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謝罪の効能

告白すると私は謝罪をすることに抵抗が無い。自分が悪いと思えば謝るし、自分が悪くなくても相手に不快感をもよおさせたら謝罪するのにも抵抗は無い。謝罪して損したことは無かったし、逆に謝罪して得したことは何回かあった。上司に「失敗してすいません」と言うと、「素直に謝るのは偉い」と褒めてもらえた事もあった。こちらとしてはミスした時間や費用は無駄になるわけでそれを釈明したに過ぎないのだが、相手がそれで満足・納得するのなら謝罪は有効なツールとして機能することをそのとき初めて分かった。そのとき得た教訓は、謝罪は相手があってするものだから、相手本位で処理することだと思うのだ。もちろん私が謝罪することのストレスは他人よりもかなり低かったのであろう。

では謝罪ができない理由を考えてみたい。私には「面子」という概念が著しく希薄なので頓珍漢なエントリーになるかもしれない、特に謝罪に対してハードルが高い人にとっては。しかし、謝罪による効能は論理的に議論できるのではないか。

私にとっては「謝罪」の価値は低いので相手に謝罪を要求する概念も同時に理解できない。謝罪したからといって失敗は取り戻せないので過去について語るのではなく、未来、どう対策するのかという点に興味がある。だから「まず謝罪した」という事実は概念上の問題でしかなく、対応策が有効かどうかの方が重要なわけだ。ところが謝罪の方が重要度が高い人が一般的らしいのも事実。

そして「誰が失敗したか」ということを明確にしないと気が済まない人が多いことも知っている。その場合は顧客が「俺の面子を潰した落とし前」というのにこだわるわけだ。論理的な問題ではなく、面子の回復が最優先というわけだ。当然、その後のリカバリーも同様に重要なのだが。しかしリカバリーが上手くいっても謝罪が順調でなければそのリカバリーは評価が--(ダブルマイナス)から-(マイナス以下同)になるだけであって、+には縁が無い。ところが謝罪がすんなり受け入れられれば--が0(ゼロ)に、フォローが完璧であれば--から+になることもあるらしい(私にはそういうセンス無いが)。

商売と言うか取引にはこの問題は不可避だ、コストも納期も無視して完璧な物を納入するという現実的ではない取引以外では。コストを詰めればある一定の率での失敗による迷惑も想定内であろう(する必要があるであろう)。余裕ぶちかましならともかく綱渡りの生産計画で顧客に提供する予定が少しのミスで顧客に迷惑を掛けることは普遍的だといっても過言ではない。だからこそ、人間関係が重要になるのかもしれない。

実は接待が無くなったのが大きな原因ではないかとも思う。ビジネスライクな付き合いは結構だけれども、いざ問題がおきれば「謝罪が無い」とか、「あいつは不真面目だ」という発言を聞くと、その担当営業はどのような人脈を持っているのかと嘆きたくなる。私は研究職・技術担当だがその営業をフォローする気は全く起こらない。挨拶も無ければ飲みも無いので人となりを判断する機会が無いので冷徹に技術レポートを上げるだけだ。その会社とは違うが以前付き合ってた営業とは2ヶ月に一度くらい割り勘で飲みに行き、こちらの社内人事の意味をリークしたり、担当営業が困っているときにはアドバイスをしたりと、人間関係を構築したりしてきた。だからこそこちらの我侭を聞いてもらうこともあれば、その社の都合を本社へフォローするということもあったりした。もちろんこのようなベタな関係が推奨されるわけではなく、人間関係を構築する一手段というだけだ。

話がぶれた。謝罪というのは精神的な行動で、実務になんら影響しない。しかし、私の拙い社会人生では結構重要な位置を占めると思う。そして謝罪に抵抗がある人が多いという事実も。まぁ抵抗があるから意味があるともいえるのだろうが。

外野から見ると「謝罪の上手さ」は営業能力の一翼を担っているであろう、その割には謝罪下手な人が一流企業に多いような気がする。

実は前述の通り、謝罪に価値を感じていないので、謝罪の価値を実感していないのだけれど。

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ソリューションという単語にまつわる件

立場で言い訳は色々あると思うが、端から見ると「?」的なことはよくある。ロジカルな説明を求めると逆切れされたり、逆切れを見越して「あいつは馬鹿だ」とぶった切るのはよくある話?なのかなぁ、私の身近な現象に限られるのかしら。

というのはドラマで「モンスターペアレント」とか「Tomorrow」では問題となる要因を定義しているが解決法(ソリューション)は処方していない、というよりソリューションが無く問題を先送りしたことを揶揄しているとも言える。巷では問題解決ツールとしてロジカルシンキングとやらがもてはやされているらしいが「今更」感が強い。

自分の仕事の方向性をロジカルに伝えられないというのは犯罪に近いと思うのだ。説明責任を放棄しているのと同じだからだ。馬鹿な職長は「できない理由」は述べるのだが、周りは「できない理由」を聞きたいのではなく「これからどうするか」を聞きたいのだ。あーあ、需要と供給が最もマッチしていない一瞬だ。

この状況を揶揄しているのが上記のドラマであろう。見ていて胸糞悪くなる(じゃあ見なくてもいいじゃんという突っ込みは解決になんら役に立たない)。胸糞悪くなるのは仕事の進め方に問題があって、それをリフレインしているからなのだ。

