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自然賛美は何故起こるか

私事であるが「美味しんぼ」に若い頃影響を受けて環境を勉強したので、あまり偉そうには言えないが、なんでみんな「自然」が好きなんだろう。論理で自然が好きなわけではないと思う、現代医療の恩恵を得るのは当然だし、科学技術の発展によって快適な生活を送るのも当然だ。暑い真夏にエアコンをケチって夏バテでもしようものなら馬鹿扱いだ。

この自然大好きは欧米でも流行っているようでLohasとかgreenpeaceとかが代表的なのかしら。

論理的に整理すると、人類の歴史は「自然に打ち勝つ」のがテーマだったり、それが無理なら「自然を読む」という類だと思う。自然は峻烈で旱魃には飢饉が起こり、大雨は洪水を起こし、火山は土石流を招き、地震は家などの構造物を壊す。大河の洪水は肥沃な土砂を運んで土地を豊かにする等と中学歴史で学んだが後世の学者が述べただけであり、当人にはとても受け入れられる存在ではなかったであろう。歴史上、自然は過酷であり、これを克服するのが人類の重大なテーマであったことは間違いない。畏怖したり、恐れる存在で、親しむ存在ではなかった。

ところが科学・技術の発展で治水・灌漑を整備することにより水害・飢饉が減り、産業革命により自然の自然浄化能力を超えた排出物を出すに当たって公害が深刻化した。ある意味自然を克服してしまったわけだ。そしてその工業化による公害が蔓延すると「自然」を賛美したくなるのは少し分かる。

ということは「自然賛美」は本質的な問題でないことが分かる。

 

実はTVの科学番組で「自然の神秘」みたいのが自然教を作り出していると思う。「農作物は自然の恵みである」というのはその総本山であろう。当然であるがTV番組では同量以上に「科学発展のすばらしさ」や「技術の恩恵」も流している。科学・技術も大事であるがどうように自然も大事なのだ。もうこれは精神に訴えるマーケティングの世界だ。

なので「自然」が金になるという図式が成立している。普通の(添加物の無い)石鹸が100円でも、自然派の石鹸を1,000円で買うということだ。それだけのカネを払うということは何らかのリスクを負う気概があるということと同義であろう。
もっと違う観点で言えば「人よりも自然派」のためにカネを払うということである。(本人の自覚はともかく)人より自然派を達成するためにお金を遣うということなのだ。本人は「健康のためであり」、別に「カネを遣う」と言う意識がなくとも結果がそうなっている。

ということは可処分所得がある程度有り、誰かとカネを遣う先を選べる状況である。そのカネが余っていれば付加価値にカネを払い、まぁ自然は付加価値なのだ。本質はどうでもいいといえる。その刷り込みは「自然の恵み」とか「自然の神秘」なのだ。

日本でも欧米でも他国でも学校教育で「自然の恵み」や「自然の神秘」は教育しているであろう。環境問題も述べているであろう。そこが問題だとは思わないが、原因であると思う。まぁ問題が起きない限りはどうでもいいと思うんだけど。

 

金持ちが自然賛美に走るのは、付加価値として本来人間は自然の恵みを賛美するというメッセージであろう。その根本は教育であろう。

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菅氏の圧勝だな

小沢氏の政局好きと言うか人事好みは政策が語られない点にあると思う。菅氏は欠点を両手で足りないくらい露呈したけど、小沢氏は支持を得られなかった。

支持率がマスコミ各社で発表されていたけど、菅氏の寝技が効いた気がする、もちろん小沢氏の不手際も上手く突いている。小沢氏は出馬する以上は成算があるのであろう、しかしその先は茨の道である。以下菅氏の上策と小沢氏の下策を述べてみる。

菅氏の上策の第一は「小沢氏に会えない」ということを宣伝したことでしょう。ここのところは本当はどうなのか分からないのですが、総理であり党の総裁である菅氏が「会いたいのに会えない」というメッセージは小沢氏は会話を拒否していると同義であり、菅氏のほうが謙虚に見えること請け合いです。

次に仲介を鳩山氏に頼んだことです。鳩山氏は予想以上の役者を演じました。菅氏にとって利を演じてくれたと思います。小沢陣営の無理な注文をごり押ししたり、「友愛が足りない」と批判したのはGJです。辞任した原因を忘れた=現状認識ができない人が推す、小沢氏の存在の軽さを明確にした、原爆級の援護射撃です。

 

次に小沢氏の下策ですが、政策論がほとんど聞こえてこないことです。鳩山氏が普天間でマニフェスト・公約をごり押しできなかったことに加えて現実路線に舵を切れなかったことが失脚の原因でしょう。小沢氏は新聞の報道ではマニフェスト堅持路線だそうですがその主張は本人の口からは語られません。政局に落とし込もうとしてると観客は判断したと思えます。菅氏はカスだが小沢氏は論外だという世論調査はその典型でしょう。数の論理で政局を語ることしかできない「壊し屋」の面目躍如というか面目没落であると国民の目に映ったことでしょう。

 

