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上を見る中間管理職はなぜ生まれるか

以前、昇進するとその能力をこなせないからその地位に留まる=伸びていく人以外は全員力不足だと言う論を聞いたことがある。能力的に頭打ちの地位に居ざるをえないとか。そうであれば中間管理職がいわゆる「上しか見てない」というのは合理的だ。ポジションを守ることに汲々とするのか、上司にゴマを擦って見捨てられないようにするかだからだ。なので上しか見ていない中間管理職は後者ということになる。

またプレイヤーで有能な人間も責任を上司に負わせているから、有能なプレイヤーであって、責任を負う立場・管理の仕事が得意とは限らない。多くの場合、エリートだと自負している人間は「自分が課長になったら」という点をシミュレーションしてみているであろうから日々トレーニングをしているであろうが、凡人は違うだろうから戸惑うことも多いであろう。その結果、上しか見ないということになるのかなぁ。

「上しか見ない」人はその人の性格の部分も多少有るのであろうが、その上司の性格の方が寄与度は高いであろう。部下である課長から説得されるのを嫌う部長とか、自分の論理的に説明できない感性を重視する人(それを単純に悪いとは思わないが)とか。その手の上司には「はいはい」と聞いておくのが楽なのでそうならざるを得ない。そしてその下の部下が泣く羽目になる。それもその上の上司の責任なのだ。

「あの課長は上しか見ない」と批判する向きがある。しかし、批判されなくてはならないのは課長にそういう行動を取らせる部長なのだ。部長と言うのは細かく仕事の進め方を知っているわけではない、リソースの配置などもっと戦略的なことの方が重要だ、それを「社長に説明できない」とか「リスクを負いたくない」という理由で自分の自己満足のために部下をこき使ってもいい仕事は出来るはずがない。

課長さんはとかく疲れている。我侭(馬鹿)な上司に振り回されてることもあろう、知識の無い上司に振り回されていることもあろう、成果を見えるようにしろという無茶な要求も断れない。当然、部長が同様の悩みを社長に感じているかもしれない。

経済学的に考えると人は常に「合理的に」動くそうだ。もちろん客観的にはおかしくてもその人にとってそういう行動を取らざるをえないことだそうだ。なので組織が上手く回らない理由をその中間管理職である課長の性格に求めるのはちょっと抵抗がある。彼なりに合理的に動いているのだ、その結果が「上しか見てない」ということになる。それを許す上司(部長)にも当然問題はあるし、それを許す社長にも問題があると言わざるを得ない。

嫌いな課長もそういう点で評価できないかなぁ。

 

だから官僚や一流企業は天下り制度で能力のない管理職を退場させる仕組みがあるのかも、というかそうであろう。

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景気の行方

一時1ドル90円程度になったようだが、円高差益キャンペーンが行われるなど消費意欲は衰えていない気がする。サラリーマンは賞与はともかく、給与は下がらないわけで「円高はお得」程度の感覚。海外旅行に行きたいし。株が下がっているから高級品の消費は控えられるであろうが、実需は関係ない気がする。

不動産も下がっているというが、5千万円以上の家など普通のサラリーマンには手の出ない物件であり、やはり高給品が落ちているだけであろう。おまけに原油60ドルまで下がっているので2重に効く。庶民には先行き不安定はあんまり関係ないので直近の価格が下がれば買いに走るのだ。おまけに日本は「地デジ」という時限爆弾を仕掛けてあるので景気が悪くなると言うのはいまいち実感が湧かないのだ。もちろん高級品の売り上げが落ちて、平均単価は下がるかもしれない、しかし高級品は高級品専門メーカーの取り扱いなのでクルマなどを除けば一般のメーカーには影響がないかもしれない。

追加経済対策、給付金2兆円など柱に事業規模26.9兆円(トムソンロイター) - goo ニュース

そんななか、なんだかなぁ、埋蔵金をばら撒き。2兆円の実弾を初め、住宅ローン減税、そして高速道路通行料の減額。GDPの半分以上は国内なので国内景気対策は分かるんだけど、とほほ感がある。まぁ個人的にはガソリンの消費=景気対策みたいになっているので、環境とは道楽だった感たっぷりだ。

