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多部ちゃんぽっちゃりした?

いやぁ交渉人は良かった。米倉涼子も魅力的だったし、脚本も良かった。2,3辻褄が合わない箇所があったが許す。米倉さんのドラマは暗いことがおおいからかいまいち人気がなさそう。

話は変わるが鹿男多部未華子さんのぽっちゃり疑惑が僕の中にあるのだ、別に非難しているわけではなく。住宅やミネラルウォーターの宣伝では痩せ気味(杉?)でアゴのラインが鋭角的だったのだが柔らかい雰囲気に。しかし眼力は以前健在。ところが脚の感じも少し変わったような、年頃の女性はどんどん変わるんでしょうね。以前はきつい美少女という感じがしましたが最近は柔らかい印象です。個人的にはとんがった多部ちゃんがすきなのですが。

前回のエントリーで工場が楽しいという話題を述べたのですが、災害関係(火事・労災・衛生等)のポスターも工場での重要なイベントです。今回の出張でも多部ちゃんを捕捉しました。また昔のポスターがガッキーだったり、古いポスターも楽しいもんです。まぁ工場勤務の人には当然の話なのでしょうが。

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工場作業服女子に萌える件

昨日今日と工場へ出張。N700系に初めて乗り、乗った瞬間喫煙ルームに直行した。よく考えると窓際が好きな私にとっては全く意味のない代物という結論。でも精神衛生上はとても有用。結局途中で通路側の席を乗り越えて立つことなく煙草は吸わなかったのだが、いつでも吸えるという安心感はいい。まぁそもそも短い区間の場合は禁煙席に座っているのだが。

閑話休題。工場の女子はほぼ全員作業服だ、事務の人は違うが。これがかわいく見えるのだ。だぼっとした作業服に服で頭髪落下を防ぐ帽子、ある区域はマスク着用。これでなぜかわいく見えるのかは不思議。素朴なタイプ(単に化粧してないだけ)、こってり化粧、ちょい若おばさん。いろいろな方が居るがかわいい娘にみえるんだよなぁ。僕の守備力200%up状態。通勤時を見るとげんなりするのは秘密。あくまで作業着がいいのだ。制服フェチでないと思っているが作業服好きなのかもしれない。

なぜなのかしら、経験があればコメントお願いします。くだらないネタで盛り上がりたいです。

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女性専用車両をぐだぐだ言う前に男性はきちんとしたら

過去に通勤電車に女性専用車両は必要だという趣旨のエントリーを挙げたが批判が多かった。批判は別にいいのだが思うことがあり別エントリーを挙げる。男性専用車両が必要だという意見には反対しない。かなりの割合の男性はロングシートの座席マナーが著しく悪いため、そいつらを吊るし上げる方法論とセットであれば万歳三唱だ。論理がずれてるけど、男性への言い分は「ちゃんとやることやってから言え」と言うもの。ちなみに私は行き帰り座っているので立っている人のマナーではなく、主に座っている人の話。

詳しいサイズは忘れたがE205系(横浜線)の座席のシート(7人掛け)を人数で割ると一人当たりの占有長さが定義される。大体成人男性の肩幅に相当するであろう。であれば座席で肩幅以上に股(脚)を広げるのは隣の人の脚と干渉するのでマナー違反である(この座り方を俺様と定義する)。もちろん全員が自分の肩幅以上に脚を広げることは成り立たない、だからある特定の行儀の悪い男性が他の誰かの犠牲の元に脚を広げるのだ。周りを見回して、女性は脚を広げて座る人はほとんどいない。俺様座りはほとんど全て男性で、また男性の俺様率はけっこう多い。私は行き帰り共に座る選択をする。このときとなりが俺様だと非常に不愉快だ。ちなみに身なりはあまり関係ない。

まぁ体がでかい人ほど無神経という根拠無い自分統計はある。体がでかいから小さくするかと思えば、ほとんどその逆。股ずれ気味なのか股間全開風通しが必要なのかしら。そういう奴に限って冬はダウンのような厚手の衣服を着るので余計に邪魔。座る前にダウン脱げよ!座席組みにとって体育会系はお呼びでないのだ。というか大迷惑なのを自覚しろ!

朝は偶然座る人が少ない、座る選択と努力をする人が多いため、俺様率は少ない。ところが夜は偶然座る率が多く、慣れてないせいか、俺様率は急上昇。夜も遅くなり酔った人が多くなると最悪。痛いし、臭いし、邪魔だ。

私も男性だが、男性は座席では本当に邪魔なのだ。女性が毛嫌いするのもよく分かる。体重100kg以上は一般車両着席禁止とかしとけば。そんために男性専用車両を設けとけば差別にあたらない。

ガムをくちゃくちゃ噛む、酒臭い、俺様座り、シャカシャカヘッドホンほとんどの邪魔者は男性だ。老人・スーツ姿でも多いことから(子どもはまだ許せるけど大人がそれでどうよ?)人間性の問題ではなく、会社では普通の人が電車では大迷惑野郎になっているのであろう。社会の規範・拘束が電車では通用しない無法地帯と化してる。

これまでのエントリーではオヤジをターゲットとしてきたが若者がそうではないという意味ではない。紳士然したオヤジですらそうで、社会経験の少ない若者はいわんやおやだ。それでも若者はまだ社会経験のない小僧っ子なのだから仕方ない。

他国よりはましなようだが比較論で語っても仕方が無い。大人は全然紳士ではないと言うことだ。女性を批判する価値があるとは全く思えないのだ、不思議。

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夫の家事負担が上がらない理由

TBSのドラマで佐々木夫妻の仁義なき戦い。家事の出来ない妻(小雪)と家事に細かい夫(稲垣吾郎)の弁護士夫婦のコメディだが、男女を入れ替えるとドラマになるような話ではない。ずぼらで飲んだくれの夫と几帳面な妻の話など面白くもなんとも無い。

