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1t(トン)100万円

昔の話を思い出して。

クルマは1t100万円で、鶏肉も1t百万円だと聞いた(1kg千円、100g100円)。まぁそんなもんだ、鶏肉を100g100円で1t100万円だ、クルマもベーシックモデルでそんなもん。で、後輩に質問してみた「鶏肉とクルマとどちらが高い?」。

メーカーの場合、企業の利益率と重量単価はある程度相関しているかも、というよりこの1t100万円を境に超大量販売と少量販売に企業モデルが表されているであろう。特に資材産業は大量生産低価格路線で大資本が幅を効かしている、石油などはその典型でオレフィン樹脂などは1t10万円オーダーであろう。これは量を売って何ぼの世界といえる。

一方、一般消費財では筆頭に挙げた鶏肉を始め1t100万円レベルだと安物の部類に入る。量が出るという前提だ。

1t10百万円(1kg1万円、100g千円)のレベルだとどのような商品があるかしら。魚・肉はここまでは高くない、食品は儲からないのかな、高付加価値商品、例えば菓子等を除くと。薬や化粧品など小さいものはこんなものかもしれない。

やはり、この世界で少量多品種である程度数が売れれば儲かるということか。1t100万円より高い品物を作る企業が手軽に利益率を上げられるといえる。低価格の物は価格競争に陥り易く、消費者が「安いから買う」という消極的理由で購入しているのでWin-Win関係を築きにくい、ということはリピーターが少ないことを意味するといっても暴論ではないだろう。中小の企業モデルとして、コンシュマー(流通)とWin-Win関係を築くには高価格商品、そのレベルは1t10百万円以上を目指すのが良いのであろう。また低価格商品は資本の論理で価格形成されるであろうから、ニッチでも生きづらいといえる。

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擬態語が蔓延している?件

忙しいというかいっぱいいっぱいなので、下らないエントリーが続きます。

嫁はレンジで「チンする」から始まり、衣類消臭剤は「シュッシュして」と言い、風呂を沸かすボタンを押すことを「ピッしといて」と言う。チンするというのにも違和感があったのだが擬態語の多さに違和感を結婚当時感じた、まぁ最近は慣れたけど。ところがところがTVドラマで衣類消臭剤をかける事を「シュッシュしても・・・」との台詞があり驚いた。擬態語は一般的な事象だと。世の人々は擬態語を多用しているのであろうか。

擬態語を多用するのが悪いという意味ではない、理解できない個人的な感想を持ったというに過ぎない。ピッとかパッとか言われて意味は分かるのだが「それってどうよ」と突っ込みたくなる。あまり会社などの社会では聞かないので半径5cmのことかも知れないのだが。

下らなくてすいません。

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安全のコストと安心のコスト

安全と安心は違うという意見はよく聞く、安全の対義語は危険であり、安心の対義語は不安。安全は科学で判断可能であるが、安心は主観的な問題で、政府が関与するような問題ではない。どちらを優先する必要があるかは各々が決めればいいことであるが、予算の分配はそうではないらしい。

政府レベルでの予算、例えばBSEやダイオキシンなどには死者が0名であるが予算はかなり組まれているらしい(今回は印象論と言うことでソースは割愛)、一方食中毒は予算はかなり使われているが「そういうリスクを請け負っている」という前提で話が進むため、刺身を販売することを禁止するなどの措置は取られない。残留農薬は気にするけど、二枚貝の貝毒やウイルスは許容範囲。牡蛎で当たったという人は結構居るけど、赤福を食って腹痛を起こしたとは聞かない。刺身で当たったらあたった方が悪いという論理だが、不潔な加工食品は被害が無くても問題らしい。それって根本的におかしくないか?感情的にはすごくよく分かるけど。

安全のコストと安心のコストはどのような配分が適切なのか分からないけれど、安全は自己責任で安心は政府でというスタンスは到底納得できない。本来逆だ、安全の指標は国が責任を持つ、それもある程度、だって食中毒の危険があるから刺身・寿司は禁止では暴動がおきるでしょ。しかし、安心の部分は競争ではないか。安心性(安全性)をアピールして高価格というのもありだと思うし、無駄(健康被害を引き起こすかもしれない)な元素を配合した食品を高級と思うかどうかの差だ。

水道の安全性を疑い、雑菌たっぷりの浄水器水を飲むのも自由だし、鉱物たっぷりの湧水(ミネラルウォーター)を嗜好するのも自由。健康にいいと思われる物質を自然界にない濃度で飲むのも自由。しかし、その自由を享受するのと安心を政府に求めるのは矛盾している。ミネラルウォーターは水道水の基準より甘く、嗜好品として想定されているから。自然の物が安全だと妄想している人は熱帯エリアの生水でも飲んで、従来療法で生還して下さい。下剤代わりに硬水を飲むのは勝手ですが、健康リスクがあるので無責任に他人に勧めるのは止めた方がいいと思います。