冒頭で述べたようにサラリーマンは賞与以外は景気減速感が少ない、なので企業が給料・配当をたくさん払うインセンティブがあれば国内景気は向上するのではないか。日本企業海外現地法人がその国で納税したら利益を日本に持ち込んでも追徴税が発生しないとか(←tax hellになるかも)。そうすれば配当もいっぱい払えるし、株価も上がる。配当利回りがよくするためには長期的・持続的な成長が求められるので人材の争奪戦が始まり、給与が上がる。

現在のサラリーマンはデフレ下で給料が上がらないことに慣れているので、がんばって上を目指す、企業の本質は付加価値の創造という根本を忘れているのではという疑問がある。意識改革のためには上級職の給料を上げなくてはならないのだ。失われた10年では組合への説明として組合員以上に非組合員の給料を下げた。これでは誰も上を目指さなくなる。組合員ではなく部課長の給料を上げて競争を促すのだ。

どうせ今回の景気対策は1発こっきり、2兆円の実弾は消費したら終わりだし、あとは中小企業限定の融資対策なので新銀行東京を全国規模でやるのかということになる、そうであれば石原都知事は責任を追及されなくてよかったね、みたいな。

 

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人身事故の対応がすばらしい件、JR!

不幸にも、アホみたいに一昨日、昨日と連日で人身事故の遅れに巻き込まれた。前者は横浜線の踏切事故に巻き込まれ1時間遅れた。後者は相生駅で人身事故が合ったらしく直通電車が遅れていた、指定席が混乱していたので自由席で。もっとも新大阪発のは遅れなし。標題の件、東と東海をごっちゃにして論じるがまぁそこは許して。

どちらも乗客の誘導は完璧であった、乗客の誘導のキモをJR東が勉強したのであろう。ではキモは何かというと「見通し」と「アクセス」に尽きる。鉄道会社に分からないこともある。しかし「人身事故」と「線路侵入」では乗客も復帰時間にイメージがつくし、その程度の情報は最近は完璧だ。

問題は人身事故であろう。復帰の目途がたたないのは分かる、でも情報を流すことによって「関東」では迂回路が得かそのまま待つのが得かという点で乗客は合理的な選択が出来るのだ。もっとも帰りの混雑限定であろうが。

実はマニアックな点であるが、横浜線の事故は古淵~淵野辺間の踏み切りで起きた。そして町田~東神奈川で折返し運転をしたという点で賞賛すべきであろう。

横浜線は北では八王子~橋本間で相模線の乗り入れ実績があり、東神奈川~大船でも乗り入れ実績がある、そして途中駅での発着駅は町田・橋本というのがある。この運用がフレキシブルな運用を可能としたのかもしれないが、情報発信と運用は拍手だ。関係者を賞賛したい。

 

いろいろな回避策があるのだよ、路線図を見れば分かる。

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何故、都立墨東病院事件被害者配偶者がコメントをするのが分からない件

痛ましいのか、そうでないのか分からないままに論じる。妊婦が都立墨東病院で搬送先が決まらず、赤ちゃんは無事生まれたが妊婦が不幸にも亡くなった事件のこと。冒頭の表現は速やかに医療処置をしていたら助かるのかが分からないのでそういう表現をした、遺族をくさす意図が無いことを表明しておく。

事件の経過はある程度報道で理解できるところであろう、痛いのは政府関係者が、医師の職業選択の自由を無視したかのような対策案が非現実的と言うか、時間がかかること。そりゃそうだ、「医師が足りない」のは大学の定員を絞ったのと、同時に開業した方が得だというインセンティブをアピールした、そして勤務医を冷遇した結果だろうから。それをひっくり返すのはとても難しい。今から医者を供給過多にしても間に合わない、そして供給過多にする気が無いのは痛い。別に医師のトレーニングを積んだ人間が薬品に進んでも問題ないように、競争を仕掛けてもいいのでは?国家試験を受かった人間を全員国家で養う必要は無いように思う。もちろん養成費用がかかるであろうからそう簡単では無いと思うが。いい意味での競争原理を用いればいいんじゃない?

