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橋本環奈はいつシャンプーのCMに出るのであろう

漆黒の髪がきれいな橋本環奈氏。シャンプーや化粧系のCMに抜擢されるのはいつだろうか。

女性タレントの出世度の指標として、「シャンプー」「化粧品」のCMに出ることであろうか。AKBを始め、アイドル系ではなかなか出ていない。筋金入りの美少女である橋本環奈はそろそろ出てもおかしくない。髪がきれいだし。

先行事例としては広瀬すずのシーブリーズ中条あやみのメリットとかあるし。川口春奈も若うちにパンテーンに出てた。

セブンティーン系やニコラ系が幅をきかせているけど、橋本氏にも出世していただきたい。きゃりーさんも出てたし

 

まぁシャンプー・化粧系と彼女のファンと距離感がありそうなので難しそうだけど、期待する。

 

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エピローグが足りない

一時期、有川浩に嵌っていて、普段読まない単行本を図書館で読んだ。単行本が出ていることを知ってはいても、文庫が出るまで2年待つのであったが。
そのせいでここ3冊出た有川の文庫は既に単行本で読んでいて、飢餓している。
とくに「ストリーセラー」と「植物図鑑」は途中で読むのを辞めたので飢餓感MAXである。加筆されているなら「空飛ぶ広報室」を再読してもいいかも。

 

標題の件、プロットとしてのラストではなくて、表現としてのラストに「表現が足りない」と思うことが多い。
ラストに向かう情報が散りばめられていて、読者が容易に補完できる内容だとしても、文章で読んでスカッとしたい。無駄な表現は切り詰めたい、読者の想像を豊かにする、みたいな作家の意向があったとして、それを分かっていても、大団円な結論を求めるのは甘えだろうか?

例えば、池井戸の短編集である。池井戸の作品は章ごとで一つのストーリーとして完結しているものの、大きなストーリーが動いている作品が多い(ex.シャイロックの子供たち)。読後感として、スカッとできないのである。
もちろんラストがどうなるかという示唆はされている。それでも犯罪解決またはその後の大団円を読みたいのである。一方で「日常は永続している」というの分かるが、それでもなのである。

七月隆文氏の「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」は中盤でネタが知らされ、それ以降文章はスカスカになる。アイデアが小説の魅力ではあるが、登場人物に魅力があるから面白いのだ。だから、ネタばれ後の彼・彼女の心の描写を後半にこそして欲しいとおもったがそうではなかった。その後の彼女の希望と葛藤をもうちょっと丁寧に描写してくれてもと思う。(続編が読みたい)

 

無駄をそぎ落とした文章はもの足りないのである。言いたいことが分かっていても視点を変えた感情を読みたいのである。それがエピローグである。

有川の「図書館戦争」は3作目までで一応の小説とうい体裁か。4作目は恋の壮大な「大団円」であろう、さらに2作のスピンオフでバイプレイヤーのエピソードを追加して、読者を満足させている。
池井戸が足りないとすればこのサービス精神であろうか。もっとも「ベタなエピローグ」を書くのは許せない人も多いのかもしれない。

 

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自転車が邪魔

クルマサイドからはロードバイクがよく非難されているが、歩行者サイドからはママチャリがアカン。

1)突っ込んでくる

クルマでいうレーンを無視して歩道の真ん中を歩く紳士とか、2~3人で歩道を塞いでいる淑女とかもいるけど、駅近で歩行者の数が多いのに、 ぎりぎりまで減速できない紳士淑女が多い、多過ぎる。徐行できない。
突っ込まれる側とすれば、そっちの技量を信用していないわけで、常識が無いし、迷惑でしかない。首都圏近郊の駅に向かう歩道を走る自転車のほぼ全部が「突っ込み型」である。
殴ってやりたい。高校生とか若年なら許せるが「いい大人」もだ。

この項を読んで『私は違う』と思わないことだ。ほぼ全員だから。ベルを鳴らすタイミングもあるし、歩行者の捌き方もぎりぎりが多い。

 

2)進路を塞ぐ

交差点で横断歩道直前で信号待ちをしているロングホイールベースの自転車が、青側の進路を塞いでいる。歩行者でもよくあるが自転車は長いので、くそ邪魔である。交差点では交差する側の進路の確保してほしい。

障害物なので蹴っ飛ばしたくなる。暇なときに蹴っ飛ばして賠償金を取ろうかと思う。最近、小径ホイールでロングホイールの自転車が多く、邪魔を助長している。 

 

歩行者サイドも反省点は多い、邪魔である。二人並走して幅をとったりとか。相対する人の為や、抜かす人のためのスペースを取ることができない人は多い。まぁ小学校で教えてくれないし。

