかし新卒の数が減っている上、雇用も悪化し、院卒が幅を利かせば彼らは結婚資金を貯め込もうとするし、はなはだ景気によろしくない。新卒ほど金を遣う人種は居ないのにと思うんだけど、政府は分かって無いのかなぁ。またもや脱線した。

景気刺激策と言う名の消費前倒し策である麻薬は当然いつか切れる。切れたときには景気に陰りが見えて当然だ。アメリカでも減税でクルマが売れているらしいが減税が終われば売れなくなるのは当然なのだ。

この波がどのように経済に影をおとすのか興味がある。

また麻薬の代償は麻薬が切れたときの景気の悪化以外にもある。借金を積み上げたからだ。空前の低金利で国債の利息負担も少ないのであろうが、景気が上昇すれば金利も上がり、その手当ては出来るのかという疑問だ。GDP比で国債発行率が高い日本はリスクが高い。金利が上がれば償還額がべらぼうになるからだ。

こっからはネタです。銀行が国債を国民に売ればいいのだ。MMFとかMRFという名前でもいい。そして銀行は国債を空っぽにしてある日デフォルトにすればいいかも。国債を買った富裕層がチャラになり、銀行みたいな企業へ傷が付かなければいいのだ。国民を売って国を儲けさせる。銀行のような決済機関は潰せないのであれば銀行に国債を買わせず、直販代理店の扱いとさせ、示し合わせてデフォルトにすれば国は儲かる。アルゼンチンにノウハウを学ぶといい。

 

 

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地方公務員はどうするのか

官僚は社長(大臣)が変われば体質が変わる可能性が見えた、まぁ社員の論理で会社運営されても困るよね。一方社長が変わっても抵抗するのが地方自治体である。例えば大阪府なんかそうなんだろうね。大阪府では見事に噛み合ってない。社長(府知事)の言ったことに見事に反対だ。

なので地方主権とはおぞましいと思う。少なくとも(民間委託すれば済む程度の)窓口とか教職ブルーカラーへの厚い手当てと、政策立案するホワイトカラーへの差が無さ過ぎる。公務員改革があるとすればここからやらないとと思う。

近隣自治体が現市政を排除合併という提案を認めたらどうであろうか。例えばさいたま市が上尾市公務員を雇わない合併を画策するのだ。上尾市には日産ディーゼル、ブリジストン事業所がある。これを胡坐に行政が怠っていると感じれば、特に市議会・職員が吸収を恐れて住民サービスよりも面子に拘るのであれば、丸ごと首にすればいいのではないかと言う疑問だ。

上尾市議会・職員を全員首にして、さいたま市職員で面倒を見ればいい。通勤圏だしなんの問題も無い。さいたま市職員は全員ホワイトカラーの給料を貰ってるんだからブルーカラーは嘱託を新たに雇い、ホワイトカラーの仕事に専念してもらえばいい。ホワイトカラーが無理なさいたま市職員は首だ。上尾市と言う自治体が蒸発するのだから上尾市労組的になんの問題も無い。おまけに地価が上がらない理由、非さいたま市から逃れられる。

そうするとさいたま市も上尾市も相当なリストラが出来る。これをコンサル主導で行うのだ。

国の官僚よりもブルーカラーとホワイトカラーの区別も曖昧なら、窓口のおばちゃんの給料も高い。そして組合の存在もうざい。組合がさいたま市への合併を阻止するするのであれば、組合ごと首にすればいいのだ。「上尾市」という自治体が消滅すれば再雇用がなくても文句無かろう、なにも吸収しなくてもいいのだ。シガラミから逃れられれば自治体ゴロへの支出も減るかもしれない。

とにかく地方自治体の方が無茶苦茶だ。合併起債も多いし。地方は独立するためにもどんどん切り捨てた方がいい、国に依存してろくなことはない。自立の方法を考えた方がいいと思う。

旧浦和市と旧大宮市でいざこざをするくらいならこの程度の改革はありだと思う、どう?