話を戻すと、何故被害者遺族が毒にも薬にもならない発表をしたのであろう。それが疑問だ。顔は出なかったが、知人は分かるであろう。

そこに国家権力を感じる。もちろん彼はそれを拒否する権限はあったであろう、でも第二の被害者を望んでいないのは事実であるわけだ。そこにつけ込んだ気がするのだ。このときばかりはことがことだけに「いやらしさ」を感じる。

そこでかっとんだ結論なのだが彼は何故記者会見に接したのかが分からない。多分彼には出る理由が有ったと考える、でもそれがなにかが分からない。

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多角的に物事をみるには

以前、「イライラしない方法」を論じた。その続きと言うか自分への叱責。

仕事を進める上で自分の論理でグイグイ進めてしまうと、周りがついてきているか確認しながら進めないと失敗する、まぁ失敗までは行かなくても、もっと遣りようがあったと思うことが多々ある。そこで噛み締める格言が「次工程はお客様」というもの。あとは「顧客視点で考える」などか。

これらの格言は自分の論理で仕事を進めてはいけないというもの。分かっちゃいるけど難しい。仕事の依頼を受けたとき「どのように進めれば効率的か」ということを考える、そのためのロジックを瞬時のうちに考え、自分が有利に仕事が進められるように仕事の展開を予想するのだ。しかし、凡人の私は瞬時に顧客第一主義的な思考までは及ばず、というより自分の仕事だけでも瞬時に深くまでは思い至らない。しかも結構きつい口ぶりで自論理を展開すること多数。←嫌な奴なんだこれが

まぁそこで忙し過ぎたらそのままイケイケで行ったのかもしれないが、多少の余裕があるので、一応ロジックを見つめなおすことにしている。後輩に相談するわけだ。後輩と話すことにより色々な視点のキーワードを貰い、自分の発言に対して咀嚼する機会も同時に得る。その過程で「こうした方がいいかも」という点がまぁわんさか出てくるのだ。

ここで私はこれを暴露することにしている。「失点」というのを勘定に入れられない土壌にあるからなのだろうけど、素直に訂正、路線変更を申し出る。こう書くといい人みたいに思われるかもしれないが嫌な奴が少し挽回するに過ぎない。そもそも「他人にどう思われているか」ということに余り頓着が無いので勉強できないのだ。

話を戻すと、仕事の進め方は誰かが決めなくてはならないので、その張本人である自分が決める。その論理や配慮は必ずしも依頼者や次工程の満足する物とは限らない。そこで冷却期間に考えて、依頼者や次工程にそぐわない論理展開であると気付けば修正を厭わないことだ。多少のコストよりも関係者の総意の方が重要なのはよくあること。ただし依頼者が依頼内容の本質を分からずに丸投げしてるようなときは、依頼者に黙って(次工程と結託して)自分に都合のいいように進める事は多々ある。

もちろん修正にはコストがかかる、コストとは納期であることが多い。依頼者も次工程者もその論理に(不満ながらも)一度は同意しているわけで、論理の不備というよりも納期重視の方が多いのも事実。

まとめると、仕事の上では即答して方針をまとめる事は多い。後でゆっくりとでも関係者全員が幸せになれるかという点で吟味した方がいい。そのためには頭を冷やして周りに話を聞いてもらい、そして違う進め方の方が正しそうであったらそれを謝罪と共に告白すべきだ。案外悪口は言われないものだ。というか頑固者の方が悪口は多い、自説が完璧だと思い込む=頑固ですぞ。

年をとるとこういった「人の意見を聞く」というのが出来なくなるらしい(単純な感想)。自分のキャリアを否定されてると思うのかなぁ、そもそも議論が出来ないという人も居た。議論をする=自分を否定されてる、みたいな。

僕個人の経験で言えばそれは違う、最適を目指す先輩を見ていて思ったことをつらつらと。

 

部署内で顧客視点や次工程はお客様とやると、上司に阿る痛い人になるので注意。また本当の顧客は顧客な訳で、本当の顧客をないがしろにした社内顧客主義はいただけません。

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スパイシーなフレグランスはカレー臭い件

今年の男性向けフレグランスの流行は「スパイシー」なのだそうだ。ではスパイシーとはなにかというと、ずばりスパイス(香辛料)なのだ。

カレー粉を作ったことがある人なら、クミンとかコリアンダーとかの匂いを嗅いだ事があるであろう、まさにそんな匂い。

カレー臭いというのは言いすぎだけどカレーを連想する匂いなのであった。

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産経の釣りに反応しとく件

産経新聞のぶら下がり記者の応酬の件がなんか熱い。今回は「ホテルのバーは安い?」。

これってネタだよなと思ったのは前回。ここまで行けば釣りだよね、読めてないというか頭が悪い振りして悪ふざけもここにきたりという感じ。当然、釣った結果は「麻生は偉い」という点にあるわけであり、ちょっとここまで書くと嫌味な感じ。

