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化学物質という語感に対して薬はいいけど食添は忌避する件

僕は煙草を吸うし酒を飲むので、「化学物質って危険ですよね」という問いには「不摂生の極みです」と答えざるを得ない。自分が認識する健康被害があり、かつ他人が認識する程度(咳が多いとか)に健康被害があって、健康診断の結果に右往左往している。

まぁそんな状況なので健康への優先度を考えると 1)食事のバランス、2)仕事上のストレス、3)酒を飲み過ぎない、4)煙草を吸い過ぎない、5)運動が足りない、が当面の問題だ。特定の化学物質が危険かどうかはまぁどうでも良い。この事例は私だけの特殊事例だとしても特定の化学物質を忌避する精神がいまいち分からない。

例えば農薬や食添を忌避するということ。未知の物質を摂取するのが「なんとなく不安」というのは理解できる。いかにも不味そうな色彩を放つ食料を「安全だ」と言われても忌避したいものだ。だがその忌避感は印象の問題であり論理的でないということだ。まぁいちいち論理で「安全であるかないか」を判断するのが面倒なので「なんらかしらの基準」を持つことは自然なんだろう。その基準が「農薬NG」とか「有機OK」とか「(論理破綻しているけど)化学物質NG」とかなんだろう。まぁその基準は合理的で無いのだが精神のところにすとんと落ちるのであろう、だからこその普及なのでしょう。食に関して論理的に安全を判断するのは精神衛生上問題もあるようだし、そもそも勉強するより印象で取捨選択をした方が便利(合理的)だ。

いちいち勉強して「あれは安全、これは危険」と判断するのは余りにも合理的でない。ところが不思議なのは医薬品はその対象でないことが多い、副腎皮質ホルモンとかワクチンはなんか例外らしいが。

例えばステロイドと総称される物質が忌避されるという感覚が理解できない。例えば塩化ナトリウム(塩)と塩化マグネシウムが同じ物性だと言っているの違いないと強弁しているような違和感だ。逆の論理だとメタノールとエタノールの差は炭素の数が違うだけだけだから、その安全性は変わりないという主張にしか聞こえないんだけど。


まぁそんな無茶な主張は置いておいたとしても、「無添加」がブームなのは変わりないと思う。
その無添加主義や化学物質忌避主義でも薬が好きなのは理解できない。「いやそんなことはないよ」という人も居るであろう、ホメオパシーの人は。ホメオパシーはまぁ特殊事例であろう、論理は通っている。そこまでガチンコでない人の話。自称ナチュラリストや自然派好きは農薬・食添を忌避して、抗生物質や薬を飲む。

自然派が薬を飲むことを批判したいわけではない。薬を飲むことはどういうことかということを理解して欲しいと言うこと。ナチュラリストを自称していて、他人に勧めていても、それは論理の世界でないということ。病気になれば薬を飲むことの意味を無視しないで、他人に薬を飲むことを批判しないでと言うこと。

何が言いたいか?

自然派とかナチュラリストとかホメオパシとか、は論理で「化学」を忌避したいようだけどまぁ失敗している。なのでちょこまかと化学(薬)を利用する。その使い分けが上手い人は趣味で自然派を楽しんでいると思う。そこまでは否定する気はない。しかし論理や感情を最重視すると失敗する、ガチの当人はその自覚が無いかもしれない、それは家族を巻き込むという意味で少し危険。

ちょっと診断。
1)化学物質は忌避したい
2)薬は飲む
1)と2)が相反するようであれば現代科学を勉強した方がいいと思う。両方を受け入れられない人はそれでいいとも思う、ただし他人にその思想を押し付けるのは辞めた方が良いと思う。
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作業着の香理奈、コスプレの石原さとみが可愛い件

まだ録画を全部見ていないんだけど、録り逃したのもあるし。金を扱うドラマが多い気がする、黄金の豚、ナサケの女。

期待作が多いなか、ドラマの寸評。

無印:「ギルティ」等ここで触れないドラマ。見てません。

△:「流れ星」、「黄金の豚」 ⇒ 論理的な違和感が拭えない

流れ星はなんでリサ(上戸彩)が体を売ってまで兄の借金を被らなくてはならないのかが理解不能。百歩譲ってリサが情緒的に兄を許す神経の持ち主でも、第2話終盤ではその兄と決別するようだし。
同様に黄金の豚は水戸黄門的で歯切れは良いのだけれど、会計検査院(ドラマでは庁)は脱税には与しないし、ポーチに印鑑が隠されているだけで脱税の証拠にはならないし、短い時間のなかで強引なストーリー展開が目立った。
流れ星のリサのファッションにも注文がある。上戸彩にはどうもショートパンツが似合わない、蓮っ葉な雰囲気を出すには敢えて「似合わないファッションを着せる」というのは理解できるが。確かに似合う服を着せてしまうと自堕落な雰囲気が出せないのかも。それでも敢えて言いたい。脚が細くて長いのに太腿が太い上戸彩にはショートパンツは似合わない。
一方、篠原涼子さんは似合う上に官僚という中で不快感を上手く演出できているのではないでしょうか。

▲:「フリーター、家を買う」、「SPEC」

二宮君の糞っぷりにはイラつかされます、もちろん僕がぼんくらだからイラつくわけですが。第2話で進展があったので今後期待です。また香理奈はやはりミニスカ、ショートパンツが似合わない、顔は可愛いので作業着は最高です。ネタ振り(種撒き)が終わったので、岡本玲に少し期待です。

SPECはSF(超常現象)がテーマなわけですが嘘のつき方が非常に上手いと思います。SFはえてして嘘を塗りたくり現実感がなく失敗するのだと思っていますが、このドラマは「超常現象」を無いものとして扱っていて好感が持てます。今後に期待です。○か◎でも良かったのですが、戸田恵理香が不細工な役はいいとして、他に華を置かないのが失点です。

◎:「小田霧響子の嘘」、「ナサケの女」

うーん、正統派ドラマではナサケはいいと感じました、今後期待です。米倉涼子の美しさもハチャメチャさもいつぞやのドラマと被るんですけど、被るからこそ安心感が持てます。個人的な潜入捜査の費用はどう処理してるねんとか、従前の人脈を捜査に使うとかという細かい突っ込みはあるんですけど、まぁそれはドラマなので。黄金の豚との視聴率争いは見ものでしょう。スタッフの遊び(TV朝日トリックの矢部をゲスト出演させている)は必要ない気がします、逆に正統派を謳って失敗したときのエクスキューズのようでみっともないと感じました。

