風塵社的業務日誌

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どこに置くのか?

2017年10月06日 | 出版
それにしても忙しい。自社の企画だけで6点を進行させないといけない。そこに編集請負の仕事も重なってくるし、書店さんにも営業に出かけないとならない。これでは体がいくつあっても足りないということになるけれど、かといって人を雇える余裕もないし、そもそもがその前提をまだ築けていない。そのための処理にあと何年かかることやら。しかしそこで、ふと足元を見やれば、忙しいのだったらこんな駄文を書くこともなかろうということにもなる。
それはそれで正論であるけれど、人間は適宜にフラストレーションを吐き出しておかないと、どこかで爆発してしまうものである。したがって、この厳しい経済状況下において精神的・肉体的な病気一つしないのは、駄文を書き散らしているからだと、勝手に思い込むことにしたい。
そんなある日、某原稿のチェックのため、我が家に転がっている『資本論』を久しぶりに開く破目になった。ところが、その原稿の論旨に対応しそうなところを適当に開きつついい加減に斜め読みしていると、「『資本論』はやっぱり面白いなあ」と感じ入ってしまったものである。
『資本論』は当然ながらいくつかの版があって、現在もっともポピュラーなのは岩波文庫版であろうか。翻訳は性格の悪いQ大教授向坂逸郎だ。その下訳を岡崎次郎が務めていて、岡崎の業績を向坂が全部かっさらっていったのは有名な話である。のちに岡崎訳『資本論』は大月書店から刊行され、大月版『マル・エン全集』も岡崎訳であるはずだ。したがって、「国民文庫」版『資本論』も岡崎訳だったのだろう。
我が家に転がっているのは、岩波から昔に出た「『資本論』刊行100周年記念」版なる、箱入り全4冊という立派な造りのもので向坂訳だから、岩波文庫版と中身は同じであることだろう。当然ながら、文庫との異同の確認なんてしているわけがない。ところで昔は、古本屋の店頭などで小生所蔵と同じ形態の『資本論』をよく見かけたものだから、岩波書店は文庫版とは別に、いまでいうところの愛蔵版のようなものを発売していたのだろうか。
そこで、その小生所蔵の『資本論』であるが、小生が古書店などで買ったものではない。小生が大学生になってから、確か一度だけ(あれ?二度かな。忘れちゃった)帰省したことがあるのだけれど、その際に、実家に転がっていたものを持って帰ってきた(のではなく、宅急便で送った?)というそれだけの話である。小生の父というのは、本なんてめったに開きもしないくせに、なんだか難しそうな本を買ってきては棚に飾っておくのが趣味という人間であった。インテリというものに憧れと屈折を抱えていたのだろう。マルクス主義は母の趣味ではないからその『資本論』を開いたこともないだろうし、したがって、両親には死ぬまで関係のない書物であるのは明らかだ。それゆえに、小生に拾われたのは、その1冊にとっては命を吹き込まれたようなものであったにちがいない。
ところが、小生にしてみても、あの難しい『資本論』は1部目(第1冊目)まではヒーヒーいいながらなんとか読み通したものの(読んだからといって、内容の理解ができているわけではない)、それでお腹がいっぱいになってしまい、2、3部は開いてもいないのだ。確か何年か前、筑摩書房から新訳の『資本論』が刊行されたが、それも1部までだったように記憶している。その筑摩版も途中まで読んだのだけれど、結局、多くの人が躓くであろう「価値論」のわけのわからなさに再び挫折してしまったという体たらくだ。
そこで今回、久しぶりに『資本論』を開くことになり、まずは索引でポイント箇所を検索することになる。それで、これまで開かずの本であった4冊目が開かれることになった。つまり、1冊目は第1部に対応、2冊目は第2部に、3冊目は3部の途中まで、4冊目は3部の終わりまでと索引、という構成になっているのだ。そこから、先ほど記したように適当に見当をつけていい加減に読んでいたら、これが結構面白い。そこではたと気がついたのだけれど、『資本論』は価値論がとにかく難解である、ならば、そこを飛ばして読めばいいじゃないか、と。
実は、そんなことはマルクス自身もわかっている話で、序文に記している。「なにごとも始めが難しいという諺は、あらゆる科学に当てはまる」(記憶に基づく引用なので適当)。したがって、最初のところをなんとなく理解できたような気分になった箇所で、次の価値論をはしょっちゃえば、あとの展開の理解はさほど難しくはないだろう、ということである。そもそもが、小生にしてみれば、いまさらマルクス主義経済学者になろうと思ってもいないのだから、『資本論』解釈に厳密性など求めていない。
それはともかく、家に『資本論』を転がしておくのももったいないので、会社に持ってきて座右の書にでもしようかなとも考える。ところが先述のとおり、立派な造りなので場所をとるのだ。この狭い事務所の棚のどこに安置奉るか、それ自体が問題になってしまう。ついでに、『マル・エン全集』も会社に持ってこようかなあ。

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