10年程前に最初に訪台した時にカセットで購入し、気に入ったのでその後CDを購入したもの。カセットといえば、最初に台北に行った時、屋台やショップではほぼCDと同等くらいカセット・テープが並んでいて、その品揃えの豊富さと価格の安さに驚いたものだが、その後かの地に訪れる度にカセットは少なくって行き、5年前は往事の3分1くらいになっていて、その分DVDが幅をきかせるようになっていったが、きっとこの数年間にカセットはほぼ完全に陶太されてるんじゃないだろうか、どうなんだろう?。
閑話休題、ともあれ、この作品は萬芳という台湾の女性ボーカリストの1994年の作品である。この人、派手さはないし、特に強烈な個性があるワケでもないが、陰影に富んだ声とオーソドックスな音楽嗜好で、おそらく当時からロック・レーベルの手堅い中堅どころだったのだろう。一年に一度台北に行くと必ず新譜が出ていた。
ところでエイジアン・ポップを聴いたことがない人に、台湾でも韓国でも香港でもなんでもいいが、この手の音楽を初めて聴かせると、皆あまりにJ-Popっぽいので驚くものだ。「なぁ~んだ、もっとエキゾチックな音楽と思ったら、歌ってる言葉違うだけで、音楽はJ-Popそのものじゃん」ってな具合である。もちろん、よくよく聴けばそうでもないのだが、表層的なアレンジとかはそのままというのが多いのも事実なのだ。
私はそんなエイジアン・ポップ未体験な人にはまずこのアルバム1曲目を聴かすことにしている。数人に試してみたが、「あぁ、コレが台湾のポップスなのね~」とみんなしばし魅了される(笑)。坂本龍一の「ラストエンペラー」風なエキゾチックなイントロ、冷やし中華風な悠久な旋律とあちらの楽器の音色が満載、しかも土台はあくまでもJ-Popというかニュー・ミュージック風なのが、分かりやすいのだろう。しかし、これはあくまでも例外。宇多田のアルバムの一曲目に平安調の古楽みたいなのをもってきたら、外人は喜ぶかもしれないが、日本人にとっては「えっ、なんで」となるに決まっている、それと同じなのだ。
さて、このアルバムを続けて聴かすとどうなるかというと、たいていは「一曲目は良かったけど、あとは当たり前って感じよね~」みたいになる。実はこのアルバムの真骨頂はここにあるのだ。一見、ニュー・ミュージックまがいの音楽の背後に、郷愁をさそうような旋律、音楽をこねくり回さず情感を穏健に表現する素朴な良さが隠れているのである。こうした台湾ポップス独特の持ち味に魅了された私は、いまだにかの地の音楽を追いかけ続けているのだ....最近、いささか失速してますが(笑)。
閑話休題、ともあれ、この作品は萬芳という台湾の女性ボーカリストの1994年の作品である。この人、派手さはないし、特に強烈な個性があるワケでもないが、陰影に富んだ声とオーソドックスな音楽嗜好で、おそらく当時からロック・レーベルの手堅い中堅どころだったのだろう。一年に一度台北に行くと必ず新譜が出ていた。
ところでエイジアン・ポップを聴いたことがない人に、台湾でも韓国でも香港でもなんでもいいが、この手の音楽を初めて聴かせると、皆あまりにJ-Popっぽいので驚くものだ。「なぁ~んだ、もっとエキゾチックな音楽と思ったら、歌ってる言葉違うだけで、音楽はJ-Popそのものじゃん」ってな具合である。もちろん、よくよく聴けばそうでもないのだが、表層的なアレンジとかはそのままというのが多いのも事実なのだ。
私はそんなエイジアン・ポップ未体験な人にはまずこのアルバム1曲目を聴かすことにしている。数人に試してみたが、「あぁ、コレが台湾のポップスなのね~」とみんなしばし魅了される(笑)。坂本龍一の「ラストエンペラー」風なエキゾチックなイントロ、冷やし中華風な悠久な旋律とあちらの楽器の音色が満載、しかも土台はあくまでもJ-Popというかニュー・ミュージック風なのが、分かりやすいのだろう。しかし、これはあくまでも例外。宇多田のアルバムの一曲目に平安調の古楽みたいなのをもってきたら、外人は喜ぶかもしれないが、日本人にとっては「えっ、なんで」となるに決まっている、それと同じなのだ。
さて、このアルバムを続けて聴かすとどうなるかというと、たいていは「一曲目は良かったけど、あとは当たり前って感じよね~」みたいになる。実はこのアルバムの真骨頂はここにあるのだ。一見、ニュー・ミュージックまがいの音楽の背後に、郷愁をさそうような旋律、音楽をこねくり回さず情感を穏健に表現する素朴な良さが隠れているのである。こうした台湾ポップス独特の持ち味に魅了された私は、いまだにかの地の音楽を追いかけ続けているのだ....最近、いささか失速してますが(笑)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます