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インチキ科学報道に釣られそうになった件

コラーゲンやはり美肌効果有り京都府立大など機能の一端解明~京都新聞

いやぁリードに脊髄反射で反応して「嘘」と思いつつまずは信じて、それからよく読んで釣られた事実を理解しました。今週初めに「疑似科学は潰しきれない」ネタエントリーを書いてる場合じゃありませんでした。

Linkは京都新聞の記事ではコラーゲンを食すとヒドロキシプロリンとプロリンが結びついたペプチドが血中に長時間にわたって増えるというもの。

少し調べたのだがコラーゲンを構成している要素としてヒドロキシプロリンとプロリンという物質がコラーゲン以外にはなかなか存在しないそうなのだが、ヒドロキシプロリンとプロリンは必須アミノ酸で無いので体内合成が可能。血管中のペプチドは作ったのか、コラーゲンから吸収したのかどちらかであろう。

私は生物屋じゃないので良く分からない点は小腸はペプチドを吸収できるのか(記事ではそう読めるが確認されたわけではないらしい)、出来るのであれば血中濃度が高くなるのは当たり前の話であり、吸収できないのであれば体内で合成したということ。そしてその材料は別にコラーゲンでなくてもいいわけだ。

なので事実は「コラーゲンを食すとプロリンとヒドロキシプロリンのペプチドが増える」でコラーゲンに美肌効果は確認できたとはとても言えないことが分かる。

あーぁ、新聞会社は怪しげな健康食品を推奨しているととられても仕方が無い記事を書き、私は釣られかけたのだ。疑似科学・偽科学を吊るし上げてる方々に揶揄を言うのはよそうっと。

 

2/5追記)「お前はニセ科学と疑似科学の区別がついて無いんじゃないか」という突込みがありました。多分あっていると思います、というか意識していませんでした。詳しくは2/5の記事を参照願います。

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語学習得前の国語の勉強

ネタというか書き散らしです。英語が出来ると世界が広がると思うんだけど熱意とか色々な面でダメダメです。

今日の打ち合わせ(4社でのデザイン会議)での(我が社部長の)司会のボンクラ度が突き抜けていて嫌になった。会議が彼の勉強会になっている上、彼が決断者なのに決断しないデメリットを理解できないまま、決断できない理由を延々と話しだしたのだ。私は不機嫌さを表明しないトレーニングを積んでないので、弊社担当者・デザイン会社・コーディネーター・メーカーに分かるように、敢えて司会者を無視して技術的な問題点と新たな提案を発言した。取引先の営業が私の発言を司会者に解説するという珍現象が起きた(私も人間が小さいね)。

途中から聞いてなかったんだけど彼が何を言っているのか分からないという点に興味が湧いた。司会が発言している以上何か言いたいことがあるのであろうが、前段が長すぎる上、内容が無い、結論も意味不明。何故そのような事象が起こるのであろうか。多分真面目に聞いていたら趣旨が分かるのかもしれない。しかし彼の論旨の組み立てがあまりにもお粗末で、9割5分は意味が無いという先入観が以前からあるので聞くだけ損なのだ。隣に「結局何?」というと「○○でいい?ってこと」で通じてしまうくらい。

 

で本題、英語の勉強法の優劣論を見ていると結局何を重視しているかで、英語の勉強法が変わるのであろう。

その前に英語の勉強よりも冒頭でも記したように日本語って難しい、仕事でもビジネスレターやメール、議事録、特許、論文、お手紙、仕事の書き言葉でもこれだけ(以上)のお作法がある。さらには政治家は修辞的な表現を求められるであろうし。さらに話し言葉もだ。スピーチ、発表、会議、上司、超偉い人。敬語を連ねすぎても失礼だし、くだけた場面が必要なときもある。

そして内容だ。先に挙げた表現のマナーは定型的な訓練でどうにかなる場合も多いであろうが、本質的に「読み易く・聞き易く」するのは本当に骨が折れる。文書の場合は添削を求めれば回避できても(それでも新人の頃は組み立てのダメだしが多かった)、話し言葉は訓練の積み重ねが必要だ(会議の後に上司に飲みながら怒られたりとか)。彼の司会者は何にも勉強していなかったのであろう。クルマの運転が距離を乗ることと、上手くなることは全く関係ないように

外国人との日本語トークにおいても参考になることが多い。単語表現がダメダメでも論旨が明快であれば言葉の間違いを脳内で変換すれば意味が分かり易い。論旨をいかに分かる様な組み立てをすれば表現力をカバーできることも多いのであろう。特に相手が母国語でない言語でのやり取りであれば。当然英語でも同じことであろう。表現力に自信が無くてもビジネス(担当者間)の場合はロジックと論旨で埋め合わせが出来るのではないか。

そう考えると英語が上手くなるためには日本語が上手くないと駄目だと言うことが分かる。話しでも書きでも、もっと狭い範囲で言えばビジネスレターとかスピーチでも。そのジャンルで日本語に精通していなければそのジャンルの英語が出来るはずが無い。ポイントを理解していないのでポイントを重点的に勉強することが出来ないからだ。話しや書きでも全てのジャンルの「日本語」に精通している人は極少数であろう、というか居ないかもしれない。なので欲しい英語スキルは日本語で有る程度精通していなければ、単純に英語を勉強しても無意味かもしれない。「通じればいい」というレベルであれば単語の羅列でも結構通じる**

国語教育がいかに大事かと思う。で、その観点から学校で国語教育ってなされているのかしら。今年のセンター試験の国語をやってみたがあまり役に立たないような(気がする)。

 

タクシーの運転手の多くは運転が下手なのと同じ。多分彼らの多くは「自分は上手い」と思っているであろうが。仕事に求められるスキルを具体的に表現できない人はほぼ100%下手糞。単純に真っ直ぐ走るのでさえアクセルを踏んだり離したりするのとか。真っ直ぐが下手糞な人は多い。

