UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

とびっきり上等のウソをついてみたい!

2016-04-25 00:39:22 | 日記

昨日の日記のなかで詩をひとつ紹介しましたが、今日もまたある詩を紹介いたします。

川崎洋という詩人(1930-2004)の作品です。なかなかユーモアあふれるわかりやすい詩を作る人でありました。GGIも好きでこの詩人の詩集を持っていたのですが、行方不明 

今日紹介するのは「海で」という詩です。川崎氏の作品のなかでGGIが一番気に入っている詩の一つです。でもずいぶん以前、おそらく三十年以上前に読んだ詩でありますので、部分的にしか思い出せません。このためネットのお世話になりました。

 海で
                   川崎洋
今年の夏 ついこのあいだ
宮崎の海で 以下のことに出逢いました
浜辺で
若者が二人空びんに海の水を詰めているのです
何をしているのかと問うたらば
二人が云うに
ぼくら生まれて始めて海を見た
海は昼も夜も揺れているのは驚くべきことだ
だからこの海の水を
びんに入れて持ち帰り
盥にあけて
水が終日揺れるさまを眺めようと思う
と云うのです
やがて いい土産ができた と
二人は口笛をふきながら
暮れかける浜から立ち去りました
夕食の折
ぼくは変に感激してその話を
宿の人に話したら
あなたもかつがれたのかね
あの二人は
近所の漁師の息子だよ
と云われたのです

 (http://ignis.exblog.jp/3331513/などから引用しました。

説明はまったく不要でありませう。この若者たち、なかなかユーモアあふれる優秀なるウソつきであり、GGIとしましては若者に表彰状をあげたいくらいであります。

もちろん、この詩自体が創作と言う名のウソかもしれませんので、作者の川崎洋氏にも盛大なる拍手喝采を贈りたいと思います

GGIもひごろから上等のウソをつくべく努力はしているのですが、人徳と教養がまだまだ足りないのでありませうか、なかなかうまくいきませぬ(でも、あの風力自動車のハナシはウソなんかでは決してありませぬ。どうか誤解なされらぬようお願いたいします)

 川崎洋氏の詩、これまでにもこの日記で紹介したことがあるかもしれないと思って調べてみましたら、やはり一度紹介しておりました。「イルカ」という詩です。読んでもいいよと思われる方は以下のサイトをご覧くださいませ

http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20150507

 今日の写真は本文と関係ありません。日に日にグングンと音をたてながら伸びゆく、わが庵のイチジク君の若葉を撮ったものです。よろしければ写真をクリックしてご覧になり、励ましてやってください。

グッドナイト・グッドラック!


てつがくのタンポポ君たち・・・

2016-04-24 01:20:45 | 日記

わが八重葎庵のノーザンガーデン、ハナニラ君の季節は終わり、若葉の季節です、コブシの花はこの間咲いたと思ったらもう散ってしまい若葉に転じています、その近くで無花果君の若葉がグングンと音をたてて日に日に大きくなっていきます、

おお一年で一番麗しい季節であることよと思っておりましら、足元ではタンポポ君たちがいつのまにか大展開しておりました

今日の写真はわがガーデンのタンポポ君たちを撮ったものです、よろしければクリックしてご覧になり、タンポポ君たちのバッコぶりをしかとご確認くださいませ

タンポポ君たち、元気のかたまり、どうやら先日知人が野菜畑にするもりで土を起こしていった畑予定地(写真の左上)を目指しているようです

「おい、タンポポ君よ、聞くところによると君たち、わが国産のタンポポではなくセイヨウタンポポやということやないか?」

「そのとおり、それがどうしたの?」

「セイヨウタンポポである君たちがなぜ我が領土に存在しているのや」

「さあねえ、そんなこと、なぜボクたちがここにいるかなんて分りっこありません、まあ神のみぞ知る、つまり神の思し召しということです」

「そんないいかげんななこと言うな、ほんとは君たち、日米アンポンタン条約に基づいてここで大きな顔してバッコしているのではないのか」

「何を愚にもつかないこと言っているのですか、あんなGGIのヨタ話なんか嘘っぱちに決まってるでしょう、アンポンタンなんて言ってGGIボクたちをバカにしてるのでしょう、そんな粗野な言動を許すわけにはいきません」

