さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

インディアンの行き過ぎた贈り物儀式

2012-04-11 23:52:15 | 読書録
(【読書録】週刊古代文明18)

私が生まれてからこれまで、「インディアンになりたい」と思ったことがあったかどうかは記憶が定かではない。だが少なくとも「インディアンみたいな格好してみたい」とか「インディアンって素敵」とかは思ったことがあるし、今でも何となくそう思っている。ちょうど私が子供の頃、「インディアン、ウソつかない」という大人気CMが流れてたし、何よりもあの頭にかぶる羽飾りに憧れてた。そのほか、インディアン風のアクセサリーとかデザインTシャツとか見ると、欲しくてたまらないね。

そういう私のアメリカインディアンに対する漠然としたプラスイメージを一気に覆してくれたのが週刊古代文明18巻にある「荒唐無稽な贈り物儀式 インディアンのポトラッチ」の記事だ。これは儀式というよりも、贈り物合戦みたいなもの。日本の中元歳暮のような生やさしいものではない。この記事を読んだ時、インディアン社会に生まれなくてよかったと、思わず思ってしまったよ。

ポトラッチの主催者は参加の意志を持つ者すべてに招待をかけ(時には数百キロはなれたところまでカヌーを濃いで招待の知らせを届けることも)、招待された側も絶対断ることは出来ない。主催者は自分の地位の高さを誇示するために招待客に膨大な贈り物を贈らなければならないが、招待客は主催者が出す贈り物の数倍上回る返礼を用意しなくてはならない。もし返礼が足りないと、社会的な威信を完全に失い、奴隷にされることもあったし、恥をかくことを怖れて自殺したり・・というようなこともあったという。

明らかに行き過ぎだなぁ。適度な贈り物の習慣なら、やり方によっては産業が発達するというメリットもあるだろうが、これではつぶしあいではないか。色んなタイプのポトラッチがあるものの多くは「好意」から出た贈り物ではなく、「富の戦争」とも考えられる。ポトラッチのお陰で実際の戦争を阻止できていた・・・というメリットを主張する説もあるが、彼らがたどった運命を見ると、贈り物に過大なエネルギーを注いでいる場合ではなかったのではないか・・・などと思ってしまう。

で、このポトラッチという言葉を聞いて、個人的に思い出したのはポトラック(potluck)・パーティ。つまり参加者が一品ずつ持ち寄るパーティである。参加者が返礼品を持って集まるポトラッチ(potlatch)と何となく似てないか? 発音も似てるし・・・と思ってサイト検索してみたら、ポトラックの語源はやはりポトラッチみたいだな。

実は私もアメリカの高校に留学していた頃、ポトラック・パーティーに出たことがある。そこに海苔で巻いたおにぎりを持っていってどいういうことになったか、そして、それをずっと覚えていた私が25年後にどういう行動を取ったかについては、当ブログでも既出(我ながらなかなかの力作ですが、読者の半数を敵に回すかもしれません)。

http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/41c0b1ee155a2dc42ffee250c02f432d

私って、かなり執念深いよね。
コメント (2)
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