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ウナギ食いたい

世のアベノミクスはインフレしてから給与が上がるという図式だから労働者にとって不利だ、という言論があるようだ。これを解消する方法はあるのかね?先に給料を上げるのは減税以外不可能だと思うんだけど。というかバイトや派遣の時給は上がっているらしいので、、嘘じゃん。

そりゃ春闘は年に1回しかないし、それでも円安効果で利益が出れば多少は賞与で還元されるでしょう。 中小企業は苦しいという言論もマイナスよりは良いとかにならないのかね。消費税を上げれば可処分所得が実質減るのは理解できるけど、じゃぁマンションや地価が底を打ったという言説は無視ですか。

マクロで最大限を狙い、ミクロはその対応をすればいいのに、ミクロをもとにマクロを批判するって頭が悪すぎる。

まぁミクロで見れば収入が増えずに税金が上がることの打撃もあるであろう、年金生活者や賞与が無いサラリーマンとか、そもそも厳しい母子家庭とか。しかしミクロに注視していれば何も出来ない。アホかと思う。そこは個別にクーポンや減税で対応すればいい話。個人事業主や年金生活者の意見で減税を主張するより、手当てを考えればいいのに。

 

閑話休題。
鰻を食いたい。関東風の蒸す鰻ではなくて、名古屋風のさくさくした鰻、ひつまぶしで。まぁ関東風のふわふわ鰻も嫌いではないのだが。
しかし鰻は高い、乱獲でウナギシラスが獲れないそうだ、そして世界各国のウナギシラスを買い求め、それらも激減させているらしい。恥ずかしい

さらに絶滅危惧種に指定される有様だ、恥ずかしい。

こういう場合『規制』というのを考えることが多いのだけれど、僕は業界が足並みをそろえるべきだと考える。
天下りなどで皆さんが大嫌いな『業界団体』は全ての業界かは知らないけれど、僕の知っている複数の業界は上手く機能していて、馬鹿にするものではない。
鰻屋界隈は「シラス漁師」「シラス市場」「養殖業界」「養殖周辺業界(餌・薬・大学など)」「鰻屋業界」「流通業界」の3~6業界に分かれているものと推測できる(面倒なのでソースなし)。

まぁこれら違う業ごとが持続可能性を見越した協議会を持ち、業界で漁獲高をコントロールする必要があるであろう。例えば天然鰻の発売禁止とか(鰻屋業界は大反対であろうけど)。 
その際シラスウナギの漁獲高をオリンピック方式(一定の漁獲高になるまでヨーイドン)では獲ったもん勝ちである。シラスウナギ漁の漁師(漁協)割り当て式にすることが必要であろう。養殖鰻のトレーサビリティも違法鰻でないことを証明するために必要であろう。「天然鰻」を謳うことができなければ馬鹿高い天然物を買う意味が無くなる。
もっとも「」という業界が大反対するかもしれない。 

 

話を脱線する。
業界団体が何故有るかというと、全ての決めるべき事象を法律・省令で行うのは非現実的だからである。業界団体が消費者利益を冒さない新しい提案や、過去問題ないとした事例を取り下げるとかは業界団体が行うのである。それを省庁が追認するという形である。
例えば昨今の問題で言えばカネボウ化粧品の美白成分は不幸にも業界団体が「問題ない」としてデータを提出し認められたという経緯がある。また健康食品業界が「特保」は使い難いとハードルを下げる提言を行っている。

鰻業界の就労員数は分からないけれど、経済効果を含めて巨大でしょう。だからこそ、鰻を「共有地の悲劇」にしてはいけないと思う。それこそ利権国会議員が旗を振って各鰻業界同士を調整する必要があるであろう。

 

この獲ったもん勝ちは日本の水産業では常識のようで、鮪も食えなくなるかもしれないらしい。鰻業界の没落を待たずに鮪業界も利権の調整という名の生産調整を行う必要があるのではないか。

 

追記:河川の護岸の改修も必要だろうけれど、鰻業界がやることをやってからだと思う。鮎や鰻の天然モノの経済効果が見込めるのであれば業界が働き込めばいい。

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自説の因果応報についての雑感

自国への世論への軟弱な対応だとしても、「日本」は叩いていい存在だけではない。色々な価値観から土下座外交を嫌う気分が醸成できてきたらしい。土下座でアジアの覇権を目指すのか、アジアの覇権を目指さないという葛藤だと思う。葛藤ではないのかもしれない、民主党の中・韓への配慮が非土下座で行こうとい気分を醸成してきたと思われるからだ。

