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ぼくは明日、昨日のきみとデートする【映画】ネタばれなし

小説が好きだったので興味を抱いていましたが、ヒロインが「小松菜奈?」と少し興味を失せていたのですが、別の映画での宣伝で泣けたので行ってきました。
期待以上に面白かったです。小説を読んでいる人にも読んでいない人にもお勧めです。

オフィシャルサイトでは触れていないけど、題名から「時空SF」であることは想像できる。宣伝フィルムも匂わせているのでその前提で記事を進めます。
小説の書評でも「題名でネタばれ」という指摘があった程度なので、

このお話は文字通り「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」というお話です。ぼくときみの時空が捻じれている(ぼくの明日はきみにとって昨日)訳ですが、そこからどういった恋愛が進むのか?という問いを明らかにしていく映画です。なのでその程度の基礎知識があった方が映画にのめり込めると思います。

重要なことを忘れていました、この映画は「泣けます」。話が進むうち観客のすする音が聞こえてきて、僕もすすってもいいんだなと認識できる程度に泣けます。

 

映画を見た感想は

1)小説の世界観に忠実である(僕・読者視点)

これは小説を読んだ人にとって期待を裏切らないのと同時に、映画を見た後に細かいプロットを小説で再度楽しめるということができると言えると思います。もちろん映画を2度見てもおいしいでしょう。
映画の興業が成功しているのもあってか年が明けて文庫本ランキングが10位以内に入りました。
僕が感じたことが実行されているのではと思います。 

「観て読んで」または「読んで観て」の共に楽しいわけです。(ハリーポッターとまではいわないけど)

 

2)ヒロインの表情・演技が素晴らしい、主人公にも共感できる(男目線)

映画化の際、ヒロインが小松菜奈と聞いた時、正直に言って興味を失った。ところが映画館の予告編で覆った。(正直に言って映画館でというのが大きいと思う)

実際に映画を観て、ヒロインである小松菜奈の存在感・表情・声(口調)・髪に惚れた。ヒロインに恋に落ちる主人公に感情移入しまくりである。
主人公・ヒロインともに表情アップのカットが多用されている、きゅんきゅんしまくりである。

物語が主人公ベースで進むので、ヒロインの心境は間接的なカットと主人公の語りによることが多い。そのうえでちょっとだけくどいヒロインへの演出が丁度いいのである(僕個人感想)。

ほんのちょっと残念なのは公開時期に合わせたのかヒロインの衣装が冬服だったことである。小説の舞台では春でヒロインは軽やかな衣装を着ているが、映画では冬服である。とはいえヒロインのスタイルは抜群だし、細かいはなしなので気にしなくてもいいのかも。

 

3)小説を補う映像が映画の完成度を高めている

小説では主人公視点で進み、ヒロインの心境は読者に委ねられている。小説の帯には「読後また読みたくなる」的なことが書かれている程度に。

まぁ映画はそれではまずい。映画ではヒロインへの補完が丁度いいと感じた。
映画からの小説でも、小説からの映画でも満足度はあまり変わらないのではないかと思う。 

 

 

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ナウシカと左派とメッセージについて

TVでナウシカをやっていた。懐かしくて、好きな反面、忌避感が高い作品である。

 

僕が学生の頃、「ナウシカ」はメッセージ性の強い作品として扱いあぐねていた。

当時、公害問題がひと段落をしていて、ソ連の核の脅威はあるものの、原子力への忌避感が強いとは理解してなかった(僕だけの認識です)。

その一方でその後大学に入ると過激派が生で居た。
彼らの主張は全く理解できなかったけど、原子力や公害には反対していなかった。関係ないけど。

そして僕はそういった文学先輩達の映画観や文学観についていけず、「ナウシカ」のメッセージ性に忌避感を抱き、好きなのは「ラピュタ」に至るおっさんである。

 

