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テロリストを見たことがある件

今年もインドなどでテロが起きた。世間の反応は「テロはよくない」という反応であった。つい20年前には大学にはテロリストの残骸がまだ生息していた。また成田の方にドライブに行った時にも左翼と思しきいでたちのグループが警官隊と小競り合いを起こしていた。私はそれを見たのだ。連合赤軍のあさま山荘事件から13~16年後のことである。

新左翼というか革マルはその時代にも普通に居たのである。大学でヘルメットにマスク、棍棒といういでたちでデモというか主張を述べていた。私は子供だったので何を言っているのか興味がなかったのもあるがさっぱり分からなかった。

連合赤軍当時は政治家や知識人が彼ら行為(テロ)を好ましく思う、擁護する発言が多数見られたようである。テロリストはある程度国民に受け入れられなければ存在できないか地下にもぐる。堂々と歩いていた当時は国民のある程度の支持があったのであろう。ようは国民がテロをある程度黙認していたのである。私が大学生だった当時、大学内自治という名目でテロリストの存在を社会が許容していたのだ。現代では考えられないかもしれないがつい20年前の話だ。それからだんだんと「テロは許さない」という風潮がテロリストを許容しなくなった。あさま山荘事件から15年はかかったのだ。

現代、中東で起こるテロを日本人はなにか「頭の中身の構造が違う」みたいに遠い存在と考えているような気がするが、最近はほぼ絶滅したが20年前には普通に居たのだ。‘60年代生まれの私もテロリストを見た経験があるのだ。

 

*機動隊と衝突したデモ隊や大学入学試験でのデモ隊を「テロリスト」と言うのはおかしいのだけど。しかし大学入学当初に自治会に傘を用いて襲ったグループが居たらしく、マイクを使ってお互いを非難していた。これはテロであろう。

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有馬記念を前に徒然なく思うこと

今日のレースでは次のダービー馬と目されていたリーチザクラウンが無敗馬のロジユニバースに敗れた。ジュベナイルフィリーズを楽勝したブエナビスタに先着し、ディープインパクトの再来と目されていたがあっさり負けてしまった。

リーチザクラウンはスペシャルウイーク産駒だが、スペシャルウイークの同期にエルコングラスワンダーが居る。3者の産駒が活躍するのを見るとグラスワンダーが朝日杯3歳S(現フューチュリティS)に勝った年のことを思い出す。この

当時グラスワンダーはマル外ということもあってクラッシックとは無縁だった、が故障で春を棒に振った。年明けにはエルコンドルパサーがダートの共同通信杯が雪の為にダート変更になったレースをぶっちぎった、そしてNMCまで連勝を伸ばした。皐月賞に負けた後のダービー馬スペシャルウイークもエルコンと比べると色褪せて居たように思う。

この年の毎日王冠は今でも最もワクワクしたレースであった。その年の宝塚記念で逃げ切ったサイレンススズカと、両マル外3歳馬の初対決であったからだ。またグラスとエルコンの両馬の主戦騎手であった的場騎手がグラスを選んだのも興味を持った。両3歳馬は4歳G1馬に勝てないかもしれない、でもどのようなレースをするか、天皇賞が当時マル外を拒んでいたので事実上の頂上決戦だったのだ。そこには当然スペシャルは居ない。

毎日王冠の勝ち馬はサイレンススズカで、その後天皇賞で故障・予後不良。2着のエルコンはJC勝ち。グラスは毎日王冠、アルゼンチン杯と掲示板すれすれのレースの後有馬を獲った。エルコンはその後海外レースに進んだ。グラスは大負けもしたが後の宝塚・有馬とスペシャルを下した。

今はマル外という理由で差別されることが少なくなった。今日の有馬記念はウォッカ、ディープスカイが居ない。日本の最高峰レースはマル外に開放された今、府中の2千なのであろう。

天皇賞で一番強い競馬をしたのはダイワスカーレットだと思うので買いだ。アルゼンチン杯を最速の上がりで、そのままJCも差したスクリーンヒーローと中山巧者のマツリへの馬連もしくは馬単の2点で勝負しますか。

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「戦争ってどうして起こるの?」に対する感想

戦争ってどうしておこるの?1~お玉おばさんでもわかる 政治のお話(2,3,4と続編があるので参照、特にコメント欄)

