風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

反日パンク

2020年04月23日 | 出版
月末が近づいてきている。オツムなのか、メンタルなのかはわからないが、調子が悪くなっていく。寝ていても悪夢にうならされ、おのれの恐怖の叫びで飛び起きる始末だ。そもそもが、コロナの営業で売上が上向くわけがない。リアルの書店さんは休業中、ネットの書店さんも日常品の物流を優先ということなので、これはどうしようもない。とにかく、5月の連休明けまで手をこまねているしかないだろう。
流通業界の用語で、メーカーを川上、小売を川下、問屋を川中と呼ぶことがある。出版業でいえば、出版社が川上、書店さんが川下となる。そして、どこもかしこも売上が落ち込んでいるとなると、川中の取次さんは大丈夫なのだろうかと不安に思ってしまう。出版流通は他の業界と変わっていて、取次さんの影響力が大きい。30年ほど前は、出版社が3000社、取次が300社、書店が30000店といわれていたものだが、現在、それは大きく数を減らしている。そこにもって、このコロナで倒産なり、廃業なり、閉店が増加するだろうから、川中の取次の苦境に心配してしまうというわけだ。
しかし取次にしてみれば、小生なんかに心配されたくはないだろう。弊社こそ、いつ風の前の塵になっても不思議ではない。したがって、前田智徳の名言を引用すれば「お前に言われんでもわかっとる!」というところだろう。それにしても、前にも記したことがあるけれども、風塵社なんてアホな社名をよく付けたものである。その名付け親はとうに亡くなっているが、どういうつもりでこんな社名を考えたのだろうか。それでも創業から30年で、小生が代表になってから20年ほどになる。名前のわりによくがんばったものだと、自分で自分をほめておこう。
その調子の悪いある日、三崎町経由、神保町を抜け、江戸城のお堀脇を通り、霞ヶ関某所へと歩いていく。某取材に立ち会うためである。某所で某抗議活動のパフォーマンスが毎月行われており、その取材を某氏がすることになっていたのだ。お堀の脇を歩いていたら日が差してきて暑い。来ていたパーカーを脱いで歩いていく。途中、某テレビ番組の取材クルーがカメラとマイクを持って立っていた。江戸城の周りを走っているランナーの声でも拾いたいのだろうか。
それはともかく、某抗議活動のパフォーマンスを見物させていただいたのだが、これがなかなか面白かった。日蓮宗の読経が行われて、これが音楽的に成り立っているのだ。しかもパンクな感じである。これまで日蓮宗にさほどの関心もなくまったく知らなかったのだが、日蓮の反日パンクがいまだに息づいていることを学ぶことができた。日蓮宗といってもさまざまな流派があるのだろうけれど、日本山妙法寺は死刑廃止のデモなんかでよく見かけることがあった。同じ装束の集団が太鼓(?)を打ち鳴らしながら進んでいくから、どうしても目立つのだ。コロナ騒動が終わったら、一度、身延山にでも行ってみようかとついつい考えてしまう。
そこで、不学ゆえに疑問を抱いてしまうのだけれども、なぜ日蓮は「立正安国論」なんてものを鎌倉幕府に提出したのだろうか。仏教の開祖であるお釈迦さんにおいては、国なんて個人の悟りの前にはどうでもいい存在であった。したがって、お釈迦さんは皇太子であるにもかかわらず国なんて放り出して修行の途に進むことになり、その国は滅んでしまった。そんな一般常識は日蓮も共有していたと思うのだけれども、そこでなぜ「安国」なんて論を書こうとしたのだろうか。つまり、仏教はそもそもアナーキーを目指しているはずなのに、日蓮はなぜ国をよくしようなんていうつまんないことに熱情をささげたのだろうか、という疑問が生じてしまう。ご存知の方がいれば、どなたか読書案内など教えていただけると助かります。
そういえば、福岡市の東公園というところに日蓮のわりと大きな銅像が建っている。なんでこんなところにこんなものがあるんだ、というのが第一印象であった。日蓮が元寇を退けたわけではない。それどころか、当時の鎌倉幕府にしてみれば、神がかっただけのただのうるさいオッサンで迷惑でしかなかったことだろう。それで、どこかに流罪となったんじゃなかっただろうか。
小生の日蓮理解なんて、以上のような薄っぺらなものでしかない。疑問を抱いたままなので、理解という言葉を使うこと自体がおこがましいのかもしれない。しかし、日蓮宗の方のされているパフォーマンスのパンク性に、開祖日蓮の権力者に立ち向かう姿勢と同質の反逆心を感じ、なかなか侮れないものだなあという気持ちになった。
見学していたら、突然、小雨が降り出しそうな陽気になってしまい、寒くなってきた。来る途中にしまったパーカーを取り出し羽織ることにする。そのパフォーマンスに参加されていた方々の年齢は決して若いとはいえないだろう。無事にご帰宅されたものとお祈り申し上げる。パフォーマンスの撮影をA監督がされているという話であったのに、その日、A監督の姿はなかった。さては、コロナにやられてしまったのかな。

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