一方で法律の問題もある。

原則日本は左側通行で、歩行者だけが右側通行である。対面交通というやつだ。歩行者が右側を歩き、自転車が左側を歩けばどちらかが避ける必要があるが法律は正解を述べていない。事故やトラブルが起きるのは当然である。

さらにややこしいのは商業施設などでは「歩行者左側通行」を求めていることが非常に多く、「歩行者の正解」は無いに等しい。自転車側だけが責められる問題ではない。

 

諸悪の根源は「歩行者交通政策」の矛盾があることである。だからこそ小学校交通教育で「交通原則が明示できない」事態に陥り、自転車が歩道でやんちゃをし、優先度の低い問題(ここでは自転車が交差点で進路を塞ぐ)を論じられない問題がある。

 

まぁ、このブログで何回も繰り返しているけど、歩行者右側通行を廃止すると、議論が次のステップに移ることができる。例えば歩道での自転車の扱いとか(歩行者・自転車ともに左側通行であればかなりの問題が解決できる)、駅など施設によって歩行者の歩く側がローカルルールで混乱するとか。

法律がおかしいから、事業者が独自に交通を管理している。

 

閑話休題。自転車が突っ込んできたとき「きちんと事故を受けて」損害賠償と刑事責任の追及をしてくれるとか、または交差点で邪魔をしている自転車に『邪魔だ』と声を上げて因縁をつけるか自転車を蹴っ飛ばして直進する、闘うニートは居ないかしら?

応援・寄付するけど。

 

 

 

 

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車線を意識したインフラを望む

「歩きスマホ」がなんで駄目かというと、「邪魔」だということに尽きる。

簡単な話だが、車を運転しているのを想像すれば理解できる、「よそ見」をしているのは周りを状況を理解できない。
例外はない。 「歩きスマホ」は全員邪魔である。通路の端で止まっている、ホ-ムで邪魔でない位置で確認する方がいい。

車には「車線」というものがある。それに相当する「線」がひかれていないことが悲劇の元である。車線を意識するような線を引いて欲しい。キャリーバッグを引いている御仁にも邪魔な行為を認識させる助けになるであろう。(キャリー民の大半(90%以上)が邪魔である)


「歩きスマホ」の多くが車線が引いてないので車線を意識できない。左側通行の場合、遅い、どんくさいのは最左を歩くべきだが、半歩右にずれ、車線を潰す事例が多数である。エスカレーターで歩く人の少なくない人が真ん中を歩いている。後進に譲る気はない模様、くそ邪魔。  

邪魔な御仁は馬鹿なのであるが、多くは「自分はモラリスト」と認識しているので教育の効果はない、馬鹿は馬鹿として扱う必要がある。

であれば、整列させるために「路面に線を引く」必要がある。場所により「2列なのか3列なのか」を決定するために。階段では効果的な千鳥は否定して、列を作らせて、前に着いていけない人は左側に誘導する方がいいと思う。

歩くのが遅い人が快適に過ごせ、「歩きスマホ、外部環境理解できない」が右側に出てこれない設備設計が欲しい。

 

個人的には「武蔵小杉駅長」と「保土ヶ谷駅長」の実力差を感じる。

前者はすごくすごく「仕事」をしている、今回の提案とは別に、物理的に困難な部分も顧客を誘導しようとしている様が感じられる。

一方で後者は「仕事が迷惑」レベルである、設備更新は邪魔でしかなかった。その際の手当ては無く、馬鹿だと確信できた、その後の仕事も雑で。駅長が存在しない方がいいレベル、異動してほしい。
保土ヶ谷駅は右側通行と左側通行が混在していて、そのクロス部分で混雑するのであるが、首都圏としては過疎駅でそれを解決できない歴代駅長は無能の極みである。

JRの駅長は「お役所」でそんなもんかと思っていたが、「武蔵小杉駅長」が有能過ぎたので考えを一変した。保土ヶ谷駅長は無能であった、工事期間の混雑を放置していた。そのことを改善できないJR東本社人事も馬鹿である。

 

閑話休題。

人の流れは施設管理者がコントロールできる、するしかない。「歩きスマホ」は無くならない、日本人の倫理観はその程度。では馬鹿な「歩きスマホ」が存在する仮定で制度設計の必要がある。

そのため一案として車道の「車線」を歩道にも設ければいいのではないか。車線を引いて列をコントロールするのである。幼稚園児向けの発想であるが、その程度なので仕方がない。デブとキャリーバッグが1.5人分幅を取るのも邪魔の大要因でもあるし。

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団塊の世代は金を持っているけど、そのうち貧乏な老人が増える