さらに菅氏は小沢氏に低姿勢で望んでいます。国のことを考えて面子を捨てて小沢氏とともに政治を運営する覚悟を菅氏側はアピールしています。菅氏にとって一番困るのは小沢氏が論戦を正々堂々と張って、国の先行きを決める代表選挙では困るわけです。正々堂々と政策論争を行われてしまえば負けた方は従わざるを得ないわけです。そしてその一番菅氏が困る手法を小沢氏陣営は用いませんでした。

小沢氏の側近は「小沢氏の顔を窺う」という悪しき手法を用いたということでしょう、小沢氏の展望がどのようなものかは分かりませんが、民主党総裁選に勝てば首相、負ければ党を割るというような単純な思考だったと判断されても仕方が無いのではないでしょうか。

小沢氏は総裁選に勝っても負けても負け戦の様相です。麻生氏の負の遺産を受け継いだ新人の支持を受けているようですが、「風」が源泉の浮動票で得た新人はとても根付いたとはとても思えず、3年後戦えるかどうかは未知数です。

 

逆に言えば、菅氏は選挙の失点を半ば回復したということなのでしょうか。総裁選で勝てれば、国民・マスコミは冷静に菅内閣を見てくれる可能性が高いです。小沢氏は勝っても負けても茨の道ですが、菅氏は勝てば展望が開けてきますし、負けても再起の可能性は残されていることでしょう。

勝っても負けても菅氏の圧勝だな。

 

8/31追記
菅氏の挙党体制要請を小沢氏は蹴ったようだ。菅氏は小沢氏の劣勢を確認して飲めない案を提示したのであろう。もともと菅氏のほうが交渉力が強かった、やはり鳩山氏がキーパーソンだったと思う。
菅氏の戦略として小沢派(チルドレン)を懐柔するのと、ポストを与えて無視するのとどちらが有利かを模索したのだと思う。菅氏としては小沢氏が党を割ってしまえば政治的地位が沈むわけで、ギャンブルを仕掛けたということであろう。菅氏は人脈が無いので、強権的に振舞わなければ政権を維持できないのであろう。そのことを自覚した上で、強権的に振舞った。おおいなる博打であろう。
気になるのは両氏とも子飼いを育てていないこと。小沢氏のスポークスマンに鳩山氏を用いたことはかなりの違和感を感じる。どっちも駄目か。

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好きが代替医療の源泉なのだろう

代替療法には科学的根拠が無い、でも癒されるのであればそれでいいという考え方もある、特に終末期医療では有用なのではないか。ホメオパシーの問題は症状悪化を好転反応と捉えて適切な医療へのアクセスを拒否したり、有用なワクチンを拒否するから叩かれた。まぁ死ねよってレベルであることは間違いないのであるが、ホメオパシーが劣悪だから代替医療を全否定するのはちょっとと思う。まぁ有機農法野菜は安全だと嘘をつく生産者が多いのは事実なのでそのあたりは妥当なのかも。

代替医療というよりはサロンで語り合ったり、精神的な緩和が有効であるという主張は有りかなぁと思えるネタ記事を読んだから。記事が出来過ぎていて代替療法もこれなら有りじゃねぇ?ってレベル。

モフモフ療法の歴史~とらねこ日誌

この筆者はネタで効き目が無いということを面白おかしく訴えたかったようであるが、代替療法の魅力をここまで的確に説明している文章は無いであろう。代替療法は癒し(精神的な落ち着き)を得るには有用なのだということであろう。もちろんそれ以外の効能は無いのは当たり前。

 

この記事が秀逸なのは、教祖が理論を構築していくさまを論理的に紹介していく場面であろう。しかし題材のモフモフが妥当すぎて笑える、そして危険さに心配し、効能もありそうだとモフモフワールドに引き込まれそうになる。そういえばネコカフェというのもあるらしいし。そのネコカフェでは医療効果を謳うことはないであろうが「癒し」とかを謳うことになる。そしてそれは無毒な砂糖玉を舐めれば精神が落ち着くというのと親和性がある。

このblog主は批判的にネタで書いたのであろう。確かに本質を抉り出していると思う。しかし本質が強烈過ぎて、「正しいことを書いてある」とも読める。
モフモフ療法が正しいステージに上がった瞬間だ。猫もみ療法は効能があるという時点でNGであるが、モフモフは癒ししか供出していないということらしいので。

よくできた社会だと思う。しかしこのモフモフは「直せない」ので強力な影響力を形成できないとも思う。強力な影響力は不法行為が必要ということか。

 

9/14追記
ちょっと頭を冷やしたんですけど「モフモフ」はやはりすばらしい提案です。私も嵌ってみたいです。ネタに突っ込むのはアレですが特許化できたんじゃないですか?