**海外の飲み屋で女性と話しをするとか、アジアでバーに行くとか。

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レジ袋有料化は不法投棄を助長する件

風が吹けば桶屋が儲かるではないけれど、標題の件ネタのようでネタで無いです。

レジ袋の有料化の進捗度合いを環境省から発表があった。レジ袋削減に係る全国の地方自治体での取り組み状況について~環境省

どうやらこの流れは止まらないようだ。完全有料化は条例化が杉並区、自主協定の締結が3県、他242市町村だ。

簡単な確認だが、レジ袋の有料化はゴミ袋の有料化とセットの場合が多い。ゴミ処理にに困った自治体がゴミ削減の為に行っている。お隣の町田市は10ℓ1枚20円だ。ゴミ袋有料でゴミは減ったそうだ(ソース見つからず)。

ゴミが減ったのはゴミを減らした効果もあるであろうが、不法投棄も多いと思われる。私は割合と県境に住んでいて、隣は町田市だ。町田の住民が相模原のゴミ捨て場に持ってくる、コンビニに捨てに来るという話をよく聞く。何の事は無い、不法投棄を誘発しているのだ。町田市と長い境界線を持つ相模原市やコンビニなどの事業者はいい迷惑だ。そのような噂はよく聞き、府中市では八王子市からのゴミ不法投棄に悩むと聞く。

不法投棄を減らすには全国一律のゴミ袋有料化にして、その分市町村税を下げるという方法も考えられる。しかしそれでは徴税コストが大きくあまり現実的で無いであろう。またコンビニなどの事業者への不法投棄には役に立たない。

ゴミ問題は環境的には悪手であることが多い。住環境を壊す(ぶっちゃけ地価が下がる)のでゴミ処理場は作りたくないからゴミを輸出したり(ex杉並区)、隣の市に作ろうと画策しようとして失敗したり(ex小金井市)なのだ。

レジ袋有料化はゴミ問題対策であって環境的には関連が無いのだ、というか不法投棄につながるので環境悪化を招く。TVなどのリサイクル費用徴収で不法投棄が増え、デポジット制にしたのは記憶に新しい。有料化が不法投棄につながるのは証明済みなのだ。

参考)レジ袋は環境問題と関係ないはずだが~だめリーマンの思考法

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嫌煙条例が後退した件

神奈川の「禁煙条例」、小規模飲食店を適用除外 県が修正~日経

旧聞だが神奈川県の禁煙条例が後退した。パチンコから喫茶店まで禁煙は無茶だろうと思っていたが結局ひよった。個人的には喫煙者である私は町田か品川で飲めばいいかと思っていたので、条例による横浜の経済の落ち込み振りに興味があった。壮大な実験は回避されたわけだ。個人的には神奈川県で飲み会が締め出され、結局神奈川県内では飲む回数が減れば財布に優しいなぁと思っていたのだがそうはうまくいかないらしい。もっとスケベ心で言えば壮大な実験が経済に及ぼすところも見てみたかった。

この条例の失敗は条例を作成する委員が原理主義者だということに尽きるであろう。議事録を読めば委員の多数はバリバリの嫌煙主義で、喫煙者をゴミとしか思っていない。今回はゴミの経済効果のほうが多いという判断で条例がぽしゃった。しかしゴミのほうが経済効果が有ったという事例が積み上がったという点で涙を誘う。

うーん、よく分からないけど「禁煙原理主義者」はやはり原理主義者で俗世を知らないってこと?。

嫌煙家は喫煙者を追い込んでも得しない~だめリーマンの思考法で言及したのだが嫌煙原理主義は喫煙者の誘導に失敗していると思うのだ。その結果嫌煙者は煙を吸っているという事実に泣ける。知事は嫌煙原理主義者のロジックで喫煙者の利益代表(例えばパチンコ屋・居酒屋)を説得できると思っている時点で、、、、、。

 

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多くの製品は情緒を売っているので科学的では無い件

歩きやすいように、ゴミを拾う~食品安全情報blog

昨日の記事は疑似科学はネタだと笑い飛ばしたが、こういうの切なくなる。それでも問題は疑似科学が問題なのではなく、育児の責任を母親に押し付け、民間療法その他を行うことを強要するコミュニティの問題なのであろう。もちろん疑似科学を推進している人の肩を持つ気は全く無い。Linkの例は一目でインチキのオンパレードであるが仮に母親がその知識を持っていたとしてもそれを強要されると言うこともあるであろう、当然善意を含む。(科学の)一般知識というか科学リテラシーは案外ズタボロなのかもしれないが。今日の打ち合わせで部長が「(エビデンスの)論理のメカニズム」という訳の分からない迷言を述べていた。彼は論理(logic)と理論(theory)の区別が付いていないのであろう、そういう人は意外に多いのかもしれない。

 

本題に戻ろう。私がコーヒー(飲料)の開発担当者だとする。食品は栄養素を摂取する手段でもあるが基本的には嗜好品であり、コーヒーなどその典型だ。味で勝負だ!とはいえ味だけで売れるほど甘くない。コンセプト・味・売り(特徴)・パッケージ・デザイン・他にはマーケティングで言う4Pなんかも吟味。

「ハワイ豆を使用」これは事実だから問題ないであろう、でも含有率は?という疑問が残る。豆の5%使用していたらそれを謳ってもいいのか?コストの高い豆を少ない量を使用して高級感を演出しているがそれはそれは許されるか。

「カフェイン2倍(当社比)・無添加」カフェイン溶出量の多い豆を使用し、かつカフェインを添加していないことは事実だ。溶出試験でも問題ない。だが、なので「眠気すっきり」は良いのか?

また「ビタミン添加」は事実だ、では「健康にいいコーヒーを」は許されるか?

