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破壊検査と非破壊検査、AIと解剖に関する雑感

酷評されているほど今期のドラマは酷くないと思うんだけど。全開ガールもなかなかだし。

さて今回初めて海堂尊のドラマ「アリアドネの弾丸」を見ているのだが、小説と異なるキャラクター設定に違和感を感じていたのだが、これはこれでいいのかなと思えるようになってきた。まぁ小説とドラマは違うと。また文庫化されていないので見てみようかと。
とはいえキャラクター設定にやはり違和感がある。海堂の小説はスピンアウト的な小説群をなしており、キャラクターの深掘りまでしている。一連の作品にはチームバチスタの栄光の登場人物が頻繁に出てくるし、主人公である田口耕平と白鳥圭輔のキャラ、高階病院長などサイドプレイヤーもも連綿としたキャラ設定している。ブラックペアン1988では高階院長の若かりし出来事を綴り、ジェネラルルージュの凱旋の速水はおろか螺鈿迷宮の院長まで出てくる。

なので小説と異なるキャラ設定は毎度毎度違和感を感じざるを得ない。

 

閑話休題

海堂が小説で主張してきたのは解剖での死因究明がなされていないことがテーマの深い根源にあると理解している。死因究明の第一義は解剖で、費用がかかるため解剖率は2%とのこと。だから死因が分からないという主張だ。解剖は費用がかかる、遺族が解剖を嫌う(この感覚は僕には理解できていない)、そのピンチヒッターがAI(Autopsy Imaging)というツールであると言う主張だ。

AIはCTやMRIでの非破壊検査で、解剖は破壊検査だと言うことだ。

ちなみに工業製品でも破壊検査と非破壊検査はあって、前者は母集団の品質レベルを想像するもの、後者は全数検査を前提としている。例えば食品の密封性を確認するために密着部を破壊して強度を調べるのが破壊検査、圧力を掛けてリークが無いことを確認するのが非破壊検査。破壊検査はいろんなことが分かるけれどもそれそのものは商品としては流通できない、しかし破壊検査で母集団の品質を担保しつつ、非破壊検査で補強すれば品質は上がる。

破壊検査はコストが掛かるのと、破壊してしまうとそれは商品ではなくなるので目的が異なる。クレーム品の調査などは破壊してしまうと破壊前の情報が壊れる可能性があるので、慎重な非破壊検査の後に破壊検査を行うこともある。再度述べるがAIはCTやMRIでの非破壊検査で、解剖は破壊検査だと言うことだ。

 

小説では情報インフレの懸念があり、AIで割りと何でも分かるような記述がある。だから解剖学者や法医学者が権益を守るという構図になっているが、本質は非破壊検査と破壊検査にあると思う。簡便な非破壊検査(AI)で問題や懸念が見つかれば破壊検査(解剖)に移行するということが海堂の主題だと思うのだが、十分に伝わっているのか疑問がある。

ドラマにいたっては「AIで何でも分かる」ということになっていて法医学者と喧嘩する騒ぎだ。まぁそういう対決シーンがないと観客を引き止められないのは分かる。

このやり方が業界に与える影響が大きいのは想像出来る、混乱もしているのではないか。まぁ医者は知能レベルが国民の上位0.1%程度の集団(てきとうな表現です)なのでなんとかしているのかしら。

 

もう一つ感じたこと。「遺族が解剖を嫌う」という感情が全然理解できない。まぁ葬式で死に顔に花を添える際に顔が継はぎだらけでは困ると言うことなのかしら。しかしそこで何で困るかが分からない。ご尊顔を見せなければ良い話だし。僕が喪主を勤めることを想像してもやっぱり分からない。僕の感情が希薄なのだろうか。

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報道の危険に対するいい加減さ

地下鉄駅でエレベーター落下、ロープ全3本切断~yomiuri online

僕の理解ではワイヤ(ロープ)が切れても箱は落ちないと理解していたのだがそうではなかったらしい。たまたまこのエレベータは高低差7.5mで死者は出なかったけど高低差があるエレベータは危険なのか?

当事者の三菱ビルテクノサービスは「安全装置が作動した」というお詫びを掲載している。なんかよくわからん。


10年くらい前に日立のエレベータ技術者と話をする機会があったのだが、消防法やらフエールセイフの観点から技術者が独創的な技術を導入するのが難しいと聞いた。そのときの彼女の説明ではワイヤが切れても安全装置が働くので「落っこちる」ことは無いと聞いていた。(今回の当事者は日立ではなくて三菱電機です)

 

しかも報道では「今月14日に目視点検」をして異常は確認できなかったと言う。責任回避発言か?その論理であれば日本にある全てのエレベータに同様の危険があるということを吐露したに過ぎないのか。

記事ではメーカー広報が「ロープ全てが一気に切れるという事態は過去に例がない。原因究明に全力を挙げる」としている。

良く分からないのはエレベータの箱が落ちたのか途中で安全装置が働いて止まったのかどうかだ。そこの報道は全く無い。ワイヤが切れたけど安全装置が働いて箱は「落ちなかった」というのであればそれが重要な問題点だと思うだけど報道は無い。

 

ようは報道の技術レベルの問題か、批判ではないです。記者に技術系出身が居たとしても技術万能ではないことは想像できますし。速報を重んじれば識者の意見を掲載することも難しいであろうコトは想像できます。

 

 

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円高に関する雑感

僕の周りの反応、仕事上で円高を事件として捉えている人から、「ドル買っちゃいました」という人までいろいろと反応がある。僕個人としては外債や米リートなどが下落して「ちょっと、ナンピン買い?」という局面である。そういえば¥120/$に買った中国ファンドを最近損切りしたばかりだというのに。

今現在¥77前半/$であるが、日銀の介入が噂されている。ちょっと妄想を膨らましてみる。

米議会が財政健全化に難色化しているのが今回のドル安だと理解している。要は国債消化を出来ない場合国際価格が下落するということだ。EUはギリシャの件もあってユーロ安なのでまぁどうでもいい。通貨独自国(日・英など)が通貨高で困っているという状況だという理解。

