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財政規律への要望というか雑感

40兆円借りて20兆円返すというのは「おかしい」と定義する。細かい定義は行わない、10年、20年後を考えたいのでざっくりと。

いやはやとにかく「40兆円借りて20兆円返す」はおかしい。今の景気を勘案しているらしいけれど、前の20年景気は上向いていない。結論的に言えば景気復興策は20年失敗し続けたのだ。もう諦めようよ、身の丈の支出で。政府の支出が下がれば景気はさらに冷えるのは分かるけれども、負債の先送りは許されるの?もっと言えば借金を作った世代に返してもらいたい、まだ生きているうちに。相続税と贈与税でしこたま取り上げてくれよ。すくなくとも黒字にしてよ。

技術論(インフレになれば実質返す額は減るとか)は意味が無いというか国債の償却が不安になるという前提でしょ。錬金術は基本は無いということだ。

財政緊縮は多大な景気不安を及ぼすであろう、増税も。20兆円国家が倹約するのだからその分GDPが減るのと同意だし。でも将来に負債を先送りして、さらに負債を増やすのは勘弁ならない。「決めた奴が払えよ」としか思えない。

 

勝手な印象。S&Pが米国債の格付けを下げたことで色々と話題になったど、ロールオーバーが不安なことがニュースになったのにAAA(トリプルA)は論理的にありえないと思った。借り換えが不安になる債券にトリプルAということはなんだってトリプルAじゃない。絶対的な安全性を考えたときに「デフォルト」がニュースになるような債券がAAAはありえないでしょう。それがニュースになるというのはちょっと違和感があった。

証券の金利とは安全性が大元であり、安全性に少しでも不安があればその分金利が上がるのは当然であり、米国債デフォルトがニュースになれば金利が上昇(債券価格が下がる)のは当然だ。理念で米国債や日本国債がさがってはいけないと言うのは理解できない。

 

日本国債は年40兆円発行して、償還は20兆円で、20兆円の赤字である。国債発行量と償還量が逆転した際に円は紙くずとなる、その前にパニックがおきるであろうが。その状態が借金の先送りでも我慢なら無い。借りた奴が返せよ。借金の先送りは世代の変換と同意である。爺さんが借金して、息子が先送りして、孫や曾孫が払うという構図である。親や先祖から遺産を期待できない私としては、企業の衰退とは別に借金創出世代からカネを吸い取れよと思う。

 

「増税の前に歳出見直し」というフレーズは馬鹿の一つ覚えで何も言っていないに等しい、何十年も言われてきたことだからだ。何十年も歳出削減の効果が無いのであれば歴代の首相は無能で、そんなはずは無い。かの鳩山氏が捻出した額を見れば、、、。馬鹿を証明したに過ぎない。

僕は40代で財政再建は自分の年金に多大な影響を及ぼすと考えている、若年層は理解できないかもしれないが負担はもっと大きい。早く赤字財政を解決して欲しい、増税して欲しい。
いいんだよ、利権支出を切れば。生活保護・減反推進費用・農林水産業所業費用など、特定の事業者に継続的に落ちるカネは全部辞めればいい。

 

そういうロードマップが官僚から提出できないのが理解できない。菅政権は官僚がお嫌いだったらしいのであるが、官僚こそ実務レベルで「お得な提案」があってもおかしくは無いと思うんだけどそれは出来ていないと感じる。権益が複雑で出来ないのかしら(=馬鹿なのかしら)。菅氏が正しい?とは思えないけど、国政を任せるほどには知性が欲望にまさるのかしら。。。。それとも全うな提案を出来るのに菅氏が無視したのかしら。僕は後者を信じたい、頼むよ官僚。

 

財政規律に官僚が反対した形跡は理解できるけれども、結果は惨敗で毎年20兆円の赤字である。

 

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政党制と党首選定と党首イニシアチブについて

青臭く原理原則論を述べる。政党はマニフェストを掲げ、党首はそれを実現することに努力するということだと理解している。ところが党首のパーソナリティで基本的な政策運営が変わると言うのが理解できない。

もっともある党の「マニフェスト」に完全に同意できることは皆無というかありえないので、投票者もある意味「マニフェストに固執されても」困るであろう。提灯記事的な理想論や理念で優先度と色々とマニフェストを遂行することが難しい。というかそんなものに拘泥されても困る。とはいえ基準というものがあるはずで、それはマニフェストだ。

思考的に「マニフェスト」の取り扱いは難しい。実現不可能であると思われる。ある案件を熱狂的に指示して投票した人も居るであろうし、財政健全化の主張は増税が不可欠であろうし。全てを満たすことが出来ないマニフェストであることは誰にも明らかであろう。その不完全なマニフェストの取り扱いが「党首を選ぶ」ということらしいのだがそれが本当だと思っている人は居ない。今回の民主党総裁はある意味政局で、政策で決まったと思っている人は1万人も居ないであろう。

 

民主党のリーダー選出システムというのが破綻していることは2012年初頭頃には明確であろう。鳩山氏・菅氏と独裁的であって、党や官僚と政策を煮詰めた形跡が感じられない。野田氏が利害調整型のリーダーだとしても民主党側に受け皿が無い。逆に言えば受け皿が無いから鳩山氏や菅氏の独走を許したといえる。小沢憎しで野田氏を選出した手法が象徴している。政策ではなく野合だ。

茨なのは野田氏だ。

「俺のおかげでお前は首相になれた」と主張するのが3人も居る。前原氏なんぞは国民人気が高いらしいけどセキュリティが甘甘で脇が甘い。そんなスネに傷を持つ奴から舅みたいなスタンスで意見されたら野田氏も困るであろう。とはいえ党をまとめて政府に意見具申することはあるので、、、誰が幹事長(党運営執行部)をやるのかしら。