キムタクが「モテル男はこれを飲む」はコピーだが事実とはとてもかけ離れている。

など、世の中の商品は「事実」と「効能を印象させる表現」、「商品コピー」とが溢れかえっている。科学リテラシーがはっきりしていないと「コピー」と「事実」が混同される、というかそれを期待している。

業界表現基準はある。誤解を招かないような表現に抑えるという自主基準。では「誤解を招かない」というのも作文の添削のような感じで素人にはさっぱり分からない。もちろん小さいメーカーは守らないというか無茶苦茶、これがいわゆる「とんでも企業」なのだがそんなこと素人には分からない。

明らかな疑似科学は論外として、グレーゾーンはそこかしこにあるのだ。グレーゾーンとクロの境目は業界人には分かるが素人には分からないであろう。なので疑似科学批判に意味が無いとは思わないのだが、非常に分かり辛いのだ。多くの疑似科学は化学・生物に関わるものだと思うのだが、その原理にまで深く考えるトレーニングが無いと意味を為さない**

ちょっと話がずれた。疑似科学と商品のコピーの境は分かり難い、でも(業界人にとって)明確な差はある。商品として機能のみを売っている訳ではなく情緒も売っているのでこのようなグレーゾーンとクロの境目という現象が起こる、グレーゾーンが付加価値の源泉なのだ。そして我が社(に限らず多くの日本のメーカー)は情緒を売っているので、疑似科学批判に若干の違和感を覚えるのだ***

 

フィクションです、業界に詳しいわけではないので想像がかなり入ってます、当然業界規制などは知らないで書いてます。

**豚骨(で出汁をとった)餃子鍋を食したときに嫁(音楽家)が「コラーゲンたっぷりだから肌がつるつる」とか言うので殴ってやろうかと思いました。

***違和感の源泉は「科学ではない」と断じることではなく(間違いの指摘は当然)、科学的でないこととそうでないことが一般人にとってグレーなこと。例えば医薬品と医薬部外品と食品・化粧品・雑貨は全てルールが違い、各々がグレーゾーンを有している。

2/5追記)「お前はニセ科学と疑似科学の区別がついて無いんじゃないか」という突込みがありました。多分あっていると思います、というか意識していませんでした。詳しくは2/5の記事を参照願います。

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疑似科学は潰しきれない

いまいち理解できないのが疑似科学批判とか疑似科学批判批判とか。別に水伝に限らず似たような物件というか商品の宣伝は腐るほどあるわけで、それを信じる人が居るからという理由で頑張っても何の意味も無いと思う。

日本人のほとんどは高等教育を受けているわけで、少なくともイオンとか磁気力とか、生命体の基礎知識は高等学校で学んでいると思う。例えば血液型で性格が決まるとは科学的にある訳は無いと知りつつもネタで遊んでるということ。だれも本気にはしてないでしょ。

なので科学屋がいちいち科学的な突込みを入れるのはある意味ナンセンスだと思うのだ。そんなのはネタワールドの世界の話であって、それをネタというか遊びで受け入れているのだ。遊びも本気でやらないと面白くないので○○エキス含有の粒を一粒300位で買うのはリスクとコストは織り込み済みだ。中学校で習う水溶性の「イオン」が空気中に存在するのは私には全く理解できないがそれを理解して買うことを批判するのも「誰にとって得か」がいまいち理解できない。

文盲な人が宗教的なまやかし、原理主義的でバランスに欠く主張を教育されるのは反対だ、しかし高等教育を受けた方々が奇想天外な商品を購入するのはだまされる方が悪いということ。大金を家族へ諮らずに摩訶不思議な商品に独断で払う行為がおかしいというだけであって「科学に喧嘩を売っている」訳ではないであろう。詐欺師は何時の時代でもいるものだ。疑似科学は商売に基づいているはずだからいちいち突っ込まなくてもいいんじゃないか。

例えば水伝に引っかかった教師が居たとしてもそれを事実だけ突っ込めば彼も反省するあろうから、わざわざ彼を追い込む必要は無いと思う。馬鹿な教師が居てもおかしくはないなら個別にクレームを上げればいいだけであり、キャンペーンを張るほどでも無いと思うのだけど。

そうじゃないと犯罪への耐性がつかないよ。

2/5追記)「お前はニセ科学と疑似科学の区別がついて無いんじゃないか」という突込みがありました。多分あっていると思います、というか意識していませんでした。詳しくは2/5の記事を参照願います。

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カレー食感を上げるプロジェクト その2

カレー食感を上げるプロジェクト~だめリーマンの思考法の続きです。

カレーマニアの必須の代物「アメタマ(飴色に炒めたタマネギ)」、しかしどうにもこの食感がよろしくない。という訳でシノワで漉すと食感良好。までが前回。

今回は「そもそもタマネギは必要か」である。アメタマを作成するにも漉すのも多大な面倒を伴う。じゃぁ最初から無ければいいじゃん。ということで実施。

う~ん、これが別に十分美味い。同時に比較すれば違いが分かるかもしれないが渡し程度の味音痴ではコストを掛ける意味が存在しないことが分かった。おまけに卸しタマネギでアメタマ計画はオニオングラタンスープに応用できないかというのがスタートだったので、これも濁ってしまうので却下な訳で。

多分、市販のカレールーを使用する場合、その辛さや風味の方が重要ということであろう。さすが研究機関を抱えたメーカーの商品だ。素人の思い付きや民間伝承の隠し味などよりパッケージの通り作った方が美味い。

なんだったんだこの実験結果は。。。でも受け入れるしか仕方が無い、それが主観的な事実だからだ。では何故このようなことを思いついたかというと、企業の製品はコストが問題になる、そのコストをケチった部分を補えば美味いモノが作れるのかという疑問からスタートしたのだ。我が社の製品も自分で使い勝手が良くなるように改造して使用しているという個人的な事実も有るし。

しかし、それは自社製品のウイークポイントやコスト構造を分かっているからなのであって、闇雲にコストを掛ければ美味くなると言うものではないのであろう。それでもパッケージにアメタマを使えば美味くなると書いてあったのでやってみたがそうは甘くないと言うわけだった。