役人に「規制をしてくれ」というとちゃんとしてくれる、責任がおっかぶされるので過剰に、妥当でなんかあるはず無い、責任論が起こらないことが前提。だれだって安心の基準を作成してくれといえば安全サイドに振るのが当然だ。であれば食品は役人が許可した、高コストで品数が少ないものを粛々と食すことになる。

安全と安心、この定義とコスト負担を真面目に考えた方がいいんじゃない?また、安全と安心を真面目に取り組んでいないつけがそのうち来るかも。世の中には安心だけど安全でない物という論理的矛盾な商品が多いから(安全だけど安心なものも数多くある)。

政府の怠慢が故に安全指向が高まったという論もあるが、それは間違い。マスコミや法令を理解していないコメンテーターの印象論が、真逆の「安全を無視した安心を指向する」状態になっている。数多くの偽装問題の中で、本来の問題である食中毒がどれほど報道されたか。

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カーボンニュートラル

本日、プラスティック商品メーカーの技術者と雑談を行った、話題は環境対策プラの話に。デンプンで、PLA(ポリ乳酸)で容器を作れますよって技術トレンドに質問を突っ込んでみた。

標題のカーボンニュートラルとは石化燃料を焼却するからCO2が出るのであって、植物由来のCO2を燃やしたって、(直近に光合成で造った)再生可能なC(炭素)を燃やすのだから、CO2排出にはニュートラルだという考え方だ。しかし、原料ではそうであっても加工、輸送段階では石油(あるいは電気)を使うので原料単体でカーボンニュートラルを論じても無意味だ、てなわけでLCAという手法が生きてくる。

デンプン・PLA(トウモロコシ由来プラスティック)は「環境負荷が低い」ってのは本当?というのがキモだ。LCA(Life Cycle Asesment:原料~製品~廃棄に至るまでの総エネルギー)的にどうよ?って質問にやはり「1kgのプラスティックを製造するのに石油由来と穀物由来とでは石油使用量がどの程度違うか調査中」とのこと。トウモロコシを作るのに石油をかなり使っているうえ、アメリカ等で原料化しているので総LCAは分からないとのこと。燃料用アルコールでは石油1でエネルギー1.2作れるという試算があり、利得は0.2ということになる(ソース失念:このあたりだと思うのだが)。であればプラスティックなどは石油で素直に作るほうが環境負荷的にも経済的にも良いという話になりかねない。コストが高いのはしょうがないとして、環境負荷もそんなに利得が無いとなると。。。

さらに様々な化学物質の総称である「プラ」を集めても有用なリサイクルは難しく(単一素材で収集されているPETは除く*)、プラとして収集用の税金を徴収しておきながら焼却(発電)しているという矛盾まで内包している。

企業の本音は「環境に優しい」という姿勢をアピールできればその本質は関係ないというのが本音であろう。しかし、技術屋としてはやるのであれば効果のあることに取り組みたいし、理系の観点から科学的に正しい方向を目指して欲しいという欲求がある。環境問題は本質的には「政治問題だ」と述べたが、環境と向き合っている技術屋としては費用対効果、「効果」の部分に着目したいのが本音。価格が高くて効果が薄いものはあんまり導入したくない。

単純に「ある物質(環境プラのことね)」を導入するというだけでこのような議論のトレンドや条件を確認しないといけない。それほどナイーブな問題である。技術屋至上主義な意見だとは思わない、それを前提に広く議論してくれ、間違った前提で議論をしてくれるな、修正が大変だよって話。

イメージ先行の環境問題だからこそ技術屋としての発信が必要だと強く思う。というか間違った前提で議論が成り立つはずも無く、正しい知識を広めて欲しい。NGO(NPO?)団体でもとんでも意見が多く(例えば信念を前提に話をする)、価格を無視した意見や、原理原則からかけ離れた意見を追放して欲しい。

今日は専門家同士(私が専門家なら)だったので、単語や背景の詳細な注を入れずに話が進んだが、科学の概念がない人の意見、効果を検証するトレーニングを積んでいない人の意見、技術トレンドを無視した意見、価格の概念がない人の意見が多く、素人の集団は「人間的な善」を前提としているためたちが悪い。だから話が通じない。**

