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脱原発という理念

例えが悪いかもしれないですが、『慰安婦問題』『南京大虐殺』はあったはず・無かったはずという結論が決まっていて論争をしているような気がする。結論が決まっているからそれを肉付けする資料を探してきて「どうだ参ったか」と高らかに謳いあげる構図である。お互い議論する気はおろか、合理的であればその論を受け入れる気は無い、だって結論は既に決まっているのだから。さらに彼らに特徴的なのは少しの譲歩は「0か1」かの脳みそでは敗北を意味するらしい。この決断をここでは「理念」と呼ぶ。

 

閑話休題。ようやく原発事故の落としどころが見えてきたようだ、セシウム除去装置は今までも稼動していたが、ALPS(多核種除去設備)が稼動し始めた。これは画期的で汚染水が出てもここで処理すれば海に流せる、溜め込む必要がない。トリチウム(放射性・水)は問題ないので海に流せる。

 

以上のように炉の冷却は上手くいっているようだし、汚染水の除染も稼動し始めた。

整理すると

1)原発事故で死者は出なかった、重篤な病人も出なかった。

2)大地の除染目標の1mSv/yは間違いであった(と思う)、5~10mSv/yの除染目標であれば多くの地域で復員できる。経済活動の復旧には疑問符はあるが、少なくとも仮設住宅からは移動できる。復員か移住かの判断ができる目処がたつ。

3)上述したように炉や汚染水の処理の目処はたった。

 

ちょっと脱線。柏崎刈羽原発は2007年の新潟中越沖地震で外部電源に不具合が出たことが大問題となった。この事故の教訓は『炉の安全性が高いからといって、付帯設備の安全性が低くてはいけない』ということである。付帯設備は無くてもいい代物ではない。なので「付帯設備の安全性は炉と同等である必要がある。」ということである。今回はそれが守られなかったというか、順次改良されているさなかに起こったのであろう。

後から考えると事故は必然だったという事である。そこで全原発の付帯設備が見直された、よりに安全になったわけだ。

 

以上から原発を再稼動することに僕は違和感は無い。ただし懸念点はある。ここは正直に告白せねばならない。原発が工学である以上、『絶対安全』は無い。もし次の事故が起これば、その自治体は壊滅的な被害を受ける、今回の楢葉町のように。原発を受け入れて、補助金を貰い、事故が起きれば破産である。ギャンブルや投資のような確率論ではなく、それこそ「1かゼロ」かを受け入れるということである。もちろん1は確率論的には非常に低いわけであるし、期待値で言えば勝てるであろう。でもである。

ちなみに県知事レベルではないということを添える、新潟県知事も福島県知事も安全な地で語っている。選挙対策であろう、まぁ新潟県民も福島県民も東京のために危険を受け入れるのはゴメンだと言うことは分かる。もっとも広義の風評被害であることを添える。風評被害の源泉は反原発ジャーナリストであることも。危険を煽って煽られて経済的な没落を受け入れるという悲しい事象である。

 

標題の件、原発嫌いを是とした論理は上述した論理とは程遠い感情論である。電気料金の値上げと企業の国際的な競争力を無視した感情論で結末が決まっている。まぁ感情が勝っても世論がそうであれば受け入れざるを得ないのであるが、論理的でない感情を肉付けした主張で貿易赤字を積み上げるのはかなり納得がいかない。

 

リスク管理で優秀な資料を見つけたので添付します。リスク管理としては非常に厳しいLNT仮説を受け入れた上で原発事故への提言です。

日本学術会議公開シンポジウム「社会が受け入れられるリスクとはなにか」~しきい値なしモデルとリスク受容の課題(中西準子)

 

 

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椀(汁・soup)が軽視されている件

定食屋の3要素は飯・おかず・汁だと思う。どれも欠けては安心して通える店にはならない。格別美味くなくても構わないと思う。

失敗例を挙げると、

飯:炊いてから時間が経った食感が劣り匂いも悪い飯、粒が潰れた飯。水加減に失敗したとしか思えない強い・粒が潰れた飯。

汁:しょっぱいだけで出汁感が感じられない汁。化学調味料の味がする汁(化学調味料を否定しているわけではない、適量を超えていることを憂う)。

おかず:炒め物(主に中華)の火加減は料理人の到達度があるであろう、でも味付けで「調味料の味がする」と非常に残念である。日本人が大好きな醤油でさえも、それが主張すると残念な結果になる。和風の副菜も同等。わざとらしい味付けのソースを用いた料理は僕にとっては残念な料理である。照り焼きソースが典型である。