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お家騒動選挙、または派閥

民主党の代表選は毎度毎度政策が見えない。いつも勢力合戦で、政策ベースではない、仲間集めの度合いが激しい。野党のときからマニフェストのいい加減さや、顔の印象を変えるための岡田氏や前原氏のピンチヒッター感はぬぐえない。結局民主党のオーナーは鳩山氏と小沢氏と菅氏と言うことであろう。
自民党政権時の派閥は権限や政治資金の影響が大きいと感じた、小沢氏にしろ菅氏、鳩山氏の集票の源泉が分かりづらい。なので票と資金をごっちゃにした論議がおおいと感じる。ソ連を始めとした左派政権の権力闘争を髣髴させてくれる、その意味では日本は左派政権である。

標題の件、菅総理は政策について口をつぐんだ。どうも円高や株安に政府に過剰な期待を感じている勢力があるようだが、政府は財政支出をするかしないかという範囲しかない。いや民主党政権は福祉で財政支出を考えているらしいが、財政支出分のGDPへの影響はあると思うが、逆にその程度でしかない。福祉は完全に財政支出以上は期待できない衰退産業なのだ。

僕は市井がいうような日銀がなにかをできると思っていない、財政支出が景気対策だと思って居る。もう日銀には下げる金利がないのだという単純な思考。

話を戻す、小沢氏は報道によるとマニフェスト遵守だということだ。結構な賭けだと思う。(空想理念しかなく)調整能力が無い鳩山氏が退陣し、理念は熱いが現実処方に舵を切りたい菅氏。最後の大物がどう考えているのかは興味があった。

えっ?やはり無茶なマニフェスト遵守ですか?

馬鹿と阿呆のどちらかしか選べないのでしょうか?それとも小沢氏は阿呆を演じているのでしょうか?でも阿呆が演技だとは伝わっていないですよね????

 

民主党の政治主張の手続きはこれでいいのかしら。自民党も改革できていないのでどっちもどっちだけど。政策論争があまりに無いので彼らの職業倫理に疑念が生じてしまう。「谷亮子」が1票で誰が受からして、金額換算幾らみたいな、まぁ疑念と論じるには余りにもストレートすぎますね。

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頭が悪いこと、能力の限界を自覚する件

最近自分の限界が見えてきた。若い頃に頑張った貯金を使い果たし、新規のネタを放出できないで居る。スランプというよりは資源の育て方に問題があったと自覚している。

 

その頭の悪い男が部下なし課長になって、責任を追及されるようになって「あぁ俺って馬鹿なんだなぁ」と現実的に自覚できた。そこそこ馬鹿だとは思っていたけど。

そこで私のポジションに対する対策だ。しかし仕事の対策案を上司が納得できるような流麗に述べることができない、やはり馬鹿だ。私が馬鹿であることは理解した、しかしどこがどう馬鹿なのかはまだ理解できていない。馬鹿所以の問題であろう。かなり救いなのは部下無しだということ。対外的には課長だが実質主任。OJTで部下でも貰ったらその部下はかなり可愛そうなことになったであろう。

私の仕事はプレイヤーの部分であり、だからこそ部下無し課長なのだが能力の限界が見えてきた。管理職に向いているとは思えないのでここら辺で限界を自分で感じられたのはラッキーであったと思う。

 

でだ、面白いのは「能力の無い上司」に対する批判が聞こえたとしても、自分が認めていればあんまり気にならないということだ。本社の直接jobを携わっている関係の担当者とは良好な関係だと勝手に思っている。基本はお偉いさん対策の問題である。

お偉いさんとの関係構築をどう考えればいいのかということ。無関係なのか没交渉なのかおべっかを使うのか。でも評価は結局仕事に帰するので権力者・上司に上手く取り入ったとしてもその後の人生は変わりないであろう。

自分の能力に疑問を感じてから、お偉いさんには愚鈍を演じるようになった。具体的に言うと説明能力である。自分の仕事の内容や展望を流麗にアピールできないということ、さらにお偉方の突っ込みに「華麗な対処」ができないのだ、「はい、それはですねぇ~」みたいな。どうでもいいことを聞かれない愚鈍なポジションを目指している今日この頃。
エリートはそれは忙しい、幹部に説明を終始しなくてはならないから。そこに時間を無駄に使っていると考えるか未来への投資と考えるかの違いであろう。まぁ私はその権利さえ放棄しているらしいが。

身も蓋もないが、能力の圧倒的な違いを見せ付けられたら萎える。私の場合上司の上司がそういう存在だ。

 

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環境はインチキと親和性が極めて高いことを自覚すべき、環境屋の矜持が求められる件

今日経で連載しているコラム「ニッポンの農力」は酷い。農業の問題というよりは食の問題を倫理的に切る目的があって「農業は成長産業になれる」とか「補助金OK」みたいな。結論が決まっている論理構成で、倫理依存や牽強付会な面が目立つ。「食」は食育もそうであるが根拠の無い結論が先にあって、伝統とか文化とか都合の好いロジックを取捨選択していて、事実検証を軽視しているような面が目立つ。

脱線するが、伝統は「伝統が確立」するまでは試行錯誤があったはずで、だからこそある意味洗練されている。しかし伝統が確立してしまったら改良する意思が無い面も多い。醤油でも酒でもコストと味のバランスをとりながら改良するのが普通だと思うのだが「伝統を守る」というのは改良を拒否した姿勢と言え、より美味い物もより安い物も目指さない。まぁ馬鹿である。200年間製法を守ってます、なんて研究や経営能力の欠如を示しているだけなのだ。

