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経済効果

blogで公務員の天下りについて議論が噴出しているみたい。
しかし後ろ向きの議論ばかりだ。早期退職しないと総人件費がかかるとか、ポストの流動性がなくなるので生産性、モチベーションが下がるとか。

最も高い見識で活動しているのがマスコミ各社だろう。
記事では「企業は好業績であるが従業員への配分が少ないため購買力が上がらず、景気が上がっていない。」とか「(元政税調本間氏のように)仕事はできても、(法律違反ではないが)スキャンダラスは論外。」とか「高官(現日銀総裁)が一般では買えない私募債に投資して利益を上げるな」

大手の平均年収15百万円程度であるから、1企業として従業員に高給を払って景気拡大に寄与している。
スキャンダラスなことが起きれば有無を言わさず更迭だし、法を犯したらどんな微罪でも懲戒解雇だ。酒酔いにおける事故はおろか酒気帯び運転でも即刻解雇!
特ダネを抜くか抜かれるかの戦争をしているほど情報がメシの種なので、投資などは厳禁だ。もっともモラルが高いので問題などは皆無だ。

なのにだ。「公務員」は毎日事件を起こすし、治安を守るべき警察官は毎日犯罪を犯す。政治家は談合・収賄が頻発するし、学校ではいじめが全然減らない。

やはりここはマスコミ各社に「美しい日本」を導いてもらいたいものだ。
政府・議会は何故マスコミの社説の通り、勧めないのであろう。
高潔なマスコミは不満がないのであろうか。達観しているのかしら。達観してもらっても困るけど。

何故マスコミ出身の議員さんはいない(私が勉強不足かも)のであろう。
日々、不勉強で知識のない国民をばったばったと論調し、良い国へ導こうとしているのに。
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鶏がらスープ

料理ネタです。

鶏がらスープを取るのが上手になってきた。
そのスープはおでん、塩ちゃんこ、カレー、シチュー、スープ(クラムチャウダー等)に使用。ちなみに牛スジスープもカレー等に使用。

どれも教科書より簡単にやってる。沸騰水で2~3分煮こぼして、流水で余分な部位(血、内臓、脂肪)を取り去り、野菜くず(ねぎの青いとこ、生姜、ニンニク等)、スパイス(和、中、洋で多少選んだ方が、タイムなどは洋風チックになるし、生姜は中華っぽくなる)と一緒に圧力鍋へ。水から極弱火、1~2hの後野菜くずを取り除き、もう1~2h弱火。完成。後はスープが濁らないようにそっとガラを捨てるだけ。

こう書くと面倒くさいようだが仕込む時間は30分くらい(相当手際が悪いらしい)。

利用例
簡単なのは塩ちゃんこ鍋。スープをスライス玉葱でゆっくり沸騰させ、酒と塩で調味し、鶏ミンチ+生姜+葱+ゴマ+塩を混ぜ、鶏団子を落とし、野菜を投入。
お勧めの具材は豆もやし、椎茸、水菜。野菜をたくさん。おーっ、お父さんの料理だ。
ちなみに費用は激安。鶏がらは高くても150円くらい、4人前でトータル2000円もしないでしょう。で、味はちゃんこ若を再現可能。
でも家で作る前に「ちゃんこ若」で味を覚えてこないと「ちゃんこ若」再現!!の説得力はないでしょう。とにかく塩加減が命、外で味の修行が必須です。

シーフードシチュー(以前のエントリー)やクラムチャウダーもよし。こちらはスープの色が重要、あまり煮込まないほうが良いかも。スープ由来の失敗は少ない。

カレーを手作りもgood。鶏がらを牛スジに替え、肉がスカスカにならないように煮込みを短めにし、飴玉(玉葱の炒めて飴色になったもの)をスープに加え、少し煮込んでシノワで濾す(濾すのが重要)。あとはスープカレーでも、普通のルーカレーでも。牛スジはまったり系、鶏がらはあっさり系。

土曜日に材料を仕入れておいて、日曜日に一日かけて料理をするのもたまにはどうですか?
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コンパニオン

またリサイクルネタです。
エコプロダクツ2006に行ってきました。モーターショーレベルは期待していませんでしたがもうちょっとかわいいオネーサンがいると熱が入るのに。
エネルギー屋さんはレースクイーンばりの衣装で期待をしたのですが。。。

「環境にやさしい」ってフレーズはなんでもありだなと勉強になりました。
言葉の持つ偉大さ(いい加減さ)に感動しました。

閑話休題
以前のエントリーに挙げたのであるが、「プラごみ」の定義が判りにくい。
プラならプラごみに入れればいいかと思うがそうではない。
プラごみは「包装容器」に用いられたプラスティックを集める手段なのだ。だから素材がプラごみと同一であってもそのものが商品の場合は収集対象にならない。たとえばバケツなど。

