風塵社的業務日誌

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友人からの便り

2012年07月30日 | 出版
1週間待っていた手紙がようやく届いた。どうしてこの手紙が必要なのかは説明しない。それはともかく、「ベー」とか言っている人間がシャバに出て大丈夫なのかと、少々心配になってしまう(半分冗談)。
それはさておき、以下引用。

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 暑中お見舞い申し上げます。
 これから暑くなりそうですが、お元気ですか。闘病中の同志たちを支える友人たちの健闘にはげまされています。夏を上手に乗り切ってほしいものです。
 大飯原発再稼動には、あきれて言う言葉もない。一方で節電だの電力料金値上げだのと、相も変らぬ「持てる者であるがゆえの権力」を振りかざしての恫喝が繰り返されていますが、「オーイ、お日様も地球も、こんな奴らに『チャンチャラオカシイヨ、ベーダ!!』と言ってやれるように、今年ばかりはちょっとおだやかにして、私たちの味方をして奴らにギャフンと言わせてはくれないか」と、いささか神だのみ的願いを抱いています。
 3・11以降、▲▼刑務所の節電体制は、なかなかです(状況を読んで決断のできる幹部がいたということですが)。昨年初夏には早々と舎房の照明がLEO電球に変わりました。加えて3・11直後から、日照のある時間帯は居室や通路などの不要な照明を消すこと、夜間も廊下などの不要な照明を消すことを実行するようになりました。
 獄中にいたことのある人なら、誰でも「税金の無駄遣い」と当局への不信の材料にしたであろう「昼行灯」はなくなったのです(かつては「決まりだから」と真夏の日中も点けていた)。加えて、昨年新築の新病舎の屋上には、太陽光発電が取り付けられています(自家発電が利用されているらしく、日中時々照明電力が低下することがありますから)。工場の窓の外にはすだれが立てかけられて、直射を防いでいます。「東電ナンボノモンジャ」と、法務省は一つぬけるでしょうか。ウーン、しかし、東拘のあの建物は苦しいねえ。
 △▽、■□さんの報告の中に「80年代にあれほど変えていきたくて、でも頑として動きそうでなかったことが、もしかして今どんどん変えていける世の中になっているのかもー。/これはもしかしてすごいチャンスなのかもしれないー」という言葉を見つけて、同感!!です。ところがいろんなことが、いろんなところでパンパンに沸騰しているらしいのに、なぜかその行く方向が見えづらいようにも思えます。
 この頃、さて、そろそろ出獄後の生活を本気で考えないと、というところに追い込まれているのですが、どうも世の中のことが何もよくわからないことに気づいてもいます。元々「窮極の政治音痴」とか「田舎っぺ」と言われた私の質に加えて、獄中にいることにあぐらをかいた怠慢のせいなのでしょうが、世界も国内も、あの動きもこの動きも、その方向も…、よくつかめない。新聞(ここでは読売)を見ていると、ますます混乱してしまうような気がします。
 かつて、私たちが世界とか社会に目を向けるようになった60年代、マスコミ情報というのは、私たちに世界や社会の姿を見せてくれた。私のような者にも、いろいろな出来事の関連や流れの方向が全体としての問題と共に(自由とか、解放、豊かさ…のように)、その共通項がつかめるような気がしていたけど、今はそれが見えない。
 社会が複雑になった、価値観が多様化したという以上に、大小も、重軽度もわかりづらい。意図的なかたよった情報の渦の中でキョロキョロしているうちに「終わる」構造になっているようです。インターネットの発達というのもあるけど、極私的な情報と大局との峻別がどこにもない。読売は6月末、この国(と世界)の未来を左右する首相官邸15万人デモよりも、小沢裁判や民主党の目くそ鼻くそ騒動が大事でした。
 そんな外因を口実にして、ますます獄ボケにあぐらをかいていますが、「チャンスの時」と思いつつ、「どうすりゃいいのかよくわからない」とウロウロキョロキョロしているのは、私だけでしょうか。何とかしたいものです。
 ▲▼刑では最近、「社会復帰プログラム」というのに力を入れるようになって(旧来は、一部の職業訓練受講と出所直前の就労指導(就活講座)以外なかった)、月1回10分くらい「協力雇用主へのアンケート結果」や「再犯者の実情」などについての講話が行われるようになっています。充実させて、実効のあるものに…。
 ○×くんの文章に「女子刑務所では看守を何と呼ぶ?」とありましたが、担当も一般看守も「先生」です。役職者を「部長さん」とか「統括さん」と呼ぶ人もいますが、普通、受刑者は「先生」と呼び、職員間では役職者を「部長」とか「統括」と呼んで平看守を「先生」と呼ぶのは、見ていて滑稽ですし、平職員が自分のことを「先生はね…」と自称するのも、私たちのほうが恥ずかしくなることもあります。まあ、こんなところです。
 じゃあ、上手に処世、処暑を、共に!!

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