 

話がずれる。僕個人的には菅氏の政策に違和感は割りと無かった、震災復興も上手くやっていたという印象がある。なんであれほど人気が無かったか政策面で見れば不思議だと思っている。菅氏が駄目な点は「リーダーシップ」を発揮したことではないかと思う。独善・独裁は「リーダーシップ」だと理解した。昔から言われていた「リーダーシップ不足」は菅氏が綺麗に払拭してくれたと思う。その意味で鳩山氏・菅氏はリーダーシップということを再考させてくれる教科書的なリーダーだと思う、いやいい意味で言ってるんですよ。

批判は誰にでも出来ます、後出しじゃんけんだし。手法や理念は共感できなかったが、菅氏は割りと好きだった、人気の無い小泉氏みたいな。野田氏は苦労すると思う。まぁ自民党がくそなので無視するという方法論がいいと個人的には良いと思う。(震災時に政局に持ち込む神経は良心が欠落している。人であることが疑われる。そのことを絶対に忘れない、鳩山氏小沢氏人に値しない。)

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決断によるコスト

地震後の原発再開は難しいと思っていた。理念として原発を再開できないのではなく、故障等の小さな事件が経営に色々な圧力を与え、経営は無難に乗り切りたいと思うと感じるからだ。政府や世論は原発再開に難色を示しているのだから当然である。電力会社幹部も世論も古い原発は再開したくないのだ。ちなみに供給能力の義務があるらしいので、新型の原発や津波の被害が想定しにくいエリアでの稼動は望んでいるかもしれない。どちらにしても当事者で無い馬鹿な国民や政府よりも電力幹部は真面目に考えていることは想像できる。

また電力幹部は「世論や政府の圧力」は費用転嫁と至極当然の論理だと考えているであろう。国民と政府の要請に従って原発を再稼動できないのだからそのコストはそれを望んだ人が払うのは当然の論理だからだ。おまけに電力会社は半公務員なので、かかった費用が収益であるということ。仕入れの努力は出世の妨げになるのだから仕方が無い。その代わり安定供給に絞った命題には優等生である。政府が統括する企業がそうなるのは仕方が無い。それが嫌であれば完全自由化を望めば良い。そのデメリットはすごく大きいけど。

これは東電に限らない話だ。東電も原発事故の費用を転嫁する意図で無いことは明確だ。

 

東電10%値上げ打診、他電力会社に波及も(読売新聞) - goo ニュース

国民の多くは原発再開を望んでおらず、脱原発・減原発を望んでいたと理解している。まぁこれは理念の類であるが、その理念のためには「電気代が上がっても払う」というコンセンサスがあったと理解している。家庭の電気代が1千円上がるだけでなく、就業先の企業の収益性ダウンも当然カウントされているであろう。政府や国民が難色を示すのは言い掛かりもいいところである。

経団連もこの結果は容易に予想できたであろう。低価格での安定供給は原発抜きではありえないことを知っていたが積極的な発言は無かったと理解している。消極的には述べられていたが。

 

電力価格上昇の結果、日本の企業は収益性は下がることであろう。重ねて言うが国民が望んだ結果である。今からやばさを実感したのであれば電力会社の電力料金上昇要因を下げる世論を形成する必要がある。

電気代上昇が雇用や生活に響くのであれば。簡単に言えば「原発再開」を望むことだ。

何も言わなければ世論調査が国民の希望となる、経団連も早く言いたいこと言え。

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NPO法人代表が学者の肩書きで理念を述べるのは反則な件

今NHKスペシャル(8/27)を見ているんだけど、飯田哲也氏が理念を中心に述べていることに疑問がある。他のパネラーはある意味馬鹿な科学者であり、馬鹿とは正直だと言うことだ。飯田氏はまぁNPO団体の代表なので理念的な面があるのは分かるけど、そのNPOは「科学者」を印象させる名称でその是非は重大だと思う。情報へのコメントも「あえて重要な情報を欠損した事例」を述べる。

彼は韓国の電力料金が安いことに言及して、韓国電力公社が赤字であることを(当然専門家であれば)知っていながら、隠蔽している。飯田氏は情報の取捨選択を理念で行っている。彼はオピニオニストであり科学・統計学・財政的事実から公平ではないことは明らかだ。

理念的であることが悪いわけではない、科学者としての立場で理念を発し、視聴者を取り込もうとする行動に違和感がある。彼は明らかに不正である。

科学者は事実を持って解析すべきであろう、その指標は発電であればコストとCO2であろう。例えば反自然エネ派が主張するバードストライクは小さい話だ。反論として挙げるには弱い。同様に反原発派が述べる「廃燃料の処理施設」も今後人類が数十年は住まないエリアが多数有るのだからそこに埋めれば良い。日本海溝に沈めても何の問題もないであろう。

 

 

この手の話題は理念が絡むから議論が平行線になる。だって論者は結論が決まっているので、相手を言い負かす議論となりがちである。議論とは「相手の論理に納得できればそれに従う」ということが前提であるはずである。その前提がないのだから議論をすること自体が無駄である。現か元か分からん首相が理念主義なのでまぁ日本のレベルはそういう程度である。

 

この番組では「原発廃止」という前提が敷かれているが、何故原発を廃止しなくてはならないかという論理は語られない。事故が起きればコストが多大なのでもう無理というような流れなのであるが、保険で逃げられるというような話は無い。廃燃料処理代と補助金と事故保険料が原発コストに乗じられるのは当然である。しかし自然エネのバックアップの石化発電とCO2クレジットのコストも乗じられるような議論は無い。理念に引っ張られている。その上、コストアップは事業者は飲めないという正直な意見もあるけど軽くいなされる。

