だめサラリーマンによるエンターテインメント
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だめリーマンの思考法
新宿御苑滞在記(フィクション)
今日9時前に起きて、新宿御苑に行ってきた。それはそれで良かったのであるが、思いつきで行ったため、段取りがなってなかった。そこをフィクションで補正した滞在記を綴る。来週まで持ちそうなので参考にしてみてはどうか。
1)アマチュアカメラマンの場合
新宿御苑は朝九時に開園である。それに合わせて前夜におにぎりとから揚げを仕込んで(園内の京樽弁当でもいいけど、早い時間に確保必須)、八時前には起きて朝食を摂る。八時半の電車に乗って、九時過ぎには園内に入る。魔法瓶にコーヒーは必須である。
写真を撮るには午前中のほうがいい、空気は澄んでいて雲も人も少ない。広い園内であるが遅くとも11時半までには写真を終わらせたい。
休み休みとはいえ2時間半も歩くと疲労が溜まる。景色がよく日当たりのいいベンチに座り、ちょっと早めの昼食を摂る。
長めの休みと昼食で元気が出たところで散歩タイムだ。ゆっくり歩きながら微笑ましい風景を眺めるのがいい。温室を見学した後は早めの帰還だ。
あとは伊勢丹で買い物をして帰宅である。
2)ゆったり散歩の場合
伊勢丹は10時開店である、気に入ったお弁当を買い、公園で頂く。そのために9時前に朝食を済ませ9時半には電車に乗る必要がある。余裕があれば魔法瓶とドリンクは欲しいところである。(休憩所(自販機)が多いので無くても可、そこでタバコも吸える)
新宿御苑に着くのは11時前。日本庭園を散策した後に昼食の場所を物色する。1時間ほど散策すればお腹も空いてくる。日の向きや景色でベンチを確保(ビニールシートなら自由度が高い)。あとは弁当タイムである。
腹ごなしに1時間ほど散歩をすると身体も冷えてくる。冷えてくればあとは新宿でお買い物だ。お買い物をする場合はその分の体力を残しておくことが肝要である。
3)いきあたりばったり実録
9時前に朝食を済ませ10時半に御苑に。12時頃にお腹が空いてきたので園内の弁当を所望するも売り切れ。てんぷらの船橋屋もつな八も行列。回転が悪そうだったのでB級洋食アカシアへ、13時前。偶然にも直ぐに座れた。出る際には行列だった。
羽毛布団の外側に掛けるやつ
毛布を羽毛布団の内に掛けるか、外に掛けるかという論争があったと理解している。業界の正解は外に掛けるということだった。
この問いと答えは生活者の根本に答えていない。消費者の問いは「どうすれば暖かいのか」であり、間違いを指摘したところでメリットが少ない気がする。
上記でいえば、肌に接する「暖かい存在」いわゆる毛布のことだが、肌に接するからあの重さに耐えているといえる。重い毛布を羽根布団の外に配置することは愚行といえる。
旧来、羽根布団の上に薄手の掛け布団を乗せていたのだが、タオルケットでもいいのかもしれない。
いわゆる毛布を肌に接しない位置、羽根布団の外に掛ける仕様であれば、もっと適切な仕様が存在するはずである。だから(そういうのを提案できない)布団業界は駄目めな印象がある。
羽毛布団の上に毛布を掛ければ暖かさが改善するのは理解している。改善するには、何を掛けるかという問いである。タオルケットか薄手の布団か、はたまたアルミ蒸着シートか?
毛布の位置を変えただけでは重さは改善されていない。
寝具業界はそのことをまじめに考えた方がいい。そうでなければ外資(イケア)や新興流通(ニトリ)に席巻されるであろう。
羽毛布団カバー・掛け布にユニクロのフリース生地は有用ではないか?
