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戦略なき民主党、戦術で墓穴を掘る

民主党は政治資金問題で、松島元法相を「うちわ」問題で辞任に追い込んだ。これは成果なのか?あまりに軽い政治責任である。(その他放言があったこともにんしきしているが)

その軽い問題で法相を辞任に追い込んだつけが民主党に突きつけられている。枝野幹事長の「240万円」の書類上の不備である。

どちらが重いのかは明白である、「うちわ」と「240万円の記載不備」である。「すいません」で240万円を見過ごすのであれば、1億円の小渕元大臣とは量の問題であると思え、単なるうちわで松島元法相を辞任に追い込んだ責任は幹事長を辞するだけでは比べられないほど軽い。その軽い職務も辞せない。

 

民主党は政治戦略がないので、政治資金の不備を突く戦術に出た、その集大成が「枝野氏の不備」であった。笑うしかない。

戦略が不確定なので、戦術を先鋭化して、「うちわ」とか「SMバー」を告発したら、お膝元の幹事長にそれよりも重大な「記載ミス」があったのだ。振り上げた拳はどうぞご勝手にという様である。

 

民主党は戦略がないことが「貧すれば鈍す」の典型であろう、小渕元大臣のゴシップが発覚した時点でそれ以外のクズな案件は放っておいて1点集中であるべきであった。それを(成果を発表したいクズに花を持たせるために)小物を追求する戦術方針を切れなかった執行部の責任であろう。

 

新聞社の世論評価では安部政権の支持率は約50%とのこと、悪くない。そこにギミックで喧嘩を売っても負けるに決まっているのに。

 

朝日新聞の誤報問題でリベラルは瀕死に陥っている。安部総理の「家族主義」には僕はほとほと嫌気をさしているが、対抗勢力が自滅した。まぁ極論のリベラルはお呼びでないのでいいのかそれはそれで。

リベラルの見通しは暗い。 

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通勤電車でかばんを置くおっさん

あほな高校生ならまだ理解できるのだけれど、電車で鞄を地面に置くおっさんが理解できない、アホ認定で。

通勤電車で地面に鞄を置くのは、駅に着いたときの乗客の流れを無視した愚行である。というか所有権を放棄していると思われる。
邪魔な荷物は車外に置いて、混雑した電車の構成員は「馬鹿」を排除するシステムの構築が必要であると思われる。馬鹿はヤクザ的なので関わりたくないが、馬鹿の荷物を放り出すことが認められれば幸せになるのかと思う。

股を広げる紳士や、鞄の中身を検証するために肘で攻撃する婦人、(社章を付けた)インキン野郎とか。

 

話を元に戻す。混雑した電車では駅での車内の流動性が問題になる。荷物を地面に置く男性は流動性に対応できないのだ。高校生であればまだ朗らかな印象で見ることもできるが、社会人では馬鹿としか思えない。荷物という表現で鞄とスーツケースで異なるというのは間違いである。邪魔であることを理解できない。馬鹿である。

おっさんがこのような事象を招くと、おっさんの知性が試される、あっさんは自由である模様。邪魔だ。

 

おっさんが「邪魔」だという感覚は誰もが思うと思う、おっさんや爺さんでも。邪魔であるということを認めると交通はスムーズに移行すると思う。

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流通は総額表示で一致してほしい、あと流通への苦情。

流通が総額表示をしないのは「競争」を避けているのであろう。消費税は一律なので他店との差異はない。

いわゆるズルであり、表記のまやかしで消費者をだましている。

他店との価格差をわかりにくくしているのだ。そして総額表示されないということは消費者の「予算」を無視した暴挙である。

これに関していうと、政府にも問題がある。流通にとって大事な価格が消費税に左右されるからだ。心無いモノから「便乗値上げ」と非難されることは避けたいし。それにしても総額表示のほうが消費者にとって便利であることは明快である。
僕が理解できないのは何故スーパーが業界として「総額表示」ではなく「額面表示」を選択したのかである。給与明細で額面をでかく記して振り込み料金を隠すか小さく表記するのと同じである愚行である。