すると米国の国債を誰が消化するかという問題が浮上している以上、日銀が為替介入すれば、日銀が米国債を買うことになり、(国債消化は問題ないと)予算に反発している議会へのメッセージとなる。それは不味い。
だから日銀・財務省は為替介入に否定的なのだと思う。

米国の予算が確定して国債の格付けやら消化やらが見通せない限り、為替介入はできないので円高は是正できない。多分この悩みは英ポンドやスイスフラン、スエーデンクローネでも同様であろう。

 

 

と、外国の心配よりも日本に目を向けると国債消化に暗雲が漂っていないかという疑問がある。銀行に東電への融資を要請しつつ、賠償は東電がすることにしたい政府は銀行からそっぽをむかれるのではないか。さらに融資を要請しておいて東電を潰したら、、、というシナリオを銀行が疑っても仕方が無い情勢である。

現在の民主党政策は党としての見解というよりは「菅氏」の政策の側面が多いと思われ、先行き不安定だ。党首が変われば政策の根源が変わると言う事実だけが残った。それだけでも「設備投資」を見送る政情不安要素であるが、電力供給を命題としていない自然エネルギー(再生エネルギという言葉が嫌いなもので)をメインとした電源開発は高コストで不安定な供給を目指すと言うメッセージである。

 

ここからは愚痴です。そんな円を何で買うんですか?あんたら馬鹿ですか?

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海外出張への雑感

0泊3日は経験無いけど、1泊4日は経験がある。

東南アジアへの出張は午前東京発・夜半現地着がほとんど、というかそれ以外知らない。機体の運用上、夜方現地発・朝東京着。なので上記のようなスケジュールがまかり通る。
18~19時位に空港に到着して、イミグレと空港からホテルに移動してもう飯食って寝るだけ。翌朝仕事して21~22時くらいのフライトに間に合わす感じ。

これを何回か体験したんだけど移動時間というか拘束時間(非喫煙時間)が多く、また飛行機も席が狭くて非常にストレスを感じる。隣が外人とかデブだと言いようの無いストレスを感じる。若い頃は「(ビジネスクラスの)海外出張」に憧れていて、かつなかなか無いものだったのだけれど、気軽に海外出張の指示が出る代わりにエコノミーなのだ、、、。

 

旅行でも出張でも旅費と目的はトレードオフで、じゃぁ自分が快適なフライトのために30万払うかというと、旅行では払わないと思う。この差は何なんだろう。

1つ言えるのが、出張は観光と違うので自由が利かない。まぁ「市場調査」とかの名目を潜り込ませれば良いのだろうと思うけど、立会い結果を早く求められてる場合にはバッファを入れられない。ここが不幸だ。ここ数年でバンコックとジャカルタへの出張が多いけど、街の概要をまだ理解していない。悲しい。

 

腰を据えた出張はいろいろと知見を吸収する機会があると思っているのだが、短期決戦型の出張は正直行きたくない。疲れる。

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老化を認識する件

30歳で徹夜が出来なくなり、35で二日酔いが辛くなり、40で酒を浴びるほど飲めなくなったと後輩に言ってた。このあたりは老化というより体力の衰えという意味で言ってた。

ところが近年、蚊の羽音が聞こえなくなり、人の名前が覚えられなくなりというかすっと出てこなくなり(営業職で無いので名前を呼ぶことはあまりない)、極めつけは老眼を自覚したのと、クルマの運転が下手になったことだ。

老眼は機能の衰えで、老化の典型であろう。今まで勝手にピントを合わせていたのが、近距離のピントを合わす努力が必要となった。僕は近視で眼鏡を掛けているのだが、例えば駅で配っている時刻表を眼鏡越しで見るのが辛く、眼鏡を外した方が楽だと言う事に気付いてしまった。その後は文庫もシーンによっては裸眼の方が見易いという事があったりする。

同様にクルマの運転の下手さ加減に辟易する。外出頻度やクルマの維持費(駐車場代を含む)からクルマを所有していないのであるが、若年の頃はクルマ大好きで、運転にはそれなりの自信があった。シーンに合わせてエレガントに行くとか攻めるとか低燃費とか。

眼の能力もあるんだけど、マルチタスクが利かなくなった。右や後ろを見ながら前との距離感を調整しながらアクセル開度を調整するとか。どうも作業が単発に処理しがちで、危険とかではなくて最高のイメージをトレースできない。シングルタスクの集合体になる。

今まで、クルマの運転が上手で無い人を見て「なんで予測しながらオペレーティングしないのか」と疑問に思っていたのだけれど、ようやく理解した。できないのだ。

まぁクルマの運転程度の問題であれば、老化を自覚したオペレーティングを構築すれば済む話なんだけど、仕事での理論式を構築する能力が著しく衰えているのに驚愕した。
昔からベテランは理論式よりも経験則でモノを言うのが多いと思っていたのだけれど、それが理由だったのか。

でもと思う。厳密な理論式、方程式は解けなくても、その結果だけ甘受するのは可能だと思う(ちなみに僕は機械屋なので積分方程式を解こうと言うような無謀はしていません。ましてや微分方程式でもありません。せいぜい対数計算に悩む程度です)。でも無理なんだよね。自分で理論式や方程式を解こうという時点でマイナーな取り組みであり、結局自分でやる必要がある。

しかし光明もある。僕が大学生当時はNETなど無くて、せいぜい表計算ソフトがあった程度。Lotus1-2-3で多変量解析をやる時代だったのだ。今はソフトも充実しているので、ソフトさえあれば乗り切れる。先の文言と矛盾するけど僕が悩んでいる程度のことはNETで探せば転がっているはずだ。

 

いやいや待て。問題なのは僕が対数計算をエクセルを使っても出来なくなったのが問題であって、多分それは老化だと言うこと。日々使っていれば一般の人には難しいコトでも対応できると思うんだけど、たまに使うとダメなのだ。

さぁ今後どちらで生きていくか。経験則を重視した管理屋になるか、現役を続けるか。

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パニックにつける薬はないのか。パニックであることを受け止めたらどうか。(8/1題・本文追記)

