goo

エントリーが消失して疲れた件

あのー、1時間以上考えながらエントリーを打っていた。どのくらい時間を使ったのか分からないけどupしようとしたら時間切れになったようだ。しかもそのエントリーの文書は消失。

疲れた。疲れました。ログイン時間に制限があるのならば教えて欲しいです、上書き保存しておくので。

とにかく疲れました。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

牛の脂身が甘い件

北海道で乳牛をはじめとした酪農が行われている、乳関係は高地や北が多い。一方黒毛和牛を初めとする肉牛の名産地は三重や神戸を初め別に寒いことは必要ではないらしい。まぁ種の好む生活環境なのであろう。

先月は嫁の意向を聞いて、給料日近くに「マグロ三昧」を敢行した。手巻き寿司にクロマグロトロを5切れずつ、さらに中落ち切り落とし。以上マグロだけで3千円也。

それではいかんということで今月は「牛」を食うことになった。ちょうどサカガミで黒毛和牛1頭買というキャンペーンがあってサーロインステーキ肉を購入。1枚150g相当で\1,200、安い。(と思う)

肉が美味しいかというひとつのポイントは「脂身が美味い」ということではないか。トンカツのロースでも脂身が美味くなかったら、ヒレの方が良かったということになりかねない。肉が美味いのは当然として、脂身が美味い肉に遭遇するとちょっとした感動を覚えるのだ。もちろん、焼肉屋とか鉄板焼き屋ではなかなか遭遇し得ない(費用をけちってるからだけれども)。たまに太っ腹で食う特選カルビは費用が、、、。だってなんせ\1,200/枚なのだから。

脂身嫌いの嫁も食っていた、貰えるもんだと思っていたらいつの間にか食われていた。マグロの脂も牛の脂も美味いと幸せ。常温で溶ける勢いは刺身でも焼いても炙っても。。。

何が言いたいかって?単なる自慢と感想です。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

就任大臣の問題発言はネタでしょ、、、えっ?

標題の件、私はネタと言うのは就任した大臣がこのようなネタを振りまくのは世論の境界線を探る行為だと思っている。例えば中山国交相は教育問題には直接関係しない大臣であり(成田関連は余計だと私ですら思った)、ネタ的な大臣の発言はどこまで許されるのかを探る恒例行事だと思っていたからだ。そうで無いなら疑問。彼は何故そんなことを言えば批判が集中する、関係ない部門への苦言を呈したのであろう。

中山国交相が辞任へ 問題発言に批判、麻生新政権に打撃(朝日新聞) - goo ニュース

記事では麻生氏が更迭する意向だとの事。ふーん、自民党大臣が自分なりに色々な境界線を探る行為を自発的に行っていて、首相はそれを許さなかったということなのかしら。そうであれば中山氏が官僚への忠誠心の踏み絵に「成田」に言及したのも分かる気がする。中山氏はそのようにぎりぎりの調整を行う現実主義者という見方もある、もちろん「お馬鹿」という見方もあるであろう。でもどう考えても、就任大臣が他省の言及をする、さらに脇の甘い発言をするのは「頭が悪い」ということで処理をするのは理解できない。自民党の気風として問題発言を行ったら偉いというのがあるのではないであろうか。

交渉というのはぎりぎりの境界線を見定めることが必要であろう。自分や党が実現したいことと国民の距離感を計りたいであろう。距離感があれば期待を醸成する種を蒔いたり肥料をくれてやらなければならないし、機が熟したら行動をする計画が必要だ。それを見極めるには「問題発言」が必要なのだ。

と、思ってたら中山大臣は辞任の意向だと。うーんよく分からん。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

給料を上げてくれ!!!

給料が上がらない、なので消費も増えない。だいたい国内消費がGDP比で高いのだから、給料が増えなければ景気は良くならない。配当性向を高めてもGDPは増えるかもしれないが景気には、、、給料を上げてくれよ。。。

会社の儲け度合いを示す数値にROEと言う物がある。当期純利益/株主資本×100だ。資本金に対して幾ら儲けたかという数字だ。(借金が少なく)資本金に対し儲けが多ければROEが大きくなる。配当性向が高ければ3割配当だって期待できるであろう。

ところが投資家はROEに対してというより、一株時価当たりの利益が気になるであろう。てか理論的には株価は1株当たりの配当により決まるのであろう。いくらROEが高くても株価が高くなってしまっては株価が高くなってから株主になった新株主は旨味が少ない。ROEは伸び続けることを期待され、配当金も上がり続けることを期待されるようになる。しかしちょっと考えてみるとそれはものすごく難しいことが分かる。景気には波があるし、持っている特許やブランドが陳腐化することもあるだろう。持続的な成長とは社内への人的投資も必要だ。それでも上手くいく時だけではないのだ。