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雇用の流動性を上げる件

派遣社員救済策としての「派遣禁止」という策はダメダメなのはなんとなく理解できる。派遣が禁止なら経営者は労組に36協定の破棄を提案するとかアルバイトを雇うからだ。労働市場の流動化に反し、硬直化を招き、派遣の失職は回復されず、いや増大するであろう。

詳しくは知らないけれど大手の企業の工場シフトは3直3交代(3人雇って3交代で回す)、連続勤務(土日も回す)なら4直3交代か?3交代ならいいほうで私の知っている企業は2直2交代(1日12時間労働)、連続勤務で3直2交代(3人雇って2交代で回す)だ。基本給が1日8時間とすると、8時間は固定費であるが、2直交代も3直2交代も1日当たりの3時間×2は残業扱いで変動費扱いとなる。派遣やアルバイトを雇うのと同じことだ。逆ワークシェアリング状態なのだ。企業が派遣を雇うのは変動費扱いにしたいので、派遣禁止になれば社員に残業させるのだ、当然。

なので派遣を禁止されると海外に逃げるか、逃げる金が無ければ社員に残業を強いることに成る。まぁ多くの社員は手取りが増えるので歓迎なのだが。時間が来れば帰れる現場勤務にとって36協定はあまり意味が無い。それよりスタッフや課長の方が残業代を幾ら付けるのかによって変わるであろうが時給は低い。私も新入社員の工場研修という名の下で連続勤務を経験したが基本給が低くても、手当てが高いので額面が40万に届きそうなときもあった。新人で手取り30万てすごくネ。少なくとも派遣は放り出されることがあっても雇用が増える事はない。繁忙期は工場勤務ではないスタッフ部門から呼んできて(呼ばれた)対応もしているのだ。

 

一方、会社員は年功序列の収入になる。実際は職位が上がらないと給料が増えない場合も多いであろうが、降給までは少ないと思う。そして現実的なシステムとして退職金は指数関数的に増えるシステムなので正社員と言えども2~5年で辞めるのは損だ。正社員の首切りを可能とするのであれば退職金問題をクリアにしなければならない。具体的に言えば退職金積み立てと給料は比例関係にならないとおかしい。仮にリセットするにしても10年選手で割り増し退職金を支給する原資も無ければ、直近で退職する人の退職金を減額することも納得できないであろう。

国家公務員キャリアのように課長次長局長と職位が上がっていけば同期が辞めていくというパターンを考えてみよう。企業の従業員ピラミッド構造を維持するという考え方だ。無論従来は企業が拡大していたので職位が上がるにつれて首を切る必要は無かった、しかし雇用の流動性を上げるという事はキャリアシステムがないと続かない。キャリアや超大企業では天下りシステムが存在するから雇用の保証がある。ところが中小企業で老課長が「優秀な若い奴に課長させたいからあんた首」と言われる社会はまっとうであろうか。

既得権と言われようがだぶついた中高年をばっさり切れる社会は経済原則にかなっていたとしても多くの人に受けいれ難いのではないか。それなら年功序列で若いうちは搾取され、中高年で取り返す方がいいというものだ。それが嫌ならフリーになるという手はあるのだから。

有効求人倍率が1を切ってしまうと自己責任とは関係なく失業者が出るのは自明。そのためにワークシェアリングとか雇用の流動性を原理的に述べる人も多い。原理と言うか学問的であればいいのだが、どうも本気みたいなので怖い。

ソースは提示しないが(探さなかった)非正規雇用の率は正規雇用に対して約1/3。その多くが「主婦」とすると本当に困っている派遣はごくごく少ないのではないか、もちろん男性でも家業の閑散期に出稼ぎに出るとか、縛られない生き方として選択していた人も多いであろう。

であれば雇用流動性を上げるのという議論はもうちょっと冷静に時間をかけて行ってしかるべきであろう。喫緊の問題で場当たり的に変換する性質では無いという気がするのだが。

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モチベーションは維持すべきなのか維持させるべきなのか

ニュースをウォッチした雑感。ブッシュ氏が大統領の任期を終える、マスコミにたいそう受けが悪いようだが違和感も同時に感じる。例えば「戦争を数多く仕掛けた大統領」という批判は批判の体を為していない。「戦争・戦闘」はどんな理由でも避けなければならないという思考停止がより「テロ」を誘発する可能性もあるからだ。過去の為政者の多くは言葉尻を取り上げられないようにとか他国の不興を買わないように何を言っているのか分からない場合が多かった。ブッシュ氏の発言の多くは「米国の敵は攻撃する」という読み間違いの存在できないほど単純で明快な発言だった。米国が湾岸戦争前にこのようなメッセージを発信していたらそもそもイラク戦争は起きなかったであろう。フセイン氏も米国のメッセージを読み違えたからクエートを侵攻したし、イラク戦争で同じ間違いをしでかした。イランも表立っては動きは無いようだし成果はあったのではないかと思う。冷戦が終わった今、唯一の大国である米国の態度としては悪くないのではないかと思うのだ。

本題に戻ります。

最近企業研修とやらをさせられていくつかの疑問というか納得できない部分がある。それは企業人個人の「やる気(モチベーション)」をいかに引き出すかというテクニック論が幅を利かせているという点だ。例えば上司が部下のモチベーションを引き出すのが仕事のように研修では教えるが、そうじゃ無いだろってのが本エントリーの趣旨。以下意見を述べる。

モチベーションの源泉は何なのか?これは仕事はつまんない事も多い、しかし全神経を投入し、結果が出れば満足できるということを実感させる/することではないのか。それには「何が」成果かという点を明確にすべきであろう。部署にもよるが売上だったり利益だったり、研究・開発系ではヒット商品であったりと。売上も費用をふんだんに使って良いのかとか、とにかくなんか基準があるはずだ。個々の人間は部署にとっての最適化を目指すので、企業にとっては好ましくなくても部署にとって好ましい場合は多々あるであろう。例えば損をしてでも売上を伸ばすとか。