飯田氏以外のパネラーはリアリストでデータで話しているのは好ましい。電事連(電力会社関連業界団体)の人などは事実ベースでしか語らない、面白い。ゲストが理念で挑発しても事実でしか語らない。多分、ゲストは「勝った」と思ったかもしれないけれど、事実の方が重いことが事実だ。

でもである。原発推進というかニュートラルな人に注文がある。反原発派が無理筋変化球で攻めたとしても、返しに変化球はなじまないと思う。例えば雇用への言及や補助金の有用性とかは変化球である。いんちき環境派はCO2排出を安く見積もったり、自然エネ(風力・太陽光)がバックアップ発電が必要であることを安く見積もったりするけど、その知性の軽さに付き合ったら負けだと思う。
ちなみに僕は環境的には割りとニュートラルな位置づけだと理解しているのですが、反原発派の馬鹿さ加減に辟易しているとも理解してください、低レベルな議論だけでなく飯田氏を含めの理念派に対してです。理念のドヤ顔は大嫌いです。

 

まず既存のインフラがあってそこを改良するのは事実が重要である。そこを理念で切り抜けられると言う主張は空論としか聞こえない。飯田氏だ。常にバックアップを考えない希望的なコストダウンを前提とした議論は「馬鹿じゃないの」としか思えなかった。

ちなみにまだ番組放送中ですが、馬鹿馬鹿しいのでここで打ち切ります。

 

最後に。

理念的なNPOでもNGOでも、政治的主張は許されると言うか積極的に行うことに違和感はありません。しかし科学者は事実と向き合うべきであり、科学者と政策論者とは別個だということを裏切っている飯田氏はオピニオンであり科学者では無いでしょう。

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誰が首相でも駄目な件

今日の大雨は僕は軽く行き過ぎたようだ。ほとんど被害を受けなかった。本社に出張だったのだが奇跡的だ。

 

過去4人の首相はそれなりに信任があったと理解している。安倍さんは当初国民に人気があったし、福田さんも手堅い印象と党内人気が無かったわけではない、麻生さんも選挙の顔で選ばれたわけだし。民主党も熱狂的な政権交代の顔であった鳩山氏、菅氏もそれなりに。

次の首相は与党を御せないことが明確となった。また民主党は独裁の伝統があり、党を御するリーダーが歴史的には居ない。自民党と比べ寄り合い所帯の経験が少ないと言うことであろうか。

次期首相が前原氏であろうが海江田氏であろうが、どちらにしても党内求心力が望めないことは明白である。党内統治を行えない前原氏はもう既に独裁傾向を滲み出している。調整型ではなくて唯我独尊系だということか。対立候補の海江田氏が勝てたとしても傀儡な上、大多数を抑えられないのだから、、、、。

 

ということは企業や国民は政府に期待しないことが重要となる。まぁ所詮政府というのは金持ちからカネをふんだくって貧乏人に配るのが仕事なので、何もしないのはいいことなのかもしれない。借金を積み上げるのは我慢ならないが。再生エネ法は何もしないのが一番だ。

 

ちょっと脱線。日本という国は法治国家というか政令・省令国家で、業界は官僚が調整しないとブレークスルーな活動は全く出来ない。業界が利益損失を認めたくないので、業界が自主規制を先に作るぐらい日本はエポックメイキングは存在しない。業界が悪いのか官僚が悪いのかその両方が悪いのか、それらを批判したらカネになるマスコミ対策という性格を持つためか、マスコミが悪いのか。まぁその基本的な主体は国民であり、官僚や業界やマスコミを批判しても仕方がない。これらは国民の鏡だからだ。

典型的なのは瓦礫処理で、僕個人は燃やせば良いと思っているのだけれど法律(?)・省令で出来ない。

 

陸前高田市長が嘆いていたけど「条例で何も動かない」と。この怒りは理解できるんだけど行政執行者が言うことでは無いと思う。いやだからこそ「菅氏の対応が遅れている」という批判は馬鹿でしょということ。

 

結論じみたもの。国家はいわゆる決断は出来ない。与党内の調整が出来ないのだから野党との調整が出来るとは思えない。

で、今は楽観的な国債消費であるけれど、特に今日の日経では銀行預金が増えていると言うことなので短期的には日本国債の消費は問題ないでしょう。で、いつロールオーバーが不可能になるかという期日は絶対に存在するので、、、。

すごく疑問なんだけど。米国債の格付けをS&Pが格下げしたことがニュースになったけど、紙切れになりきる可能性が一瞬でもあった債券がトリプルAはありえないでしょう。議会がチキンレースをしていたのは分かるけど一瞬でもデフォルトの可能性がある債券が格下げしたのは当然でしょ???

 

戻ります

党内でのコントロールが利かない次期首相はリーダーシップ(民主党用語で言う独裁)は発揮できないし、党内議論が進むとも思えない。まぁ日本国民としては議論が出来るリーダーを選べない不幸は続く。

 

素朴な疑問。参議院は必要なんですかね?参議院は良識の府ということらしいんだけど、その感じを受けたことがない。政局大好きという認識。政治家だって基本は個人の名誉を重んじると認識していて、それはそれで高尚な政治戦略や政治指向があると感じているんですけど、参議院が全部潰していないですか?サタンだと。

参議院議員は任期中は首にならないという強烈な利権を有しているので、それ相応に利権を剥奪する必要があると思われます。

 

ごめんなさい。ぐだぐだ言いました。次期首相は余程困難な仕事が待ち受けています。党内の助力も限定的な上、参議院対策も必要です。

可哀想に、でもがんばってください。

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現金決済を認めるということ

脱税や汚職を払拭できる簡単な方法がある。小額決済は別にして、例えば100万円以上はカードか振込みに限定して、その額を超える取引はそれだけで犯罪だと認定すればいいのだ。
ちなみにこの方法は個人事業主が脱税することに対しての方法論としては適当でない。あくまで地下のお金や汚職を想定する取引を取り締まれる程度。