具体的に言うと日本の(旧自民党から続く)土下座外交への疑問から対中、対韓への配慮は価値観算されるべきという道筋であろう。中国も韓国も先進国への仲間入りしたようなので、配慮はカネを貰えばやってあげるというスタンスに落ち着いてきたのであろう。カネを払わない主張は馬鹿ということが日本国民に共有されてきているのかなと思う。

安倍政権はともかく、外交や軍事ではイデオロギでむちゃな論理を振るわずに済む土壌が出来てきたと思う。その最大の敵は共産党ではなくて情緒を重んじる安倍総理だけど。
 

韓国政府と安倍総理は『情緒』を基盤とした政権運営を目論んでいる。

と思う。

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カネボウ化粧品の回収問題を考えてみる

カネボウ化粧品で大規模な回収騒ぎがあった美白成分であるロドデノールという成分が原因のようだ。

この事例は危機管理的に問題があったという切り口が多いのであるがここでは「効能効果」という切り口で考えてみたい。ちなみに当該事例は「医薬部外品」で起きている。
医薬部外品とは「日本の薬事法に定められた、医薬品化粧品の中間的な分類で、人体に対する作用の緩やかなもので機械器具でないものである。」byWikipedia である。
分かり易いのが染毛材や美白化粧品で、今回は美白化粧品で事故が起きた。 

化粧品や健康食品は「効能効果」を謳ってはいけない代物である。「効能効果」は副作用が伴う代物(薬は副作用がある)なので、部外品主剤(成分)の安全性は厳しく管理されている。

読み替えると「効いちゃいけない」モノが「効き過ぎた」ということだ。それが副作用で白斑を起こした。

 

医薬品は建前では医師が処方したり薬剤師が対面で販売、ネットでは注意喚起をするということで流通している。副作用を恐れてのことだ。一方で『効く主剤』を求める矛盾がある。

話を変えると、健康食品に「効能表記」を求める運動があるらしい。軽金属とか脂溶性物質を野放図に飲めば健康に影響があるだろうに。特保で安全性と効能が証明できれば効能評価はある程度謳えるのに意味が分からん。

 

結論。『効く』のは拙い。栄養が偏らない程度で納豆やバナナを食うあたりで満足しとけってことだ、多分。

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全米音楽チャートのいけてない感

最近、きゃりーさんが益若つばささんの女子会に少なくとも2回ほど参加しているらしい。両方ともブログをウォッチしてたけど気付かなかった。しょこたんがぼっち卒業というニュースを見てtwitterを見て得た結論。

参加の写真

 たこ焼きパーティー、しょこたん参加のプリン会

twitterの頁を貼る能力が無くてすいません。写真に興味ある方は益若さんまたはきゃりーさんのtwitterを参照してください。
まぁ楽しそうで微笑ましいですね、益若さんはきゃりーさんのことを「ぱみゅ子」と呼んで可愛がっているようですし、もうスタメンらしい。

 

標題の件、今日は帰りが遅くなって、録画を見られなかったので、ビルボードTOP40を聞いてた。

すごくびっくりしたんだけど25年前から表現方法が全く変わっていない。メジャーどころだとアブリルを聴いて新しくないなぁと思っていた、おっさんに優しい音楽だと。25年前のチャートを流しても違和感ゼロだと思う。耳に優しいけど進化しないというのはどうよと思った。だからマドンナが現役を続けられるのかとも思った。
ガガ様は異常なのだな。

ということは日本の音楽コンテンツをyoutubeでPVの広告を展開してiTune経由で商売することは可能なんじゃないかと思う。エレクトロニック(パフューム・きゃりー)とかフォーク(サザン・いきものがかり)とかJ-pop(ビーズとか)をアイドル(AKB・ももクロ)とかが市場を掘り起こすことは可能なのではないかと思う。
日本オタクにきゃりーさんを売るのではなくて、普通の人にJ-POPを提供することだろう。

多分おなじことが欧州・南米・アジア・アフリカでも可能だと思う。youtubeのコンテンツに多言語の歌詞を載せれば良いだけだ。あとは宗教禁忌を注意してネガを防ぐ。

CoolJapan として政府ができることはこのyoutubeのJ-POPチャンネルの告知を各国の新聞やNETCMを載せることであろうか。

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共産党への嫌悪感の源泉について

選挙の際に100%共鳴できる政党は無いわけで、投票したからといって全面的に支持したわけではない。また政党に信頼できても党首の資質に信頼を置けなければ信用の成分は薄れる。例えば自民党は色々な利権代弁者の巣窟で、そのこと自体は良いとおもう。しかし党首が情緒とか家族観とか教育的価値観を述べるのは異常だと思う。「経済が最優先」?嘘だね。戦後レジームや美しい国という情緒が全面に出ている。情緒優先で切り盛りできると思えないのと、情緒が優先されるのは困るという2点で安倍総理は支持できない。