文学作品、映画、漫画における「文学性」というのは嫌いじゃないんだけど、面倒な主張に接すると、「無意味なモノ」にしたくなる。関わりたくないのである。

相似形の体験は小学校の頃からある。新作古典を絶賛する教師によるヘイト(読めば役立つというような)によって夏目とか森、太宰、三島とか読む気にならない、そしてそのままでいる。
これは入試制度も問題だと思う。「入試の為に読む」作品が面白いはずがない、そこは問答無用である。だから読まない。30年経ってもである。
しかし根本は義務教育国語授業の所為である。

「国語義務教育」で何かを好きになったとしたら、それを理解している人と、そうでない人を色分けするパロディでしかなかった気がする。そして現代では林修先生が出題するのがそれである。

 

閑話休題。

「ナウシカ」は左派が好むメッセージだけでは構成されていない、多分偶然だと思うが。
そのうえで「どういう判断が正しかったのか」という議論があっても楽しいと思うが、左派はこれを大好きらしい。

ところが現実は複雑で左派が無条件に気に入るような単純な話ではない。同様に右派が忌避する案件でもない。

僕はそういうのを考えるのが面倒なので「ラピュタ」派なのだが、そろそろ真面目に向き合いたいと思った。 

 

 

 

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いまさらだけど「戦争法案」という呼称について

民進党と共産党が選挙協力したことによって連合が離れたようです。その連合も自民党が賃上げ要請する事態で組織力も低くその存在価値を問われている訳ですが。

日本は政治献金が一般的でないこともあって、自民党が株主寄りでないことが不幸中の幸いですが、この幸運が続くとは限らない訳で。
自民党の賃上げ要請は物価高→通貨高を狙っているわけで、その認識はいいのですが、自民党が経済>労働者の立場にいることは自明で、やはり連合には物価高→賃上げを主張してもらいたい。

欧州が理想とは思わないけど、「時給1千円、ランチ1千円」よりも「時給2千円、ランチ2千円」の方が好ましい。連合には時給を安く抑える配偶者控除に反対するとか、一部上場企業の低い利益率の改善を目指してほしい。

 

閑話休題

新安保を「戦争法案」と呼称している野党ですが下記の点を無視しているようにしか見えないのですがそれでいいのかと感じる。

1)紛争国の文官(公務員・教員)・NGO・国連職員は死んでもいい

紛争国にも公務員など様々な職員・ボランティアが居て活動を行っている訳ですが、彼らを反政府組織から警護するのが「駆けつけ警護」だと認識しています。これに反対するということは「放っておけ」というのと同義だと思うのですが、そういう理解でいいんですよね。鬼畜ですね。

2)そもそも国連平和維持活動に反対?

ということはそもそも国連平和維持活動に反対という立場なんでしょう。紛争国の人権は九条二項よりも低いと。そんな活動は日本に関係・必要ないと。
彼らの理念のためには世界平和への現実的な活動は全て不必要だということでしょうか。
警官の銃器所持も反対しかねない勢いですし、日本人の知性を完全に信用していないことの裏返しかと 。

 

このようなロジックが並行して存在する。これを「平和主義」と呼ぶのはかなり違和感がある。
湾岸戦争当時、カネを払って人を出さず、クェートから一切感謝されなかった事実がある。だから何もしないというのは理解できる。では今後は国連に負担金を払わず国際政治に参加しなくていいのかとも思う。そう彼らは願っているのであろうか?よくわからんがロジックとしてはそうなる。

 

一部のカルト的な勢力がそう述べるなら理解できるが、最大野党がこのようなロジックでは甚だ困る。民進党党員で議席を確保できればいいのだが、無党派層の取り込みが必須だからである。

だから民進党は負けた。おまけに反対に腐心しすぎてブーメランだし。まぁ←の言及は撤回する。

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韓国と日本の関係と防衛と

韓国が日米中と揉めている様子。

以前から(あえて保守と表記せず)右派の「韓国はあっちに行く」という論評を目にする。そろそろそのコストを具体的に計算する必要があるのではないかと思う。右派の言いっ放しは目に余る。 

