風塵社的業務日誌

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腰が痛い

2020年02月26日 | 出版
金欠で発狂しそうなきょうこの頃、某ミニコミ誌の発送作業があり都内某所山谷へと向かう。電車賃ももったいないし、13:00集合予定なのでまだ余裕があるから、最初は歩いていこうかと考えていた。弊社から山谷まで、徒歩で1時間ちょっとというところだろうか。ところが、御徒町のてんやで天丼を食しているうち、歩いていくのが段々と面倒に感じてしまう。それにしても、時おり、てんやの天丼がむしょうに食べたくなるときがある。なぜなのだろうか。
それはともかく、山谷某所で発送作業。あがった印刷物を丁合(ちょうあい:ページ順に並べていくこと)し、それを二つ折りにすれば、ミニコミとしては一丁あがりというわけだ。ところがその号は、いつもの倍近くのページ数に膨れ上がってしまっていた。それを組んだ(DTPのこと)のは小生なので、「しまっていた」というあまりに他人事的な表現は適切ではない。実はもっと膨れ上がりそうなところをかなり詰め詰めにして、ページ数の削減に努めたつもりであったのだ。そのミニコミ、読者の年齢層が高めなので、文字が小さいとあちこちから苦情が湧いてくる。しかし、こちらもそれどころではなかった、というわけだ。
そして、普段より大変になってしまった丁合作業をYさんと担当することになる。ペッペッペッと、ページ順になるよう印刷物を上から抜き取って重ねていく作業である。ところが、それを長時間中腰でしていたら、腰が痛くなってきた。Yさんはわりと平気な表情でその作業を続けているから、「腰痛くないですか?」とたずねたら、「痛いですよ」げな。そりゃそうだ。そこで痛みを緩和するため前屈している小生の姿を見て、E婆が笑っている。E婆ももう少し若いころは「腰痛おばはん」と呼ばれていたはずだが、最近は落ち着いているのかな。小生も成長期にヘルニアになったことがあり、腰痛の苦しさは経験してきたつもりだ。いまでも、疲れきってしまうと腰が重くなり、駅の階段を上るのがつらくなるときがたまにある。ちなみに、前傾姿勢を続けていて腰が痛くなってきたとき、からだを後ろにそらすのはかえってよくない。思いっきり前傾して腰を伸ばすほうがその負担を軽減できる。
前に記したように覚えているが、小生の出版人生のスタートはDM作業からであった。その後もDM作業は何度となくこなすことになる。そのため、丁合だ、封入だ、シール貼りだなんてという作業はかなり手早くできるようになってしまった。特にシール貼りなんてお手のもので、右利きの小生は、タックシールの左側を右手で台紙から浮かせ、その浮いたシールを封筒なりに左手で貼っていく、そのリズム感を体得しているつもりだ。こんなのはただのつまらない自慢話でしかないけれど、その感覚のない人の作業を見ているとどこかイライラしてしまう自分がいるということもわかってはいる。
そんなかんやで、ようやくにして発送作業は終了。その翌朝、布団から這い出ようとして違和感を覚える。腰から背面にかけて痛いのだ。しかもこれまでに経験したことのある腰痛の痛さではない。つまり、これまでの人生において、「こんなの初めて~」という感覚の痛みである。起き上がり、腰に手をあてつつ数歩進んでみてようやく気がついた。これって筋肉痛なのだと。発送作業のためにヘンな姿勢を続けていたら、日ごろ使っていない筋肉を使うことになったのだろう。孔子は「五十にして天命を知る」と語ったものの、小生なんて「五十五にして、腰の筋肉痛を知る」という程度のレベルだ。数日後、Yさんに会ったので「腰にきませんでしたか?」とたずねると、「きましたよ」とのこと。同病相哀れむとしか表現のしようがない。
しかし、こうした内輪の苦労話なぞどうでもいい枝葉末節にすぎない。結局この話の本質は、かなり限定された人々を対象したものであるにせよ、あるミニコミ誌の読者の興趣を、今回発送したものの内容がどこまで喚起させられかにある。昨年末、そのミニコミの読者であるA翁を交えて酒を飲むことがあった。するとA翁が小生を捕まえて曰く「おい腹巻、おまえらのニュース(これは前号のこと)、本当に面白かったなあ。最初から最後まで笑い転げながら読んだぞ」げな。おいおいこのクソジジイ、なんで笑い転げるんだ?という小生の疑念は生じてしまう。
そしてその最新号の発送を終えてから、O氏から「今号も読みでがあります。編集・発行、ご苦労さまです」なるメールが入る。A翁の笑いのポイントがどこにあるのかはそのうち確かめるとして、おそらくは、A翁とO氏との感慨にさほどのズレはないだろうという判断にいたる(厳密に述べると、A翁が触れているのは前号であり、O氏の述べているのはその次号である)。
そしてまた、だれがどう述べた、こっちの人はどうだなんていう話とは別に、なにかをなんらかの形にしなければいけないのかなという気分に小生が陥っていることは否定できない。しかしそれが商業ベースに乗るわけもなく、じゃあ、どうすりゃいいんのというとになる。

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