これは女性が家事をこなし几帳面、男性は外での付き合いもあるし、おおらかという社会常識を逆手に取ったドラマであろう。女性(男性)はこうあるべきだと言う社会風潮、家族・周辺からの教育が培った逃れられない呪縛なのか。女性の社会進出は難しいという皮肉が痛いドラマだ。これがコメディとして成立するのはジェンダーへの理解が進んでいないからであろう。

閑話休題。僕の妻は子どもがいないがパート勤務で正社員ではない。そのパート代を自分のポケットに入れているので実質専業主婦だ。現在の僕の家事負担率は2~3割程度か。休日以外の食事の用意はパートから帰った彼女がやる。洗濯も干すところまでは僕もやるが夜に干して、パートから帰った彼女が乾いた洗濯物を取り入れ、たたむ。掃除は週に1回2人で掃除機をかけ、雑巾掛け、トイレ掃除をする。風呂掃除はメインが僕。

この家事負担率の差は可処分時間の問題だと認識している。僕の方が早く家を出、遅く帰ってくるため、可処分時間に差があるのだ。この差に彼女が家事を行うため家事の負担率が変わる。なので彼女が正社員になったら家事負担率は5割に近づいていくと思われる。子どもがいないのでことは単純なのだ。僕は自分のワイシャツのアイロン掛けはするし、土日の家事負担率は5割に近い。

ところがそうならないのではとも思っている。1つはジェンダーだ。妻は自分が正社員になっても家事負担率は変わらないと思っているようだ。そうすれば自分の負担だけが増えると。また妻が専業主婦に近い割りに僕が家事をやっていることを両実家に知られたくないというそぶりもあるのだ。その一方で僕のことを「家事を割とやっている」とも思っていない節がある。というよりやって欲しくない様子なのだ。何故?

もう1つは家事のスタイルを自分のやり方でやらないと気が済まないという点があるらしい。洗濯の際にはパンパンやって干すと掃除機を掛ける際にはここに注意してくれとか。自分流を相手に押し付けるのだ。プロに頼むわけではないので他人に頼む以上、少々の流儀の違いは発生する。下手すると仕上がりは変わらなくてもやり方が違うと気に入らないらしい(本当は仕上がりにも影響しているのだが)。文句ばっかり言うか、自分でやった方が精神衛生上よろしいということになる。可処分時間が同等になることで家事負担率が5割ずつになると、妻の精神ストレスが上がってしまうのではないかと想像している。だから妻に働いて欲しいという要請を受け入れないのではと想像する。もっとも妊娠を望んでいるという事実も重いのだが。

よく夫が定年後に家事をやらないという新聞の相談が多い。夫だってフルタイマーからパートタイマーになるので時間が足りないと言うことは無い。新聞などで夫が家事をしないことを妻が快くないということは知っているであろう。その中での軋轢が絶えないのは妻が夫の家事に「ケチ」をつけて、夫が家事に嫌気がさしてしまうのではと思う。

家事の分配は可処分時間の問題だけではないのだ。家事のスキルレベルに問題があり、口を出したいのなら費用を提出させて代行するので我慢するか、上司部下の関係を築くしかない。もちろん夫は部下だとは思っていないので、応分をこなせば義務は遂行したと思うであろうからなかなか上手く行かない。

では夫はどうすればいいか。子どものいる家庭は想像でしかないのであるが、ざっくり家事の分担を決めてしまったらどうであろうか。そしてお互いの家事のレベルにはケチはつけないことが重要だ。手抜きを許容するのだ。どうしても我慢ならなければ家事のトレードを行えば良い。洗濯のやり方がどうしても気に入らなければ掃除を代わってもらうとか、食事は交代でやりコストや味・メニューにケチをつけないとか。家事負担率も可処分時間の割合で決めれば良い。妻の方が忙しければ夫の家事負担率を上げればいいのだ。

実はこれを結婚前に決めなければ成功しないのではないかとも思っている。24時間呼びつけられる可能性のある仕事に就いている人も居るだろうし、毎日定時で帰れる人も居るであろう。仕事の拘束性が強い人ほどパートナーの理解が必要だ。そうでない私ですら、、、なのだから。

現在は核家族社会なので夫婦の取り決めは夫婦だけで決められる事項が多い。女性が積極的に仕事が出来れば所得も増えるし、社会進出したいという欲求も満たせる。そのためには男性が家事の負担をきっちりと行うのがお互いの幸せのためというものだ。今後は資源不足から物価は上がるであろう、これに対応するには所得を増やすしか方法が無い。妻がパートタイマーでは所得の向上が期待できない。スキルの向上とそれに対する収入の向上が期待できる職種を選ばないと良い暮らしはキープできない。

こういった経済問題がジェンダーを解決する唯一の方法かもしれない、道徳に訴えたってなんの役にも立たないであろう。まだ男女同権が叫ばれて1世紀も経っていないのでよく分からない部分もあるとは思うが。

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資源が足りなくなるという事実は存在しない

なんか景気が相対的に悪くなると「資源が足りない」とか「食料が足りない」という足りない論が出てくる。世の中で全て使い尽くして足りなくなたことなどあるのだろうか。もちろん貿易が機能していない国は別かもしれないが。そんな当たり前のことが雑誌の宣伝にセンセーショナルに載っている。馬鹿じゃないかと思う。その宣伝を見ただけで読む価値なし。