*PETのリサイクルに反対しているも居る、プラゴミに至っては。。。

**だから意味ないとか、ばかにしているとか、ではありません。科学的・技術的な背景を抑えてよと、だって技術なんて所詮ツールですから。

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危険なスーパーマーケット

買い物をするときはお腹が空いていては駄目とよく言います。買い物は行く前に買うものを決めて行くのがセオリーだそうです。それには激しく同意。

普段、買い物に行くときは司令塔の嫁(と私)が週の献立を決めて、チラシをチェックして、買うものをメモして行きます。買い物は休日の午後に行くことが多いのですが、当然昼食後です。また、品揃いがすばらしいスーパーよりは一番近い商店街といまいちなスーパーへ行きます、スーパーは徒歩圏内に3箇所あるのですが、品揃えがすばらしいスーパーにはたまにしか行きません。このSスーパーは床面積が大きくて、珍しい物が多い上、たまにしか行かないものですから余計なものを買いすぎます。ですので、徒歩数十歩の差で近く、余分なものを買わなくて済むI、A(Aはかなりマイナーだ)スーパーに行きます。品揃えのいいスーパーはいいスーパーとはいえないという貧乏人のジレンマがあったりする。

ところがところが、(常々科学的に安全とか味とは関係ないと主張している)従来製法食材とか日本固有食材とかにめっぽう弱いので、いわゆる高級食材スーパーに行くと大変なことになります。ちょっと足を伸ばしたところに紀伊国屋のようなサカガミなるスーパーがあり、(今は亡き)「どっちの料理ショー」で使うような調味料や食材が並んでいるのです。古式製法の醤油・酢・その他調味料・乾物、ちょっと高めの季節の果物・野菜、ハム、地方特産の干物など。立地が都会チックではないので買えない値段では無く、つい油断すると、買い物にアゴの煮干とか無添加ベーコンブロックとか長崎のアマダイの一夜干し開きとか、鰤の味醂漬けが買い物籠に入ったりして、慌てて戻します。

たまにデパ地下や高級スーパーに行くのは楽しいのですが、イラクよりも危険地帯であるということを認識しなくてはいけないのです。今日はお腹も空いていたので特に危険でした、以下損害。

今日の散財:巨大生椎茸¥600、乾燥若布¥1,000、骨付きハム1片(ハムステーキ用)¥1,000、おでん種

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キノコ 本しめじ

秋はキノコの季節。我が家でもキノコブーム。舞茸やエリンギが激安なので毎日のように食している。スープや炒め物に大活躍。

先日、本シメジが売っていたので購入。6本で300円くらいで、高いけど美味そうということで一箱購入。たしか販売者が雪国まいたけで生産者は静岡か三重の業者であった。そのときはたまたま見つけて買ったのでまた食べたいと探したが無い。

netで調べると嘘のような値段だ。同じパッケージの商品がなんと¥3、360(写真のパッケージは6本入りだと思う)。高!! 他の店でも¥5,000/kgとか。どういうわけか特価で手に入れたらしい。味は目茶ウマ。「香り松茸、味しめじ」というが、旨みは多い。個人的には極上椎茸には勝てないと思うが、極上椎茸も似た様な値段だと。最近の注目商品ははたけしめじ。しめじは昔からヒラタケ→ブナシメジと移り変わってきたが食感で言えば次世代のホープでしょう。

技術の進歩はすばらしい、以前はキノコと言えば椎茸とエノキダケ、ヒラタケ、なめこ程度であったが、エリンギ、ハタケシメジ、ヤマブシタケ、ホンシメジ等種類も値段もお手ごろ。で、美味しい。これぞ技術のなせる業だ。天然物はキノコ毒のリスクがあるので一般の人にはなかなか手が出ないし。これを工業的に生産するという姿勢に感動する。現在キノコ生産会社の大手はホクトや雪国まいたけがあるが両社には今後も技術革新をお願いしたい。

ええ、松茸はいかがわしい炊き込みご飯しか食べてません、貧乏人には無理です。

追記:日曜日(11/25)に7本で¥600の巨大椎茸(直径10cm)を買ってしまいました、1本¥100の生椎茸です。明日はホイル焼きか、バター焼きです。ホンシメジより美味いはずです。

さらに追記:本日(11/26)巨大(直径10cm)生椎茸をバター醤油焼きで食しました。ホンシメジよりも美味しかった。1ヶ¥100の椎茸を2ヶ食しました。付け合せのハムステーキ(もち豚ロースハム半額厚み1cm)も美味しかったのを付け加えます。

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細胞提供の倫理と献血

米大統領、万能細胞研究を歓迎 再生医療へ倫理の壁回避(産経新聞) - goo ニュース

詳しくない上、よく分かっておらず、同僚にヒアリングした感想を備忘録。

人の細胞を使用するには倫理的な規定があるというのはなんとなく分かっていた。でこの記事。それを皮膚科学を研究している同僚に倫理的な問題のキモを聞いたら、「細胞の個人情報が流れると困る」ということだった。例えば自分の細胞を貯金しておき、手術の際自分の細胞を使用するにはそれを保存する業者が居て、その業者が遺伝情報を漏洩しないシステムが完備できていないと認められないとのこと。