Linkは(勝手にレッテル張りをするとblog主は)護憲派というか反戦派のblogで戦争の本質を読者に問いかけたモノ。本質を問う事はレトリックを許さないので米欄は少ないけど。例えば「戦争が好きな人は居る」と論じようとすると具体例を挙げなくてはいけない、例えばブッシュ大統領なんかはそういう対象かも。でもブッシュ大統領も戦争が好きというよりは戦争を行う必要があると決断したから仕掛けたのであって戦争が好きというのは違う。お金の心配をしているのでなおさらだ。「戦争が好きな人」が居るからというのは無理がありすぎなのだ。レトリックを除いた本質を論じようとすると、反戦派はレトリックに頼っていることが分かってしまう。

またブッシュは憎いけどという議論は理性的に進む可能性もあるけどイデオロギーや宗教の問題は理性的に進んでいないことを世の中が証明している。ブッシュ大統領に靴を投げつけた記者が英雄視されているようだが、ムスリムの指導者が同様の待遇を受けても彼らは許せるのか疑問だ。ムスリムは過去に様々な迫害を行ってきた、ムガール帝国しかり、インドネシア(東ティモール)しかり。ムスリムは理性的な対応をムスリム内でとれないので絶滅した方がいいと主張されたら彼らはどう反論するのか?

私の立ち位置というか戦争への理解は馬車馬さん(平和主義を唱える人たちへ~マーケットの馬車馬)やかみぽこさん(田母神問題で思う、世界で通用しない保守派の内弁慶~DIAMONDonline)の論理がお気に入りだ。前者は交渉にはコストがかかるというか本質的な相互理解は難しいので疑心暗鬼に陥るという考え方、後者は保守派は世界に発信しておらず非主流派という論理。

本質を語るのは結構疲れる。「戦争反対」みたいな美しいレトリックは効果をもたらさないからだ。でもLink記事は真面目に問うている。もう少し議論が発展したらと希望する。

 

Link記事とトラックバック先が違うのですが米欄が面白い方にTBしています。

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貯金ゼロの派遣を擁護する件

先日、解雇と言うか契約を打ち切られた派遣への疑問を呈したのだが(派遣は何故スーツを着ていないのか~だめリーマンの思考法)、彼らにも守られる理由は有る。もちろん人権的にも守らなくてはいけないが、そうでなく彼らには特異な経済価値があるから彼らを守る事は合理的なのだ。

「年よりは小金を貯め込んで消費に向かわないので景気が上向かない」という論調があった。全く貯金しないのも銀行が、ひいては銀行から融資を受けている企業が困るがある程度は遣ってもらわないと経済が回らない。まぁそういうことであろう。ところが貯金が無い派遣はその真逆を行っているのだ(「4年間働いて手取り25万。貯金ゼロ、生活できない」...三菱ふそう派遣社員ビラ配り~痛いニュース)。手取り全部を消費に回している景気のための存在と言えよう。彼らは職さえ与えれば消費率100%なのだ。定額給付金を支給する際に貯金に回る、いわば投資効率が問題になったが彼らは100%なのだ。これほどありがたい存在はいないのではないか。

彼らは所得税と手取りに対する消費税をその場で払っているのだ。納税率高すぎ。そんな彼らを守った方が税収からいっても景気からいっても得であろう。

給料の一部を貯金に回す小賢しい奴らは定額給付金も貯金してしまうであろう。どちらに金を落した方が効率的かは明々白々だ。らくだのように貯金が出来るまともな精神構造の人間は将来を心配して準備しているので放っておいても生きていく。ところが究極のキリギリスはエサが取れなければ死んでしまうので、エサが少ない時期には支給してやってもいいじゃないか、それが日本の為に得になるのなら。

所得の多くをローン返済に充てている私からしたら理解できない存在だが、その存在を認めるとかなり役に立っている。彼らは多分私より消費している。政府は私を救済するより彼らを救済した方が消費が上向くであろう。

だから彼らには職を斡旋するとか、自力で職を見つけられるまで税金で補填しても何にもおかしくないのだ。もちろん彼らにも人権があるので最低限の生活を保障する責任が政府にはある。