なぜか。「プラごみ」の多くは容器だ。PETボトル、発泡トレイ、ポリ袋など。これを減らす目的で制定されたのが容器リサイクル法(以下容リ法)だ。以前のエントリーにも載せたが新聞、ダンボール、缶はこの法の対象外、法を制定しなくても経済的にまわっているから。容リ法は「経済的に無理な資源を無理やりリサイクルに廻す」法律なので費用がかかる。なぜ無理やりリサイクルするかというとごみ処理場がいっぱいだからだ。プラごみは助燃材になるのだが容量がかさばる上、CO2排出低下という大義名分のもとに施行されている。
容器はこの費用をonして税金(本当は税金ではないが義務費用)を払っている。しかしプラ全体が税金を払っているわけではないので、収集コスト負担の自治体は容器しか収集したくない。

そういうわけで「プラ」を収集するのではなく、「容器のプラ」を自治体は収集するのである。

だったらプラの使用に対して全部税金をかけるか全部使用禁止にしたらいいのに。
容器プラだけ収集して他は収集しないのであればリサイクルを市民に根付かせるのに逆教育ではないだろうか。

もういっちょ話題を
生分解性プラ、バイオマスプラ(短いサイクルで作っているプラ:とうもろこしを生産してプラにして燃やして排気→一年でのCO2バランスは±0)は容リ法ではプラ扱い。
バイオマスプラを生分解性プラというとポイ捨てが増えるかもしれないので(ポイ捨てでは生分解しません、コンポストに入れないと分解しません)生分解という単語は減るかも。
一方、技術的にはバイオプラだけでの容器は性能が低いため、石油由来のプラとマトリックス(複合)で使用した方がトータル使用量、コストの面では合理的な可能性が高い。CO2排出責任は石油由来プラだけ負えば、バイオマスプラを使用するインセンティブが働く。

でもバイオマスプラもプラ(税金がかかる)。マトリックス製品は生分解性は失われている。
それでは普及が進まないのでは?

環境マニアさん、取り上げないの?
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なべつね

渡辺恒雄って誰?って感じだったのだ。巨人の偉そうな人ってイメージしかなかった。そもそも昔は株式を買い占められたら報道の自主性を失われるということで株式非公開が普通だった。(調子こいたフジテレビは株式公開クーデターで足元すくわれたのは記憶に新しいね)
で、渡辺恒雄ってオーナー?でも正力氏だよなぁ、オーナーは。

という疑問を解消してくれそうなのが日経の「私の履歴書」。予想に反して面白い。’70はガキだった私にとって政界の暴露が「いいの?」って感じなのだ。
もっとも私は政治には疎いので「そんなの常識」かもしれないのだが。
大野伴睦って岐阜羽島駅に銅像が建ってて浦佐駅みたいに無理やり駅を造ったっていうイメージしかなかったのだが、めちゃくちゃ面白い。60~70年代の政治史を改めて勉強したくなる面白さ。
何故渡辺氏が権力を持つようになったのかに展開されると面白いのであるがそうはいかないんだろうな。
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クリームシチュー

昨日はクリームシチューを自作。
出汁からベシャメルソースまで、酒等の伝統的調味料以外は。
もっとも材料は全て市場(マーケット)で調達。育ててはないです。
鶏がらスープの作製に4h等、大掃除の合間を縫って1日仕事。
自然食品愛好家が好む一品。

まぁ趣味でやっているので成り立つ話である。
自分で作っているので無理やり美味しいと感じているが
費用も味もインスタントルーの方がいいかもしれません。
こういったくだらない遊びをやると
技術の進歩、工業製品のすばらしさを感じる。

保存技術、調理技術、調味料の進歩。おかげで最低賃金1h分で栄養的に問題ない食事1回分を取ることができる。家賃や服飾費等を除けば週21h労働で生活可能。
昔はいろんな意味で選択肢の幅がなく、不健康な生活を送っていたであろうことは容易に想像つく。(石川啄木ではないが仕事し続けたって生活が厳しいのが明治以前だった)