えっ、細胞の情報って見られたら困るの?献血はいいの?というのが素直な疑問。返ってきた答えは「献血はその点がオーソライズされているとの前提、細胞情報はいちいち倫理的に問題ないか責任を持つのが前提」。まぁ貯金した自分の細胞と誰かの細胞が間違ったら困るから分からないでもないが、余りに規制が厳しいようで、献血と同程度でいいんじゃないのというのが感想。

ふーん。よくわからん。わたしゃ遺伝情報が誰かに知られてもあまり困らないと思うのだが、そうでない人が居るということは理解できた。

もっとも記事の問題とは本質的に違うのだけど。ややこしいという事実では素人感覚で同じように感じる(あくまで素人感覚です)。

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女性専用車両と匿名の意見

あんまりな記事とほほ。gooニュース畑で話題の「酷い?女性専用車両の実態 でも利用する立場から言わせてもらえば・・・」のコメント欄のあんまりさに唖然と言うか、怒りを覚える。現代人は自分が人より不利益な状態である事に異常な嫉妬を感じるらしい。しかも犯罪で被害を受けた/受けそうな人に対してである。ちなみに私は電車通勤をしているが座っている上、そんなに混んでいない路線なので発言に不適切な場合がある事を内包している事を断っておく。

女性専用車両という言葉には多少の違和感は持つ、例えば女性優先車両と言う名称のほうが良かったかも、とは思うが本質ではないだろう。実際に犯罪(痴漢)が起こっていて、被害者が居て、被害に逢わない対策が必要で、そのために女性専用車両が出来た。これが空いていようが、混んでいようが社会コストなのではないのか。これに堂々と反論を述べる神経が分からない。反対論者の多くは男性であろうが、「平等の観点から反対」という理解不能なコメント多数。まぁ理解できないというのは嘘だけど、頭がかなり悪いと思うのは正直な感想だ。

本質論をすり替える

痴漢は混雑が原因だ(十分条件)、混雑をなくすのが筋ではないか。という能天気かつコスト意識が働いていない人が居る。本質論は結構だけれども、「それが嫌なら電車に乗るな」とまで言う。だったら、その人も女性専用車両のある路線に乗らなきゃいいじゃん、頼んで乗ってもらってるわけでもないし。本質論を唱える事で事態が解決すればいいのだが、単なる馬鹿丸出し。

マナーへの言及はやぶへびでは

「女性専用者では特にマナーが悪い」という意見があるが犯罪行為の防衛策として導入されているのだから全く関係ない話だ。犯罪から身を守るというのがテーマだからだ。マナーが悪いから犯罪は黙認するという考え方はおかしいだろと思うのだ。

マナー違反であれば私の主観では中高年の男性が一番酷い、母数が多いからかもという事を理解しているが車内の化粧は見苦しいかもしれないが根本的には周りに迷惑をかけていない、単に「非常識で馬鹿だ」と周りに思われるだけだ。「股関節脱臼者」への配慮という意見もあるがシートに座っている男性の半分以上は該当するという印象だ(偽股関節脱臼者を非難しているのです為念)。総じて女性は体が小さく、脚を開いて座らないのに対して、男性は体が大きく周りへの配慮が必要なはずなのにドーダ俺様座りをする。香水の匂いも気になる事はあるけれど(アレルギー体質の方には大変迷惑らしいけど)、鼻をすすったり、咳をする大大迷惑野郎よりはかなりましだ。ヘッドホンステレオの音漏れは確かに若者に多い、それでも車内放送の喚起で十分少なくなった。

被害者救済策への反対する事象について

もう幼児の世界としか言いようが無い。「弟の方がおやつが多い」と文句を言う幼稚園児並みだ。「俺は大変な思いをしているのにあいつだけ楽しやがって」という幼児的本能を理論武装する情けなさ。まぁ匿名だから言えるのだろうが。匿名だから言えるというのが本質的にやばい。通勤電車に乗っているのは大多数が大人・常識人に該当する人であろうから。家族が痴漢・レイプなどの性犯罪に巻き込まれることを想像しないのかしら。その対策の一環で、その社会コストは高いのであろうか。「娘は毎日痴漢に逢っているがそれでも女性専用車両は必要ない」と言える人が1人でもいれば少しは考えるが(本音はその人の精神を疑うので居たとしてもあまり関係ないが)。

男性全体を痴漢視されることへの反発

実際に痴漢犯の多くは男性であり、被害者の多くは女性であろう、擬似痴漢を売りにする風俗店もあるぐらいなのでその反論は無意味。*  男性への拒否感がある女性が数多くいる事への違和感も感じたが現在は女性専用車両があるので別に問題は無いであろう。男性諸氏が怒っているのはどうやら利用率の悪い女性専用車両の存在であるため、利用を宣言している人へ非難するというのはナンセンスだからだ。