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公定歩合の低下は資産家から企業への所得移転なんだよな

ちらほら経済blogを見てみた感想。

住宅ローンを抱えている身は金利が安い方がいいに決まってる、例えば住宅ローンの変動金利は1%程度で、銀行が事務手数料を取ったあとの預金は定期預金で、、、な訳だ。そして私は低金利をエンジョイしているのだ、が、当然投資先の金利も下がっているので繰り上げ返済をするのが我が家の金融政策なのだ。

お金は経済活動の血液なので皆が手元に置いておきたい、でも過剰に置いておくと投資効率が下がるのでバランスを取りたい。借金の利息が高ければ早く返すインセンティブになるけどゼロであれば借金の存在はどうでもいい。しかも貸すのは国だ。国は損得抜きで貸せるが、投資家はそうはいかない。

常識的に考えれば投資はリスクを伴うので投資利率>金利が常識。で金利が下がれば投資利率が下がっても文句は言えないと言うこと。本来は逆なのであろうが投資家からしたらそういう考えになるであろう。少ない金利でリスクを取るのは馬鹿馬鹿しいので投資そのものを止めるという可能性が高い。ゼロ金利は一般の投資家が投資を止める口実になるのだ。

なので金利低下は金持ちへの増税と同じなのだ。企業への増税、金持ちへの増税を望む向きがあるようだがそれって不健全じゃないの?というか儲けてひと資産築いたら日本から逃げるのが得策な政策って健全?企業への投資を期待する金利低下は政策的におかしくは無いと思うけどこの不景気こそ金持ちが金を使うような政策が必要だとおもうんだよね。利子利得はない、今後増税する、金持ちは税制のターゲット。これで金持ちがばら撒く要素はなんもない。

でも派遣社員も守るべき人材だ。収入を全部遣うのはなかなか無い。彼らを飢えさせると損だ、組合員は給与の一部を貯金してしまうが、彼らは全部遣ってくれる。経済効率1.0のナンバーワンだ。

結局、金利低下は金持ちいじめの政策だ、ぜいたく品の消費を抑える効果は絶大であろう。また給料を全部遣ってくれる派遣(期間工)を首にする政策もいまいち。

言葉遊びの範囲だが「金持ち優遇」「派遣優遇」が理論的にはGDP増大じゃないの?であれば正社員の既得権益をぶっ壊すのがいいとか。まぁ頭の良い人は統計を駆使してどっちが得かを考えてるんだろうけど。

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遺族が言う「無罪はありえない」という主張

パロマ工業元社長ら無罪主張=「改造で事故予測できず」-CO中毒死・東京地裁(時事通信) - goo ニュース

身も蓋も無い言い方をすると、遺族は感情でモノを言っている訳で論理的でない、と思う。明らかな殺人犯を目の前にしてもだ。無論私がその立場に立てばそうなると思うし、そこまで冷静になりたくない。

医療事件(あえて事故とは呼ばない)ではそのような傾向が色濃い。例えば福島の胎盤癒着に対する処置であるとか、割り箸が刺さった時の処置とか。遺族が悪いと言っているのではない、裁判のキモが過失が有るか無いかなのに、遺族が「過失を認めて謝る」のは当然だと言う態度に違和感があるのだ。そして裁判の結果無罪であったり敗訴しても、さも過失が有ったにも関わらず不当な判決なごときの報道は世論操作では無いかと思えるほどだ。遺族がどう思おうが事実と判決が妥当であった場合、被告や被告人は事実上人生を棒に振る。遺族の感情の論理を表明するのには違和感は無い、報道が脚色すればするほど現場は萎縮する。

遺族に自制しろとは寸分も思わない、裁判をしても良いであろう。さらに判決を受け入れられなくても仕方が無いであろう。彼らは論理で行動しているわけでは無いのだから、感情の行き場が間違ったりすれ違ったのであろう。それはそれでいい。

何故それを「遺族が不幸」として報道する必要があるのか。その究極的なのは刑事事件の量刑を遺族が言及した事件(光市母子殺人事件等)である。もちろん遺族が不快感を示すことに異論は無い。しかしそれをセンセーショナルに煽る必要も無い。マスコミは視聴率と言うか顧客重視が徹底しているのでそのような行動にインセンティブがあるとしたら、被告や加害者はマスコミを訴える権利があるのかもしれない。