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官僚組織に求められていること

日本人は世界一生活者に優遇している国だと思う。ガス湯沸かし器を換気もせずに酸欠で死んでもメーカーの責任が問われるし(しかもその人は大学生)。ある一定の危険が存在するであろうワクチンの接種にも全責任が問われる、ワクチンを接種すれば酷くはならなかったであろう人が存在したことは報道されないのがさらに泣ける。ワクチンの副作用を重視してアポーンというのは笑い話だと思う。

ようは「官僚は完璧を求められている」のだ。言い方を替えると「国民は官僚に完璧を望んでいる」のだ。当たり前だが完璧は高コストだ。お金だけでなく命も。例えば9割の確率で効果のある低コストな医療も1%の副作用で忌避され、その医療が導入されないが故に失われる命というのは、完璧を求めたリスクであろう。科学的に意味の無い牛のBSE検査は金と資源をどぶに捨てるようなものだが、国民は望んでいるらしい。

官僚組織の肥大化を批判する向きがある、これなどモノの本質を隠蔽しているとしか思えない。完璧を求められたら新たな問題には新たな検査機関を設けるしかないではないか。完璧と言うのはすこぶる高コストなのだ。おまけに本当の仕事、例えば科学的に問題がある健康食品事業への介入とか、国民の科学リテラシーを一切期待しない政策を取っているにもかかわらず騙される奴は居る、そしてそれを行政の責任にされたって、、、orz

民主党が官僚の仕事を限定し始めたような気がする。これは「官僚は完璧でなくていい」というメッセージなのかも。そうすればとても低コストで国家を運営できる。そしてその責任は官僚ではなく、政権が負えばいいのだ。

この程度の責任分離が行われないと官僚改革はできない。けどそれでいいのかなぁ。というのも国家高級官僚はすこぶる低コストで仕事をしてきた。業界団体を組織し、業界団体に仕事を丸投げする代わりに業界団体に歯向かう一匹狼には辛く当たると言う、例えばヤマト運輸とか。しかし広く業界の意見をまとめようとすると、業界団体を使わないとするとこの程度の人員ではやっていけないのも事実だと思う。効率と情の現在とアメリカ式とどりたがいいのか。また合理化の結果が外郭団体なのであり、それを本庁と一本化する合理的な意味が見えない。まぁ混乱は面白いのだけれど。

民主党が官僚の効率化なりを権力を剥奪するのはいいのだが、それにはその必然があるということ。どういった選択をするのかは興味がある。

 

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ダム問題矮小化の手先

八ッ場ダム意見交換会、住民側反発し欠席へ(読売新聞) - goo ニュース

この手の報道に鼻くそほどの意義も感じない、まぁ住民感情が全く伝わらないのも困るか、その程度の意味。事の本質は八ツ場ダムが不要か必要かとサンクコストを無視した今後必要な費用であろう。今まで払った額がもったいないという議論も無意味であろう(サンクコストの本質でしょう)。ダムは環境破壊や地域破壊の度合いが大きいために揉める場合が多いけど、そこで揉めることとダムが本質的に必要かどうかは地元に一切関係ない。

大規模土砂災害で亡くなる人が未だ居る、今年は山口で、昨年も栃木で起こった。このような何百年に1度規模の災害を防ぐのか、コストに見合わないから止めるのかということが事の本質だと思う。住民同士の闘争が本質を分かりにくくしているのは理解できるが、地元で一旦合意したからダム建設を止めてもらうのは困ると言う論理でダム建設が決められるのはかなりおかしい。

ダムを建設するかどうかという「日本をデザインする」国家プロジェクトにそのような矮小化された感情を基準にする事はおかしい、というより間違っている。まぁ地元の政治家(群馬県知事・長野原町長)は反対するよ、下流の住民のためだとしても合理的に話を進めようとすると「あいつは冷たい奴だ」とレッテル貼られるし、本当に無駄であればなおさらだ。

なのでダム建設の合否に地元の意見は一切必要ない。どちらかと言うと下流の人に聞くべき問題なのでは。おっ、前原大臣は地元が反対して交渉に応じないのであれば計画を凍結すると言っている。頭いいなぁ、金を一切払わないつもりだな。いいぞ、頑張れ。利水が必要な都県がもし本当に必要であれば、別に八ツ場ダムでなくてもいいはずだ。別のところに作ればいい。この関係はお金で清算できる。ところが先述したように前原大臣は金を払う気が無いようなので利権都県も困るね。

ここまで問題を矮小化させた責任はマスコミにある。この具合で全てのダム問題を凍結したら面白いだろうな。暴れ大河の下流人民の命はコストカッター餌食で、その真犯人はダムの地元という構図になるからだ。そしてそれが正義だと思っているマスコミが煽り、地方の人命への支出を行わないと言う図式だ。

ここまで意図した「ダム凍結」発言であれば、前原大臣は相当なタマだ。いえ褒めてるんですよ、国土の均等な発展などもう幻想なのですから。人命を錦の御旗に金を注ぎ込むのはおかしいし、過去のシガラミや選挙民への手前言えなかったことをズケズケ言うのはいいことですよ。ダムを作るより引越し代を払った方が安いのであればそれも手です。