 

このことを示唆するのが納豆業界で、従来醤油で食する納豆に出汁風味を加え、更なるフレーバーを添加している。基本となる辛子、続いて鰹節・海苔・わさびなどだ。

 

話は脱線する。ラーメンの奥深さは「単一でない味」を創意工夫していて、それが顧客に受けたからではないであろうか。細麺・太麺/こってり・あっさり/豚骨・鶏がら と選択肢は無限にある。「美味い」と確定されると言うよりは「人気がある」ということが本論なのであろう。究極的には美味い/不味いではなく好みの問題である。その程度に細分化されているようだ。好きか嫌いかが美味い不味いを超越しているわけだ。尤も上記に上げた「何かの味が主張する」というのは味のレベルの問題であり、不味いものは不味いということである。

 

美味い味噌汁を出す店はどこかということ。弥○軒は不味い、○戸屋でも物足りない。金払ってお代わりをしたくなる店は無いのかね(地元の名店的にはあると思うけど)。

 

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バカッター(twitter)の有効利用の件

twitterで武勇伝を晒して企業を貶める案件が続出したようだ。構図としては武勇伝発表→案件発見者が拡散→企業または担当者が処分という図式だと思う。

この構図は色々と使えるのではないか、具体的には企業内の理不尽な人事や、不正告発である。

馬鹿が武勇伝を発信して炎上するということは、手軽に告発できるツールだと言うことと表裏一体である。写真つきで架空アカウントで投稿して、誰かに炎上してもらえればラッキーだという事である。
人事案件は周りに伝わり難いのも事実だけれど、出勤簿と給与を晒せば泥舟は沈む。泥舟を排除するためにNAVERあたりでまとめ記事がさかんに作られると、いわゆるブラック企業は淘汰されると思うんだけど。

もちろん一流企業でも人事の王道が一般的になれば、ミスマッチ解消も行われるであろう。

 

twitterがバカッターて揶揄されるという事は、影響力が大きいという事と同じなので、利用方法が模索できると思う。

そのさいくれぐれも実名登録はしないように。 

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汚染水が問題だとデマを飛ばす件

汚染水問題は問題が整理されなく、『汚染水』ということらしい。
こういうことを述べるのは多分、優秀な中学生よりは知性が低いと思われる。

どうも『汚染水』とはトリチウム(3重水素)を分子に入れた水のことを差しているらしく、トリチウムならβ線で、「水を通さない自分は水」というパラドックスみたいな存在だと思うんだけど。

政治的性向がある犯人は報道で「Bq:ベクレル」を語った。それまでは人体への影響度である「Sv:シーベルト」を主張していたはずだ。今回の事件で政府発表は「問題ない」である。放射線能力の無いトリチウムは健康被害を考えることが一切不要であるからである。だから政府は「問題ない」と応えた、Svの値も発表したが、問題が無さ過ぎて各マスコミは無視した。

 

そもそもトリチウムの汚染水に問題があるという人は誰なの?ベクレルBqとシーベルトSvの理解が出来ていないだけでしょ。なんで新聞社・マスコミは知識レベルをイデオロギに都合のいいところに持ってくるのか。

 

結論

マスコミは世論を汲み上げたいのではなくて、マスコミの正義で以って政治を歪めたい。

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秋の読書についての雑感

私事かもしれないけれど、スープの不味い店には行かない、味噌汁がショッパイ店には行かない。優先度として「ご飯が美味しくない」方が上位であるが、ご飯が美味しくない店はあまり無いので(もうそれこそ地雷)、おかずが口に合わなくても「おかず選定の失敗」と看做せる。しかしご飯と汁が不味いとどうしようもない。

独り外食は少食の僕にとって『汁(スープ)に満足してなんぼ』なのである。セットに汁が無ければ-1だし、有っても不味ければ-∞、僕はという感性の持ち主である。スープの美味しい店を、、、紹介するのはやめよう。出張の折に利用させてもらっているビストロがこれ以上混んだら困る。

