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ラッシュと輸送力についての雑感

JRの車両の定員は約200名らしい、朝の乗車率を平均150%とすると東海道線15両編成1編成あたり4500人である。これが3.5分毎に走っている。横浜駅の8時台は17本の電車が出発するので765千人/時 運ぶ。

ところが横浜~品川間は横須賀線・京浜東北線・京急線が併走する。そう輸送力としては大体先の数字の2~3倍くらいか。7時から8時までの間に15万人もの人間を運ぶというのがすごいと思う。

さらに横浜~渋谷間は東横線があるのだ。

 

横浜~東京の輸送人員が多いのは理解できるとして、東京西方面は中央線が複々線、あと京王線と小田急線がある、先に挙げた東京~横浜の1/2~2/3程度の輸送力があるであろう。

練馬方面は西武新宿線、西武池袋線、東武東上線がある、埼玉方面は埼京線・高崎線・宇都宮線・京浜東北線がある。

北東方面は東武線・常磐線・(千代田線)。

東方面は京成線・ 総武線・東西線・京葉線

と多すぎるだろうと思う。

 

東京主要ターミナル30分圏内、具体的には東京23区・西部隣接市、川崎横浜、市川船橋、川口さいたま朝霞辺り。

人口が多い、彼らが食えているのが逆に不思議である。僕は米国に行った事がないので分からないけれど、パリもミラノもローマもバックグラウンドの無いすかすかの街だった。 

主要のアジア都市も行ったことが無い。バンコクとジャカルタぐらい、どちらも名古屋程度の街。 

 

やはり東京は個性があるエキサイティングな街だと思う。人口がめちゃくちゃ多い、そしてそれを支えているのは輸送力だという事だ。

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就活生に告ぐ、優良企業の見分け方

今週の日経産業新聞(手元に無し)に春闘の結果とモデル賃金が載っていた。賞与の発表の時も思うのだけれど、会社の実力というか思った以上に高給な企業・業界があるなぁと感心する。ぶっちぎりはご存知の通りマスコミ。

賃金は社宅があるなし、交通費支給があるなしで変わるけど(外資は厚生費が無い給与と聞く)、それでも一つの指針となる。特に文系の方は参考になると思う。

 

もう一つ参考になるのが、従業員一人当たりの売上げだ。理想は1億円/人以上程度。その企業の粗利率にもよるけど、売上げ×限界利益から給料が支払われる。固定費が3割で、半分を人件費だとすると、一人当たりの人件費が1000万円に到達するには、従業員一人当たりの売上げが7000万円程度となる。ちなみに人件費1000万円は厚生年金その他厚生費(社宅とか通勤費とか)が含まれるので、額面はその半分だと思ってもいい。手取りは、、、である。

すごくざっくりした計算であることは認める、ちょっと違うんじゃないのという批判・意見はコメントに述べていただければと思う。

 

まぁ従業員には非正規職員がカウントされない場合も多いので、あくまで参考だけど。従業員一人当たりの売上げが極端に低い企業は理由があるはずで、そこを吟味したらというのが主題。

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原価が気になるのは目利きが衰えたから?

はるか昔大学の授業で「車は1t100万円、豚肉も1t100万円」と教わった、ちなみに原料である鉄もトウモロコシも1t1万円である、ざっくりした話し。それ以外が加工費ということであった、ベアリングとか究極的に原価率が高い商品もあるという。まぁ今では会計的に固定費とか云々言いたいが。

というのは原価を公表して、あれは原価率が低いとかいう記事が目立つからだ。メーカー勤務の僕としたら「そういうの気になるの?」という感想しかない。というのはロットや販促費でぐちゃぐちゃだからだ。原価率一律ルールを設けてくれれば開発屋とすればそれはそれですごく楽なのだがそうはいかないのだ。

 

大まかにいうと消費財は卸と流通が売価の3~5割を取る。逆算するとざっくり中身は5~20%、容器5~10%か。中身は加工費を含んでいるので中身の原価は5%以下である。

缶コーヒーの中身代は10円程度ということである、ちなみに缶も。

 

ところがロット(生産数量)で同じモノでも単価は変わる。上記は大量生産品で、少量ロットではまた違う世界になる。

 