ドラマでは問題を色々な形で提起するが解決方法の示唆がない、悩む主人公の超人的な方法論で解決したりする。そうじゃないと思う。常識的なソリューションがあって、テキパキと解決するほうが現実的だ。もちろんドラマではそうなってしまうわけにはいかないのは分かるが。結局、解決するソリューション・方法論が大事であって、言い訳はどうでもいいのだ。具体的に言うとロジカルに説明できないこと(例えば上司の指示に従った)は糞なのだ。

実は具体的な思惑があってエントリーを上げている。担当者が女性だったので「おまえ馬鹿か」と言うのは躊躇した。「お前は馬鹿か」というのは男性にでも言っていけない言葉なのか、ジェンダー的には言ったほうが良かったのか、すこぶる迷う。担当者が馬鹿なのは間違いない、(私は背景は知っているが)担当者は経験の無い女性でロジカルに説明できない。そしてその上司(男性)が輪を掛けて馬鹿だからその担当者が全て悪いわけではないことも知っている。

ソリューションという単語が世間でもてはやされていて、すこぶる風通しが良くなったと思うのは大間違いだね、そのぼんくら上司にももちろん言い訳があるようだから(その論理は全く理解できなかった、というより「こいつは真性だ」と認識した)。

私の立場ではそのぼんくら本社上司は真性だけど、立場があるのは分かるし。いろいろ難しいよね。

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ムペンバ効果は釣りかネタか真実か

いやぁNET科学オタ界隈を賑わしたためしてガッテン、今回はムベンパ効果だ。

ムベンパ効果とは温水と常温水を同時に凍らすと温水の方が速く凍ると言うもの、温水は冷却時に対流が起こることにより熱交換が早くなるとの論調がある。ここに追試の条件とメカニズムの推定が明記してある。

んな事あるわけねーよのノリなのかここのblogでは再現実験をしておきながらその再現試験ができなかったのかできたのかわからずじまい。このような実験は直ぐにでも検証可能なのでいずれ落ち着くと思うが、対応のスタンスに笑いを誘われる。

(1)んなことあるわけねーよ系

実験をすることなく、ためしてガッテンを批判している系です。科学ネタの大槻氏も脊髄反射、このブログではNHKを反科学扱いです。簡単に検証できるネタを検証せずにぶった切るのはちょっと勇気が要りますよね、想定以外のメカニズムが寄与して事実ならどうするのでしょう。もしもNHKの実験が正しければ思考が足りなかったことを大暴露です。

(2)えっ、ホント?系

まぁ普通はそうですよね、自分の常識が覆ったとしても自分が無知なだけかもしれないし、想定外のメカニズムが大きく寄与していても不思議ではありません。モノ作りのクイズ番組で「あー、そうやって作ってるのか」というのはよくある話で、頭の中で合理的と思えたことよりも現実が遥かに上を行っている事など良くあることです。私も実験しようと思っているのですが冷凍庫が狭くて、、、。でも興味あるので情熱が冷めないうちにやります。私も「えっ、ホント?系」です。NHKが放送したからといって無邪気に信じることもできないし、追試の失敗談も興味があります。

(3)信じちゃう系

何故そのようなメカニズムが起こるのかを想定するという発想のないグループかも。

 

ちょっと常識では想像付かないようなメカニズムは世の中にたくさんあって、その結果自然の造形の美しさを紹介される場合もある、何故「青の洞窟は青いか」など。このような問題は科学に対する姿勢を炙り出すような気がする、全てを知った気で無知をさらすと言うか。または理論に反する理由でありえないと拒絶するとか、その論が想定していたとは別の要因が寄与度が高いだけだったりすると思うのだが。例えば今回とは限らないが「熱エネルギー第2法則に反するからありえない」というもの。理論に反するから(その現象は)ありえないというのは科学の精神に敵対する物でしょう。

水伝(水に「ありがとう」と書いた紙を貼るときれいな結晶ができる)のような論理的に不可解(水が言語「しかも日本語」を文字通り「読む」)なものや、マイナスイオンのように「陰イオン」で説明すべき事象を違う言葉で置き換えるのは論外ですが、対流と輻射の熱伝導で説明できる可能性のある物まで排除すると言うのは。まぁこれは家でも実験できる類の物なので結果を待ちましょう。(もちろん私も実験する予定です)

水ネタでは次は「節水と打ち水どちらを優先?」というのが来そうな予感。私は打ち水派ですが。

水って尽きないネタですねというのが最終的な印象。

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漁業の効率化へのインセンティブ

たんなる思い付きのネタなので間違いは多々あると思います。突っ込んで頂ければ訂正します。

漁業の燃料高騰で漁師が困っているというのが世間を騒がせているが、技術革新してなかったのではという疑問があると以前のエントリーで述べた。これは「漁業は資源保護」の側面があるので、稼働日が限定的で、稼働日の漁獲高の最大化がインセンティブであって、投下された資源の多少には興味がなかったのではないであろうか。坊主の日だってあるだろうし、獲れる時にたくさん獲る事が目標となる。当然、効率化などは追求されていなかったであろう。これからは経済効率性=原価率の低減を取り組まなくてはならないと言うことであろう。坊主の日は原価率は無限大となってしまうが、月ベース、年ベースで原価率低減を目指すことであろう。まぁ遠洋漁業はとっくに行っているであろうが。