であればマスコミが遺族に焦点を当てるのは、煽り行動だと非難されてもおかしくない。マスコミが顧客至上主義で、事実関係を偏り無く伝えることが出来ないのであれば被告や被告人はきちんと訴えて頂きたいものだ。遺族の感情を尊重するのは結構であるけれども失われた人権にもそれ相応の配慮をしてほしいと感じる。

話を戻すと遺族は当然マスコットと理解して自分の主張を述べているのであろう。そしてそれは客観的ではないことは明らかだ。遺族の主張は主観的であると言うことを忘れてはいけないのだ。

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派遣は何故スーツを着ていないのか

派遣社員が打ち切られているというニュースが世間を賑わしている。少し前に就職氷河期があったので、彼らが好き好んで派遣をやっているかどうか分からないので「自己責任」論を述べるつもりにはならない、おまけに私は既得権益組だから余計に論評できない。

とはいえ違和感はある。何故彼らが交渉なり、文書を届ける際に普段着なのか。大人の格好とは思えない。このような正式な交渉にはスーツで臨むのが普通じゃないのか。

先に好き好んでやっているわけではないかもと述べたが、常識的な社会人であれば(礼服を含めた)スーツを持っていないというのは考えにくい。ましてや正社員を目指している人であれば当然のことだ。買えないほど給料が安いと言うのも考え難い。神奈川県中央部は工場地帯で常時期間工の募集を新聞折込でしていたので、相場は理解しているつもりだ。給料が安くてスーツが買えない・貯金が無いというのは有り得ない。

では持っていても着てこないのか、持っていないのか。どちらにしてもまともな社会人ではない。就職できずに派遣や期間工になったので社会常識を勉強する機会が無かったとしても、あんまりだ。なので素直に彼らの言い分を聞く気になれない。デモをやる暇があれば職探しをしろというちょっと冷たい感情もある。

一方、日系外国人が困っていると言う報道の方が余程心配だ。ところが彼らは「困っている」とはいっても「何とかしてくれ」とは言わない。そういうお国柄なのか分からないが自分で何とかしようというように感じた。言葉が不自由な彼らは日本人ほどは乗り切れないかもしれない。日本人では無いかもしれないが彼らのほうが援助を必要としている気がする。

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児童・生徒の携帯禁止でなにが変わるのか

橋下知事 携帯持ち込み禁止 小中生対象、年度内実施へ(産経新聞) - goo ニュース

県立高の校則などに「携帯禁止」明記へ…埼玉県方針(読売新聞) - goo ニュース

子供がいないのでよく分からないんだけど、「何が」問題なのかよく分からないというか、焦点がボケてる気がする。橋下知事は携帯の使用頻度と学業の習熟度は負の相関があるため禁止するというロジックだったはずだ。であれば、そもそも学校の授業中には携帯を禁止させる権限が教諭にあるはずなので、携帯の使用頻度は家庭の問題だと言うことになる。校内というか授業中は小中高いずれも禁止させることが出来るはずなのだ、それをあえて持ち込み禁止と言うのは「もう親には教育は任せられない」という問題が潜んでいるのであろう。そうであれば親も「学校が禁止してるから」というロジックが子供に携帯を与えない上で必要なのであろう。

橋下知事が激高しているのは、親への不信を表明したのではないか。本来の常識である親の教育方針に国・自治体・学校は口を出さないという不文律は現実を見ていないロジックであり、教育は家庭の問題ではなく日本という国の問題だと切って捨てたことを表明したのではないか。倫理・道徳を含めた教育は家庭に任せられないと断じたのだ。

昨今、(子供が居ないので嘘かホントか分からないが)モンペ(モンスターペアレント)だとか、学校に全てお任せの親が居ると嘆いているようだ。まぁ携帯禁止に即反発する御仁が居るようなので橋下知事の見解も間違っていないのであろう。

そう整理すれば従来の常識派である文科省に噛み付いたのも、携帯禁止をぶち上げたのも理解できる。学校も各々での対応にはもう匙を投げたのであろう、そうでなければ行政が教育に介入しようとしている行為に反発しない理由が分からない。

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食事手当てに対する風当たり

8独立法人が昼食代「手当て」13億円・・・検査院が廃止要求~YOMIURI ONLINE

 

夜9時のNHKニュースで外郭団体の準公務員が1人2~9千円/月の食事手当てを貰っていることを人事院勧告を受けたと報道していた。

街の人も、アナウンサーも「信じられない」と言っていた。編集なのでよく分からないが「えっ、別にいいじゃん」と言う人は居なかったのか?