深夜ドラマと馬鹿にできないのが小田霧響子です、トリックの流れを汲んだストーリー展開なのですが、演出は真面目だし、でも主人公の小田霧(石原さとみ)の衣装はばっちもんだしと食えない演出に脱帽です。ゴールデンでもいけるクオリティだと思います(嘘です、でも本音です)。石原さとみの美しさを大島優子が引き立てるという演出は深夜手法なのかもしれません、また石原の私服時の可愛さが絶品です。それこそが深夜クオリティなのかもしれません。とにかくストーリーが秀逸です、エセ霊能力者小田霧がロジックで問題を捌いていくという良質なエンターテインメントミステリーに仕上がっています。


評価未定:「検事鬼島」、「獣医ドリトル」

浜ちゃん演じる鬼島は浜ちゃん節が効いててなかなか良いんですが、、第2話以降に期待です。

獣医ドリトルの小栗さんの大根役者振りには驚きました。現状では全てがぶち壊しです、井上真央のそこそこの可愛さもストーリーの真面目さも。この破壊力は立て直せるのか見ものです。また成宮さんが配役に合っていない、若くてカリスマに違和感もあるし威厳も無い。配役ミスが濃厚な気がします。


録ったけど見てない:「ギルティ」 ・・・・  面白いんでしょうか?どうも菅野美穂とはドラマの相性が悪くて見る気になりません。

見る気無し:「医龍」 ・・・・ 前回も前々回見ていないので。


特殊;「暑いぞ猫が屋」   どうでもいいや。

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食料自給率が政府や農水省に必要な理由

農水省の戦略勝ちでボディブローが効いている。

「食料自給率を高めるべきだ」が9割 あなたは食料自給率を上げる必要があると思いますか?~gooニュース畑

回答例もトピ主も主観である食糧封鎖みたいな「不安」がベースなのでどうでもいい。論理で決着できない精神性の問題に訴えた農水省の勝利でしょう。

自給率を上げるには穀物(小麦・トウモロコシ・大豆)の輸入割合を減らすことであり、それらは畜産飼料であるということ。
だが農水省は具体的なことは言わずに「自給率」とプロパガンタを発している。

ちょっと脱線。カロリーベース食料自給率の向上を対策的に考えると、(1)主食ベースでの米の比率を上げる、(2)肉は食わない。というところか、肉は源泉となる飼料がほぼ100%輸入だから。
農水省が「肉を食わない」キャンペーンを発していないことから本質はそういうことではないのであろう。農水省は常に情緒に訴えるだけで施策はしょぼい。大規模米作農家を育てるわけではなく、本当にプロパガンタの域を出ない。何で農水省がプロパガンタを打たなければ成らないのであろう?

話術が足りないので直球で、結論じみたもの。食料自給率キャンペーンの本質は(1)米作兼業農家への補助金を正当化すること。(2)FTAをはじめとした農業関税撤廃への反対、なのは明白だ。
それをよりによって「食料自給率」当てたのは頭が良いが筋が悪い。論理を無視して勢いでという視点が見え見えだからだ。とても論理的な人が立案したと思えない。

ところが情緒に訴え出る戦略は世論には十分浸透したとも見える。
農水省も上手い戦略を考え出したもんだ、情緒に訴えて税金の支出の切り札にする。しかし論理が付いていかない。

だから論理を無茶にした政策を他省庁はどういう目で見ているのであろう、これを全省庁が行ったら悲惨じゃないの?農水省の思惑は筋が悪いわけで、本当に困っている省庁、厚労省医療部門とかは、、、みたいな。違法はした方が勝ち、見たいな。

大枠では革命を起こしたい農水省のようだが、現実面では漁業等への相場への介入は少なくなってきている気がする。とうことは最後の利権である兼業農家へのリップサービスが「FTA拒否」であり、「農家個別保証」なのであろう。

結論じみたもの

1)食料の安定性は調達先を多様化した方が安全であることは歴史が証明している。
2)食料自給率向上案推進は利権が介在していると仮定しないと理解できない。
3)2枚舌的な倫理を駆使することで結局はぼやかす

→政府は消費者に嘘をつく、ということが証明されつつある。(もう既に詰んでいる?)


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食料自給率での検索~だめリーマンの思考法(古い記事の方が面白いと思います)

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海外出張での豪遊記

インドネシア記~経済編 だめリーマンの思考法

でも述べたのだが、ざっくりした感覚で人件費(給料)が1/10である、当然物価も。例えばタクシーの初乗りは邦貨換算で60円、ハイクラスのMBCクラスで初乗り70円。減価償却できるのか心配になってくる。
タクシーで高速を乗るとメーターがものすごい勢いで上がっていくが、レートを考えれば大船に乗ったような気になる。インドネシアの通貨IDRは、ざっくりJPY1=IDR100なのですごく計算しやすい。タイなんかは3で割るなんてことを瞬時に求められるがゼロを2ヶとればいいだけなので簡単なのである。もっというと日本人の給料が10倍なので、ゼロを一個とった値が日本人の感覚に近い。

Linkで豪遊した内容をもう少し晒してみよう。
私はお客様という立場での海外出張なので基本は奢り。まぁそれでも興味があれば。

基本を抑えなくてはならないのはホストが美味いものを知っているかということが一番重要である。以下はかなりの食いしん坊がチョイスしているのでかなりの確率で当たりだと思う。下記であまり美味くないというような表現は彼が選んだ店でなかったり、その上司がメニューをチョイスしてぶち壊したりとか。美味いものを知らないのだったら無難にコースにしろよって感じ。

ランチ:工業団地内の日本食レストランや仕出しなど。インドネシア料理は基本的に味が単調で美味しくないのでミーゴレンやナシゴレンは1回で飽きる。鶏や魚のから揚げも。なので日本食がほとんどだった。この日本食が結構安い、十分食える。街中のビルにある日本食レストランのランチで天麩羅定食が1,000円程度、蕎麦・うどん・丼モノ(鮪山掛け丼等)は500~700円程度、ほとんどの定食は1,000円以下。工業団地の日本人向けアパートメントにある日本食レストランも同様。日本から輸入しないとならないもの(笹目鰈とか但馬牛とか伊勢産イセエビ)はそれなり以上にお値段がするが、現地で調達可能な食材であれば(黒マグロとか豪州産黒毛和牛とか南太平洋産イセエビ)日本よりも確実に安い。現地の人が好んで食べる川魚と鶏は美味しくない。中華は当たり外れがある様子。
日本人感覚では安いが現地人にとっては5,000~10,000円のランチを食していることになる。現地の人は100円以下程度で済ますらしい。

