ジョアン・ジルベルトといえば、ジョビンと並ぶボサ・ノヴァのパイオニアのひとりであり、CDになったオデオン時代の音源をまとめた「ジョアン・ジルベルトの伝説」の一枚で歴史に名を残すといってもいい巨人-というには、あまり軽妙洒脱な風情-だが、このアルバムはボサ・ノヴァ・ブームも過去の出来事となった、1977年に製作された作品である。一体、ジョアン・ジルベルトが一体何枚のアルバムを出し、その音楽がいかに変化していったのか、寡聞にして私は全く知らないのだけれど、1977年にこうしたアルバムを残したのは僥倖だと思う。ひょっとすると、当時隆盛していたAORブームにあやかって企画されたのかもしれないが、選曲、サウンド、そしてジルベルトのヴォーカル、どれをとってもボサ・ノヴァの正統をいく仕上がりになっているのだ。
いや、ボサ・ノヴァの正統などといったら、ボーカルの他はギターとパーカスのみで製作された1973年の前作「三月の水」の方が、むしろ「ブラジル音楽から派生した音楽としてのボサ・ノヴァ」としては正統派であって、こちらはジルベルトとしては、スタン・ゲッツの共演シリーズなどとは違った意味で、アメリカンナイズされた作品というべきなのかもしれないが、それにしたって、ここで編曲を担当しているのはクラウス・オガーマンなのだ。アメリカンナイズされたとしても編曲がオガーマンであれば、その意味合いはまるで違ってこようものだ。オガーマンはジョビンのアルバムには常連だったものの、オガーマンがジルベルトと組んだアルバムはたぶんこれだけ、個人的にはこの両巨頭がコラボしたアルバムをとにもかくにも残してくれたことだけでも歴史に感謝したくなってしまうほどだが、その仕上がりがまた素晴らしいものだからたまらない。
アルバムはガーシュウィンの「スウァンダフル」ではじまる。オガーマンがアレンジしたボサ・ノヴァ調のアレンジによる「スウァンダフル」といえば、後年ダイアナ・クラールが物のした大傑作「ルック・オブ・ラブ」を思い出すが、このアルバムを聴けばクラールのそれは、このアレンジの基本的には再現だったこと分かる。ちなみに「ベサメ・ムーチョ」もクラールの「ルック・オブ・ラブ」には収録されていたし、あまり指摘する人もいないようだが、このふたつのアルバムはなにかと共通点も多いのは、覚えておいていいかもしれない。ともあれ、「波」「十字路」「トリスチ」「白と黒のポートレイト」 といったジョビンのスタンダードも大きくフィーチャーし、全編に渡ってオガーマンのエレガントでクールなオーケストレーションでもって極上のボサ・ノヴァ・アルバムになっている。
いや、ボサ・ノヴァの正統などといったら、ボーカルの他はギターとパーカスのみで製作された1973年の前作「三月の水」の方が、むしろ「ブラジル音楽から派生した音楽としてのボサ・ノヴァ」としては正統派であって、こちらはジルベルトとしては、スタン・ゲッツの共演シリーズなどとは違った意味で、アメリカンナイズされた作品というべきなのかもしれないが、それにしたって、ここで編曲を担当しているのはクラウス・オガーマンなのだ。アメリカンナイズされたとしても編曲がオガーマンであれば、その意味合いはまるで違ってこようものだ。オガーマンはジョビンのアルバムには常連だったものの、オガーマンがジルベルトと組んだアルバムはたぶんこれだけ、個人的にはこの両巨頭がコラボしたアルバムをとにもかくにも残してくれたことだけでも歴史に感謝したくなってしまうほどだが、その仕上がりがまた素晴らしいものだからたまらない。
アルバムはガーシュウィンの「スウァンダフル」ではじまる。オガーマンがアレンジしたボサ・ノヴァ調のアレンジによる「スウァンダフル」といえば、後年ダイアナ・クラールが物のした大傑作「ルック・オブ・ラブ」を思い出すが、このアルバムを聴けばクラールのそれは、このアレンジの基本的には再現だったこと分かる。ちなみに「ベサメ・ムーチョ」もクラールの「ルック・オブ・ラブ」には収録されていたし、あまり指摘する人もいないようだが、このふたつのアルバムはなにかと共通点も多いのは、覚えておいていいかもしれない。ともあれ、「波」「十字路」「トリスチ」「白と黒のポートレイト」 といったジョビンのスタンダードも大きくフィーチャーし、全編に渡ってオガーマンのエレガントでクールなオーケストレーションでもって極上のボサ・ノヴァ・アルバムになっている。
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