少なくとも私は貰っている。取引先の会社などは食事手当てが月2千円支給され、社食費で月2千円徴収されていると聞いた、昼食代は実質ゼロなのだ。私の事業所には社食がないのでいいなぁと感じたことが過去にあった。大手サラリーマンの多くは食事手当てを貰っているのではないであろうか。というか省庁には安い職員食堂があるのに独立法人にはないとのこと、全然ぼったくってないじゃん。

公務員はそんなことまで突っ込まれるのかと笑いたくなる。まぁ私は公務員の平均給与には及ばず、賞与も及ばず、退職金は遠く及ばない、会社が潰れない保証はないので、法律がそうなっていて準公務員がその程度の透明性を求められても仕方が無いとは思うが。

ところが街頭インタビューでは明らかにサラリーマンでは無い人が「それはおかしい」と述べていた、多分旦那の給与明細をきちんと見ていないのであろう。さらにおかしいというか吃驚したのはNHKのアナウンサーが「国民感情とはかけ離れている」みたいなコメントを述べたことだ。彼らは当然食事手当てなり、社食で補助を受けているはずだ。自分への待遇を無視してまで、公務員は叩いとけばいいという短絡発想しかないのには怒りを感じた。

それともただの馬鹿なのか?

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寒い朝、布団から出る方法

最近、寒いですね。我が家は嫁がセコビッチなので朝は暖房を入れていません。マンションなのでそんなに冷え込まないと言うのもあるのですが。まぁもっとも着替えて身だしなみを整えてすぐに出るので必要ないと言うのもありますが。

そして朝辛いのは布団から出るときです。ちょっとメカニズムを私なりに考えて対策を打つことにより多少楽になりましたので紹介します。
私の場合、布団から出られないのは、体が冷えている場合です。夜中に暑くてタオルケットや掛け布団を蹴飛ばして、朝冷えると言うパターンのときです。なので寝相がよければこんなことにはならないのですが、夜は暑くても冷えるのは朝なのでなかなか難しいわけです。朝寒いと言う理由で毛布を増やすなどの行為は逆行為なのです。

そこで、朝起きる1~1.5時間前に一旦目を覚まします。そしてそのときに布団を整えるのです。1時間もうとうとすると布団はかなり温まっています。そうすれば2度寝をしたようなものだし、布団も温まっています。

私の場合はこれで布団をすっと出られます。

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死刑は合法的な復讐になっているのではないか

凶悪事件がそこそこ頻繁に起こり、そして被害者の遺族が「犯人に極刑を」と言っている。一つ確認なのだが被害者は加害者に極刑が下っても精神的な部分はともかく、全くメリットは無い。

被害者遺族は究極的には加害者がどんな刑事的な待遇になろうが一切関係ないのだ。死刑であろうが無罪になろうが。違うとしたら民事の場合であろう、多くの事件の被害者遺族が刑事事件での量刑に不服であることからそういう視点ではないであろう。

事件被害者家族が怨念の部分かもしれないがやはり加害者への量刑の多寡を述べても、被害者遺族はなんのメリットは無い。冷たいかもしれないが厳然たる事実だ。加害者が死刑になれば被害者が生き返るわけでもなく、被害者家族が得をする事は精神的な満足を除けばなにも無い。民事であれば分かるが、多くの加害者が貧乏なので(そもそも金持ちは喧嘩しない)、民事で得るものもほとんど無い。

死刑をやめさせるのを反対するグループがある、死刑推進論者だ。でもその犯人を死刑にしたら「スーッとした」というだけでは遺族にどのような利点があるのかという点ではなはだ疑問だ。もちろん(光市事件のように)遺族がそれを希望することもあるかもしれないが被害者遺族が犯人を極刑にしても精神的な何かを除けば利得はなにも無い。要はリンチの延長線上なのだ。

ちょっと話はずれるが医療訴訟で遺族が「医師はミスを認めて謝れ」的な発言が気になる。遺族は「患者死亡=医療ミス」と短絡的に捕らえている、なので無罪になると「素直に認めて欲しい」と会見を行う。医師にしたら「素直に(遺族の死を)認めて欲しい」ということか。議論が全く噛み合っていない。

医療問題では客観的に遺族側が「そうじゃないだろ」という主張をしてもある程度許されるようだ。犯罪がらみであればその経過や状況は全無視で犯人悪しという論調だ。

そこで冷静になろうって感じは全然無い。犯人が死んでも被害者は帰ってこない。犯人とされている人はどうなんだろ?