「日本の里山の自然を楽しむ」とか好きだし意味わかるんだけど、自然ではなく思いっきり人工環境であると思う。人間の歴史は自然との戦いで、だからこそ貯水池を造ったりと自然に手を加えていく。当時の科学技術ではその程度しかできなかったというだけで彼らは自然と共存というよりはやはり自然との戦争であっただろう。
TOKIOのやってるDASH村、好きなんだよね。伝統技術の紹介ってやつは。でも自然礼賛ではない。従来農法の環境を整えるために殺虫剤も使うし、池は掘るし、樹木は植え替えるし、野生動物に餌までやる。まぁあれを自然とのふれあいとは誰も思わないよね。

過去を美化して科学(特に化学)を批判する人は後述の伝統生活を送ればいい。過去を美化しない場合も、上記のようなコストを支払って生活すればよい。


ちなみに終戦までは日本の「田舎の伝統的食事」は塩分過多で高血圧が蔓延していたので改善活動を行った経緯がある。日本の伝統食では魚食がクローズアップされるが東北の山村では当然魚など手に入らない。せいぜい塩蔵品か。漬物も塩まみれだよね。庶民の伝統食生活と現代日本人の高寿命は相関がない(と思われる)。
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リサイクルってどうよ?

小生の住んでいる自治体でもやっとごみの分別収集が始まった。
それまでは一般ごみ(燃えるごみ・乾電池)、資源ごみ(紙類:新聞雑誌ダンボール、缶・金物、びん、布、蛍光管、水銀体温計)、粗大ごみ(個別申請:有料)であった。まぁぶっちゃけ燃えるごみ、缶・びん、新聞だ。

そうプラごみがないのである。じつは発泡トレイ、牛乳紙パック、PETボトルはスーパーマーケットで収集していたのである。
それがプラの日ができ、紙の日ができた。
自治体からの資料にはPETとプラ、新聞と紙容器は袋を分けてください的なことが書かれてあるが、市民はごっちゃ出しである。
そもそも「プラ」でひとくくりでリサイクル可能なのであろうか?なんか液クロみたいに分離してくれる機械があるのかしら。またプラごみは流通市場・引き受け先があるのかしら。

根拠のない勝手な想像なのであるが、我が自治体は焼却炉に余裕があるので、PETみたいに明らかに流通経路が整備されているもの以外のプラごみは助燃材として使用されているのではないのかしら。
生ごみとプラ比率がはっきりしない従来の集積法よりエネルギー効率は良くなるであろう。でも収集コストは上がっているはず。

容器リサイクル法はいろいろ揉めているみたいであるけど、行政の立場でコスト・メリット・理念を教示していただけるとうれしいのであるが。

容リ法では缶、ダンボール等は免除されている。法律で定めなくてもリサイクルがコスト上有利なため、自然に回っている。自治体は真の資源ごみを市場に売却することによりごみコストを軽減している。缶ごみををホームレスに盗られるという報道があったが、まさに財産権を侵している窃盗になるのであろう。
逆説的にいうと「資源ごみ」はむりやり資源化している。収集PETを自治体が中国に「売却」したら(国の施策による)国内のリサイクル業者が悲鳴を上げているという。経済的に成り立たないリサイクルは誰のために行っているのであろうか。将来の地球環境のためというならば、無理やりリサイクルしなくてはならない素材を一般容器への使用禁止のほうがよっぽど理(利?)にかなっていると思うが。


20年前まで、私はリサイクルはごみ量を減らすと理解していた。輸入重量-輸出重量=日本に溜まるごみと思っていたから。
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救急車が無料の理由

救急車をタクシー代わりに使ったり、病院で待つのが嫌なため時間外に診察を受けるために使う人がいるという。
そのため本当に必要な人がサービスを受けられない可能性があるとのことだ。

ところで救急車の要求されるサービスは何であろうか?
無料であること?違うでしょ。
迅速に医療現場まで運ぶことではないかしら。そのためサイレンを鳴らして安全を確認した上で赤信号を無視する権利が与えられている。
付帯サービスとして救急の訓練を積んだ人間が同乗し、適切な医療サービスへと搬送してくれる。
救急車が無料であろうがなかろうが上記の必要条件を守れば「救急車」ではないだろうか。

では有料化を進めるとして代金はいくらが適当であろう。
まずタクシーより安いのはタクシーへの営業妨害であり、かつタクシー代をケチっている人間には全く効果がない。少なくとも明らかにタクシーのほうが安いという値段にしないと意味がないであろう。

有料化によって本来サービスを受ける資格のある人が有料化のため救急車を呼ぶことを躊躇するという意見がある。
しかし緊急医療は無料ではない。故に自分または家族が救急車を呼ぶ人は救急車が無料であろうがなかろうが救急車を呼ぶ人は代金を払う意思があるであろう。
困るのは医者にかかる金がなくて自分の意思では医者に行く気がないのに周りの善意で救急車を呼んだ場合ではないであろうか。