どうも「自然」というのがキーワードでインチキがはびこっているように感じる。そのインチキは絶大でスローフードとかロハスとか伝統とか、事実を伴わない甘美なワードらしい。さらに言えば「伝統」は自然を利用した知恵である場合が多いが、環境を乗り越える人為的な行為である、その延長線上に技術向上がある。自然を乗り越えるのが技術なのだ。(もっとも伝統技能は自然環境を利用したり克服したり技術そのものである)

 

そして本題。「自然」という単語が食よりも密接が深いのは「環境」である。日経エコロジーもかなり論理的に環境政策を捉えているのであるが、それでも「理念」ありきの面が感じられる場合が多い。マーケ戦略としての「環境」の場合はそれでもいいかもしれないが「企業は環境に配慮すべき」もまだいい、でもそこには費用効果やマーケティング効果とのバランスがあって然るべきであると思うけど、原理主義臭を感じることが多い。ここで、

環境goo

のトップページには「マクロビレシピ」という単語が目立つところに配置されている。マクロビオティックとは?というところを読むとマーケティングやインチキの常套手段である情緒を訴える単語が並ぶ。序文を引用してみます。

~引用始め

農薬や科学肥料を使わずに作られた食材を用い、動物性食品や白砂糖、化学調味料を使わない料理は本当にしみじみとおいしいものですが、
引き算ばかりに意識が向くと、体に良いとは思っても、心が喜ばない料理ができ上がります。

「あれはダメ、これもダメ」ではなく、
「あれがおいしい、これが楽しい」という心も体も喜ぶ食事こそが、
人が集まる楽しい食卓になるのではないでしょうか。

私自身の経験から、マクロを実践していくと、肉体的にも精神的にも調子が整って向上していく楽しさのほかに、さまざまな食材との出会いという楽しみもあります。

乾物、海草、豆、雑穀、伝統製法で時間をかけてつくられた調味料等との、今までより深くて新しいお付き合いは胸おどる体験です。

引用終わり~

「心が喜ばない」という情緒に訴えています。さらに経験談を語ることにより嘘はついていません、しかし客観的事実は何一つありません。まぁインチキと断定してもなんの問題も無いでしょう。「環境」にはこのようなインチキをポータルサイトの堂々と載せる弱さがあるのです。

環境は住環境・職環境の向上は当然のこととして、生物の多様性にしても地球温暖化にしても地球レベルで考えなくてはいけない時代になってきました。ところが環境屋が弱い心(理念優先で事実無視の態度)で環境を扱えば「環境問題」はインチキになります。ゴア氏の不都合な真実はセンセーショナルで話題にはなりましたが、一方で環境問題はインチキだという意見が多数起こったのも事実です。

環境問題は批判に耐える発信が必要である、現在は全くもっておぼつかない。権威というかスタンダードとなるサイトであればそのことに気を使う必要があると思う。標題の件、環境屋は付け入る隙を作らないことである、無邪気に理念を訴える場合じゃないのだということ。事実ベースで語ることだ。科学者が「温暖化の危機」を訴えても、権威が能天気な理念をを語れば環境問題は宗教だと認識されてしまう。その危険を認識すべき。

 

理念であることを理念として疑うのは難しいかもしれません。データで説明できないことは全部理念だと思っていいと考えます。都合の好いデータで理念を形成するのも危険です。まずは批判を受け入れるというか咀嚼する勇気が必要だと思います。温暖化懐疑主義者の論点も一旦は受け入れて「この指摘は正しいが、この指摘はおかしい」という柔軟な立場が必要でしょう。

**環境問題は地球科学という不確かな分野であることは事実なので、様々な論争があって然るべきである。未来の損失なので原理的に走ってしまうのはある意味仕方が無いとは思いますがそのキーワードは「柔軟な対応」ではないでしょうか。民主党のマニフェスト対応のような硬直的な「決めたのだから従え」では間違いであることが分かっても糊塗する方向に向くだけです。

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AKB 戦略への疑問と納得

私は年齢の割りにアイドルとか好きで詳しくは無いけれど自分の興味の範囲でウォッチングしている。例えばananの特集は割りと気にしていて、佐々木希の下着photoにはがっかりだった。過去の水着グラビアと変わらないので、まぁなんかなぁという感じ。そして私はモデル系、スレンダー系、たおやか系が好きだからだと思う。

 

本題、AKB48の戦略で少し違和感がある。私の知っている範囲で言えば全員むっちり系なのである。脚が細い娘はゼロでバストが大きい娘が多い。多数戦略で言えば軸をいくつか作って、例えば細い-ぽっちゃり、モデル系-グラマー系とかが無いのが不思議。もっとも秋元氏が以前プロデュースしたおにゃんこクラブも「素人系」が売りであり、太・細は混合であったが綺麗系は居なかったなぁ。

これはまずは「ぽっちゃりした娘」を好きな男性を囲い込んで、そのなかで競わせたということであろう。属性を限定することでファンが発散せずにファン同士がエスカレートすることを期待しているのであろう。そしてもうひとつの特徴として黒髪が多いということ。これは異例で女性誌のモデルの黒髪はほとんど居ない、AKB48でMoreモデルの篠田さんも茶髪だ。