 

 

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エコプロダクツ2008に行ってきた

金曜日にエコプロダクツに行ってきました、この不景気というか、不景気トレンドでどのような展示か興味あったのですがへえ~って感じでした。辺見エミリさんがトークショーをしていたのですが、やはり芸能人は可愛い。スタイルが良い、キレイと言うよりはむっちりした感じで非常に可愛かったです。あとコンパニオンのお姉さんもきれいな方が多くて、、、。あと子供が多かったです、多分遠足かな。引率の先生は大変そうだった。

雑多な感想ですが

1)温暖化ガス(CO2)一辺倒から抜け出して各社自分の得意分野のアピールが多かった。これはある意味健全なのだが、ピントがブレテル感は拭い切れず、遠足のガキには難し過ぎるのかもしれない。しかし本来環境問題は複雑怪奇でお金の出所も心配しなければならないのでそれはそれで良いのかもしれない。

2)流通の展示が多かった。セブンアンドアイグループ、イオンが良い場所に陣取っていた、昨年は目立たなかった記憶がある。セブンは映像での展示だったので並んでまでは見なかった、イオンはPBであるトップバリューでエコを邁進すると言う宣言がなされていた、また流通は輸送・店舗の空調などでCO2を出すのですが、トータルで30%削減するとのこと。

3)政府の展示がばらばら。主催は日経新聞その他で共催が経産省・環境省・国交省・農水省等があったけど、気合が入っていたのは経産省。そして経産省がカーボンフットプリント・フロン回収・エコマーク等を展示していた。環境省はカーボンオフセット、後述するがなんか胡散臭い。国交省はエコレール、商品の輸送で鉄道の割合が多い物にエコのお墨付きを与えると言うもの。省庁がJR貨物に肩入れするのは有りなのか?農水省と文科省のブースは見つけられなかった。

今回は展示が目新しいのはほとんど無かったので政府系のブースを特に当たった。政策のお勉強と言うこと。目的がそもそも経産省のカーボンフットプリントだったのだ。どの程度本気なのか、範囲や正確性はどの程度を想定しているのかが、調査のポイント。スタッフ(連携している学生?とか他のブースは三菱総研の人だったり、また可愛い女性が展示をマンツーマンで説明してくれたり)が丁寧に説明していた。経産省は本気らしい、あんまり本気にならないでというのが本音だったのに。

一方、環境省はグダグダ。カーボンオフセット**を主体に。製品のある一定の代金をNPOに支払ってオフセットを試みるのは無理があるような気がする。そもそもNPOへの信頼感はまるで無いわけだし。そのような手法が持続的かと言うと多分NGであろう。スタッフも環境省の人は居ないようであった。やる気ゼロじゃん。

その他の省庁は語る必要すらない。

エコプロダクツはメーカーがメインで行われている、今回は流通も展示で居ていたが。どちらにしろ企業が中心である。経産省は3R法を推進しておりその意味では妥当なところであろう。ところが環境省は経産省と連携がとれないのか、とらないのかどうでも良い存在に成り下がったようだ。

 

まぁこの展示を見るのがメインだったのだが。製品を原料~製造~輸送~使用~廃棄シーンでのトータル温暖化ガス排出量を製品に表示すること。

**温暖化ガスを排出したとしてもNPOなどを介して植樹したりして、排出した温暖化ガスを相殺すること。

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円-ウォン スワップの行方

金融も国際も全くもってりかいしていないんだけど、思うままに。

やっぱり理解できていないんだけど政府は円建てでウォンを融資したらしい、デフォルトを危惧する必要があるのかしら?デフォルトしたら「もう生きる価値無いね」とか言われそうなのでそんなことしないんじゃないの、必死こいてデフォルトは避けると思うんだけど。そして現在ウォンは1年前と比べて円レートは半額になっている、円の力を借りてウォンが正常(貿易赤字を解消したら)になればレートは上がるだろう。そうすれば為替差益を受けられるじゃん。