景気の縮小の少なくない部分がこの「額面表示」にあったのではないか。消費税が上がれば支払額は上がるわけで、一方で給与は上がらない。総予算管理では一週間の食費(生活費)の支出としては同額以下で管理しなくてはならない。生活上の固定費が消費税分上昇しているからである。 

ただでさえ固定費の上昇がわからないので生活費(食費)を切り詰めながら様子を見たいところであるが、食費のほうがさらにわからないのである。これで消費が進むと思うのであれば馬鹿であろう。

で、実際に流通は馬鹿であった

 

政府の思惑と業界の思惑で、消費者をだまそうとして価格混乱を招けば結局損をするのは流通なのに、、、、。物価の、表示額の迷走による消費者支出の沈滞は流通業界の見通しの甘さは大きいと思う。
生鮮食品は通常の価格変動と消費税で消費者は大混乱をきたした。その結果は防衛である。 

流通の手前勝手な論理とは別に消費者は消費税が増税されても支出額は変わらないという前提が抜け落ちている。流通が不親切な表示をする結果、消費者はより少なめに支出するのが自明だと思うのだ。 馬鹿が自分の首を絞める。

流通は加工食品などの食品メーカーへの価格決定権も握っている。ところが現場の価格が混乱しているので、コンビニの方が親切な場合も増えている。シャウエッセンを買わずに安いソーセージで様子見とか。
価格の混乱は消費を静める、さらに混乱を自企業の論理で推し進めれば消費者は防衛するのは自明ではないか。 

 

流通の論理は消費者の論理と相容れない。結果的に流通は自ら消費の縮小を望んでいる。そんなこともわからないのが不思議である。

 

一般消費者へ。
会員カードでの消費者囲い込みはこのようなズルを見抜く能力を阻害させる。チラシで安い店を渡り歩く気分がなくても他店の情報は必要であり、物価調査や店による得意ジャンルをある程度調査する気概が試される。都会ではなおさらである。税抜き前の額面0.5%で魂を売ってはならない、それよりは現金価格差の方が大事である。10円のポイント獲得には2千円の消費が必要である。それがどれほど損かを噛み締める必要がある。

流通への不信を自明として受け入れなければならないのである、いちいち面倒くさい。

日本は物価安定国から落ちるであろう、そして消費者は損をする、それもセブン・イオンを始めとした流通業界が顧客の利益を無視したからである。


 

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国宝展雑感

 

東京国立博物館の国宝展に行ってきました。

感想はそれなり。以下箇条書きで

1)教科書に載るレベル

教科書で見た作品が多数。僕の中の白眉は「日本書紀」であった。楷書で返り点と仮名があって「読めた」。歴史・芸術ものの「書」で読めたのは始めてであった。血が震えるほど感動した

 

2)お下劣な企画だけど、やっぱり国宝

国宝って結構少ない。国宝が存在しない県は多いと思う、なんだかんだThe国宝であった。自然、奈良・京都。

 

3)台湾故宮博物院展に大負け

事実なので仕方がないが。10~12世紀の仏教絵画、絵巻ですらの保存状態は劣悪。保存状態ではなく後世に残す技術が足りないのかもしれないが。 
12世紀と14世紀の仏具があったんだけど、技術と表現の進歩がないのが非常に残念であった。(金銀鍍宝相唐草文透彫華籠:滋賀県神照寺蔵) 

 

4)解説がしょぼい

「歴史的に価値がある」ことの説明は多いのだが、由来や来歴が明確でないので歴史に感情移入できない「○○国立博物館蔵」ならさらに加速する。 例えば「法隆寺蔵」なら制作年代を見れば色々と想像できる。

ストーリーというかテーマが散漫。まぁ「国宝」というテーマだから仕方がないか、刀剣や武具とか違和感を感じた。(刀剣は瀬戸内海のどっかにすごいのがあった)

 

 

4国立博物館(東京・奈良・京都・福岡)の総結集という感じがした。仏像や襖絵は現地で見た方がいいと。金印が見たかった。

でも、歴史観の復習をするには非常に有益であった。

 