とは言え、大胆な金融政策、いわゆるアベノミクスを否定することは無い。反リフレ屋さんは短期的な債券暴落というワーストシナリオを述べているが、時間軸で言う限りありえないであろう。市場が自民党を歓迎していることに非難する気は無い、というか反自民党ではないし(反安倍総理成分は高いけど)。

 

標題の件、共産党への嫌悪感についてである。これはかなり個人的な印象でソースも無いので中傷に近いのだけれど、共産党は「個人商店」の支持が多く彼らへの無税を主張しているという妄想を抱いている。
共産党は野党なので、財政的な合理性までを問うのは無理筋であろう。与党を意識してからで遅くない、破綻した民主党がそうだったように。
そういう「青い」ところではなくて、個人商店の減税と大企業への増税を望む体質が気持ち悪いのだ。労働者重視と述べているが少なくとも大企業サラリーマンの味方とは思えない。政党なのだから票田は大事で顧客重視を非難するのではない。

 

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夕刊の選挙結果を見ての雑感

昨日の選挙速報はNHKとTV東京のザッピングでした。特に面白かったのが比例区の支持基盤です。

夕刊を見てまず思った印象を述べます

幸福実現党が20万票比例で取っている事です、幸福の科学は20万人規模の動員が見込まれるという事かと。しかし比例でようやく1議席取った社民党が100万票クラスだったので、まだまだだなと思った次第です。もちろん幸福実現党がF票を動員したのであれば会員はもっと少ないということが示唆されます。

次に「1票の格差」ですが、東京区の落ちた民主党員は誰だっけは55万票、格差で問題になって北海道も、神奈川県も、近い得票(印象でソース無いです)を得ています。日経夕刊が手元にないのです、ソースを探す気力はありません。島根・鳥取・高知の区は15万票程度で、「そりゃ怒るわな」状態である。

 

そして次に比例の記名の程度である。僕は単純に「記名は支持団体=利権」と池上さんから示唆されたのであるが、故に非記名の量が「風」(非民主の受け皿)だと勝手に認識したのである。自民党を除けば非記名(党名を記名する)の得票数1位が維新だった。非与党の票を受けるという戦略が一応成功していると看做したほうが良いのではないかと思う。
勝手な判断だけれども維新は成功した。 

既存政党(こういう表現は適切ではないことは重々承知していますがあえてこの表現を)は半数程度を「記名票」で占めており、「沈み行く船を組織で、、が沈んだ」と思われる。

あと共産党の結果であるが、非記名票が少なくなかった、維新には負けたけど。

 

ちょっと寸評。東京都区で民主党が議席を取れなかったのは党本部のごたごたと、大田原陣営=菅元首相の関係(票割れ)が多分にあると思う、東京区なんて流動票の宝庫だし。

岩手県区の旧民主党現職が確保したのも面白い、小沢帝国の足元ですらと示唆される、生活ゼロだし。

 

いやもう参議院選挙の格差是正が無理なら、全国1区比例代表制でどうかしら。解散が無い固定性なので政党への交付金もゼロで。そもそも良識の府で名誉職なのだから。
(みんなが嫌いな渡部美樹氏にお願いということ。) 

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法は殺人を禁止していない件~刑法199条についての雑感

「人を殺すのは何故いけないか」という問いが多くある。問いが根本的に間違っている、刑法は人殺しを禁止していない。殺人をしたあとの刑罰を述べているだけである。

 

第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。


追記:禁止し、罰則を設けない条例もある。禁止したから違法が無くなるのであればユートピアだ。


関連記事:「なぜ人を殺してはいけないのか」に対する違和感と雑感~だめリーマンの思考法


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夏野菜といえば茄子に冬瓜

冬野菜の葉物も好きなのですが、夏野菜も大好きで。茗荷、茄子、茄子、胡瓜でしょうか。トマト、ピーマン系(しし唐、パプリカ)、おくら。。茄子は種類もあるので2度重ねておきました。
隠れた王道が冬瓜です。

