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新聞をやめた雑感

新聞をとるのをやめて3ヶ月になる。日経の見出しくらいは会社で目を通しているけれどその程度。辞めたきっかけは決済の一元化、決済方法の変更を申し入れても代理店がなしのつぶてだったので辞めた。そのうち摂り始めるという前提で3ヶ月がたった。

・困った点

これは明白でweb記事では俯瞰が出来ない、特に現在は予算案の右往左往がいまいち実感できない。速報はwebで事足りるけど読み込みは新聞じゃないと難しい。そろそろ取るか。
もう一点、ネタ(blog)のインスピレーションが沸かない、細かいことを知るからこそインスピレーションが沸くわけで、知らなければ欲が出ない。「どうでもいい」という感覚になる。まぁ実際銅でもいいんだろうけれど。知ったとしても一からwebで調べものをするわけでどうにも面倒だ。

・困らない点

これも明白で「情報は無くても困らない」に尽きる。感度が高い人は「スマホが、アプリは」とか「今年の流行は」とかいきり立つわけだけど、感度が低い人にとってはどうでもよくて、実際何にも困らない。若い頃はそのての新しい情報に右往左往していたが達観すればどうでもいい話だ。

 

結論なんだけど、新聞を取ると思う。政治や予算の流れが分からな過ぎる。webのニュースサイトではヘッドラインに過激な文言が並ぶけど背景や連続性はちっとも見えない、ということは例えば「政治面の読み込み」がないと面白くないということなんだろうな。ポータルサイトが提供するニュースではその点の読み込みが出来ない。雑誌サイト(日経ビジネスとかダイアモンドとか)では記者の属人性が高く、論評というかオピニオンを意識した記事が多い(ということは情報収集には新聞の紙面の方が有用である)。

 

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貯金をするか繰り上げ返済をするか

昨日の続きであるが30歳で30年ローンを組んで、60歳で完済するというのはあまりよろしくない考え方である。

30年後の雇用情勢や年金情勢は分からないけれど多分に有利な状況に居ると思われる団塊の世代も60歳で3千万円の貯金がないとゆとりある生活が送れないそうである。
年金の設計は退職後10年程度の年金給付という設計で基本的に積み立て方式で運用されているけれど、破綻が確実的なので賦課方式とのハイブリッドに移行しているようである。

ということは60歳で3千万円程度の貯金を作る人生設計が必要ということらしい(または70歳まで働くか)。

・お金を借りられる人
ローンは金利がかかる。当たり前のことだけど早く返せば金利分が浮くことになる。突発的な問題を心配してローンと貯蓄のバランスをとることが必要であろう。子供が公立高校に落ちて私立に行くとか、車が事故って修理や新規に買うとか。ローンを抱えている人の貯金の必要性は突発的な事件への対応という目的が過半であろう。ローンの金利>貯蓄の金利なのでその差分は死に銭だ。なのでこの金額をぎりぎりまで下げることが運用上のキモとなる。漫然と貯金するのではなくて、年間の目標貯金額を設定して毎年幾らかでも繰り上げ返済をすることにより、後年の為の貯金を始める事ができる。
家族や会社から低利で借りられるのであればぎりぎりまで貯金を下げて繰り上げ返済に回すのが金利を考えると正解であろう。

・お金を借りられない人
まぁバランスが大事だと思う。しかし過剰にリスクを心配する必要は無い。仮に車が事故っても、安い車はあるし、そのためにちょっと高いローンを使っても金利代はたいしたことが無い。

 

僕は上記の信念で繰り上げ返済命で常時貯金は200万円以下だ。ゆとり返済が終了でローンの見直しを行う予定なんだけど、変動金利を使ってもいいかなと思っている。まぁここは勝負だけど。

 

ちなみに現在の銀行住宅ローン金利は1%程度で、僕の借りているゆとり終了後は4%。借り換えの手数料は20万円らしいので、金利差3%×ローン残存金額が20万円を超えるとざっくり1年で手数料を償却できることになる。1年償却の目安は700万円というところ。まぁそれよりは残っているので。
上記の例だとローン年限はだいた15年。もちろん15年低金利が続くとは思えないので繰り上げ返済がプロセスに組み込まれていることに注意。

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家をいつ買うか、どう買うか~独身の人に告ぐ

人生単純な選択肢がいくつもある、例えば家を買うか買わないかだ。家を買うメリットもデメリットも言い尽くされていると思うので、じゃあいつ買うの?どう買うのという点に絞ってみたい。

「家を買う」という行為は「結婚する」「子供を作る」というキャリアプランの一環である。まぁ思い描いたとおりに人生が進むとは思えないけれど、思い描かずに何もしないというのもちと変だ。

キャリアプランは逆算することが基本だと思う。例えば職歴であれば最終職歴、例えば社長、を思い描いてその任に堪えるキャリアを形成する必要がある。生え抜きで社長になれるか、社長になるためには他所の空気を吸う必要があるとか。家の購入も同じで、定年時「ローンを支払い終えていて、かつ貯金は幾ら貯めたか」というキャリアプランの問題だと思うと。その過程にはローンの支払い能力は言うに及ばず、子息の学費も考えなくてはならない。嫁の収入も重大な構成要素であろう。