現場では船の速度を落とすことによる燃費の向上を狙っているとのことであるが、これに対して「早く出るのはきつい」とネガティブに捉えているのが気になる。きついけど、浮いた部分は自分への収入だと言う認識は無いようだ、原価率を下げる方法だという捉え方ではないようだ。漁協もどうすれば経済的に漁業が成り立つのかという点を真面目に考えて、漁師へアドバイスすることも求められるであろう。技術の革新も求められる。船の最適サイズ化や燃費効率化を研究し、設備投資をしたほうがいいのかとか、やるべきことは色々あるだろう。政府に現金の援助をする暇があれば技術援助や新規技術導入に対する低利の融資を求めるべきであろう。

困るのは「日本の食を守る」という頓珍漢な概念を持ち出すことだ。日本の伝統食というのは塩分過多で低タンパク質だったので高血圧で寿命が低かった。それをこの120年で是正してきたのだ。なので塩を減らし肉を食うのという日本の伝統食をぶっ壊すのがこの120年の活動の成果が高寿命なのだ。この事実をすっぽり忘れて、事実と違う概念で正当化するのだけはやめて欲しい。

 

*イカ釣り漁船は衛星写真に写るらしい、上に向いている光に傘をかけていない=光を効率的に使っていないということ。

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地デジは高齢者優遇政策を助長する

私は日経を購読しているが理由を挙げる。ひとつがフォントが小さいこと。他紙は字が大きすぎて読み難い。世間ではどうか知らないが私は日経を一般紙であると思っていること、それに関連するがうるさい新聞勧誘が日経読者だとするとすぐ退散してくれること。

私は実はTVっ子でもある。とは言え、ニュースは新聞とNET。政治討論などは余り見ない。TVっ子ではあるが地デジへの変換は結構うざい。我が家はCATVなのでTVを買い換えなくてもCATVチューナーが配布されれば見れるのだが、現在のチューナーの画質は見るに耐えない悪さなので、実質見なくなるかもしれない。若者は新聞を読まないらしいし(まぁNETで新聞記事読めるし)。40代以下は地デジへの移行をきっかけにTVから離れる人が多くなるのではないか。旧世代のマスコミから遠のいてしまうわけだ。

一方、60代以上は従来型の情報インフラを重要視するだろう。地デジで画質がきれいになれば、TVを買い換えるきっかけにもなるし。そうすればTVにどっぷりだ。また新聞の読者欄など高齢者ばかりの意見だ。

これが何を意味するかというと、マスコミは真実を伝えるのが仕事ではなく、広告を見てもらうために読者(視聴者)の喜びそうな記事で釣るのだ。なので自然と視聴者が高齢者に偏れば、高齢者向けのコンテンツが増えてくる。そして従来型の情報技術はマスコミ→ユーザーと一方通行なので結果として世論形成ができてしまう。

若者が議論している間に(当然意見の一致は見られない)、高齢者は一致団結してしまっているのだ。

例はある。後期高齢者医療がつぶされたことだ。常識的に考えると受益者負担、かつ金持ち世代が費用を負担するという制度で、さらに国庫の負担も半分あると言うのに。本来、貧乏人を救う制度と、医療サービスの費用負担の話は別個の話である。県によって費用が違うとか、年金から天引きされるとか、根本の話ではなく瑣末なことを訴えてひっくり返してしまった。これは新聞・TV等の従来型情報インフラと主ユーザーが協力し合って団結した(できてしまった)ということだ。

ただでさえ、若者は選挙に行かないので、この国の政策は老人が決めている。そして彼らは一致団結ができている。若者・子供への支援は老人が食いっぱぐれるのを防ぐ程度にはやってくれるであろうが、所詮その程度。高齢者は高齢者の負担を少なくする要求が一致していて、現役世代が大きい政府VS小さい政府というような茶番の前にどっしりと「大きい政府」を要求している、しかもぶれはない。

従来型の情報インフラを馬鹿にするのも結構だし、「政治」をシカトするのも結構だけれど高齢者は足並みを揃えて一致団結していることを理解しなくてはいけない。馬鹿みたいに「政治が悪い」というのは「みたい」ではなく真性なのだ。理屈ではぐだぐだ言ったとしても老人の政治に対するポテンシャルは尋常じゃない。バカモノが「1票など役に立たない」とほざいている間に結束されていることに気が付かず、「なんとかしれくれ」???馬鹿じゃないのか。

話を元に戻すと、地デジは従来の情報インフラを強化する投資だ。そしてその投資には老人が意欲満点なのだ。そして老人は世論形成を作りうる。若年層は馬鹿なので投票にも行かず、新聞社が言う「世論」に反映できない。新聞社が言う世論に反映できないのだから若者の主張は寝言以下なのだ。まぁせいぜい消費しろという存在なのだ。

投票に熱い思いを現在の若者が持っていないことは政治家の皆さんにばればれなので彼らはいかに「高齢者から票を取ろう」としている。なので現役世代が投票する政党が存在しないのだ。仮にそういった政党を立ち上げても非効率この上ない。

なので地デジは成功する、というかもう成功している。若者が地デジに興味を持っていなくてもそんなことはどうでもいいのだ。若者は「いらない」というが高齢者は金が無くても「欲しい」のだ。この差は大きい。

 

*地デジの高画質をチューナー・モニター・レコーダー・ダビング10できちんと享受しようと考えるととてつもなく面倒くさい。さらに予算を勘案して考えるだけでも「もういいや」になる。自分の父親を見てると画質などどうでもよく、映ればいいらしい。この割り切りも地デジ化へのハードルを下げている原因のひとつであろう。