「原発別居」「原発離婚」が聞こえてきた~NBonline

この記事がある程度正しいとして、パニックってあるんだと理解した。政府発表が信用できないけれど胡散臭いブログは信用できると言う精神状況を僕には全く理解できなかった。
記事にある20mシーベルトがそんなに変なことだとは思わないのだけれど、「おかしい」という前提の記事で、まぁプロパガンタを追認するような記事だ。

その程度馬鹿かというと錯乱状態で正常な判断が出来ず、だからこそ離婚を求めているのであろう。記者のコメント欄では「政府がデマを流している」と理解している人が居て、重症だと思う。データは読めないけど政府発表が信じられなくて、不安を煽る団体の言説は信じるという、、、ちょっとおかしな現象が起きている。

福島県住民には同情するけど、パニックに陥ったことには同情できない。高校科学で理解できる言説がネットでは転がってるし、政府見解を信じないでわざわざ不安教を信じるのはもう自業自得でしょ。

 

閑話休題

政府は避難所を解体する方針を打ち出したようだが評価する。援助が必要かどうかは別問題として、そこにいれば政府が何とかしてくれるという考えはありえないというメッセージだと理解した。

 

8/1追記 なんか電車広告とかで放射能離婚やら放射能中絶があるとのこと、まぁゴシップ誌の広告ですからねぇ。しかしこのような指摘はなされていたわけで。これは神経内科に掛かる必要があるパニックであることを受け入れたらどうであろうか。合理的でない判断で重大事項を決定するのは不合理である、例えば転居とか転職とか中絶とか離婚とか。不安であることを受け入れて、かつパニックであることを前提とした解決方法を探るべきであろう。

例えば「生きて帰れないから、外出できないという不安症」と対比して考えてみる。放射線汚染が我が子や自分にどれだけの影響を与えるか分からないからパニックになったと想定する。自分が他人の説得で不安症であることを認識できれば不安であっても問題ない。ただし、対策として外出できなかったり、転居したくなる。外出できない人は外出しないわけにも行かないので、自分がパニックであることを理解しながら服薬や徐々にトレーニングを行う。
同様に、放射線パニックであることを受け入れて、不安であることを受け入れて、自分が病気であることを受け入れて、パニックや不安と向き合う必要があると思う。もし理性で向き合うことが出来れば学術論文を平易にまとめたサイトがあるので、、まぁこれは無理か。

とにかくこのような強い拒否反応ははっきりとした病気である。病気であることを受け入れて、不安を受け入れて、「自分が間違っているかも」という点を家族が受け入れる必要があると思う。「そんな馬鹿な」という対応は病人には辛い対応だと言うことだ。

 

 

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通勤時間と読書の雑感

僕は通勤にドアtoドアで90分程度掛けている。常識的に言えば長距離通勤者だ。一人暮らしなのでマンションを売るか貸すか、でその賃料で借りれる範囲のマンション・アパートを探すことが普通は時間の節約になる。

ところが転居は常に頭の片隅にあるのだけれど実現できていない。独身で3LDK(3DK)を狭いLDKを広いLDKとして2LDKみたいにして使っている。1室は物置だ。掃除が大変だ、掃除機と風呂掃除とトイレ掃除とシーツなどの洗濯で約半日。窓やベランダを掃除しようものなら一日仕事になる。

駅近のマンションなので割と高値で直ぐに売れるようだ、賃貸の方はよく分からないが相場では結構高く、借り換えは可能みたい。でも決断が着かない。

理由は使用駅が始発駅で行きも帰りも始発電車を利用できること。朝はうとうと寝ればいいし、帰りは読書タイム。1日1時間弱の読書タイムが確保されているということだ。というより僕は電車でしか本を読まない、なので通勤時間を取り上げると読書しなくなってしまう可能性が高い。出張時も読書タイム、なので出張は嫌いではない。ちなみに持ち運びに難がある理由でハードカバーは読まない、文庫かせいぜい新書まで。最近のベストセラーである「正義の話を~」みたいな典型的なハードカバーは絶対に読まない。新書より大きいサイズの「もしドラ」や「謎解きは~」は文庫化されなければ読む気はない。親が置いていった1Q84とかブックオフで買ったハリポタとかゴーン氏の著書は置いてあるがやはり読まない。

転居は僕の読書時間を奪う行為なのだ。往復3時間の通勤時間が往復1時間になって、毎日2時間読書をするかというとまぁ疑問なわけだ。

時間当たりの効用を考えるとどう考えても馬鹿馬鹿しいのだが、結構重要な問題である。

 

 

追記)職場に早く帰ることへの反感した空気は無いのだけれど、「家が遠いから早く帰る」という名目は多少なりともあるのは事実。また職場近場に住んでいる若者コミュニティに参加しなくていいというのもある。

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地方都市と新興住宅地と限界集落に対する雑感

限界集落が本当に限界になることを嘆く記事が多い、「限界集落を廃村にすることが悪いことだ」という主張が多い気がする。どういう問題があるのかいまいち理解できない。例えば林業の集積地が廃村になる危機があったと仮定しよう。その集落がなくなることで山の手入れが無くなる事を危惧する意見が多いんだけど、生物多様性の観点や治水からは確かに問題であるが、経済的にはどうでもいいことである。あとは地べたに張り付きたい老人の人権とそこに自治体がつぎ込むコストだけの問題である。既に限界集落と思しき集落が山の管理を適切に行うのは期待できるわけ無いので、彼らのセンチメンタルの部分をどう扱うかという話だと思っている。老人になって右も左も分からない都市に放り込まれる恐怖は想像出来る。酷なようなんだけどそいうのは放っておくしかないと思う。

似たような状況に「ニュータウン」というやつがある。バブル期に開発された山を切り開いた当時はおしゃれな不便な土地だ。鉄道のアクセスが悪い土地が多い。定年して子供が独立すると家の広さを持て余し、駅近のマンションに引っ越してくる人は非常に多い。今の感覚からすれば駅からバスで30分とか正気の沙汰ではない、誰も買わない土地を安く売って駅近隣に住み替える老人は多い。僕の郊外マンションには「(老人が)売ってくれ」チラシが毎日入る。