1)60歳でローン完済を目論む場合

これは非常に簡単である、がなかなか難しい。どんな物件を買うにしろ、どんなローンを組むにしろ購入時点で無理の無い返済額と返済期間を基にしてローンを組むということ。30歳であれば30年ローンだし、40歳であれば20年ローンで考えるということだ。ローン期間が短いと返済がきついので頭金を積む必要がある。退職金を当てにしてローンを予定通り返して、貯金をおろそかにすると別の老後の悲劇があると予想できる。基本は貯金を抑えて繰上げ返済した方が有利であるはずだ。給料残存数を超えた、例えば70歳完済ローンは無謀だといえる。

なので現在の貯蓄額と60歳までの年限でローンを組める物件を探すということになる。

ということは昨今の晩婚化で家の購入年齢が高齢化しているとすると、ローン返済はきつくなる方向にシフトしていることが想像できる。最近は流行らないけれど僕の時代は「ゆとり返済」というのがあった。今後の給料が上がることを目論んで金利の前借をしようという金融商品である。ところが今は定昇がないのでゆとりは使えない。というより子供の教育費を捻出するのが大変。

なのでやはり再逆算。職住環境の家賃・購買価格を把握する。貯金(頭金)を除いた60歳までの年限でローンを組んだときの一月支払額を計算する。→家が買える買えないかが決定。

 

2)「どうにかなるさ」の場合

金利はインフレ率と同期すると考えられるのでバブルを含めたインフレは無視する。
多分だけど繰り上げ返済の目処が立たないと難しい気がする。

 

3)買ったはいいけど転勤を命じられた人

これは「損切り」の概念を用いるのが正解のような気がする。例えば単身赴任の費用は、1)世帯を別に構える費用、2)子息が転勤についていく勉学・学友上のリスク、3)「ここに戻る」という仮想感。それらをあわせて「現時点で損をしているから切れない」という計算はナンセンスだと思う。株でもなんでも「現時点で損をしたから売れない」はまぁ単純に間違っているわけで、そこで現金化しておけば違う投資対象もあるかもしれない(新しい投資対象がないかもしれないが銀行預金に勝てない場合もある。土地や資産がジリ貧の場合など)。

 

キャッシュで買うのが難しい家を買うという作業はわりと制約がある。キャッシュが無い人は早く家を買ってローンを組むか、その差額を貯金しないといけない。

 

結論じみたもの。30年ローンを組むには30歳で家を買わないといけない。晩婚化で婚活が盛んだそうだが、家を買うという常識を有している人はその点も考慮したほうが良い。当然その対象となる女子もである。

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就活生への雑感~優良企業の指針

学生の就職内定率の低さがニュースになっているが、その対応策案へも違和感を感じる。「就職できればどこでもいいじゃん」をいうのはあまりに建設的ではない。

中小企業が中小企業である理由は内部留保を貯めこめず、再投資できないから。ベンチャーなら分かるけど20年中小企業であるのは経営者またはその企業の環境が劣悪だろう事は想像できる。そんな会社に行くことが本当に幸せだろうか?それでも希望がある中小企業さ探り方を紹介しよう。

それは「従業員1人当たりの売上高」である、1億円/人あれば優秀なのではないか。一人当たりの売り上げが1億円あれば、固定費≧人件費と考えると原材料原価率が3割程度あっても限界利益は7割はあるわけで平均給与が500万円/年として人件費比率として5%としてまぁまぁ妥当なのではないか。原材料原価率というか限界利益が高い業種であれば双悲観することではない。

 

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医療や会計士などの専門士の逆アウトソーシングの可能性

TPP批判で外人専門職が日本を席巻するという批判に違和感を覚えた。仮に日本の医師(税理士・弁護士等の専門士)が海外駐在員の主治医になることを妄想してみる。

海外の日本人駐在員はその国の医療レベルの低さを心配することがあるのではないか?現地語が不自由な現地駐在員の家族の医療上の心配は現実的であろう。これをNETで日本人が日本で対応するというビジネスモデルはどうであろうか。
日本の医師が現地駐在員家族の医療愁訴に対して検査項目を指定して、問診を行い、必要な医療指示を伝えるというビジネスモデルだ。テンプレさえあれば各国の医師・薬剤師への処方箋依頼は対応可能であろう、必要であれば帰国して手術ということも想定できる。東南アジア圏のように時差が少なければネカフェで診療できる。海堂尊の小説「イノセントゲリラの祝祭」の彦根新吾のイメージだ。

大都市であれば調剤薬局を併設したwebカメラ診療所があってもいいであろう。医師一人が開業するには日本人密度が低く家賃が安いエリアであれば数カ国数十都市が対象でも成り立つであろう。日本人のためだけではなくて欧米人や韓国人、台湾人、中国人も巻き込めば現地医療施設の固定費は安く見積もることが出来る。国民健康保険は使えないであろうからそのための医療保険があってもいい。
海外旅行に医療保険を誘導するためとしてもいいんじゃない?中高年向けのパッケージでも添乗員がwebカメラ付のノートパソコンを持てば安心を売ることができる。オプション費用を徴収するのはオプション費用で収益向上を目論む旅行会社としても親和性があると思う。なにより旅行者が安心できると思う。