結局持続的な成長には事業の適切な切捨てや投資といった経営判断とそれを担う人材の成長だ。そのためには給料を上げるしか方法は無い。安い給料では「自分は転職できない無能だ」と思っている人しかその会社に残らないからだ。若い社員は課長の給料、部長の給料を知っている。部長に苦労してなってもその給料しかもらえないと思われたらもう転職モードなのだ。生え抜きを育てた方が知識が多い人材を抱えられるであろうから転職されたら不利なのだ。成長のためには人材が集まる会社でなくてはならず、そのためには高い給料とやりがいのある職場の提供が不可欠と言える。

投資に当たり、魅力的な企業であるために配当性向を高めようという議論がある。これと人件費の多寡とは理論的に全く関係ない。人件費は営業利益には関係するが、配当性向は税引き前当期純利益が確定してからの話だからだ。人件費は売上高営業利益率には関係はするとは思うが配当性向とは関係ないのだ。

人件費を上げるのがリスクである企業もあるかもしれない。景気の影響や会社の業績により売り上げ・利益に波がある会社だ。有名なのは任天堂であろう。ここ最近は勝ち組であるが、ゲームウォッチの成功の後、ファミコンまでヒットが無かった。その後ソニーのプレステに負けた時代もあった。それでも儲けたら社員に還元するロジックがあるから社員はがんばれるのであろう。がんばって経常利益が増大しても給料・賞与に反映されなければ、コミットできなければ見切って去った方が得と言うものだ。

MBOやTOBがファンド主導で行われているがこれらは基本的に近視眼的に鞘を抜く手法で持続的な成長は期待できない。買収費用を取り戻すために買収費用の1割以上程度まで配当あるいは純利益が叩きだせるようになれば高値で売り抜くことが出来るであろう。これを3年程度で行おうというのだから無理が出る。無茶な経営陣の規律を正したら結果こうなったというのであれば分かりやすいが、そんな案件はそうはない。短期で利鞘を抜くという行為には人材を育てる=給料を上げるというインセンティブが働かない。いや却ってリストラに走るであろう。

創業者利益を確定するため、ファンドが儲けるため、には人件費を抜いて見せかけの売上高利益率やROEを上げた方がいいというインセンティブが存在する。これは企業の成長という観点からはあまりいいものではない。会社更正法に関わる産業再生機構は短期成長を目指したファンドに分割してもいいことは無いような気がする。

目的がもう決まっているので強引に結論付けると、企業の持続的な成長には人件費を上げることが不可欠だ。そうでなければ人材は逃げてしまう。そして人件費を上げることは株主を軽視することには全くならない。いや、持続的な成長=株価が上がり続けるには人件費をより多く払い続けなければならないのだ。

さぁやっと言いたいことが言えるぞ!「給料を上げてくれ!!!」

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

金融の基本

金融危機で米大手証券会社が破綻したようですが、大損こいてます。あらら。

そんななか、金利を鞘抜きして大儲けしたのは許せないという論調も多いようですが、そのような論調は基本的なことを考えると、「金融」を否定しているような気がします。私は工学出身で大学でさわった程度ですが、そのときのことを思い出しながら論じてみようと思います。

そもそも金融とは「明日の1円を買う(売る)」ということです。そしてそれは債権として売買されると言うこと。銀行の預金は「銀行の債権」を購入しているのと同じであり、それによって銀行に貸し付けているわけです。なので銀行に貯金をしたときにすでに金融のお世話になっているということです。そしてその貸し賃が金利と言うわけです。

一方、お金が無ければクルマも家も買えないかというとそうではなく、将来の収入を当てにして「借金」することで購入も出来ます。私債を銀行に買ってもらうわけです。給料があと1週間で入るのに財布が空っぽになってしまったら飢え死にするしか無いのでしょうか?そのようなつなぎの金融もサラ金という金融があります。社会で生きていくうえでの血液というべき「お金」を将来に渡ってやりとりするのが金融なのです。

金融の概念はどんどん広がっていきます。以前は貿易するには金・銀を用いていました。金が無ければ買うことも仕入れることも出来なかったのです。しかし20世紀には国が保証した「お金」というもので社会が回るようになります、そして貿易の決裁もお金でやり取りすることになりました。これも広義で言えば金融でしょう。お金は絶対的な価値では無いので、ドルと円では相対価値が日々変わります。政府・中央銀行は財政と金融でお金の価値を調整するので、相対価値がないと困ります。固定相場では政府が金利や流通量をコントロールできないので、自由度が低くなります。これも金融の発展の恩恵でしょう。