釣られエントリーなので何故不快に思ったかを馬鹿みたいに論じてみる。

まず、「産経記者」が「国家要人」と同一の視点で見ていること。大手マスコミの記者は一流大学を出て、給料も高く、一般人とは違うというアピールをしていること。その記者の可処分所得がどれくらいでどの程度の店に出入りをしているかの背景を明らかにぼやかしている、庶民を偽装しているわけだ。その証拠にわざわざ「コンビニで千円の傘」を購入していることを告白している。庶民はコンビニで千円の傘など買わないのだ。というか売ってるのだろうか。

そして頭が良い筈の新聞記者が費用効果を全く考慮していないのは痛い。無理に腐しているのであろうが逆効果だと思う。麻生氏の評判は落ちもせず、上がりもせず、産経社員全員の常識を疑うに十分という結果だ。割と産経を好きなグループって居ると思うのだけどこの記事はかなり破壊力がある。恥ずかしくて「産経って結構好きです」とは言えなくなるもんね。

高い商品が置いてある店は高級で無駄遣いだと言うロジックも首を傾げざるを得ない。庶民的な店であるイトーヨーカドーグループのアリオの一番値段が高い商品が百万円を超えてもおかしく無いし、記者の日常使う店には31万円以上の商品が置いていないと言うのであろうか。記者はデパートで買い物をした経験がないということになる。新聞記者でデパートで買い物をしたことが無い人ってどれくらいいるのだろうか。ダメ具合が突き抜けていて興味深い。

ここで気付いたのだが産経はなんのためにこの記事をかいたのかということ。ダメなのは一見して分かる。それども書いた理由があるはずだ。

この記事は①産経の記者は単純な正義を疑わない(=頭が悪い)、②産経記者は庶民のフリをしている(=少なくとも傘を忘れても平気な程度のお金持ち)、③産経は首相がホテルを利用している意義を説いている(隣の席は遠いとか、個室があることを宣伝している)、④産経の記者は体を張っている(ホテル巡りの後にバーに行って傘を忘れた)。まぁこんなところか。

で産経新聞社は読者、Netで見ている人にとってその意図は成功したのであろうか?やっぱ無理じゃないの。

会社の金で飲めてよかったね。

記者が取材したホテルのばーでのコニャックのボトルの値段

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消費者行政というプロパガンタの件

消費者庁というか消費者重視の政策は論理性が無く、「不安」を高コストで対処してきた歴史がある。例えば公害問題発生時点では有意義であったが、いたずらに不安視することによりダイオキシンを槍玉に挙げた挙句だんまりをきめこんだとか、最近は性質が悪い案件しかない。

環境問題は取り返しがつかない案件という点もあり不必要に心配しがちだ、当然高コスト。ダイオキシンもカネミ油症問題の延長線で述べられている、で環境屋(科学知識がないか、知っていて知らん振りでの活動家)が煽っている。環境ホルモン問題(下等生物[貝など]では症例はある)も高等生物である人間に重大な影響を与えるとは思えないが大騒ぎをして、、、何も出てこない。

許せないのが「ダイオキシン問題で大気が清浄化した」という主張。1990年までにゴミ処理プラントの排気基準を大幅に厳格化し、大気がきれいになったのに「ダイオキシンでさらにキレイになった」という主張には眩暈を誘う。目的と関係ない副産物を「我々の運動の成果」というならば当時設備投資された金を払えというものだ。ちなみにテレビ朝日が狭山のダイオキシンを報道したのは1999年のこと。そのおかげで確かにゴミ処理場の排気はきれいになったのだがその必要性は論じられない。というのは1990年までにすごくキレイになったからなのだ。