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高齢化と景気対策と

高齢化が進み年金・健保財政が上手く行かない感たっぷり。だったら原則で受益者負担にすればいいのに、その財源はひねり出せる。

簡単に言えば相続税を上げればいいのだ、控除も最低(ゼロ)にして。少なくとも贈与税より上げないと意味が無い。その代わり介護や老人医療はそこからばっちり払えばいい。

それこそ世代内の分配税だね、世代間で闘争するのはよくないというか無理がある。いやぁ私の両親が貧乏なので思いついたあれですが。

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ルールが変わる瞬間

酒気帯び運転での懲戒処分は無免許運転と比べ厳しいという判決が出ているようだ。
それにしても「事件」を起こしてしまえばそれも関係ない。どちらにしても飲酒運転には厳罰を以って臨むという姿勢に変わりは無い。ルールが変わった瞬間だ。

政治でもルールが変わるのかもしれない、というか国民は「ルールの変更」を期待しているのであろう。ルールの変更とは原理原則が変わるということだ。かつての自民党ルールから民主党ルールに変革するということだ、瑣末な事はそれはそれで重要なのであるが。

例えば八ツ場ダム、原理原則としてダム事業を見直すのは結構なことだし、やるべきであろう。しかしこの夏に山口県で起きた土石流災害もダム事業と関連がある、この山口県防府市の案件では優先度が低く、放っておかれた案件であったと記憶がある。ダム事業はお金の問題もあるのだが国民の命の問題も関わる。その一方でやはりお金の問題も当然発生する。サンクコストを「もったいない」とするのか、維持コストを含めたコストメリットを考えるのか、はたまた危険地域に住んでいる人の命の値段をどう折り合いをつけるのか。自民党の論理は「必要なもんは必要だ」であった、過疎地域でのダム事業は地元にお金は落ちるし、「命の御旗」も作用した。

この程度の話はある意味瑣末なことだ。危険であればダムを作るより住民の住居を手配した方が安いであろうし、サンクコストをもったいないという論理は捨てておけばいい。自民党では言えなかったことが民主党には言えるということだ。トータルで「やはり必要」であれば作れば良いということ。

話は脱線するが民主党御得意の「地元目線」とか「生活者者目線」をきっちり行ってきたのが自民党政治である。もちろん自民党はシガラミで裁定するので訴え人は不満たらたら。しかしシガラミのなかでどう裁定するかというムラ社会を仕切るのが自民党であった。旧民主党はシガラミの無い企業や地元を無視した意見だったので従来は相手にされてなかった、なので○○目線から離脱した政治スタンスを求められていると思う。社民党の得意な生活者目線というのは社民党の支持母体が生活者で、生活者が社民党支持者で無い事は、、、そんなの分かっているよね。

民主党が官僚やマスコミにルールの変更を通達した。瑣末な矛盾はこの際どうでもいいと思う。瑣末な事は現場で対応するとか、含んでもらえばいい話だし。

面白いし、わくわくする。昔の左翼みたいに権力闘争で血が出たとか無しにしてね。

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モータースポーツ報道に関する雑感~インディ・ジャパン

モータースポーツに中継は鬼門なのだろう。インディ・ジャパン(NTV系列)の報道は見るに耐えなかった。

まずはモータースポーツ中継の難しさを列挙する。そもそもモータースポーツは面白くないのだ。同じところをグルグルと回っているし、機械の知識が無いと分からないし、レギュレーション(ルール)が見所を作っているのもわかりにくい。

1)見所が分からない。 競技なのでルールが明快で無いと面白くない。陸上競技や球技と違ってイクイップメント(道具・車両)のレギュレーションを解説した上で、インディ特有の見所を伝えないと面白さは伝わらない。例えばF1と何が違うのかなど。
2)ぐるぐると同じところを回っているので飽きる。 トップ争いのデッドヒートが無ければ中位グループのデッドヒートを見せるのも手であろう。ピットストップにおける混乱も1つの見せ方だ。特にインディではフルコースコーションからグリーンフラッグへの過程でのリスタートやピットストップが1つの見せ場だ。これをど素人に解説するのは非常に難しい。
3)生中継では特に見せ方を工夫しなくてはならない  レギュレーションの解説やレースクイーンの紹介、今シーズンのポイントの行方ぐらいは準備しておかなくては。この点では0点だ。またWebとの連携も下手糞。「レースクイーンの詳細は○○まで」ぐらいのことが言えなくてどうする。モータースポーツに何故レースクイーンが必要かと言うと顧客が男性多数なことと、機械・道具(クルマ・カメラ)好きが集まってるからだ。動きを見せるチアが必要な球技と違い、立っているだけで絵になるレースクイーンが必要なのは道具好きが集まっている、なので被写体が必要なのだ。