一方、製造業がアメリカに商品を輸出するとき、商品が船便で1ヵ月後に着くとすると、その間の相場が変動するのは具合がよくありません。100ドルで商品を売ったとして1ヵ月後に円が10%高くなれば手取りは10%減ってしまいます、逆に円が10%下がれば手取りは10%増えます。これを固定するために先物相場が存在します。先物とは1ヵ月後の1ドルは110円で売買しますというような約束の売買なのです。これにより貿易が盛んになりました。相場を考えずに利益が確定するからです。

このように金融技術が発展すれば産業が発展することが出来るのです。今回は裏目に出たようですが、基本的には金融技術が上がると得をすることが多いのです。

ではその値段=金利はどうやって決まるのでしょう。金利は貸付期間の純然たる貸し賃+返済できない割合(リスク)で決まります。国債は返済できないリスクがほぼゼロなので純然たる貸し賃といえるでしょう。住宅ローンの場合、返済できなくても質(担保)があるので、返済リスクが相対的に小さくなります。

基本に戻ればサブプライムローンは金融技術が上がったとしても、所詮高い金利=返済リスクが高いことであり、所詮金利は返済リスクなのです。返済リスクが低い人はそれだけ低い金利で借りられるわけで、高い金利で借りた人はそうでなければ借りられないからです。なので高い金利できちんと返済できた人も多いでしょうから、サブプライムローンそのものが悪いわけではありません。本来適正な金利と破産発生率であれば、損をすることは無かったはずです。これは金融技術が読みきれなかったということでしょう。儲けようと思い、高い金利の債権を買うと言うことは上手くいけば大儲けできますが返済リスクを買っているので破綻する、そして破産の率を平準化するために債権化したということでしょう。なので破産の率を読み違えたというだけなのです。

ここからは好みです。金融に立ち入らず現金や金で生活しようとするとインフレリスクや流通性に問題があります。返済リスクを一切とらない=定期預金という手もあるでしょう。銀行や証券会社がリスクをとった行動を批判しても仕方がありません。市場原理に則って退場してもらえばいいのです(まぁそこまで単純ではないのでしょうけれど)。逆にリスクを取りきれていない邦銀は利益を上げられないという批判と表裏一体です。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

日本食料ブランドがバブルな件

多分であるが、中国の食料品が相対的に忌避されると国産やその他原産地がインフレとなる。当然インフレとは実力を考慮しないバブルなので、ヒトヤマ当てる人たちも群がる。国内の偽装はこれで全て説明がつくのかもしれない。不当に(実力以上に)日本ブランドが高騰すると乗っかる業者が居ても全く不思議では無い事実を公表したこととなる。なので「中国産が危険」というある種のプロパガンタは脱法意識十分な日本人の前では飯の種以外に何もないということを証明した。しかしそんなことは自明で信用ってそんなものじゃないの。

安全意識にコスト(保険)を払うこと、大企業のお墨付きがないと今後は中小及び個人の企業は信用されないと言うことか。もちろん日本の農家・流通も例外で無いことが証明された。信用を裏切ってもペイできる個人・企業は保険が無ければ取引は無理と言うことが証明された。そしてその保険費用は売価に上乗せされる。例外は名声の確立した企業・個人で、企業はともかく個人はそのブランド力が収益源となるのであろう。しかし代が変わればその評判はリセットされるので結局高コスト社会と言うことになる。

企業にとっては民衆の言う「安心」の定義が非常に広範囲だというのも気がかりである。安全は定義できるが安心は定義できないのだ。その上で日本企業は安心を売りにすると予想される、ぶっちゃけ論理など関係無いファンタジーの世界なのだ。

大手日本食品企業はどのような対応をするのか興味ある。大手の強みを生かすなら「絶対安全」がスローガンであろう。絶対は無理でもコストを転嫁できる可能性は高い。コストを転嫁できない企業が没落していけば生き残る可能性も高いと言う物だ。

少し疑問がある。低コスト追求メーカーも安全性を無視しているわけではない。そのメーカー独自の安全性を確立できれば大手が望む完全性と対極に位置できるかもしれない。必要の無いコストは無視するという戦略だ。今回の事件でもそうだが「ブローカー」が存在し、これらから安く仕入れるのは高リスクだということ。それさえ忌避すれば、大手商社からMSDSが添付された商材を加工すれば連帯責任を忌避できるということ。大手食品メーカーは何でも補償する義務があるかもしれないが、中小の企業は材料リスクさえ商社に補償してもらえればその範囲内でコストダウンを図れると言うことであろう。