話を戻すと消費者行政はとある団体の意向を伺う程度しかなく、反論を吟味できないということ。なので凍結(←応用的調理のうえで)こんにゃくゼリーで幼児の死者が出るとおどおどする。おどおどというのは論理的な対応で無い政治的な手法と言うこと。今回不幸にもパンを詰まらせて死者が出たがその論理だと「パン」を禁止するしかありえないのだ。しかしパンを禁止する事は当然出来ない、社会的な影響が大きいからだ。ということはこんにゃくは社会的な影響が小さいので抹殺したというのどういであろう。これが消費者行政というのであれば大臣が「米食って氏ね」というとこだろう、そしてその後の判断を見たい。

日本はたださえ許認可や省令が多く、起業する際も法律関係が分からないと事実上門前払いをしている。これ以上のギョウセイシドーが必要なのかわからない。しかもそこに論理が無いとすれば、、、。自民党万歳、郵政復活組万歳。

ソース

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サブプライムローンは日本が原因らしい件

日本はいい国だ、大手のサラリーマンはデフレ下で賃金カットは余り無く(ボーナスぐらいは下がったかもしれないが)、低金利で過ごせた。収入は上がらなかったが物価が下がっていったので(特に家電・IT)、購買力に不満は無くという状態を過ごした。資産バブルも緩やかだったので、誰もが大損することなく過ごせた。一方、アイスランドなどの国では金利の安い円建てで住宅ローンを組んでいる人が多いらしくこの円高で負債が倍になったらしい(円・アイスランドクローネの為替は半分になったらしい)。

その日本人がエンジョイした低金利がサブプライムローンの供給元という論調がある、そして分かりやすい。

プロットはこうだ。①円が低利、②海外法人が円を借りて円を売る、③円安、海外法人はバブルを演出し貸しまくる、そしてその間日本の輸出企業は復活、④バブルが破綻、⑤収益・損益確定の動き、⑥海外法人が円を買い円を返す、円高←今ここ。

そっか、米国の土地バブルの資金供給源が日本だったとは。それがおおもとにあればグリーンスパン氏が金利を上げて市場の過熱を抑えたとしてもどうだか、という理論は理解しやすい。バブルがはじけるまでは神様のような扱いであったグリーンスパン氏もかたなしだ、ボルカー氏も最近は喧嘩売っているようだし。(個人的にはボルカー氏は愛妻家でそれはそれで尊敬するけど男前好きな私はバーナンキ氏だね←仕事で判断していない{笑})

資金とは信用創造で金は増える、しかし実体が無いバブル下では元に戻ることもあるのは日本人の共通概念。株も土地も無制限にあがるわけが無いということで。上がることを見越した投資はいつか焦げ付くのも当然の帰結。

結局は実体経済に基づく株価に落ち着くのが素直なのかも。もっとも実体経済と証券業界が無関係なわけではないので実体経済に悪影響を及ぼすのであろうが。例えば配当の金額から実質利回りで株価が決まるのが自然だろうし、配当が伴わない株価は個々のバブル状態かもしれない。今現在配当利回りがいい株が次期でいい結果を残せるのかは分からないが、それを見越して投資するのはいいのかも。

結局配当利回りで株価をウオッチングするのが正当なのだということなのかも。まぁいあゆる王道は常に正しいと、、、とほほ。

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珍説「プライバシーは有価にしたら」

ゴミだしのルール不徹底やら人口密度が増加している都市部では従来以上のマナー確立が求められて不思議ではない。でも昔ながらのご近所さんとの濃厚な付き合いがなくなり、都市部に人が流入してきて、「自分勝手」様様という点があるのだ。それでも従来型の濃厚な地縁主義は嫌なわけで、要は自分勝手野放し状態。

従来のムラ社会は行動がガラス張りであった、良いか悪いかではなく。自治とは基本的にはそのようなものであり、それゆえの拘束力が良くも悪くも特徴であろう。行動のガラス張り度合いは安全とプライバシーの差分であろう。プライバシー信奉者は治安軽視主義者とも言えるかもしれない。

モラルやマナーといった(一見)誰からも強制されないような機構は実は存在しない(強制力が無いため効果が乏しい)、強制力や利得があるからこそマナーとやらを守るのだ。そしてマナーやモラルを守らせる強制力は評判なのだ、そして評判を害した輩は退出するよう圧迫を受ける。このような機序が無ければ住み易い環境を手に入れるのは無理であろう。そして評判をコントロールしたりペナルティは嫌だと言う都合の良い概念が「プライバシー」という奴だ。