今回のNTVの中継は最低最悪であった。まぁそんなの慣れっこで、NTVがことさら下手糞と言うわけではない。どちらかと言うとスプリントレースよりも耐久レースの方が難しく、過去にはル・マンの生中継の方がひどかったbyTV朝日。

NTVの失敗を列挙しよう。このプログラムを見ている人はモータースポーツファンが多いと思われる。日本人ドライバーを応援するよりはデッドヒートの方に興味が行くのは自然だ、要は顧客を間違えている。トップ争いが起こらないという保険での日本人ドライバーへの注目であればいざ知らず、トップ争いが中継されたのはその日本人ドライバーが周回遅れになる瞬間というのが泣ける。

中継ではよく分からないのだが見所はあったようだ。勝ったディクソンもずーっとライバルに真後ろに張り付かれてた見たいだし、同チームではピットストップでの優劣は難しいにしろ、ライバルチームもそれなりにポイント争いをしていたわけだし。そんなの全然写らなかった、周回遅れのチームを日本人同士でバトルを行っていると言うだけで写し続ければ視聴率は稼げないよ、完全に顧客を見誤ってるね。

ショートオーバルは地味だけど面白い。スピード勝負にならないのでドライバーの技量が問われるし、タイヤコントロール・燃料コントロールの考え方で作戦が変わるからだ。中継ではトップの動きが全く報道されないので、諦めて切った。周回遅れの日本人にも頑張って欲しいのは分かるがレースの本質とは全く関係ない。その日本人も予選でのペナルティでトップを追い上げるレース展開であれば分かる、周回遅れなのに。

実はCXでのF1の報道も当初は「中嶋」ばかりであった。F1というかモータースポーツを盛り上げるに時代ではそのような手法も仕方が無いと思う。今は報道ステーションの看板アナウンサーであるフルタチがプロレス張りの絶叫もだ。これはフルタチが続けて中継を行いブームを演出したから使える手法だ。スポットの中継ではマニアを相手にした王道で無いと誰も満足できない。ゴルフの中継を思い出して欲しい。

モータースポーツの中継は基本的にルール(レギュレーション)が分かりずらい上、同じところをぐるぐる回っているので基本的に「面白くない」。それをあえて中継するのであれば、①マニアに迎合する、②「面白さ」に特化するというのが手ではないか。トップ争いにかかわれない周回遅れの日本人同士のバトルになんの面白さがあるのか。

 

しかしフォロー。グラフィックでの見せ方は上手かった、日本人同士のバトルと同時にオーバル上のトップの位置を見せていたのは。なおさらトップ争いだろっという突っ込みも誘発したが。いやオーバルの魅力はいつでもどこでもバトルがあることだからいいんだけど。

あらためてテレ東系列の編集技術はすごい、その後GT500の番組とか。まぁあれも生中継ではないからというのもあるが。センナリヤ(チトセヤだとは思うが)さんとか生きてるんだろうか。

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人生設計

自分のキャリアの展望について考えてみる。給料はべらぼうに安いのであるが(世代の平均年収にはまだ到達していない)。

今流行のキャリアデザインというやつだ。頭が悪いのでキレイに論じられないのでなんか自分を晒すような感じになるが勇気をもって述べてみたい、まぁぼかしすぎて何を言ってるのか分からなくなる危険性もあるが。意味不明であったり晒しすぎたと感じたら、そんときは記事削除です。そもそもこのエントリーは私のキャリアデザインを整理するためなので。あと私は課長待遇です(部下なし)。

私の職場(研究所)の50代は4人。あと部長・課長職は10人程度。あと10年で最低3人は定年になる。技術職全体(除く研究所)で見ると本社・工場に50代が6人居る。部長・課長級が7人くらい。

技術職で10年で定年となるのは10人、そのポストを得るチャンスがあるのが17人、まだ係長クラスでも本社で生え抜き(合併とか統合で色々なキャリアの人材が混在してるんですよ)を入れるともう少し多いかも。仮に20人としておこう。