なので材料起源の保証を加工メーカーは商社(ブローカー)に求めればいいのであって、商社が保証できないのであればその企業とは付き合いをやめればいい、多分それだけの話なのだ。以前食品メーカーの担当者が「牛乳」をいかに安く仕入れたことを自慢されたがそのリスクの代金は誰が払ったのかを聞けばいいということになる。相場で安く仕入れたのならば素直に賞賛するし、安全性の担保ができていなければ今後は相手にしないでいいんじゃないかと。

なので国産と中国産で安全性を議論するには無茶だ。日本人にも悪人は相当数居る。それを「国産だから」というのはあまりにも頭が悪すぎる。もっとも中国の商売の下手っぷりにはもっと驚くが。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

著作権の権利の広さは妥当か

漫画が星作品に類似と指摘 「イキガミ」作者側は反論(共同通信) - goo ニュース

著作権の問題がいろいろなところで顔を出す。中でも遺族の指摘という奴に納得いかなさを感じる。法律ではそうなのであろうが、普通の感覚として違和感を覚えるのだ。

生活維持省は有名な小説であろう、私もピンと来た。新潮文庫の1番目のショートショート集「ボッコちゃん」に載っているからだ。なので遺族も思い入れが強いのであろう。

イキガミは映画の予告編で見た、確かにプロットは星新一の生活維持省と似ているであろう。しかし星の作品はこれを含めてショートショートが大半でそのプロットが似ているといってなんの意味があるのであろう。映画や漫画はプロットに肉付けをして読ませる代物だ。百歩譲って似ていることが問題となったって、作者本人の指摘ではなく、遺族の指摘って、痛い。星の作品のプロットに似ていると強弁すればもっといろいろな作品が指摘できるであろう。

このように作者の死後も保護される著作権の強権さには違和感を感じる。逆に星の作品を肉付けしてストーリー性の高い作品が出てきてもおかしくないからだ。死後50年という長期にわたる権利は異常だ。

知的財産権のひとつである特許権は出願から20年だ。その間は独占的な使用が認められている。特許は20年間独占的に使用できる代わりに公開しなくてはならない。そしてその権利が切れたとき、その公開された技術を自由に用いていいことになっている。また重複した資金の投入を避ける狙いもある。著作も公開が前提なのである一定期間の保護は必要であろう。しかし死後50年である必要は無いのではないか。

こういった無茶な問題がきっかけで、著作権の保護期間の見直しに入って欲しいと思うのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

研究職・技術職の陥る罠

女子高生のスカートは長くなるは、上着を脱いだ就活女子は居なくなるわでさびしいです。なんかギャルの破壊力も落ちているような気がするし。あっ、視線以外はまともです。

私は研究・技術職を続けていて、工場・生産技術・設計とも付き合いがある。亜流な道のりだったけど技術職一本やりだ。ちょっと技術屋の欠点を述べてみる。

(1)社内外の関係に疎い

本社部門、特に営業やお得意様と接する場合は論理だけでは成り立たない場合が多いというかほとんどだ。技術屋としては弊社技術採用企業様にはリスクやコストも理解してもらいたいが弊社の営業が営業トークで「採用は決まった」状態からスタートすると技術屋の論理などへにもならない。新規技術はお客様にとって「一番最初で目立つ」という側面もあるが同時に「実績が無いので何が起こるかわからない(そして高コスト)」という側面もある。いやぁ技術屋は責任を負うことに慣れていないので無邪気に「大丈夫ですか」という問いに固まってしまうのだ。常にヘッジを考えるのが技術屋で社内・上司にも普通にヘッジする、ヘッジ文化なのだ。営業が「リスクを理解せずに勝負をかける」というのに共感できないのだ。ただしそれでも「ぐちゃぐちゃ言わずにOK」という場合もある、これは開発が煮詰まっていれば出来る。これはすごい欠点、私だけ?

クレームが発生した場合、お客様は迷惑を被っているわけで「いいから直せ」というのが半分「補償しろよ(責任は被れよ)」というのが半分。こんなのはお得意様担当者の社内事情を鑑みなくてはならず、誰がどこまで責任を被るかという話になる。おおらかな企業では、面子だけであったりすることもある。面子だけなら幾らでも頭を下げられるがそうで無い(費用が発生する)なら勝手に頭を下げるわけにも行かない。これが微妙。