 

地方都市ではドーナツ化現象が著しく、駅へのアクセスよりは全てクルマで対応できる便利な街造りを行っているらしい。埼玉で著名なレイクタウンはイオンが馬鹿でかいショッピングモールを造り、そこに駅を作り、周りに住宅街ができている。土日の渋滞を我慢すればまぁまぁ便利であろう。土日に外出できないほどの渋滞を甘受できるのは定年後の老人だと思う、けど越谷レイクタウンは通勤の優位性をも謳っている。よくわからん。

ひとつ分かるのが旧市街の商店街には魅力を感じることが少ないと言うことだ。過去に戸越銀座に住んでいる友人が居て、結構便利なんだけど駐車場代が高くて一杯一杯だった。そこから読み取れるのは地方の旧市街はそこそこ便利なんだけどその割には物価が高いということであろう。というか郊外のイオンが便利すぎる。クルマで移動すると覚悟を決めさえすれば駅に近いと言うことはあまりメリットは無い。

 

私個人の出張族の視点であるが、歓楽街が無い地方都市は魅力が無いと思う。仙台・金沢・長野まぁ他にもあるのであろうけれど、風俗産業を厳格化している街はオカネは落ちないし、リピートする気にはならない(=魅力が無い)。一回の観光で満足するからリピートする気は無い、仮に出張で行っても金は落ちない。僕個人はあまり風俗を利用しないんだけど、風俗産業が醸しだす雰囲気は割と好きで散歩する。僕の中ではその典型が歌舞伎町とバンコクで「どんなのがあるのか」という興味は尽きない。1人では利用できないチキンなんですが。

 

脱線した。限界集落は誰の何のために維持しなくてはならないのか分からない。僕は転勤族の子弟なので「生まれ育った土地で死にたい」という概念が既に理解できない。なのでそういう意思を尊重するとは思うけど、それは「自力でどうぞ」としか思えず、税金を遣う意味が分からない。

税金でしかできない街づくりはあると思う、それは否定しない、しかし払い損の投資は今後は有り得ない。限界集落が滅びたら国民が損をするという主張が一部に見られるが、放っておけばいいと思う。限界集落を擁護する意見に建設的な意見が無いことでも分かる。自治体も金が掛かる限界集落からは可及的速やかに手を引いたほうがいいと思う。少なくとも今までもそうだったし。無駄に税金を注ぎ込むのは阻止したほうがいい。

 

自力で食えない「地域」を税金で何とかしようと言う考え方は辞めた方がいいと思う。まぁその票を当て込んだ政治家が居るということは理解できるが。

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「ほうとう」というビジネスモデル

桃狩りに行ってきた、まぁ実際に狩るわけではないけど。本当は狩れるのだが、桃は収穫後ある一定の時間を置いたほうが美味しいとの事で、店先で傷物を無料で好きなだけ食す。観光地価格で親に桃を送るのだが、まぁこういう贈り物は得した損したは無粋だと勝手に納得。

山梨に行くとほうとうを食す、夏でも。お気に入りは不動だ。ほうとうとはひらうちのうどんの生麺を味噌汁で煮込んだもの、かぼちゃなど野菜が入る。まぁ味噌味の鍋焼きうどんを想像してもらえればいい。ちなみにほうとうは冬の食い物だと思う。そして信じられないのだが不動ではエアコンが無いのだ、昔から。真夏でも風さえあれば許せるのが不思議。鍋焼きうどんと格闘しているのだから汗だくなのだが開放的な店は風通しが良く、結局不満は無い。

まぁ他の店にも行くんだけど不動に戻る。次に行く店は決めたのだがそれは秘密。以前(結構前)は団体観光客を積極的に受け入れている印象が無かったのだが、団体観光客を受け入れている店舗に今回入った。

 

この不動のメニューは基本的に「不動ほうとう」しかない、あとはドリンクとサイドメニュー(漬物とか馬刺しとか)。他のほうとう屋は具材のチョイスができることが多いがここでは「不動ほうとう」しかない。先にも述べたがほうとうは鉄鍋で生麺を煮込んだものだ。具材と出汁と麺が事前に用意されていれば調理人は煮るだけだ。メニューが一つしかないので来客のほぼ100%がこの「ほうとう」をオーダーすることになる、これが¥1,050なのだ。さらに観光バスの受け入れなどを行っている。僕が入った日は小学生の客が多かった、林間学校かなにかであろうか。駐車場には観光バスが5台以上停まっていた。そのある一団(30人くらい)には料理が供されていない状態で来店してしまい、「あー待つなぁ」と思っていたのだが、そうでもなかった。当時店に120人以上居たと思う=120食だ。

ほうとうを作るのには10~15分程度かかると思われるが、僕らが待ったのは15分くらい。10分位してガキ団に供され、そのあとわりと直ぐに料理は到着した。

調理場を観察したのだが、コンロは60程度設備されていた。調理人一人当たり10コンロ担当しているらしく、当日は20コンロ稼動であった(調理人2人)。調理時間が15分として、二人の調理人が提供できる料理数は1時間で80ヶ、仮に60コンロあるとすると1時間に最大240食提供できる。作るより食べる方が遅いので店内は広い。

これをたった一つのメニューで、しかも単価¥1,050でまわしているのだ。すごすぎる。まぁ一つのメニューだから廃棄覚悟で作り続け、回転率を高めているというなんとも素晴らしいビジネスモデルだ。仮に週末にその店舗に1千人来たとして、週の売り上げ1百万である。メニューが一つなので原材料費はおそらく10~20%程度であろうし、団体観光客受け入れを行っているので(こちらは定価での提供ではないであろうが)大量に一つのメニューを割りと高価な値付けで作り続けると言うビジネスモデルは驚嘆に値する。限界利益を想像すると、、、。12時~13時60コンロ(調理時間15分)稼働率100%をだと、(売り上げ25万円なんですけど)、、、、まぁそれは無いとしても外食ビジネスモデルとしてはすごいと思う。1週間に1千人きて、単価が1千円だとすると週の売り上げは100万円で、山梨地区のトップシーズンが7月上旬から10月下旬(桃・葡萄のシーズン)だとして、1店舗当たり1,600万円の売上があります。4店舗あるのですが年商1億円程度あるでしょう、一つのメニューで。一つのメニューでですよ。当然廃棄やロスは少ないでしょうし、接客も少なくて済むでしょう。MACのように売れ筋を作り続ければいいのですから。店の構えが大仰なので店の減価償却は分かりませんが利益率はすごいと思います。