僕は幼少の頃、茄子と冬瓜とトマトが苦手だったんですよね。理由は簡単、皮付きで出てくるから。 同様にかぼちゃも、これは今でも食わず嫌い状態ですね。

最近のトマトは甘いから気にならないのですが、昔のトマトは青臭く、かつ皮が邪魔で。茄子も子供向けには皮を剥いて調理するのをお勧めします、栄養的には問題があるかもしれませんが嫌いになるより良いと思います。胡瓜も全部とは言わないけれど皮を落とす方が美味しいです。

瓜系は皮・皮付近の食感が固い、不味いわけです。スイカを想像していただけたら分かると思うのですが美味い→不味いに行くわけですよ。僕の母親は冬瓜が大好きで度々食卓に上るのですが皮を薄く切るので皮付近の食感が苦手で、皮を薄く切るのだけは止めたほうがいいと思います。皮(付近)は不味いし、けちって美味しい食材を嫌いにさせるのは犯罪的だと思う。
かぼちゃもです。 

 

冬瓜の出汁を含ませた食感と味は置き換えることが不可能なくらい上品で、中華・和風ともにトップクラスの野菜だと思います。中華の炒め物がありますが、本命はスープの種でしょう。

一日一品江戸料理~冬瓜と干し貝柱の煮物

よだれが出てくる。僕が簡便で利用しているのは蟹缶の餡かけで、気合を入れると鶏胸肉の上湯、和風出汁で煮物というかスープを作る。貝柱も美味しいだろうな、中華風・和風ともに。
アツモノもいいけど冷製もいい。

茄子である。茄子はファンが多いし、食卓に供する機会が多いのでここでは述べない。でも美味しい茄子を食いたい。

 

註)皮が美味い野菜もあります、蚕豆です。皮付きを食し、皮を剥いて皮を食し、中身を食し。蚕豆は皮が美味いと思うんだよね。

江戸料理小説の高田郁さんにはまりかけています。3巻読んで放置しようとしたら小松原が主張するのです。まぁどうでもいい話ですが。 

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エスカレータのメーカー責任についての雑感

前記事の「真ん中を歩く人」が大手サイトに注目されコメントも多く来た。
すごく残念だったのは「団子を抜けて真ん中を歩く馬鹿が邪魔だ」というところに食いつかれずに、「エスカレータでは歩いてはいけません」という主張が多かったことだ。

せっかく大手ポータルで紹介されたにも関わらず残念な取り扱いであった、細かい部分でいうと100%ずれている。残念。

 

では逃げずに、「エスカレータで歩く」ことを肯定したうえでの論理を展開しよう。

 

1)エスカレータメーカーの主張を鵜呑みにする

エスカレータの設備管理者は悩ましいと思う。鉄道事業者は顧客を「捌く」ことが主題であり、エスカレータは輸送人員の最適化を目指すツールであろう。右を空けて右側を歩くのは輸送と言う観点では合理的で管理者としては建前はともかく詰まるよりもいいと思っているに違いない。
また自然発生的に左側通行が原則で、歩く人の為に右側を空けることが定着してきた。商業施設でのエスカレータの混雑は頭悪い状態で、右を空けることでエレガントに渋滞を形成している。商業施設で歩く人が極めて稀なシチュエーションでも刷り込まれたモラルは右を空ける、渋滞する。
無駄に輸送能力のあるデパート施設が勝ち組になっているのではないかという非合理的な現象が起きている。

このような現象を「メーカーの主張に反してる」とか言う。ちょっとこの精神が分からない。

輸送機器は安全の基準が細かく設置されているはずであり(希望的観測ではありません)、その基準でメーカーは作成していると考えられる(同)。また設備管理者は入札の際に「右側を歩いたら止まる」エスカレータを安いと言う理由で導入するとも考えられない(同)。

メーカーとユーザーの立場が分からない人が多い、少し想像すると分かる。(分からない人は想像が足りない)

要はメーカーとユーザーが居るということだ。

 

2)ユーザーは現実的な運用を行う

かなり残念なのが、エスカレータメーカーとユーザー(鉄道事業者・商業事業者など)が違うという事が理解できていないことである。メーカがいくら「歩くな」と言ってもユーザーはそれに対応するかどうかは別であり、というよりユーザーは「歩いて止まるエスカレータ」を買わない。ユーザーの購入条件として既に社会常識である「エスカレーターは歩くもの」ということで、歩いて止まるエスカレータは商品価値がゼロなのである。建前はともかく。

ということはメーカーもエスカレーターを「歩く」前提で設計している。

エスカレータメーカーが「歩かないでください」と言うのは(安全にまつわる)単なるメッセージであり、鵜呑みにするのはかなり痛い。運用はメーカーではなくユーザーなのだ。