例えば陸山会の問題も現金取引だから生じた問題だと思う、仮に小沢氏が真っ白でも『何故数億円という処理を現金で行ったか』という理由が不正を想じるわけで、限りなくクロである推測を得るのは仕方がない。

お金の流れを電子記録で追えない多額決済を認めなければ(クロ認定にすれば)、徴税コストはかなり減ると思う。反対する理由も見当たらない。

僕は小額決済による脱税も視野に入れた方がいいと思う。日本の法人の殆どは赤字で税金を払っていないらしいので、彼らから徴税する方法論を構築すべきである。もちろん、節税の結果の赤字は許容すべきであろうが。
個人商店が仮に本当にどんぶり勘定で出納が分からなくても、取引先の問屋(卸)との取引が明確であれば徴税は出来る。

 

要は電子時代であれば徴税システムは激変すると思うのだ。というか既に激変しているのかもしれない。

 

という考えを持っているので、現金決済を優先する御仁は脱税指向が高いと思う。その点を突っ込めると面白い気がする。

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他にも重要な話はあるんだけど~吉本の対応

島田紳助さんが突如引退されました。紳助さんが自発的に辞めたと言うよりも、吉本が辞めさせたと考えるのが適当だと思います。

そこで疑問なのはスケジュール調整を一切していないような感じがするということです。既に収録した番組もあったようなので、その補償は結構大きいのではないでしょうか。

 

吉本の昨日の時点での選択肢は「TV局と調整して損害を低くする」というのが普通だと思います。顧客であるTV局に迷惑を掛けないことが一番大事だからです。
ところが吉本はその選択を出来なかった、時間が無かったのでしょう。引退の調整局面で引退理由が漏れることも結局TV局・スポンサーに迷惑を掛けるということも想定されます。

 

とはいえ、吉本は編成を無茶苦茶にしてでも(結構な迷惑をかけてでも)引退を強行させました。

今日の週刊誌2誌の広告で「黒い交際」が載っていました。これは決定的な問題なのかという疑問があります。結構な迷惑を掛けるほどの内容だったのかという疑問です。

発覚してからTV局がスポンサー様に説明という段取りでも良かったような気がします。

 

ここから妄想が爆裂します。彼は逮捕されるのかという妄想です。さすがに紳助さんの番組放映中にテロップで「島田紳助さんが逮捕されました」ではまずいことだという判断です。

妄想でした。

 

追記)

ゴシップサイトには吉本側が謹慎や休養案を示したとのことです。そうであれば紳助さん個人が補償を行うと言うことを意味します。
それが本当であればそうまでして貫く彼なりの正義というものがあるのでしょうか。付き合いを止める気は無いと言う宣言なのでしょう。

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グラビアアイドルはグラビアアイドルなのかオフセットアイドルなのか

標題の件、ネタなんですが

【gravure】 写真製版法による凹版印刷。他略(大辞林)図はグラビア印刷の原理図です。

グラビアとは印刷方法で版の値段が高い、最低印刷量が多いという特徴がある。いわゆる写真集は本当にグラビアで印刷しているのかという疑問があったので、二人の印刷屋に聞いてみた。すると答えが真逆でどっちなのかと。

 

グラビアだよという人が言うにはでかいグラビア版に多くの頁が割り当てられていて、両面に印刷して折を施すと製本できるそうだ。ページ数が多ければ版も多いのであろう。

一方で実はオフセット印刷だからオフセットアイドルだよという人も居て。

確かに現在のオフセットはおろか、凸版・フレキソでも印刷技術は目覚しいものがあってびっくりすることが多い。

 

ちょっと解説するとグラビアは「彫刻」を起源とした印刷用語で、写真集がグラビア印刷で行われることからグラビアアイドルという名称がついた。ところがグラビア印刷は版が高いことと、ロール印刷なので少量ロットに向かない。多くの写真集がそんなに数が出ないとすると、グラビア印刷を行うメリットは小さいのではないかと思うのだ。

というのは雑誌などで採用されていると思われるオフセット印刷の表現力は近年素晴らしく、その上、見当(版毎のずれ調整)は楽だし、1ページごとに印刷できるというメリットがある。小ロットに適しているわけだ。

表現力は優れていて、小ロット対応可能であればグラビア印刷を行う必要があるのかという疑問があって、印刷屋に質問したのだ。質問相手は印刷屋ではあるけれど、出版業界ではないのでどちらも正しい可能性があるし、グラビア派は古い情報の可能性もある。

 

教科書的にはグラビアはインキを盛れるというのがある、黒の表現力が高いとか。

 

まぁ写真集を顕微鏡やルーペで見れば分かることなんだけど(レーザ版と打刻版の区別がつかない程度に素人なのでかなり怪しいですが)、そのために買うのも抵抗があるわけで。どうか教えてください。

彼女達は『グラビアアイドル』なのか『オフセットアイドル』なのか。

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笑える応用の利くコピペ

池田信夫氏が秀逸な置き換えを提案している。

朝日新聞の主張する「東条英機の論理」~アゴラ(池田信夫)

本文から引用しよう

引用~
脱原発を考えるとき、私たちは同時に二つの問いに向き合っている。 

 (1)原発をやめるべきかどうか。 
 (2)原発をやめることができるかどうか。

多くの場合、議論はまず(2)に答えることから始まる。原発をやめる場合、再生可能エネルギーには取って代わる力があるか。コストは抑えられるか。 [・・・]これらの問いへの答えが「否」であれば、「やめることはできないから、やめるべきではない」と論を運ぶ。