食料悲観論はありえないのだ。小麦の供給量が需要量より減れば値段が上がる。小麦が上がれば米を食えばいいのだ。米も高ければ牛が食っているコーンを頂戴するとか方法は幾らでもある。もちろん供給より需要が極端に増えれば金がない人は買えなくなるということはあるだろう。これが飢餓の本質。

だから食料危機論を述べる暇があったら金を稼ぐ方法を考えた方が手っ取り早い。世界には1日を10円程度で生活している地域があるという、日本は生活保護もあるので事実上餓死しない。もちろん経済力が落ちれば理論上はありえるが現実的ではない。

同様に石油もなくならない。石油の埋蔵量が30年経っても残り30年なのは石油の値段が上がれば掘削費用を掛けられるということになり、経済的に見合わないと思われた油田が掘削できたということに過ぎない。また掘削技術が上がったという点もある。もちろん石油は限りある資源ではあるが、使い切ることは逆に難しい。供給が需要より増えれば値段は上がり、移動のためのエネルギーとしては割が合わなくなり需要が減る。例えば今の収入でガソリンが1リットル¥10,000でクルマに乗るであろうか。乗らないということはなくならないというのと同意なのだ。

このあたりの経済システムを無視した危機論が多い。石油は有限なので近い将来値段は上がるであろう。だからこそ代替エネルギー技術は相対的に安くなり価値が出るのだ。

もうちょっと論理的に整理できないのかなぁ、危機を煽るのはいいけどレベル低すぎ。

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科学論文は当てになるかもしれないが技術論文は当てにならない件

疑似科学の論争で書籍は金さえあれば出版できるので、有力誌(Natureとか?)に論文が載れば査定もされているので信頼度が上がるという論理があった。書籍だから信頼する根拠もないし、擬似(偽)科学をいちいち反証する必要が無いと言う主張だ。

科学はそうかもしれない。でも技術系はそうじゃないのだ、もう嫌になるほど嘘のオンパレード(ちなみに私のジャンルだけかもしれないが)。ちなみに私は包装容器系。ここで業界学会誌論文捏造の手法をこっそり暴露しよう。

論文を書くのは消費財メーカーが多い(もちろん素材メーカーや容器メーカーもある)。消費財メーカーは材料・部品の組み合せが多いため、包材は専門メーカーに依頼する。だから商品そのものの製造方法やコア技術は特許の対象になるが周辺技術(原料の精度アップとか容器の使い勝手とか)は専門メーカーが担当するのだ。詳しいことは私の得意の包材で論じる。

「使い易い容器」という論文はたいてい消費財メーカーから出る。例えば缶ビールの開け易さとか、詰め替え易い洗剤とかだ。しかし、消費財メーカーは消費財を作っても、包材は包材メーカーに丸投げする。もちろん要求をしたり、開発資金を出したりはする。しかし、消費財メーカーは無知なアイデアを述べ、それを包材メーカーが具現化し、コストがあえば設備投資するという類のものだ。

私の嫌いなジャンルに「官能評価による開発手法*」というやつがある。これなどほとんどが噴飯物で、業界の常識を「官能評価で設計した」とのたまうのだ(木下賞という高名な賞を取ったけど具体的な情報は勘弁)。まるで官能手法で設計したような記述が並び、設備上当然の帰結を官能手法の結果であると妄言を吐き、しかもその性能は業界ぶっちぎりの最下位から僅差の最下位になっただけという現実はかなりお寒い状況なのだ。その論文で業界(包装容器業界)の高名な賞をとってしまった。嘘を論理できれいにまとめると賞を取れるということなのだ。

さらにこの改良アイデアでは当該消費財メーカーの提案でないことは明らかなのだ。図式は、消費財メーカーの依頼→容器メーカーの提案→担当技術者の確認→採用→(官能評価で確認)→製品化(官能評価のほうが後かもしれない)である。官能評価はなんら仕様変更に寄与しなくても論文書ける、しかも捏造(小説化が)でき、かつ賞を取れる。そもそも容器技術の論文は容器メーカーからあまり無く、新規技術容器の採用事例としての報告が多いのだ。自分が作ったわけではなく、単に採用したという事例を「私がやりました」という論文に仕立て上げるのだ、そのいかがわしさが理解できる。

そう考えると技術学会はなんのためにあるのだろう。若い技術者が論理的思考を訓練するのには役に立つがコストが大きい。単に業界の権威を作るために行われているのかもしれない。

あーあ、しょうもないことでした。

*製品の仕様感という意味ではなく使い勝手を物理的に数値化しようという試み

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米軍も自衛隊も必要ないかも

米軍の事件があったからではないけど思考実験を行ったら標題のような結論が導けた。かなり違和感があるのだが、、、。突っ込み期待。

食料自給率を高めるという論理は経済封鎖でも起こらない限り全く必要ない、それよりは他国と会話が出来る状態を保てば良いわけで、経済封鎖された状態を想定して食料自給率を高める必要は全く無く、他国との関係を重視した方が余程現実的だ。同様にありえない想定を根拠に「軍隊は必要だ」と言っても意味が無いわけで。費用効果を吟味する必要がある。自衛隊や在日米軍は無料ではないのだ。リスクと費用効果の天秤をかける必要があるであろう。もちろん自分や家族が死んでしまうリスクは無限大なのでリスク評価は妥当ではないという考え方もあるとは思うが、それすら妄想だと言う帰結が。考えうるリスク(密入国や密漁、まさかのミサイル)を想定して海上保安庁などの国境警備や、MD(ミサイルディフェンス)を厚くしておけばいいのではないかという帰結に。