痴漢冤罪への対策

これをどれだけ本気にしているのか分からないが(私は座っているので実感がまるでない)、男性専用車両を設ければ納得するなら、設置すればいいのではないか。利用率が悪ければそれこそ笑いものだ、実名で署名運動をすればよいのでは。Webで定期券のID番号(無いけどね)を打ち込むシステムにすればいいんじゃね(棒読み)。

社会コストの意味

この女性専用車両は社会コストの典型なのではないか。もちろん男性全てが痴漢予備軍ではない、しかし痴漢は男性である事から必要条件なのは事実であろう。痴漢行為の対策として女性専用車両があるのは合理的だ。この記事でも他の対策意見はただの1件もなかった(揶揄は別にして)。でも平等の論理で武装するぐらいなら女性専用車両と男性専用車両とそれ以外の車両を1/3ずつ作ってみる壮大な実験をやればいいのではとも思う(嘘です、思いません)。実際に被害があり、その必要悪として女性専用車両がある事への不満が、必要悪である部分を無視して論理武装を行う、、、やっぱアホです。

何故時間限定なのか

痴漢がある程度混んでいないと起こらない、というわけではないようだ。であれば混雑していない時間にこそ女性専用車両を作るコストは相対的に低い。高コストなラッシュアワーに女性専用車両を作るぐらいなら終日女性専用車両を作ればいい。利用率が低くても関係ない、そもそも全体の利用率が少ない時間だから、混雑への影響は少ないはずだ。昼間に痴漢はゼロだとか、女性専用車両を昼間に維持するには高コストだというなら別だが(編成車両を女性専用者があるために減らせないということは考えうる、しかし都心の地下鉄は車両数を混雑度に応じ変化させてない場合が多いので、そんなに高コストではないと想像する)。

匿名は本音を見れて面白い。このような吹き溜まりを見ると不快になるがそのような意見を持つ人がある一定以上いるということが分かって為になる。匿名だからこのような意見が出るのであろうから。。。しかも本音を頭の悪い論理武装をしただけだから浅いし。匿名だから頭が悪くても関係ないわけだよね。

でもgooのIDをオープンにしている人も居て、理解不能。

 

*指摘により削除、不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。記録としては残しておきます。

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国民年金の割引率

国民年金は「年金は、納めた額の1.7倍以上に」との事である。これは割引率は幾らになるのだろうか。ググッてみたが出てこない。幾ら1.7倍でもあまりに低い割引率なら国債でも買った方がいいという事になる。どれどれ。

国民年金を満額貰おうと思ったら、20歳から60歳まで40年間払うことになる。利息計算など普段しないので間違っているかもしれないがexcelで計算してみると複利計算で利息が2.5%相当となった。おっとこれは美味しい。でも自分で払った年金は現在のリタイア世代に廻されるので純粋な意味では税金で補填してるんだよね。でも年利2.5%は悪くない、というか相当いい。

結論:国民年金は加入した方が得。

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環境問題のナイーブな1面

11/18日経に28面中外時評にて「決着した温暖化論争」のだめっぷりが環境問題のナイーブさを表している。記事ではIPCCの人為的温暖化は科学決着が着いたと述べているのに、(反科学的な)心地よい反論が絶えないことを批判している。このなかで「北極の氷が解け(ママ)ても海面は上昇しない。温暖化による海面上昇は海水の膨張によるものが大半だ。」と正しく述べているがその知識が表面的なのが直ぐに分かる。「南極大陸やグリーンランドに分厚く堆積している氷床が解け(ママ)出したら、海面は数㍍上昇するのも事実である。」と続けている。南極の氷が溶け出すという指摘はSF(Science Fiction)以外の何物でもなく、著者が科学的事実と混同していて、それに気がつかないということにがっかりするし、だからこそ「心地よい反論」が成立する下地がある。

温暖化では水分の蒸発量が多くなるので、南極では降雪量が増え、マイナス何十度南極では少々の温暖化では降雪量が増えた分だけ氷床が厚くなるのが常識だ。南極の氷が解けるためには地球の平均気温が30℃は上がらないと無理だろう、または極の位置が変わるとか、極の向き(南極が太陽を向く)がなければ無理だ。変化した極の位置が大陸であればその地は南極化するはずであり、科学的事実として正しいかも怪しくなる。南極の氷が溶けるという論はSF以外の何物でもない事が分かるはずだ。この筆者は文系の人間で、科学の専門家でないといってもあまりな間違いだ。

地球の人為的温暖化に対する多くの反論者、すなわち科学的事実を反論しているというよりも、その対策(政策)が妥当であるかどうかを反論している論者を切り捨てているわけだから「こんな初歩的な間違いを犯す奴に言われたくない」と思われても仕方が無いであろう。