 

簡単な英語は使えるけれど微妙なニュアンスを伝えるには不自由している人は多いと思う。ましてや英語以外の言語であればなおさらである。
旅行者が安心できるサービスであるとも言える。

日本人は1億人居て、日本企業は多く海外に進出していて、日本語のボリュームは少なくない。海外に散った日本人のためのサービスがWeb上にあるとすごく心強い。東南アジアでの物価水準・教育水準を考えると移住してもいいと考える海外駐在員家族の安心ツールとなりうる。医療だけでなく様々なトラブルの窓口を日本に住んでいるのと同様なサービスを提供すればいいのだ。保険会社とタッグすることにより費用の高さは相殺できる。

このアイデアを見て、便乗するのは別にいいです、公知になりますから。儲かった暁には一杯奢ってね。

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殺人は非道であるという倫理観に対する拒否感

よくある話なんだけど「殺人はいけない」という倫理観を前提としたミステリーは物語を楽しむ部分であれば違和感は無いけど、倫理というか「そのもの」を訴えかけるような作品には辟易する。

「殺人」はそれほど悪いことなのか?もちろん遺族は許せなくて復讐の連鎖もあったりする。その一方で古今言い古されているけれども「戦争では勲章」だし、国家は「死刑」を命ずる。ようは人を殺したかどうかではあまり問題ではなくて、「社会の決めたルールには従ってもらう」という前提があって、その最大級の問題点が殺人ということだと思う。

自分や家族が殺されないためにはその属するコミュニティで「お互い殺しません」という宣言(コミットして)をもって安寧に暮らすということである。別に可哀想とか野蛮であるとか印象の問題ではなく、自身・家族の安全の問題なのだ。その安寧を守るためには「殺した奴は死ね」というのが原則論であり、まぁその体系は現在先進国法律に至る。

くどいようだけど僕は「倫理は論理で説明できる」と思っていて、「論理で説明するのは非常に面倒なので倫理で代替している」というスタンスである。子供にいちいち論理で説明するよりは童話(倫理)で「人のモノを盗ると神様が見ていて鬼が成敗するよ」というのは方便だと思う。まぁ大人がその方便を信じるのはちょっとあれであると思う。逆に言えば論理の通らない地域もあるわけでそこで強盗に出会ったら単純に交渉術が成果ポイントであろう。倫理を振りかざせばその(犯)人にとって違和感のある説得をすることになり、天国への時間が早まってしまう。倫理は共有概念でないのだ。

 

やっと本題。ミステリィのプロットとして「殺人は絶対的な悪ではない」ということを前提とした作品は多い。しかし犯人の論理で正しいことをしていて法を犯している事件を、犯人が勝つ小説はすごく少ない気がする。殺人者が勝ったっていいと思う。僕は「殺人が絶対的な悪」であるとは認識していないので、例えば警察組織の一員である主人公が完全犯罪を前に平伏すというのがあってもいいと思うけどまだ手にしていない。

もっと深堀すると「殺人者は問答無用で死刑」という倫理があってもおかしくは無いと思う。まぁそうなる犯人が「墜ちる」可能性が少なくなるのであまり推奨しない。正当防衛の取り扱いも難しいし。

 

今の日本の法律では「人を殺して」割に合うことは少ないと思う。誰もが殺されたくないわけで、そういうルールが浸透して初めて安心して生きていける。その面倒な論理考察の結果を伝承するのが「倫理」って奴だと理解している。なので日本の法律が届かない地域では、何の効力もない倫理観だといえる。

 

そう考えると「論理無き倫理」というのは非常に危険である。どうも倫理は膨張の兆しがある、熱狂的な信者を得られれば数は膨張するのは分かるけど、それ以外の人には皆目不明。でも信者は自分が最高だと思っている。マイナーな主張ほど(例えば共産主義とか、宗教主義とか)論理的に説明する義務があると思う。

 

結局、論理的に説明できない倫理観を誰もと共有するのは不可能だということ。だってお互いの価値観を認め合うという手続きを踏まずに「自分の主張は最高だ」述べて周りと上手くいくわけが無い。

 

だとしたら宗教や倫理は説明能力を持つことと、異教徒の論理を理解することと、交流をすることであろう。

 

標題に戻る。殺人は本当に悪いのか?私は宗教は殺人よりも多分異教徒多数の人を殺しているという理解があるがそれは正しいか?(前の前提が正しいとして)それでも尚宗教に寛容であるべきか、宗教とは害悪の根源ではないのか?(前の前提が正しくないとして)宗教と科学の違和感を宗教側が表明すべきだと私は理解しているが宗教人は科学を受け入れる準備がない偏狭だと懸念する実際はどうなんでしょう?