できるかどうかをまず考えるのは確かに現実的に見える。しかし、3月11日以後もそれは現実的だろうか。 脱原発について、できるかどうかから検討するというのでは、まるで3月11日の事故が起きなかったかのようではないか。冒頭の二つの問いに戻るなら、まず(1)について覚悟を決め、(2)が突きつける課題に挑む。福島の事故は、考え方もそんな風に「一変」させるよう迫っている。

これを池田氏の言う東条バージョンだと

日米開戦を考えるとき、私たちは同時に二つの問いに向き合っている。 

 (1)戦争をやるべきかどうか。 
 (2)戦争に勝つことができるかどうか。 

多くの場合、議論はまず(2)に答えることから始まる。戦争をする場合、米国に勝てる戦力・補給力があるか・・・これらの問いへの答えが「否」であれば、「勝つことはできないから、戦争はやるべきではない」と論を運ぶ。

できるかどうかをまず考えるのは確かに現実的に見える。しかし戦争について、できるかどうかから検討するというのでは、まるで鬼畜米英を放置すべきだということではないか。まず(1)について覚悟を決め、(2)が突きつける課題に挑む。大東亜戦争は、考え方もそんな風に「一変」させるよう迫っている。

~引用終わり。

 

じゃぁ僕も悪乗りして

食料自給率やエネルギー自給率を考えるとき、私たちは同時に二つの問いに向き合っている。 

 (1)食料・エネルギーを輸入すべきかをやるべきかどうか。 
 (2)食料・エネルギーを自給できるかどうか。 

多くの場合、議論はまず(2)に答えることから始まる。エネルギーを使用する場合、国産自給で賄えるかどうか・・・これらの問いへの答えが「否」であれば、「勝つことはできないから、自給を目標とするべきではない」と論を運ぶ。

できるかどうかをまず考えるのは確かに現実的に見える。しかし食料不安・エネルギー不安について、できるかどうかから検討するというのでは、まるで国民の不安を放置すべきだということではないか。まず(1)について覚悟を決め、(2)が突きつける課題に挑む。食料・エネルギー自給率向上は、考え方もそんな風に「一変」させるよう迫っている。

 

理念で方法論を縛る馬鹿さ加減を揶揄したものだが、なんで理念でまず決めるんだろう。

今回の原発事故で学んだのは(1)原発は事故が起きると被害額が大きい、(2)人的被害は殆どない、ということだ。まぁ誤解を恐れずに言えばカネで済む問題だ。ということは保険が整えば原発再稼動はできると考えるが政府も金融市場もそういう動きはない。保険料を上乗せした発電コストを考えれば「原発発電コストは安くは無かった」などと根拠を膨らました議論は無くなる。

人命に多大な影響を及ぼす、飛行機や自動車が許されて、被害金額はでかいが人命には影響が無かった原発が許されないのは全く理解できない。可能性を最大限斟酌した被害を恐れている人をもう放って置いてもいいのではないかと思う。

理念を否定する気はない。合理的でない理念は無視してもいいという主張である。

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民主党の総裁選で政策論争が起きないわけ

国会議員限定で行う総裁選で政策論争が起きないのは当然でしょう。プロフェッショナル同士、お互いの主張はある程度認識しているでしょうから。あとはポストの配分と影響力の行使のバランスでしょうか。

素朴な疑問なんですけど、菅総理が言い放った「脱原発」に対してコメントが少ないこと。そのわりには再生エネ特措法には賛成すること。ということは将来は混沌としますねぇ。与党で連立への拒否感とマニフェストの推進を表明している総裁候補が多いようですが、菅さんが辞めたら上手くいくという思っているのであれば相当のお花畑ですね。まぁ野党との闘争材料と考えているのでしょうけれど、でもそのカードは現在の菅総理にもあることは忘れてないですよね。

僕自身が与党に連立を模索して欲しいとは思っていません。今の民主党は総裁が独裁を行うと言うのが鳩山氏と菅氏をみて明確になりました。だから誰が総裁になっても独裁を志すでしょう、党内に内閣を御する機能がないので当然ですが。次の総裁は立ち位置が弱いので民主主義をしてくれるかもしれません。まぁそういう希望的観測を。

 

沈黙の野党なんですけど、2年後には政権がこっちに来ると思っているらしい、だから連立には拒否感がある。でも忘れませんよ、震災後のごたごたで「問責決議案を出したこと」を。

 

じゃぁお前はどういう立ち位置なのかという突込みがあるとしたら。。。

僕は菅総理がある意味「リーダーシップを発揮した」と思っている。そしてそれは「独裁」であるとも感じている。矢継ぎ早で判断しなくてはならないのが「リーダーシップ」であれば、それは「独裁」になるのは仕方がない。その結果としては概ね歓迎できている。判断・速度・内容。僕個人では再生エネ特措法は大間違いだと思っているし、原発への対応も間違っていると思っているけれども、その問題は個性として理解できる、国民の支持率も高そうだし。政策で人気だけれど個人で人気ないって珍しい宰相だと思う。

 

鳩山氏は根拠無い思い込みで、「リーダシップ」として辺野古をひっくり返した。菅氏は短期的に原発を停めてしまった。どちら独裁だと思う、鳩山氏に理念があったか疑問だけれど、菅氏には理念として反原発があったであろう。政府のきめ細かい対応で夏の電力ショートは回避された。

次の宰相は支持背景が希薄なので独裁に走ることは少ないと思う。しかし(政策判断が遅くなったとしても)独裁に走るようであれば、、、ちょっといろいろ悩む。政局好きの自民党には任せられないのは自明だからだ。

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陰毛ネタについて

一度アップして削除した、陰毛ネタというか毛ネタです。

まず一般論としてスネ毛や腕毛は処理するエチケットがあるかどうかです。白人にありがちだと思うですが腕毛ボーボー、スネ毛ボーボーは僕にとっては「ちょっと」という感覚を感じます。剃っても脱毛してもいいのですが、黒い毛が存在感を主張したり、馬のタテガミのような毛はちょっと引きます。まぁ日本人には少ないと思っているのですが外人のヌードモデルとか気になります。

男性の立ち位置ですが、女性ごとに嗜好が違うと認識していまして、その女性の好みの対応を日本男児は行えばいいかという認識です。クロップドパンツが認知された現代では毛ボーボーはどうなんですかね?