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goo先生の通信簿

話題のツール、gooブログを使用しているのでブログ通信簿を試しにやってみた。

ここのところせっせと更新しているのでマメ度は5、年齢・性別が、、、orz。料理ネタが2本あったからかなぁ。政治家を目指すのか、、、。

goo注目ワード ピックアップ・・・ブログ通信簿(goo注目ワード) - goo ニュース

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教育万能説に疑問を呈してみる

なにかセンセーショナルな事件が起こったり、公務員のモラルを問うようなちょっとした事件が発生すると世の中気持ち悪いほど大合唱になる。大合唱の中身は批判のみで対策を冷静に論じられていることは少ない、特にマスコミの記事ではそのような傾向があると個人的に思っている、もちろん根拠なし。

そのたびに繰り返されるのがモラル・教育だのの向上だ。ところがモラルや教育に正解が無い以上、なにも論じていない、それこそモラルハザードだ。教育に問題が無いとは言えない、ミクロで突付けば問題もあるであろう、ところがマクロの整合性のない「教育問題」を言及するのは馬鹿以外には恥ずかしくてできないのだ。もちろん教育学的な論点で述べるのは別。そもそも教育を論じている人に教育学の素養がある人は皆無に近い、いや彼らに聞いてみたいのは「教育学」って知ってる?

以前のエントリーでモラルを守る強制力が無いので、高等教育を受け社会的に高い位置にある人間ですら公共の場面では周りの迷惑を顧みない例を挙げた。私的・公的な場では紳士ではある人が公共の場では氏名が特定されないので、強制力の無い場でストレスを感じまでしてモラルを守るインセンティブが無いのだ。そのことをよく理解しているから一見紳士が電車内で横柄にしていたりする。それを理解していない救いようのない馬鹿がバッジ(社章)を付けながら無茶しているのは寒い。寒いのは告発してもいいのだが、プライバシーという概念が告発を遠ざけ、モラルを守る負のインセンティブを醸成している。

ということは教育で世の中は良くならないのだ。道にゴミを捨ててもモラル違反で吊るし上げを食らったり、犯罪として処罰されなければ「道路にゴミを捨ててはいけません」というのは絵に描いた餅なのだ。頭の悪い若者はそういうのに義憤を感じるが、合理的な知性を持った中高年はモラルもマナーも金にならない建前(守ると言うお題目だけで守る必要が無い)ということを良く知っている、だからこそ公共の場で紳士が無茶をできるのだ。

モラル・マナー・ルールが醸成されるにはそれらを守った方が得だと言う認識を広く持つ必要がある。別に道徳心とか性善説に期待していないのだ、得か損かだ。例えば駅のホームでは乗車口に沿って並ぶ。これは並んだ方がスムーズに乗降でき、皆がこれを守った方が得だからだ。まれにルールを理解していない御仁が居ても、並ばない奴の首根っこを捕まえて後ろに放り投げればいい、周りはそれを当然と思っているし、投げられた奴も空気を読めば抵抗するのが損だということが分かる。しかしそれもある一定上の割合でルールがあるということを認識してかつそれを守るほうが得だと言うことを理解している必要がある。またその必要性(遅延を許容できない)が異なればそのルールは重要度が変わってくる。朝は皆が定刻に移動したいが、夕方は「自分だけ得したい」という御仁が増えてくる。その結果が朝ラッシュと夕ラッシュの整然さの違いであろう。もちろん酒が入っている人も居るという点もあるとは思うが。「全員で得だ」という認識があれば朝の整然さは理解できる。しかしそろそろ「共通の理解」というのが崩れているのを認めたら。

一方、電車で「鼻を啜った」方がいいか、「鼻をかんだ」方がいいかという論争もある。一般常識とかモラルとかマナーとかの共有が崩れてきている。一つの解があるのではなくなんとなく共有しているということだ。なので「これくらいいいだろ」というのが各々で全然違う。この状態で「マナー向上」を叫ぶことに意味が無いことを理解していただけるであろうか。

結局、マナー・モラル・教育に責任の帰結を求めている人は対策を論理的に考えているのかという疑問が生じる。マナー・モラルを共有できないのであれば明文化する必要がある。教育に期待するのではなく、どのような方法論でモラル・マナーを明文化し、いちいちアナウンスするしか方法は無いであろう。そして社会的制裁(法令違反による制裁に限らず)がルールを守るインセンティブになるであろう。

これは日本人の知能が低下したわけでもなんでもなく、ルール・モラルを共有化できていない上、それを守るインセンティブがない以上、必然だと言うこと。教育・道徳にその帰結を求めることに意味があるのかという疑問なのだ。

そして教育万能説は破綻している。団塊の世代以上が好例だ。半世紀以上社会と付き合ってきた人でもかなりの割合で公共の場では公害を撒き散らしている。そんな先人ができないことを若者に教育で何とかできると思っていることが信じられない。

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棒々鶏と冬瓜のスープを食す

料理ネタが多くて申し訳ない。鶏がらと豚骨だけでは思ったほど美味しいスープを取れなかったので鶏ムネ肉でスープを取り、あっさり冬瓜スープを。もちろんムネ肉は棒々鶏に。なので主役は冬瓜のスープ。蒸しスープにチャレンジしようと思ったがそこまでの情熱は無かったので、簡単レシピ。素人ながらの発酵エキス・化学調味料を使用/不使用のレポートはそのうち上げたいと思います。

