風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

思い込み

2017年09月06日 | 出版
あ~あ、やれやれ忙しい。やらなけばならないことが、次から次に舞い込んでくる。しかも、弊社の業務とは直接関係のないことまでしなけばならない。それでも、「NNv」も片付いたし、「救援」も終わったし、少しずつでも作業は進んでいると評価するべきだろう。
そして某夜、弊社内でI出版会F社長もお越しいただき、某会議を行う。F社長がお見えだからといって、これは出版とは直接関係のない分野の用件である。G企画室のOさんも話の内容の行き先にやきもきされていて、わざわざお越しくださった。
ところが、会議の内容自体がこれまた小生が積極的に関わらなければならないような案件でもないのである。面倒くさがり屋の小生にしてみれば、できることならあまり深入りしたくない内容なのだ。ところが、SさんとEさんの姦計に陥り、小生がその会の書記のような役割となってしまい、そのうえ、弊社が会議場所に使われてしまう始末。
会議が終われば一杯飲むのは慣例である。したがって、会議の前に社内の片づけをし、終われば飲み散らかしの後始末をする、ここまでは、まあ、しょうがないかなというところだ。しかしこちらにしてみれば、あまり関わりたくない内容なのに、議事進行を小生がし、その会議録を小生がまとめて関係各位にメールを送り、さらにはある案文のたたき台まで小生が記し、不満分子には「まあ、まあ、まあ」と宥める役割まで務める結果になっている。「こんなつもりではなかった」とは深く感じているものの、いまさら役割を放棄するわけにもいかないのでSさんとEさんを深く恨むことにしよう。うまいラーメンの一杯くらいはおごれよ、てな気分である(ずいぶんと安上がりなことだ)。
それで、会議では方向性についての確認が一致して無事に終わり、「それじゃあビールでも」と飲んでいたら、「風塵社は最近どうなの?」とOさんにたずねられる。「いいわけないでしょ。太洋社の売り掛けが早く入ってこないかなあと、毎日、神様にお祈りしているところです」(太洋社とは破産してしまった問屋さんで、その最後配当の通知が各出版社に送られているところだ)と答えると、F社長曰く「それ、S社は入金になったって言ってたよ」。S社とはI出版会の隣りにある出版社で、中小にしてはそこそこの売り上げのあるところだ。こちとら、「エッ!マジ?それじゃあ、うちにも入ったのかなあ」と思うのも無理からぬことだろう。
翌朝一番に、通帳を持って残高確認のために銀行に向かった。太洋社の入金があると助かるなあと、こちらは期待満々だ。そこで勇躍通帳をATMに通してみたら、10日前と変わらず残高は6,969円のままだ。「あらぁ、まだ入金になってないのか。いつ入るのか、とりあえず破産管財人の弁護士に聞いてみよう」と帰り道に考える。
社にもどって、その法律事務所に電話を入れる。「風塵社と申しますが、太洋社さんのことでお電話しました。実はS社はすでに支払いがあったと聞いたのですが、こちらへはいつになりますか?」。すると事務と思しき女性が、「イヤッ、まだその件はどの出版社にもお支払いしていませんよ」「エッ?」「必要書類はすでに送られているんですよね」「はい」「それでこちらから送っているのは配当金額の見込額で、まだ確定したものではないんですよ」「ああ、そうなんですか」「それで最終的に確定したものをお送りして、それからお振込みということになります」
な~んだ、F氏にガセネタをつかまらせてもらったというわけだ。なんだかねえ、どうしてそういうガセネタを自信満々にしゃべるのだろうか。しかし、こちらは現在、担当の法律事務所に電話を入れている最中である。なにか先方に応えなければならない。「そうなんですか。いや、実は別の出版社の社長から配当が始まったようなことを言われて、それでお電話したんですね。どうもガセネタをつかまされたようですみません。それで、いまのお話ですといつくらいの配当になりそうですか?」「最終確定の数字をまた各出版社にお送りしてからその回答を待つことになるわけで、早くて10月下旬、遅くて11月初旬くらいのお支払いになると思います」「ああ、そうですか。どうもありがとうございました」
と電話を切ることになる。
そこで、「ふざけんなよ、F社長!」という気分もフツフツと湧いてくるけれど、破産した太洋社への売り掛けの支払いがいつぐらいに入るのかのメドがついただけでもよし、としておくことにしよう。しかしそこで繰り返しとなるが、ガセネタを自信満々に述べられる精神性というのは、小生にはなかなか理解しにくいところである。F氏のなかでなんらかの誤解があったものとは想像するものの、その誤解を真に受けてしまう側もいるのだ。
ネット言説とは別の次元になるけれど、人の思い込みとは面倒くさいし、また、思い込みの激しい人とはあまり付き合いたくないなあとも感じる。じゃあ一方で、おまえはどうなの?という問いが発生する。ここで、問い返しのようないやらしいロジックを使えば、「じゃあ」を真摯に受け止める人を尊敬するというそれだけの話である。

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