夕食:ホテルについているような日本食レストランでも日本に比べれば安い。居酒屋割烹程度のお値段。構えや味のクオリティを考えるとかなりリーズナブルだ。そうは言ってもインターコンチネンタルの日本食レストランでアラカルトで飲み食いしているのだから現地人感覚では完全にセレブなわけだ。西洋料理は食べなかったが中華もだいたいそんな感じ。

飲み:KARAPKEというキャバクラに行くのだが、これは高い。20~30人の中からお気に入りを指名して横に侍らせるキャバクラ。だいたい1人10,000円位するらしい。日本語が少しはできるとはいっても日本のフィリピンパブよりは片言で、英語も通じないことが多い。まぁ選ぶ際に「日本語できる人」とかで手を上げさせるんだけど。言葉がなかなか通じないのでカラオケで暇をもてあますわけだ。高い店だけあって綺麗で若い人が多い。KARAOKEにもいろいろあるらしく、内装が凝った店・女の子のレベルが高い店・エロイ店といろいろある。5軒位しか行ったことがないのとゲストで行っているので細かいことはよく分からない。
さて彼女らの多くが(簡単に言うと)売春要員で5,000~10,000円で部屋に来てくれる。店にいくらか置いていくそうだがその辺のシステムはゲスト側なのでよく分からん。交渉や金額で朝まで居てくれるそうだ。
ぶっちゃけると邦貨換算で1人単価10万円の店で、10万円でホステスを買うというとんでもない世界なのだ。豪遊であることは間違いない。

マッサージ:イ駐在員向けの中級のマッサージから、現地金持ち・接待向けの高級店までいろいろある。中級店はエロくなく、1,000~2,000円程度。1時間本格マッサージで中式やタイ式あるそうだ。
いくつかの高級店に自腹(システムを理解しているということね)で行った。

一番面白かったのが韓式エステ。皮膚を食う魚が居る浴槽に手足を突っ込みくすぐり地獄に耐え、狭いサウナに入り、浴槽で落ち着いたらシャワーしてマッサージ。嬢は若くて可愛い。(私はマッサージは苦手で)オイルマッサージは激弱で頼んだがそれでも次の日は筋肉痛、オイルマッサージには陰部近辺も。その後、温石マッサージ(温めた石で体をほぐす)、顔面・頭皮アロママッサージ、最後にてこき。マッサージだけでたっぷり2時間5,000円。時間に余裕があれば3~4時間ゆっくりできたであろう。

次が韓式垢すり。垢すりだけで2,500円、マッサージ4,000円セットで6,000円(値段の明細は記憶頼り)。セットと垢すりだけの2回経験。垢すりは水着の若い(未成年)の可愛い嬢が施術。マッサージは嫌いだがこちらは強すぎなくて気持ち良い。胴体表裏・足の指の間を含む手足・頭皮をアカコスリで磨いたあと塩やミルクでエステ。ぶかぶかなパンツを履いての施術なのだが少女に陰部や尻の穴を割りと丁寧に洗ってもらうのはちと恥ずかしいというか悪いことをしている気になる。
マッサージもたっぷり1.5時間、しゃべりながらまったりと。韓式マッサージのお約束があるらしく、後半はミニスカートの中を見せたり、胸や陰部を押し付けてきたりする。最後に交渉らしい。時間が押していたので(やる気は無かったが)、予算を聞くことができなかった。

中級店は至って普通。1時間1,000円(チップ+200円)程度なので日本の1/6~1/10程度か。こちらは免許を持った人がきっちりしているように思われる(痛いだけなのでそれは私にとって苦痛なだけだけど)。

KARAOKE以外は安いと感じた。5,000円のマッサージに日常で行くかと言われると行かないだろうけど、そもそもマッサージ嫌いだし、でも内装は高級だし、嬢も若くて綺麗、好きな人は毎週行くんだろうな。
飯も味はともかく、構えや内装は高級店な訳で、十分日常使用に耐える。

とはいっても現地人にとっては10倍の値段で豪遊しているわけだ。10万円の店で飲んだり、5万円のマッサージ屋に行ったり、1万円のランチ食ったり、3万円の飯を食ったりしている訳だ。



追記)嫌いなマッサージに何で何回も行くかと言う疑問があると思う。それはホストが随行しているなかで一番偉い人の好みを汲んで行き先を合わせるからだ。また社内接待という側面もある、日本からの同行ホストがマッサージに行きたければ行く事になるし、高級な日本食レストランに毎日行けない駐在員を慰労する目的も多少ある。
観光の少ないジャカルタではこの手の接待が一つの主流なのだと思う、酒もマッサージも嫌いな人を連れて行くところが無いと言う訳だ。土日を絡めればゴルフというのもある、私はゴルフをやらないので当然経験はない。
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民主主義である日本が考えなくてはならないこと

民主主義である日本ではいろいろな手続きをオープンにして、国民皆で議論するというベースがある。国内法の規定はそれで問題ない(これも実は微妙だと思うんだけど)、外交やその一部門である軍備をオープンに議論するというのは理論的にはすばらしいのは理解できるが違和感を感じる。だからこそのMI6やCIAであり、オープンにする損得を考えないのかね?

最近、その手の報道が多い気がする、「非核三原則を緩める」とか「武器輸出三原則を緩める」とか「集団的自衛権を緩める」とか。どれも北朝鮮や中国が脊髄反射してもおかしくない内容である。
(米軍が「尖閣諸島は安保5条適用内」という報道もなされたがこれは東南アジア一帯に米国が発しているメッセージと変わらないので割と好手だと思ったけど。)

左派だって「非核三原則」は嘘っぱちと知っているわけで、だからこそ米空母や米原潜の帰港(寄港?)に反対してきた。それを今更、馬鹿じゃないの?政府が認めたようなものじゃないの。中国や北朝鮮・ロシアが硬直化する原因だけしかメリットが無い(デメリットですけどね)。

軍部の暴走は歴史的にどの国でも不幸をもたらす、歴史的には文民統治の弱点もある。しかし現代の常識では文民統治がスタンダードでこれがあるから秘密を顕わにしなくてもいいという考え方がある。

政治家が「軍備のハードルを下げるべき」と述べて、他国が緊張しない理由は何ですか?自国へのメッセージとして他国の軍備に注意する必要があり、だからこそ自国の軍備を増強する必要がある、という論理は分かるのですが、逆でしょ。日本は軍備増強しようね→日本が軍拡するらしい→他国が軍備増強→日本あれ?  