「そんなことはない、ただ単純にセイヨウタンポポがなぜこんなところにいるのか素朴な疑問を抱いただけや、まあ気を悪くするな」

「そんなことおっしゃるなら、お聞きしますけどねえ、GGIのオッサンよ、あなたは、なぜここにいるのですか、答えてみなさい!」

「そやなあ・・・そんなこと言われてもなあ・・・」

「そうでしょう、そんなこと言われても困るだけでしょう」

「そやなあ・・・」

「また始まった、GGIのオッサンよ、今日も飽きもせず《そやなあ》を連発して話をごまかすつもりですか?」

「そやなあ・・・」

「ごまかしたらいけません、GGIのオッサンはなぜここにいるですか、答えなさい」

「そやなあ・・・」

「そうでしょう、答えることができないでしょう、このような質問には誰も答えることができないのです、GGIさん、なぜ答えることができないか、そのわけがわかりますか?」

「そやなあ・・・」

「あのですねえ、そのわけは、存在(実存)は当為に先行するからなのです」

「えっ、何!存在がどうしたというのや、当為?いったい何のことや、タンポポのくせに小難しいこというなあ・・・」

「分からないのですか、GGIはモノを知りませんねえ、まあおおざっぱも言えば実存主義というところです」

「えっ、何!タンポポが実存主義者!・・・これは初耳や!・・・実存のタンポポというわけか、君、春の陽気でオツム・テンテン・オブラードになったのと違うか?」

「あのねえ、もっとわかりやすく言えば、《我思う故に我在り》ではなく、《我あり、故に我思う》ということです」

「おまえタンポポのくせにムズカシイこと考え過ぎや、慣れないことすると体にワルイぞ」

「わからないのですか、あのねえ、我思う我在りならば、なぜ自分がここに存在しているのか説明できるかもしれないけれど、真実は我在り故に我思うのです、つまり存在が当為に先行しているのです、だから、GGIがなぜ自分がここに存在しているのか説明できるわけがないのです、分ったか?」

「そやなあ・・・たしかにそうかもしれんなあ・・・」

「あのねえ、いつだっためいかこのブログでもGGIは《存在は当為に先行する》という命題をテーマにした詩を紹介したことがあるでしょう?もう忘れたのですか?」

「そやなあ・・・・そんなことがあったかなあ・・・」

「GGIさん、しっかりしてください、自分の行ったこと忘れるようでは死期は近いですよ、もうすぐそこですよ」

「そやなあ・・・」

「じゃあ、思いださせてあげます。杉山一平という人の詩です

 

 ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハタと
思いだすことがあるが
そのときはすばらしい

 身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか
いつの日か思い当るときのある人は
幸福である

 思いだせぬまま
僕はすごすごあの世へもどる

 (ついてに読んでもいいよというかたは以下のサイトをご覧くださいませ

http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20141218 )

「どうです、GGIのオッサン、わかりましたか、GGIさんもぼやぼやしていたら、どんな用事があってこの世に出て来たのか分からないまま死んでしまうことになりますよ、どうするんですか」

「そやなあ・・・そうかもしれんなあ・・・どうするかなあ・・・」

「オッサン、風力自動車なんてアホなこと言っていないで真剣に考えなさい」

「そやなあ、そやけどなあ・・・でもなあ、当面の用事はやはりコロンブスのタマゴも真っ青の世紀の大発明かもしれんなあ、成功すれば、すくなくともイグ・ノーベル賞ぐらいは貰えるかもしれんなあ・・・」

「オッサン、気は確かですか?この春の陽気でオツムのネジが吹っ飛んだのですか!」

「そやなあ・・・」

今日もまことに不毛なる日記になってしまいました。お許しくださいませ

グッドナイト・グッドラック!


コロンブスのタマゴか、はたまた春の宵の妄想か!?

2016-04-23 02:17:58 | 日記

先日、久しぶりにJR駅前の居酒屋で某知人と親しく意見交換などを行いました。

この知人、GGIと同じ年、昨年の5月に仕事をやめ自由の身となりました

「あれから、アレコレいろんなことに手を出したけど、どうもパッとせんのや。そやけど、もういつまで生きられるかは神のみぞ知るということがわかってきたので、今度はこんなことをやることにした、GGIも参加しない?」

こう言って、アルコールはちょぴりしかたしなまないものの、やや誇大妄想の気があるこの知人が名刺を取りだしました。

GGI、この名刺を一目見た瞬間、ワッハッハでありました。ちかごろ大笑いするような楽しきことはあまりにありませぬので、久しぶりの呵々大笑でありました。

今日の写真はこの名刺を撮ったものです。氏名・住所などの部分は彼の名誉を重んじて伏せてあるのですが、どうかクリックして、このキンキラキンの名刺をとくとご覧くださいませ。