女性にも男性にもモテルスターはまぁ居ると思う。しかしそれは所詮一部にモテルだけであり、あとは広く薄くカバーするということだろう。最近私が旬だと挙げた佐々木希さんや北川景子さんも熱狂的ファン=金を遣うファンはやはり限定的であろう。
ということはカネを遣って貰うために競争原理を導入するのであれば、ジャンルが違う人が個々に競うよりはジャンルが同じ中で競わせるほうが競争はエスカレートするであろう。良く分かっていらっしゃる。

女性誌でのモデルの傾向は顧客意識の反映であろう。読者年齢によりモデルを使い分けるのは当然として、cancamとMoreではモデルが全然違う(鈴木エミがMoreモデルでいいのかと聞きたいけど)。ぽっちゃりしたグラビアアイドルに魅力を感じない私とすれば女性誌の方が勃つ、まぁ細すぎる娘が多過ぎるけど(なので加藤夏希とか篠田真理子がよかったりする、年配向けであればshihoさんとか春香さんとか)。

 

AKB48が囲い込み戦略だとするとすごく腑に落ちる。

うーん、頭がいいなぁ。

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「助産院 自然」でぐぐってみた→助産院は危険な件

とある助産院がビタミンKを処方すると偽り左党球(失礼アル中は変換を間違えるのです、正しくは砂糖球)を処方し乳児を殺害しました。

ところでこの事態は善処するのかという疑念の元「助産院 自然」でググッてみました。いちいち全てのサイトを調べたわけではないですが、上位のサイトがインチキで事件と背を向けた悪魔療法指向に頭が下がります。 マクロビとか自然とか危険についての記述はほとんど無く、個別事例の幸せ事例のオンパレードです。

この構図の面白いのは助産院が「悪気が無い」ということです、事件が起きれば詐欺師は別の方面を模索するでしょう、ところがそういう動きが無いのが異常なのです。ということは助産院は真性だと言う事です。真性なので防御をとらない。

ちょっと脱線しますが、自然は危険です。自然を排除して自然の機構を調べ危険を阻害してきたのが現代科学であり、その結果寿命も延びました。自然時代(200年前)は寿命も短かったようです。さらに脱線しますがその時代から論理が止まってしまったホメオパシーも、千年前に完結してしまった医食同源もその時代の科学技術以上の効能は無いでしょう。
自然を崇拝するのは自由ですがリスクが高いことを自覚したほうがいいです。安全な添加物どっぷりの方が自然よりは最低千倍は安全です。

結論は助産院は「狂ってる」「馬鹿」ということ、例外は居るとは思うけど例外を探す努力は無意味。そして馬鹿だとは思うけど本人は真面目ということ。なので救いようがない。何の役に立つか分からない「自然的な」というところに人生をBETできる希少な人を除けば関わらない方がいいと思う。

しかも胎児だけではなく、自分の命と胎児の命の両方をBETしなくてはならない。

 

 

追記)マーケティングの世界では「自然」を好むユーザーがある一定以上いるというのは理解している。化粧品や洗剤、掃除道具など日雑品と医療は違う。逆に言えばナチュラルに金を払う人が多いのにびっくりする。それこそ無駄だよなぁ。

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世界のどこかは異常気象で不作である

近年北極海の氷が減って、真夏に無くなってしまう危惧があるらしい。ま北極海近辺の氷河の崩落エリアが川上側に推移しているという報道も多い。
報道は「温暖化とは直接関係があるわけではない」と述べつつも意識をミスリードしようとしている。まぁ興味を持ってもらうには仕方がない面もあるのかもしれない。
氷河期は海岸線が広がり、間氷期には海岸線が交代したという事実があるんだけど。まぁこの100年での変化は異常で人類が産業革命以降の温暖化ガス放出が推定犯人である事実は変わらないと思うけど。

そんななかで毎年異常気象の報道がある、「温暖化」に絡めて。その結果食料自給率を上げようという論理はアホだと思う、完全に間違い。逆に調達先の多様性を意識した方がいい。だいたい世界のどこかでは豊作であったり、不作であったりする。今年はロシアの旱魃が問題なようだが、昨年は豪州の旱魃が報道された。そりゃどっかで不作は起きるさ。そのことは食料自給率を向上させた方がいいという意見とは完全に矛盾する。

例えば日本で過去に大不作が起きて、米騒動が起きた。タイから長粒米を緊急輸入したが舌に合わないということで捨てられた。実質は政府が備蓄米を放出したり、米が無ければパスタや麺を食えば善い話でそんなに実質面で問題がなかった気がする。補助金漬けの農家にも問題は無かった。調達先を日本に絞れば日本が不作のときに輸入できなければ飢えるという事だ。
似たような事例は昨今にも合って、牛乳の生産調整をした結果、関税で守られているバターが品薄になり、そうでもないチーズはびくともしなかった。

調達先を限定する「食料自給率向上論」は馬鹿のやることだ。輸入量を相殺する「高級米輸出」で食料自給率を向上するという論理であれば理解できるが、「日本産最高」は不作のことを考えない危機管理能力ゼロの論理である。

今回の報道ではロシアの穀物輸出量が減り、穀物相場に影響を与えそうと言うことであったが、米国の備蓄があったのでそうでもないというところに落ち着きそうだ。備蓄とは昨年まで売れなかった在庫であり、豊作ということ。一方ロシアの農民は不作であるにも関わらず単価が同じで収入は不作分減収だということ。まぁ政府が放っておいても市場価格は落ち着いて不作地域は損をこいたであろう。