私は研究所としては傍流なので職位が上がったとしても所長には絶対なれない。どちらかと言うと本社・工場の方では泳げるかもしれない。そして本社・工場の方が上記のごとく人材難だ。そして10年で10人入れ替わる。確率で論じても全く意味はないが5割程度の確率でポストをゲットできると考えるのが自然だ。

あと研究所は人材供給の側面があるのでこのような配置である。

(1)どのポジションを狙うか
給料が上がるには出世するしかないので、現在の給料で満足するか出世を狙うかという選択肢がある、まぁ給料は上がって欲しいので自然と出世を目指すことになる。その上で上記の1/2の競争に参加すると言うことになる。スキルとしては傍流なので本社の管理部門で食っていくか、工場を経験して本社に異動するのがベストシナリオか、または研究所で傍流のナンバーワンになると言う選択肢もあろう。
とすれば本社と工場を経験しておくと言う手がある、しかし片道切符には抵抗がある。もちろん研究所に居れば(戻れば)競争は激しい。私の場合は傍流なのでポストが特設かも言う点が気がかりだ。部長研究員がリタイアしても一生主任研究員で終わる可能性もある。

(2)会社は何を求めているか
人材供給元(原則技術職は一旦研究所配属)である研究所なので、所長は研究所の人材の対外的な評判を気にする。所長は研究所という組織の独立性を守ると同時に、会社の技術職をどうデザインするかと言うことを技術室長と工場長とで謀議している。そのトレンドに乗るのも必要なのだが当然であるがその3人(研究所長・技術室長・工場長)は10年後には役員で無い限りいない。なので両足揃えて乗るにも抵抗はある。私は傍流と言う自覚があるのでその道で食ってく自覚がある。研究所一本で食ってけないわけだ。

(3)傍流って何?
若い人に取れば技術の本流は研究・設計職にあると思うのかも。しかし基本的には会社組織で、特に本社部門の技術職の骨格は生産管理・購買・流通・仕様・品質なのであろう。設計・研究所と言うのは技術者集団であることは間違いないと思うけど、待遇は良くない。優秀な人間から研究所や設計に放り込まれる割には会社を動かす中枢は本社機構にあるからだ。

なので私の経験では人気は工場の品質担当が貧乏くじで王道は研究所、次点が設計、最後が本社。しかし本社は実力があれば(工場・研究所を使いこなせれば)出世最短距離のような気がする。

結論、、、。面倒になった。でも10年後どうしようと考えていたのであるが、身を流れに任すのはキモチワルイ。もうちょっと真面目に考えようっと。

 

 

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高速道路無料化についての雑感

民主党はなにがなんでも高速道路無料化をしたいらしい。面子に拘らなくてもいいと思うんだけど。具体的には財源から離れた流量コントロールとしての料金設定程度でいいんじゃないかと思うんだけど。

「流量コントロールの料金設定」とは、せっかく作った地方の高速道路が使われていないのであれば、そこそこ混むように(有効利用されるように)料金を下げればいいんじゃないということ。少なくとも現在混んでいる路線の無料化は害悪だ。混んでいても金を払う人が居ると言うのに無料にすると料金を払う/払わないという選択が消滅しコストが増えるからだ。さらに料金収入が減ると言う事は(料金を取っていても渋滞していると言う事実があるのに)渋滞対策に金を使わないと明言したに等しい。

さらに高速道路償還の財源と期待された暫定税率も廃止となるらしい。踏み切り渋滞解消にも使われていたのだけれど、、、。踏み切りの渋滞はもう車のトンキロが減らない限り無くならない、圏央道なども凍結であろう。だってお金ないもん。首都圏(他にも渋滞が酷いエリア)での渋滞解消の施策はもう行われないのであろう。

マニフェストを国民が望んでいるのであればやるべきであろうけど、所詮「自民党の体質や政治手法への批判」が主であろうから、マニフェストに拘るのは愚の骨頂だとおもうんですけど。世論調査では高速道路休日千円の評価は低くは無いので、、、。

 

 

こっからは雑談。鉄道の競争力を考えてみる。JRの在来線の特急は民鉄みたいに普通車両の優等列車を走らせれば競争力が出てこないか。例えば小田原~豊橋とか宇都宮~仙台を普通列車(料金・車両とも)を超優等列車で運用できないか、もちろん青春18切符は無効で。

また新幹線の首都圏相互乗り入れは?湘南新宿ラインの新幹線版だ。こだまは名古屋発は~高崎・宇都宮までだと品川(羽田)~宇都宮・高崎とかを使えてすごく便利だし、出張社内規定の距離も新横浜~熊谷・小山とか小田原・熱海~大宮だとクリアできるんだけど。通勤定期も期待できるかも、、、。掃除や乗り降りの時間も短縮できるだろうし。