名刺に曰く、《思いつき、アイデア、工夫で大金持ちを目指そう、運命に挑戦!発明研究会【うちでのこづち】》

キンキラ光っているのは打出の小槌の輪郭であります

「これはすごいなあ、運命に挑戦!というのがええなあ」

「そやろ、どうや、何かグッドアイディアはないか?あれば助けてやるぞ、GGIも残り少ない人生、ショモないことばかりしてないで、このへんで最後の挑戦せなあかん!」

「う~ん、わかった、オレも君と同じく、思いつきの大名人や、グッドアイデアどころか世紀のグレートアイデアがあるそ」

「おっ、ほんまか?」

「オレはホラは吹いてもウソはつかん主義や、あのなあ、むかし思いついたアイデアや、これはコロンブスのタマゴとも言うべき世紀のアイデアや」

「ただのホラやないのか?」

「アホなこと言うな、あのなあ、風力発電というのがあるやろ、あれは自然エネルギーやと近ごろもてはやされているけれど、風が吹かないことには無用の長物や、これが風力発電の大弱点、そこでGGIさまは考えたんや、風が吹かないのなら吹かせてやろうじゃないか!なあ、これはまさにコロンブスのタマゴも真っ青の発想やろ!世紀の大発想や」

「そうはいうけど、いったいどうやって風を吹かすのや?」

「そこや、そこがコロンブスのタマゴなんや、あのなあ、どうということはない、自動車を動かしたら、自然に風はむこうから待ってましたとばかりに吹いてくるやないか!速く走れば走るほど、強い風が前から吹いてくる・・・」

「なるほどなあ、GGIはカシコイ!それで、そのあとどうするのや?」

「君なあ、簡単なハナシや、自動車に風力発電機を積んで走るのや、そうしたら発電できるやないか、そして発電した電気を自動車を動かすために使うのや、早く走れば走るほど多くの電気を発電できる!つまり風力自動車を作るんや、ハイブリッド風力自動車や、そうしたらガソリンを大幅に節約できる、風力だから環境にも何の害もない、いま世界中どこでも温暖化問題やエネルギー問題で四苦八苦や、でもこのGGIサマの発想による風力自動車が普及すれば、エネルギー問題の解決に偉大な貢献をすること間違いなし、これが世紀の大発明でなく何だと言うのだ!」

「よくわかった、それは確かに偉大な可能性を有している。でもひとつ聞きたいのやけど、そんなグッドアイディア、なぜいままでほっておいたのや?」

「それを話すと長くなる、簡単にいうと泣くも涙、話すも涙や、このアイディアを思いついたとき、実は電気のことや技術のことに強い何人もの理系の人間に、実現可能性について聞いてみたけれど誰もはっきりしたことは言ってくらなかったんや、それで最後に湖国の国立大学、そこの物理の先生に、風力自動車の可能性について聞いてみたのや、そうしたらなあ・・・

「そうしたら、どうなったんや?」

「一蹴されてしまった・・・その先生、明るくワッハッハと笑ってのたまわったんや、《GGIさん、風力発電って、なぜ発電できると思いますか、風が吹くだけではダメなのですよ、風を受け止める風力発電機を大地が必死で支えているから発電できるのですよ、大地が大きなエネルギーを使って支えているからこそ発電できるるですよ。自動車で走って風力で発電はできるかもしれませんが、その発電を行うために大地の代わりに自動車が大きなエネルギーを費やすことになるから、意味がありません》・・・・というわや」

「よう分からんなあ、どういうことや・・・・」

「あのなあ、この物理学者の言いたいことは、エネルギーの法則や、風力発電を行うためにガソリンを使って自動車を走らせると、確かに電気というエネルギーは生じるけれど、生じたエネルギーは自動車を走らせるために使ったガソリンが生み出したエネルギーを超えることできない。それでは本当にエネルギーを生み出したことにならない、だから無意味・・という意味や」

「オレなあ、実はあの原発事故のあと、この先生に自然エネルギーの可能性について講演してもらったことがるのや、それで敬意を表していたんや、その先生からこんなご宣託を下されてがっくりした」

「でもなあ、この先生の御高説をたまわったときは、先生の答が正しいと信じたけれど、あとでよく考えてみると、先生の話は真実の一部であって全部ではないことに気付いたのや」

「どういうことや?」

「あのなあ、先生の言ったことは物理学的には正しい、しかしながら経済学的観点が欠落しているというこことに気付いたのや、自動車というものはただ走ることを目的としたものではない、人やモノを運ぶためのものや、だから風力自動車で発電するために自動車が要するエネルギーのコストは人やモノを運ぶためのコストに転嫁することができるはずや・・・」

