今日は朝、太極拳教室へ行き、午後から職場合唱団の練習。ああ、今年は数本の桜を見ただけで終わるのかと思っていたら、午前中にパート練習で集まっていた人達から、練習場の近場に桜の名所があると教わった。パー練のあと、みんなでお花見をしていたらしい。
なので、場所を教えてもらって、私も練習のあとに行ってみた。
もう5時過ぎで、日が陰ってきているというのに、目黒川の橋の上にはカメラや携帯カメラを構えた人達でいっぱい。
青空だったらもっと綺麗だろうが、川の流れに向かって、ワーッと垂れ下がっている姿は、とても美しい。
こんな風にぼんぼりが下がっているけれど、酒を飲んで騒ぐ場所ではないらしく、みんな思い思いに静かに、しかし楽しく花を見ている様子がとてもよいと思った。
写真的には昨日青空をバックに撮った公園の桜の方がいいかもしれないが、あれはたった数本だった。こんな風に大量の桜があると、まるで身を包まれているような感じがして、本当に癒されるものだ。
去年読んだ気功の本を思い出した。盛 鶴延 著の「気功革命」には、「花が咲いている桜の木は、身体に詰まっているものの発散を助けてくれる・・・・」というようなことが書かれていた。
▼【読書録】気功革命―癒す力を呼び覚ます
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/25b8e72c0f03e64f226760b728f7cc14
実際、一面の桜に囲まれてみると、やはりこの木には、頭蓋骨の緊張や、肩甲骨のこわばりなどをふっとゆるませてくれるような、何がしかのパワーがあるのではないかと思った。嬉しそうな顔をしている老若男女を見ていて、さらにその思いを濃くした。この週末は天気に恵まれたし、ちょうど桜の満開が土日に重なったので、花見を楽しめた人は多いだろう。特に今年はイースターと桜の満開とお釈迦様の誕生日が重なったので、何ともめでたい。
こんなことを書いてる私は、実は若い頃は、桜だけでなく、花なんて見向きもしなかった。正直、「けっ!」と思ってたよ。花見のシーズンが来ると、場所取りだのなんだのと煩わしいことばかり連想してしまって、業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」の文字通りの意味に共感していたこともある。
近年は、そう斜に構えることもなく、素直に花見を楽しめるようになったので、私もオトナになったなぁ・・と思うのである。
なので、場所を教えてもらって、私も練習のあとに行ってみた。
もう5時過ぎで、日が陰ってきているというのに、目黒川の橋の上にはカメラや携帯カメラを構えた人達でいっぱい。
青空だったらもっと綺麗だろうが、川の流れに向かって、ワーッと垂れ下がっている姿は、とても美しい。
こんな風にぼんぼりが下がっているけれど、酒を飲んで騒ぐ場所ではないらしく、みんな思い思いに静かに、しかし楽しく花を見ている様子がとてもよいと思った。
写真的には昨日青空をバックに撮った公園の桜の方がいいかもしれないが、あれはたった数本だった。こんな風に大量の桜があると、まるで身を包まれているような感じがして、本当に癒されるものだ。
去年読んだ気功の本を思い出した。盛 鶴延 著の「気功革命」には、「花が咲いている桜の木は、身体に詰まっているものの発散を助けてくれる・・・・」というようなことが書かれていた。
▼【読書録】気功革命―癒す力を呼び覚ます
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/25b8e72c0f03e64f226760b728f7cc14
実際、一面の桜に囲まれてみると、やはりこの木には、頭蓋骨の緊張や、肩甲骨のこわばりなどをふっとゆるませてくれるような、何がしかのパワーがあるのではないかと思った。嬉しそうな顔をしている老若男女を見ていて、さらにその思いを濃くした。この週末は天気に恵まれたし、ちょうど桜の満開が土日に重なったので、花見を楽しめた人は多いだろう。特に今年はイースターと桜の満開とお釈迦様の誕生日が重なったので、何ともめでたい。
こんなことを書いてる私は、実は若い頃は、桜だけでなく、花なんて見向きもしなかった。正直、「けっ!」と思ってたよ。花見のシーズンが来ると、場所取りだのなんだのと煩わしいことばかり連想してしまって、業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」の文字通りの意味に共感していたこともある。
近年は、そう斜に構えることもなく、素直に花見を楽しめるようになったので、私もオトナになったなぁ・・と思うのである。