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マスコミと行政、コスト意識と倫理

本日、某TV放送で横浜市のとある区で野良猫が増えているとのレポートがあった。
捨て猫が多い。→猫が道に飛び出し交通事故の原因になる。→ボランティア団体が不妊治療を行うには金銭的な負担が大きい。→行政(税金)でなんとかせい。
てな感じ。
さらに行政(保健所)の怠慢で捨て猫が増えた、しかし保健所は野良猫を処分する権限がないと悲痛の訴えであった。

土曜の昼間にTVを見ている筆者の暇人ぶりばればれであるが、この夕方の放送にはつっ込まずにはいられなかった。
ただでさえ貧乏な市に猫の駆除費も出させんの?どうせ役人は法律上の問題をクリアにして、それから予算をとって、人間を持ってきてというプロセスを経ないと動けないでしょう。人件費だけですごいことになると思うけどそれでもやるの?やって欲しいの?
そのTV局は自治体の対応に問題があるとのレポートを報道することが多いけど、何故その費用概算を提示して「税金を使え」と言わないのであろう?
コストを提示して初めて議論に乗っかると思うのは私だけ?
政府・自治体への要求は結構だけれど、コストを無視した報道は愉快犯だよな。TV局社員といえば知識・知恵も豊富だろうし、世間のこともよく知っているだろうしね。当然「コスト」は会社運営(予算とか売り上げとか)に必要であるだろうから意識してるよね。

社会問題に対する政府への批判はほとんどコスト概念がないような気がする。あれに人を出せ、金使え。税金は無限だと思っているのであろうか?

上記の主張には必ず「適正に使われていない金を廻せばいい」といった論調で批判されることが多い。ではどれだ、その金は。明らかな不正ならともかく慣習なり何かの過去の事例があって予算がつくはずだ。政府・自治体が無駄ゼロだとは思わないが、無駄のない(批判のない)民間企業の予算はあるの?よう、某マスコミ社さん。それが明らかなもの(犯罪等)はその土俵とは別に処置すればよいことであるし、曖昧なものは議論していけばいい。無駄を省くという議論は別にして、少なくともコストをオープンにしなければ絵に描いた餅。報道するのであるならば問題提起をして、コストを明らかにし、その報道の予算の一部を野良猫対策NPOに寄付する方が現実的。だっておよそ実現不可能な報道を垂れ流すだけなら単なる自慰行為だもんね。

マスコミの行政の対応が不十分であるという批判、片方で債務・無駄な仕事が多いという批判。それを同時にやるセンスが判らん。
それは確信犯なのか?彼らは馬鹿ではないよな。では・・・。
反論はhttp://tatakisugi.blog57.fc2.com/
でいろいろ述べられています。


しかし本当のところマスコミは馬鹿なんかではありません。
マスコミは営利企業であり、株式会社だということ、スポンサーもいるし。「報道の中立性」はお題目だよね。企業として成り立つためには売り上げ(販売部数・視聴率)至上、コスト低減(いい加減な取材)、ステークホルダー(スポンサー・株主)の利益が必要不可欠。(真実よりも)面子も大事だしね。
そう思えば腹も立たない。個人的に不利益を受けない範囲なら営利企業の勝手な販売(報道)にけちをつけてもしょうがない。
であるので「**新聞が××と報道していた」には「営利企業の商品に踊らされてどうするの?」ってのが大人の対応かな。

でも彼らは「ペンは剣よりも強し」って言ってるからな。彼らを馬鹿にするとペンで殺されるからなぁ。ペンは自由でかつ剣よりも強いんだよ。北朝鮮よりたちが悪いってことか。。。はぁ~。
ペンで殺されると剣で殺されるより不幸だもんね。ペンで殺されかけるよりは剣で殺されかけた方が幸せだよね。相手がはっきりしていれば賠償、拘束どの観点でも剣の方がやさしい。

あ~あ、僕もマスコミに就職すればよかった(マスコミにいる人はそれがわかっていた頭のいい人なんだろうな)。自分でクーデター起こした雇われ社長が元間接大株主現容疑者へ勝手なこと言ってたもんな。いい会社だよ。
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学問の敷居