輸送機器は法や安全基準でがんじがらめなので、「誰かが死んで、マスコミが大騒ぎ」をすれば役所が動くかもしれない。しかし過去20年ではそうなっていない。だからにユーザーは理念では理解するが全体最適を考える。

 

3)輸送機器は社会システムである

エスカレータメーカーの「歩かないでください」というのがいかに意味が無いかご理解いただけたであろうか、自己満足である。社会要請で安全強化を求められたらコストを別にすれば至極簡単に対策を行える。しかしコストが馬鹿馬鹿しいのでそんなことは行われない。

危険は認識しているが運用で問題ないということだ。

4)対案

このこと(エスカレータを並列で歩く)を許せないと言うのであれば理解できる。エスカレータを単列にすればいいのだ、しかしそのコストは膨大である。批判だけで対策案を出さないのは納得がいかないのである、僕ですら対案が簡単に出ると言うのに、、、、まぁ安い案は難しいのは理解できる、でも対案ゼロのでは斟酌できない。 

この事実を理解することは重要であると思う。理念は重要だけれどもコストとのバランスである。

 

5)これは一案である

交通システムの隙を突いて調子付くのは「些細な点を論う」ことでだけで、全く建設的でない。これは全体最適を考えるとどうなるのかという全体像を問う問題である、そこを「細かい点の運用の問題点」を挙げる。根本的な矛盾とか運用上の問題点を指摘していただきたいものである。

 

『番外』僕は「歩行者右側通行否定派」である

「歩道の自転車」は右側通行であろうか、左側通行であろうか。この問いの答えを僕はサボっていて知らない。また鉄道事業者・商業事業者のテリトリーでは「左側通行」が多い。
要は道交法10条の歩行者右側通行が諸悪の根源だと主張する。

 

 

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地熱発電は筋が悪い

僕はケチなので例年エアコンは必要最低限しか使わないようにしています。しかし今週はフル稼働ですね、設定温度29℃で暑くも無く涼しくもなく、カラッとした状況で過ごしております。電気代が恐ろしいことになってますね。

あと告知というか連絡です。foxizeさんからのリクエストの「外来生物」は興味はあるものの通り一片の知識しかなく、今流行りの未許可のGM作物が発見された件も内容が手に余り、、、申し訳ありません撤退します。軽いエントリや枕では使用させていただきたいと思います。

 

さて今年は節電をあまり言われなくなりました。電力会社が節電意識の徹底と発電設備の立ち上げが功を奏したのでしょう、まぁ恐るべき赤字のようです。悪意的に見れば電力会社にはこの時期に不用施設を売却して、職員の給与を民間並みに抑え、殿様体質をブラッシュアップしていただけたらと他人行儀に思います。とはいえ燃料のコストアップは事実らしいので、プライドを捨てずにコストダウンを邁進することを望みます。

 

脱原発派がやばい。感情でしかなく、計算も論理も無いことに非常に危機感を覚える、知性が完全に欠落している。『完全に』だからね、パーフェクト馬鹿。彼らは『環境問題』『放射線汚染問題』として原発を忌避しているようだけど、代替案は新たな環境破壊である。

ちょっとソースを探すのは面倒なので興味ある方にはググって貰うとして、「石炭火発の環境アセスメント前倒し」を望んでいるようである。そっくりそのまま「原発再稼動」に置き換えてもらえば分かる程度に無理筋である。過去に発注した物件を同仕様で建設できるのであれば『前例』が生きるだろうけど、まぁそう単純ではない。原発のリスクを石炭火発のリスクに置き換えただけである。さらに中長期的には温暖化ガスの問題が再燃する可能性が捨てきれないわけで(現時点では理論から予想される温暖化ガスの効果は実測できなかったと僕は認識している。)。

 

さらなるに無理筋は『地熱発電』への憧憬である。他国で活躍している地熱発電を日本でも盛り上げようと言う、ブームである。

まず、日経は地熱発電を『宝の山』と報じている、エネルギー的にはその通りであろう。過去にも草津温泉の裏側に地熱発電設備を建設しようとして温泉協会からの横槍で断念したと報じている。この記事には発電と温泉の売上げ・経済効果が(悪意的に)記されていなかった。