環境問題の難しいのは「受け入れがたいが根本的な解決方法がある」ということだ。石化資源の凍結を行えばいいのだ。それが分かっていてどのように騙し騙し運用するかというのが政治的な局面となっている。以前は人為的な活動が環境に及ぼす量が大きいか小さいのかが分からなかったが、今は明らかになってきた。その事実に対する反論は余り無いであろう。現在までの温暖化は諦めて、現状維持するのも難しいという事実を分かっている。是非IPCCレポート(政策者向け)の全文を読んでもらいたい。IPCCのレポートは政治的なにおいが多いレポートで、発展途上国をどう扱うかによってかなりのブレがある。というより、発展途上国の問題の寄与率が大きく、その問題に金を使えと言う主張もある。参考記事

その上での政策という事はどんなに突き詰めても「程度問題」となる。どの「程度」で妥協するかという妥協点を決めようとしているのだ。

この記者はこの点を分かっているのだろうか。記事では結語に温暖化ガス排出量取引を経団連が反対している事を非難しているが、事実を無視した反論などではなく、経団連は政治的な問題を提起している事を分かっているのであろうか。記事では途中まで科学を論じておいて突然結語で経団連を非難している。これでは反対論者を説得するのは困難と言うより自作自演のギャグだろう。

環境問題がエスカレートすると宗教的盲目さが目に付いてきた。間違った情報や解釈も多い。行き過ぎた環境政策を批判すると、環境問題そのものを批判されたと勘違い野郎続出なのだ。ここら辺が「環境問題はナイーブな政治問題」である所以である。ナイーブな問題である事を理解できないとこの問題は所詮「政治問題」であることに気がつかないのであろう。それは独善でしかなく、極論すれば害悪だ。妥当なところで落し所を提案しようにも正論を振りかざし、彼らを尊重すれば問題が先送りされる。ところが「正論」を現実的でないと誰も言わないのだ、正論を吐く人はそれが分かっているのかいないのかは分からない。

分かりにくいよね、困った困った。文系記者が間違うのは仕方が無い、だからこそ非難しているわけではなく、単にぐったりと疲れるのだ。

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ポタージュスープを失敗した

標題の件そのまんまなのだが、失敗した。先週、先々週と鶏がら、豚骨とスープをとって各々塩ちゃんこと餃子鍋を行った。それは無難に美味かったのだが、スープの余りの応用メニューをかきたてる事件があった。サライでのスープ特集だ。

サライを読んでいたら、スープ特集。たまたま余った鶏がらスープで酸辣湯を作り、目茶ウマ。人工的な味(私はこう表現しているがなにぶん味の事なのでイメージという事で)がせず家庭料理としては秀逸。次週に豚骨スープを取った際も続けて酸辣湯。これがまたちと下品だが違った美味しさがあり、これも嫁に好評。

満を持して、ポタージュスープに挑戦。レシピをググッて見るとジャガイモのポタージュスープ(いわゆるフレンチの定番)のレシピが無い、サライも人参が入った赤めのスープのレシピ。仕方ないのでビシソワーズのレシピで代用。温めればポタージュだもんね。

材料(4人分):ジャガイモ(男爵)小5ヶ、玉葱60g、鶏がらスープ2カップ、牛乳2カップ、バター15g、塩

玉葱薄切りをバターで炒め、しんなりしたらスープ、銀杏切りしたジャガイモを加え20分弱火で煮る、灰汁をとる。その後クッキングカッターで細かくし、ざるで漉し、温めた牛乳を入れ、塩で調味。こう書くと簡単だと思うであろうが目茶大変だった。なんといっても漉すのが大変。スープを取り終わった状態から1時間以上かかった。さて食事、サイドメニュー(?)はミラノ風カツレツ、サラダ。だってメイン料理がポタージュなんだもん。

結果:味はいい、でも舌触りは最悪、粉っぽいというかざらつくというか、ネットリ感がまるでない、レストランで食べるあの食感とは程遠い。だからググッてもレシピに到達しなかったのか。素人には無理と言うことか。今週はけんちん汁でお茶を濁すつもりだけど、鶏がらスープまだ余っている、何に使おうか。嫁はミネストローネとか言っているけど、私はチキンライスを食したい、まぁどうでもいいけど。今はポタージュのリベンジに燃えている。

うーん、再度チャレンジだ!だれかコツを教えてください。

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山女には注意する必要がある件

高尾山に紅葉を見に行ってきました。八王子では銀杏祭りが行われていましたが見頃は来週でしょうか。モミジは下界ではまだまだでしたが山頂では見頃でした、銀杏は下界でもなかなかの色づき具合です。天気がよければ来週は立川(昭和記念公園)か八王子甲州街道にいきたいですね。行き帰り乗り物を使わずに行って、膝痛か腿の筋肉痛を覚悟です。