これは経営方針とか利益責任の所在がはっきりしていたらそれで済む話だ。だから課長はその部署の成果の最大化を目指せば良いのであって、それを理解した上で部下を教育したら良い。でもその研修は大前提が語られないのでかなり胡散臭いのだ。というのは下手したら部長・事業部長・本部長が大前提を理解しているか怪しいから。テクニック論は大前提が行き渡っているという前提での話しなのだ。例えば課長が「利益を考えつつ売上を伸ばそう」と言っても部長が「数字が足りない」と言えば部下は誰が「馬鹿」なのか理解できないという物だ。

なので人事研修では組織論を重点的に教えるのが良いと思う。組織の変更があればその意図はどこにあって、誰がどのような責任があるのかを明確に理解することだ。例えば営業部長と商品開発部長が並立していたら、営業部長が「商品が悪い」、開発部長が「売り方が悪い」と言うのは理にかなっている。その裁決は彼らの上司が決めれば良い。というかその上司が明確な指示を出せていないから営業部長と開発部長が揉めるのだ。ボンクラはその上司、以上。みたいな。

なので組織や経営方針が変わればどこを目指せばいいのかが明確である方がいい。でないと組織変更する意味ないし。それを教えないと管理職のチェック機能が働かない。先の例で言えば、その上司(例えば事業部長)の方針が明確で無いから部下同士が喧嘩をするわけで、仕事の進め方のコンセンサスが両部長と事業部長が得られていないことが分かる。その責任の所在が分かっていれば両部長がボンクラ事業部長をボイコットすることもできるし、(例えば)だめ開発部長を事業部長が首にすることもできる。この人事戦略をペイペイが理解していれば身の振り方も理解できるという物だ。

さらに難解なのは営業部長と開発部長が取締役のばあいだ。その場合各々の部下は自分の部長が言っていることがおかしいと思っても部としてそれを遂行するのが職務となる、課の場合も似たようなものであろう。組織というのは責任の所在であり、部下へのメッセージなのだ。まぁそのような教育を受けていないというか理解できない奴は「自分が正しい」と思うことをやり遂げどんないい仕事をしても煙たがれるんだろうけど。

そう考えると組織は非常に重要な意味を持つ。そしてペイペイ達はその「意思」を理解する必要がある。上司の言う事は納得できないけど理解してやるとか、自分の上司はボンクラかもしれないのでその上の上司に取り入るとか。

私は中間管理職まで到達していないけど部下(実質部下ではなく同僚なのだが)には「やる気は自分で見つけろ」と言っている。しかし、本質的には自分のやる気など企業にとってはどうでもいいことであり、自分のやる気と企業の望む仕事は一致しないことが多い。その上でいかに興味を持つかという点を延々と話している。嫌な先輩だなぁ。

でもしょうがない。モチベーションは自分で作るべき物かもしれない。でもそれは仕える上司の望む物でなくてはならないし、それは組織として明確にメッセージとして出ている。それを嫌って我が道を行くのも1つの手だし、バランスをとれということ。それにしては企業は「組織論」を教えてなさ過ぎだと思うのだ。標題の件はモチベーションを与えるのは上司ではなく組織だと思う。上司はそのサポートをするのであって、その根底にある組織論を教育しない企業では上司の教育の実力によって差が激しいと思うのは妄想であろうか。

前文が長い上、本文まで長くなり申し訳ない。

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投機への反対は金融への冒涜だ

投機悪玉論の不毛~NBOnline

もう激しく同意。投機悪玉論は金融ヘッジの必要性を多分理解していないのであろう。以下大学で金融論をとったときのおさらい。

そもそも貨幣の発明が金融のスタートである。金融の原則とは「明日の1円を買う(売る)」というものだ。今日お金を持っていない人が余ったお金を持っている人から利息を払って借りるというもの。投資案件、中世欧州の貿易船への出資や株は投資や投機に属するのでここでは割愛。あくまで金融で。

それから次は先物市場の出現だ。分かり易く言うと「来年の米は何トンをいくらで買うよ」という約束だ。農業は不作も豊作もあり、地域によっても違うので生産者も購買者もおよその目算が付く。これは両者にとって有意義な場合が多い。行き着くところ減反政策もこの原則に則っている。ここで重要なのは約束も売り買いできるということ。そのようなバッファがないと相場が分からない。相場が分からないと小口生産者は大口取引の札差にぼったくられる可能性があるので相場が必要。相場が形成されるにはプレイヤーがある程度いないと成立しない。

ここで八代将軍吉宗の登場だ。彼は米相場にやきもきしていたらしい、実体経済の大元締めである幕府は当然の心配であろう、役人の給料が(現物で無いにしろ)米の取れるであろう土地で決めているのだから当然の心配事だ。しかし、先物はリスクのヘッジのために行われるのだが、どちらのリスクをどちらが買っているのかは極めて微妙。仕様設計上、既に投機の付け込む隙はあるのだ。というか投機の存在が無ければリスクを買って欲しい人が売れないということになる。

ステージを変えよう。メーカーが生産した物をアメリカ流通に輸出する場合、決算は相手に荷物が届いた時とする。アメリカまで船便で1ヶ月かかるとして、その為替リスクは誰が持つのか。メーカーは売った時点で利益を確定したい。そうであればまず1ヶ月の利息を払ってでも現金が欲しい、しかし相手は必ず払ってくれるかはよく分からない、じゃぁその分のリスク代も払おう、1ヵ月後の円ドル外国為替はどうなっているかは分からないので誰かにリスクを買ってもらいたい。

その全てのリスクに根拠が薄ければ完全なるギャンブルだ。しかしそれをギャンブルにしないために、保険があり、金利があり、先物外為がある。そのおかげでリスクを分散しているわけだ。先の輸出企業は1ヶ月の先物外為市場で利益を計算できる。それを銀行が独自に算出して間違ってでもいたら偉いことになる。そのためには市場が必要だ。でもその市場を形成している人たちには当然投機目的も居る。別に市場が健全であれば投機目的のプレーヤーでもデフォルト(債務不履行)をしなければ問題ない。