一級の温泉と地熱発電では経済規模が全然異なるのである。

仮に電力開発側が草津温泉の温泉湧出量低下・湧出水温度低下、風評被害による温泉施設・スキー場への経済的縮小を20年の損害保険料を払う事による譲歩を申し出るのであれば理解できる。しかし『影響は無い』の一点張りであった。地層屋・地震屋の仕事の不完全さは原発再稼動問題で露見しているわけで、彼らの反対運動が合理的だったことは間違い無い。電力開発屋は確度が低いので温泉業界の損失を担保する保険に入れない(確度を変数とすると莫大な保険料となる)。地熱屋の理念は他人の飯が無くなっても良いと考える程度に傲慢で馬鹿だ。そして保険料が払えないことは『俺は悪くない』と思っている、悪魔である。まぁ保険が成立しても保険料は発電の売上げより高いと思うけどね、そのことも知っているから彼らは悪魔なのである。

悪魔の所業はじゃぁ「国立公園」があるじゃん、悪魔っプリは『環境破壊の落しどころ』と考えている節があることである。日本の山林の多くは植林されているわけで、自然体系を守ることを是とした国立公園は環境の水際である。それを冒せと言うのが地熱屋である、そして反原発派は彼らを熱望している。反原発屋の少なくない人が環境破壊派である。これは理解して欲しい。

環境問題は理念の成分がかなり高い。環境誌日経エコロジーでも論理よりは理念が勝る記事構成である、理念は合理的な判断から遠いところにある危険思想である。「原発廃止」という理念の為に、そもそも原発は環境問題であるにも関わらず、計数的な判断が出来ない。

環境の為に原発を反対している少なくない人がより環境を壊そうとしている。このおかしい事実を受け入れて欲しいというか、立ち位置を合理的である修正をして欲しい。

7/16追記:はてぶでid:ganot さんが「日本の自然は守られすぎているので,人のためにもっと活用すべきだと思う。」と意見をくださいました。そういう考え方はありだと思います。
僕個人としては、、、、うーん嫌なとこ突きますね。 定性的に反対派をあげつらったら定量的に反論を食らったってとこですかね。

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真ん中を歩く人

いやぁ今週は暑かったですね。月火は身体が暑さに慣れてなくて夏ばて状態でした。
水曜日くらいから慣れてきて、木曜日は展示会に出張しました。りんかい線の国際展示場駅からビッグサイトまで遠いこと、ユリカモメは時間かかるし高いし、あと大井町のお気に入りのビストロで昼食を摂るのも楽しみなので甘受しました。

僕の通勤はラッシュとは逆方向で、ほぼ座れ、少なくとも電車内で汗が引くために団扇を使うことができます。おまけにオフィス勤務なので出張でもない限り外出はしません。ラッシュに突撃されている方や営業の方などから見れば天国なのですが、暑いものは暑いのです。

さらに今週は3件の面会がありまして、サプライヤさんとの自オフィスでの面談です。申し訳ないやら、一応喫緊でなければと断ったのですが、内2件は今年配属の新人の研修の一環とかで、、、ご苦労なことです。

 

標題の件、これは「エスカレーター」や「動く歩道」での話である。混雑時右側を歩いている人が、団子を抜けて先頭に立った瞬間に真ん中を歩く人が非常に多いことへの愚痴である。「邪魔なんじゃ、ボケ」

多くのエスカレータや動く歩道では2列を想定していると思われる。事実ボケも団子を抜け出すまでは右側を歩いている、団子を抜け出した瞬間に真ん中を歩くのは頭が悪すぎる。後ろに人が居ることを完全に忘れている、自分だけ最高で、、、邪魔だボケ!

 

高速道路での小規模の渋滞は「団子」を形成することである。このメカニズムは前を走っているクルマが遅く、後ろのクルマに譲るタイミングが遅いからである。また前が空いているにも関わらず「渋滞の先頭」を形成するとか。多くの人が渋滞にイライラしていると思うのだけれど、その真犯人は自分だったりするわけだ。

話を戻すと「高速道路」まだ車線が認識できるように線が引いてあるが、エスカレータや動く歩道には線が引いていない。ボケは団子を抜けた瞬間に真ん中を歩くのだ。高速道路やバイパスの団子を抜けて車線を無視して真ん中を走るのと同じ。

なので高速道路の渋滞より性質の悪い渋滞が発生している。左から抜かれた経験がある人はボケなので自覚してください。

 

あと2人組などで、対向者の通路をふさいでいる人居ますね。彼らは蹴られても殴られても仕方がないと思います。ギリで避けるとかサッカーで言えばオブストラクションです、例えが悪いですね、白昼堂々と善良な歩行者にタックルを仕掛けています。前記は邪魔なだけですが、これは暴行犯です。暴行犯に祭り上げられたときには自分の常識の無さを恨んでください、被害者に当たるのは言語道断です。