 

とはいえ美味しいので、是非行ってみてください(特に混んでる時期に)。そして粗利というか利益を計算してみてください。単品メニューを作り続けると言うビジネスモデルがあるということに驚嘆の思いを馳せます。

 

ちなみにほうとうビジネスは2大チェーンがあって、今回挙げた不動のライバルは「小作」というのがあります。小作はかなり昔に行って不動よりは美味しくなかったイメージがあるのですが、冒頭に挙げた店と同時に再度訪れたいと思います。小作はメニューが豊富らしいのと、店舗数が不動より多いです。ビジネスモデルの違いを見に行きたいと思います。


そしてほうとうビジネスは多分に両者が鍛え上げたビジネスモデルだと思います、山梨の本来冬の名物料理「ほうとう」という地位を通年の食事として築き上げたのは両チェーンの尽力の結果でしょう。その一方を味だけでなく覗いてみたいですね。

ちなみに不動はエアコンを使用していません。建屋の減価償却が固定費の根本だとは思いますが、電気代はすこぶる低いと思います(これは本店時代から)。一方、スタッフは需給が見えていればアルバイトで弾力的な運用が可能であり、2店舗で観光バス受け入れをしているらしいので需給の見通しもある程度できているはずです。というわけで固定費も抑えています。

7/25追記

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次元と単位

まぁdimensionとかunitいう奴なんだけれど。どうも世の中の人は次元とか単位を考えるのが面倒らしい。だからこそ仕事の場面でも今話題の放射線量の話でもいろいろと食い違う。
というか僕的には「次元と単位」がはっきりすれば、あとは「量」の問題なんだけど、世の中そうではないらしい。

ある意味専門かというか仕事上でもイライラすることがある。具体的には感性を工学で扱う場面だ、「持ち易いPETボトルの形状」ですみたいな。

今挙げた「持ち易いPETボトルの形状」的なレポートは多く出ていて、手が小さく握力が小さい人と手が大きく握力がある人という対角で考察することが多い。本当は実験者は「手の大きさ」「握力」「指の長さ」・・・と次元を増やしたがる。しかし次元が増えるとサンプルが得られないのと解析が困難になるので2者に的を絞ることになる。あと評価基準が大小は2水準だが大中小は3水準になる。手の大きさと握力だけでも、基準が2水準か3水準かで実験要素が2×2=4か3×3=9かで実験水準数が変わってくる。たった2次元(手の大きさと握力)でこのように実験水準が増えてくる。要素と次元を増やせば指数的にサンプル水準が増えてくる。

 

ここでは交互作用が働くとしてマトリクスを前提としている。2次元でも交互作用がなければ1次元Aを固定して知りたい次元Bを振って最適化は可能だ、B次元で5水準を計画してもサンプル水準は5なのでそれほど負担が無い。この結果で次元Bを固定化して、次元Aの最適化を図り、その結果次元Aと次元Bが最適化される。しかしこの場合交互作用は検討されない。(ここを可能性として取り上げられてしまうと仕事がパァになる。論理として交互作用を否定できない場合はやはりマトリクスで検証するしかない)

実験計画法というのがあるんだけど、要は少ない水準でどれだけの利得を得るかというのが実験者の心得だと思っているんだけど。世の中割とそうでもなくて、全部やるか全然やらないかに分かれる気がする。

 

先に挙げたPETボトルの形状の件は、手の大きい人の意見を尊重する意義があるのかという疑問だ。そうなると手の大きさは主要な要素ではなくて、(手の小さい人の)持ち方や筋力という次元が優先される可能性が高い。ところが多くのレポートは手の大きさを正規分布であるとして、最適点を求めようとしているように感じる。不便を感じていない層を次元として取り入れるのはおかしいと思うんだけど。

その結果、多分実験解析が上手くいかず次元を増やしてドツボに嵌っていると思われる(無理やりな結論を述べる)レポートが多い。

 

このケースでは再三述べるが「次元と単位」を軽視しているからだと思う。単位は「何を見てるか」という指標であり、次元は「いかに単純化した」かを問うものであり、寄与度の低い次元を徹底的に排除しないと実験要素が多くなりすぎてコストが高い実験結果しか得られない=手軽に実験方法の正当性を考える可能性を排除した実験方法だと思うのだ。

 

でやっと本題に入る。感性工学の範疇である上記の問題は、要素を挙げれば幾らでも出てくる。その全ての要素に付き合っていては何も得られない。感性工学はその最たるもので「心地良い」ということを工学的に解析しようとする部門である。アプローチは主に2つ、「全ての要素を鑑みて現実的な複雑系で処理する」「単純化して次元を減らしてモデルの積み重ねで処理する」。簡単なのは後者だ、それは自明。で、工学的な成果としてどちらが正しいと言うか、成果量が多いかという点だ。

 

問題を投げかけておいて、ここで退散です。理由は僕は機械屋で単位厨で、要素の単純化が実験の精度が上がると考えているからです。その理由は感性工学に交互作用は存在しないと信じているからです。まぁ批判はあると思います。

あともうひとつ疑問なのは薬学屋さんは実験計画法を有効利用している噂で聞いたのですがどうなんでしょ?僕みたいな馬鹿は次元や水準が増えるとデータを作成すること自体が嫌になってやらないのですが、やる必要がある業界の話しも聞きたいです。

それにしても生物屋さんも化学屋さんももう少し単位と次元に配慮してくれたらなぁと思います。まぁSI単位の基本単位が時間と長さと時間で、物理屋のテリトリーだということは理解しています。でも工学屋・理学屋は科学という言語でしか共有できないじゃないですか、その基本言語は単位・次元だというのは物理系の傲慢でしょうかね、、。