私だって秘密はある、知られたくない事実も多少ある。それでも生活環境を脅かすことに手を貸すほどではない。どちらが上位概念かを考えたら私であれば地域の防犯やそれを補うコストを挙げる。しかし評価を晒したくない人が居るのも事実。そしてその概念は犯罪を誘発し、彼らはその賠償責任を負わない。マンションの管理組合は全員参加型なので隣人達とコミュニケーションをとったほうが得なのだ。上下左右の家の事情と「お互い様」でやっていけると思うのだ(多分)。

ワンルームマンションでは隣近所との付き合いが無いため空き巣犯と隣人の差はつかないし、「住民の友人です」と言えばまぁやり放題でしょう。その対策としてはお互いの住民が自治意識を持つということであり、忌み嫌った「田舎スタイル」を指向することである。だったらプライバシー権の値段は安い。

プライバシーってすごく重要な権利だと言うことを主張する輩が居るけど、権利が非常に曖昧な上、実被害に対しては下位概念であるはずなのだから、ぶっちゃけどうでもいいのだ。だって心の問題だもの。だったらプライバシーの値段を決めたらすっきりする。その値段が高過ぎたらその家からさっさと出て行くとか、自由があるのだからそれでいいのだ。防犯よりもプライバシーが重要だと言う人も居るであろう。彼らはそのように行動すればいい。

結局プライバシーという概念は無料(負荷が発生しなければ)ならば誰もが欲すると思う。でも社会的には矛盾をはらんでいると思う。そういうことなのでプライバシーとやらを主張するにはかなりの社会コストを払う必要があると思うのだがそうでないところが痛い。コストは払わないが権利は主張するということは「犯罪者の卵」なのかと思うのだ。地域の安全とそのコスをどう考えてるのか。多分自分のことばかり考えていると思われる、もしくは犯罪を無視した性善説で論理構築するのではないか。どっちにしても現実的でない論理で自分自身で納得させてるのであろう。

こっから本題。でグーグルストリートビューとかでも議論があるようだけど、結局守りたいプライバシーは幾らなんだろう?脱税幇助やちょっとした個人的欲求を満たすだけの価値あるプライバシーよりも国民ID制にしとけば年金問題の多くや、個人事業主の脱税は防げたのに。そこまで重要なのかプライバシーって。フリーライドの典型という気がする、プライバシー論者は。我がマンションにも防犯カメラが付いているのだがプライバシーを盾に閲覧条件をくどくど言う人も居る。それでは犯罪抑止力にならないではないか。矛盾と言うか自家撞着だろそれは。

これを解決するにはプライバシーを有料にすればいいと思う。例えば徴税・自動車免許・健康保険・国民年金を国民ID制にする。当然徴収漏れや毀損といった問題もなくなる。防犯カメラは随時閲覧可能、記録は基本的にオープン。それが嫌であればその記録の削除を有価(実費)で行えばいい。ストーカーが悪用する?普通の人はそんな心配は必要ない、誰が見ず知らずの人間を監視しようと思うのか、ストーカー対策は「有価」で処理できる。

これを住みにくいと思うのはいわゆる「ムラ社会」を嫌がる方達であろう。監視されているような気がして心が詰まるとか。でもそのおかげで犯罪が防げてたりするわけで。

実はもうちょっと別な視点で見ていたりもする。公共のマナーという奴だ。マナーはそれを守るという善意で成り立っているが、自分さえ良ければと決め込めば「マナー」という概念は存在しない。そしてプライバシーはこの「マナー」を軽視していると思われても仕方が無い機序なのだ。知らない人同士なので「あいつ誰?」という批判の目にもだから無神経で居られる。酔っておイタをする方よりもどうしようもないのが「朝自分勝手な行動を出来る人」なのだ。彼らを晒すのは悪いことなのか?マナーは徐々に覚えていく性質でもあり難しいのではあるが。満員電車でインテリ風の男性が所定幅以上に足を開いて座ったり、荷物を他人に配慮できなかったりするのを見ると知性ではなく、いやインテリはそのデメリットを計量化できるのでマナーを守るインセンティブが無いことを理解しているであろう。そうマナーはインテリにとって無効なのだ。