(2)論理で仕事を進めることのデメリット

仕事を上手く進めるためのツールが「論理」って奴なわけだがそれを理解しない対外部署と付き合うにはデメリットが多い。論理で営業をこてんぱにやっつけても何の生産性も無いからなのだ。特に根性・体育会系営業部長にはデメリットだ。理解されないうえに嫌われるからだ。もちろん論理というツールは技術系には必要不可欠だと思う。脱線するとその典型は統計学で非常に役立つツールではあるし、若い人は積極的に勉強した方がいいと思う。統計学は技術系内での議論には非常に役に立つツールなので必須です。ロジックで説得しても納得できる人が少なければ有害無益。数字好きも困る。論理=数字ではない、なので根拠=数字だと理解している人には論理は全く通用しない。「数字は絶対だ」と確信している人が多いのだけれど、数字なんて見方を変えれば意味は変わるし、普遍性を持たない場合が多いし、統計だって操作は可能。こういう数字大好きには論理的な説得をしてもメリットはない、「ぐちゃぐちゃ言う」というレッテルを貼られるだけだ。なので何かに気付いても何も言わないのが正解ということになる。こんな悪党私だけ?

(3)数字に責任を持たないので理想化しやすい

工場・生産技術は数字に責任を持つので(稼働率とかロス率とか)そんなことはないのであろうが、設計・研究は理想屋が多い、もちろん私も。メリットは大局的に物事を掴むトレーニングをなされている、デメリットは現場の苦労を知らない。自分勝手なアイデアを工場に実行させたりとかは日常茶飯事だし。本社部門とも理想屋が故衝突する。「ロジカルに説明すれば顧客は分かってくれるだろ」みたいに。

こう考えると「技術屋」の言い分というのは逃げ口上なのかもしれない、現場を知らない上営業の作法も知らないわけで。それでも「だから技術屋は役に立たない」というのは悲しい。いろいろな知識はあるのだから。他力本願的だが「引っ張り上げて頂ければ仕事しまっせ」というのが受け入れられないのは分かるが困っている人から歩み寄ろうよというのはちと贅沢か?←だから研究・技術は使えないわけだ。

あーあ、独りよがりなのね、研究・技術屋は。ちょっとだけ心を入れ換えよぅっと。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

税は所得税と消費税のみに単純化できないか

暴論ですが論理思考実験です。税制を議論する際、もう専門家以外は議論できないくらい専門的になっています。そうではなく所得税と消費税に一本化できるのでは無いでしょうか。すべての経済活動に消費税を賦課する、そして所得には個人、法人に関係なく賦課する。個人の場合は累進課税制とする、相続税も一時所得の所得税とする。酒税・揮発油税等は消費税で一本化する。所得税も消費税も一律20%(←この数字は適当です)、控除は一切認めないこれでどうだ!

これで困るのか?

ちょっと考えただけで困るよなぁ。ガソリン消費を抑えるために揮発油税を高く取る必要はありそうだし、道路特定財源もひつようかもしれない。関税に至っては存在すら出来なくなる。では関税・特定財源・税金の支出につながるような物質への個別税金(揮発油・酒・煙草等)は認めるとしよう。

これでもかなりシンプルだ。しかし徴税方法が難しい。全ての経済活動にかかわる消費税の徴収方法の問題だ。手形の決済、銀行振り込みに消費税を適用して税率を下げよう。国民・法人は番号制だ、これで年金が消えることも無い・取りっぱぐれる事も無い。これでどうだ!

全ての経済活動をガラス張りにするにはコストがかからないか?カードや手形、仮想マネーなどに置き換えれば徴税コストが低下し、脱税コストが増大する。逆に言えば現金決裁は無税と言うか脱税となる。ならば現金税だ!現金の流通量を極限まで減らすのだ、マネーの量は変えずに。現金は額面の5割増し程度で流通するまで減らしてしまえ、それが現金税だ。造幣局はカード決裁の監督官庁になるのだ。

うーん、住み難そうな世の中だ。慣れればどうってことないのかなぁ。

突っ込み&建設的な意見よろしくネ!!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

リフレってなんだったのだろう

福井さんのあとの日銀総裁はだれがなっても同じじゃね、といったエントリー(日銀総裁は誰でもいいんじゃない)を上げた。当時日銀は下げる金利は無かったし、リョウテキカンワって奴も効果があったのかはっきりしない。日銀はインフレ馬鹿とか正常な運営好きという噂があり、金利を上げる欲求はあっても下げる気は無い雰囲気がある。景気のためには金利を下げろと言ったって下げる金利が無いのだから喧嘩のしようが無かったのだ(この不景気に金利を上げようと言う与党総裁候補が居るのは泣けるが)。