 

ある意味それが僕の飯の種なんですかねぇ、技術屋ではなくて中学理科解説屋ということか。

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避難所に求められること

朝の番組が固定しない。高嶋彩と西尾由香里が引退し、民放の注目アナウンサーが減ってしまった。8chは物量作戦で個人戦が駄目、愛ちゃんもなんかピーク過ぎた感があるし。長野さんはそれなりに可愛いとは思うんだけど好みでない、初見は不細工だと思った。山崎さんか、今後は、でも出番は少ない。4chは関根麻里を生かしきれていない上、バラエティに振り過ぎなので見ない、同様にTBSも。10chの松尾アナもなんか反応がおばさん臭くて、可愛いのに、おまけに気象予報士うざいし。となるとNHKか。でも鈴木さんと江川さんてキャラが被っている気がする。だからこそのジプシーか。

朝に移動してもらいたいのがフジの松尾翠アナ、12ch大江アナ・松丸アナ、4ch水卜アナ、10ch八木アナか。あと一押しがNHKの渡邊アナ。そういえば昔めざましテレビに杉浦キャスターと小林お天気お姉さんが引っ越さないかなぁと妄想した時期がありましたねぇ。

 

とまぁ下らない話は置いておいて、以前NHKで避難所・県外避難者のレポートがあった、詳細は忘れたけれど。そこで驚いたのは避難所に生活してはや4ヶ月以上になるのであるが、『何もしていない人がいる』ということであった。非常に言い難いことなんだけど、避難所に居て、なにかを行政がやってくれると言うことはないと思う。見舞金が届かないとか、政府の仕事が遅いというような報道だったんだけれども、かなりおかしい。

NHKの報道ニュアンスでは「避難所に生活している人は可哀想」「政府の対応は遅い」といった感じなのだが、避難所はあくまで避難するところで永住する場ではない。年金生活者が出るに出られないというのであればまだ分かるんだけれど、そうでもない。悪い言い方をすると「職を失った人が4ヶ月何もしなかったけれどローンの支払いが再開される、困った」という類であった。

原発の被害はちょっと微妙だけど、津波の被害はあくまで天災であり、自分でどうにか模索すべきだったと思う。というよりは多くの人はそういう行動をしていたと思う。不幸せであるのは間違いないが、だから「政府が悪い」ということにはならないとおもうんだよね。その意味では『原発に汚染された土地』に固執して「綺麗な土地を返せ」というのは無いものねだりだと思う。悲しいけど現実を受け入れなければ自分自身の復興は有り得ない、『政府・東電が悪い』というのは事実だろうけれども、だからといって補償は確実でないわけだし、だからなんなのと思う。

酷なようであるけれど今与えられている条件で復興や復活を考えるしかない。避難所に居て「政府が悪い、東電が悪い、津波が悪い」と思えば事態が解消するのであれば反対しないけれど、まぁそいうことはないであろう。

 

この100年程度で4回の大津波があった。ぐちゃぐちゃ言わずにまた同じところに家を建てたい人も居るであろうし、津波対策を施そうという考えもあるであろう。その住民調査が全く語られないのが少しおかしい。いわゆるグランドデザイン論がほとんど聞こえてこない。30年後またおなじことをやらかして、そのときはもう税金投下はあまりできないかもしれない。まぁ私は部外者なのでいいですが。

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酪農家と畜産家の危機管理の違い

宮城県産等のA4ランクの和牛の卸売価格が1/3に下落したらしい。食べたいなぁ、どうせ和牛は識別番号が付いているから混入は全くないので安全かどうかも分かるであろう。まぁ私はおっさんなので少々のγ線を食らってもびくともしないであろうし。激安福島産A5級ステーキ、ないんだろうな。もったいない。
ついでながら生クロマグロ食べたいなぁ、親潮と黒潮がハワイの方に放射性物質を流してしまうので放射性物質の固定化は微々たるものだろうし。忘れやすい日本人には来年までが勝負か、捨てるぐらいなら買うよ、、食べたいなぁ。それとも漁自粛のせいで来年以降豊漁とか、まぁそれでもいいか。いや不謹慎すぎますね、でも買うと言う意思表明だと考えれば、、、駄目か。

 

下手な枕はおいておいて

福島県産の牛乳は放射性物質を押さえ込んだ。多分原発事故が起きて業界を挙げて対策を練ったことだろう。野菜は葉の表面に着いているだけで洗えば落ちるようだから、雨でも降れば値は落ちてしまうであろう。

ところが牛肉はそうならなかった。

どうしてだろう、下手な仮説で考える。

1)酪農家にとって乳牛は生産設備であり、餌(藁・飼料)が原材料物である。製品は牛乳だ、製品の寿命は短い。生産設備は減産も増産も難しく、稼動していなくても固定費がかかる厄介な業界である。なので悪く言えばカルテル、良く言えばしっかりした業界体制をしいているのではないかと思われる。なので事故に敏感に対応した。

2)畜産家にとって牛は商品そのものであり、原材料が餌であることは同じだ。しかし増産も減産もそれほど難しくはない。餌代と市場価格の折り合いがつけば経済性が最も高い月齢での出荷を見合わせることも可能だ。製品の品質(価格)は肉質で決まるので業界でブランド化を目指さない限り、業界を取りまとめる組織が弱いという現われでないか(しっかりとした指導が行き渡っていない)と仮定できる。

3)その論理だと鶏卵業界がしっかりしていて、養鶏業界はそうでもないという結論が得られてしまうが、養豚業界を含めて、牛以外の事故は報告されていない。

4)鶏や豚は藁を食べないが牛は食べる。

5)上記2)棄却できない。

 

この仮説が正しければ、屋外にあった藁を食べた牛が被曝して、飼料を食べている乳牛(本来牛は藁を食べるが酪農業界では廃棄したとの事)・鶏・豚は被曝しなかった。養豚・養鶏業界がしっかりしていたかどうかは分からないが、酪農業界はしっかりしていて和牛業界はしっかりしていなかった可能性がある。