1.日本を武力併合しても得な国はない。

昨今の外交トレンドは交渉での解決だ。湾岸戦争のイラクのようなやり方は米国がミサイルを撃ち込んでくるので、武力での制圧は割りに合わない。テロのように部下を騙して自爆させるようなやり方しかないであろう。先進国で国家対国家の武力衝突はちょっと想像できない。

おまけに日本は水産資源ていどしか資源がないので武力併合しても得る資源が無い。しかも日本を攻撃・併合しても資源・工業製品を売る先が無い。さらに工業力が有ったってそんな国に資源を輸出してくれる国はない。日本を攻撃して得する国がそもそも存在しないのだ。

ところが「日本を仮想敵国としている国がある」という論調もある。

2.日本を攻撃しそうな国が無い

えっ、北朝鮮はどうなのか?という突込みがありそうではあるが。しかし、北朝鮮(金氏)が仮に日本のことが大嫌いでも日本人の不幸が金氏の幸福に繋がらない。そうであれば金氏が自分の命と引き換えに日本を攻撃するということは考えられない。これはかなりタフな外交路線ではないかと。

日本にとって「拉致問題」以外は北朝鮮とは貿易も国交も無いのでどうでもいい国なのだ。実際’80からつい最近までニュースといえば中東やアフリカに武器を輸出したという程度。北朝鮮にとっても日本にとっても全く眼中に無い関係なのだ。だから攻撃する理由すらない。

もちろん中国・ロシア他国境を接している国で日本を攻撃して得する国は見当たらない。尖閣諸島の国境紛争問題を抱えている中国の軍備増強は対日問題よりは国境(カシミールとか)・内政(チベットとか)に紛争を抱えているので当然必要でしょう。ロシアも国境紛争問題(北方4島)を抱えているが武力で解決する気は無いでしょう。両国とも武力で解決するインセンティブがありません。韓国とも国境紛争問題を抱えていますがそれも外交交渉の問題でしょう。国境問題(海上保安庁の領分)の武力行使問題をクリアーにしておけば良い問題であって、政治上の問題でしょう。

他国からの侵略を危惧する必要は余り無いようです。

3.ミサイル実験で脅威が証明された?

北朝鮮の金氏は自分の体制存続が大事でかつ経済援助が欲しいようです。また放って置いて欲しいのにロシア・中国は単純な味方では無くなりつつあり、米国は人権問題の観点からちょっかいを出してきそうな雰囲気です(実際金氏にとっては脅威でしょう)。そこで外交の交渉に乗り出すわけですが、北朝鮮は譲歩を担保する案件が必要です。その案件が核であり、ミサイルなわけです。

隣国に経済援助を期待して拉致を認めるというアメを呉れたにもかかわらずその隣国(日本のことね)は交渉のテーブルに乗りませんでした。その隣国に譲歩してやったのに仇(拉致問題は完全解決だ、経済封鎖だ!)で返されたわけです。北朝鮮は隣国は役に立たない、交渉するだけ損という印象を得ました。6ヶ国協議では日本は「交渉」というものの本質を分かっていない邪魔な国ということです。ミサイル実験で太平洋にミサイルを落としておけば世論が強硬路線となり、交渉テーブルから遠ざかり、結局は米国との2国間協議に成功しています。かなりタフで論理的な行動かと。そして2国間協議に持ち込めたのは日本の強硬な援護射撃が有功だったようです。そして思惑通りタフな交渉の上、米国に言質をとられず、実質勝利でしょう。

瀬戸際外交はだいたい成功しないのですが論理的に一時の体制の安堵の担保を得たのです。北朝鮮にとっては十分な戦果でしょう。瀬戸際外交で反応してあげた日本は賄賂を貰わないと割りに合いません。

4.他国は本当に論理的か

今までの論調は国境を接している国々が本当に合理的かどうかという点に尽きます。しかし、今までの北朝鮮の外交スタンスは十分に合理的でしょう。自分の命と引き換えにミサイルをぶっ放す心配は無いように思えます。

5.結論

そうすると論理的な帰結としては「日本に自衛隊・在日米軍は必要ない」となるのです。しかし私個人としては違和感のある帰結なのです。しかし、論理を重視するのであれば米軍にお引取りを願った上で様子を見るとか、自衛隊を解散の上米軍に駐留してもらうとかの方法論があります。その頃には北朝鮮も代替わりして将来の見通しが立つかもしれません。

在日米軍も自衛隊も費用がかかるわけだ。もし必要でないのであればそれはやめればいい。予算の合理化に繋がるであろう。もし国際協力を求められればお金で処理すれば良い。軍事費用にGDP1%を使用しているようだけどそれを福祉や減税に使う方が国家の発展に寄与できる。

そもそも論として防衛問題を軍事論ではなく政治論としてきちんと論じれば良かったのでは思うけど今がそのチャンスかと。最初にも記したが自衛隊がぽっかりなくなった方がいいという意味ではない、防衛問題を論理的に考えようよって趣旨というわけで。

追記 * 誤解を招く表現なので変更

追記 丁寧な説明もあり、「軍事力」への理解が少し深まった気がします。そりゃそうですよね、警察力が無い状態での同盟は「軍事力」がなければ同盟を維持させる根源が無いので絵に描いた餅ですね。まぁ経済力で軍事力を外部調達する方法もあるだろう。しかしそれは軍事力を持たないという意味ではないですね。

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デフレエンジョイの結末

私はサラリーマンでデフレの状況の中、給料も上がらないけど、物価が上がらないのをエンジョイしてきた。企業が原価上昇を企業努力(?)で生活費の上昇といったことも無く生活してこれた。デフレは生活者に心地いい。給料が上がらなくても物価が下がり、見かけの生活レベルは維持できるからだ。もっともそんな妄想は長く続かない、円相場が落ちれば購買力が下がり、資源費に圧迫されるからだ。