インテリほどマナーが守られないロジックが存在する。ちょっと良く分からないのはバッジを付けている事。写真を撮ってネットで晒せばと思うのだが。そこでまたしてもプライバシーという奴がマナー向上に逆のインセンティブとして存在するのだ。

プライバシーは脱税とか犯罪に利用され、マナーの向上には役に立たず、(個人的には理解できるが)社会的にはなんの役にもたたない。犯罪の巣窟だとも言える。であればプライバシーは金を払うとかかなり限定された下級権利として処理すべきではないか。

 

あのカメラ位置は確かにおかしい、通常の歩行者目線ならこれほどまでに叩かれなかった気がするが。

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珍説「米首脳は男前だから景気は回復する」

母親が株の暴落で損したとぼやいてた。日本がバブル崩壊後徐々にやった政策を全部やれと。そして米議会が金融保護法案を否決したのに愚痴をたらたらたら。

そのとき共通したのが、「バーナンキFRB議長は男前だね、学者然した抑えめな語り方も好印象」「ポールソン財務長官も男前だね、アグリッシブなしゃべり方にパワーを感じる」といった下らないこと。

だからどうだと言うわけではないが溺れる者は藁をも掴むのであった。

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民生用にバイオプラを採用した件

資生堂がバイオマスプラに切り替えるとのこと、純粋に応援する。くどいようだが環境問題はゴミ処理がまずあってその呪縛から逃れられないという認識を持っていたがこれは違う。グリーンプラは「生分解性」を重視していたがバイオマス(カーボンニュートラル)に舵を切った、その結果がバイオマス由来のポリエチレンだ。それを認めさせたという意味で重要であろう。今までは産業用途はともかく、一般消費品目までゴミ処理問題の延長線上でむりやり生分解性を進めてきたからだ。

おさらいすると農業分野や土木分野で使用されるプラスティックシートは生分解性であることが望ましい。使った後の処理を考えると当然だ。土嚢の袋などが典型的であろう。ところが一般消費者が出すプラゴミに生分解性を望むのは論理的に無理があった、別にコンポストで処理するわけではないし。その現実的な解がバイオマス由来のポリエチレンということであろう。

さらにおさらいすると、グリーンプラはそもそも生分解性であった。石油由来でも生分解性であればグリーンプラであった。理由は上述の通り。しかし昨今の温暖化ガス排出削減の流れを受けてカーボンニュートラル、バイオマスプラの促進が求められている。それを受けてやっと団体は50%以上のバイオマスプラも認めることになった。

では問題が無いかというとそうでもない。記事では糖蜜(砂糖精製の廃液)を使用するとのことであったがそれもラム酒の原料なのだ。またブラジルでの砂糖生産はアマゾンを切り開くという面も否定できず、砂糖の価格と糖蜜の価格が折り合えば無制限にアマゾンを切り開くということになるらしい。まぁある程度で砂糖の価格が折り合えば乱開発は落ち着くであろうが。しかし、開発が落ち着けばバイオプラが普及しないのと同意であり自然環境破壊と表裏一体という矛盾というか現実がある。コストも石油価格に影響されるわけで、石油が安いとペイできない。石油が高いという事は石油の消費圧力が高いという意味であり、それはそれで環境的には許容したくない。石油の消費圧力が高いと石油の値段が上がり、バイオプラの生産圧力も高まる、バイオプラの生産圧力が高まるとサトウキビの価格が上がるが、砂糖の消費は限界があるのでそこまで単純では無いであろうが、サトウキビの生産が高まることになる。そしてアマゾンの違法伐採の圧力も高まる。石油が高くなれば砂糖そのものをバイオ燃料・バイオプラに用いるインセンティブは生じる。そしてそれはアマゾンの違法伐採へのインセンティブと同意なのだ。同様に東南アジアでも、バイオディーゼル燃料の価格が折り合えばジャングルを伐採し、パームを生産することになるであろう。

バイオプラ・バイオ燃料が発展するには石油消費が旺盛でなければならない・その供給元は熱帯雨林を伐採するという矛盾を抱えていることである。なので昨今の不景気は石油需要が低減し、石油価格・生産量が下がるということ、消費が下がっているので究極のエコなのだ。無理して砂糖をプラスティックにするよりも、世界が不景気な方が石油消費量は下がる。