材料(2人前):鶏ムネ1枚、冬瓜300g、カニ缶1ヶ、葱、生姜、胡瓜1本、トマト1ヶ。

棒々鶏:鶏ムネの脂など不要な部分を取り除く。強火で沸騰した鍋に入れて、再び沸騰したら取り出し、水洗いをする。鍋に灰汁抜きをした鶏ムネ、葱の青いところ、生姜1かけ、水は肉が被るくらいで、中火で水から煮る。沸騰したら火を止め、蓋をして徐冷。胡瓜は千切り、トマトは輪切りに。鶏ムネ肉を茹でたスープを紙で濾しておく。

タレ:すりゴマ大匙1、醤油大匙2、酢小さじ1/2、砂糖小匙1/2、ラー油小匙1/4、甜麺醤小匙1/2、胡麻油1/2、葱みじん切り大匙1/2、生姜みじん切り大匙1/2 混ぜる。

冬瓜スープ:ムネ肉を茹でたスープ2カップで皮を厚めに切った冬瓜をやわらかくなるまで茹でる。酒大匙1、塩小匙1/2で調味。カニ缶を汁ごと開け、塩味を調整。水溶き片栗粉小匙2でとろみを付ける。

鶏ムネ肉で作るスープは非常にあっさりとして上品。今回はカニのコクも出ているがバリエーションは多数。非常にあっさりしているので塩だけでも実力はあるが、干貝(干し貝柱)、蝦米(干し蝦)、冬(干し椎茸)、金華ハムとも合いそう。鶏がらスープよりは簡単なので、棒々鶏を作ってあげる振りをして作成する、棒々鶏を余らして土日の昼の冷やし中華の具材にも応用できると恩も売ってみる。どちらがメインなのかは秘密である。

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採用試験にペーパーテストはなじまない件

昇任試験、元参事に権限集中 大分教員採用汚職(朝日新聞) - goo ニュース

大分県の教員採用試験、昇進試験で汚職が行われたようだ、賄賂で採用・昇進が決まるのはとんでもないことだとも思うが、賄賂はともかく採用など恣意的に決まることは少なくない。私の就職戦線では縁故採用などは普通にあった。だから悪くないとは思わないが、その対策がペーパー試験結果を発表するというのなんだかなぁ。

自分で技術系採用試験第2次面接官をした経験で言えば、得する性格はあると思う。明るくてハキハキした人物は好印象を受けやすい、どちらか迷えば偏差値重視。短い時間では人物を見抜くと言うのは至難の業で、公平な選抜などその定義ですらありえない。我が社では採用試験にあたり4次まであるらしいが、何回もの面接で勝ち残る人物は欠点が無い人物とならざるを得ず、面白みが無いとも言える。

同僚の昇進も多くの目が見ている。「そろそろあいつは」なんて囁かれて順調に上がるべく上がると言うことか。奇想天外な人事が行われても、実力が伴わなければ昇進した本人が困ることになるのは多くの人が納得するのではないであろうか。

であれば大分県の採用・昇進システムに問題があったというよりは運用に問題があったというべきではないか。企業でもお偉いさんの横車は少なからずあり、それも内包して問題が無ければいいという考え方。だいたい人事制度に完璧などありえないと言うことは誰でも知っていることだ。ペーパー試験で全てを決めるという事の方が異常と感じるのは私だけであろうか。

単に賄賂問題は厳罰に処せばいいのであろう。実はそこかしこで問題が噴出するのではないかと思ったがそうでもないみたいだ。賄賂を贈るという異常性はさすがに他の自治体ではなかったのであろう(恣意的人事がないということではない)。あと5、6県で賄賂が発覚しても驚くには値しない。

人事は恣意的な部分を排除するのは不可能なので、「概ね妥当」というあたりで手を打つ必要がある。それらを排除してペーパーテストのみで決めるほうが問題であろう。賄賂を贈る/収めることは法に違反しているので、それを粛々と決裁すればいいのであろう。今のご時世は密告大好きな時代なので危ない橋を渡る公務員など極少数と言うことであろう。

採用・昇進を恣意的に決めることを非難する人の人事意識を逆に聞いてみたい。それとも完璧な人事システムが存在するとでも思っているのであろうか。

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海鮮トマト鍋を食す

夏バテです、ようやくこの気温に体が慣れてきました。夏でも我が家は鍋をやります、後片付けが楽なのと、腹いっぱい野菜を摂れるからです。というわけで体力を取り戻すために夏向けの鍋を。

先週、本(イチバン親切なスープとシチューの教科書新星出版社)のレシピ通りに中華スープを取ったのですが、鶏がら4羽、豚骨1/2本を3リットルの水で寸胴で2時間煮るというとんでもなく贅沢な内容だったので、ガラをさらに圧力鍋で煮だし、2番出汁をとっておきました。これを使用。

レシピ(2人前)

出汁(鶏がら豚骨の2番出汁):1リットル、トマト缶(カット)、タマネギ中1/2ヶ(微塵切り)、ニンニク1片、具(烏賊1杯(身)、海老4尾、鶏団子**50g、キャベツ適量、パプリカ1/2ヶ、ナス1本、茸(エリンギ・椎茸等適当に)。