ところがこのトレンドは反転して昨今の資材の高騰は急激に価格転嫁されるのではないか。今までは消費動向が弱含みということ、流通の発言力が強かったことから物価の上昇は免れてきていたがそれも「一気」に上がる気配だ。堰を切ったように物価が上がってもおかしくない。実際、原料費が高騰しているのに物価が上がらないのはおかしい現象だった、しかし延命策を図ったのだが私はその場限りの対応しかしないので、物価の急上昇は困る。でもその予兆は出ているのではないか。

1つは原材料費の高騰が価格に反映されていないこと。食品など生活必需品物資はドメスティック関係が大きいため、海外レートで価格設定をし、国内で売れなくても海外で稼ぐという方法論が成り立たない。それを知っている流通業が価格上昇を拒んできたのだ。しかし、零細企業が成り立たなくなると価格統制力が食品大手に移ることになり(昨今の食品偽装問題も加担しているかな?)、物価上昇圧力が増える。逆に言うと今までは流通の購買力によりダンピングさせられていたがそろそろ限界で適正価格で売れなければ商売しないというところまで追い詰められているということであろう。農協も原油高騰などを受けて生産調整に乗り出してもおかしくない気がする。そうすれば物価は一気に上昇するであろう。

これに政府は反市場主義で対応しているように見える。今日の日経のコラムが面白かった、「小泉氏は市場至上主義者でその結果株価は上昇した」というもの。福田氏(及び閣僚・官僚)は今までの仮面を脱ぎ捨てて統制経済主義者の発言を繰り返す。例えば冬柴大臣の「道路は聖域」「外資は駄目」とか、経産省の北畑事務次官の「株主は馬鹿だ」とか。小泉氏が首相であればそんなこと言えないような発言が目白押し。政府が反市場では相場は冷め、経済も発展できない、円は弱く、、、、駄目じゃん。

ということはこれから(今現在?)英国病を経験するということか。サッチャーがビッグバンを起こした、日本では小泉氏がその可能性があったがそれで終わったということか。。。とほほ。政府の援護射撃(保証付き)英国病だね。

では何故政府は市場を無視するのか。この理由が分からないところである。1つの仮説は日本は従来統制経済を敷いていて、旧通産省が旧大蔵省が民主社会主義というかソ連でいう計画経済を敷いて上手く行った成功体験があるのではという疑念だ。戦後、大正~昭和初期の成金・相場師の類を嫌悪し、計画経済で上手く行ったということを信奉しているように見える。その実態は(大蔵省・通産省とは関係ないが)道路行政のコントロールに失敗し、農地解放以降の農業政策もことごとく失敗しているという事実に目を向けていないがごとく。だいたい戦後企業が伸びたのは官僚のおかげの部分もあるとは思うが失敗も同様に転がっている事実を無視しているとしか思えない。もっとも大蔵省だって証券の発展には否定的であった。

そう考えると、政治家は。。。。もう止めます。

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金持ちになる方法

知り合いに「金持ちになる方法」を知っているかと尋ねられた。以下思考トレーニング。ちなみに私はハウトゥー本など読まないので間違っていてもどんぴしゃでもよく分かっていない。ちなみに「金持ち父さん貧乏父さん」の影響が多分強い。

1)収入より少ない額で生活する。当たり前だが以降に述べる資本を作る。

2)資本を作り、その金を運用し、元本を増やす。

 2-1)資本を増やす方法は色々ある。株式運用、不動産投資(大家になる)、起業する等。

 2-2)起業は時間や知識、思考が大量に必要なので安定収入がある人(サラリーマン等)はそれを失う度胸が必要。また起業には技術・営業・資金が必要。二足のわらじは難しい。芸能人で失敗する人が多いのは中途半端な時間と知識しかないためだと思われる。

 2-3)通常の投資リターンは5%程度か。それより大きいリターンには起業が好ましい。しかし、参入障壁の少ない起業(目新しい技術が無い、例えば美容院など)はリターンがあまり期待できない。

3)目標金額になるまで投資のリターンに手をつけない、給料の一部を日々投下する。

資本がある程度大きくなり、リターンの率が良い場合、資本は回転だけでも増えるであろう、またリターンが大きくなればリターンから実生活に補填してもいいのであろう。そこで初めて金持ちになったといえるのかも。

ここから導き出せるのは(1)若いうちに投資感覚を養う・行動する。(2)資本が大きくならないうちはリターンに手をつけない、資本を投下する。(3)収入以上の生活をしない・資本の投下を優先する。ということになるであろう。

まぁ金が貯まったからといって、クルマを買ったり、家を買ったり(投資物件は別)してる場合ではないということだ。言うまでも無いが貯金はバブル崩壊後の一部の資産デフレを除けばインフレ率に勝てない(資産の目減りを招く)。

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経済学理論が実験の結果証明された件

通常の国家の中央銀行は通貨価値下落という意味の急激なインフレは望まないであろう。また割引率が負になるようなデフレも望まないであろう。まぁそうならないように財政政策と金融政策は独立しているのであろう。ところが政治がダメダメだったらそんなの関係ない。

インフレ率が1万%を超える生活というのが想像できない。ジンバブエインフレ率を聞いてびっくりした雑感。かのジンバブエではインフレ年率が公式見解で約25千%、闇価格で15万%なんだそうだ。