 

本当かなぁ?鵜呑みにしないでください。

 

7/25追記
稲藁業者は堆肥を前提として売ったと言うコメントが出ていた。それについては疑念があるであろう。しかし畜産業者の脇が甘かったのは事実で、対応できていた酪農業界の事実を考えると経済月齢で出荷した場合との飼料額・経済性劣化額を全額政府負担に求めるのはおかしいと思う。肉牛は数ヶ月で放射性物質は排出されるであろうから、適価で売ればいいと思う。
問題なのは「適価」で、僕個人としては安売りをしてくれれば食べるんだけど、「安売り前提」が経営を圧迫してるんだろうことは想像に難くない。というか供給ゼロで安売りすらないし。

セシウム137たっぷり激安A5食べたいけど、売ってないよね。

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高級紙(?)がデマを煽る

国や県より信頼できるのは「計測器」~NBonline

一般紙は数字の背景よりは基準値を超える放射線量をセンセーショナルに流す報道が多い。本来であれば丁寧に基準値が決まった背景なり、その数値の意味を考察すればパニックになる必要は全くないと思うんだけど。

 

理系の先輩が心配厨になっている。僕には子供が居ないからということなのかしら。理系でも割と専門を理解していても神奈川で心配している。子供には無条件で安全を願うということなのだろう、その意識は子供を持たない私には理解できない。
彼の判断が甘いと思うのは「危険」という判断の傘が大き過ぎることで、単位厨である機械屋である私がいちいち単位を聞くと、ミリだマイクロだと修正がかかる。ミリだというからそれはおかしいと指摘するとマイクロだったり。おまけにデマを結構信じていて福島産の牛乳が被曝していて他県産の牛乳と薄めてると言うから、そんな事実は無いよと論じた。JA?の対応がすばらしくて、窓を遮蔽して干草を捨てて輸入飼料で対応しているので、過去福島産の牛乳が放射線でアウトになったことはないよと論じた。また、他県産の牛乳と混ぜて放射線量を低減させたとして、そのどこが悪いのかが私には全く理解できない。


どこもかしこも放射線量を測定しだしたが天然の放射線量があるのだから計れば測定されるのは当たり前なのだが。だが彼自身が一種のパニックなのであろう。彼は福島・茨城産の野菜は食わない、太平洋産の魚類はもう食べられないということらしい。(だから私は大間の生のクロマグロを格安で食す事を目論んでいたりする。)

関東に住む化学系でもこのようなパニックが生じているので、パニックを抑えることを目指すのは無駄なのかもしれない。戦後原爆教育の反動なのかもしれない。

 

標題の件、なので高級紙といっていいのか分からないけれど、日経ビジネスでもパニックを煽る記事を載せてきた。政府の対策への不満をあげるのが常套なのだが、これが酷い。全数検査をしろとか、政府は信用ならないとか、要は悪魔の証明を求めていて、多分記者は「福島は危険」と言って欲しいのだと思う。政府自治体生産関係者がこれを読めばがっくり来ると思う。なんせロジックで悪魔の証明を求めていて、だから関係各者が悪いという意味が分からない記事に仕上がっていて香ばしい。政府発表の信頼性が足らないという主張なのだが、その部分(政府発表が信じられないという事象)には一切触れないという気違いとしか思えない主張なのだ。はぁ。

勝手に可能性を指摘して勝手にねじ播きしていて、根本の政府発表の信頼性になんら言及しないという、、、理解不能なんですけど。

 

今日のNHKニュースで他県に移動した被災者にお金が行き渡らない事を報道していたが胸糞悪くなった。事実を伝えるという姿勢が全く無い。まず、他県に移動した被災者が政府による移動勧告によるものかが曖昧だし、自分の意思で他県に非難したのか不明瞭であった。その彼らにお金(見舞金)が行き渡らないということを批判する論調であった。もっとも軽く自治体の状況、例えば浪江町の出張町役場の混乱ぶりも申し訳ない程度に報道されていた。政府や自治体、東電を非難してそれで解決するのであればまぁそれで良いのですけどね。東電と自治体職員が悪いのね全部。そういう分かり易い構図でしか描けないの?

でも日本人はそこまで馬鹿なんだ(NHK認定)。ちょっとがっかりだなぁ。しかもNHKが取り上げた案件が自主避難なのか強制非難なのかが曖昧だったのがおかしい。

 

あなたが津波に被災したとしよう、あなたがどこの誰かを証明する方法はあるのですか?「役場は津波で流れています、あなたがあなたであることを証明する方法はそちらで考えてください。」とでも役場が言えばよかったのかなぁ?戸籍が流出している状態で、身分証明書を持たない自分が自分であることを証明するのは結構難しいと思う、それだけでも給付金支給が遅滞するのは当然だと思うんだけど。報道では全部政府の責任なんだよね。報道人の馬鹿さ加減は思い知った。今後マスコミ人は高給家畜(人間以下)と認定することにする。

 

オカネの給付とかそっから始まるんだよ、馬鹿(失礼、高給家畜)は「いいから配れ」と言うけれど、その方式だと何回も並べるからね。政府や自治体の責任だという人は全く信用できない。オペレーティングを想像できないのであろう。そこをNHKは逆に突っ込んだ。

 

 

まぁNHKも日経ビジネスもデマを煽るわけですよ、その方が売れるから。まぁこうなるとこれは民度ですねこれは。

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技術屋でもパニックに陥る件

菅首相「原発なくてもやっていける社会」と表明(読売新聞) - goo ニュース

 

菅総理の不思議さは置いておくとして、辞任をほのめかした総理が未来のことを語っていいのかという疑問がある。僕は次の適当なリーダーは居ないので、当座の原子力政策への政策は違和感はなかった。個人的には浜岡原発を止めたことに個人的な違和感があるとしてもろういう論理はあるであろうとりかいしていた。また一旦浜岡を止めてしまった以上、定期点検停止中の原発再稼動を「自治体」が決めていいのかという違和感もあったのでストレステストを条件とした再稼動もロジックでは理解していたと思う。