それでも楽しかった

 

10/18午前中は入場規制が敷かれていた。あと第2会場のほうが空いていた。

 

その後、無謀にもボストン美術館展(北斎展)に行った。


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日本は韓国を信用しすぎている

日本の報道やNetの反応だと「韓国はけしからん」というのが多いと思う、僕もそう思う。

しかしこの感情を垂れ流すのは「韓国が民主主義陣営」だという前提があって、だからこき下ろすのだと思う。実際、中国には一挙手一投足に反応している。

日本は日本海の制海権を得るためには朝鮮半島を同胞に置いて、中露の圧迫を除くというのが国是であったと思われるが、海峡を挟んで砦を作るのは非常に高コストで過去の歴史がコストパフォーマンスにおいて算盤に合わなかったことは自明である。

実際、中国の制海権覇権には韓国は役に立たないことは自明である。歴史的にも現実的にも明治時代の「征韓論」は誤りであったのである。百歩譲って「征韓論」が正しくても満州建国・日中戦争は経済的メリットは無かった。

日本にはもう既に領土欲がないのであるから、日本領土・領海にだけケアすればいい。そう考えると韓国を同胞であればいいけど、そのコストを考えたほうがいい。
一応、韓国は自由主義陣営であるが、民主主義であるかは疑わしい。おまけに国是として反日を謳っているので色々と面倒だ。

 

閑話休題。日本は韓国のことを信用しすぎている。経済に問題が無ければ遊びで罵り合っていればいいが、経済関係を危惧すべきである。日本も韓国もお互い甘えているのである。

経済関係で言えば日中の方が懸案は大きいのであろうが、韓国も悪口を言い合っていると経済関係で問題が出る可能性をリスクとして挙げる時代になったと思われる。 

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きゃりーさんが大人っぽくなっている件

10/28の「もしもしにっぽん」に行ってきました。お目当てはSilentSiren、きゃりーさん、ゆらさん、青柳文子(認識できず)でした。メインステージではきゃりーさん、SilentSiren、モデルによるショー、カラオケが行われる一方で、別ステージでは売り出し中のアイドルが間近に見られました。また外では別ステージに出演していたアイドルグループが握手会を行っており、ステージより至近で見ました。きゃりーさんのツィートによく出てくるYun*chiさんもステージと握手会間近で見ました、脚細いっすね。
でんぱ組も見たかったのですが、長丁場に耐えられないと思い、サイサイ(SilentSiren)の時間に合わせていった次第です。

ちなみにモデルがアリーナ(売店コーナー)に出ていました。オーラが違う人がぽこぽこといらっしゃいました。ゆらさんも割と至近で見ました、かわえー。サイサイも想像以上にパフォーマンスが良くて、武道館のチケットをとったのですが期待です。

 

閑話休題

きゃりーさんがかわいくなかった。ツアーが終わって疲れているのかと思ったけど、体型や顔のフォルム、表情が少女から大人に成長したのだと感じた。少女キャラの衣装がだんだん合わなくなってきているのではないかと思うのだ。

例えばmodelpressの記事では固い表情の写真が多い、「可愛い」写真が撮れなかったのかと邪推する。カメラマンと編集者は「華奢な少女」から「グラマラスな女性」に変化していることへ僕と同様の違和感を感じたのではないかと思う。そのこと自体は悪くない、もともとスネは細いがフトモモは太かったし。

前記事にも記したが「むっちり派」になっている。

ここで「きちんと進化」して欲しいと望む所存である。きゃりーさんは外見だけではなく音楽も結構イケる、声がすごく良い。

 

すぐにでも「華奢な少女」というキャラ(肩を厚く盛って、重なりの厚い膝丈のスカート)から、coolだったりfemininだったり進化が必要だと思う、従来路線では昨今今の位置には留まれない。と思う。成長して欲しい。

 