JRの美点はスピード命ということ。頑張ればクルマに勝てるんじゃないかな。だってクルマの維持費は200万の車体を10年使ったとして5万円/月だもからね、駐車場代は別だし、総額200万を10年乗るってきついしね。半年に1回旅行に行くような家族を想定して戦略を練れば勝てる気がするけど。まぁ啓蒙も必要だろうけど。

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PBとメーカーの商品開発

よく分かって無いまま書き連ねる、結論は無い。

以前、ニッサンのスカイラインがコンフォートタイプになったりスポーツタイプになったりとぶれまくっていた時代がある。自動車雑誌では「営業と技術で綱引きをした結果だ」と読んだことがある、当時は学生でよく分からなかったが。今の職場では営業の天下だ、綱引きが無い代わりに営業の論理は良く分かる。というか他の企業ではこんなの昔話だと思う、なにやってんだろう。

 

今さらながら当たり前の話ではあるがメーカーの営業は消費者に営業をしているわけではない、流通のバイヤーに営業をしているのだ。スーパーのいいところを陣取り合戦や新商品を売ってもらう作戦を練り、交渉するのだ。流通のバイヤーも神じゃないので売れる商品がどのようなモノかは分からない。まぁ新商品を見せられて売れるか売れないかの占いをする程度であろう。

日経MJのバイヤーの声欄を読むとバイヤーの神度が分かる。新聞の伝え方に決まりきった型があるからかもしれないが、売れ筋商品の値入が低い事を嘆いたり、値入のいい商品はブランド力がないことを嘆いている。新聞が馬鹿なだろうけど、トップシェアを張っている商品を何故安売りせんといかんのじゃ。声を読む限り、値入のいい商品を育てる気はないらしい。

自社製品のPOSを読むと流通によって売れ筋が違う、というより違って当たり前、リベート条件も違うだろうし。それでもちょっと高い商品をじっくりと種を蒔いて育ててくれた企業はP/Sが高い。日経MJによるとスーパー、ドラッグなどでは扱っている物がほとんど同じでも売上高利益率が全然違うことに驚く。

ちょっと枕が長くなった。極論すればトップメーカーはCMで売上をたたき出し、下位メーカーの営業はバイヤーの意見を言っているに過ぎず、バイヤーは商品を売ってくれるわけでは無いと言うことだ。

 

PBというのは値段勝負のところがあるにしても取引単位や商品設計で商品開発的な仕事を流通で請け負うことになる。まぁジョブはメーカーがやるにしてもコンセプトや予算、取引量は流通が担当することになる。ロットが決まっているから売れるかどうか分からないので少しずつ発注という技は効かないし、食品の場合は賞味期限もある。それでも新聞を読む限りではPB様様のようだ。NBも巻き返しを図っているがど素人の商品開発に「値段」または「価値」で負けたということを証明した。

ということは下位メーカーの商品開発は存在意義がないということにならないか。OEMメーカーで研究所を持つところは多い。NBやPBに特色のある商品をせっせと売り込み、製品を受注するのだ。そう、下位メーカーは本社機構を解体してOEM専業を目指した方がいいのではないかという疑問だ。もっともOEMは全般に利益率が低いと聞く。利益率が低い業態にならざるを得ないのであれば別だが、好んでなる必要はないか。

やはり商品開発という業務の大きさと、営業の意向を経営陣がバランスを取れるかと言うところに行き着くのであろう。営業の言いなりの商品開発であればブレークスルーは全く期待できないし、技術偏重だと新しすぎたり、外す場合がある。でも商品開発の打率はどんなもんなんだろう。収益を上げた商品の率、さらにロングセラーになる率。コンビニでの新商品残存率は1%くらいと聞いたことがある(ソースなし)。ということは商品開発に失敗を許さない(叱る・査定に響く)土壌のあるメーカーは成長しないであろう。CMなどの投資をする場合はよく分からないが、失敗を奨励し新商品をどんどん作る事を目指した方がいいかもしれない(返品無しの場合)。

一方でPBでの商品開発は失敗が許されない。大量買付け、大量販売がビジネスモデルだからだ。失敗を許されない商品開発と失敗を許す商品開発、細やかなイメージ戦略がひつようだとか視点が違うのは分かるけど、同じ視点があるのも事実だと思うんだよね。

商品開発のお仕事は難しいらしい。いつも文句言っててすいません。

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