徒歩100mくらいのところに桜の名所(川沿いに1時間くらい散歩できる感じ。ちょいちょい河津桜・八重桜・遅咲き八重桜等も配備)があるんですけど、すごくラッキーです。1か月以上桜を楽しめます、梅が無いのは残念ですが。
引っ越した時には全然気付いてなくて、初桜のときに「結構な規模やな」と驚いた次第です。いいところに住んでいると実感できます。

 

閑話休題標題の件、最近「老害」という単語がはびこっているが、裏を返せば現代の老人が不憫であり、金が無いということに尽きるのではないかと考える。

団塊の世代近辺(70歳くらい)は元気で金があって、現代の孫世代は6ポケッツ(両親、その各々のジジババ)を有していて、まぁ金持ちということである。

ところが現代の20代は「奨学金貧乏」に陥っているとのこと、現代の50~60代が子世代に教育資金を調達できないということであり、急速に貧乏化している実態がうかがわれる。
老害というのは引退世代であって、厳密には65歳以上であろう、そのあたりから貧乏人が増えている、その結果老害が増えているという仮説を提唱したい。
65歳近辺といえば、バブルの頃、無理な住宅ローンを組んでいて、目論見通りに給与・退職金を得られなかった人が多いと思われる。退職金でローンの残債を行ったとか。核家族なのに老後の貯蓄がきちんとなされていないケースが多いと思われる。だから不満を恥ずかしげもなく他人にぶつけるのが「老害」と考えている。

現代の65歳は40歳頃にバブルが崩壊した、住宅ローンを組んだ頃であろう。その後の給与は上がらず、リストラされ、退職金は減った。やさぐれてもおかしくはない。

問題はその後の景気は「失われた20年」と称すほどであった、現在の65歳未満が金持ちであるはずはない。

現代の奨学金問題は、昭和一ケタ~団塊の世代が「親に仕送りして、子供の教育資金を払う」ということを実行していたが、それ以降の世代ではできなくなったということである。若い老人と老人予備軍は貧乏なのだ。

子弟の教育費を負担できないポスト団塊世代は相当貧乏である。この世代が定年退職すると社会不安が訪れてもおかしくない。子世代は両親の面倒をみる能力が無く(稼ぎが悪いうえ奨学金を返す必要がある)、貯金の無い老人が放置される。今後、社会保障費はうなぎのぼりであろう。

 

団塊の世代が作った社会システム「核家族・専業主婦」はパックスアメリカーナを模したわけで、資源が無い日本は遅かれ破たんする。

 

ただその点では悲観する必要はない。金が無い世代では妻が働くことが当然だからである。欧州ではシングルマザーが活躍する(離婚できて働く)のが'70、アメリカでは'80くらいからか?日本も20年遅れで機能している。女性の自立は進んでいる。

 

若者支援は女性が働くことで解消できる。しかし老害の解消は難しい、子弟に学費を払えない親に貯金があるはずがない。貧乏老人が増えるのである。

これはもっと社会問題になるであろう。英国病である。悲惨だ。
これを読み解くと「消費税軽減税率」が合理的であることが分かる。公明党の真意は分からないけど、食品以外の税率は20%程度以上になるということである、そのためには軽減税率(=インボイス制)を導入する必要がある。
弱者を守るためではなく、食品以外の消費税を上げるシステム構築が急務であるということ。軽減税率が導入されたら増税は簡単にできる。(それは良いことだと思っているけど、反対派の論理にはそぐわないとも思う。軽減税率導入が増税反対という主張に繋がるのが理解できない。)

ただでさえ政府のプライマリーバランスは赤字であるが、今後好転する可能性は無い。そこで増税の道筋をつける必要がある。そのための軽減税率であり、インボイス制導入である。

 

閑話休題。将来の増税を防ぐのであれば「軽減税率反対」だと思うのだが、民進党を始めそうではない。民進党は与党ではないので今後の財政には興味が無いと思われる。今後の増税を知った上での軽減税率反対は、「票マシーン」でポピュリズムの権化だと思う。

民進党が問うのはMadMax世界観とデフォルトとどちらがいいかという話である。

 

野党の主張は、家計の財務バランスは安全サイドに振るが国家運営は別。というのは異常である。

 

本記事はいろいろ盛り込み過ぎて「分かりにくくなった」ようだ。元気があれば再編成を試みる。

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女子大生が学費を風俗産業で稼いでいるらしい

標題の件、告発者がいかがわしい。

そもそも男性はその恩恵に属さない。さらに女性なら誰でも風俗産業で働けるという認識なのであろうが、そんなに甘いものではない。
容姿や接客態度で嬢を客が選ぶ。きわめて属人的な職業である。

サヨクは性を「記号」として捉えたいのかもしれないけれど、現実は「量」である。量だからこそ、単価や時給の差異が発生し、「薄利多売」と「風俗店でのアルバイト」が存在する。サヨクの方々の現実無視の態度は驚嘆に値する。

 

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