前述は洋食だと思われるかもしれないけれど、中華・和食でも同様で『出汁』『スープ』が美味しいところは、美味い。中華は炒め物の火加減と味の濃さもあるかも。美味い店を見つけるとその店は何でも美味いので困る。通っても定番を頼みたくなる欲望と新規の料理に挑戦する葛藤が。 

 

閑話休題。

「読書の秋」なので僕の好きな本を紹介する。論理がおかしい。まぁいいとする。

1)十八史略:陳瞬臣

中国4千年の歴史を淡々とのべた小説。東アジアでの歴史的教養・娯楽作品として最高だと思う。ここから司馬の「項羽と劉邦」とか「吉川三国志」「任侠伝(陳)」に派生する、または読み返すというのが娯楽の殿堂であると思う。高校生以上に推奨という事で。

 

2)図書館戦争:有川浩

法律・検閲・メディアを平易にエピソードとして語る硬派な小説、だけではなくてロマンスが十二分に織り込まれた極上のエンターテインメント。「おはなし」の甘さに引き摺られ、テーマを見失う大人多数。読んでも読まれても極上です。読まれてしまった方には再読を要請します。

 

3)坂之上の雲:司馬遼太郎

『戦争』を平易に語った小説。戦争を「する/しない」を技術の観点(兵站・艦船能力)で描かれている。
小説とはいえ戦争を量的概念で捉えている本書は精神論で片付けると簡単であった日本人には劇薬であったと思う。 

だから一部メディアは量的概念を意図的に質的概念に作り変える作業が行われたと思われる。 
小説が正しいと思うよりは、その対応をした側を眺めると。いまだに影響力がある「単なる小説」であると思う。

 

 

番外編

夏目漱石と太宰治は小説家としては良いと思うが、少なくない作品は高校生以下は読ませてはいけないと思う。少なくとも大小説家でも幼い存在にたいしての配慮はなされていない。しかし実際は年少から多くが融通されている(らしい)。

彼が名作を排出したからといって、彼の作品が全て中小年生に最適だとは思わない、害悪だと思う。例えば「こころ」と「人間失格」である。

児童・生徒に『こころ』『人間失格』を勧められるであろうか?

ちなみに僕は、「人生ネガキャン」を張られたようで、その言い訳を思いつかず。知らない方が良かったと思える。
もう少しオトナになって読んでみたかった典型で、

そういう歴史を持っているので「純文学」というジャンルは理解できない→詰まらない。という処理をしている。「お話の内容」> 「お話の面白さ」ではいかんというだけ。

 

読書に意義を見出すのは無粋だという事。読んで楽しめばいい。僕の世代は「読書感想文」で5割は本嫌いになったと思う。

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トイレットペーパーの大問題

人生長かったが、変なことに疑問を抱いた。「尻を拭く際トイレットペーパーの長手方向か、幅方向か」という大問題である。理論的には引張り方向に耐えるように設計されている長手方向で尻を拭くのがトイレットペーパーの破損を防ぐ合理的判断であると思うのだけれど、、、僕は今まで無意識に幅方向で尻を拭いていました。

当然、実験を行っているのだけれど、、イマイチどちらが良いのか分かりませんでした。家では高級品、会社では安価品のユーザーですが現時点で明確な差異が認められません。脱糞状況は毎日違うものであり、データベースが不足しているとも思われます。現時点では尻を拭く方向性は現実的な差異が無いのかもしれませんね。大手メーカーに問い合わせた中の次第です。

追ってレポートします。

 

 

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欲しいモノをリストアップする。

欲しいモノをリストアップする、備忘録。思いついたら追記します。メーカーの方見に来てくださいね。

1)脈動するポンプを備えたウオシュレット。

吐出量をサブ秒単位で変更する。前後移動とは周波数的に合致してはならない(非同期)。ドーではなくてドッドッドッて感じ。洗えた感を得られると思う、熱望。

 

2)安価大容量洗顔フォーム

身体を安い洗顔フォームをナイロンタオル泡立てて洗っているのだが、泡立ちと仕上がりに満足している。しかし安い洗顔フォームの容量は100~200gと少ない。250~400g位で¥300~500を所望。変な成分はいらない。

 

3)泡を重視した泡ハンドソープ

顔は泡ハンドソープで洗う。時短とコスト。殺菌成分が効いているのか肌荒れは減っている模様(n=1なので信用しないように)。仕上がりはまぁまぁ。泡洗顔は高い。
非お勧めは今のところミューズ、泡がヘタレ。実はお勧めがあるのだが現在流通していなくて買えない、残念。 