食物はどこかの地域で不作・豊作を繰り返している。調達先を日本に絞ればその影響は最大化される。それよりは調達先を広げるのが一番。
そもそも論なんだけど、日本に好まれる小麦・大豆は他人に転売できない。日本が買い取るという前提で作付けする。小麦は麺向けで、大豆は非GM(非遺伝子組み換え)、なので日本に経済力があれば日本の受注に応じる農家が居て購買力が無ければ作付けしてもらえない。単純な話だ。

自給率を心配するのであれば、各国で日本向けの作付けを確保したほうがいいんじゃないの?そしてそれは経済力で可能だと思う。
バイオ燃料の補助金の方が高ければ農家は逃げるよ、ただでさえ非GMは労力がかかるし。心配のしどころが見当はずれだと思う。

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食料・環境に限らず政策は負の側面も同時に存在する

温暖化対策が食糧高騰を招く 世界の格差を拡大するバイオ燃料~ECO JAPAN

いや、別に環境対策であろうが食料対策であろうが市場を歪める「政策」というやつは必ず負の側面がある。仕組みを変えて得する分野があれば

例えば民主党が高速道路無料化を推進する過程でバス・船舶事業者への補助金などは典型で、そんなことは分かりきったことであった。まぁその後もひと悶着あるであろう。地方で高価な生鮮品(例えば果物とか花卉とか魚とか)は高速道路の定時性をもとに産業を興してきたが渋滞が商品価値を毀損されり可能性が高い。それもこれも政策の負の側面である。

そこを調整するのが政治だと思う。例えば自民党は既得権益を守る指向が強く、民主党は負の側面を軽視してるというか無視してる。2大政党制とはいえもうちょっとなんとかならんものかと思う。

Linkは民主党視点である、「気が付いたさてどうするか」ということか。詳しくは記事を読んでいただくとして、簡単に言えば米国が環境政策としてトウモロコシに補助金を払えば農家が小麦とトウモロコシのどちらを作っても稼ぎが同じになるように小麦からトウモロコシに作付けが変わる。結果食料としての小麦やトウモロコシは高騰する(補助金で食料からトウモロコシと結果として小麦を燃料に奪うわけだ)。
補助金は市場を歪めるということ。例えば雇用重視として潰れる企業を無理やり活かせばその結果発展できた企業が割りを食い、イノベーションが遅れ、結果そのジャンルで日本が世界から取り残される。

どうも民主党視点は「(財源さえあれば)補助金は良い物」というニュアンスを感じるんだけどとんでもない話だ。まぁ自民党もそれが票に繋がっていたというだけで精神性は異なったとしてもやってることは同じか。

環境対策としてバイオ燃料にトウモロコシへ補助金を出せば、穀物が高騰するのは当たり前だ。そしてそのしわ寄せは途上国に行くのも当然である。どうも民主党視点は政策を決めるのが政治だと思っている節があり、そこから調整するというのが自民党視点だと感じる。政策は必ず負の側面があり、それを無視して猪突猛進するのが民主党視点、負の側面をもとに調整するのが自民党視点か。その結果が似たようなものだというのは笑えない事実であるが。

Linkの筆者は与党としての(日本の)民主党を意識したのではないか。逆に言えば環境屋は「現実」を直視していなかった原理・理念主義者が多いということであろう。

例えば近年でいえば「2次電池」や「日光・風力発電」への期待が高いが、実は正解は「コンデンサ」や「太陽熱・波浪エネルギ」かもしれない。しかし前者に補助金を払うことで正解は遠のくわけだ。まぁどれが正解かは現時点で分からないので仕方がない面はある、政治はかほど重要である。

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最近気になるCM

標題の件、とりあえずこれかな

北川景子のSONYサイバーショット
<!-- サイバーショット -->

http://www.sony.jp/cyber-shot/

デジカメつながりでフジフィルム佐々木希
<!-- finepixz800 -->

http://www.fujifilm.co.jp/corporate/aboutus/tvcm/digitalcamera100807_01/index.html

佐々木希と言えば
<!-- エッセンシャル -->

いやぁビビアンが佐々木希・吉高由里子旬の2人に全然負けてないのがすごい、おっさんとしてはビビアンの方がいいくらいなんですけど。(TV版

王道の化粧品はいまいち気に入ったのはない。ベネフィークがまぁいいのかもしれないけど資生堂のサイトは重いのでLink貼りません。

お次はオリンパスの宮崎あおい、以前までと違ってめっちゃかわいいんですけど。AFRACもかわいいのですがこれは絶品です。

ちょっと古いけど気になっているのがSUZUKI LapinのCM
<!-- Lapin -->

雰囲気だけでも。ちなみにモデルは三枝こころさんというらしい、これも気になってた結構出ているのね。

 