本当は倫理についてなんです。宗教論ではないのです。でも倫理と宗教観は同質だとも思っています。

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デフレを嫌う件、値上げりも嫌う件、インフレはどういう現象か分からない件

石油価格や食料が高騰している。先進国で言えば破綻もどきが相次ぎ(その結果ジャブジャブ輸血した)、その結果貨幣価値が下がったのか資源価格が高騰している。日銀(嫌いらしいけど)得意の量的緩和を全世界で実施すれば貨幣価値は下がり、インフレになる。

いまいち理解できないのは経済学者が血を望むような「インフレ」を、企業収益力に影響を与えるから「資源高騰は悪だ」という論調である。思いっきり矛盾である。

デフレを嫌う集団は円が対ドルで切り下げされてないのに資材の値段が上がるのは「至福」ではないの?僕の理解ではデフレが問題であるとすれば価格は上昇した方がいいに決まっているし(その価格で買ってくれる人が居るということ)、為替が安定している中での資源価格高騰は単純にインフレであると理解して何が悪いのであろう。デフレを嫌う人は資源価格の高騰は朗報でないの?

僕個人はデフレもインフレも相対価格の一環だと思っているので、まぁどうでもいい。ある意味日本政府の駄情な国債発行を行っている割には外為が下がらず、(今日一日では)勝ち逃げは可能である。

デフレを問題視した人が資源価格の高騰に問題を投げかける意味が分からない。根本的に分からない。

 

結論じみたもの。デフレもインフレも個人法人の資産が著しく変動することなので好ましくは無いのであろう。デフレもインフレも例えば安定した外貨(そんなものあるのか?)に置いておけば理論上は関係ない、例えば金やプラチナに投資するとか。まぁ事業上はいろいろあると思うけど、それにしても「事業は選択可能」なので損益で撤退も投資も自由だ。

デフレを害悪視して、資源の高騰は問題だという論理は意味が分からない。中間業者も資源価格高騰でも商売のためにその資源を高い値段で買ったんでしょ?売れると思って。買う人が居るから値段が上がる、それがインフレの本質でしょ。高く買った資源をデフレを期待しているお得意さんが高い価格で買ってくれないければそれは単純に目論見違いで、為替や価格の問題ではないでしょ。売れない値段で仕入れる中間業者がネを上げるのはちょっと理解できない。

工業系新聞(日経産業とか日刊工業とか)はどういう世界がバラ色だとおもっているのであろうか。

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菅氏のスタンスに対する雑感

民主党の小沢氏が「強制起訴」されたら党員資格が剥奪されるようで、かなりの意図がある恐怖政治を感じる。菅氏が党に喧嘩を売って与謝野氏を大臣に据えたのは「消費税を上げるよ」という強いメッセージだと思う、人選はともかくメッセージの伝え方としては理解できるし評価できる。支持率が低下する中、政策として人事を行っている。
一方で小沢氏を政局として扱うのが理解できない。僕の見解だと現金を使用した時点でグレーであるが、証拠は無い。なので検察審議会側は記載ミスで立件を目論んでいるようであるが、所詮微罪である。例えば入出金を年度にまたぐような会計操作である。お得意の政治家・団体は多いであろうし、それによる党員停止は魔女裁判もいいところである。執行部がそれに乗っかった理由が分からないのであるが、まぁ個人的な軋轢なんでしょう。

やはり疑問は菅氏が理念的には政治生命をかけて消費税を上げて財政改革の糸口を模索しているように感じるのだけれどそうでもないような気がする。まぁ通常であれば財政再建派の大臣を据えた事でメッセージは届くと思うんだけど人選が駄目駄目でメッセージが伝わっていない。その上、菅氏自身が政局に積極的でどこまで本気かが分からない。だいたい支持率が落ちてる宰相の動きでは無いことだけは理解できる。

岡田氏・前原氏・小沢氏・鳩山氏、そして菅氏。歴代の民主党トップは党内調整の失敗か、理念不在というか調整に走り過ぎだと思う。例えば鳩山氏が理念で突っ走ることも合ったのかも知れない、どうもその後の鳩山氏の発言を見ると馬鹿だったという認定しか考えられないが。ちなみに鳩山氏の重責は理解できる、独裁者なんだもの。自民党であれば相談できる(責任を共有する)長老が居る、民主党は党首に全ての権限が集中し過ぎている。トップが壊れることはある意味理解できる、鳩山氏の特性として総理時代の功績を述べるのは酷かもしれない、同様に菅氏にも。

 

脱線。左派政党の「議長(書記長かもしれない、まぁその類の誰か)一任」にかなりの違和感を覚える。収拾しない議論では議長一任という選択肢もあると思うけど、議論が成り立っていないことが問題であり、結局左派は議論ができないという論証でしかない。党首は党の最大公約数から外れるとバッシングを受け、党首が最小公倍数の中からある案を選択すると党内から孤立するという背景があるようだ。実質よりも論理を重視する馬鹿の集団ということらしい。馬鹿で損をしてきた方便が「議長一任」なのであろう。もうこうなると理念という概念に疑いを持つしかない、馬鹿過ぎる。

 

既得権益団体が議員を連続当選させ、大臣に成って、発言力を述べるというモデルは有用であろう。市民がコミュニティに参加しないので、コミュニティに参加している市民はかなりの低コストで有力議員を送り込める、「都市の風」という不安定な存在よりは余程ましな顧客である。どうやらその疑問が国会よりも地方議会で問題になっているらしく、まぁ名古屋はその典型であろう。それでもカネを落としてもらっている団体の結束力は投票率とは次元が違うオファーがあるであろう。

 