弾小飼氏と47th氏の議論が噛み合っていない(http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50683676.html)ことになにかむずがゆさを感じる。
知的な議論を方々で行っているblogという媒体は勉強になる。
でも高度に学問化された分野では知識が重要になるみたい。
頭がいい(頭脳ゲーム:議論のための議論)と専門性とは別でしょうからね。

そりゃ私も理解できる。工学機械系のわたしにとって、いくら切り口が斬新でも
「1kgの力で開かないPETボトル」という表現は駄目駄目すぎて突っ込みたくなる。 あの~1kgは力の単位(unit)ではないんですけど、あの~ボトルの開くのに必要な単位はトルク(モーメント:N・m)であり力ではないんですけど。

経済や法律は身近に感じる事象だけにいろいろな人々(それを専門にしていない人々)が論じたりするでしょう。しかし専門分野にいる人にとっては最低限のルールは必要であると感じるでしょう。(まさに私だ)
切り口は理解できる、考え方も面白い、でも表現(単語)がだめだめ。基本的な知識も欠落。こんなど素人の提案は無意味なのであろうか?

私は「いちいちそれを正す」人種であるが本当にそれは必要であろうか?

でも個人的には「その世界の常識」を「その分野に疎い人」が結果的に「間違っている表現」で主張していることを容認できないだろうな。
やはり慧眼的な素人の主張でも明らかな間違いは許せないだろうな、僕は。

では正確性の揺れはどうやって収差されればよいのであろうか。
私自身はその人々の背景と知能を信用するしかないのかと思う。

知能の遊びという意味ではfromdusktildawn氏のやり方の方が「議論」を遊びでまじめにやれる気がする。(尊敬)
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未来の死

2***年 クローン技術の完成、遺伝子老化問題もクリア。
2***年 生化学的言語の全解明が完成。
2***年 人間のソフトウエアシステム(OS)の解明。
2***年 記憶の保存に成功。
2***年 クローン体に記憶のインストールに成功。
2***年 不治の病、大怪我の際、体を乗り換えることに成功。
 この間、宗教的、倫理学的な大論争が起こるが不治の病には容認。
 しかし、不死を求め違法に身体の若返りを求めるものが続発。
 寿命は金で買える時代に突入。
 ただしクローン作成、記憶の保存などに莫大な金がかかるため、
 永遠の生命は事実上ありえないと思われた。

 過去の偉大な競走馬は現代の競走馬よりも、
 競争能力が遺伝的に劣ることが証明された。
 誰もが若返られない、若返る回数もそう多くはないであろうことから
 一般には若返りは普及せず、容認されていく。
 為政者は賄賂(再生の提供)により禁止法案を可決できない。

fromdusktildawn氏がおもしろい死観を展開されているので
ちょっと考えてみましたが完成度がいまいちですね。
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覚書(防備録)

国立西洋美術館 ベルギー王立美術館展(H18/11/3)

特徴
圧倒的な国力としての芸術力を主張していた。
肖像画の迫力大(ルーベンスに代表される人物が多く描かれている作品)
静物(若冲より迫力あり)
素描の風景画はジブリとかぶる。宮崎の着想がここにあるかどうかは判らないが非常に似ている。
近代の風俗画は面白い。
近代の代表作は?(悪いという意味ではない)
現代は点数少ないながらgood。マグリッドを生で見たのは初めて。

予想を超える感動を得られた。\1400は安い。

次はダリか。仏像展(国宝・重文45点)は気になる。エジプトも(曜日指定制)
エッシャーは興味なし。宗達(風神雷神)を行かなかったことを悔やむ。


上野黒船亭にてグラタン(ハーフ)と特選ハヤシ(ハーフ)を食す。連れはドリア
値段程度に美味い(特に一口目)。ハーフは正解。特選の肉は固い。
ソースは味が濃い。揚げ物の方がよいか。フルサイズはきつい。(ハーフがあるのでそれはそれでよい)
次の上野昼飯定番店を見つけたい。

お勧めの上野ランチを教えていただきたい。
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