ハイキングとか軽登山では女子がかわいい。街で見ると垢抜けない感じの娘でもかわいく見える(と思う)。実際、すれ違った若者たちは皆かわいいのだ。よく分からないのだが、若者女子チームも数多く居た、流行っているのかしら山が。マジックのせいかもしれないが皆かわいいのだ。

スキー場マジックというのがある。ふかふかのスキーウエアを着ていると体型も曖昧になり、周りの景色の美しさ、紫外線対策で完全化粧から女性が実力以上に美しく見えてしまうことだ。ハイキングはこれに近い事があるような気がする。仲の良いグループで好きな男性がいる女性は山に行くとマジックが発揮できると思う。

ミニスカートなど体型をアピールするような服装は皆無で、それよりも健康的な魅力をアピールされる、Gパン・スニーカー・化粧薄め(皆無)で魅力十分。また場所柄極端に痩せている人や極端に太っている人がいない。服装もカジュアルよりはスポーティーで筋肉質体型の方が頼もしい、汗をかいて顔が赤らんでいるのも魅力的だ。ギャルが苦手なニートは山を勧める。健康的なカップル・グループ・若妻(こぶ付き)が非常に多い(下界でどう思うかは別です多分)。観光ミシュランに載ったせいか外国人も方も多かった、特に中国の方が多いような気がしたけどかわいい。

その昔、合同ハイクというものがあったということだ。うーん、先人の知恵はすばらしい。山では女性を魅力的に見てしまう、ボディタッチもある、また紳士を自然に振舞ってしまう(難所で手をつなぐとか)。きっかけ作りではベストではないか。ハイキングというとジジババの特権のような感じだが若者も多い。男女に積極的になれない方々は是非ハイキングに行きましょう、もうシーズンオフだけど。

なので合コンよりは合ハイの方をお勧めします。女性はキャンプよりもハイキングに男性を誘いましょう、もてます。男性はそれに騙されてはいけません、というより新たな魅力を感じるというチャンスととらえてもいいでしょう。

追記というか感想。早めに行って、早めに帰ってきた。お昼ご飯は下で蕎麦。ということは我々が下山時、上りは渋滞気味。狭い道の片方を開けるのが自然だと思うし多くの方はそうであったが、下りの我々の進路を潰して右側を歩く多くは中高年男性でした、我々が止まると「何で下って来るんだよ」的に睨みつけるのは中高年男性だけでした。子どもは注意が行き届かず、道を広がりながら上ってくることもありましたが、気付いた点で避けてくれましたし、引率者が注意をしていてくれました。若者も一部は楽しくて的に邪魔だなぁと思うこともありましたが、直前では避けてくれました。避けない方は全て中高年男性でした。

太古より「若い奴は駄目だ」という愚痴が多かったそうですが、現代は「中高年って奴は駄目だ」という稀有な時期なのですね。

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天然物はすばらしい?

いつもROMしている食品安全blogに感じられているリスクにも対応が必要という記事がある。含蓄のある記事で「安全な化学物質に対する不安、危険な天然物にたいする間違いを政治的な対話が必要だとの事。

これには頷ける、というかその前提の間違いには激しく同意。自然食品フリークではあるが従来農法(漁業)を万能だと思った事はないし、化学の発達によるメリットも理解しているつもり。なによりこのblogでは余り触れられていないが食品リスクは微生物関連がほとんどで、ダイオキシンの心配をするぐらいなら食中毒を心配する方がよっぽどメリットがある。

ところで疑問。魚の世界では「天然物」といえばブランドだ。でも野牛とか野豚とか聞かない。もっとも天然の牛がアフリカ大陸以外にはいるとは思えないので仕方がないが、野猪は珍重される事はあっても美味とはいわれていない。魚でもそうなる可能性はないのであろうか。鮪の養殖物は全身トロというし、牛でも草しか食わない牛は硬くて食えないと豪州産牛を敬遠する時期があったが、運動不足で穀物を食う和牛を珍重するのと同じではないか。天然物よりも嗜好に合った魚を供給する事が是となれば資源保護の観点からも有効だろう。養殖=まがい物という図式は畜産では通用しない、実際天然物の高級魚を食い比べて分かるのかしら。

天然物は何を食っているのかわからないが、養殖物は畜産・漁業ともに何を食っているのか把握できる、この方が安全ではないのか。安くて、美味くて、供給が一定している方がいいに決まっている。一部のマニアが天然物を珍重すればいいのだ。

その天然物珍重が、健康食品という人工食品以外の何者でもない物にも飛び火している。ロジックがよく分からない、もちろん原料の事を指しているのであろうがその意味が分からない。

頭が悪くてすいません。

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大きな政府?小さな政府?