閑話休題。小沢氏を筆頭に鳩山氏も菅氏も理念と現実との扱い方が下手だったのであろう。注文があるとすれば「菅氏を印象で切るな」というキャンペーンを党員が行ってもいい気がする。自民党はどういう目論見かが理解できないのだけど政局に持ち込んできた、理念は語らない。一方自民党は無駄な既得権益集団だとアピールする「理念(らしきもの)」すら伝わらない、メッセージが皆無である。

 

 

菅氏にも谷垣氏にも:やりたいことをやればいいのに。

 

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文化が成熟して日本人は非寛容になった

渋滞は人災で多分多くの人が「自分は悪くない」と思っている。まぁだからこその人災なのだが。渋滞に参加する20%の人は渋滞の原因とか加速の要因である、具体的に言うと前が車1台分開いていて、後続車両が居る場合はクロだ。「今から詰めるから」は理由にならない、その前の人が少々ぼんくらであれば「後ろは詰まっていない」と誤解するからである。その集大成が渋滞であるということ。自分がイラついている3倍以上後ろの人はイラついている。
また「前が詰まっている」から後ろのプッシングを「迷惑」だと思っているのであればそれも大間違い。押さないと自分が邪魔であると認識できない人には誰かが押す必要があるからだ。この懸案を考慮すると30%の人が渋滞を甘受している。
さらに通常左側を通行している人も渋滞時は右に出てきがちである。こまめに譲ることが渋滞緩和の必然である。

標題の件、渋滞を甘受する性質は東南アジアの過激さからは想像できない状況である。実は自分がより突っ込むよりは社会全体としてルールが整備されるほうが合理的であるということを日本人は理解しているし、教育も受けている。ところが休日の渋滞は思考停止がおこり、中の人が渋滞を加速させる。もうちっと頭使えよ。

そして非寛容の典型が大相撲八百長問題である。僕は「わかっちゃいるけど辞められない」とか「昔からの伝統」で理解できる。異常なのは興業である「相撲」にスポーツの厳格さを求める姿勢である。相撲をスポーツとして厳格に管理するのであれば給料制はなじまない、幕下幕内の格差もなじまない。取り組みは当日発表で、競馬の騎手のように取り組み発表後の力士同士の連絡を絶つという方法もあるであろう。

でもそんなことして面白い?

政権や政治に対する批判もマイナス査定であり加点は無い。とにかく非寛容だ。角番大関が陥落すると「星が買えなかった」のかと同情するし、出世を占う場所の3役であれば星も売れないし。

 

ちょっと脱線する。八百長が存在できる条件を考えてみた。1)取引が得になること、2)仲間内の繰り返しゲームであること、3)秘密が守られること。
上記に記した以外の八百長も当然存在する。例えばプロ野球の下位チームスターがタイトルを取るために敬遠したりすること。3)の秘密が守られていないので厳密には八百長とは呼べないけれども公式的(ルールを倫理が凌駕したスタイル)な方法でタイトルをゲットする、それは交渉が成り立たないから一方的に宣言した結果である。ようは合法でも非合法でもそのような事例は多く存在するということである。逆に言えば2)で指摘した繰り返しの対戦相手であれば星の融通は無いと思う方がおかしい。制度的な問題であるということ。

話は端折るが興業的に成功するには少なくとも大相撲には八百長が必要不可欠である。大相撲が厳格に運用されるということはギャラリーの利益になるのかが不明である。
Jリーグやプロ野球が「真面目」に興行した結果、不人気球団の収益性が悪くなっているのであればいわんやおやである。

 

この問題は週刊誌がキャンペーンを述べているがあまり注目されていないと思う。まぁどうでもいいのだ。この「どうでもいい」ということが相撲協会にとっての本質的な問題であると思うんだけどその点の危機感が伝わってこない。また某雑誌が「正義」を標榜して相撲協会を叩くというスタンスはアリだと思うんだけど、反発が無いのが悲しい。その雑誌社も叩きがいが全く無い。ということは週刊誌の使命は「八百長問題」を地味に叩くことが売り上げアップで、「本当のこと」を追求してもなんの利益も無い。八百長が発覚してしまったので叩かざるを得なくなり、、、、。何だよ警察!なんの権利があって情報をリークしたんだよ!相撲業界全体で、例えば笑えるの相撲協会と雑誌社がプライバシー侵害で共に警察を訴えることだ。いやアリだと思う。

 

ところでなんでここまで日本人は非寛容になったのであろう。例えば「プロレスはショウかスポーツか」という議論があったと記憶する。それよりも数段低い議論であることは間違いない。論理的に考えればピークを過ぎた力士が15日間身内同士でガチンコでやるはずが無い。幕下と幕内・三役と前頭で待遇が全然違うんだもの。

「やっぱりね」と笑うところだと思う。相撲協会が税金の優遇を受けているから善処しないとならないのは分かるけど。

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浮気は秘密にして欲しい件~大相撲雑感

白鵬関がインタビューで「私はやってないというしかないでしょう」的な応答をされていた。大人の対応ですよね、日本人でないことを考慮に入れるととても頭のいい人だと感心しました。
八百長をやってないと断言する危険性と「相撲界」を守るための考え抜かれた対応なのでしょう。

