風塵社的業務日誌

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政治的ニヒリズム

2021年01月19日 | 出版
本日、朝食を食べながら7:00のNHKニュースを眺めていたら、腰が抜けそうになった。なんと、トップニュースがコロナ情報なのだ。前日の通常国会開始にあたり、スガが施政方針演説を行ったはずである。当然ながら、そこでコロナ対策及び関連する景気浮揚策を政府としてはどのように取り組むかを話した(のだと思う)。準国営放送の朝のニュースでそれがトップではなく、7:13ころから1、2分の扱いでしかなかった。ご飯を噛み噛みしつつ、これはどういうことなのかと考えてしまうのも無理からぬことだろう。
そこで、想定その1、スガの話があまりに内容に乏しく、準国営放送ですらもニュースバリューがないと判断した。想定その2、内容の貧しさを露呈させてしまうとスガの支持率がまた下がってしまうから、スガをかばうためにあえて低い扱いにした。想定その3、スガの話に国民のほとんどは関心を寄せていないし、また、そもそも施政方針演説なんていつも形式だけの無内容なものであるから、サラッと流すことにした。おそらくは、最後の3が妥当なところではないだろうか。
よくよく考えてみれば、これは恐ろしい話でもある。政治的言説を、発信する側も受信する側もおざなりにしているからである。そのくせ、コロナ対策としてマスクをしなさいとか、密を避けなさいなんていうことを要請という形式の命令に多くの人が従っている。なんなんだろうこの事態は。ある大学受験生がどこかの試験会場で、マスクから鼻を出していただけでバッシングされているそうだ。小生にしてみればあまりにどうでもいいようなことには過剰に反応するくせに、政治トップの発言というわれわれの日常を規定するものには関心が払われることもない。
そこで、「のだと思う」と丸カッコで囲んで先述したように、小生もスガの演説など読んでもいないし、聞く気もおきない。朝刊にはその全文が掲載されていた(と思う)けれど、解説記事も含めて読みたくもない。そのゆえに簡単なポイント説明をNHKに求めていたところもあったのだけれども、結局、スガがなにをしゃべったのかを知らず現在に至っている。そしてまた、そんなこと知らずとも日常生活になんの支障もないことも理解している。さらには、もしも必要に迫られたら、図書館にでも行って該当の新聞記事をひっくり返せばいいものともわかっている。
先ほどその状況を「恐ろしい」と記したが、再びよくよく考えてみれば、それはそれで鼓腹撃壌的であり喜ばしいことでもあるだろう。ただし、コロナ下で女性の自殺者が増加しているという現実を前にしたとき、のん気に腹鼓をうっていられるやつが現状でどの程度いるのだろうかという問題は残る。自殺するくらいならば、包丁持って強盗に行ってもいいよ(ただし、小生以外に)とも願うのだけれど、女性にそんなことを期待するだけ失礼というものだろうか。
この強盗云々は冗談ではあるものの、そのくらい生活の逼迫している人々が増えているはずだ。池袋駅構内を歩いていて、路上生活者の姿を見るたびに日々その実感が強まる。しかし、その人たちには政治トップの発言は伝わらない。社会システムとして、そうなってしまっているような気がする。その社会システムなるもの自体が小生にはブラックボックスでしかないけれど、そもそも論として、政治トップにはそうした人々への言葉を持っていないのかもしれない。いや、そうなのか。いまさらながら思い起こせば、カン内閣のときは成功したか否かはさておき、そういう方向性への萌芽はあったようにも思う(ここでカン内閣を評価しているわけではない)。
政治なるものには限界がある。たとえ日本共産党が政権を握ったからといって、すべての貧困層がプチブルになれるわけもない。また一方で、だれが政治リーダーになろうとも、そのおかげで庶民の暮らしが向上するわけもない。スガのお得意な文句をブチ込めば、結局は庶民個々人の自助が前提となる。そこまでは明白だろう。ここで先ほどの社会システムの問題にもどる。日本のこの現状のなかでは、どんなに自助努力してもどうしようもない未来しか描けない人々が一定多数存在している。小生もその一人だ。そこから生れる政治的ニヒリズムが、コロナバッシングに象徴されるようなファシズムへと収斂されていくことだろう。それを「恐ろしい話」だと、先ほど述べたつもりである。
明日は、米大統領の就任式であるそうな。それに反対する米国内の不満分子が先日、米国連邦議会を占拠したことは世界的なニュースとなった。そこに同調するバカどもが、とっとと次期米大統領を射殺してくれないかなあとは、小生が現在夢想しているところである。相手がだれであれ、殺人をよしとするわけではない(したがって、死刑制度には反対する)。しかし、自助なる薄っぺらな言葉を内面化するくらいならば、闘争を前景化した方が当人にも有益ではなかろうかと思う次第である。トランプを支持する米人のアホどもとちがって、日本人は権力からの規範を素直に受け止め、それをなんの葛藤もなく内面化していくので、それを不思議と感じているという意味だ。
明日には内戦が米国内で起きないものだろうか。

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