 

こっから飛躍します。女性器を口で愛撫する際には、大陰唇付近の陰毛はかなり邪魔で、綺麗に整えるといろいろと良いと思うのです。例えば(見たことがない事例を例に挙げるのは心苦しいのですが)ストリップ嬢は処理をしていて大変魅力的であり、そこを見に来る観客が多数だと聞いています。

 

ここで本題です。男性で無駄毛処理はともかく、陰毛処理をしている人は多いのでしょうか?どういった処理を行えばよいのでしょうか。僕が例えば女性の性器に口唇で愛撫する際には陰毛は整えて頂いた方が良いと感じます。同様のことをパートナーというか相手に感じさせないように男性としての陰毛処理はどうすればいいのかという疑問が生じたのです。

自分の性器をくわえてもらうためには自分の陰毛処理が必要なのかという疑問があります、もっといえば腕やスネ、ムネはと思うわけです。

陰毛処理サイトを紹介していただけるといいとおもうのですが。一方で今後その手の経験がないと思われ、無駄な心配だとの意見も有ります。

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「歩行者右側通行」の意味、原則左側通行の意味

東南アジアの出張が割りと多い。3年で2箇所7回だからそのエリアでは色々とクルマ事情に考えさせられることがある。

例えばバンコクでは渋滞の絶対量がここ十年で減ったと個人的に思う。10年前のタイはバイクが多くてインフラが脆弱だったけど、市街の中心地が旧市街地からサイアムスクエアに移って、市内交通システム(新交通システムと地下鉄)や高速道路が整備され、空港までの鉄道も施設された、クルマの台数の増え方よりもインフラが整備されて渋滞は減ったと言う印象だ。再開発が全く進んでいない王宮~中華街あたりは全く変わっていない感じがするけど。

ジャカルタはまだインフラも道徳も整備途上な感じ。昔、首都高が2+2=2は有り得ないというような渋滞に対する批判があった。ジャカルタでは2+2=2ではなくて、2+2(+路肩1)=2(+路肩1)で、もう合流のお作法は滅茶苦茶で、「頭を突っ込んだが勝ち」でそれ以外はルールが無いので、本来流れるレーンも合流渋滞のとばっちりを受ける。日本人だって終戦直後での電車事情では「馬鹿正直に並んでいたら乗れる」というのは無いらしいのは理解できる。それが「待った方が得だ」という知見を共有して、まぁ現在でもラッシュ時(特に遅れがあったとき)はきちんと整列乗車をする。日本人偉い。

ともうひとつ日本の高速道路では「右側レーンは追い越し車線」で、後ろからきたクルマには譲るという大前提があると認識している。駄目な人も多いけど。その手の文化は無いようだ。路面が荒れているのでスピードを出すと不快であるというのもあるかもしれない、でも交通文化はおしなべて成熟度は低い。

 

で、日本でも割と問題化されている箇所がある。「歩行者の右側通行」である。これは法律で明文化されている。なので私有地で「ここは左側通行です」というメッセージで頑なに右側通行を強行して迷惑を掛けた場合の論理的な意味は不明確になる。(誰かと誰かがぶつかって訴訟を起こして明確にしてくれると良いと思うんだけど)

「歩道を左側通行で走っている自転車」と「歩道を右側通行で歩いている歩行者」が対面したときには同じ方向に避ける。その結果、事故になったときにはどちらが悪いのだろう。

また話は脱線する。そもそも日本は左側通行である。士族は刀を前に斜めに括り、右に持ち手、左手に鞘が出っ張ることになる。右側通行では外に出っ張った鞘がすれ違う時に、鞘が当たってしまうので「鞘当」という単語が生まれた、左側通行をしていれば問題ないところを「ヤクザや浪人が問題を起こすために右側通行を行い」喧嘩の種を作ったということだ。本来日本は全て左側通行なのである。

まだ歴史が続く。前述のように英国にかぶれたから左側通行で無いと言うことだ、当初日本はインフラ設備の先生として英国と独国を指向したが、交通ルールの基本原則は従来どおりを世襲したと考えるのが妥当であろう。警察システムの模範を英国に求めていたことは重要であると思うが道路システムがそこまで未熟でない日本が、単純に英式を導入したと考えるのは疑問がある。要は日本は伝統や必要があって左側通行を採用したと言うことである。

時代は下り、昭和の時代でも人間の命は安くて、ドライバーが安全を心がけるか、轢いたほうが安いのかという変換点があった。そこを政府主導で「人は右・車は左」というスローガンが出来た。後ろから轢かれるのを避けて、前から来るクルマを避けようと言うキャンペーンである。このキャンペーンは「人を轢く気遣いよりも、轢いた結果が大変だ」ということとセットで行われ、多大な利得を得た。

 

今は「自転車」という存在と、人が集まるショッピングモールや駅などの施設での考え方であろう。

まず自転車は歩道を進行する権利がある程度ある、前から歩行者と遭遇した場合自転車は「左側通行者として左に避けるか」、相手(歩行者)は右に避けるので、例外的に右に避けるかである。