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企業の不正は

僕は消費財メーカーの研究所所員。本社から製品表示への不正の為の実験依頼があった。「弊社実験データ」案件であり、その実験データ操作の依頼である。

商品表記は効き具合や使用可能回数は消費者によって区々であるため、モデルを提示して効果を表示するのである。使用モデルが明快である場合、使用回数や効果は明確なので実験や論理で再現できる。その実験のブレを生かそうという不正である。

 

商品にはばらつきがあるので、たとえば内容量であれば、500mLという表記の場合、500mLを下回らないように充填する。充填機の精度が5mLであれば505±5mLで管理する。上記のモデルも1回の使用量がχmLの場合という表記になると思う。そこは理論で整理できる案件であり、実験データのばらつきはその分上乗せするだけである。

そこを、使用量を理論値の場合と実験での平均値を用いるとややこしくなる、というか半分以上の人は負けであり、騙されるわけである。使用平均値は半分が多く使い、半分が少なく使うということだからである。使用量の実験値は理論値よりも低く出るのが当たり前であり(人間はけちだ)、実際のそんなことは論理ですぐに指摘できる訳である。

そんな簡単なことを消費者やマスコミに指摘されたら全面的に負けである。マスコミに面白おかしく報道されたら企業イメージの下落に、しいては解雇・倒産につながる。

 

僕が理解できないのは、売りを上げるために、このような不正を堂々と行うことである。そして指示した個人の利益でないことは確かなことである。コンプライアンスは言われているが???の状況なのだ。
僕の職場でも研究員がライバル社広告の意味の論理整合性確認のためにお客様センターに問い合わせたりしている。素人を騙せばそれでいいという企業は馬鹿を晒すのだ。

 

僕はこれまで大手企業は中小企業よりも、「より安全」と主張してきた。この案件は「安心」の案件であり、「危険」ではない。

これらは企業風土があると思う。不正というか不誠実を理解できない大手企業が存在するという自虐である。

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新聞に求める像

まともに新聞を読む習慣がついたのは社会人になってからであろうか。それまでは(遊んでて)読めなくても苦痛ではなかったし、1面から通しでは読んでなかった。高校生までは1面、3面、スポーツ欄、TV欄しか見てなかった。
社会人になってからは仕事の関係もあり、海外欄や経済欄も読むようになった。その頃('00代)からはイデオロギが嫌いで日経を読んでた。

NETが普及していなかった当時は新聞が情報源の多くを占めており、読売と朝日を読んで平衡をとれれば良いほうで、僕は安い毎日を取って後悔したことがある。イデオロギ臭いのだ。産経は馴染みがなかったので読んだことがなかった。

結果的には各紙に特徴があるのはいいことではないかと思っている。読者が求める記事を書くのが新聞社の正義だからである。営業上当然である。しかし1紙しか読んでない人は盲目・刷り込まれたとも言える。

 

朝日と毎日が自虐史観をベースにしたリベラル、読売が懐古主義・現実主義、日経は金。家・会社で3紙に目を通せばそうそう偏らない。3紙に目を通せば。

 

朝日は「入試」を武器に売り込みを図っている。これはイデオロギの囲い込みではないかとも感じる。少年少女に読ませていい物件なのかと疑問がある。イデオロギを優先するあまり不正を行ったと現在では糾弾されているわけで。朝日新聞がリベラルを標榜するのであれば、教育的には不適当であることを自覚すべきである。イデオロギのために不正をはたらいた事実があり、現在反省を行っている。

 

閑話休題。

新聞にはカラー(主張)が必要である、そこが「売り」だからである。そしてそれはイデオロギに直結するらしい。英国のFTも米国のWPもである。

全国に宅配制度を確立している日本の新聞社は「2紙購読」という理想を掲げたらどうかと思う、特に飲食店や企業に。朝日・毎日の営業所は読売・産経を薦めるのである。

それが普及することで国民は「言論」を多面的に捉えられるのではないかと思う。スポーツ紙は困るけど。

 

新聞社の「主張」は歓迎。そして同時に他紙と正々堂々と競うこと(不正やイデオロギの矛盾を指摘しあう)。新聞市場が拡大するという面でもメリットがある。というのはどうでしょうか。

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