右派や左派が世論形成をがんばるのは別にどうも思わないのですが元首相を含めた国会議員が何をふざけたことを言っているのですか。「やるべきでない」と言っているのではないですよ、他国に表明する必要がないということです。政策への反映のスピードは全体主義・独裁主義の方がどう見ても上です。安倍氏を始めとした政治家の発言が仮に成立したときにはもうその対策が終わっていることは100%間違いないでしょう。彼らの寝言が採用されなくても軍備増強の「言い訳」には十分に成りえます。


血の気の多いのは頭が悪いということなんでしょうね。

追記)その外交・軍事暴走阻止への担保の一つが「ある一定期間後の全文書の公開」であろう。まぁそれですら日本政府はできていないので正当性とはというところからスタートせねばならないのであろう。道は遠い。
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社会が障害児を受け入れる自覚

自分の子供が障害児であることを受け入れられないというのはよくあると思う。それを個人の自己責任として処理するのは非常に残酷な社会である。

自閉症になったのは私のせいだと責められます~発言小町

このトピ主は自分の子供への愛に満ち溢れていて彼女が不幸だと述べたいのではない。逆に母親は障害に関わらずご子息を受け入れている。問題は配偶者、義両親、実両親からも受け入れられていないことである。姥捨て山という昔話があるが障害児も過去はこの対象であったと考えられるかもしれない、居てはいけない子扱いという意味で。私の親族にも障害者がいるが昔は「隠そう」という気満々であった。生まれてきてはいけない子扱いなのだ。これを母親の愛情だけに頼るのはすごく危険である。

この手の問題でいくつかの選択肢がある。ひとつは殺すことである、経済合理性にそぐわないので行政の助けが無ければ母親はパートに出ることもできない。私は学生時代に子ども会サークルみたいな奴に所属したことがあり、自閉症の子どもと付き合いがあった。コミュニケーションが全くとれず、家族の大変さを理解した。その妹に話を聞くと「家はお兄ちゃんで回っている」とのことで理解できるし、母親を取られた恨みみたいなモノがあると感じた。
子ども会・サークルに子どもを引っ張ってくるのはある種のエスタブリッシュ層というかインテリ層だと思う。子どもを隠すことなく晒し、彼の社会性への多少の助けになるのであればとのことであろう。障害児と言う隠すといろいろな悩みや負担が母親にかかるのは理解できる。無償の愛を子どもに掛けられない性格・経済状況の母親も居ることであろう。
重ねて述べるがそういった会合に障害児である子息を連れて来れるのは、経済的に恵まれている人であるということ。経済的に恵まれていなくても勉強した人であることは間違いない。

話は脱線するが、養護学級と一般学級を行き来した特に原因がない子ども(いわゆる知恵遅れ)を見たことがあった。彼女は勉強が楽しくない一般学級が好きでなかったが、親は一般学級定着を望んでいたようだ、彼女はそれが負担だと感じた。でも一般学級に好きな男の子が居るので悪くないという感じ。彼女の一般学級での授業態度はそれは好ましくなく、いわゆる「荒れる学級」的な感じだったらしい。何かに捉われたらそれを解決しないと気が済まないという感じであった。お母さんも論理的には普通学級に押し込むことの独善を感じていて、じゃぁ彼女の幸せはどうやって築けばいいのかという漠然とした不安があるようであった。障害児レッテルが貼られる不幸を心配したのであろう。頭が悪い女子と障害児の差は大きい。

最近は電車で障害者をよく見る、少なくとも隠すという思想はなくなったのであろう、ところが当時は障害児を抱える不安は家族にのみ責任付けられていた気がする。最近はどうなんでしょう。社会で障害者を見る機会が増えて良い世の中になりつつあると感じる。そういえば最近、クレーム品の選別に立ち会ったのだが、障害者が結構居て、なんか幸せになった。彼らは指示したことは真面目に行う特性があることが多いので安心できるし、そのかわり製品への傷つけにたいする配慮が無いのでまぁそこは細かに指導することになるのだが。

Linkの旦那や家族は古いといえば古い。しかし大変なのも事実。覚悟を決めて愛する選択をした母親は迷いは無いであろう、しかし迷う人がいるという事実こそを社会が理解する必要があると思う。
誤解があっては拙いんだけど、覚悟を決めた母親はある意味心配でない。努力をし過ぎてしまう心配は大いにありうる。

結論じみたもの。
家族に障害者が生まれたことへの覚悟を持てない家族へ「自己責任」を求める社会はちょっとありえないと思う。不幸なのは無償の愛を理解できない周りであり、配偶者である。

さらにであるがその弱音を吐けないということに違和感というか変な感触を感じる。
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社会厚生は搾取されている件

修行という表現は悪いのかもしれないけど、新卒の子は文字通り修行期間が無い。工場実習はあるけど、それは修行ではなくて単なる会社のプロセスを学ばせるとかというレベル。
その後配属されて先輩の仕事を学ぶ期間が全く無い。僕は研究所勤務なんだけどベテランには派遣さんが付いて、新人には付かない。当たり前でジョブをやりなさいということ。なんだけど非常に言い難いけれども共通の認識として「派遣さんは1枚低い」扱いである。そしてその下働きを昔は新人が行っていた。

新人といえども額面以上のコストはかかるらしい。寮は準備するし、手当て残業は付く。手当ての一切無い僕より彼らが支給されている額面は多いであろう。会社が厚生手当てを含めた額面は結構多いということ。

就職できない子が多くてそれは「解雇規制があるからだ」という論理は短絡だと思う。新人を雇うコストはべらぼうに高いのだ。経済学者は人を雇うことは2億円の買い物であり、、、、と述べるが大企業での実態はそうでなくて、新人獲得コストが異常に高いことだ。逆に言えば手当てが全く無い僕は新人程度の給料で働いている。研究所勤務の僕自身が会社への生産性に寄与しているとはあまり思えないが僕の部下は独身寮(ワンルームマンション)に寮として入居しているので家賃まるまる収入な訳で。社宅組みも同様。遠距離通勤の私は定期代を出してもらってるのでそれが減殺。