お互いが原理原則に従って避ければ事故が起きるわけで、その責任は誰が取るのであろう。一回やってみようかな、顛末を知りたいし。

というのは本質は「歩道を2列以上で占拠する」団体と出くわしたときのことである。法律は右側通行なので向かって右の男が避けないのであればぶつかって、倒れてワメクとかわくわくする。左でもいいんだけど。こちらの進むべきスペースが無いように道を占拠する歩行団体へ喧嘩を売るのは楽しいかも(僕はビジネスビル勤務なので、こちらに非がなければ騒ぐのは面白い)。こっちが倒れるとか、(寸前に避ける人に)肩をぶつけてひっくり返るとか、、、。

 

ちょっとずれた。僕の歩行先のスペースを確保してくれない「広がり団体」への嫌悪感がベースにあるようだ。じゃぁ、積極的に喧嘩を売ったらどうなるか実験してみようかと思う。

 

だからこそ、原理原則を「左側通行」にして欲しい。

 

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大企業の社員の硬直性と個人企業の営業戦略

ベンチャーや中小企業の社長に求められるものと、大企業部門長に求められるものは全く異質な世界だと思う。ベンチャーは経験無いけど。

片や事業管理(企画を含む以下同)・営業(販促)・生産(工場・生産管理・生産技術)・技術(設計・研究)・経理(与信・資金)・総務(法務・人事)と万能であることが必須だが、大手企業の構成員は分業によるスペシャリストであることがメリットなので方向性が全く違う。それは良い悪いの問題ではなくて志向性の問題だ。

例えば僕が同じ業界の中小企業社長の一人娘と結婚して、「会社を手伝ってくれ」と舅に言われてもそれは無理というものだ。僕は上記の技術・研究しか知らない。他の分野は頭では理解できることも多少はあるが基本は知らない。無知識である、こんな奴はせいぜい技術担当しかなれない。会社を手伝うなどとても無理である。そもそも企業の優位性は分業にあり、サラリーマンは専門性が飯の種なのだ。

 

で素朴な疑問なんだけど、個人商店や街工場はこれらの事業管理をどのように行っているのであろうか?例えば大田区の町工場の技術力を宣伝されている。技術力が傑出していれば事業としては儲かるであろうし、市場が小さい場合には事業管理をアウトソーシングして(大手企業に身売りをして)、独自の技術をさらに磨くと言う選択があると思うのだけれどそうはしていないようだ。まぁ言っては悪いが彼らは中小企業のオヤジで社長であれば(男はつらいよの)寅さんの印刷工場社長(小さん)のようにそこそこ儲かっていても従業員(前田吟)はカツカツなのであろうか。彼らはどういった事業計画を立てているのであろうか。

中企業サラリーマンとしては興味がある。また社長がスーパーな人で上記の項目を独りか二人で行っているのであろうか?

シリコンバレーのベンチャーはある程度の事業計画が見えると大手に身売りをするというイメージがある。創業者利益を得ると言うビジネスモデルだ。

 

かなり脱線する。映画男はつらいよの前田吟は小企業の印刷屋のオペレータである、映画を見るに給料はあまり良くない、貧乏だ。一方でたこ社長は金持ちではないけれど貧乏ではないようだ。前田吟は印刷オペレータとしての転職能力はありそうだけれど、独立や転職をを考えた形跡は無い。転職市場では「印刷オペレータ」ということでは市場が安定しているということであろう。職務に対する賃金は今と変わらず市場が形成されているのであろう。

一方たこ社長は割と裕福である。小企業は社長が営業であり、技術者が「給料が安い」と文句を言ってもどうにも成らないのであろう。

 

話が発散している。企業の経営者幹部は万能性が求められるのであろう。中小企業で幹部候補生として就職した人はその手のスキルを求められるであろう。一方で大企業に就職すると言うことは専門性を磨くと言うことになる。将来独立したかったらその選択は自明である。また後者が企業を渡り歩くにはその専門性しかないということだ。

大企業に就職してその専門性に違和感があるのであれば、さっさと船を降りた方が良い。若いうちに飯の種の方向性は決まるという事実は甘受しなくてはならない。

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なんでも『政府が悪い』ことになる件

セシウム牛は政府の管理が悪いってことらしいんだけどさっぱり意味が分からない。

こういうこと言う人は箸の上げ下ろしにも、、は冗談としても放射線リスクが懸念される事業におけるありとあらゆる決済を社長ではなく、政府に求めているのかしら???政府にお伺いを立てない方が悪いのか、全ての事業に政府が通達を出さないと経済活動をしてはいけないと言うのか、全て検査の上出荷せよという主張なのか。どれも通常の事業者は飲めない条件だ。特に売価と同じ程度に納期が優先される、工業製品・生鮮食品は事業自体の否定である。米のようなある一定時期に収穫されて徐々に消費されるようなものは論理としては検査可能であろう。

『政府が悪い』と言う主張は『被災地は経済活動をするな』というのと同意である。そんなことを言った覚えは無いって?そう言っているのと同じだから。あなたにその気は無くても。

過去のエントリーで酪農家と畜産家の危機管理の違い~だめリーマンの思考法で述べたが、牛乳業界・養豚業界・養鶏業界はすぐさま飼料の放射線濃度と製品(牛乳・豚肉・鶏卵)の放射線濃度を測定し、建屋窓は目張りをして、高らかに安全宣言を出した。これは業界の危機感というか結束度の現われと見ていいと思う。飼料しか食べさせない業界ですらこうなのだ。

ところが畜産家は放射性物質が付着した稲藁を飼料に混ぜた。まぁ当然放射性物質はある期間牛体内に残ることになる。個人的な感覚だと偽カリウムであるセシウムを一旦取り込んでも半年くらいで代謝されると思う、かりにヨウ素でも半減期は8日足らずなので半年異常が無ければ全く問題ないと思う。その半年かそれ以下の期間の飼料代を払ってもその費用は相殺されないと言うのであればまぁそれもそうかとも思う。