年率15万%ってどんな数字よ。1ヶ月で物価が1.84倍になり、2ヶ月で3.4倍だ(通貨価値はそれぞれ54%、30%に)。そんなところでよく生活できるなと思う。常識的に考えれば自国の通貨を放棄し、基幹通貨(ユーロとか米ドル)とか金・銀を用いた方がいい気がするが、それも金満日本人の考え方で、その金(カネ・きん)を買う金がないのであろう。ここまで行くと貨幣なぞ無い方がいいのかもしれない。

原因はWikipediaによると白人から黒人へ土地の強制収用を行い、プランテーションのノウハウが逃げたからだ**。さらに価格半減策などの政策***は市場を無視した政策で、池田信夫blogでいう一段階の論理の正義の典型状態。普通は論理的に導き出される結果を実験することは無いのだが実験をなさったようだ、経済学の勝利だ。経済学は理論に対する追試が難しいのだが理論どおりのことが起こったようだ。

池田信夫blogではこの「一段階の論理の正義」を批判しているが、農業政策はジンバブエ政策と変わらないような気がする。デフレにより給料が変わらなければ生活は楽なままだ。しかし、市場価格を無視した政策****を行った挙句、資源価格高騰を無視してデフレをエンジョイしてると、あっという間に消費が冷え込み、ハイパーインフレが起きるかもしれない。日本でも壮大な負の実験を行わなければ良いが。

 

*言葉が正しくないかもしれないけど投資するより貯金した方が得な世の中のこと、負の負は正。

**日本も農地解放を行った歴史があるが、そのおかげで農業はお荷物になり、戦後農業への補助金を遣い続けてもまだ独り立ちできていない。

***これも日本で経験がある、徳政令というやつだ。実情価格を無視して価格を決めると売れば損になるので物資が供給されない→インフレ。そもそもインフレ状態なので物資の方が金よりも価値がある。二重のインフレで物資が無くなる。

****医療、農業、行政サービス、政府が絡むほとんどの物。

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ピエール・マルコリーニのロシェを食す

世の中バレンタインデーだったわけで、チョコ業界は書入れ時ですね。そもそもこの戦略は非常に頭がいいと毎年思うわけです。女子が「自分の欲しい物をプレゼントして」少しだけ男子に渡し、後は全部持って行ってしまう。ほとんど自分で買った物を食べてしまうくせにプレゼントしたことになってしまう。おまけに職場の女子も僕の嫁のために買っている、「センスがいいとは言わないけど悪くないでしょ」というところか。

一方ホワイトデーがいまいち商材としては定着していないのは、男子が自分のために買えて、なおかつプレゼントしたという体裁になる決定打となる商材がないからでしょう。お酒業界が無視しているのは不思議というしかない、「ホワイトデーには憧れの白ワインをお二人で」とかどうでしょうか。または「カニ・ふぐ」というのも白くていいかもしれませんし、雪見ツアー(当然1泊2日)に誘うというのも男子としては費用効果が高いものでしょう。

標題の件であるが銀座の高級チョコレート店の品物らしい。僕はナッツ系の菓子が好きなのでアーモンドスリーバード(アーモンドを棒状にカットした物)をチョコ掛けしたロシェをチョイスしていただいた模様。ちなみに正月菓子のリクエストはフロランタン(タルト生地にアーモンドスライスを乗せカラメルで固めた菓子)だったし。

届いたのはロシェのミルクとビター。ギャグかと思うのだが¥2,100/90gだ、2種なので送料込みで¥5,000を超える、どうよそれって。銀座までの交通費や並ぶことを考えたらこれでいいのだそうだ。理解不能脳内インフレだ。

味は絶品。チョコレートそのものの味はビターの方が美味しいのかも知れないが組み合わせたバランスはミルクの方が美味しい。申し訳ないけど職場で貰ったチョコレートとはレベルが違った。まぁ味よりもパッケージを楽しむという別の楽しみということで。嫁は銀座に行ったときは「次はこれを買う」と喜んでいた。やはり自分のためだ。

では男子は楽しんだのかでしょうか。僕個人としては職場や知人の可愛い娘が告白してくれるかもと、一週間ほど「脳内妄想」が盛んだったわけで、それはそれで楽しみました。楽しんだ後は出費が待っているわけですが。

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レッテル張りは不快感をもよおす件、米軍の移転先をオークションすればいいと思う件

少女暴行 米兵の犯罪また 沖縄県民に反発広がる(産経新聞) - goo ニュース

沖縄の米軍基地に対する複雑な感情を理解していないのではあるが。

この事件に対して知事や議会が「再発防止や謝罪、補償を求める抗議決議と意見書を全会一致で可決」というのがいまいち分からない。今回の事件は容疑者は身柄を拘束されており日米地位協定は関係ない、はずだ。もちろん米軍がもみ消し工作や、身柄引き渡しを拒んだというなら話は分かるが、米軍の問題というよりその兵士の犯罪の問題のように読める。95年以来というから頻繁に強姦事件を起こしているとも思えない。米軍以外の性犯罪は非常に多く発生しているのだからことさら「米軍」を強調するのも如何と思う。もちろん人口比の犯罪率が高いというのなら別だが。

このような容疑者の属性を問題するなら教師は毎日のように痴漢や未成年買春を行っている、それで文化相が抗議を受けたとは聞かない。やはり米軍という存在が地位協定の面もあり県民感情が複雑ということであろうか、だから過剰に判断するのであろうか。とにかく「米軍」というレッテル張りをして、議会や知事まで文書を手渡すのは生きすぎだと思う。気を悪くされたら申し訳ないが他意はないので文意を汲み取っていただきたい。