結局会社が誰に幾ら払っているということを考えると新卒3年目以降の中堅組みの手当てはすごいことになっている。独身寮補助は事実上収入なので月収額面で30万貰うことになる(厚生年金・健康保険を含んでいないことに注意)。一方派遣さんは払う額面で時給3,000円として3,000¥*8時間*20日として社会保険料込みで48万円だ。

えーっ、それって僕の給料は安過ぎない?定期代と手当てを頭割りして基本給に載せて欲しいんだけど。新卒5年目以降に独身寮を家賃を提供するのも狂っているし、社宅も給与補填だよ。

僕の勤めている企業は福利厚生が厚い企業だと思う。でもそてはすばらしいということではなく、理念的には異常だということ。
さらにむかつく事象がある。その補填されている人は補填条項を満たすためにちょっとだけ規制がある(当たり前だが)、そこを文句言われると、、、。あのー(職位が同じ)あなたは僕より20万円/月も補填されているんですけど。寮(ワンルームマンション)に住んでいる独身後輩は僕と同等以上の給料を貰っている。

社員という身分は手当てで結構稼げる、だからこそ雇えないということになる。手当てを止めて給料を上げてほしいのがひとつの希望(それが外資系か)。逆に言えば手当てのコストが高いので雇えないというのが企業の本質でなかろうか。

大企業と中小企業ではそのあたりに絶大な差がある。ちょっとした企業でも家賃手当てを貰える人と貰えない人では収入に莫大な差が生じる。少なくとも税の移管くらいあってもいい気がする。家賃補助や通勤適代への課税を給与所得者に転嫁すればいいのだ。そうすれば企業は誰に幾ら払っているかガラス張りになるうえ、さらに差分は利益に計上できる。そうすれば中小企業と大企業のハードル(分かり難い手当て制度がなくなるので)も下がる。
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原価が高いものを買うと得だという浅はかな論理

よく「原価を調べて原価率の高い商品を買った方が得だ」という論調がある。そういう嘘を流すのは止めた方がいいと思う。

例えば流通(例えば100円ショップ)の原価率は仕入れ条件で変わるわけで、バイヤーのタイミングであるといえる。とある100円ショップの商品ごとの原価率を開示したとして、それが他店が同様だとは全く思わない。仕入れの値段で原価率なんか変動するわけであり、原価率が高いものを買うとお得だという視点は馬鹿げている。

メーカーの原価率が低いことを非難する場合もある。売価の構成は(原価+加工費+容器+メーカー固定費+販促費+利益+流通「流通の中でも仕入れ値+固定費+輸送費+販促費+利益」)なので、加工の度合いが複雑であれば原価率は低くなる。目玉焼きよりは卵焼きの方が原画率が低くなるということなのだ。複雑な工程を経た方が高くなるのは当たり前である。

例えばランチを食す時に、寿司の様にロボットで加工でき加工費が安くて原価率が高いのと、煮魚のように加工費(調理費)が高く原材料費が安いものでは寿司が優秀であると論じるごとくの馬鹿さである。

この論理は結構やばい。加工費を「無料」とする考えは、例えばパートナー(女性)に食事の提供を強要して「その方が安い」と強弁する旦那だ。女性の調理の加工費をゼロと見積もる経済感覚ゼロ男ということである。当然であるが女性も自分の労働力を安く見積もりすぎて、残業した方が得な場合にも旦那や子供のために残業を断って無料で調理するという愚挙を行う。
同じことを自社でも他社でも依頼してみたらいい、馬鹿だと思われることは間違いない。

どこに常識があるかという問題なんだけど、家事は労働だということ。苦手であれば(自分が残業をして業者に外注する方が安ければ)外注すればいいし、とにかくエセ倫理観で女性は家事育児をすべきというのは瞬殺すればいい。乳母とか(古語の)女房とか、上流階級は正妻でも育児家事は外注してきた。というより世界史上、上流階級はそういうもんだ。
なので家事育児を外注することへ違和感を持つ必要は全く無い。本業の時給とメイドの時給に正の差があるのであれば本能の喜びを別とすれば迷わず外注すべきである。そこに間違った(変な宗教観だったり、貧乏時代の論理、貧乏地域の論理等)論理を持ち出すのは、絶対に馬鹿である。

脱線した、原価率を気にするのは、加工度が低いモノを重視するということである。まぁ高級料理店に行った事が無い人であろう。加工こそが付加価値の源泉であり、メーカーの仕事は安い原材料をいかに有意義な商品にすべきかという問題であることが理解できない人たちなのだ。

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地産地消はマーケティングの問題だ

地産地消という概念は二つの意味があると定義する。ひとつは流通に乗らない規格外の野菜の消費の提供、もうひとつはマーケティング戦略による高価格供給だ。

けちをつけるわけではないが地産地消に「高付加価値」は有り得ない。不味くて高いものを買えと言っているのと同じだからだ。同じ値段で美味い物を探すのが流通の仕事であり、不味ければその土地の作物はお呼びでない。安く買い叩くしか方法は無い。売るほうも市場価格で売れればいいのであり、売り先を地元に決めるのはいろいろとリスクがある。

なので地産地消システムは馬鹿な消費者を騙せたときに旨みが出るシステムであるといえる。他所に売れない価格で地元に卸す大義名分と言う奴だ、市場がそっぽを向いた商品を大義名分で値付けをするという劣悪なシステムだ。頭でっかちで味が分からないグループをメインの顧客に据えたという筋の悪いビジネスモデルであろう。

もうひとつの側面がある。先ほど述べた「市場に流せない劣悪品」とはサイズ等の規格外の野菜という意味であり、必ずしも味が悪いわけではない。市場に流せない粗悪な商品を激安で流すことであり、適価で商品を買うことを阻害する恐れがある。下手を打つとデフレの要因であり、今まで売れていたのが売れなくなるということである。曲がったキュウリが味は同じでダンピング価格で供出されれば真っ直ぐなきゅうりの値段が下がるのは当然である。豊作でキャベツを耕運機で潰すニュースを「もったいない」というニュアンスで報道しているが、その商品をダンピングして横流ししているわけである。それが地産地消の本質であろう。

