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東アジアの秩序を受け入れているサヨク

朝日新聞や日本共産党・旧社会党にシンパシーを感じている人々は、中国による東アジアの秩序(中華思想)を受け入れていると思う。例えば「南京大虐殺」や「慰安婦」問題に対して、中国・韓国に従順である、かつては北朝鮮にも。

明治・大正期の日本の家族制度を賛美する傾向は20世紀の間はそんなになかった。団塊の世代が過去を賛美するより「家制度」を嫌って「核家族化」を邁進し、工業化による世帯年収の向上をひたすら目指したからであろう。失われた20年の間に「懐古主義」が台頭したわけで、安倍総理のメンタリティは相当キモチワルイ。核家族のメリット・デメリットはあるけど、濃密な親戚付き合い・地域付き合いは勘弁してほしいし、興味はない。一方で子育てをシェアすることはできなくなった。仕事面では過去のほうが忙しかったわけで、高度成長時代の田舎では「三ちゃん農業」と呼ばれていたらしい、祖父が農家で父母が就業、祖母が育児みたいな。北陸モデルかな。

東京ではこの図式が崩壊している。文字通り「核家族化」である。団塊の世代が死ぬときにこのモデルの正しさが検証されると思う。

閑話休題。イデオロギで「反旧日帝」の方達の親中・親韓は異常だと思う。日帝を嫌悪するのと親中・親韓は同義ではない、僕は旧帝国陸軍を嫌悪しているが中韓に親近感を覚えない。
中韓の歴史認識に嫌悪感を覚えるし、独裁から逃れられていないと感じる。

その僕の違和感とは別にサヨクといわれる人々は「中国と韓国の反日」を許容しているらしいし、彼らの主張を重視する。すごく理解できない。

この理由を考えるとひとつの仮説として、「中国の中華思想と周辺国の序列」が根底にあるのではないかと考える。だからウイグルへの苛政も許される。

この言説が真であれば、韓半島の序列は決して高くない、序列でいえば日本のほうが韓半島より高位である。韓国人は歴史的に中国と地続きで属国であったが、日本はそうではなかった。韓国人が日本を見下すことは「中華思想的に正しいのか」そこが疑問である。

脱線した。共産党・旧社会党・所謂サヨクは国の序列を中国>韓半島>日本と置いている可能性が高い、それは論理ではなく感情である。「美しい言説」を標榜するサヨクが現実的に最も醜い中国・韓国にシンパシーを感じることが理解できない。それが正しい言説であるとは「ぱっと見」でも存在しないと感じるのだが。

 

なんとなくの推論。サヨクは言説の美しさがあると思う。理論が美しいが故に支持を集める。複雑怪奇の政治的問題、例えば「原発」「戦争反対」「有機食品」どれも美しいけど現実とは余りにもかけ離れている。それは理解できる。

理解できないのは、何故中韓を尊重する言説がはびこっているかだ。ごめん俺は馬鹿だ。そして彼らもその自覚は余りないと思う。彼らが言うところのネトウヨ界隈では常識らしいのであるが。

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ドラマ「デス・ノート」を見た雑感

デスノートいやぁ、面白かったなぁ。ちなみに原作も映画もみていない。ジャンルとしてはSFの心理戦である。

ストーリーを紹介すると「デス・ノート(名前を書くと40秒後にその人が死ぬ)」を拾った主人公(キラ)が犯罪者を粛清し、警察が捜査する物語であり(物的証拠はない)、ミステリーではない。天才的な探偵が早い段階から容疑者を特定し、心理戦が演出されていく。

そのプロットが面白いのと、演ずる役者陣が「怪演」なのである、脚本・演出・俳優のすべてが素晴らしい。Castの窪田さん、山崎さんの演技は癖があって、SFが有する「どこかしらじらしい感」を超越している。入れない人は胡散臭いと思うかもしれないが、フィクションを受け入れられる人にとっては最高の演出ではなかろうか。

