ピカソ・マニマニア

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語らせルイーズ  (2)

2012-03-14 23:39:59 | 物語詩

 

渋谷の裏通りの古着屋で 思いがけず見つけた時計は

ルイーズ と言って 先年亡くなったお祖母さまが持って

いらしたものと同じだった。 思いがけず手に入れることが出来て

私は腕にはめて帰路についた。

 

 

    語らせルイーズ (2)

 

渋谷から郊外へ向かう電車に腰かけて

私は 浮き浮きと 時計をさすったり眺めたりしていた

 

と 隣に中年の女性が移り座ってきて

私の時計を覗き込んでいるのに気付いた

 

何気なく右手で時計を隠し

私は目をつぶったのだが

 

「あのう すみません

 もしかしてその時計はルイーズという名ではありませんか」

 

その女性が話しかけてきた

 

「はい そうですが よくご存じで」

 

「若くして亡くなった 私の姉が持っていました」

 

「姉は不治の病で 20才までは生きられないと宣告されていました。

 両親は不憫に思い 姉の望みは何でも叶えてやりたいと思って

 いたのですが 姉は優しい人で 自分ばかり両親を独占していると

 妹の私を気遣い 何もねだったりしなかったのです。

 40年前のある日  この腕時計が新聞の一面広告に出たとき 姉が

 一言 「きれい」 と言ったのを 両親は聞き逃しませんでした。

 ちょうど 振り袖一式が揃えられる値段だからと 両親は姉に買って

 与えたのです。 口にこそ出しませんでしたが私は羨ましくて妬ましくて。

 ある日 姉が眠っている時 その時計を盗んだのです。

 姉は私の仕業だと分っていたのですが 騒ぐこともなく 時計がないと

 誰にも気づかれないように振る舞っていました。

 暫くして 姉は亡くなりました。 18才になったばかりでした。

 幼児のように細くなった手首に 私は泣きながら時計をはめました。

 4年後の私の成人式に 両親は 姉の分もね と 上等の振り袖を誂て

 くれました。 結婚した時も 姉の分もね と 豪華に仕立ててくれました。

 子供が生まれた時は 姉の生まれ変わりね と。

 私はいったい両親の 何だったのでしょう ・・・ 」

 

女性はそう言ってから 突然泣き出した。

 

周りの乗客が 不審そうに私達を見ている

私はおろおろと 彼女の背をさすったりしていたが 電車が次の駅に

ついた途端に 思わず立ち上がり うつむいて泣いている女性に軽く

お辞儀をして 時計を隠しながら 飛び降りた。       =続=

 

 

 

今日 久しぶりに渋谷に行きました。 この物語詩のモデルとさせて

戴いた 古着屋も 覗いてきました。

このTシャツは そこで今日買ったものです。 綿100%のアメリカ製。

ところどころ透けているのが お洒落です。

       風呼   でした          

 

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