1.タマネギみじん切りとニンニクみじん切りをオリーブオイル(分量外)で弱火で炒める。アメタマの1歩手前でトマト缶投入。さらに弱火で煮る。

2.海老の殻を取っておく。海鮮の具を酒大匙3(分量外)に漬ける。具に酒が回ったら海老の殻と漬けておいた酒、スープ100ccで煮出す。

3.ナスは輪切りにし、皿に並べオリーブオイルをかけ電子レンジでしんなりするまでかける。油で炒めてもいいと思いますがサボりました。

4.1.にスープ投入、2.の出汁も。煮立ってきたら鶏団子を一口大で投入。塩で味を調える。

5.煮え難い具材から順次投入。

6.食す。薬味は胡椒・粉チーズ・一味唐辛子等。

いやぁ美味い。調味料は酒と塩だけだなのですが、鶏出汁と海老出汁と具の出汁とトマトの酸味が美味すぎる。是非エアコンを使わずに食してください。汗をかきながらひいひい言いながら食うのが○。

ミネストローネとブイヤベースの中間を狙ったが意図した味に仕上がった。今回は海老と烏賊を使用しましたが具材は海鮮と肉のバランスをとればなんでもいいと思います。鶏つくねも豚薄切りとか、海鮮もシーフードミックスとか。海老の殻が美味いので無いと少し味が落ちるかも知れません、その場合は干し海老を出汁に投入するのもいいかもしれません。

 

*このときは餃子鍋を食したのだが、上品ではあるがコクが足りない気がした。素人にはやはり化学調味料を少し加えたほうがよさそうだ。

**鶏挽肉50g(牛・合挽きでもいいと思います)、ニンニクスリ下し少々、塩少々でつくねを作成。(今回は鶏つくね鍋を仕込んだ余りを投入しました)

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結婚するまでに知らなくてはいけない常識、祝儀作法

いやぁ、私は常識に疎いというか細かいことを気にしないというか、まぁ常識がかなり足りません。特に冠婚葬祭。よく「恥をかく」というがそれにすら気付かないほど間抜け。嫁の方がまだしっかりしているから助かっているが。

最近、少しずつ常識って奴を意識するようになった(←遅すぎ)、きっかけは後輩から相談と言うか雑談で出てくる、結婚・出産・家購入。私はこの常識を全く頓着しておらず、私が結婚したとき(披露宴なし)にお祝いを貰う事すら躊躇したほどだ。払う意識が無いから貰う意識も無いということ。もちろん披露宴に呼ばれたこともあるし、包んだ。しかし、それは招待されたから包んだのであって、お祝いだから包んだという意識がまるで無かったのだ。先輩に子供ができて包むのも同僚の誰かが発起人となって包んでいたので自発的に包んだことが無かったのだ。

まぁここまで非常識な奴はなかなか居ないと思うが、簡単に触れていこう。これを読んで「自分に常識が無い」とわかった人が1人でも居たら、このエントリーは有用だと言うこと。自分が非常識と分かった場合は自分で調べてください。

親戚付き合いは親任せでいいと思います、決して自分が払わなくていいという意味ではなく、送付のスタイルの話です。

祝儀を貰った方は必ずお返しをしましょう。菓子折りと手紙でいいのです。半返しを基準に適当に。

1.結婚祝い

披露宴に呼ばれれば包むのはさすがに常識以前の問題なので特殊な場合。披露宴を行わない場合。これは同じ課であれば先輩/後輩で連名で各々数千円~1万円を包めばいいのであろう、その場合のお返しは反返しが基本のようだけどお菓子程度でいいみたい。友人・同僚から披露宴に招待されて行く気が無ければ、祝儀を包んで(1万円?)、行かないと言うのも手です。(私はあまりその場が好きでないので同窓会の感覚で2次会派です、もう会わない嫁の顔を見ても仕方がありません、というわけで部下には「呼ぶな」と厳命しています。)

また遠方の披露宴の場合、交通費を頂くようです。披露宴は招待されて行くので招待する側が基本的には交通費を払うようです、しかしそんなことを厳密に行っていると財政が破綻してしまうので、「交通費は払えないけど」という悪魔の囁きもあるようです。交通費と祝儀は別ですので、あとからぐだぐだ言わないように。

2.出産祝い

上司/先輩/後輩が出産したら祝儀を渡しましょう。これも連名でいいと思います。子供が生まれたと知らせてきた友人には必ず渡しましょう。親友の関係でもその奥さんがどう思うかは別です、彼の嫁に旦那の親友が非常識と判定されては今後の付き合いに支障が出るかもしれません。

3.新築祝い

これはあまり無いのかもしれません。しかし、知ってしまった場合は少しは包んだほうがいいかもしれません。相場やスタイルは調べてください。

 

私は、現金のやり取りが好きでなかったので(貰う気も無い)、独身時代から無頓着でしたが、それを気にする人も居ると言うことを結婚してから知りました。私個人であれば非常識でなんら問題ないのですが(会社では虚礼廃止を推進しているので、祝儀を払わないから非常識という概念は存在しない)、親や嫁が非常識と思われるのは癪ですので気をつけましょうという自戒です。

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日弁連はギルドかそれとも経済音痴か

司法試験合格者増員、日弁連がペースダウンを緊急提言(読売新聞) - goo ニュース

7/19の日経社会面に大々的に取り上げられてたけど、あまりにしょうもなさすぎてアホサクだ。記事では「法曹の人口が急激に増えると質の低下が起こる」のだそうだ、だから司法改革を減速したいと。当然本音は別のところにあるのだろう。業界の市場の伸び以上に参入プレーヤーが増えれば平均収入が減ることになるわけで、ギルド内の収入を確保したいということであろう。