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名を知られない優良企業と学生の接点

昨日のエントリーが浅はかだったので、消そうと思ったらコメント付いて、、、泣いた。

 

今日は仕事をサボってインターフェックスに行きました。医療品(一部化粧品)業界の展示会ですね。暑かったので止めようかと思っていたのですが昨日あたりから高温に慣れた様で、まぁ行くかと相成りました。

行くと結構面白かったりします。例えば他社大手に供給している企業であればそれなりに品質基準が備わっているであろうと思うとか。(容器のレーム内容とか、使用時の菌の繁殖の知見とか、製造工場の埃・黴の量とか)

医療品業界は申請や許可の業界で、論理的で、技術屋とすればこの業界は美しいと思う次第です。情緒の成分は食品・化粧品業界と比べるとかなり低めです。あとは、製造(工場設備)・検査・ロジスティック・パッケージは近隣であり、まぁ論理成分が高い分面白かった。
OEMでもパッケージでも検査機でも『医薬品業界のお墨付き』は、品質管理を信頼するに足りると妄想している。 

 

標題の件、こういう展示会では業界の超一流企業というのが存在する、まぁ多くは上場しているので学生も調べる伝はあるであろう。でもやっぱり内情は分からないと思う。
そして有名でないけれど実力のあるメーカーってどうやって人材募集をしているのか気になる。名の知れた企業(主lに消費財メーカー)に就職の応募が殺到して、こぼれた人材を集める技術力のある会社ということになるのでしょうか。 

よく知らないのだけれど先月化粧品関係でやはり展示会があった。1ヶ月のうちにそう何度もやる必要ないのに、と思うのだけれど、就活生にアピールするのは悪くない。今日は学生はほぼ見なかったけど。

そもそも学生は何を基準に就職先を選んでいるんであろう。当時の僕であれば誰もが知っている企業(消費財メーカーか一部上場企業)に行きたかったわけで、世の中には業界人しか知らない優良な企業がある。その接点はどこにあるのかということなのです。

 

僕の経験では教授推薦以外はない。

 

インターフェックスは「業界」の縮図で、就活生が来たら人材供給に意味があるのではないか。出店企業は人事部員を置いておけば済む話だし。どうでしょ。

 

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己のプライドや怒りでの嫌味で人間関係が壊れる事案

なんか僕の周りで起きていることの雑感。恥ずかしいので僕の事案はないです。

・開発部門が顧客と商品設計すると、どうしてもスケジュールは顧客寄りになり、研究の提示したスケジュールに乗らない。そのこと自体は仕方がないと思う。しかし顧客の要望を全部飲んでサンプル要素をとサンプル数を増やして「顧客の要求ですから」とシレッと言われ、挙句の果てにスケジュール延長を顧客に告げられた研究の同僚が担当者部門の会議ではなく、全体スケジュール確認の会議で切れてた。

ここで「切れた研究員(グループ長)」が未熟なのか、顧客の御用聞きで結果を纏められない開発部員が悪いのかということではない。研究員の要望が正だとすると研究員の言う通りなのだが、商売は相手があって成立するものであり、顧客との折衝が上手くいかなかったことを大会議で糾弾するのが正しいかという事である。

要は開発部門が顧客と交渉が順調には行かなくて、部下に残業をさせたけど成果がなかったことをアピールしたに過ぎない。この開発部員は職位が研究員よりも下だったので反論しなかった(僕はそう感じた)が、顧客との交渉内容を理解しようとせずに吊るされた開発部員の気分を忖度する。当たり前であるが開発部門の担当もちょっと抜けているのであるが。

 

・開発部門の迷走で新しいブランド構築の具体案に大きな遅れが出た。開発部門は包材メーカーに二枚舌を使って「スピード最優先」と伝え、金型投資が二重になったことが明らかになって逃げた。このことは常識的には開発部門の責任問題だと思うのだが、購買に問題を押し付けてシレッとしている。開発が遅れたこと自体は営業とのやりとりなどがあるからそのこと自体は一方的に非難される案件では無いと思うが、周りに問題を押し付けて、「次の仕事は、、」とか言っているのが気持ち悪い。本当に悪いと思っていないのであろう、多分。

 