相模原市橋本は住居環境が最高な件
3年前まで「橋本」に住んでた。メリットを記す。ちなみに駅近に住まないとメリットは少ない。
1)全部あってコンパクト
駅周辺には「駅ビル(MeWe)」「イオン」があり、日々の買い物に不自由しない。食品スーパー(京王)や地場の食品モールもある。
これらが半径100mで存在する、割と密度は高い。市役所窓口・映画館・大規模病院もある。
また「イトーヨーカドー系の巨大ショッピングモール「アリオ」が駅の近くにある。
ちなみに「デパート」は無い。
2)始発駅は最強
新宿方面と横浜方面の始発駅である、並べば座れる。選択肢が無い民よりは「座る」権利は有用であろう。
とはいえ遠いのは事実。
3)自然と都会的な「南大沢」の近隣である
「南大沢」って多摩地方有数のおしゃれな街である。バブル期に設計された街区と高層共同住宅に街路樹が整備されている。
さらに「戦車道路」はワイルドな自然を残している。
当時「橋本」から「南大沢」 まで、新興住宅街や崖を探しながら散歩した。軽く汗をかいたところで「三井アウトレットパーク」に付随する商業施設を楽しんだわけだ。
もちろん歩く必要がない人にとっては電車で2駅というところである。
閑話休題。ベタな橋本、おしゃれな南大沢の「コンビ」は多摩地方の最先端だと思う。
Silet Sirenのライブへの違和感の理由
サイサイを好きになってライブに2回ほど行った(昨年の「もしもしにっぽん」「今年初夏の渋谷公会堂」)。(その間一度チケットが取れなかったので)ライブのチケットを取るためにfanclubに入るか考えたがやめた。
理由はライブ。CDはポップスで、ライブはロック(Rock)だったから。演奏が上手いとか下手とかではなくて、ライブはCDの世界観ではなくて、ロックだった。
代表曲の曲調、アレンジはロックだが、ボーカル主体のポップスだと僕は認識していたようだ。
【Silent Siren】「ぐるぐるワンダーランド」MUSIC VIDEO short ver.【サイレント サイレン】
ライブはこんな感じ、ロックだぜ。
【Silent Siren】「 爽快ロック(Live ver. -2015/1/17@日本武道館-)」
ライブが楽しくないというわけではない。音の質である。ポップかロックかということ。彼女達がRockを志向してまずいとは思わないけど、僕にとって「ちょっと違うな」という感じ。ライブではボーカルを活かすバックの音量を望む。
ちなみにゆかるんの可愛さはライブで発揮され(twitterの写真写りがかなりキモイが)、生ゆかるんめちゃは可愛いぞ。さすが元朝の情報番組レギュラーである。
「ゆかるん」の動きに着いて行けばライブは盛り上がる、という存在。
サイサイがロックでいくなら「プリプリ(PrincessPrincess)」 路線じゃないかな、だがボーカルの線の細さがロック路線に違和感を感じる。「すぅ」のボーカルを否定しているのではなくてそれを「活かす」ライブ活動を個人的には望みたい。少なくとも演者の技術志向はなんの役にも立たないと思う。
この違和感とはかなり違うが、Judy and Maryがパンク・ロックとして好きだったのだが段々ポップスに移行していって、僕は興味を失った。
応援していたのは1st, 2ndCDまでだった。
今後もサイサイのファンであると思うけど、ライブではなくCDで応援する。だからPVを有料でいいからshort Ver.ではないのが見たい。お願いします。
Rockなんだけど、POPに路線変更してほしいなり。
あと、サイサイはPVの質が良いのがおかしい。映像ディレクターに投資している、わりに効率よく使ってない印象がある。
パリの無差別テロに対する雑感
30年程前、1980年代後半の話。
当時僕は北関東の国立大学と関東の公立大学を受験した。受験のときはなにも無かったが、国立大学の合格発表を見に行ったときは雰囲気が異常であった。