ということは環境問題はどうでもいいと言わざるを得ない。景気が下がって投資が冷えれば環境に優しい。温暖化はバイオ燃料・バイオプラよりも景気の方が寄与度が高い。そこから得られる結論は温暖化対策に本質的な意味はあるのかという疑問だ。

とはいえ理想的でないからという理由でくさす気も無い。冒頭に記したように大いに普及して欲しいものだ。出来ることからやるというのは悪くない。

 

団体名まで変わってしまった。グリーンプラ協会から日本バイオプラスチック協会へ。変わるまでは頭が固かったがいったん変わるとなると協会名まで変えてしまった、変わり身が早い。

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ノーベル物理学賞の舞台裏

NBonlineで「日本にノーベル賞が来た理由」という秀逸な記事があった。ノーベル賞は平和賞、経済学賞(スウェーデン銀行賞)は政治に引っ張られるであろうは折込済みであったが物理学賞まで政治的なメッセージがあるというのがびっくりした。

ノーベル賞に表彰されなかったら偉大な科学者ではないといったことにはならないであろうから、「あの人が受賞してこの人が受賞しないのはおかしい」というのは的外れなのは分かる。それでも受賞者への仁義や国家予算への配慮(及びメッセージ)が背景にあるというこの記事は秀逸であった。続編も面白かったのでお勧めします。

もっともコメント欄に物理学者の反論もあったりするので鵜呑みはまずいと思いますが。

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個人情報を盗み見られている

プライバシーという概念を強調するのは嫌いなのだがこれは酷い。面白いのでLink記事を読んでみてください。

行動ターゲティング広告はどこまで許されるのか」記事ではブラウザのバグを用いてパソコンの閲覧行動を追跡するとか。一度見たLinkは色が変わっているがアレを読むらしい。さらに酷いのは「携帯電話の固体識別番号を用いた行動追跡」だ。これはワンクリック詐欺を用いる手段であろう。

そういえば魅力的な広告でも、あとからたくさんのうざい広告が飛んできても困るし「金払え」と出るのも億劫。なので広告はほとんど見たことが無い、嫌い。なんとなく広告サイトをクリックすると悪いイメージしか無いので見ないのだが、これは広告業界が損をしているのではないか。広告を見るのが苦痛でなければ魅力ある頁に行ってみたいのは事実、しかし現実は後から面倒なことに巻き込まれたくないので、メアドを教えるのはもってのほかだし、クリックすらしないのだ。

こういうインフラ状況では結局、広告が萎縮し、誰も広告を見なくなる。「プライバシー覗き見反対」と訴えても何の効力もないので自衛が必要となる。結局、広告は見ないという自衛が働く。

このblogはその意味で広告は一切無い。Linkもその手の営業的なのは入れていない(たまに商品を説明するのにアマゾンを入れているが)、アフェリエイトもない。

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Think,新区名

相模原市が政令指定都市を目指し、区割り案を発表した、その区名案を募集しているのが標題の「Think, 新区名 いっしょに考えよう」なのだ。4区案もあったのだが旧津久井郡の人口がすくなすぎるということで橋本と合体。区名はもめるのかなぁ。

旧大宮市(さいたま市)に住んでいたこともあるのだが、合併の際の泥仕合はすさまじかった。市名も揉めたし、区名も揉めた、大宮ナンバーは現役だし、浦和レッズもあるし。そもそも「さいたま」はあの辺の地名ではないし、ひらがな市名は民度を表している気がして不快。あれだったら「浦和市(大宮市)」でよかったと思った人も多かったのではないか。あぁださいたま。また区名も旧市名の大宮区、浦和区、岩槻区を除くと地名のイメージが無い、見沼区は地名だ位置が違うような気が。。。その他は中央・南・西・北・緑・桜とダサすぎ。

新相模原市は旧相模原市と旧津久井郡が揉めた上で合併した。城山町に至っては町長が勝手に合併案を取り潰してリコールに。藤野町は生活拠点が八王子だとラブコールを送ったのに無視され渋々相模原へ。そう合併はどこもそうだと思うが難産なのだ。

さぁ区名だが中央区、橋本区、大野区辺りが無難なところか。間違っても北区・南区などと地名に関係ない区や津久井区といった面積だけできめてほしくないなぁ。

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