そしてそれらのリスクを定量評価しているわけだ。金額ベースで1%の顧客が破産しても良いようにという具合に。このような金融屋は基本的にはリスクに値段をつけて売っているということになる、それはそのまま投機にもなりうる。

なので「投機」を否定するのは金融を否定しているのと同意なのだ。そしてそれは株などの投資にも全く同じことが言える。

原則論としてはヘッジはリスクの売買で、リスクを積極的に買おうとする投機を拒否できない。悪名高きCDS(デフォルトリスクの保険)でもそれは同じであろう、CDSは保険なのだから。AIGは保険の値段を付け間違ったということなのだ。リスクが過剰に警戒されると経済は回らなくなる、最近のCDSは偉い高く機能していないらしい。すると信用がない人(法人)には掛売りが出来なくなるので信用コストが上がり、経済は回らなくなる。

このような金融原則からいうと「投機」は避けられない、景気の向上(バブルの演出)には必要不可欠とも言える。手堅い銀行だってリスクを買うのが商売の根本なのだから。

もう一度金融の原則論を。私は銀行に1万円預けるということは銀行の利付き債(利息が支払われる債権)1万円分を買ったというのと同意だ。もちろん銀行が潰れてしまえばその債権は紙くずになる(実際は預金保険機構に入っているので紙くずにはならない)。銀行は銀行の名前で債権を売った元手で、企業や個人にプレミアムを上乗せして貸し出す。このプレミアム分(=リスク)が銀行の取り分。貸出先には担保が有れば安い金利で貸すし(例えば住宅ローン)、無ければ高金利だ(例えばサラ金)。ここでも金融機関はリスクを取っている。

リスクを取るのは投資?投機?企業活動?

もちろん金融のルール作りとそのルール監視は必要だと思う。しかしそれを飛び越えて「投機が諸悪の根源」的な主張にはどうも納得できないというか理解できない。

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サントリー・サッポロがキリンにひよった件

日本の製造業は合理化をとことん詰めている等という幻想があるらしいが、特許を買いたく無いとか、業界のリーダーに乗っかりたくないとか面子で動く面も多々ある。ちょっと記憶が曖昧だが三菱自動車のサイレントシャフトは有効でもポルシェは買ったが国内メーカーは買わなかったし、ヤマハのYPVSをホンダは買わなかった。特許を売ってくれない場合もあるであろうが、まず日本のメーカーは日本の特許は買わないらしい。効率よりも大事な物があるのであろう。

キリン社のお酒の缶の蓋の大きさと他社の蓋の大きさが違うというのはご存知であろうか。キリン社の規格は独自の204径(口径2+4/16インチ)で飲料を含めた一般は206径(口径2+6/16インチ)なのだ。蓋径を小さくすると蓋の材料使用量は少なくなる(缶胴は変わらず)が、飲み口が小さくなるとか、新たな設備投資が必要とかあった。サントリー社はキリン社にならってコストダウンを図ったと言える。キリン社のビール・酎ハイとアサヒ社のビール酎ハイと、蓋を突き合わせればすぐに分かる。サントリーが偉いなと感じたのはCSR報告書でキリン社と資材を共同購入することで容器メーカーの合理化に貢献したと明記したことだ。

しかもサッポロビールもこれに追随した。

実は10年位前コカ・コーラ社が202径(2+2/16インチ)というさらに少し小さい口径を導入していたのだが小さすぎるとして撤退した。まぁさすがに飲み口が小さすぎたのであろう。

缶蓋の適当なサイズとしてキリン社が204径の缶蓋を採用したのは’94年。面子に拘って負け組みがやっと素直になったサントリーとサッポロ。素直になるまで14年かかったんだね、日本の製造業は合理化と面子を天秤にかけ、有効性を認めるまで15年程度は必要ということ。ビバだね。

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カレーの食感を上げるプロジェクト

一昨日、昨日と嫁の体調が悪いので夕食(と弁当)を1人で作成。とは言いつつ、月曜の夕食はクラムチャウダーで火曜の夕食はカレーなので材料の手配やカットは楽。月曜の弁当の方が大変、鮭に卵焼きと野菜炒め。チャウダーとカレーは鶏がらスープから自作。

閑話休題

カレーに推奨されているアメタマ(飴色に炒めたタマネギ)ってどうも食感が悪い、なんか舌に引っかかるというか滑らかで無いというか。よしこれを改良。

アメタマはタマネギの糖分をカラメル化するのが目的、それならアメタマの旨味をスープに移す際、アメタマをシノワで漉せばいいだろってことでやってみた。美味い。成功だ。

でもアメタマを作るのは面倒だ。なのでサボる方法を模索。まずはタマネギから脱水させればいいので油で揚げてみよう。理論的には成功であった(味もいけてた)けれども油分が多い上、コストもかかるので一回こっきり。次はテフロンのフライパン。ある程度放っておいてもいいだろってことで。これはいまいち、味はまぁまぁなんだが、焦げ目と言うか飴色にならない。バターや砂糖を投入すればいいのかも知れないが、ただしめちゃ楽。

次はおろしタマネギ。千切りのタマネギと言えども厚さに微妙な差が有るわけで、形が残っていたら水分の飛びも悪いだろうと言うことで卸金ですった物を炒める。これが微妙。水分の抜け方は想像通り、テフロン鍋なので焦げ目も付かないのは想定の範囲内。しかし湯に馴染ませたら濁ってしまった。カレーなので濁ってもかまわないのだが、美味ければオニオングラタンスープに応用しようと思っていたのでちょっとがっかり。結果はというと、千切りのタマネギよりシノワで漉す際の労力は圧倒的に少ない。スープが濁ることが許容できればいい方法だと思う。