考えるに「八百長問題」はまぁ言わば公然の秘密で、いちいち突っ込むところじゃないよねって感じなのだと思う。新潮や文春はそういうのがすきだからキャンペーンを張るけれど、それがネタだからキャンペーンを張るわけであり、ネタで無くなったら提灯記事であったはずがインパクトが薄れてしまう。そしてその通りとなって、事実を明らかにするキャンペーンは引け腰だ。当たり前だけど週刊誌が提起する→相撲協会が否定するという出来レースの上での大人の対応であったはずが警察が関与することにより何の根拠か権限か分からないけど重大情報をリークした。名誉毀損的な匂いがするけど事実であれば裁判に持ち込むのは妥当ではないよね。もし警察が相撲協会に忌避感を持っていて潰す意図があるなら理解できる。逆に言うと警察は勇み足であった可能性が高い。公然の秘密は秘密であるから無視できるのであって、暴露してしまうとなんらかの手続きが必要となる、そしてそのリークは犯罪とは無縁であることが重要だ。犯罪とは無縁の情報をリークした組織が経済的・社会的な処罰を受けることは当然である。刑法上問題ない捜査上の秘密をリークしたわけだから当然である。

当然週刊誌は「警察馬鹿だよね」という正論的なキャンペーンは張れず、もっというと何で警察にリークする権限があるのかすごく疑問なんだけどそこはちと突き辛い。まぁ言わば「警察やっちゃった」というところであろう。

これってさぁ浮気報道と同じ構図。報道側の意図と公権力の意図が必ずしも合致しているわけではなくて、マスコミはどうでもいい浮気・不倫の方がお手軽なわけだ。犯罪者には人権を考慮する必要があり、報道へのハードルが上がってしまう。スキャンダル的なインパクトは警察に逮捕されるとかの方が大きいけど事実ベースに限定されて他社を抜くのが難しい。問題はそこを捜査で知りえた情報をリークした警察に問題があって、今後情報は警察に極力伝えない方が良いというインセンティブを明示したことであろう。

あとは検察審議会が小沢氏の強制起訴を決めた。疑惑で政治生命を潰すのは社会正義としてどうだと思う。その片棒を警察は担っているということだ。

 

結論 : 警察の捜査に協力すると損をする可能性が著しく高い。だから警察に協力しない。その結果治安が悪くなるかもしれない、ならば警察という組織を解体するしかない。

 

 

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市場とは取引条件を含めた「市場」である件、マクロ経済学が負けた件

経済学者が言う市場とはとても単純化された状態であり、現実面としてそんな単純化された市場は存在しないといえる。

というのは新日鐵と住金の合併である。得意分野が異なるので公取での独禁法に当てはまらない見解ということなので、逆に顧客との関係は今と変わらず、高付加価値製品のダンピング競争から逃れるための高炉のダウンサイジングを行い、鉄鉱石とコークスの資源メジャーに対して購買力を上げたいと言う事であろう。

マクロ経済学者が言う市場は原理的に単純であり、値段は売る人と買う人の需要で決まるという公式である。ところが高炉を持っている事業者は高炉を維持するコストや、(資源メジャーの投資意欲を刺激できる)複数年契約がいわゆる「市場」に反映している変数だ思う、その変数が複雑だと市場とは値段は離れていることになると思う。先物市場で収まりつかない実需の複数年契約がないと鉱山投資は出来ないという表明であり、マクロ経済学が言う市場は機能していないことの表明である。厳密に言えば先物は機能していて、でもその先物市場とは関係ない部分で資源購買力というか価格決定能力が決まるという事実があるのであろう。そうでなければ事実上規模のコストダウンが期待できない合併が起こるはずがない。

鉄は重いので輸送費がばかにならない、高性能な高張力板や耐高圧シームレス管は需要もそこそこ、値段もそこそこである。そのような高価格な商品を船便だけで済めばいいけどそっから陸上輸送はかなりの高コストである。規模を追求した低価格な鋼板は需要に近い事業者が作ればいいのであって、高付加価値企業団が勝負するところではない。

想像なんだけど、新日鉄も住金も、出口背略(=誰に何を売るか)という点で困っているわけではない。「鉄鉱石この先5年の購買契約」を結べる企業が優先的に取引条件を決めているのであろう。それは中国の大企業で、僕だってそうする、とても理解できる。資源メジャーも取引量を保証してくれることで投資計画が立つというものだ。

そういう世界では「市場」はわりと危うい。

なので「市場」を信用しない企業が資源調達能力を高めるためにバイイングパワーを重視するのであろう。企業では直近1Wの話が重要だったりするので、マクロ経済学者は理解できないかもしれない。それでも理解できない材料として「新日鐵と住金の合併」はエポックメイキングなことのような気がする。

 

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ドラマ雑感

ドラマも一通り閲覧した。筋立てで言いたいこともあるんだけど女優さんの印象を述べる。

まずは継続視聴を断念した(しそうな)ドラマ。まずは仲間由紀恵、話が暗いので無理。今井美樹はまだ見てるけど変態の人物をストーリーのキーに据えるのは僕の好みとしては違和感がある。同様に上戸彩(、武井咲)も。番外編なんだけど兄を好きな妹が主演のアニメも変態の幼馴染のバトルを主題においたワンパターン化は脱落の気配。プロファイラも北川景子のぶさいくっぷりに我慢できない。松下奈緒はフジテレビの「ガリレオ」のパクリといって問題が無いレベル、話は面白いのだけどコピー臭がすごい、配役が全くかぶる、もうちょっと変えればいいと思うんだけど。さらに個人的にはガリレオの柴崎コウを凌駕出来てない。というか東野圭吾を読み始めました(現在4冊目)。