マスクとヘルメットを被った若人が杖を持ってコールをしていた。「革マル」か「中核」かは当時知る由もなかったが、いでたちが異常なのに違和感を感じた。
結局公立大学に行ったのだが、そこでは「民青」がいた。彼らは過激派ではなかったけれど、いろいろとおかしかった。
当時過激派は内ゲバや公安・警察の介入で、衰退傾向にあったと思った。その当時テロは日常であった(小競り合い程度だったが)。当然「無差別テロ」は無かった。
20年くらい前まで早大の学際は人気が高く、入場料が必要だった。学際実行委員会は過激派で、学際は彼らの収入源であった。それが当時潰された。
20年前は大昔であろう、その大昔には過激派がテロを繰り返していた。そして20年前に大規模無差別テロの「地下鉄サリン事件」が起こった。
ダッカ事件は約40年前である。
日本はこの20年が特別に平和だったと言える。大規模無差別テロは1件しかなかったが、それ以前はテロだらけだった。
このことを知っている40代以上の世代が、冷たい反応を示すのは理解できる。放送局・新聞で過激に扱えば「かつて日本はそうだった」と向き合わざるをえず(向き合えばいいと思うが)、ジャーナリズムがどう扱うか戸惑うのは理解できる。
日本では暴力団体や過激派の抗争が昔からあって、いわゆるテロは割りと日常であった。その被害が一般市民に及ぶと初めて「反テロキャンペーン」が起こる程度。
暴力団や過激派の抗争は黙認されていたと言うと怒られるであろうか。
結論は無い。雑感である。
日本発の動画が長すぎる件、Vineが有用な件
動画は時間単位の情報量が少なくて、ほとんど見ない。キャプチャを貼ってくれるのは見る。
例えばドラレコで、事故は一瞬である。それなのに5分とか意味が分からない、というか見ない。特に日本人発の動画は無意味に長く、「見所は○○分○○秒」というキャプションが必須である。
「動画の単位時間当たりの情報量が少ない」という事実を日本の投稿者は理解していない。「(背景を含めて)なんでも詰め込んでおけ」という精神は生産性の低さを象徴しているようでもある。編集という作業がないのに見てくれる人が要ると思う神経を疑う。
動画をupしている人は他の動画を見る機会が少ないと仮定して、「見所は?」という点に疑問を持たないのであろう。TVや映画に親しんでいないのであろう。
海外の動画、例えば交通事故や隕石などはそこしか映っていない、単に事件前後がカットされている。日本発はそれすらできてない。日本人がupする動画は注釈が必要で、その注釈がないケースが圧倒的多数。誰が見るか。案の定、動画サイトに取り上げられてもPVは伸びない。当たり前である。
必要とする情報が一瞬であれば、動画は短ければ短いほどいい。 それで情報密度が上がるからだ。で、Vineである。意図的な情報を10秒程度に収める必要がある。
Vineの大多数が無意味な情報としても、良品を見つけるnet民を信頼する、けっこうおもしろい。外れても数秒なのでぜんぜん許せる。
一方で無駄に長いyoutubeは見るに耐えない(海外動画お勧めサイト発はそうでもない、短い投稿を推している場合が少なくない)。見たい点を探さなくてはならないからだ。日本動画サイトが推すのが日本発が多いとしても、長すぎる、無駄すぎる、稚拙すぎる、「仕事できないんだろうな」感が溢れている。日本人の一般投稿youtubeは長いのでほとんど見ない。時間の無駄。
そう思うサイト1000mg.jp(blog主は見易い動画を選定している、が日本発は総じて長くて無駄)
「独裁を排除したらISILが生まれる」というロシアの主張
アラブの春の結果はあまり望ましくない、現状には詳しくないが、難民が多いということぐらいはわかる。欧米インテリジェンスの言論に従えば「独裁政権を打ち破れば民主的政府が存立する」ということは間違いであったと認識されていると思う。「独裁政権」と「無政府状態」のどちらが幸せかという問いである。