おおーっと、かんじんなことを忘れてた。アメタマ抜きのカレーの味をリサーチしていなかった(たんなるアホやん)。

結論:卸しタマネギでアメタマを作るのは簡便で合理的、ただしテフロン鍋では飴色にならない。またスープに旨味を移す際、スープが濁る。オニグラには使えない。カレーの食感を滑らかにしたい人はタマネギを漉すのはお勧めだ。ただしタマネギが本当に必要かは次のレポートを参照して欲しい。

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個人経営農業の弱点

1/12カンブリア宮殿(テレ東系)を見た感想というか雑記。

卸売市場というシステムは小口生産者と小口販売者を繋ぐ為に有効なシステムであろう。小口生産者をまとめるために農協があり、市場でブランドを育成し、仲卸が買いつけ、小口販売者に卸すというシステムだ。業者を通せばその分コストはかかる。別に中間業者が悪いと言うわけではない、必要だから存在するだけ。小口製造者は競りでの信頼を醸成出来ないので農協という集約業者が必要になるし、小口販売者は競りで買い付けるのもしんどいと言う物だ。その名残は合理的だと思われている工業製品に存在しており、それは問屋(商品の配送を含む)という業態がある。

では大口生産者や大口販売者ではどうなのか。製造業であれば製造大手は販売大手が問屋の機能を持つことにより直接取引きが出来る。直接取引きが成立すれば中間マージンは少なくなるが、生産量に対する責任が生じる。顧客の求める納入量をきめ細かく守る生産管理システムが必要となる、いわゆる多品種小ロット生産だ。問屋が持ってくれた在庫を誰が持つかという問題も生じるし、資材の在庫もだ。

まぁこのように大手製造メーカーは合理化が凄まじい。この点だけでも個人農業は不利と言うか合理化が全然出来て無い。さらにメーカーでは分業化が確立している。工場だけでも生産管理・技術スタッフ・製造部門とある、もちろん大人数で働いているので労務管理もある。さらに本社部門では財務・営業・商品開発・システム・購買とある。

これらの部門を個人農家は全て行わなければならないのだ。太刀打ちできると思う方がおかしい。大規模化は数量効果もあるが、分業を成立させることにより専門性を高め生産性を上げることが出来るのだ。さらに農業は試験結果が出てくるの1サイクルが長いので個人で実験結果を生産性に活かすのは至難の技であろう。

農業は合理化により生きていける、というか種苗業や税金を注ぎ込んで農業試験場などが存在する上、OECDの金額ベースでは食料自給率高いし、そもそも高生産性なのだ。あとは日本が製造業で行っているように規模の論理と分業制を敷けばもっとかなり生産性が上がるのではないか。そしてそれはクルマやTVの値段が下がっても儲かったように、食料を安く供給でき、かつ儲かるというシナリオを描けるのではないか。

下らない危機(食料禁輸措置とか)を前提とした「食料自給率**」を心配するより、農業の高生産性の模索をした方がよっぽど国民・農家にとって良いと思うけど。

 

*例えばコンピューターシミュレーションで需給を予測できれば暴落する商品を作るのを忌避できるかもしれない、そうすれば捨てることも無いでしょう。また商品が高値を付けることがあるが、生産計画を失敗した結果であって一部の生産者が儲かっているだけと考えた方がいいでしょう。値崩れする(赤字になる)ことも無く、高騰することも無いのが賢い生産管理でしょう。農協がコントロールしているのかどうかは知りませんがコントロールしているのであれば失敗している事は間違いないでしょう。

**拙blogで「食料自給率」で検索した結果を参照にしてください。

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ロシアは覇権主義から脱却できないのか

米大統領選とか中東の緊迫とかで扱いの低いロシア情勢ですがどうも報道が少なくてよく分かりません。まぁアホな思い込みでエントリーを挙げます。

グルジアの戦端もウクライナのガス供給停止も、西側諸国のやり方ではない、なんか垢抜けないのだ。帝国主義的というか覇権主義というか。言うこと聞かない奴はやっつけるみたいな。旧共産圏のように損得抜きの面子が論理と見えてします。

ロシアの株価の下落っぷりは凄まじい。今回の信用収縮とグルジアの戦争、ガス供給停止は西側の反感を買う事は間違いなく、政情不安定な国からはマネーが抜け出すのは道理だ。その道理を捨ててでも面子を優先したということなのかしら。ちょっとロシアの論理が分からない。陰謀論じゃないけどロシアは非論理的な選択をするというのはちょっと説明しがたい。

結局ロシアは富が黒海・カスピ海沿岸に集中しており、これらの地域に影響力を行使しないと貧してしまうのか、それでも株価が落ちてまでというのも説得力が無い。

ここからはかなり妄想に入る。ロシア人はロシア帝国~ソビエト連邦時代に恐怖政治をしいてその源泉が軍事力だという歴史を持っているからなのか。そして苦難の歴史を持つ衛星国・周辺国の脱ロシアを無条件に認めると、ロシアは成り行かなくなることを自覚しているのかもしれない。資源がいっぱいあって大丈夫な気がするが。

どちらにしてもロシアは二流国であることを周辺にアピールした。はっきり言って西側に関係しない部分では「田舎の帝国」を気取っておけばいい。しかし軍事力を背景に影響力を駆使した歴史から逃れられそうにない上、資本主義陣営の論理を理解したフリをしてオイタを為す。G8?旧衛星諸国の人権なり人道を正すためにロシアに介入しなくてはならないのかもしれないけれど、もうロシアはG20程度に落しとこうよ。プーチン?彼の国で何が起こったかはわからないけれどプーチン氏は民主化や西側の論理とは距離を置いた。じゃぁ放っとけばいいじゃん、田舎者は。

ではがっちりゆるりと置いてきぼりにするしかないか、ロシアが西側先進国の論理で動いてくれそうに無い事ははっきりしたし。そうするとロシア国民が損をするのだけれど、選挙で選ばれた人は尊重をする代わりに選んだ人は放って置くしかないか。

 