アメリカはともかく日本は下げる金利が無いのだから景気対策は改革か財政支出しかない。アメリカも公定歩合0%にはなっていないが、FRBは直ぐに下げた。しかし、、、。

金融政策で緩やかな景気をコントロールできると言うのは真実であろう。しかし、サブプライムローン破綻などの荒波を中央銀行がどうにかできると言うのはありえないのであろう。ソフトランディングを目指していたときはバーナンキFRB議長の写真が新聞に載っていたが、ハードランディング不可避になればポールソン財務省長官の写真が新聞に載るようになった。

日本が金融破綻から失われた10年からの復活はフリョーサイケンの処理やアメリカ景気に引っ張られたのであって中央銀行が出来ることは少なかったのであろう。金融危機の際は景気対策を中央銀行がコントロールできると言うのは幻想で、日本でも証明したけど今度のアメリカの危機が証明したのではないか。

中央銀行総裁の発言により期待インフレ醸成できるのは所詮平時であって、平時であれば中央銀行総裁は通常の業務として金利を操作すればいいのであって、理論的に眉唾な面があるリフレを支持する必要が無いという論理的矛盾が内在する。

まぁ日銀は下げる金利がないので何も心配する必要は無いけれど。今回の金融危機がなければ「何時公定歩合を上げてやろう」と目論む必要があったがこれでその心配も全く無くなったわけで(仮に与謝野総裁が誕生しても)。

 

追記というか疑問。どうやって日銀はドルの供給をするのだろう、技術理論がよくわからない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

無駄な支出とはいったいなんなのか

増税や税制を議論する際必ず出てくるのが「無駄な支出を見直す」という言葉。首相や財務相が家計を預かる主婦のように支出の全てを理解してるとでもいうのか?「支出を見直す」という言論は何も言っていないのと同じじゃないのか。

そりゃ無駄な支出は無いほうがいい、無駄と認識した無駄な支出など存在するのか?存在していたとしたらその担当者および上司はとっくに捕まっているはずなのだが。

個々には小さいことを言う向きもあるだろう、しかしそれでも関係者から「そうじゃない」と突っ返されればそれで終わるような程度であると思う。役人の仕事はそこまで粗漏でないと信じるからだ。支出を許可する人も認可した責任があるのでそうそう横車な支出にはんこを押せないと思うのだ。もちろん結果論ではいろいろあるであろう、しかし世の中そこまで単純ではない。仕事をした経験がある人であれば「無駄な支出を抑える」という言論はありえないと思うのだ。ちなみに少数にとって有効ではあるが、大多数の人にとって必要の無い予算を無駄と取ってはいない。無駄は文字通りの無駄を指している。少数にとって有効な予算を無駄だとすれば生活保護や福祉などは全部「無駄」になってしまう。

なので「無駄を削減」というのは、個々の予算削減活動ではありえる話ではあるが予算を組むというおおきな枠組みでは全く意味の無い発言なのだ。チリほども考慮する必要が無い、まぁ馬鹿なのだ。

「無駄を無くせ」というスローガンは全く意味が無い。意味が無いことを発言すると言うのは邪魔なので黙っていて欲しい。それより個々の事例の告発を粛々とすればいい。これはこれで意味無いとは思わない、あくまで政治の方針として「無駄を無くせ」に意味がないのであって、具体的な活動をすればいいのだ。政治的なスローガンとはなりえないことを理解して欲しい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ドラマ雑記

今期のドラマをつれづれなく。個人的感想を述べているのであって、誰かを陥れる気は無いです。クレームがあればさっさとこのエントリーは削除します。

多部ちゃんって美少女というイメージがあったのだけど、例えば南アルプス(by Suntory)とか。まぁいい意味で打ち破ってくれたのかもしれない。

コードブルーはあの布陣でも最初に落ちた。俳優陣のピークが過ぎたのか、脚本・演出に難ありなのか、その両方か。

香里奈の脚が太くて短いことを発見した(多分)。朗報であろう、脚が太くて短くてもモテる技術、そうは見させない技術を提案できるのだから。全く持って香里奈の魅力が落ちたなどという愚見は言わない。いや、魅力が増大したのだ。エビちゃん、ノリカ、米倉みたいに完璧なスタイルをした人も必要だろうけど、そうで無い人が参考にするファッションリーダーは必要だろ。

オダユウジは痛かった。あの人が居なければ、、、もっと。。。

実は今期のベストワンは「ゴンゾウ」(面倒なのでLink無し)ではないかと思っている。ナンセンスコメディが好きなので「正義の味方」「ヤスコとケンジ」も結構好きなのだが。ミステリーを面白く演出できた稀有なドラマだと思う。テレアサが元気だからこんなマイナーなドラマを出来たのだろう、拍手。松本清張スタッフの遊び心なのかしら。