ここでメーカーの開発部隊を馬鹿にしてはいけないことを強く主張する。素人が作る料理よりもプロが作る料理が美味いのと同じで、並々ならぬノウハウが投入されているのである。素人はおろか喫茶店のオーナーが「コーヒー豆の黄金比率見つけた」とは比べ物にならないくらいテストをしている、これが固定費である。

 

消費財はメーカーの知見が詰まったものであり、素人が太刀打ちできない価値を提供できる。コンビニの惣菜などはその典型であろう。

 

そういう部分を排除した「原価率主義」はいささかはしたないと思える。味や使用感で確認できないから原価率に求めている、商品の良さを使用感で判断できない残念な人が原価率に拘るのではないかと思うのだ。

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Web選挙の可能性

選挙のネット解禁で母親から質問を受けて少し考えた。

 

母親はWeb投票できると思い込んでいたらしく、単なる選挙活動の解禁と知って落胆してた。「携帯で投票できたら楽なのに」と。

 

よく考えてみると(よく考えなくても)これは暴挙に近い。投票率が上がりすぎてしまうのだ。スマホを持った中~若年層の投票率が飛躍的に上がってしまう。

この意味するところは既得権益層・老人・所謂固定票が薄れるという事である。

 

これは既存政党は飲めない条件であろう、技術的な問題ではない。IT企業もWeb投票の可能性について公にコメント出来ないであろう、政党・政府・自治体から目をつけられても困るし。

 

陰謀論でした。

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建前社会とタブーと

『本音で語る政治家』みたいな話がよく出てくるけど、建前の無い社会は生きにくい。そこが分からない(必要ない)人と建前の美徳な社会を壊されると不安を抱く人はぎゃあぎゃあ騒ぐ。

失うものが無いバカ左翼とか、レベルの低いマスコミとか。逆に橋下さんを公然と庇う人も失うものがないのであろう。

 

橋下さんの爆弾は日本はおろか世界を大騒動に巻きこんでいる。おもしろい。

これが何故面白いかと言うと「タブー(禁忌)」に触れているからだと思う。

 

 

では今回の点で『建前』の部分はなにかというと、女性の人権であろう、または祖国の良心である。ちなみに売春婦の人権ではないし、歴史認識でもない。兵隊として恋人や良人、息子を送り出した婦人と社会のことである。 

戦争は「正義」の為に行われるはずであり、帰国してきた兵士達は戦争に勝っても負けてもヒーローでなくてはならない、ただでさえ人殺しに行くのである。美的な成分が相当無ければ気持ちよく送り出すことは出来ない。これは大日本帝国でもアメリカでも事情は同じであろう。

こともあろうに戦地でレイプと買春が罷り通っているとすれば、婦人たちは良人や息子を送り出すことに相当のためらいが発生すると思う。現実の戦地では男性は獣になり、レイプ・買春が日常茶飯事であるとすれば婦人や社会にとって相当に問題である。これがタブーであるということである。

 

この本質はタブーなので、高級紙は『売春婦の人権』や『歴史認識』というあまり本質的でないことで噛み付かざるを得ない。ここが分からないおバカ左翼の情けなさといったらどう表現したら良いのか。

マスコミは経済や国家の利益の為に戦争について好意的に述べることもあるであろう(非戦というノーガード戦法はありえないからだ)。ところが現実の醜いところを政治家が公で語るのはまずいのである。そういうことを述べるのは気鋭でマイナーで売名的で売れないジャーナリストの専売特許なのである、メジャー配給を狙う反戦映画でもせいぜい暴力を描くに過ぎない。

 

ちなみに女性も表立って追及できないと思われる、軍家族とインテリという対比。例えばクリントン国務長官が慰安婦を非難すれば、その非難は軍家族に刺さるわけである。だからこそやはりタブーだと言える。

 

もう一回言う。この本質はタブーなので議論が噛み合わない。

 

 

売春や風俗業は日本はおろか世界中にある。客は独身だけではないであろう、浮気である。こんなものを建前的にでも認めるというのがおかしい。浮気公然社会である。橋下氏の浮気は公認のようなので彼の場合は首尾一貫しているようであるが、彼は失うものがないというだけだ。

今回の発言で橋下氏を支持している男性は間違いなく風俗か浮気をしている。

 

日本は性風俗に寛容な社会を形成しているが個人的な感情ではどうなんでしょ?自分は風俗に行くけど女房の浮気は離婚だとかってことない?
浮気で別れたという話や子供の生物的な父親は自分ではないとかよく聞く。

だが現実的に性風俗産業は巨大産業だ。風俗業界はそういう立ち入ったことに踏み入ってくれるなというのが本音であろう。警察のご機嫌が世間に迎合されても困るし。

まぁそういう話なのだ。だからタブーなのだ。

 

タブーの本質が分からない自称論理的おこちゃまサヨクは参戦しないほうがいい。性風俗大好きなおっちゃんも。

 

 

 

 

※この記事にインスパイアされました
専用「売春」施設も・・・米軍が慰安婦を買い漁った過去~FLASH6/4 

 

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何故商品開発部門は技術屋のいう事を聞かないか

U社のボトル缶のブラックコーヒーを買ったのであるが、「これが商品として世に出るか」という代物であった。キャップは(トルクが高くて)開かないし、キャップに中味が残っていてリキャップの際にこぼれるし、そもそもリキャップできているのか怪しい閉め具合だし。ただし中味が不味いという事はない。

ここまで酷い商品が出ることに驚く。U社の製品開発姿勢を疑うに足る程度の代物であった。

 

僕は研究・評価屋で経営や顧客との折衝が皆無な部署であること、また同じ業界でないことをまず明らかにしておく。

 

商品開発部署における、技術的に都合の悪い事実を先送りする事象がある。王道ではない商品ほど、無茶な提案が多く、研究・評価屋としてはリスクの大きさを述べて、対応策を述べることになる。
具体的に言うと我々は使い勝手や製造~仕上げ~輸送でのリスクと検討する課題を述べることになる。コストや生産性を考えるとなるべく規格品を使って欲しい、しかし規格品は「見た目」が汎用で個性が無い。

だから商品開発部門は目新しいものを常に探す。そのこと自体はいい、だが技術屋のリスクの提示に真摯でないのはいただけない。

 

冒頭の品物はφ211のADI缶にφ38のレトルトキャップが装着してあった、以前の商品はホットフィル(熱間充填)のキャップだったと思うのだが変更していた。僕にはその商品がレトルトをかけていたかどうかは分からない。

以前の商品は密封性に問題があったのではないかと推察する。ビン口の外からPEのパッキンが押さえる形状だったと記憶するが、ホットフィルであの樹脂であの形状であれば落下強度は持たないであろう。だからこその改変だと思うのだ。

この時点でまずおかしいという点である。密封性に問題があるのに、目新しさで商品化してしまったことが。パッケージ部門の技術屋は分かっていたはずである。そこを横車を押して商品を発売してしまったことを。想像するに幾多の自販機をコーヒーで汚したのか想像するのが怖い。そのことは分かっていながら商品として送り出したメカニズムに興味がある。

 

今回のキャップは改良されていた、クズだけど。インナーリングで密封性を向上しよう、エラストマー系のパッキンで熱によるダレを逃れ、アウターリングの絞りを利かせ、、、、その結果リキャップできない(締める前にパッキンがビン口に当たる)。落下強度は抜群に上がっていると思う、でもリキャップに不自由とか馬鹿だろ。

 

これもパッケージ部門の人間は分かっていたはずである。不良品前提で企画ありきで「行け行けどんどん」で行く会社もすごいけど、わが社を考えると正直笑えない。けれど商品開発部門の妄想が技術屋の意見を突っぱねるという思考回路は正直理解できない。
多分技術屋から問題点の提示はあったと思う、だけれども企画が先に進んでしまい、技術屋のストップに開発屋が素直に企画を止められないという構図である。商品に対する優先度がぶれているから技術屋の意見を軽視すると僕は考えている。

キャッチーな企画が先に進んでしまい、販売計画にも乗っけたし、今更技術屋がストップをかけても止められないということであろうか。

 

罪作りなバイプレイヤーも居る。容器屋である。この会社の要望になるべく応えるべく、不完全な改良商品を提供したN社というキャップ屋である。

 

かの商品開発屋はパッケージ部門の反対をキャップ屋の対応で乗り切れると思ったのであろう、とんだ甘ちゃんである。工場部門もこの事態は初回生産時に分かっていたであろう。

 

技術屋・工場の意見を無視して暴走する商品開発が居る。技術を理解しないまま、優先度が定まらない、、、、、、、愚痴だ。その上司は何をやっていたのであろう?

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就職自由化についての雑感、就職氷河期へのアドバイス

僕は転職経験者である。前の職場では研究職というか開発屋で、今は同じ分野の評価屋兼アドバイザーだ。まぁ技術屋である。BtoBメーカーから消費財メーカーへの転職であった。

前職のさらに前職場の上司との折り合いが悪くて転職サイトに応募していたら、本社に飛ばされて、飛ばされた先もそこまで居心地が良くないというか、自分の将来の展望が見えなかったから、転職企業の紹介の研究所勤務に引かれて転職した。給料も上がったし、待遇も悪くないし(良くも無いけど)、まぁこんなものかなと思っている。

ちなみにこの職場は女性正社員への待遇が極めて良い反面、非正規の女性が多い。もっとも技術職なので手取りは時給1500円以上で、新入社員よりは稼いでいる。まぁ年収300万円程度か。

 

なんでこんな話しを枕にしたかというと、若者の就職観が歪じゃないかと思うからである。もっともそれを学生に語るのはちょっと酷なのだけど。ちなみに採用面接担当を行った経験もある。

弊社はいちおう消費財メーカーでそこそこ有名な企業なのでエントリーが多いらしい、年間数名の採用に千人レベルの応募とか。そのこと自体に違和感は無いのだけれど、「知っている企業」への応募って、学生レベルの知識ではなかなかそこから抜け出せないのは理解できる。

文系のことはよく知らないけれど、僕は劣等性だったので教授から「ここに行きなさい」というところに就職した。聞いたことも無い企業だった。
ところがそこは業界2位の企業で有名な消費財メーカーの方が資材の取り合いを演じている状況だった(バブル期だったもので)。

 

業界の平均給与は参考にした方が良いけれど、有名企業や消費財メーカーに積極的にエントリーすることは仕事の魅力と言う意味では全く関係ないと思う。

極論すれば、所属部署(例えば生産工場なのか、工場でも生産技術なのか、研究所なのか、設計部隊なのか)で学生の抱いている意味は変わるであろうし、まぁ「なるようにしかならない」のである。新入社員の同期で、配属部署が気に入らなくて辞めた奴も居るし、工場配属になると研究所勤務を羨む奴も居る。入りこめたから薔薇色というわけにはいかないのだ。

 

理・工学部の諸君であれば、教授のお勧めの名が知れない企業への就職も検討すると良いと思う。

 

 

指標として「資本金」が気になるところだと思うけど、これはおっさんの指標かもしれない。

 

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はてなの匿名ダイアリーについての雑感

標題の件

「書いてある中身に価値があれば誰が発信したかは問題ではない」というの分かるんだけど、玉が少なすぎてやはり見る気がしない。

それをトップエントリーの少なくない面積を占めているのは不快だ。

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環境リスク学の雑感です

中西準子氏が横浜国立大学で講演を行ったわけで、仕事でサボって講演に出張した。男女参画がメインなので当然ではあるが、環境学の泰斗である中西氏の思うことを生で聞きたいと出席した。講演では不遇の時期があったのだと。いろいろと思うことがある。「リスク学」についての深い見識と、アプローチと、書籍ではなかなか伝わらないことを生の言葉で聴けただけで良かったと思う。

 

個人的感想。今回の演説で中西先生はリスク学の成り立ちをのべたのであるが、一方で「データをとる大変さ」や「次元を統一する大変さ」について述べられなかった。『その手法が正しいか』という論理的命題と対峙していたと感じた。

 

以下無粋な個人的な雑感。

理系(工学系は馬鹿なので当てはまらないが)は理論を重んじる、しかし理学はおとか工学も論理が重要だという事だと思う。工学の範囲で言えば「統計」だと思う。中西氏の話も統計学で説明すると素直になれる。もっとも後付の論理であるが。

 

質疑応答で面白かったのが、『リスクはネガなのだ、なんでリスクの反対のベネフィット(利得)で論じられないのか』というのが面白かった。もっとも中西氏も工学屋なので環境リスクを「お金」に換算している。それどころか化学物質忌避屋に対して、各々の化学物質リスクと放射線リスク表が出来ているには笑えた。

 

例えば食品添加物、農薬、原発。リスクとベネフィットを1次元(例えば金額、残存生命日数、その他)で換算して、きちんと合意できる世の中は正しいと思う。まぁ世の中は正しくなくてもいいのだけれど。ちょっとかんじるのですが、工学屋は統計に疎いのではないかと言う疑問です。

次元と言うのは発散させても詰まんないですし、次元の収束(費用)は簡単な筈なんですけど評判は悪いですね。好き勝手に次元を増やしたり独自の単位を作るのは勘弁してください。

 

そういうことを含めて『工学』ができるというのは素晴らしいと思う。

 

 

追記。単位と次元が明確でない論は理解できない。新しい提案であればあるほど、次元と単位が明確でないと「何をやっているか」が理解できない。というよりも「新しいことをやっているつもりの人が残念」残念ということ。

単位を明確にして比べるのが「リスク学」、単位はお金とか残存日数とか。単位が大事なのだよ、、、安全も危険も「身体にいい」「美味しい」。すべてどっかの単位に収斂できる、まぁ機械屋の陰謀です。

 

リスク学ほど機械屋が好きな概論は無いよね。

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ゴミ行政広報について

ゴミ問題やリサイクル問題は行政ごとの事情があって、どこかの自治体を褒め称えるのは意味が無い。
だといって今住んでいる自治体のごみ対策は気になる。

というのは自治体ごとに収集方法や品目や名称が異なるわけで、とはいえ自治体ごとに収集方法が異なるのだからそれは当たり前である。

 

ここから分かり難いのだけれど、そもそも「生ごみ」は水分が多い場合が多くて、嵩が多くて燃焼熱が多いプラゴミは助燃材として有効であろう。その関係をきちんと網羅している環境屋が居ないというとことが問題だと思う。まぁそういう研究している先生が居ても注目されていないだけかもしれない。

ちなみにプラゴミの多くはサーマルリサイクルに回されているということであるが 分かり難い、嘘はないと思うが一例

多くの市民環境屋が間違った原発問題に走ったのは国民的な損失だとは認めないだろうな、、、。

 

全国的に今はゴミ行政をきちんと訴えるチャンスだと思う。○か×ではなく、費用効果と環境問題をきちんとした。プロ市民が原発に逝っているので。

 

今はゴミ問題を各自治体がきちんと明示できる最大のチャンスであると思う。地方紙などに協力を求めることが重要だと思う。重ねて言うが『理念屋』は要らない、「お金」が一番大事である。

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仲介業務を「中抜き」と称する人たち

yahooオークションて手数料取っているのかしら?こういう個人to個人の取り引きって結構リスクが高いんだよね。だから仕事では有名企業でも取り引き実績の無い企業さんには商社に間に入ってもらうことがある。与信と品質を担保してもらうわけだ。

海外企業となるともう自社対応はかなり難しいのでコーディネータである商社的な企業に間に入ってもらう、それは販売でも製造でも。 

こういうリスク分散は当然コストが掛かる。

 

なんか今の日本では仲介業というか、手数料ビジネスを嫌悪する輩が多い気がする。アルバイト100人を雇うコストとか、請負先を見つける手数料が無駄みたいな風潮が嘆かわしい。

仲介業や請負、手数料ビジネスを批判する人は、現業を理解していないのであろう。

例えばあなたが工場勤務、総務・人事担当でアルバイト管理をしなくてはならないとする。約100人のアルバイト管理を独りで出来るであろうか?雇う側の契約文書は出来ている、しかしアルバイト側は辞めたり希望時間が集中したりと、 いろいろと面倒だ。自社で契約社員・派遣社員・アルバイトを管理する部署があればいいが、無ければ外注したい。その外注先が人材派遣会社である。
人材派遣会社のことを「中抜き」と称する輩は、現業を理解していない馬鹿である。その「中抜き」の中身は人材管理・営業以外にも社会保険もあるわけで。 

 

もっと個人的な話をしよう。中古車を売るまたは買うという事例である。大体は中古車屋が間に入るわけである。彼らは売りであれば相場より安く、買いであれば相場より高く売る。その差額が彼らのおまんまで、その額が払えないのであれば自分で売り先や買い先を見つけることになる。ヤフオクで見つけられたらラッキーであるが、なかなかそうはならない。商品の信用が全く無いからだ。

なので家でもクルマでも中古物件仲介システムが成立している。この事実を認められないのはかなり頭がおかしい。彼らも「中抜き」と称して馬鹿にして非難するのか?

不動産屋もそうである。新築でも中古でも物件の売買には法律的や税的にプロの力を借りたほうがすんなりすることが多く、だからこそ不動産屋が数多く居る。

 

そういうビジネスを否定したいのであろうか?

 

だったら、行政に乗り込んで『すべて自分でやってみろ』ということである、できはしない。

 

マスコミのエリート様は上記を鑑みて、自身の不動産やクルマの取り引きを鑑みて、仲介業を「中抜き」と表現することがいかに失礼であるかを納得して欲しい。

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1stが売れて2ndの至難~きゃりーさんへの期待と心配

大昔の話なんだけど、Cyndi Lauper が大ヒットアルバム「She's so unusual」で燃え尽きたらしく(本心は彼女の音楽性との乖離らしいが)、2作目以降ヒットは無く、彼女は今でも「Girls just wanna have fan」を歌っている。

1stアルバムは下積み時代が長い人ほど「渾身の一撃」なわけで、燃え尽きているか、その後方向性を変えてしまうことが多い。僕の中ではCyndiが筆頭で、Madonnaも2ndのLike a virgin 以降あまり聴かなくなった。

日本人ではJudy and Maryがそうかな、オレンジサンシャインがピークで、それ以降はpopに逝ってしまい、パンク色が無くなった。今でも1stは聴いている、かっこいい。ELTは売れたことによって持田の方向性を鑑みたのか面白くない、僕にとってCyndiタイプだった。

今までの顧客を満足させられないのは燃え尽き型と発展型があるわけだ。

 

閑話休題。何が心配かと言うときゃりーさんのミニアルバムである「もしもし原宿」と1stアルバム「ぱみゅぱみゅレボリューション」の出来がよく、それ以降のPVもできが良かったわけだが、いつ燃え尽きないかという心配である。

 

 ちょっと違和感があるのが、金爆さんやDJ OZMAさん並みのcheepな画像であるという事だ、絵的にも似てる。個人的には嫌いでは無いのだけれど、『世界征服』とはちょっと遠い感がして。これよりはg.u.のCMの大きいかつらの方がしっくりと来る。ライブでの企画をPVに持ち込んだ感に違和感を感じるのだ。 
あと『世界征服』を目指すならローマ字と日本語と英語で歌詞を入れた方がいいかも。(YouTubeでは可能だと) 

 

結論じみたもの。きゃりーさんの2ndアルバムには多大な期待をしている、それこそ『世界征服』的な。シングルの出来も良いので概ね裏切らないと思う。しかしシングルの楽曲の良さに頼ると「もしもし原宿」や「ぱみゅぱみゅレボリューション」が構築してきた『世界観』が損なわれるような気がして。

以上おっさんの心配事でした。

 

追記4/929のイベント行きました、なかなか。

 

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花の見所と入場者数を読んで収入を最大限化する植物公園~足利フラワーパーク

安倍総理の原発トルコ売り込みが気に入らない人が多いようです。TBSもサンデーモーニングで問題点をきちんと理解しているとは思えない発言の嵐で頭が痛くなりました。
国内の原発を再稼動できないのは「安心」の領域であり「安全」の問題ではありません。原発再稼動問題は国民意識の国内問題なのです。

大体、建築物の下の断層が「活断層ではないことを証明しろ」は悪魔の証明に近く、批判している断層屋も「活断層の可能性がある」と言うのだから、科学としてはアリだとしても、とても行政に反映させるべき意見ではない。こんなものがまかり通っている。
ならば高層建築にも同じ命題で「人が死なない」ことの証明を求めたらどうか?ほぼ全ての高層建築は否定されるのではないか、じゃぁ潰せ。いかに馬鹿馬鹿しい議論を行っているかが理解できる。まぁ純粋に国内問題な訳だ。

 