主人公「キラ」を演じる窪田さんの「表の顔」と「裏の顔」は過剰なほどの演技であった、SFなのでちょうどいい。それはLを演じる山崎さんにも通じる。
死神のCGは漫画を忠実に再現されているとのことであるが、違和感はなかった。 

本品は一番難しい現実的でないところと現実的であるところの境目が上手くつながっている点が視聴者を誘っていたと思う。SFではちょっと過剰な演出・演技で丁度いいのだ。戦争物が「現実的だと悲惨」で、美的な部分を過剰演出するのと似ているであろうか。

以上は演出の話であるが、ストーリーでも大きな驚きを仕込んである。主人公に相対するキャラクターが退場するという展開である。

 

ストーリー・演出・演技が揃ったドラマであった。お勧めする。

 

以下雑感。

今期ドラマは豊作であった。野球が盛んな頃は野球実況の延長でドラマ開始が遅れるので(さらに昔は録画機器が野球延長に対応できていなかった)期待が低かったし、名作は少なかったように思う。
今期は、2期目の「花咲舞はだまってない」、大物俳優を配して期待を裏切らなかった「ナポレオンの村」、青春全開・技術(合唱)全開・新人多数の「表参道高校合唱部」、これまたSFの「民王」(原作はくそつまんなくてリタイアした)は菅田くんの演技が最高だ、標題の「デスノート」、他と名作が多かった。僕はあまり評価していないが、恋愛もので本田翼がかわいい「恋仲」や北川景子のアクションもの「探偵の探偵」も話題作であったと思う。

あとは録り溜めていて見ていない乃木坂48のドラマ。馬鹿馬鹿しい深夜ドラマは、乃木坂だからエロは期待しないけど「熱いぞ!猫ヶ谷!!」くらいの馬鹿馬鹿しさは期待したい。

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青春ドラマが熱い(15年7-9期ドラマ短評)

個人的に青春が熱い。合唱ネタの新垣結衣主演の映画「くちびるに歌を(著中田永一氏)」が文庫化されたりとか、芥川賞作家の三浦しおん氏が駅伝で「風が強く吹いている」を上梓されたり、派生で「あと少し、もう少し(著瀬尾まいこ氏)」(こっちのが面白いです)

ネタを明かすと単純だが駅伝と合唱である。熱いのである。(僕は文庫小説しか読まないし、映画も見ない。)

 

閑話休題。今期のドラマは豊作だったと思う。人気シリーズの「花咲舞」と、豪華メンバーの「ナポレオンの村」は期待通りだし、(漫画・映画を見てないけど)「デス・ノート」もSFドラマとして秀逸だと思う。「民王」も面白い、菅田君の迫力がgoodだと感じた。しかしこの小説は途中で読むのを辞めた小説であった。なので結論を知らない。それをドラマで「面白い」と感じるのが面白い。

その秀作揃いでの推しが「表参道高校合唱部」であった。キャストのフレッシュさ・魅力、ストーリーに引き込ませる脚本、本丸の「合唱」である。

ドラマの番宣はこちらで、まとまってる。

ドラマのキモである合唱シーンのまとめはこちら。1話ごとだけど。

 

fanだからこその不満もある、ひとつは神田さやか(というより大人パート)の歌成分が足りないのである。二つ目は合唱そのものが回を重ねるごとに魅力が減っていることである、スタートダッシュは成功したけど後半息切れ的な。

まぁ青春ネタで盛り上がっている。

 

追記:未完成でupする。最初の野望では「」内にrinkを載せて、当該ドラマに批判を語りたかったのだが労力が大変過ぎて、断念途中でupする。

 

 

 

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報道各社は営利企業である

たとえばなんだけど、「朝日新聞・毎日新聞、多くの地方紙」は左派で、「産経・読売」は右派だと聞く。それはそのとおりで何が問題かわからない。彼らは営利企業なのだから、(若干の優遇制度を得ているが)読者(国民)におもねるのは理解できる。
池上氏は朝日紙上で「両論併記」を訴えている、その基準であれば朝日紙は読売紙よりは優秀であるとのこと。(僕は読売紙を読んでいないのでよくわからない)