ところがその建前ですら容易に否定できる代物だ。上の「法曹の人口が急激に増えると質の低下が起こる」の法曹を商店でも農家でもなにか他の職業に当てはめればそれが大間違いであることが分かる。こんなこと中学生の経済センスでもわかることだ。商店が増えれば競争が起こり、消費者には選択の余地が広がる。消費者は質の悪い店を避けるように暖簾や評判を当てにする。もちろん程度の低い商店には退場していただくがこれが自由競争というものであろう。農家でも同じことだ。農家が増えれば農家の作物の低下が起こるなんて絶対にありえない、質の悪い代物は淘汰されるだけだからだ。同様に法曹でも質の低下など起きるはずも無く、いや質の向上が見込まれる。

驚くのは日経では経済ジャーナリストの立場で荻原博子氏が「質の低下の懸念も理解できるものの」と日弁連の形振り構わない既得権益者保護意見を一定以下ではあるが肯定していることだ。司法側の意見(伊藤真氏)では「法律家には自由競争はなじまない」そうだ。そんな存在はどっか行ってしまえ。

このような破廉恥な意見は司法試験というもので守られている特権意識というか既得権益意識がそうさせるのであろう。そんなこというなら司法試験なんて、検事と裁判官以外は廃止すればいいのだ。

医者だって医師免許を持っていれば一人前ということもなかろう。病院で切磋琢磨し一人前になるのだ。弁護士だって同様で弁護士バッジを持っていればいいと言う物ではない、そんなのが通用するのは無料相談だけであろう。だからこそ、知り合いの弁護士など評判を元に依頼に行くのだ。逆に言えば弁護士バッジの有無ではなく暖簾と実績が物を言うのだ。弁護士と言う職業の人が極端に少なければ保護する必要も、権利を保障する必要もあったであろう。しかしここまでくれば日弁連は参入を認めない悪徳ギルドに堕したということなのか。

だったら司法試験など廃止してしまえ。弁護士は徒弟制度でいいじゃないか。

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待ちに待ったインフレだ

庶民の心とは違うのは当然として、経済基調ではデフレを嫌いインフレを待ち望んでいたにもかかわらず最近の論調はおかしくネ?日銀はインフレ馬鹿の割には利上げが遅い。欧州のように利上げをしなければ円安でどん底になるのに、少なくとも米国の利上げについていかないと円暴落の超インフレになるよ、きっと。

インフレは技術の推進を求められるし、雇用は増える。もちろん原価をきちんと転嫁して、労組の言い分を聞いて、給料を上げて、利益率確保は当然だが。石油ショックのときもある意味そうではなかったか。

経営者はインフレ基調をきちんと受け止め、利益を削って売り上げ確保に走らないことだ。流通の言い分もあるとは思うが、利益を削ると労組との賃上げ交渉が破綻する、(売り上げでもなく利益額率でもない)利益額の最大化を図らねば、このような激流を上手く捌けない(ただし利益額を増やすためにあまりに雇用を増やすと利益率が下がり、結果として体力がなくなるけど。)。経営者は従業員のモチベーションが上げられなければ、有能な労働力は(特に昨今の転職を不可としない風潮では)逃げていくであろう。

現在の日本は実効金利がマイナスなので、フリーキャッシュフローは低いほうがいい。以前のデフレ基調ではキャッシュを持つことが正で、そのゆがみが株主への配当重視だったのであろう。これからの高金利時代ではキャッシュフローは悪で、株主へさっさと返すか、設備投資をしてキャッシュフローを下げたほうが良い。デフレに慣れた消費者を刺激するためには当然設備投資を必要とする。やはりインフレは好景気の起爆剤だ。

やはりここでの出番は労働組合だ。労組は物価上昇率を見越した交渉力を持って欲しい。今までデフレ下で、くだらない政党を応援して組織率を下げたり、人気を落としていたが、ここからが本番だ。バブル期に一人当たりのGNP(当時)は世界第2位にまで上り詰めたがそれは、インフレ(物価上昇)→所得向上→購買力向上により、世界での購買力につながっている。デフレ下では賃上げ交渉が実質無かったが、労組に求められるのは物価上昇率以上の賃上げだ。その労組の交渉が中間管理職の所得向上となり、社全体のモチベーションが上がると言う物だ。

頼むよ、ホントに。お馬鹿な民主党に肩入れしていたら日本人全体の不幸よ、自覚してる?**

*1*(1+短期金利)*(1-インフレ率)<1なら短期債に投資しても実質目減りする。

**民主党に肩入れするなという意味ではなく、政治活動を辞めろと。

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ビジネスに徹せられない農政

一昨日のエントリーを考えている途中、何故農政は保護に走り、迷走するかという点を考えてみた。

日本の省庁は護送船団方式というか産業振興を目的とした側面が強いのでは古くは通産省(現経済産業省)のように。農水省と似た点は消費者を抱えていること。消費者不在で談合や行政指導が華やかな国交省と財務省とは異なる点だ。消費者に媚びる姿勢は厚労省も同じ体質かもしれない。

さて農水省の不幸な点は選挙票としての農民を与党が無視できないこと、権益システム(農協)が存在すること、ナイーブな食品を扱うことで消費者にも一定の配慮をすることだ。どれも声が大きい、しかもあちらを立てればこちらが立たずだ。農政はステークホルダーが多く、言い分が錯綜する上、最大のステークホルダーである消費者が論理的でなく、そこはかとなく間違っていることにある。

このような状況では経済学的に正しい(効率的な)システムを構築しようと言うのは至難の業だ。というか無理であろう。だから国のあるべき姿を考えてどっしりとした農政を行うことなど不可能なのだ。(そこで耳当たりのいい道徳に答えを求める?)