他にも気になるCMあるような気がする。気になったらうpします。
どうもむっちり系やマッチョ系、グラマー系に惹かれないらしい。申し訳ありません。

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戦争するのかなぁ

南シナ海や東シナ海の緊張が高まってきた。戦争というより小競り合いだとは思うけどいつあってもおかしくない。

東シナ海の緊張は日米安保と国境問題を明確にしてしまった、尖閣諸島は日本の領土であるということを米国が追認し、自衛隊が作戦を前提とした訓練に入った。後述する南シナ海での中国の横暴を牽制した動きであろう。日本はその機運に乗じて中国との国境問題と自国領とEEZを解決したいのであろう。そしてそれには出血が必要という認識であろう。

発端は外海を有していない中国が覇権主義を隠さない立場に立ったことであろう。フィリピン・ベトナム・インドネシアとの境界を覇権でもって冒すことが国益であると事実をもって表明したということであろう。もちろん中国は南シナ海というよりは外海が欲しいのは理解できる、いまいち理解できないのはASEANや米国と喧嘩してでも外海が欲しい理由だ。ロシアもそうなんだけど「覇権」ってすごい魅力的な行動なのか?金額に例えると覇権はかなり高コストだと思うんだけど。内政のためにはカネじゃないのかしら。

中国は空母や潜水艦をロシアなどから調達したらしいけど、その費用効果ってやつが海域拡張なのかしら。米国が原爆を落とせないことを知っていて強権外交を行っているとしたら、抑止力の威力を証明しなくてならないことになる。ところが米国は引き気味で、それを中国軍部は知っているからもうやりたい放題である。

 

なんか本当に火薬庫が暴発しそうだな。

海南島近くか黄海の真ん中の公海に原爆を落として牽制するというのは「悪魔の思考」なのか?

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理念が現実よりも正しいと言われても困る件

日本で「左派」というとまずは浅間山荘やよど号とか思い浮かべるんだけど、もうひとつソ連や中国の象徴する社会主義政権というのがある。どういう印象かというと現実が理念にそぐわない場合、現実は無かったことにするという感じか。現実を無視して理念に突っ走ってもいいことはないというのが西側の常識である。

デモ飛行、国交相への報告も報道の後「厳しく反省を」(朝日新聞) - goo ニュース

何を言っているのかさっぱり理解できない。現実を隠したいのか、起きた現実を理解できないのか。多分、答えが先ずあって、それに現実を当て嵌めたいのだと言うのが明白な感じ。現実よりも理念の方が大事であることを表明したに過ぎない、理念にそぐわない事実は認めないと。

 

福島氏の普天間への憤りは理解できる、社民党の立場として。しかし民主党は現実路線に舵を切り、政権与党を目指し実現した。それがこれですか。自分が理解できないことは官僚の言いなりになって、自分が少しでも汗をかきたいときは口を出す、そしてそれは理念ありきの荒唐無稽で。という図式がありありと見える。知識が無いのにコントロールできると思うこと自体が、、、。

高速道路無料化実験を私は評価している。料金徴収をするということでせっかく投資した道路が有効利用されていない事実を再評価することだからだ。多分前原大臣は理解はできてもその理念では反対であろう。細切れの有料道路と高速道路を無料でつなげて投資効果が得られればそれはそれで国民の幸せにつながる。この場合一般道が空いてどれだけ地域社会に貢献するかという検証も含まれているので非常に有用的である。先述したようにこれは官僚の施策であり、前原大臣は人気取りと誤解しているので本当のことを理解すると怒り出すであろう。だって本当の馬鹿だもん。ちなみに真性の馬鹿にとっては結果オーライなので問題ないと思う。

前原氏はマッチポンプ大臣らしい。そしてかなり安心したのが官僚の手先に乗って無料化実験を施し、高速道路料金を政策価格で運用することで効率化を目指す官僚に言いくるめられたこと。マッチポンプ大臣は高速道路の無料化を唱え、その被害を受けた高速バス・海峡間フェリーを優遇したいらしい、え?真性馬鹿?そう真性らしい。まぁ官僚に言いくるめられている間は危険ですらないであろう、彼の理念の低さに乾杯。そして理念のレベルが低いことは理解せずに『大臣のわがまま』を押し通すのが民主党クオリティらしい。
しかし官僚はしたたかで、大臣の面子を叶えつつ実験を実現した、ブラボー。大臣馬鹿丸出し。ひょっとしたら前原大臣は無料化実験の意義を未だ理解できていないかも知れない。(まぁそんなことは有り得ないと思うけど)

 

しかし違和感があるのが官僚がトップダウンを嫌うこと。もちろん官僚がトップダウンを嫌わなければありとあらゆる場面で齟齬をきたしていたはずだ。理念は現実に勝るという御仁をトップに据えてしまったわけで。でもなぁ、とも思う。官僚が優秀なのが幸せなのか、トップが優秀なのが幸せなのか、どちらが幸せであるのであろう。
実績では民主党のような「理念屋」をトップに頂いても現実を動かせる現機構の方がいいということか。
もういっちょ。官僚は経済効率性よりも(自分達の)論理を重要視する。まぁ意味は分かる。論理を否定されたら辛い。でもだからといって整合性最重視はちょっと。過去の誰かが間違っていてもいいし、違和感があれば過去のデータを取り直してもいいじゃん、金はかかるし、否定する論理を作った人を吊るし上げなきゃならないけど。