結論じみたもの。地産地消はマーケティングの問題で地元には利益をもたらさない。地産地消を推進するのは味オンチであり理念馬鹿。


ちょと話はずれる。まるせいバターサンドで有名な北海道帯広市の六花亭は「北海道の小麦は品質に合わないので使用しない」と述べたそうである。単純に北海道産小麦は中力粉がメインで薄力粉が欲しい六花亭は北海道産の小麦は買えないと理解したんだけど、ちょっとした論争を引き起こしたらしい。
そこを曲げて「北海道産原料オンリーで作りました」というのもマーケティング、味にこだわるのもマーケティングだと思う。理念に共感して不味くても買ってもらえる事例は良く見るのでそれはそれで否定しない。だけど六花亭の社長に地産地消を押し付けるのはビジネスではなく宗教だ。

個人的な事例。天然酵母のパンは買わない、不味いと宣伝していると理解している。美味いパンは好きだ、美味さだけにこだわっていれば安心できる。それを雑念である原料へのある種のこだわりや、雑菌である酵母を単離しない傲慢さと馬鹿さに何らかの評価を与えない。雑菌を単離しない理由が良く分からない。真性の馬鹿であることは間違いない。危険が大好きな自然派だと理解している。
同様に原料には変な方向にこだわっているパン屋が多い、全部却下。不味いに決まっている。味より別な評価基準がある時点で却下。安全であることは当然である。「安心を危険で買う」のも却下。

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装備したおもちゃは使わないと損だと言わんとする件

尖閣諸島に自衛隊を派遣しろとか、中国には毅然と対応しろとか、軍拡反対とか。

右派も左派も少し過激に走っている気がする。まず交渉(話し合い)は交渉力に依存する。交渉力というのは経済力を背景とした嫌がらせや、軍事力を背景とした圧力である。前者は例えば実行力は疑問であるが日本資本(技術)の引き上げだったり、後者は「そっちがやるならこっちも引かないよ」というメッセージである。

どうも左派も右派も海保や海自の設備を増強したらそれを使いたいらしいけど、使うのではなくてあくまでメッセージであるということ。過去中世の秀吉は圧倒的な戦力で上杉・伊達を屈服させた。戦力は使うことが目的よりも誇示するのが目的であろう。

どうも違和感があるのは右派・左派共に、設備投資は使うことが前提であるという感覚に強烈な違和感を生じるのだ。設備は使わないで済むなら使わないほうが安上がりに決まっている。ところが右派は「行使するために設備増強を願い」、左派は「設備を増強したら戦争になる」とどちらも「使う」ことが前提であることへの強力な違和感だ。

もちろん使うことを前提に装備しないと無駄な装備を行うので使うことを前提で装備するのだけれど、それを使うかどうかはトップの判断であり、そもそも交渉力の源泉と考えれば「即戦争だ」とは成らないと思う。だいたい中国が戦争を望んでいない。

中国の戦略は軍事衝突を経ずに領土拡張がベストシナリオであろう。小競り合いは止む無しと思っているとも思われる。

領土というか領海を守るコストとその海域が産む利潤とは計算しないとならない。中国もそれは同様で国内事情を無視すれば小競り合いのコストと利権による利得が勘定に合うと思われる。例えば日本が中国に恩義を売って尖閣諸島を売って、防衛コストが下がり、総合的な損得が算出してありだと判断するのはアリだと思う。その場合グダグダと利権を侵食されないような担保が必要であるが。中国、ロシアが領土問題で強気なのは、海域が金になるからだ。

 

話を元に戻すと、海保・海自への投資は使うことと意味しない。装備自体に意味があるということ。なんか装備は使わなければ損なことを左派・右派が思っているのに違和感がある。装備したら使うことを心配する左派と、装備は使うことに意義がある右派と。似てるね。

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国民が犯罪ストーリーを望んでいる件

厚生労働省村中氏の冤罪が報じられているが、検察の問題ではないのだと思う。もちろん検察にも問題はあるとはあるとは思うけれども、先ずは有罪ありきという構図は何も変わらない。推定有罪である。

小沢元幹事長を強制起訴へ、検察審査会が2度目の起訴議決(トムソンロイター) - goo ニュース

過去に検察が有罪に持ち込めないと判断した案件である。検察が「有罪にできない」と言っているのに検察審議会が「とにかく有罪だ」という状況判断を下したということである。推定有罪を好むこの構図は全く同じだと思う。

その推定は現金の動きであろう。多くの犯罪は脱税を含め「お金」が問題であり、ことさら脱税をするにはお金の動きを政府に把握されると犯罪が困難になる。なので背番号制は反対が多い。その手段が現金だ。

この背景は「現金主義」があると思う。現金の動きは犯罪の要素であるということは自明であり、例えば日歯事件でも現金の授受が問題に成ったことがある。なので口座を始めとした国民背番号制をガラス張りにすれば問題は無いはずであるが共産党等が強固に反対している。ガラス張りにしておけば起こりえないことなのであるがまぁ色々な団体が反対する。脱税摘発の根拠である総背番号制は弱小経営者陣営から総スカンで、共産党が赤字決算方法を指南しているということ。

1億円を超える現金の移動は多分すごく不便なのであろうが、それを許すのであればメリットはいろいろ想像できる。だからといって即有罪というのは論理としておかしい。国民総背番号制としてガラス張りにすれば話は済む。

小沢氏は現金を利用していることで限りなくクロであろう。しかし法律に則って処理している以上そこは問えないと思う(脱法でも違法ではない方法をとったということであろう)、だからこそ検察は立件できなかったのであろう。検察が立件できないことを無理やり起訴と言うのは、日本は法治国家なのかということにつながる。古代中国政府の「弾劾」が想起される。法でなく倫理で裁くのはありえないと思う。

 

なので「国民総背番号制」を進めないと問題は繰り返す。その共犯は共産党(別に共産党だけではないが、共産党は清潔だということはないということ、脱税に加担しているということ)にもあるということだ。

 

法を冒していないのに起訴されるってどれだけ中世なんだろうと思う。推定有罪が大好きな世界は暗黒世界だよね。

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中国が弱気な件

中国ネタが続いて申し訳ない。日本にとって米国の傘が無い状態でガチンコに外交問題を捌く状況には興味がある。第1Rは民主党は失点は無かった様に思う。ベストではなかったにしろいい選択をしたのだと思う。そんななかで