安全の確認は普通は何段階かあって、ぼくは現状直ぐに問題でないけれども確認していかないといけないことと、直近で確認しないことがあると認識している。ストレステストは中期的な視野でいいはずである、一方で浜岡を止めてしまった現実がある。浜岡を停めたことは政治的にはありだと理解は出来るけれども「再生条件」(例えば浜岡原発の周りを津波に負けない壁で覆うとか)がいまいち明示されていない。なので今回再稼動を期待されている原発も何の対策を打てば稼動できるのかが分からないでいる。

そしてどうも菅総理はロジックというよりは信念として原発を嫌っているらしいことが分かった。そのこと自体は嫌悪しないのであるが、今の時点でこの発言は嫌悪感しかない。産業界の反応への無理解とか、自身の任期と支持率との関係とか。現時点で菅総理を応援しているのは山積みの課題をこなすことが喫緊であり、将来への政策言及は不適切極まりない。

現実を無視した理念ほど迷惑なことはないわけで、「お前は現実問題だけやっとけ」と小言を言いたくなる。それこそそういう壮大な計画は「選挙」で語られる性質のモノであろう。どさくさに紛れ込ませる案件だと思っていることに背筋を冷やされる。

 

 

福島産肉牛から規制値7~9倍の放射性セシウム(読売新聞) - goo ニュース

例えばこのニュースは事実を報道しているスタンスであるが、多くのパニックを生んでいるようだ、「給食に使うな」とか。放射線牛乳は薄められてるというデマも流れているようです。

自称「学生のときに放射性物質を扱った」という人が危険危険を連発していたので聞いてみたら、結構単位(機械屋は単位好きなのです)がいい加減だし、「やばい」という前提が数字を読み間違えているのではないかということがあった。原発事故があろうがなかろうが測定すれば放射線力はあるわけでゼロではない。
放射能に詳しいという彼にX線技師が胸に着けるセンサーの単位は?と聞けば答えられないし、マイクロシーベルトだろうという結論に(勝手に)落ち着いたのですが、だったら今のレベルはゴミじゃんと返したのですが、彼は「いやそれが10年続いたらやばい」というわけです。十年続いても積算は計算可能なんだからその上で評価すりゃいいじゃん、ちょっと馬鹿?技術屋でも「量」を計算して考えられないパニックに陥っているのが多いようです。

 

そう考えると東日本を覆うパニックは沈静化しないでしょう。当然風評被害はそこはかとないのでしょう。そこを是として経済活動を考えるしかないのでしょう。「放射能デトックス」とかいう案件が出てくるのでしょうか。

 

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賃貸厨はちょっと認識を改めたほうがいいんじゃない

僕は賃貸と持ち家はその人生設計とか状況によって異なるため、どちらが一概にお得だとかはいえないと思っている。家を買った瞬間に転勤を命じられた人とかは涙目モノで。

また家を買ってしまうと人生設計がプランどおりだとしても家の広さや環境が年代によって変わるものであり、賃貸だと柔軟に対応できるが持ち家では難しいという事実がある。例えば独身時は1DK(かワンルーム)で、新婚時は2DK(か1DK)で、子供が出来れば3LDKや4LDKが欲しい、子供が独立すると2LDKでいいというプランもあろう。こういう柔軟性は持ち家では不可能だ。

瞬間風速の家賃が問題なのではなくて、人生設計における柔軟性が可能というのが賃貸の最大のメリットであろう。これを金額算出するのはちょっと不可能である意味決断の問題だと思う。転勤や転職が多くて決断の余地が無いという場合もあろう。

この問題点を金額で算出しようとするのが賃貸厨である。

持ち家と賃貸どっちがトク?~All About

4千万のマンションを13.5万で借りれるというのが不思議、おまけに管理費用は免除らしい。そりゃ金額設定に無理があれば強弁できるわな。というよりこの設定は買ったほうが絶対にお得な最適例であると言う事だ。転勤もなし、部屋の広さも50年変わらず。自分が大家になって自分を店子にした方がどんだけ得かということを述べているに過ぎない。のに結論を捻じ曲げた。

馬鹿としか言いようがありません。もうちょっと端的なモデルを提示できなかったのかな?まぁ複雑なモデルは読者に理解されないのはその通りですが、だからといって牽強付会はありえないです。

 

僕はリスクを取ってマンションを購買しましたがそこは後悔していません、まだまだ売ればいいという余裕もありますし。市場価格が10年で1千万下がったのですが、ローンの金利を無視すれば家賃は100万/年で8.3万/月の家賃相当です(本当はダンピングして買ったので実損はそこまではないですが)。まぁ許せる範囲だと思います。都心から1時間のターミナル駅(始発電車座って通える)徒歩3分の3LDKですから。

賃貸派から問題提起があるとすれば都心から1時間のところに住む必要があるのかといったフレキシブル性のはずです。がそういった提案は殆ど無い。というか賃貸厨は馬鹿で建設的でない。ありえない馬鹿さ加減だ。

要は金額で表現できないフレキシブル性が賃貸派切り詰めの最たるものだ。または20代は独身、30代は新婚、40代で子育て、50代で子離れ、60代からは夫婦というシュミレーションはあると思う。そこを、、、どう考えてもLinkの条件は無駄に引越しが多いし意味が分からない。

 

追記

僕のマンションには郊外のニュータウン一戸建てを売って越してきたリタイヤした人が多く、子育てが終わって、クルマが必要ないマンションに越してきた人が多いらしい。確かに徒歩5分圏内にショッピングモール3件、スーパー2件、役所窓口、図書館、病院も個人病院多数、大病院1件、飲食店多数、映画館1件と便利だ。さらに電車で15分行けば所謂繁華街やアウトレットモールや系統の違う映画館にアクセスできる。
不動産会社からも「ご息子在住の近くで便利なマンションを」「郊外は大変なので近場の便利な街で」というマンション売却のチラシが毎日入る。定年した人ですらマンション購入を考えているのだ/購入したのだ。

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