閑話休題。入園料が当日の7時に決まるというしごく経済学的な民間フラワーパークがある。、あしかがフラワーパークだ。最大の料金が1600円と安くない植物公園なのだが、花の見所と入場者数を読んで収入を最大限化すると言う試みであろう。

藤の花が有名で、足利市内から大きな藤を多数移設して、きちんと手入れをして雄大な姿を披露している5/5。

とてつもなくすごくて1600円でも安い圧倒的なパフォーマンスである。

 夜のライトアップはもっとすごくて5/5夜とのこと

 

このGWでは一日3万人程度来るとのこと、客単価2000円としても、GWで7日×3万人×2000円で売上げ4億円である。魅力ある施設にするための設備投資には感服するし、売上げの平準化は無理なので、この時期に1年分稼いで減価償却と投資を行うのであろう。

もう時期的には終わりなのであるがとても凄かった。そして料金制度もびっくりした。是非行くべし。

ちなみに僕は昼ごはんを食べてから出発・入場して、ライトアップが本格的になる時間まで居て、佐野ラーメンを食べて帰った。なかなか楽しい行楽であった。

 

以下余談。外人が非常に多かった、1割くらい居たであろうか。中国・台湾系、インド・パキスタン系、南米系が多かった。彼らが非常にカッコイイポージングで写真を撮っているのに感動した。日本人が直立で写真を撮っているのに対して彼らは女性であれば藤の花をなでるように頬を傾けて満面の笑みで撮ったり、男性であればカッコイイポーズで写真を撮るのだ。おしゃれに写真を撮っているのはほぼ外人。多分彼らは上流階級で、日本人の多くは庶民。この差かな。

ちなみに僕も真似してみたが、とてもクオリティが低くてがっかりした。

 

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韓国と北朝鮮の政治カードが在日朝鮮人を苦しめている件

在日朝鮮人(韓国系・北朝鮮系)の子弟が通う学校に補助金がない、もしくはなくなることが問題となっているようである。ソースはどのソースを持って来れば適当かよく分からないので、架空の問題を論理で語ると言う体にしたい。

欧米キリスト系の学校や華僑が主宰する学校の経理状況、もっと大本の日本子弟のための私立学校の補助金の細かい事実を知らない。日本人向けの私立中高への補助金が額の多少はともかく存在していること知っている。

 

ちょっと脱線する。最近住民票の写しを取ったのだが、「通称」という欄があって意味が分からなかのであるが、ようやく意味がなんか理解できた。
アルバイトや就職で住民票の写しの提出を求めるのは「人権的」に違法であるそうであるが、そういうことなのかと理解できた。
理解できたからといってそういう制度が正しいかは別だと思う。

僕の職場には中国人とモンゴル人が居る、朝鮮(韓国)人のことは分からない。彼らは姓名の由来を語り、議論は彼らの流儀で行う。中国人同士だからと言って仲がいいわけでないのも愛嬌だ。そりゃ例えば「イギリスで長州人と会津人が仲良くできるか」といえばまぁ分からないのと同じことだ。

 

僕個人としては『在日朝鮮(韓国)人』という人に会ったことは、焼肉屋で素性を隠さないオモニくらいで、仕事や社会的には会ったことがない。彼らが素性を隠しているのか、絶対数が少ないのかはよく知らない。

 

ということなので、在日朝鮮人の教育費の問題が見えてこない。日本社会に馴染んでいるのであれば日本の学校に行けばいいし、秘密結社よろしく子弟の教育を行いたいのであれば自費は仕方がないであろう。

さらにいうと大本である韓国政府も北朝鮮政府も「日本憎し」ということを正式に主張しているようなので、「学費をくれ」という暇があれば本国に援助を願うべきであろう。これはどちらかと言うと先方の政治的態度の問題である。

 

よく分からないんだけど、僕は「在日朝鮮(韓国)人」に焼肉屋オーナー以外で会ったことが無い。新聞で報道されているような人員がいることが理解できない。日本社会に溶け込んでいて日本人として振舞っているのであればそれでいいと思う。だから何が問題なのか分からないのだ。

 

在日朝鮮人・韓国人がある程度以上存在して、彼らが不幸な風当たりを受けているのであれば、朝日新聞や彼の政府に苦情を申し立てるべきだと思う。

今現在の風潮としては、「憎悪の対象」になってしまうのはある意味仕方がない面があると思う。ところが在日中国人はそのような差別は受けていないと思う。その差は有ると思う。