この際、欧米諸国がアラブをはじめ、アフリカ諸国への利権への不義(密約・政権支持・武器を売ったりとか)を不問にして考えたいと思う。
この「独裁政権を打ち破れば民主的政府が存立する」という先進国(日本を含む)の理念が間違っていたことの象徴がISILであろう。イラク(フセイン)政権を潰し、シリア(アサド)政権を潰す過程での空白地帯を民主勢力ではなく、テロリストが支配する結果となった。
米国がこの事実を認めることができるのかという点が大きな視点だと思う。G20で米露が対立したのもこの点であろう。独裁が嫌いな米国がアサド政権を放逐したい一方で、ロシアは歴史的な繋がりもあり、アサド政権を支えている。そしてそのロシアの名分に意義がありそうという点である。
ロシアは歴史的経緯として「ISILはシリア・イラク政府の弱体化が招いた」と主張する。一方でイランやイエメンを敵視するサウジ、毛色は違うがイスラエルの主張に流される米国。他所の歴史をかき混ぜておいて自分たちの理念を主張する欧州。日本人として感じるのは欧州の理念は押し付けがましい。
第三国人として、ロシアの意見に分があると感じる。もちろんシリアや旧イラクの圧政の現実を知らないのだが。(まずはスンニ派とシーア派の色分け地図(政権が多数派・少数派も)を欲するところ。)
悲しいけど『「独裁政権」と「無政府状態」のどちらが幸せか』という問いである。
【書評】忍びの国(和田竜著)
痛勤が嫌いで、勤め先(横浜)と本社(東京)の間に住んでいる。勤め先には下り電車で座って通勤(帰りも座って帰宅)。本社出張も朝一はほとんどないので、痛勤は皆無。
勤務先事業所と本社への近隣出張は月に3度程度、毎週ではないが少なくない、多くは午後の本社打ち合わせ。打ち合わせが早く終われば普段より早く帰れる。
ただその移動距離の半分程度を通勤定期でカバーしている関係で、日当が出ない。本社ではない東京への出張は定期区間を使わないケースも少なくなく、赤字のケースがそれなりにある。
まぁ定期を使えばいいのだが時間や快適さを買ってる感覚である。
一方横浜~東京で出張申請すれば日当がつくので横浜事業所勤務のほとんどの人の本社出張にはランチ代(の一部)やコーヒー代が出る模様。という愚痴。
閑話休題。 いまさらながら読了。司馬の「梟の城」を髣髴されるというか、超える小説だと思う。「梟の城」は20年前に読んだのであらすじさえも忘れているが、忍者小説として白眉であろう。
○な点。「梟の城」はフィクションの要素を強く感じていた、娯楽小説である。一方、「忍びの国」は史実をたどった形で物語が進む。忍びの行動は記録に残っていないので、そこが作者の力量の発揮する場であろう。「梟」よりはテンポや登場人物の異能に食い入る。忍び・戦闘シーンは超人で漫画化したら外人に受けると思う。
物語の背景(フィクション)を丁寧に記されてあり、荒唐無稽の「お話」に読者としてついていける、忍びが超人でもだ。
×な点。『織田信雄』の存在である。史実をベースに物語が進むのだが、キーパーソン『織田信雄』はこの物語(天正伊賀の乱)では死なないことが自明である。忍びの主人公「無門」が信雄を何度か追い詰めるのだが、そのためにギミックをいろいろと配置してある。僕は楽しんだ方であるが、しらける人は少なくないと思う。
住む街とライフスタイルと
40歳になった女性・綾が住む街・・・それでも女の人生は続く~東京カレンダー
東京に出てきた20代女性が40代までどの街に住んできたかというシリーズモノの最終回。都心で働いたことがほとんどない僕にとって、興味があり、刺激的な文章だった。
ちょっと自分語りをする。
僕が住んでいたのは相模原の橋本と今は武蔵小杉。僕は現在まで3事業所で勤務していたのだが、最初に購入したマンションは橋本駅近であった。当時職場が橋本郊外にあったのと、都心(本社)に飛ばされてもいいように、(職場に近い)駅から遠い一戸建ては考えなかった。橋本駅は新宿方面・横浜方面の始発駅なので。