在沖縄米軍構成員の犯罪検挙人数は減少しているとのこと。騒音問題・資産の凍結問題などは別だが本当に米軍関係者は酷いのであろうか。横田・厚木基地ではあまり聞かないだけに不思議なのだ。ましてや組織的に治外法権を主張しているように見えず。。。

現在、不況・デフレから脱出が難しい日本、米軍基地のオークションをしてはどうであろうか。まぁ地形的にどこでもいいというわけにはいかないとは思うが、経済規模も大きいので雇用は促進されるし、自治体に落ちる税収も増えるであろう。高知県の東洋町では原発の放射性廃棄物の受け入れの是非を問う問題があった。結果はともかくリスクの価格が無限大ということはないので価格が折り合えばありなのでは。

原発や基地は無条件に嫌がられるようだが破産した自治体が出てきたように費用の問題を建前で押し通すことは出来なくなってきた(遅いと思うけどね)。もし本当に米軍の存在が嫌なら沖縄県主催でオークションをかければいい。米軍があることは雇用や経済規模を大きくするなど正の側面もあるのだから。

 

追記:結局少女は告訴を取り下げた、なんじゃこの事件。少女は事実があったのか無かったのかを明らかにしていないので真相は不明。県の対応を見守ろう、「決議」の価値や道理が分かる。

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疑似科学はなくならない

石けんシャンプーネタがちと続いた続きを。

サイトを眺めていて感じたのは「疑似科学」は決してなくならないということだ。古くは紅茶キノコなど数多の健康法がある。昔から民間療法としていろいろな健康法があるが決定打は無い。「薬」にならない以上薬効も無いからだ。不足しがちな栄養素を補給するという概念はあるであろうがバランスの良い食事を摂っていれば栄養が足りないということが無い現在ではほとんどが無効であろう。フレンチパラドックス等、疫学調査で有意差があるものもあるのであろうが。

疑似科学を流布するインセンティブは2つある。1つは商売上の理由だ。健康商法は人の不安に付け込んだり、煽ったりするものだ。自分の利益になるのだからあらゆる知恵を使って購入してもらう努力が行われる。健康上、美容上の不安など誰にでも山ほどある。

人の心配を煽る健康商法だが、ある程度の援護射撃がないと誰も信用しない。そこで反公害活動社会派の存在が大きな地位を占めている。以前洗濯用合成洗剤が水質汚濁を促進しているという告発があった。それは「当時」は事実であったであろう。ところが合成洗剤悪しという理論武装を行った。しかし現在は下水道が発達し、合成洗剤自体の改良も進んでほとんど問題にならない。ところがかつての活動家は昔勉強したときから進歩していないのである。知識が無くても直感で批判するのだ。

2つめは「宗教」であることだ。宗教の本質は「ある事実を絶対視」することと「信者を増やすこと」だ。購買者も最初は効いたら儲け物程度であろうが、内容が人の不安を煽る性質である以上、宗教的な雰囲気を持ってくる。ここまで行けばシメタもの。購買者も漠然とした不安をなにかにすがりたいのであろうか。これは宗教と構図が似ている。1つめの説得に納得してしまった人は善意で布教活動を進める。教えてgooで石けんシャンプー信者は善意で回答してくれる。漠然と不安を持つ人が新たな信者になるという図式が面白いように具現化している。

一方、これらを啓蒙しようとしている勢力は著しく弱い。そりゃそうだろう。嘘を流布するのは自分が得するから一生懸命行うが、科学啓蒙派は自分の利益になるわけでもない、自分のテリトリーで論じるので信者の目に触れない。おまけに「義務教育でわかるだろ」と上から目線のため評判が悪い(単なる印象)。もっとも「反証可能」が教義である科学は、その実力を装った疑似科学が大嫌いなの点は宗教チックではあるのだが。それでも科学信者は損得をある程度考えてしまうため、説得が迫真に迫らない。教えてgooで(合成)シャンプーが悪いわけではないと説得を行う例*も見られるが、スルーされてしまうる。人間は信じたいものしか信じないという典型だ。

騙したい人が居て、信じたい人がいる。信じたい人は信じたい事実(例えば成功例等)しか信じない。おまけに科学啓蒙派は本気度が足りない上、上から目線だ、信者との対話の状態に辿り着かない。

これでは永久に疑似科学はなくならないなぁ。

 

* >合成が悪くて自然が良いなどと議論したくて質問したわけではありません。と言いつつ、>洗剤などが海や川を汚しているのは事実だと思いますけど・・・と事実誤認をもとに科学武装した気になって自爆。

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リサイクルは数値目標が諸悪の根源

事務用ファイルの表紙素材で偽装(産経新聞) - goo ニュース

うーん、記事ではあっさりだがやはり再生紙問題と同様に樹脂メーカーはユーザーからの要求に屈したようだ。この問題の問題点はリサイクルは経済的ではないというに尽きる。金属や二(ふた)昔前の古紙(ちり紙交換)は経済的に成り立っていた、数値目標よりも儲かるからやっているわけだ。

一時、ちり紙交換が壊滅し、紙のリサイクルが危ぶまれた時代があった(いいかげんな記憶では15年前くらいか)。ちり紙交換の仕事は新聞と雑誌を収集し、それを分別し、高く買ってもらうという仕事であった。ところが自治体が無料で古紙を製紙会社に卸すようになるとちり紙交換業は全て潰れた。しかし、自治体の集めた古紙は(新聞・雑誌・ちらしを)分別されているわけではなく、低品質の古紙であった。古紙の品質が値段と同様に急激に下がって対応できず製紙会社は苦労したと聞いた。何でもかんでもリサイクルできるわけではないのだ。市民はちり紙が欲しくて、ちり紙交換業者に受け取ってもらうためにある程度分別を行っていた、業者はさらに分別し商材としての古紙を卸していたのだ、自治体が資源ゴミとして収集するようになり制度の悪さ、分別のインセンティブがなくなり、古紙の品質は落ちたのだ。