このところ日経の報道では「小規模農家の補助金拡充(11/14夕刊)」とか「道路事業68兆円以上(11/14)」とか「公的年金税方式の解説(11/14)」など大盤振る舞いの様相。政府はばら撒き型の政策に舵きりをしたようだ。ここ30年、行政・ばら撒き型で地方の衰弱・過疎化を食い止められなかった経験は無視らしい。これは票を集めるための施策というのだから国民が馬鹿なのか、舐められているのかよく分からないけど。

年金を税方式で賄うという観点、地方の衰弱を中央で面倒見るという施策はいわゆる「大きな政府」を目指すということになるであろう。ここでは地方重視という施策の良否は論じない。首都圏在住の私がそんなことを論じても意味ないからだ。それよりはその意味する事を考えたいと思う。

国鉄・電電公社・郵便局の民営化を「効率化」という観点で進めてきた、ところが福祉問題を絡めて「政府の責任」、政府が面倒を見る範囲をどこまで広げるか、そのために財源をどうするのか、公務員の仕事のやり方(超文書主義)を許容するのか、といった議論は行われているようで行われていなかった。小泉氏も「郵政」をぶっこわすのが目的で原理原則での民営化もしくは権限放棄(=国の責任の矮小化)は行われていなかったのだろう。国民の「お上への文句」は税金の使い方ではなく、国がゆりかごから墓場まで面倒を見て欲しいという観点が多い気がする、まぁマスコミの論調で真の国民の声ではないであろうが。

でも、選挙では「増税は不利だ」と堂々と語られている事からこの違和感はそんなに間違っていない気がする。税の使い方の問題ではなく、根拠のない公務員への根強い不信感、政局(スキャンダル)を選挙でぶつけているような気が。。。

で、分からないのが国民は大きな政府(現状?)がいいのか小さな政府がいいのかだ。でも増税(福祉増額・過去の債務の償還)は嫌う上、国への責任を求める声が強い。「私だけが得する政策」というエゴチックな論調は皆が不幸になるような気がするのは私だけだろうか。原則を早く決めようよ、そしたら個人としての対策をどうするかを決められるから。

まぁ現状の「あいまい」な状況はあと6年(参院野党過半数が終わるまで)は続くのだろう。ここまでくると二院制がうらめしい。

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食料リサイクル報道

食料リサイクルの報道を立て続けに見た。骨子はコンビニ、デパートから出る廃棄食料を養豚の飼料に再生するというもの。ある番組ではその飼料が売れないと嘆き、ある番組では実際に肉が出荷されるまでの報道であった。

違和感を感じたのはこのサイクルを「完全リサイクル」と報じていたのと、食料を捨てるのはもったいないと報道していたことだ。

完全リサイクルという単語の違和感は廃棄物が利用されている点を指すのは分かるのだけれど、その肉だけで弁当が作れるわけも無く、資源投入は他の食材、加工エネルギー等色々投下されているのに「完全」という語感に違和感を持った。素直に「資源が有効利用されている」ではいけないのであろうか。

経済番組ではなかったからしょうがないが、もったいないを連呼していた事も違和感がある。視聴者に現実を伝えるのならば簡単でも良いから「捨てなくてはならない」ことを正直に伝えるべきだ。「もったいない」を連呼していると、その思考回路から抜け出せなくなる。廃棄物を出すのが社会的悪という単純思想に陥りそう。弁当の売り切れは機会損失を発生させるため、ある程度売れ残りが出るの程度で丁度いいとなるはずだ(配達が1回/日で賞味期限が1日の場合)。弁当が売り切れた場合、売り切れた後のお客さんにとって「つかえない店」となってしまう、次回は別の店に流れてしまうかも知れないため、売れ残りと売り切れでは売り切れの方が経営的に失敗となる。経営的に失敗するぐらいなら売れ残りを捨てた方がいいのだ。

売れ残りはある程度の部分で必要不可欠である(配送の努力で低減できるとしても、また配送回数が増えればエネルギー消費を伴う)。それを受け入れた上でリサイクルの効果を伝えられればもっと良かったと思う。それが現実だからだ。

道徳的に「もったいない」というのは簡単だが、経営的に成り立つ素地の上での「もったいない」を伝えなければただの馬鹿を生産するだけとなる。また必要で捨てているのと、必要でないのに捨てているのとでは経済的に全く異なる。そのお馬鹿が「コンビにも捨てているから私も捨てていいや」と思わせたとしたら逆効果ではないか。安易な「もったいない」はやめて欲しい。配送サイクルやの見直しのコストの検討やCO2の排出量を提示して欲しかった。

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