Link記事のように街の個性を選ぶというよりは、「通勤(痛勤)」がテーマであった。幸いにもしょぼい街なのでマンションは安く購入できて、後にイオン・駅ビルができて、アリオ(イトーヨーカードー系巨大ショッピングモール)、映画館ができた。神奈川県でいうと最近のコンパクトな海老名である。新宿までの時間はともに1hであるが言うまでもなく海老名(小田急)ではたぶん座れない。近隣には南大沢に三井アウトレットがあり、デパートは立川か町田まで出た。今でもおしゃれさを求めなければなんでも揃うお勧めの街である。
そして杞憂が実現され日本橋に転勤となった。が、ドアtoドアで通勤1.5hであるが始発駅なので並べば座れた(実質2h)。ラッシュとは無縁であった。
確かに都心(日本橋)で働いていた頃は、当時(10年程前)は丸の内よりも日本橋のほうがランチも飲みも安く、店が多かった、まぁ今でもそうであろう。ランチや飲みの店を開拓するのに一所懸命であったし、高島屋にサンドイッチを買いにいったり。ランチの予算は700円程度で。たまに1千円程度で目の前で揚げたての天麩羅や洋食にも行ったかな。その意味では職場や住む場所の文化レベルは人生に影響する。
就活・ミスマッチに悩んでいる方々へ
まず、就職先が決まった方には「おめでとう」と伝えたいです。高卒・大卒・院卒で就職がきまったことは好ましいことです。おめでとうございます。
一方で大卒3年離職率が3割という報道も目にします(ソース探すの面倒)。
これは悪いことなのでしょうか?転職先を決めて新卒企業を退職するのは極めて合理的だと思われる。会社の独自性や、営業がブラックとか、若者が思い描いていた企業イメージとは異なることも多いだろうし、そもそも就職氷河期時代では「転職を前提とした就職」があったであろう。
古い世代の僕としては、よほどブラックではない限り、「仕事のいろは」「業界の作法」「業界のスキル」くらいは学んで転職したほうがいいと思うのだが現在は違うのかも。
なにが言いたいかというと「違う業界への転職」は無理ということだ。準新卒に甘い企業であればともかく、大手は業界人を募集している。
「(その業界の)仕事内容を忌避したい」連中は、フリーターとかニートと同じ市場価値だということだ。
逆に言えば部署移転を具申して人間関係を再構築することで不満が解決すると思うのだが。
絶望する必要もない。多くの若者は「大手企業」を志向していると思うが、無名の中間業者(例は悪いが「アイシン精機」とか)が多数存在する。
就職を目座右高校生・大学生・院生は就職する企業の「何」がわかっていないかということである、わかっていないはずである。ということは転職を前提に就職主る必要がある。大手だからいいとかではないし、中小企業だから悪でもない。
生涯賃金は大手企業が多いようなので、大手企業に勤めて定年まで勤めるのが合理的だと思えるのだが、僕は個人的に信じられない印象がある(やりがいをできる一方不本意な出向を含む平均ということだ)。
「椎茸」のブランド化と「味」の件
イトーヨーカドーの「里芋」が信じられないほど充実していない。こじゃれたパッケで500円とかやる気なさそう、他の店をウォッチしてみる。
閑話休題。椎茸である。肉厚で大きい椎茸が「高い」。そりゃ高いよね、美味そうだし。菌床とか原木とか関係ないような気がする。肉厚は美味い。鍋で実感する。
この時期根菜が出揃って、煮しめを食べたくなるのだが、椎茸の存在感は高い。厚いほど美味い、すると1ヶ100円以上する。6ヶで200円と、3ヶで500円で悩む。厚いのが正義だと思っているのは、椎茸業者の策略だと思うが、景気浮揚には高い食材を「敢えて買う」というのも必要で、何故か僕の感じる筆頭が「椎茸」なのである。
国産豚・和牛・熟成肉という高級食材もあるのだが、なんかよくわからないけれど、椎茸の存在感を思う。他の野菜を超越しているのと思われる、でかい椎茸の醤油バター焼きとか、ちょっと違う風情があるよねと感じている。