さて代金であるが、医療は必要経費の3割負担である。1万円~実費の3割の間が妥当ではないであろうか。
タクシーの整備が不十分な地域はもっと安くてもよいと思うが。

仮に1万円としよう。
盲腸で救急車に乗って緊急手術。1万円払うことによって患者負担費用が2倍になるということはないであろう。
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差別・ハラスメントはなぜ起こるか

ジェンダーフリーに対する異論は世間にはあるようであるが、多くの人は基本的に差別・ハラスメント(以下差別)はいけないものであると思っているのではないだろうか。そして自分は差別をしていないと思っているのではないであろうか。

しかし、多くの人がそう思っているにもかかわらずなぜ差別はなくならないのであろうか。私を含めた多くの人は知らず知らずのうちに差別を行っているからである。
一般企業総合職の女性、子供がいない夫婦、片方の性に偏っている職場の少数派。彼らは少なくとも差別を感じていると思っても間違いないであろう。
セクシャルハラスメントに代表される差別・ハラスメント・いじめは他意のない言動にも傷つくこと自体に存在する。
そんなのは悪気があるわけではないのだから許されるよ、と思っている方に聞きたい。

例を挙げよう。あなたの尊敬しているまたは上役の禿げの方に「禿げは絶倫だそうですが本当ですか?」と聞けますか?
自分で相手が不快になるとわかっていれば敢えて言わないことを自分が気付かないからといって許されるはずがないのである。
いじめも同様である。悪意がある場合もあるが、悪意がない場合も多いのではないだろうか。ましてやいじめ、セクハラに気づいたならば注意するのが大人ではないだろうか。大人の世界でも起こっているのであるから、子供の世界でも起こっているであろう。
大人の世界で差別をなくす努力を続けなければ子供の世界でなくなるはずがないではないか。

結論は差別・いじめ・ハラスメントはなくならないのである。
永遠になくす努力をしないといけないのだ。それを置いておいて子供のいじめが制度や運営ましては教師の能力に依存するのはおかしいと思うのであるが。
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スポーツカーと最高出力

はじめに謝ります。クルマ持ってません。

最近の車はスポーツカーの不人気が著しい。
2輪も4輪も税制上排気量でエンジンを規定し、その中で出力向上を目指してきた。本来は必要な出力(またはトルク)に必要な排気量を持ってくれば良いはずであるが、レースシーンも市販車の税制も排気量によるカテゴリーとなった。
当然、ある時期まで(1980頃までか?)は出力競争が起こっていた。
それが各カテゴリー(排気量)で上限まで出力が上がってしまったので
スポーツカーに搭載するエンジンに対するエスプリ的な魅惑がなくなってしまった。当時まではトルク重視のATとスペック重視ピークパワー重視のMTでは最高出力は異なっていたし(というわけでMT乗りの方が偉いという変な風潮があった)、セダンにスポーツカー向けエンジンが載る事も少なかった。まぁそんなクルマを「羊の皮を被った狼」などと呼びスカイラインやBMWがもてはやされた。
ところが現在は技術ではなく、規制値により最高出力が規定しているため、機構に対する関心が薄れている。そのためスポーツカー市場に活気がないのではないだろうか。スポーツカーの最高出力は速さの象徴である。
モータースポーツの変遷も影響があるかもしれない。
F1はターボがなくなり、2輪からは2stが消えた。本質的にはレギュレーションが変わってもコンペティションの世界ではパワー競争が激しいのであろうがそれも燃費との兼ね合いであろう。

そのせいか最近クルマの話をするといまいち話が合わない。2輪ならハーレー、4輪ならユーティリティー・ビークルが好きでメカを語る思いがないらしい。

それでは面白くないので
排気量が同一としてレシプロエンジンの出力向上の手法を挙げてみよう。

高回転化:同一排気量なら高回転にすれば単位時間当たりの点火回数が多くなり出力向上が期待できる。多列化(マルチ化)、慣性質量低減(SV→OHV→OHC→DOHC、運動部品のAl化)、冷却能力の向上(空冷→水冷)、ショートストローク化
排気エネルギーの利用:ターボ、蛸足
吸気量の増大:過給(ターボなど)、吸排気バルブの多バルブ化
点火時のエネルギー増強:高圧縮比化(燃料オクタン価向上)

番外編としては爆発回数の向上(2ストローク)、圧縮比の更なる向上によるトルク向上(ディーゼル)

う~ん、もっとあるような気がするが。
コメントで教えてくれたら助かります。(間違いも指摘してください)
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