こんな感覚なので、開発は研究と本社技術と工場すごくギクシャクしている。僕がすごく不思議なのは開発担当者が「自分は悪くない」と思っているようで、ギクシャクの原因は技術部門にあると思っているようなのだ。
ちなみに上記に挙げているように技術部門が悪くないという事を主張したいのではない。他部門の不興を買っても「自分が悪くない」と思えば、大きな会議で「自分が悪くないこと」、不満を表明し、関係を悪くすることを厭わないことである。

この感覚が分からない。大きな会議で不満を表明されて、不快に思わない人物は居ない。
そしてここから二通りの人間が居る。「上司の指示なので私が悪いわけではない」と「近づきたくないので先送り」である、子供である。どちらも技術屋が求めている論理と全く関係ない。

 

僕のバリバリの技術屋新人の頃は仕事は目的と段取りで8割決まると教わった。しかし、この業界案件は他プレイヤーが居て、論理ではなかなか仕事は進まない。そこを見越して手を打つのが常識なのであるが、このような人間関係ではそんなこと無理だ。

 

謝る事ができない、自分が正しいことを主張する人間を僕は信用しない。裏切るからだ。そして彼らは大抵仕事を完結させる能力に劣る、ケツを拭けないからだ。

 

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以前、マーケティングは論理ではないと言ったけどさぁ、、謝ります。

前記事で取り上げたが本田翼が成長している。次期CMの女王かという報道もある。深夜ドラマで大政絢と本田翼の可愛さだけを追及したドラマでも本領発揮であった。
個人的には細身の大政さんの成長を望んでいたのであるが、上品な雰囲気の本田さんが圧勝であったと思う。細身派としては桐谷美玲さんと共々出世を期待します。 

 

標題の件です。以前の記事(他にも)で「マーケティングは論理ではない」と主張してるのですが、実はこれは間違っています。もしマーケティングが論理でないのであれば、来期の売上げ予測は出来ないはずだからです。売れる商品を論理で解くみたいのを信用していない、新商品のA案B案のどちらを選択するのかというシーンにおいて「マーケティングは論理でない」と狭く用いています。

そして営業の出す販売予測が、事業の収益性に影響を及ぼすわけで、そしてそれが余り外れないのはすごいと思います。

 

「マーケティングは論理ではない」とか言って申し訳ありません。

 

来期の販売額の予想ってどうやってやるんですか?コメント期待します。

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英国が宗主国である心意気と、米国の宗教的価値観について

休日はyoutubeを聞いていることが多い。僕は40代で'80年代を中高生として過ごした。そのころは邦楽はアイドルぐらいしか勢いがなくて、僕は洋楽にどっぷり漬かっていた。

僕が現代音楽の至宝だとおもうのにDo They Know It's Christmas? / Band Aid がある。当時の英国スーパースター、現代でも通用する、が集まってチャリティシングルを作ってしまった。

 

誰もが聴いたことがある曲を発表しているPolice の Sting や U2のbonoやPhilColinsとか、LastChristmas の GerogeMichel とか、。書ききれないほどのスター勢ぞろいである。
この曲が発表されたとき「さすが英国だ」と思ったものである。英国病に犯されていたが、音楽シーンは元気だったと思う。BrtishRochが米国で売れていた時期だ。後にCultureClubが来日したりもした。ちょっと以外なのはPoulMcCartneyが参加していないことである。

この「世界のリーダー」という感覚は賞賛される価値が有ると思う。のちに米国陣がWeAreTheWorldを発表する原動力になっている。

 

そのWeAreTheWorldであるが、歌詞がすごくキリスト教的である。米国がとても保守的であるということを理解した瞬間でもあった。

これまた超スーパースター大集合なのであるが、そこはスルーする。注目すべきは歌詞である。可愛いなぁDianaRossちくしょう(1"34)。

We are the world, we are the children.

と綴る。絶対的真理として『神』が居て、だから世界が家族で、子供達ということが自然なのであろう。 日本人には思いつかない発想だと思う。

 

この感覚を理解して居ないと「慰安婦」問題での守旧派の主張は欧米で到底受け入れられないことが分かる。「必要性」「事実」とか関係ないのだ。駄目なものは駄目。

人権は神から与えられたものなので論理ではない、だから文書や論理で正当性を論争する日韓と右派左派は理解されない。僕もキリスト教派に賛成である、論争は極めて下らない。
歴史観で人権が変わるという主張もおかしければ、歴史観が統一され人権が確保されるという主張も無茶苦茶すぎる。

 

〆みたいなもの。日本と韓国、右派と左派の人権や慰安婦・南京大虐殺に関する論争、極めて気持ち悪い。

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