 

4)ストラップが幅広丈夫(幅5cm以上)のA4が入る縦型の革のビジネス用鞄

個人的にブランドPのようなナイロンの鞄は嫌い。革鞄の多くはB4横型(電車のシート幅を超えるものは要注意)で多くはストラップが貧弱。細いナイロンのストラップは言語道断。ストラップがしっかりしたスタイリッシュで電車のシートにも優しい縦型A4の革鞄がほしい。色は黒かグレーを所望、グレーならカジュアルでも対応できると思われる故。
現在、大昔のTAKEO KIKUCHIの鞄を使用しているのだが 寿命を超えている。

純カジュアルの色でも欲しい。大き目の肩掛け鞄は少ない。1~2泊程度旅行やタブレットなんかを放り込むにはB5で対応可能だけど、A4が欲しい。

 

基本的に想定外の使い方を重視しています。1)のアイデアはトイレに設置されたブロワーからのヒント、2)3)はまんま、4)はビジネス鞄にストラップを適応という要望です。

 

コメント欄に欲しいモノを記載して盛り上げましょう。

 

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増税のメッセージ

先週末に安倍氏のブレーンだとする方(バカ)がいきなり8%ではなく漸増的(毎年1%up)に増税を主張してた。

通常ブレーンでも幹部でも自説を開陳するのではなく、政権の意図を述べるはずが、、、、個人の主張痛すぎる。おまけにフルボッコだし。

 

安倍総理の有識者への意見を求めるのは成功であったように思える。露骨な反対は上記のバカと(自分の財布だけしか見ない)主婦連と、あとは増税賛成と上々の成果だ。安倍総理が強引に増税したのではなく、前政権の約束と、各業界団体の多数の意見によって増税するという平和的な手続きであった。

そのブレイン氏は空気も理論も論理も読まないわけで、仕事がなくなるのではと心配になる。

 

 

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論理と理念と、あと少し理論と

エジプトとシリアでなんかどうしようもないことになっているらしい。

シリアではアサド氏が化学兵器使用の批判に対して恫喝を宣言するし。
エジプトでは「アラブの春」は宗教と軍の対立が険しくなっただけという感じだし。

我々は民主主義を不完全だけれどもbetterなシステムだと思っているけれども、前提が崩れるとエジプト状態。
天下をとったら何やっても良いのが民主主義であればそりゃダメだよね。 

独裁潰した→宗教原理系→やりたい放題→軍が怒る→現在

民主的な選挙で選ばれた宗教原理系指導者が軍によって廃されるというのは、およそ民主的でない。しかしその必要があったとも言えるらしい。

 

彼の国と中国・韓国を見ると民主主義というのは非常に難しい概念だという事が理解できた。中国が民主主義を毛嫌いするのは分かる気がする。優秀な指導部が人民を導くことが暴動や内戦を抑えているという事であろうから。戦後民主主義を受け入れた日本人としては不可思議な思想・現象なのですね。

 

宗教原理主義も共産党独裁も理念に準拠するためにしばしば現実と乖離する。その手綱捌きが上手くいっているのが中国で、ダメなのが中東国家だと思われる。論理の成分が足りない。

 

オバマ政権がシリアへの攻撃を述べるのは【理念】の成分ではなくて【論理】の成分である。大失敗したイラク攻撃も論理の戦いであった、『大量破壊兵器』というネタの。今回も『化学兵器』を使用したという【論理】の成分である。『無差別大量破壊兵器を許さない』という【論理】が核不拡散の正義につながるからである。

 

思えばブッシュ氏は「アメリカの論理に背いたら攻撃だ」という誰もが間違いようの無いメッセージを送っていた。そしてそれをイラクに、アフガニスタンに実行した。アサド氏はオバマ氏を読み間違ったのであろうか。彼は歴史に学ばない馬鹿なのであろう。

 

僕は化学兵器・無差別破壊兵器の撤廃、核不拡散には賛成である。東京大空襲も広島・長崎もゴメンである。各国いろいろと事情があると思うが、国民人命を担保とした戦術は許されるべきでないと思う。

まぁやり方(戦術)はいろいろとあると思うけど。理念で反対している人は大量殺人を許したうえでの主張だと思う。

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