医療問題を単純化しない手法で問題提起したTomorrowも好印象。竹之内豊が男前だし(カンノミホが可愛くなくて感情移入ができなかった)、問題は単純で無いことを十分に表現されていた。

モンペ(モンスターペアレント)はストーリーの展開を重視しすぎて根本のソリューション(問題解決)になんの解も無いのが不満。スーパーな出来事に依存しても一般解では無いと思う。視聴者を引っ張るには米倉がズバズバ解決しても面白く無いであろうからそれでいいのだろうけど、なんか不満。あっ米倉のファッションはgoo。

深キョンも衝撃的なテーマ(ホモ)を内在化している割には話題に上らず残念。出演メンバーも月9よりはと思うんだけど。よく見て無いので突っ込みは避けます。

こうしてみるとNHKのドラマを全く見ていない、だめじゃん。見ればよかったと思うのはあるんだけどねぇ。

次のクールを期待します。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

農水省は冤罪気分ではないか

多分、農水省はなんで怒られているのか理解できないんじゃないかな。感情が通り過ぎるまで大人しくしていよう的に。だから事務次官は「農水省に責任は無い、一義的には業者の問題」という意味の発言をしたし(役所の論理では当然そうなる)、農水相も「健康被害無い」を強調した。あくまで業者の犯罪で農水省は被害者だという認識であろう。

農水トップ2人辞任 汚染米で引責 「責任ない」に首相激怒(産経新聞) - goo ニュース

というのはマスコミの追求は全く論理的で無い上、間違った表現が多いためなのだ。ありもしない健康被害を煽るし、例えば某番組では「一義的には農水省の責任」とか言ってるし。これを聞いた職員が素直に「そうだね」と思うはずも無い。一義的には三笠フーズをはじめとした卸業者の偽装問題ではないか。もちろん突っ込みどころはたくさんある、検査体制が不十分、事故米は一般流通と区別するために着色するのにこれらは着色していなかった、需要が無いのに卸した、など。

こういった犯罪が二度と起こらない様な工夫は必要であろう。事故米には必ず着色するとか、最終処理(最終製品)をした証明書の添付など。「検査は必ず抜き打ちで行う」は意味ある工夫かね?その日に事故米を処理していなかったら意味無いことが100回続くかもしれないのに(事故米の操業度は低いとコメントがあった)。これら農水省の対応は倫理的には問題があるかもしれないが、論理的に問題があったと思えない。結果責任を追求しているだけな気がするのだ。

以前、通産省や大蔵省がギョーセーシドーによるゴソーセンダン方式を批判されて、業界を役所の権限下に置くという政策が非難され、自由化していった歴史がある。さ金融業界は改革が遅れ失われた10年を演出してきたし、化学業界は改革によって成長できた。最近では偽装マンションの設計の安全性許可が下りずにマンション不況を演出してきた。「食」はそうでいいというのかな。まぁそれでもいいのかもしれない。食品業界は利益率が低いので政府はカルテルを奨励するかもしれない。安全性の名の下に食に税を投入し、FTAやGATTから脱退するのもいいのかもしれない。安全性が確認できないので安価な食う物が無くなるかもしれない。まぁそこまでは行き過ぎだとしても。

偽装が起こる度に責められ、その割には対策が議論されない。農水省を釣るし上げて国民・マスコミが満足している構図はキモチワルイ。農水省は対策を述べてもその対策案をよく読みもせず批判が殺到するのが分かっているから「収まるまで静観」という態度が正しいのであろう。やはり茶番だ。

 

今回の騒動でちょっとびっくりしたことがある。おにぎりに事故米がまぎれていたようだが、おにぎりは国産米100%でないという事実がわかった。おにぎりに限らず外食や弁当全ての米も国産米100%表記がなければ疑えということだ。そりゃまぁ国産米100%という表記は無いが、なんとなくその程度は当たり前だろうと思っていたのだが、そうではないということ。表記はきちんと読まないといけないね。あー勉強になった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

お上は完璧

皮肉ではなく、国民の多くは国・役所が完璧だと思っているはずだ。そうでなければ役所の責任と思えないような事柄でも批判される理由が想像つかない。突っ込みどころは多いようではあるが、工業用米が食品に流れたのは米卸の犯罪であり、役所に監督責任があったというには無理がある。そのほかでも餃子問題、年金問題等役所が悪くないとは言わないまでも完全性を求められている。

一方役所の方でも「面子」を重視するところもあるみたいだ。間違いを素直に謝るという印象は全く無く、論理整合性というものを武器に自己の正当性を訴えるきらいがある。

両者ともに「お上は完璧」と思っている。だからちょっとした問題にも両者ともあたふたするのだ。

「お役所仕事」という言葉がある。辞書を引くと形式的で非効率な役所の仕事を非難していう語とある。これはつじつまを合わせること、責任の所在を明確にしないことで失敗の責任を曖昧にすることが理由だと考えられる。これも「お上は完璧」であることを求められているからであろう。