ODAでくれてやるよりよほど影響力を行使できる。まぁその自覚が韓国にあるかという点でいささかの疑問が無いわけではないけど。

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goo blog の欠点

愚痴です。

昨日、今日とエントリーを書き込み中に、強制ログオフされました。2本のエントリーがパーです。ルールが明示されていないのでよく分かりませんが長時間ログインをしていると強制ログオフされるようです。

資料を調べてLinkして、といった作業をしてエントリーをupしたらログオフです。テキストだけならエディターで書いた後コピペするのですが、Linkを貼りながら推敲するのでエディターだけでは不十分なんですよね、もうやってられません。他のblogサービスもそんなものなのでしょうか。

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ゴミ・環境問題は特に本質を忘れ易い

今週はエコプロダクツが開催される。不況の中そのような切り口がなされるか楽しみ。原油価格が下がっているので、需要<供給状態で、油田の開発意欲は衰え、そもそも石油使用量は下がる。不景気って環境に優しいなぁ。というのは冗談としても石油価格が上がらないと環境技術は高くつく、そして普及しない。環境技術の高まりは石油の消費量が上がり、石油価格が上がらないと進まないのだ。なんか矛盾を感じる。

そもそも石油が安過ぎる。環境技術を導入してコストが下がれば問題ない。そうでないからいろいろな理由付けをする、そしてその「理由」の方が優先度が上がってしまう主張がのさばり、本質は置いてかれる。例えば地球温暖化問題は1)温暖化をストップした方が安いか、2)温暖化の対症療法のほうが安いかと言う議論はついぞ見ないで(地味には議論されてるけど)不景気フェーズに突入した。

そこで本題。もっとも上記も環境問題でそうは外してないのだが。

レジ袋を環境問題の悪の象徴として取り上げている、過激ではないがとうとう経済産業省まで乗り出した、当然環境省も。そもそもレジ袋をゴミ袋として使うことを禁止している自治体とそうでない自治体がある。これは何故だろうか、当然倫理とは関係ない合理的な理由がある。なのでレジ袋を規制している自治体も、レジ袋を規制している自治体もそれなりに理由がある。どちらが間違っていると言うものではないのだ。

レジ袋禁止の理由は「ゴミの減量」だ。自治体指定のゴミ袋はイコールゴミの有料化である。それを無料のゴミ袋で引き取るわけにはいかない。なので自治体指定のゴミ袋を推進する自治体はゴミ処理に困っている自治体が減量を目論んでいるのだ。別に温暖化ガス排出も、リサイクルも全く全然関係ない。なのでゴミ袋にうるさいところや分別にうるさい自治体はゴミ処分に困っている自治体なのだ。

分別・リサイクルもごみ減量が主目的。焼却したり埋め立てたりと、その処分に困っている自治体はゴミを資源として引き取ってもらった方がいいに決まっている。なので焼却場に余裕がある自治体と、埋め立て場に余裕がある自治体では対応が真逆だ。片やプラゴミは助燃材としてサーマルリサイクルをしたことになるし、片方はプラゴミを埋め立てる。平成の大合併はゴミの最終処分場確保に動いたと言う噂は少なからず聞いた(ソース・根拠なし)。

本質はゴミの最終処分に困っていると言うこと、ただそれだけでそれ以上はない。しかしそれは非常にカッコ悪いので(行政の失敗になるので)、別の理由が必要なのだ。それが倫理的な発言につながる。省資源、環境対策、リサイクル、etc...。なのでこれらの耳聞こえの良いフレーズを優先することになり、どうやら多くの自治体ではそれにこだわりすぎミイラ取りがミイラになってしまったようだ。

環境は費用に合わなかったり、流行で対応していたりする、そしてなんか社会的に良いことをしているような気分になり耳に心地良い。省資源や環境対策やリサイクルは美しい概念に含まれるので、目的化してしまうのだ。それを行っていればいいという思考停止というか本質を見失うのだ。環境問題は美しい理念に引っ張られる傾向があるのではなはだ危険なのだ。

まぁ理念の美しさに引きずられるのは、環境問題に限らないと思うけど。

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