挙句の果てにはNHKが左派にも右派にも文句を言われる騒ぎである。ということはかなり中立だと理解できるのではないか。

 

閑話休題。新聞社が政治的心情を訴えるのは明治時代からよくある話だ。リベラル紙が国の弾圧を受けたとか、大手新聞業界が世論を炊きつけそれによって軍部が自信を得たという歴史がある。
その黒い歴史を反省する新聞社は幾社あるであろうか。戦前の政府や軍部を批判するのと同じくらい「なぜ国民は熱狂的に軍部を支持したのか」という新聞の存在を反省した記事を、「戦後70年の特集」で読んだことがない。読売・朝日で。営利企業なので「知らない顧客には黙っているという」という営業戦略なのかしら。

勝手な想像だけれども、彼らは「新聞社が世論を誘導できる」という観念で愚民を欺く(導く)と思っているのではないか。だから(教育を受けている国民に対して)公正に両論併記ができない。「新聞社の社説」を流布するのが正義と思っていると感じる。

この思想は「現行の新聞社」と「戦前の(戦争を誘導した)新聞社」と違う理由が見出せない。一方で新聞社は営利企業なので「思想・主義・主張を展開する」ことへの違和感はない。

 

標題に戻る。営利企業であるからといって、政治思想の実現のために、顧客(国民)を騙す戦略は理解できない。反論はあると思うが現存する新聞社のほとんどが当てはまると思う。そのような政治的に偏った営利企業への優遇は廃絶して欲しい。読売新聞社他は「軽減税率」を求めているらしいが、社説と同時に政府見解を正しく論評できない新聞は税の優遇を行う必要が理解できない。思想を訴える新聞を図書館予算から新聞費を削るか、閲覧有料制にすればいいのだ。

(自社の戦中反省を行えない)新聞社をトップに据えた日本のマスコミ産業は、利権産業であり、営利企業である。だから全ての特権を撤廃して欲しい。全てである。例えばTV放送免許は3年で入札とか、記者クラブも廃止、

等 

 

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新安保法案を無理やり単純化すると

複雑な案件を単純化することは非常に危険である。ワンフレーズで世界を著しているわけではない、キャッチーなフレーズほど疑ってかかるべきだ。
その中で新安保を「ワンフレーズ」で切り取ってみたい。

脱線する。福島原発事故の具体的な原因はなんだったのであろうか、ワンフレーズで。

これは「外部電源消失により炉の冷却が途絶えた」ことで、原因は津波による「外部電源の消失」である。故に外部電源の確保ができていれば対策は充分であった。
ところが安全委員会や新聞がそれ以外に盛って、意味不明の迷走状態である。原子力安全委員会による国家の損失を真面目に総括してほしい。彼らに責任を被せるのではなく、システムの不備を論じてほしい。間違っても田中委員長の責任ということにすれば、その責任問題は属人的になり、意味をなさない。組織としての妥当性をきちんと論じてほしい≒危機管理に通じる。

 

話は戻る、新安保の話。この問題は比較的クリアで、問題点は「国家存亡」問題であろう。野党が集団的自衛権に対して「憲法違反」と主語を大きくして、審議を拒否をしたのがそもそもの間違いだったと思う。もし「政府の説明が不十分」というクレームがあればその責任を野党が負うものだと思う。政府が説明する時間を野党が「憲法違反」と述べていたからである。

野党の言う「憲法違反」は明確に間違っている。与党の憲法解釈の変更を「憲法違反」と述べるのであれば、野党の「自衛隊許容」もまた解釈改憲だからである。その論は線引きの位置の問題であり、違憲とは程遠い。さらに自衛隊違憲は極論であり、現実的でないことは支持されると思われる。九条二項は必要ないのである。

 