同時に思うのが干し椎茸の問題である。そして大きさによる値段の高さである。自家消費に抵抗はあっても贈るのにはハードルが低い。一時期、高級冬茹(ドンコ)を嫁実家にお歳暮として贈って、正月おせちで回収する事案があった。肉厚の干し椎茸の煮物はそれはそれは美味い(煮物が得意でない家庭に贈ったら猫に小判である)。自家消費に対応できない程度に価格が高い。もちろんその対価は認識している、正月にしか食べられないのが不満なのである。
椎茸業界は栽培技術が上がって、値段がこなれているという評価だと思うが、もっと美味い椎茸を食べたい。「香り松茸、味しめじ」らしいが、イッポンシメジはそれほどでもなかった。「味は椎茸」である。
汎用品と高級品の住み分けが出来ていることは業界としていいことなのだと思う。高い奴は美味いから受け入れられている。
とはいえ干し椎茸は革新されているのであろうか?冬茹(ドンコ)が高級品過ぎる。以前、最高級品を贈って食したのだが、中級品でもいいかなと思った。素人料理でも美味すぎるのだが、一流店でこそ生きるのかとも思った。でも一流店は敷居が高い。
乾物はいろいろと手間がかかり、価格が高い。でも工業製品で安いモノも出回っていてそれはそれで重宝する。有名乾物店ではいろいろと罪深い、血合い抜きの鰹節薄削りと血合い入りのが価格が同じなのにびっくりした。きちんと市場価格が成立しているのか疑問がある。いわゆる従来の商慣習が優先するのか、納入側の論理なのか、消費者のためかどうかという疑問である。
脱線した。厚手の美味い干し椎茸は「贈答用」だけにするのはいただけない。どうにか一般販売をしてほしい、日本橋界隈では贈答用と自己消費用が区別なく売られていると突っ込まれて終わりなきがするが。
冬物スーツに悩む件
最近、憎っくき内臓脂肪がウエストを侵出している。また同時に今般のシャツの流行を読みかねていて、ここ数年シャツと冬物スーツは放っておいた模様。
先般春先に紺のスーツとグレーの綿パン&綿の(ブレザー的)ジャケットを散財した。よく考えると、冬物の方が危機だ。
昨年までは夏物を冬に流用していた、コートも数年前に軽さ重視でツィードの安物でしのいでいる。
駅のホームまでは15分程度とそこまで遠くなく、電車内は空いているし(ラッシュとは逆方向なので)、出張は多いものの、短距離が中心で、電車で邪魔になるコートは防寒具ではない。コートを手に持つのが面倒でカーディガンで対応しているシーンが多い。
ウエスト増大問題で新たな冬物スーツを検討しているのであるが、欲しい物がない。若者には信じられないかもしれないが、「欲しい物」がないのである。
プライベートというかカジュアルでも同様で、3~5年くらいは平気で着回している。嫁はそれほど不満ではないらしい。
この現象(欲しい物がない)というのには困った。1年で(春・秋)1着ずつ購入して、5年で総入替えの予定が、さぼって買わなかったのである。購入意欲が減衰して。
それは靴にも影響している。つい最近買った青のストレートチップの中敷を探す過程で、中敷調整を失敗して死蔵していた靴が最近デビューした有様である(必要ないのに買って放っておいた)。
若い奴らで、おしゃれにスーツを着こなしているのは多い。でも周りの上司・先輩に「かっこいいスーツのきこなし」が皆無というのも事実。ロールモデルが居ないのよ。次に買おうとしているスーツ・シャツ・ネクタイの柄やシルエットを30台男女に相談する有様、カッコワルイ。嫁はスーツ男子に興味がない模様。詰んでる。
クールビズのせいかタイなしとタイありでシャツの選び方が変わっているし。夏用(ノータイ)と冬用(タイ着用)でレパートリが増えた、現実適応できていないが。
若者のスーツの流行は薄くきちっとした生地とシルエットが主流だと思うのだが、woolのふんわりとした生地でチャコールグレーでスタイリッシュなスーツがいいと個人的には思っているのだが、流行ではないらしい。
とまぁ、おしゃれではないおっさんでも、年1回の投資には悩むということを理解していただきたい。