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愚鈍な課長

標題の件、オーナー会社でない会社の管理職の多くは愚鈍である、理由は明白で演技をしているからだ。ちなみにトップダウン色が強い会社は別である。理由を説明していこう。

1)トップダウンの会社は責任所在が明白である
社長が強い会社というのは、全責任が社長にある。指示が激烈である一方、指示に従っての失敗は得失にならない、挽回のチャンスが回ってくる。このような環境であれば部下を掌握しできることとできないことを明確に判断すればいいのであって、言い訳を用意する必要が薄れる。

2)担当役員の権限が明確でないと嫌われるだけである
担当役員の権限が明確でないということは、「失敗をしない人材」であり成功を求めているわけではないと言える。ということは過去の経験を元に論理で部下の仕事の粗探しをすることになる。そして『失敗しない』が主なので嫌な上司に仕えるには割が合わない。煙たい権力者がその地位を確保するのは口八丁ということであることは明白で、会社の業績がよくなるはずが無い。過去の成功体験者というだけで責任がなく、権力を与えると部下が育つはずが無い。

3)事業部長の器量による
ということは直接の責任を負う事業部長の能力に拠る。当然であるが役員は事業部長に冷たい。鋼の様な精神力を求められる。そして大体は潰れる。

4)責任を負わない強い権限を持つ役員に近づくだけ損である
解説省略。その事業は衰退する。

5)それを分かっている人は課長あたりでサボタージュする。
事業部長や役員から怒られるのは部長なので、事業計画にはとことん関わりあいたくない。「言われたことをやってても怒られる」わけで、それ以上の提案をすることは奇跡である。「どこぞの部長が駄目だから売れないんだ」と発言した部長がその部を任され涙目多数。

 

根底には減点主義があると思う。現在主流の成果主義は減点主義なので「何もしない」ことが成功の秘訣である。もちろん相対的には減点されるのであるが、背伸びして失敗するよりは余程ましなのである。結局全員減点されるのだから、減点を減らすのが成功への近道である。権力者に好かれず嫌われずというポジション。上級職に上がっても「愚鈍であるから仕方が無い」という評判を得ておけば、無茶な要求は少なくなる。だってそもそも馬鹿なんだもん。

責任の無い権力者という存在はゴミでしかない。その権力者の尻拭いを社長がとるのか部下がとるのかで大きなモチベーションの差が出る。社長の取り巻きであれば彼の能力に関係なく忠誠を誓うことはできるが、そうでない人には、、、巻き込まないでくださいお願いします。

給料を上げるには職位を上げるしかない、そういう欲求がある人は出世競争を楽しめばいい。一方で緩い人生を送るにはぼんくら課長くらいがちょうどいいと思っている人は多いのではないかと思う。

才能を隠している課長を見てそう思ったのだが実際はどうだろう。

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『外資』が買収するという報道に対する違和感

規制緩和をすると『外資』に買われるという拒否感があるらしい。農業でも金融でも土地開発でも盛んに『外資』を差別する主張がある。この論点の意味が分からない。

例えば対馬が仮に全部韓国企業・人に買収されて、住民の100%が韓国人となったとしても、そこが韓国になるわけではない。対馬の土地と人民が100%韓国籍となって、税収を韓国に送金することぐらいはできると思うが国境線を変更することはどう考えても無理だと思う。EEZや漁業権の問題もあるし、かりに対馬が独立したり交通の妨害を宣言したとしても自衛隊が『国内クーデター』を淡々と処理すればいい。このような極端な想定事例でさえ外交問題にはなりにくい。

農業法人を自由化すると外資が土地を買い捲るという批判があるらしいが外資が買ってなんの問題があるのか分からない。外資も日本国民も利益を最大化するのが事業者の目的だと理解している。法を犯すのは現地弱小の企業であることの方が多いと思われ、外資が危険であるという理由が全く分からない。

多分同様の事例が、ロックフェラーセンターを三菱地所が購入したというのが分かり易いと思う。あくまで投資効率で三菱地所が購入したのであろう、そのビルを日本に持ち帰ることができれば別であるが。結局「だからなんなの」状態である。

この「外資が買収」ということに危機感を持つ理由が分からない、いや「外資が投資してくれてありがとう」じゃないの?投資してくれればお金は回るわけで。

 

外資脅威論は具体的でなく民族的である。根拠は全く無いと思われる。日産が仏ルノーに買収されたが、日本国企業は日産をくずだと思っていて誰も買わなかったわけだ。新生銀行も磨けば光るとは誰も思わないが外資が買ってピカピカにして売り抜けたわけだ。どちらの企業も事業停止の方がよかったと言うのか?結局外資のおかげで日本が幸せになったのではないのか?(別に外資は自分が儲ければいいという行動に忠実だっただけだと思うけど)

外資脅威論は根拠が全く無い、それどころか彼らの主張は経済発展の阻害要因であることを自覚すべき。

 

 

(別に農業に限らないが)だいたい農地を買ってまとめて、農業の競争力を高めるのであれば主体が外資であろうが国内資本であろうかは全く関係ない。投資をしないでジリ貧の方がいいという主張には正直眩暈を感じる。

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