官房長官、枝野氏の「悪しき隣人」は不適切(読売新聞) - goo ニュース

こういうネタには中国はいちいち噛み付くはずだけどどうもテンションが低い。中国が「危険国」認定されたことへなんらかしら慮っているのであろう。中国はやりすぎたことに反省しているのかもしれない。同時に論理にこだわり中国への配慮を欠いた枝野氏の発言は噴飯モノであろう、無用な警戒を買った。中国はこの発言に対して反応を見せていないが後からネチネチ言われても仕方が無い発言である。「過去100年でアジアを舞台に暴れまわったのは中国で無く日本である」とか言われたらどう応えると言うのであろうか?馬鹿丸出しである。

尖閣一連の動きは「中国は傲慢である」という証明を諸外国に行った、日本は切々と「被害者面していれば」いい、南シナ海での傲慢も説得材料であるであろう。だから中国は枝野氏の馬鹿発言を華麗にスルーし、というよりも外交問題をエスカレートさせたことに後悔の念を抱いているであろう。枝野氏の発言は敗者に鞭打つ発言であり、何の得にもならない。多分将来の日本の優位性を損なう可能性すらある。日本を信用できない証拠として100年使い回すとか。

枝野氏の発言が中国海軍空母を牽制するとは思えないんだけど、そのことを意識しているのであれば理解できる。マッチポンプのマッチ役として牽制を投げる役割だ。それも少し違和感がある。今日本が必要なのは世論を味方につけることであり、根本的に中国との関係とはあまり関係ないからだ。そのことを理解していないロシアは対日本への圧力を掛けてきた、ように思う。まぁ日米関係を占うための強硬論というのは理解できる。

外交問題を論理で捌くほど危険な思想は無い。そして民主党は慣れていないと思う、多分与党経験者の菅氏も。カイワレ食ったけど。

外交でミスった中国が弱気なのはその通りとして、民主党の加点ではない気がする。というかそのことに気付いていないという心配がある。頼むよ。

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対中戦争論の違和感

前記事である「戦争の悲惨さ」についての違和感~だめリーマンの思考法の続きです。

ちょっと脱線するんだけれど、「救う会」はどのような状態になれば満足するのであろう?またそのgoalは妥当なのかしら。例えば北朝鮮から日本に復帰した方々は他に拉致被害者の存命は述べておらず、ゴールが良く分からない。ゴールが分からない状態で、「拉致問題解決」はちょっと不思議である。どうしたいのかが全く分からないのだ。北朝鮮が正直であった場合、目も当てられない。そしてそれは証明できない。他人事というか冷徹だけど可能性を根拠に永遠とやるつもりなのか。

中国が領海への覇権を目指し南シナ海・東シナ海の実効支配を目指しているらしいことは理解できるけれど、だから日本が冷静さを失って沸騰していいとはならない。自衛隊を尖閣付近に派遣する論が多いようであるが、それって本当に日本の国益なの?

通常は領土問題でイニシアティブを握られると不味いのは常識であるが、世界第2位の経済国である中国が世界第3位である日本との武力衝突を望まないのは自明であろう。なので中国も軍艦の派遣までのエスカレートをしていない。というよりは日本が沸騰すれば「それみたことか」と過去の軍事主義が再燃したと非難するのは明白で、やっぱり実力行使での解決は双方共に望まないところだ。

中国は台湾から太平洋への出口を確保でき、東シナ海・南シナ海・日本海の制海権が欲しいのであろう。逆に言えば日本がしないといけないのは「中国が嫌がる」ことをいちいち行うということである。尖閣諸島を呉れることをせず、竹島も日本のものだということを頓珍漢なコメントを出すのも有効であろう。
中国は民主党が外交音痴なので攻められるというメッセージに対して、民主党の音痴的無意味な対応がいい味を効かしている。中国にとって日本大使を真夜中に呼びつけるという最大限の嫌がらせをしたが民主党には全く堪えていない。随分当てが外れたことであろう。中国は対中強硬論をまさか民主党が述べるとは思わなかったのではないか。中国はかなり戸惑っているのであろう。

日本以上に疑心暗鬼になのが中国だと思った方がすっきりする。日本の左派というのは論理的なので論理に合わない主張はいくらシンパシーを感じていても味方になってくれない。中国の平和的でない態度には日本の左派は論理で嫌悪する、それは自民党以上に。それが現在の民主党の反応であろう。自民党(旧田中派)とは違うんだよね、民主党(というより左派)は論理集団だから。

さらに脱線する。赤木氏は秩序を壊す象徴として戦争を挙げていた。これは旧陸・海軍が常識を逸していて丸山を仕官が兵を殴りつけるような革命が起こると論じている。これは戦争という軍事活動を舐めているとしか思えず、日帝軍の異常性を肯定したことに立脚する論理である。常識的な軍では丸山をひっぱたくことはできないということを理解すべきだ、。というよりは軍の異常性を是とする意見に惑わされている左派や、その異常性が故に負けたという事実を受け入れられない人が多いというのに違和感を感じる。とにかく戦争には赤木氏が望むような要素は無いと断言できる、狂った旧海・陸軍ではあるであろうが。

例えば我々がイラン国民であると仮定してみよう。国は国益を理由に貿易封鎖を強いている。本来であれば貿易が盛んな方が国民は豊かになる。しかし政府をそれを望んでいない。しかし抜け道は探すしかないであろう、、、というのが本音ではないか。商人の本質は「安く仕入れ、高く売る」なので貿易封鎖は商人にとって損であり、政治的なイデオロギーというよりは儲かるか儲からないかだと思う。日本だって北朝鮮のハマグリやマツタケが輸入されるらしいし。

中国がジャイアンだとしても妥協点はあるし、さらに妥協点が無くても民間では勝手にやる。政府の存在感は低下しているわけで、日本人はそれを理解しているけれど、中国人がどうかということ。中国人の心配点は漁業資源を「買って貰えない」ことであり、中国漁民が尖閣でオイタをしたという判断であれば商品を「買わなければ」いいのだ。政府は嫌がらせに「中国産のトロ箱に目立つシールを貼」っとけばいいのだ。産地が分かるためにとか言っとけば十分な嫌がらせであろう。