右派の思う日韓の前提

1)経済関係は日中と同様に最重要貿易国として扱う。
2)日韓関係は日露・日中と同様に実質領土問題を抱えている。
3)東アジアの米国・EU圏と中国・ロシアの境目が曖昧であり、中韓の関係次第では日本が最前線となる。

と思われるが、現実的な提言はあまり無いように思う。言いっ放し。それでは無責任だ、だからといって極端な提言もおかしい。

 

閑話休題。日本の防衛線をどこに置くか。
韓国が中国に取り込まれるとパワーバランスが大きく変わるので、対中・対露も大きく変わるが日韓近海の話に絞ろう。 
多分であるが、表面的には経済重視になるであろうから露骨な軍事拠点をつくれないというジレンマもあるであろう。 

1)竹島

ここはある意味どうでもいい。せいぜい漁場の範囲。韓国が竹島に軍事拠点を築いたら境港付近に自衛隊の拠点を厚くする費用・人員が発生する。

2)対馬海峡

韓国にとって対馬が軍事拠点になるのは最大に嫌うであろう、自衛隊が駐留すれば韓国は軍事テロを辞さないであろうし(例シルミド事件)。非軍事緩衝地帯にしておきたいところである。EEZをはじめとした主権は確保したいがその為には最低限福岡か長崎に軍事拠点が必要であろう、上記の境港を賄えるかもしれない。
あと日本人が大嫌いな「小競り合い」は中国並みに覚悟した方がいい。 

 

右派や保守はこの程度のシミュレーションを基にした提言を穏やかに行うべきであり、それができない右派は知性が足りない。
中韓に歴史的に蹂躙したことを重視したサヨクとは議論が噛み合わないであろうが、きちんと逃げずに費用を含めて論じてもらいたい。 

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ふるさと納税のもやもや感を払拭する方法

ふるさと納税ってのを年末にやってみた。

手続きが面倒そうで一昨年は放置し、昨年は年末に申し込んだ。食品である。
早速2ヶ所から物品が送られてきて冷凍庫が大混雑である。
寄付金の額と送られてくる物を市価で見ると還元率は3割といったところか。

ポータルサイト経由で送られてきたが、彼らが1割手数料を取って、業者が卸値だとしても自治体の実入りは7割であろうか。
その分僕が住んでいる自治体は税収が少なくなる計算である。

この制度は「本来住んでいる自治体に払う地方税を、物品を送付してくれる自治体に払う」というものである。
建前では出生した自治体や、ゆかりのある、困っている、応援したいなどの自治体に納付するのであるが、制度がそうなってはいない。欲しいモノをくれる自治体に納税する制度である。

利口な人間は制度の本質を見抜き、個人に最適な行動を起こすべきなのである、建前などどうでもいい。文句があるなら制度を作った人間に言えばいいのであり、制度を使わないことが善人ではあるかもしれないが利口ではないということになる。

ところが小心者の僕としては、かなりもやもやする。一昨年利用しなかったのもそこだ(面倒というのが半分以上ではあるが)。

 

閑話休題。

ふるさと納税が我が自治体のためにならないのはその通りなのだが、僕の住んでいる自治体は「地域振興券(プレミアム商品券)」という犯罪的な無駄も行っている。自治体は特定の人間に税金を補填しているのである、さらに振興券は転売される有様である。税金の転売が行われている有様だ。どっちが理念上おかしいかは自明である。

ここを理解すると「正々堂々とふるさと納税を利用できる」のである。

「ふるさと納税」がとことん制度的におかしいのは簡単に理解できる。それと同時に「地域振興券(プレミアム商品券)」の方がもっとおかしい。そんな予算があるという時点で罪悪感を払拭できてお釣りがくるのである。

 

PS:地域振興券の無い自治体の方は似たような自明で犯罪的な無駄を探してください。
「自治体は無駄に溢れている」とかサヨクが好きな抽象的な事象ではなく。
 

 

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