食の問題を極めて情緒的に扱うマスコミと消費者がその合理性を拒んでいる。国交省に対しては税金の使途不明追求は道徳の問題ではないので追及が比較的簡単だ。ところが本来個人個人の思いが別であるはずの「こうあるべき論」をぶっちゃける、このべき論は耳当たりがいいだけで合理性は一切無い。こんなことが具現化されたらとんでもないのだが、政府はマスコミや世論に一定の配慮を行う。これらは厚労省も同じであろう。よく野党やマスコミは「増税より無駄を無くせ」などと言っているが無駄を作っているのは本人だという、アイタタ。

例を挙げればマスコミや地方の行政の言う「地産地消」という概念だ、また「高くても国産品を買いましょう」と無責任な意見を放言する。地産地消という概念は外貨を稼ぐことを諦めた、全員貧乏の思想か。良くとれば他所で売れない商品(非規格品)を現地で消費しようと言う概念であろう。そんなことを推進するぐらいなら東国原知事のように他所に高く売りつけ、外貨を稼ぐことを考えたほうが余程ましだ。無責任に国産品を買え(その理由が安全性というのは昨今の偽装問題を鑑みればギャグというしかない)と論じれば解決すると思っているのであれば無責任極まりない。

ということは食・医療というある一定以上道徳が関与する産業の未来は絶望的だということだ。税収が右肩上がりで、人口構成比がピラミッドだった時代はごまかせても、現在では適当にお茶を濁していては財政が破綻するので税の投入は不可欠になる。インフラ整備はそろそろ止めて、こちらの産業は効率的な改革は不可能であることを認め、非効率な垂れ流し覚悟が必要なのだろう。

もう諦めようっと。

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韓国の外交とデモ

韓国国会、対策委設置へ=大使館前では「竹島」抗議(時事通信) - goo ニュース

いやぁびっくりした。日本の教科書の問題に韓国がクレームをつけるのはともかくとしてその反応にびっくり。竹島(独島)の話。

驚いたのは韓国では領土問題が存在しないということが公式見解であるらしいが、公式見解があるにもかかわらず日本の教科書に竹島問題を載せるか載せないかを注視しているということ。彼の国では建前と現実を処理できないのかしら。よく日本は経済一流、政治二流などと表現するが、韓国の政治は多分三流以下は確定。

韓国(政府?人民?)が頭が悪い(そう断定しても問題ないであろう)のは、韓国にも建前と現実があって国内で揉めるのも分かるが、同様に日本でも建前と現実があるということがすっぽりと抜けていることであろう。日本は従来から竹島が日本固有の領土だと主張しているのはご存知の通りで、それが韓国の建前と矛盾してもなんら問題はない。それをどう折り合いを付けるのかが外交であり、「こちらの建前をも犯すことは罷りならん」というのはアレな気がする。しかもEEZはともかく実効支配しているというのに。だから日本人の多くは韓国人のことを馬鹿にしているという想像はつかないのかしら。それを埋めていくのが外交交渉なのに。

韓国ばかりを馬鹿にはできない。そのお馬鹿な韓国の主張を日本人もアレに反応するからだ、どこの国にも愚民は居るようで、嫌韓とか嫌中とか堂々(?)と論じている掲示板もあるようだし。放っておけばいいじゃん、アホなことは。韓国が領事を引き上げようと笑いのネタにすればと思うのだが。

もひとつ日本人に素直に笑えないのは韓国はどうやら政府を攻撃していれば問題が解決すると思っているらしい。あいたたどこかの島国のようだ。島国はまだ笑う余裕があるが彼の国ではガチンコというのが。

もひとつあって、BSE問題の本質を分かっていないままデモがエスカレートしている上、その責任はやはり政府。日本では買わなきゃいいだけじゃないの?と思うのが普通であろうが、そうではないらしい。痛すぎる。

つくづく思う。韓国の外交は北と違って幼児的なのは間違いないであろう(日本も偉そうには言えないのだが)。北のタフな交渉を見よ、ある意味あれが外交のお手本だ。それをいちいち突っ込まないで華麗にスルーできないのかよ。

 

*馬車馬さんのエントリー(1,2,3,4,5)を読み返して思うのだが、韓国政府も論理的に国民に対峙できないのであろう、BSE問題で科学的に全く根拠無くあそこまで盛り上がれるのは、科学知識が全く無い上での政治解決を国民が求めているのだからしょうがない。論理的でない反応は日本でも数多く行われているので馬鹿にしているわけではないことを申し添えておく*。

**他国人はともかく、高等教育(日本人の90%以上は高校教育を受け、25%は大学教育を受けている)を受けている日本人が基本的な歴史・科学技術を理解できずに市民感覚という(論理的でない)個人感情を「市民の声」と言うのは馬鹿だということ。その好例のサンプルが(申し訳ないが)韓国の世論ということ。

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