閑話休題。新安保を極力まで単純化しよう。その前段の安保は、「在日米軍が日本の防衛に寄与しない」という片務性を解消して「在日米軍は日本を守る」ことになったと理解している。何故反対運動が盛り上がったのか理解できない。それは僕が歴史の外側だからいえることかもしれないが。

今回の変更は「米軍が日本を守るけど、自衛隊は米軍を守らない」という片務性を解消して「米軍が攻撃されたら自衛隊も対処する」という70年越しの各々の片務性解消と理解している。米軍は日本が攻撃されても無視する可能性が低くはないけれど、それを許さない・見捨てられないためということだ。

 

サヨクの皆さんが反対する理由はなんとなくはわかるけど、野党が根本の問題をを外して戦術的に「憲法違反」と述べたことに大失敗があると思う。誠実でないということである。「中国やロシアが西側の論理で動かないこと」それは防衛上問題があることを、(どういうわけか中韓べったりの)野党が無視している事実がある。

結論。反安保は(理解できるけど)可能性を論じて反対する、対案はない、現実的な問題(中国のジャイアン化)への解がない(中国への批判は禁じられているようで、無能と同類)。

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太陽光発電の可能性

日本では風力発電は評判がよろしくなく、グリーンエネルギーの旗艦として「太陽光発電」が候補に挙がっている。政府による買取価格も高価で投資意欲を刺激している。
これはかなり電力供給に関して危険な兆候なのでハザード(危険)とコストについて言及しておく。

1)太陽光発電は安定電源でないのでバックアップが必要。

太陽光発電はその出力が天気に左右されるので、LNG火発などのバックアップが必要である。これは太陽光の出力を安定電源としてカウントをゼロにするか、太陽光発電の公称能力を保障するためのLNG火発を整備する必要があるということである。(国庫負担により)安い太陽光発電所を建設し、太陽光発電出力の保証のために従来技術のLNG火発をバックアップが必要ということである。当たり前であるが出力が安定しない太陽光のために、バックアップ電源を用意するというのは、電力会社の会計上ではなく、トータルコストで非常識である。
単純に太陽光が無い方が安いことになる。

税金により軽減された太陽光投資のほかに、バックアップ電源も同時に投資が必要ということである。太陽光が最大限生かせれば、バックアップの投資がきつい。

実際にリベラル大好きなドイツでも、「北部の風力発電の成功」は南部の泥炭火発と、近隣との電力融通で成り立っている。日本には他国との電力施設の融通や安定風力は存在しない。

 

 2)石炭火発は悪手

ドイツでも泥炭火発は評判が悪い。電力対炭酸ガス比率が悪いからだ。日本でも石炭火発の申請が行われているが環境アセスの概念から建設許可は下りないと思われる。

地球は氷河期と温暖期を交互に繰り返し、海岸線の移動も激しかった。人類による温暖化ガスにより、地球の温暖化が急激に進めば人類の縮小もありえる。これは原発事故による人類の縮小よりも影響は大きいであろう。放射脳の心配が実現しても影響は非常に小さいのである。

石炭火発による炭酸ガス放出と硫黄系ガス(亜硫酸・硫酸ガス)排出も雨のpH(水素イオン濃度=酸性雨)となる。

 

3)太陽光はバックアップ電源のコストを払う必要があり、税金の恩恵を受けている場合じゃない

太陽光発電を作れば、最大同量の死蔵火発設備が必要である。そのコストが見えにくい。

結論は電力会社が負担して、その付けはユーザーである国民・企業が負担するのである。

 
これは国民の総意の結晶であることは理解する必要がある。今の路線であれば日本は温暖化ガス排出権を購入する必要があり、さらに電気代は上がる。
原発を拒否することはこのような代償を払うのである。
理念派はわかっていたであろう。

不安に幾ら金を払うかということである。
ところが不安と危険は相関がなく、安心と安全も同様。僕の理解だと「安全で不安」を排除して、「危険で安心」を求めているように見える。 

 

まぁそれも国民が望んだ結果である、残念だが。

 

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