経済的に成り立たず、おまけに品質的に割が合わないリサイクルを進めるとこのような問題がおきるのは自明であろう。それを法律で縛ってもなかなか上手く行かない。簡単に言うと頭でっかちが設計したリサイクルプランは経済的に成り立たないという重大な欠陥を内包しており、欠陥の小さかった上手く回ってたリサイクルをぶっ壊した。現在では古紙分別の能力が上がってきたと聞いたが、それでも容リ法の紙はフィルムや塗料でコートしてあることが多くリサイクルは大変だと思う。

それがプラは顕著なのだ。唯一回収が出来ているのがPETであろう。それ以外のプラゴミなど工業資源にはならない、金を払って使ってもらうような代物だ。実際、紙・PETですら収集費用など税金を投入して買って貰っている。リサイクル品の入り口はこんなものだ。

では出口はどうか。記事には出ていないが、品質クレームがあったという。無理やりリサイクルしている材料が高純度であるわけも無く、相当低品質であったのであろう。収集・原料化に費用(税金)を使い、リサイクル好きの企業に卸したと思ったらその企業も持て余していたわけだ。高コスト低品質の材料を買ってもらえるコンセンサスが出来ずにイメージ先行であったわけだ。

おまけに買うほうも「買った(使った)」という事実が欲しいだけで、品質の悪いリサイクル品だから「この程度は仕方が無い」とは思わないという性質の悪い購買者だ。こんなことでリサイクルが進むはずが無い。製紙メーカーが非難されるのはある程度止むを得ないとして、購買者が非難されないのは異常だ。品質が悪いから購買リストから除くという脅しで材料メーカーに偽装させたのだから根本の責任は製品メーカーにあるとしか思えないのだが。そこで日本郵政はどんな対応であったか。被害者ぶったあの態度だ。これでは偽装が無くなるはずが無い。再生紙ユーザーは再生紙の白さも値段を買い叩く材料に過ぎず、本質などどうでもいいのだ、その上被害者面だ

閑話休題。持続性のある社会とは多分100年程度を考えているのであろう。ところが現在の石油価格・石油掘削能力を考えるとあと30年で枯渇するそうだ(私が小学生の頃から変わらないので正しさには疑問はあるが)。であればCO2問題よりも、資源としての石油の方が差し迫っているわけで、であれば価格がコントロールするというのは傲慢であろうか。資源は高騰する(掘削費用が上がる)のでそれに対する省資源を素直に考えた方がいいのではと思う。地球温暖化で困る前に石油が高騰し、石油をエネルギーに使う場合ではなくなると思うのだ。

話が反れた。あまり観念的に考えるより、経済原則に則った方がいいのではないか、石油価格上昇時への体力をつけるために税制を敷くのには反対ではないが、理念しかない環境施策は強固な理論・論理がないと成り立たない、で現在はそのようなコンセンサスが無いように思うのであるがどうであろうか。

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霞ヶ関は手詰まりな件、永田町はそう思っていない件

以前、日銀がインフレを懸念しすぎる余り、対応が出来ていないと。いわゆる「インフレ馬鹿」という点だ。また中央銀行として量的緩和はありえないというポリシー(政策)感もある。

で、大いなる疑問なのだが不景気当時日銀は公定歩合をコントロールする以外の方法はあったのであろうか?つい最近まで量的緩和≒短期金利ゼロだ。金利でインフレ(デフレ)をコントロールする中央銀行の手札が0%では関係ないじゃん、福井氏は利息が無い中央銀行総裁だったのだ。

昨年末、サブプライムローン問題が表面化したとき、バーナンキ氏は楽だなと思った。インタゲは放棄したとしてもまだ下げる利率があるわけだ。

でも結局中央銀行が出来ることの限界が今回示されたのではないか。日銀のやり方が間違っていたのかは分からないが、FRBのやりようを見ると、「日銀の出来ること」と「FRBの出来ること」がはっきりし、金融政策よりも財務政策の方が優先度が高い。日本は官僚・閣僚とも保護政策重視で投資家軽視が投資家逃避を招いて、NYダウよりも振れて、アナーキー状態。

妄想であるが福田氏はリベラル派で目先の数字に興味が無く、官僚も既得権争いな感じがする。経産省は利権のコントロールに御執心のようだし。結局保護政策は保護された人は努力・淘汰されないし、保護により競争への参加権を奪われた人は損するし、誰も勝てない。保護政策は毒薬ということか、十分に資本主義が成熟していたら政治が個々の業界に口や金を出すのは有害無益ということだろう。その積み重ねが地方の疲弊を招いているといえる。

ところで渡辺千賀さんのblog「On Off and Beyond」で

> 「なるべく何もしないのが良い政府。産業界に干渉せず、税金はなるべく少なく。産業保護・育成なんてとんでもない。」というのがアメリカの保守の王道。

> リベラルの王道は、福祉万歳!政府は大きくしよう、中絶賛成、移民に優しく、、、といった感じ。

なのだそうだ。日本と全然違う。まぁ福祉を軽んじるが寄付で賄うという社会らしい。そう考えるとアメリカが度重なる不景気から甦る歴史、かつシリコンバレーのように予想外の復活を遂げているのも分かる。アメリカは人口がOECD中最多にも関わらず人口当たりのGDPは上位に張り付いている。

日本とエライ違いだ。

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