とにかく軍艦の出番は無いと思う。

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「戦争の悲惨さ」についての違和感

尖閣諸島での中国漁船拿捕への中国の強硬な姿勢に「戦争やむなし」と言う雰囲気が少しあった気がする。
これは『戦争』というか小競り合いを容認しないと交渉が上手く行かないという心配であり、小競り合いで済むという見通しであり、被害は最低限で済むというか、その被害を覚悟しないと交渉がスムーズに行かないということなのであろう。
この論にはかなりの違和感を感じるがそう考えているひとが少なくないということではないか。

一方、非武装中立を論じる人も居る。どうも実質的には非武装でもないに関わらず喧嘩を売られているわけで、まぁ普通に考えると説得力が無い。

この乖離は埋め難い。その理由の大部分を想像できるのは「旧海軍・陸軍が無茶苦茶だった」と言うことであろう。戦争は悲惨とは別の悲惨が存在したことは事実であろう、

戦争大嫌い派は陸軍・海軍がどうしようもなく馬鹿で腐った組織であることが普遍的だとしていると思う。捕虜よりも自滅としゃあしゃあと言い、実際として軍が沖縄住民に自滅を強要したかは分からないが、そういう雰囲気を醸成していたことを否定するのは難しいであろう。明治期から兵を浪費するという伝統もある。特攻という狂ったシステムは狂気(馬鹿)の本質だ。可能性がいくら低くても国のためには戦えるが「帰れない」というシステムは現代軍事学から言えばありえないのも事実。

その有り得ない普通の軍事→例えば兵士の命を大事にするシステムが普通であるというのが保守派の言い分であろう。

特攻や玉砕をイメージした左派と、兵士の生命を安く見積もらない現代戦を是とする右派では前提が違うので相交わらない。

 

戦争の悲惨さをあるヒーローを軸に描いた『永遠のゼロ』を読むと戦争の悲惨さと、旧日帝軍の馬鹿さを分けて考えることができる。(戦争は終わらせること自体が難しいらしいが旧海軍はビジョンが無かったに違いない。)それ以上の馬鹿さ加減を記している。司馬も坂の上の雲で乃木の無能さをこれでもかとこき下ろしたがそのままの悪習を受け継いだ、伊藤や児玉が苦悩した「戦争の本質」は受け継がれず。量数の計算を精神性に置き換えれば負けて当たり前である。しかも負け方も悲惨(馬鹿)だった。

なので右派と左派の論理が交わらないのは、旧日帝軍の馬鹿さ加減をどう織り込むかどうかなのである。アレは馬鹿だったのかと断罪するのかあれは仕方が無いと受け入れるかということ。この論理で言うと左派は旧日帝軍を是として、右派は「あの馬鹿」というスタンスだといえる。

あれっ?日帝好きの左派と日帝嫌いの右派との対決?たぶんそれで正しい。左派の言う戦争は精神で行うから不幸という主張は旧日帝を是とするからそのような主張が起こるわけであり、誤解を恐れずに言えば戦争が嫌いな余り、古く偏った固定概念を信奉しているといえる。(左派が原理的には過激であったのに比べ)古く間違った思想から開放された右派が強硬でなく温厚なのは当然であろう。

 

結論じみたもの。戦争は悲惨だ、旧日帝は馬鹿だ。そしてそこには相関は無い。
戦争が悲惨なのは独・英仏戦とかみればその通りなのだけど、日本人は旧日帝軍の馬鹿で無駄でどうしようもないことを織り込んでいる気がする。

前提が個々で異なるので戦争に対する感情というか前提が異なるという印象がある。

 

追記)
戦争が悲惨であるというか被害があることは否定できない。左派が「戦争の悲惨さ」を述べる場合、旧日帝の特殊性を除外したことを論じるべきである。または自衛隊に旧日帝の伝統が生き残っていることを示唆すべきである。

右派はロシア・中国から領土を削られることの不利を定量化すべきである。投資すべき血の値段を概算し、被る被害との差分を計算すべきである。「尖閣諸島が実効支配されれば日本にとって著しい被害がある」というのであれば、その著しい被害を概算すべきである。値段が無い投資は馬鹿がやることである。

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地産地消は農業を破壊する

地産地消運動は経済合理性が伴わないので、過度に進めば農業を破壊すると思う。

そもそも論を言えば、地産地消は規格外の今まで捨てていたものの現金化だと理解している。他所に高く売った後に残った規格外の捨てられるべき作物の現金化だということだ。ところがそれを目的化してしまうと売り先が狭められるというか、今まで売っていた市場で排除されるということと同意なのだ。その原理は簡単で彼の地で不味い作物が優遇されるということなのだから。地元で買い叩かれ、他市場の売り先で排除される。これで成功するとはとても思えない。

あと「旬のものを食べましょう」は農家に喧嘩を売っているという事実をどうも理解して無いらしいのが環境・自然原理主義者のあさはかさだ。旬の食材は安くて、できれば作りたくない。技術が劣る・投資ができない・人材が居ない農家が作るのだ。生産調整もしょっちゅうあるし。デキル農家は高付加価値を目指して早稲栽培などの高付加価値品を目指すに決まっている
そういえば食物を捨てるのは、、とか言う輩は生産調整すら非難する。商品は食物の前に商品作物であることが理解できない超大馬鹿者なのだ。農業を慈善事業と勘違いしているに違いない。

地産地消主義は専業農家の没落を願う、兼業農家の小銭を潤す、自分勝手な主張を述べる偽善主義者だ。ちなみに私は別に農家に肩入れしない。

 

そういえばフードマイレージという言葉がある。とある環境学者がミネラルウォーターを輸入するのは馬鹿だと論じていた。また彼はフードマイレージに濃淡があり船便であればあんまり意味が無いと述べていた。それはそれで正しいのであろうが、売れるミネラルウォーターを批判しても買って貰っているという重みを学者は理解できないのであろう。ドバイから費用を掛けて輸入して売れるのであれば万歳ではないか。まぁ消費財メーカー勤務の視点であるが。
彼は船便を非難するよりも国内トラック便をと述べていた。フードマイレージは現実を無視した論理であり意味が無いということ。

地産地消を是とする団体の主張は農家の没落を願うものである。そして農水省も似たようなスタンスだ。儲かる農業よりはカロリー重視だ。農家の人数が減ることを憂い、憂うということはパイをより多くの人間で分け与えよという論理であり、カロリー重視で収益を下位に置き、とにかく農家没落を願う政策である。それで「国で養うから言うことを聞け」ということか。いや破綻に導くよりも逆に放って置いた方がいいんじゃないのとすら思う。

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