何がいいたいかというとセシウム牛は政府の責任では無いということだ。遠因とすれば、東電が放射性物質をばら撒いたことに一義的な責任はあると思うけれど、そのようなことは割りとあって、「私達は無知だったので全部補償してください」というのは関係者には酷だが無理筋であろう、まぁ一部というところが妥当であろうし、そういうことで決着が着きそうだ。

 

脱線します。『政府が悪い』というのはよく聞くフレーズだけど、理解できないのが8・9割だと言う印象がある。復興が遅い、瓦礫が片付かない、子どもの命を粗末にしている、等々。全て言い掛かりというかカネを払わないクレーマーだ。根拠が全くもって希薄な上、「じゃぁどうすりゃよかったのよ」というレベルだ。そのレベルの世論がインターネットや口コミ、報道でも繰り返されている。クレーマーはカネを払っているからまだしも、世論はカネを払わず言い掛かりをつける、増税が嫌いでカネも払わない。

今朝TVで「増税の前にやることがある」と与党系の政治家が述べていたが、30年前にも同じコトを言っていました。中曽根・竹下総理が消費税を導入する際には所得税の減税をセットで行い、国民はバーターの取引を行い、結局国民はカネを払わずじまいでした。5%に上がったときも『福祉目的』という老人優遇政策をセットに入れて国債の発行額は全く減りませんでした(竹下登元首相を除く)。

馬鹿ですか?30年全く成長できない馬鹿ですか。次元の違う話を持ち出して優先度を述べるのは感覚であり知性ではありません。同時進行で出来ない理由はなんですか?

選挙票?失礼しました。国民の民度の鏡ということですね。松沢さん失礼いたしました。
そういえばイタリア首相のべルルスコーニ氏が話題になりますが同様のことは起こっているんでしょうね。買春の方が、思いつきで基地政策を約束したり、原発廃止とかよりは許せます。でもまぁ無理か宇野宗祐元首相は政策以前に降ろされてしまいましたね。

 

8/23追記
ここんとこタイとインドネシアに出張に行ったのだけれど、両国とも消費税は10%でした。所得税や法人税・固定資産税などのことは分かりませんが、途上国(タイは途上国か?)でも消費税は10%である。今の民主党政権が人気ないうちに上げようよ。

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原発反対屋は戦争を望む件

原発反対派の少なくない派が環境保全との親和性が高いと仮定する。僕が環境屋だからである。環境屋は理念的な側面があって、損をしても理念を突き進む傾向がある。

原発反対派の多くが「原発即時撤廃」を求めていないのは理解できる、しかし原発再稼動を誰も望んでいないのも事実で、何も言っていないに等しい、一部の楽観派が無責任に再稼動せよというのは理解できる。電力会社は事故が起きた際のリスクが大きすぎて、再稼動できない。
原発を再稼動したいのは「供給能力を維持する」という崇高な意思を持った電力会社社員と無責任な楽観派で、電力会社株主も事故が起きたらと心配で仕方が無いと思う。

なので原発反対派は「原発反対」と述べれば、なんか良い世の中になると思っているらしいけど、それは大馬鹿で大間違いなのだ。

もうちょっと詳しく説明する。

私は原発消極的推進派であるが、現在の炉が安全性に問題があったことは証明された。じゃぁどんな安全基準をクリアすればいいのか?という議論が起こってほしいと感じている。知性の無い反対派を抑えて現行の炉を再稼動するのにも違和感を感じるし、知性ある反対派は現実的な提案を提出できない。

 

『原発反対』は理念なので思考の固定化がある。なので石化エネを運用するか、エネルギー密度の低い自然エネを志向する事になる。前者は地球温暖化の観点ではダメダメな上、今から停まる原発のバックアップに無関心だ。カネを払えば明日にでもガスタービンが稼動する勢いだがそれは無理筋だということが分からない。さらにCOPをどうするかという長期的視野は欠落している。後者は電力の安定供給という概念を著しく欠いた理念で、工業の衰退を辞さないというような論調である、まぁ雇用と関係ない大金持ちと老人はそんなものであろうか。

 

現実よりも理念や論理を重視する観点はまさに大正・昭和の世論と相通ずるところがある。確かにワシントン条約で日本の艦隊の総トン数が減らされたのも、石油包囲網を敷かれたのも納得が行かないのは理解できる。アメリカは負けると分かっている戦に日本は突入しないというイジメの貿易戦略だったが、日本は理念で戦争を選択した。戦後、この戦がいかにダメかを論証した文献が多数有るけれど、そもそも『勝つ気でいた』のかという疑問がある。理念や論理で日本は立ち行かないので「散る」ために戦争をしたのだということだ。だとすると東南アジアを制したときに停戦を模索しなかった理由がなんとなく分かる。

 

原発反対屋は理念や論理で原発を反対しているが、落としどころは清貧かなにかであろう。当時の日本首脳と何も変わらない。理念は崇高で美しいけれど現時にそぐわない時点で邪魔なだけだ。

 

誰も望まない原発再稼動を反対した自己満足を声高々に歌い上げ満足している。
まぁ普通に考えれば馬鹿である。原発を反対して交通事故で死んだ人もゼロではないであろう。趣味が悪い表現だがその程度ということだ。

 

僕は原発を再稼動できる条件を構築する、将来的には現有の炉は安全性に問題があると仮定してより安全な原発を模索すると言う立場である。一時的には安全性が不透明でも再稼動を認めるというのが安いオプションだと認識している。

どんな事業にもリスクはある、リスクゼロは有り得ない。だからリスクの小さいところから再稼動はありだと思う。リスクゼロの主張は論理矛盾を起こしていることも知られたほうがいいと思う。

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