面白いのは織田裕二の外交官黒田。ストーリーに深みがあり、変態が登場しない(無理を押し通すことが無い)ので好感が持てる。柴崎コウはガリレオに続く熱演だと思う、いい女だなぁと思わせる。柴崎はピークが過ぎたと思う、しかし枯れた魅力がおっさんには、、、。加藤アイと竹内結子が「目力女優」だと思っていたんだけど(まぁ他にも仲間由紀絵恵とかいっぱい居ます)。柴崎はその素質もあってかつスタイルがいいと思っていた、けどヤンキー臭がしていた感じ。最近そのヤンキー臭がとれてきたので期待していた。ガリレオも黒田もその素質が生かされていると思う。

コメディでは江口洋介、「一つ屋根の下」と全く同じノリで、他世代では古く感じるプロットだと思う、僕的には一番面白い。暴走の江口を西島が抑えるという構図は現実感が増してドラマに深みを与えていると思う。西島が助演男優賞ものだ。北乃きいは駄目女が似合うと思っていたのだがようやくの天職であろう。ついでに言えば岡本玲もこの駄目な女路線で精進してもらいたい、北乃キイは好きじゃないけど岡本玲はファンなのだ、桐谷美玲も。

次に香里奈、こちらも「ゴクセン」のコピーだし、生徒役の不細工っぷりに感情が移入できない。大政絢が超綺麗なのが救いである。あと香里奈はスタイルがあまり良くないので極ミニが似合わない。
大人の女性に脱皮したいのだろうが。例えば加藤アイと競うといいのではないか。加藤アイもスタイルが悪いし、歩き姿は超不細工だし。

次に大河ドラマ。トヨエツの信長はかっこいい、司馬好きの誰もがあの信長はかっこいいと思うのではないか。おっさん視点では鈴木保奈美があまりに綺麗で面白い、感情を覆い隠す美しさが今後どうなるか。なので現在は上野より先の鈴木とか宮澤とかが強烈で。

 

では最後に気になる女優。臼田あさみのだめっぷりが落ちる、2ドラマでいい意味での脇役がすべりまくっている。もちろん主演を食ってはいけないのは分かる。でもなぁ。

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国立新美術館に行って来た

国立新美術館に初めて行ってきた。上野の東京都美術館を大きくした感じで様々な美術グループの展覧会が行われていた。入場無料でも単独では行く気が無くてもいくつも開催されていると一日楽しめる。今日は有料の展覧会が3展と無料の展覧会が3展、あと文化庁メディア芸術祭(無料)が行われていた。東京都美術館が平屋なのに対し、国立新美術館は3エリア×3フロアで9展がほぼ無料で楽しめる。

これが結構面白かった。目玉は文化庁メディア芸術祭。アニメ・漫画・ゲームやエンターテインメント全般の入賞作品の展示が行われていた、商業アドも。ARTとはを考えさせられるものであった。学生の出品・観客が多かった。
次に等迦会という日本画の展覧会、大きいサイズの和彩・油彩・水彩と。アマチュアの作品なんだけど、とても楽しめた。入賞作品と僕の好みが全く違うのが面白い。日本画が基礎だとはいえ油彩や印象派を模したもの、カンディンスキー・ミロ的なもの、ダリのようなシュールなものもあった。素人だと馬鹿にしてはいけない、どちらかというと嗜好の問題で、例えば僕は人物画と静物画が嫌いなんだけど、風景画や印象画は楽しめた。技法や構図の師匠を理解できるとまた楽しめる。例えばダリやミロのコピーがあったりする。
次に水墨画。水墨画は縛りがあるので自由テーマよりもテーマの深度が深い感じがした。定番は雪景色なんだろうけど、水彩を施したり、凝っている。単純に面白い。これが無料なのは美味しい。
あとは全日本アートサロン。こちらは入場料を取るんだけど、サクラクレパスとの共催で有名らしく完成度は高い。小品が多い。
見てないけど「」もあった、僕は台北の故宮でも書は全く分からないような人物なのでスルー。

とまぁ1展に30分、興味のある展にもうちょっと時間を掛けると1日楽しめる。費用はほとんど無料、美術館内のカフェはお高いので昼食や休憩用のドリンクを準備することをお勧めする。

文化庁メディア芸術祭は2/13までです、他の展覧会もお勧めです、多くが無料です。ちなみに私は知り合いの展示を見るのが目的で、その後昼食会に参加したので、付帯した展覧会に興味を覚えたのですがじっくりは見ていません。じっくりみたかったですね。もう一回行ってもいいなぁ、今回は知人のスケジュールに合わせてゆったり見れなかったし。

 

上野にぷらっと行って、国立博物館と西洋美術館と科学博物館と上野動物園の幾つかをはしごすると結構疲れるし、お金もかかる。それがこの国立新美術館はお安く楽しめる、デートのネタに困ったら、お勧めである。