そのわりには庶民は税金を払っていない。私の場合で約8%程度か。控除は多いが年金・健康保険・組合費総額の方が圧倒的に多いのだ。所得を全部消費したと仮定しても消費税を合わせた税負担は11%。もっと税負担が少ない人も多いであろう。完璧さを求めるには税を払って居なさ過ぎるのだ。「完璧なお上」とは非常に高コストで官僚さんたちは深夜残業が多く、その手当ても少ないと聞く。医療・福祉・教育の現場は疲弊しているとも。

話が逸れた。ムラの相互監視があった時代とは違い、自由を謳歌している現代人は犯罪を行う自由もある。その自由の時代で国が犯罪をコントロールするのは困難になってきた。犯罪者には捕まったあかつきにはたっぷり損害賠償を請求するしか方法がないのであろう。アメリカが訴訟社会というがこれは自由に対するコストであろう。弁護士などという非生産的な職業人が高給を得るということは高コスト社会なのだ。シガラミを捨て自由になれば高コストを受け入れるのだ。またコスト=リスクでもある、自由は犯罪リスクが高いのだ**

ムラ社会の相互監視システムとは「お上」システムそのものであり、それを否定しつつ「お上」の完全性を求め、さらに税(コスト)を払う気がないというのはどうにも矛盾していると思うのだ。

例えば医薬化粧品業界では許認可性で個人で自由に販売することが事実上出来ない。それを許認可する役所、監視する役所があるのだ。さらにそういった関係役所と交渉する窓口として業界団体というやつがある。これらのコストは全部税金と商品の値段に反映されている。食品業界だって許認可は無いものの様々な団体があり、それでもしょっちゅう公正取引委員会から問題を指摘されたりしている。こういったシステムを全ての産業に適応させるのはとても現実的ではないと思うのだ。健康に直結する医薬化粧品食品業界はこのシステムでいいと思うが。この答えは大手メーカーの方が危険な商品を作る、添加物は危険だという妄想を抱く人を税金と業界で救っているのだ。それすら不必要だと言う議論には首を垂れるしかないが。

私は小さな政府主義者なので役所の過剰サービスは止めて欲しいと思っている。でもその線引き具合は非常に難しいので、まずは「役所に完璧を期待するのはやめようよ」と主張する。

税/(給与所得-控除)

**ムラ社会では相互監視システムが村八分を恐れ横車を非難される率や法を犯した際に捕まる率が高いと仮定している。犯罪は経済的に豊かであるかどうかの方が寄与度が高そうなので「昔は犯罪が少なかった」などと言う気は毛頭無い。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ハイギアード?

クルマの批評ギア比に言及することがあり、そこで使われる句に「ギア比が高い」というものがある。分かりにくい表現だよね。

というのも、クルマの場合、エンジンの回転数>車輪の回転数が基本なので、ギアはそもそも減速しているのだ。常識的に考えれば「ギア比が高い」とは減速度が高いと言うことになるので、クルマが同じスピードであればエンジンは高い回転数を得るギアと言うことになる。

(最終ギア比を無視し)公式の準拠を説明すると「エンジンの回転数」=「車輪の回転数」が1:1ということになり、通常これは4速だ。なのでギア比が高い(ハイギやードな)車種は同じ速度でも回転数が高い事を意味し、1速がローギヤードであればギア比が低い→発進しにくいということになり、(4速が1.0で固定であれば)1速→2速がクロスミッション化しているということを意味する。クロスミッションと言うのは1速→2速の段差が少ないこと。

ところが一般的な見解というか記事や意見では、「高いギア」と「ギア比」が混同されているように思えるのだ。高いギヤというと4、5速のことをイメージするのは仕方が無いとして(ローギアと言えば1速、ハイギアと言えば5速)、ハイギアードといえば減速度が高いと思うのだがそうでも無いらしいというのがちょっとちょっとちょっと状態なのだ。

低いギアというのが発進用の1速で、高い減速比を持つハイギアードなギア選択なのだけれど、同様に4速は等速、5速はOD(オーバードライブ)で減速比が1を切る。減速していないのだからローギアードなのだが。

自動車雑誌は自動車を巡る環境も論じるようになった、それで定義が不明な語彙を用いるのはよく無いような気がする。というか書いている本人が理解していないのは明確なのだ。私が理系だから、機械系なのだからなのかもしれないが定義をすっきりした論調を頼むよ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