 

もちろん在日韓人が彼の政府の言動で差別されるのはよろしくないことである。なので在日韓人は、そのコミュニティを主張したほうが良いのではないかと思う、華僑みたいに。

 


また日本に帰化するのであればそれでいいと思うし。とにかく分かり難い。 

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特別な「沖縄」が許されなくなってきた

安倍総理の「情緒的」だと思われる教育・歴史観・憲法改正ははたして論理的なのか、非常に疑問があります。僕個人は前政権のときから安倍総理に嫌悪感を抱いています、情緒しか感じられない。外交戦略をきちんと討議した上での言動だとはとても思えないのです。

一方で僕は韓国や中国の「靖国問題」「慰安婦問題」は単なる内政のガス抜きとして・中華思想(覇権国家)を推し進める外交カードだと思っているので、安倍総理の言動が直接日韓・日中関係に悪影響を及ぼしているとは思いません。外圧を利用して日本覇権の主張を推し進めたいメディアや、韓国・中国の非道ぶりを煽ることで情緒的な主張でやはり日本覇権を推し進めたいメディアが居て。

目的が同じなのに手法が180度違うって面白いですね。まぁ面白いと笑えないわけで、両メディアとも「論理」の切片すら見えないのは非常に嘆かわしいと思います。

安倍政権は結果的に円安・株高を演出できたわけで、安倍さんという政治家は嫌いだけど結果は評価するというところでしょうか。もっとも円安で打撃を受けるドメスティック企業があって、景気浮揚の高揚感が支出に結びつかなければさらなる貧乏になるわけですが。

 

号外:「富士山」が条件つきでユネスコ世界文化遺産に登録へ~朝日新聞デジタル

この記事を読んで複雑な思いが沸き起こった。

オスプレイ導入で沖縄(敢えてこう表現する)は安全性が不十分だと嘘をでっち挙げて、まぁ何でも反対するという行動に出た。時は北朝鮮はミサイルを撃つ、核開発は継続する、中国は尖閣諸島問題で領海侵犯をネチネチと行う状況である。

それまでは、沖縄の主張や沖縄への政策は「不幸な歴史」を共有した上での話であった。在沖縄米軍駐留を不幸ととるか経済的輸血ととるかで印象はがらりと変わるが。

そもそも「沖縄」は日本だったのだろうか。僕は地方史に詳しくないが、琉球王国が薩摩藩に朝貢していたと学んだ。彼らが日本語を話していたのか分からない。まぁそもそも薩摩藩が日本語を話していたのかも疑問がある上、江戸幕府の公用文書語は漢文なので、琉球もそうであろうし、なんかよく分からん。

そして先の大戦で沖縄は市街戦を経験した、いろいろな不幸もあった、その後サンフランシスコ条約では米軍占領下で、右側通行だった。
1972年に返還されても目立った産業がない沖縄は貧乏県であった、北海道とあわせて開発庁が置かれ、様々な税の優遇が認められてきた。それでも現在でも貧乏県だ。

沖縄はそういう歴史を有しているので、「沖縄の主張」は温く理解されてきたと思う。あの歴史や経済状況では仕方ないよねみたいな。

 

返還後の歴史は省略するが、沖縄は荒唐無稽な要求をして打ちひしがれていて、本土がそれを宥めるという構図だという事だ。沖縄の運動家は多くを要求して小さく利得を重ねるという戦術を取っていて、それを概ね本土は容認していたという事であろう。

 

時が下って現代は北朝鮮と中国というごく具体的な防衛上の問題に接している。本土は沖縄の我侭を許せなくなった訳だ。沖縄の運動家はやり過ぎた、そして本土は論理で切り捨てようとしている。この今現在の歴史が正しいか分からないが、やはり沖縄の運動家はやり過ぎた。

この手のモーションは慣性がつくので最低でも数年間は続くであろう。

もう具体的な敵性国家が存在する以上「特別な沖縄」は許容できなくなってきている。分岐点があるとすれば辺野古を受け入れることだが宇宙人がぶっ壊して、沖縄人もあとに引けなくなったように見える。

沖縄は今後受難の時代を受けるであろう。

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