1/14追記:JBPRESSに解説が載っていました。単にロシアは天然ガス代を払って欲しかったようです。経済が上手く行かなくなったごたごたらしいです。

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イスラエルを人道非難しても全く効果は無い

1/11のサンデーモーニング(TBS系)を見ていて思った雑記。

定額給付金について渡邉美樹氏が費用効果が低いことを根拠に定額給付金を反対していた、「福祉に遣え」だそうだ。あぽ~ん。まぁ氏は病院や学校を経営したいるが福祉については手を出していないのだから非難に当たらないかも知れない。本音は病院・教育と言いたいところを我慢して敢えて関係ない「福祉」と発言したのだろう。でも単年度会計に雇用を期待してもダメだろって。

費用効果は必ず消費が起こる公共設備投資が定番だった。ところが特定の業界に偏ると談合や利益誘導が起こるので、それに反対するために敢えてお金に色が付かない「定額給付金」に落ち着いたと理解していたのだが違ったのであろうか。もちろん渡邉氏のいう効率は悪い、遣わないで貯金してしまうかもしれないし。クーポン式だとしても本来使うはずのお金をケチって給付金を当てにすれば貯金したのも同じだからだ。そして今回の給付金は減税が形を変えたもので単年度会計。継続的な費用が必要な雇用にもっともなじまない。それなら設備投資を前倒しした方が得という物だ。それが悪評高い道路建設でも。

投資効果を重視するのであれば設備投資の前倒しが一番効果が高い。もちろん設備投資は道路には限らない、ゴミ処理場だっていいし、病院でも良い、雇用には充てられない、1年で首にするならいいけど。特定の業界にお金が流れるのが嫌であれば減税方式しかない。そんなことは腐るほど議論したんじゃないの?

本題に戻ります。

イスラエルは初期攻撃は上手く行った様だ、戦争の目的は自国の被害は最小限に、攻撃目標の被害は最大にだからだ。もちろん人道被害は小さい方が良いのであろうがゲリラ的な兵制を敷いているハマスを叩くのは他に方法は無い、ハマスへの攻撃では戦端を開いた時点で人道への優先度は決まりきった物だ。なぜなら自国の国民が攻撃に晒されているのに他国の人道の為に攻撃を止めるのは有り得ないからだ。もちろんイスラエルに非難されるべき点がないとは言えない。本当に攻撃しか方法は無かったのか、無駄にハマスを追い詰めてなかったか。

なので「人道的に憂慮」するという世界の声明はイスラエルになんの役にも立たない。イスラエルは一方的な虐殺だと言う意見も有るが、それはイスラエルにとっては戦果なのだ。イスラエルに必要なのは停戦の実効性と国民の安全を守ることであろう(それがポーズだとしても)。

もしイスラエルの戦闘(虐殺)を非難するなら、結果が読めているはずなのにイスラエルを挑発し、戦端を開かせたハマスにも同じだけ責任があるであろう。ハマスの幹部が子弟の自爆テロを拒否したという未確認の情報も有るが、自爆テロを是とする教育を施し、自分は安全な場所に居るハマス幹部はどうなのよ?

停戦合意が難しいのはハマスもゲリラを止める気が無いことだ。レバノンからもミサイルが飛んできたし。

大学教授がコメントで「人道憂慮うんたらこーたら」と言っていたが、誰もがことの難しさを分かっているからそんな意味の無いことしか言えないのであろう。我々の属する西側の意識では人道主義でないのはハマスなのだ。まぁイスラエルが全然悪くないとまでは思わないけど。

想像して欲しい。例を挙げると北朝鮮からミサイルがパンパンと飛んできて、日本人が亡くなったら、どうするのかと。外交ルートでミサイル停止を申し入れてもミサイルが止まらなかったら、まさか「遺憾です」とでも言うというのか。日本人の安全を守れない為政者には存在価値が無いことは自明なので、政府はアメリカと中国に脅しをかけてもらうように働きかけ、それでも止まらなかったら攻撃を依頼するであろう、当たり前の話だ。その際、日本人の命が助かることが第一義で、北朝鮮の人民が何人死んでも知ったこっちゃ無い。

もういちど言うが「イスラエルに人道主義的でない」という非難は通じないし、全く意味を為さない。各国の為政者は言わないと支持率が下がるから言うけど「そんなこと言ってもなんの効果も無いんだよね」と思っているに違いない。

もちろん私は専門化ではないので処方箋はない。ただし人道主義でイスラエルを非難するとハマスの地位が相対的に上がり、泥沼化することを危惧する。実際、レバノンからミサイルが飛んできたし。イスラエル悪しの世論を嗅ぎ取ってヒズボラが裏で糸を引いて攻撃したのであるとすれば**、「イスラエルへの人道主義的な非難」は逆効果でしかないかもしれない。

それより自国民を盾にしたり、「自爆テロ」等という方法を用いるハマスの方が比較出来ないほど非人道的だ。***

 

*こういった戦争が起こると必ず陰謀論を述べる人が少なからず居る。上記では「人道主義」を優先すると逆効果が起きる可能性を問うた。物事をロジカルに積み上げるのが苦手な人には「陰謀論」は便利なのかしら、自分が思うように進まない理由を理解するためには。

**レバノン武装勢力やヒズボラにはイスラエルの発言権が比較的小さくなれば、交渉の果実は大きくなる。具体的にはイスラエルは①世論の支持が無い上(幾らイスラム原理主義グループが理不尽でも他国からの支持が無い)、②多面戦争を避けたいという思惑に変わっても不思議ではない。イスラム原理主義グループはイスラエルから大きな大きな譲歩を引き出せる可能性があり、この可能性に賭けるという誘引がある。

***イスラエルを初めとする西側諸国では「人道」という概念があるのを利用して自国民を盾に使い、自国に有利な交渉力を求めるハマスは許されない。また自爆テロで被害に遭った方々はもちろん、貧困と無教育に付け込んで自爆戦士を製造しているのはどんな言い訳も存在できないであろう。

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