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購買発言力としての合併

新日鉄と住金の合併が発表された。この手の合併の意義は何なのだろうと思っていたのだが意外な切り口だった。

古くは川鉄と鋼管が合併してJFEを作ったり、古河SKYができたりとまぁいろいろあった、あと神鋼の取り扱いとか。

その中で新日鉄と住金の合併は資源メジャーというか鉄鉱石と炭鉱に対する購買力向上といううわさである。出口問題として高炉が余っているということもあろうし。また薄板と管と得意分野が違う企業の合併は公取的には問題ないのであろうが、合併での市場調整力はあまり期待できない。

 

ということは経済学者がいう「誰もが参入できる市場」とは割りと幻想的な状態であり、安定的で量的に多い取引を望む売主は「安定・量」に値段をつけて排他的な商売を行うということなのであろう。企業活動も「安定や量」に値段をつける、市場価格は先行きの投資に左右されるので長期大量購買契約が鉱山開発の原資になるのであろう。まぁそれはそれで合理的だ。なので量を支配すれば価格決定力があるということなのであろう。その結果が今回の合併だという説は説得力がある。先に挙げた銅・アルミは先行していて神鋼と古河スカイと住金に集約している感がある。

日経系紙の論調はこの合併を「世界第2位」であることを強調しているが、そんなことはあまり関係無いと思う。重複分野は整理しなくてはならないし。というより粗鋼生産量がバイイングパワーに直結することは理解できるけれど、鉄は重くて安いので輸送費が高くつく。低級な粗鋼は現地生産が鉄則である。なので日系は高付加価値鋼を生産しないとペイできない。単純な粗鋼生産量で1位とかあんまり関係ないと思う。高付加価値鋼は数量は出ないので仕入れで困ることになる。なので合併してバイイングパワーの増大が必要であるということが背景であろう。

 

この流れは他の業界も覚悟しないといけないのであろう、例えば油脂や糖、穀物である。

長期契約で購買をコミットメントされれば投資が出来る環境にあるとすれば、そしてそれは市場を出し抜く意図があるとすれば、市場への信頼は低下するであろう。そして現在は世界的に低金利である。市場の値段とは別に大量資金が投資を行い、排他的な取引が増えるというのは誰でも考えることであろう。

 

そこで以下アスタリスク(*)の問題が生じる。

 

*食料の値段が上がっているのは貨幣価値(米ドル)の低下によるインフレという見方も出来る。食料の値段が上がって貧困が増えるというのは疑問視できると思う。

**相対的に食料の値段が上がるのは農業国にとって悪いことではない。発展途上国の都市住民が食料高騰で苦しむのは、食料高騰以下の生産性向上しか達成できていないことだけである。

***なので資源高騰は単に貨幣価値が下がったとという説明も出来るのかもしれない。途上国が購買欲が旺盛になったおかげで商品価値が上がるのはそもそも歓迎すべきである。

****食料費の高騰が途上国貧困層に打撃を与えるという報道もあるけど、商品作物の値段が上がるのは当該農家にとって現金収入が増えることである。農家は永遠に貧乏を望むのかしら。

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TPPの障壁は農業問題ではなくてコメ問題だろな件

「食料自給率」より「稼ぐ農業」!~NBonline

違和感あるなぁ、僕はど素人なんだけどそれでもこの文章は違和感がありまくりである。端的に言うとTPPで問題となる保護貿易の問題は農業問題ではなくてコメ問題であるということだ。コメ問題を農業問題とすると論点はぼやけるし説得力ゼロである。もちろん農業問題としての各界問題はあるであろう、砂糖とか小麦とか。農業の問題といえば農業の問題なんだろうけれど、稼げている農業は日本にも多数例があって、問題は補助金漬けの業界の取り扱いでありその最たるものが「コメ」であり、記事が述べる付加価値農業はもう既に行われている。既視感ありまくりなうえ、なんの生産性向上の提言がなされていない。

例えば酪農もチーズやバターで関税の恩恵を受けている、そして乳牛のが出産しないと乳は出ないわけで、その仔は肉牛となる。国産牛の供給源なのだ。関税撤廃で酪農家が壊滅的な打撃を受けると畜産にも影響が出る。まぁ関税で守られている結果が現在なので関税が撤廃されると市場に影響が出る、雇用にもだ。

話は脱線するけど米作自由化は市場へのコメ流通量や品質には影響は出るであろうが、そもそも論として小規模米作農家の収入にはそんなに関係なさそうである。米作農家の米作収入が占める割合はとても低いようだし。

逆に言えばTPPで経済的に退場してもらったほうがいいのかもしれない。

とにかくLink記事は農業問題とコメ問題を混同していることは間違いない。それは僕のようなど素人でも分かる。

 

なのでTPPは政治問題なのである、経済的な問題ではない。面子とか票とかまぁ経済的でないことが理由なのだ。票バイアスがある政治家がそう述べるのは理解できるんだけど、なんで経済紙が票に阿るのか理解できない。僕が指摘したのは酪農だけどそういった提言であれば理解できるけど、コメベースで述べる時点で頭が悪いか意図があるかどっちなんでしょうか?経済紙も経営が苦しくなるとプロパガンタに与するのでしょうかねぇ。

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