「つまりなあ、風力発電を行うことだけを目的に自動車を走らせたら、この先生の言うとおりや、そやけどな、どこかへ行くために、あるいは何かを運ぶために自動車を動かして、そのついての風力発電としたら、先生のいうようなことにはならない。使用したガソリンが生み出したエネルギーは人やモノを運ぶために用いられたのであって発電を行うために用いられたわけではないことになるやないか、そうしたら発電で生まれたエネルギーを他の目的に有効に活用できることになる、つまり風力発電機を積まずに走った場合にくらべ、発電された分だけ風力自動車のほうがお得ということになる、つまり経済学的には風力自動車は成り立つうことや、だから風力自動車なんて意味がないということにならんやろ!やっぱり世紀の大発明や!」

さあ、この話はだんだんこみ入ってきますので今日はこのへんで失礼いたします、つづきがあるかもしれません、みなさんも、どうかGGIのグレートなアイデアについて真剣に考えてみてくださいませ、えっ何ですか、GGIの春の宵の妄想なんかにつきあっている時間はないとおっしゃるのですか?そういう方はどうぞ勝手に地獄に堕ちてくださいませ

グッドナイト・グッドラック!


伸び行くNHK・・・あるいは「独裁者の部屋」

2016-04-22 02:17:16 | 日記

わが湖国の国会議事堂を模した県庁、その前に大きな更地が出現しております。

「滋賀会館」と称されていた1954年に建てられた県立の複合文化施設が老朽化のため取り壊され、そのために生まれた更地です

今日の写真はこの更地を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

写真の左側に県庁があります。この更地の新しき地主は、天下の日本放送協会さん、すなわちNHKさんです。NHKの湖都放送局は湖岸道路沿いにあり、二階建てのあまり冴えない建物でありますが、この県庁前に一等地を入手、その結果、この更地に新しい放送局が近い将来出現することになります

慧眼GGIの推測に基づきますと、この新しき放送局、おそらくこれまでのものとは比べものにならない格段に大きくゴーカな建物に居を構えることになるでありませう

すなわち、湖国における伸び行くNHKの始まりであります。

しかしアベ政権の下で新会長が就任していらい、NHKは国営放送局に色彩を一段と強めており、NHKの評判は降下する一方、世評はまったく芳しくありせぬ。

もう「報道の自由」という言葉は、NHKの辞書、放送用語辞典からは実質的に消失、ネコに小判、NHKに小判ならぬ放送の自由ということなりつつあるということでありませうか・・・

などと思っていましたら昨日4月21日の朝日新聞に「2016年・報道の自由度ランキング」なるものについての記事が掲載されていました

この記事によりますと、日本は約200ある世界の国々の中で72位、国連の専門家や海外のメディアから懸念の声が出ているとのことです。各国のランキングは以下のサイトに示されていますので関心をお持ちのかたはご覧くださいませ

https://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A0%B1%E9%81%93%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%BA%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

日本は2011年には11位だったのですが2013年あたりから順位が急降下(2012年は22位、2013年は53位、2014年は59位、2015年は61位)、偶然であるのか必然であるのかは定かではありませぬが、第二次安倍内閣発足以降、この急降下現象が始まっております。このままでいきますと、やがて失速して墜落ということになりまねませぬ

ちなみにG7諸国では、ドイツが16位、カナダが18位、英国が38位、米国が41位、フランスが45位であり、日本より下なのはイタリア(77位)だけだあります。また東アジア諸国のなかで日本より上位にある国は台湾(51位)、韓国(70位)、香港(69)などです。

このようなランキングは何を比較の指標にするかで変動するものと思われますが、いずれにしましても日本における「報道の自由度」は他国にくらべて高いと誇れるようなものではない、あるいは私たちが思っている以上に悪い状況にあると言えるのではないでせうか。

ただし、プライバシーの侵害なんかものともしないスキャンダル報道とワイセツ報道に関する自由度は世界のトップに位置しているのではないかと思われます!

上記の記事によれば、日本における「表現の自由」の調査のために来日中の国連特別報告者のデービッド・ケイ氏(米カルフォルニア大教授)は19日の記者会見で「(日本における)報道の独立性が重大な脅威に直面している」と指摘した、とされています。

「クロースアップ現代」の国谷氏が降板するなど、NHKの報道番組は今やまったく骨抜き状態であり、NHKに限らず民報に放送番組もいわば「冗長なおしゃべり番組」化しており、盛んなのはスポーツ報道ばかりであります。

しかしながら、ETVと称される教育テレビやBS1には、わずかがら、まだ見るべきものが存在しています。。

しかし、その大半は残念ながら過去の作品の再放映であるか、海外で製作されたドキュメンタリーであります。でも海外のものでも優れた作品を放映することは、このような状況の中では、十分に意味あることであると思われます。

たとえば、最近もETVで深夜に偶然目にした海外ドキュメンタリーにGGIはいたく感心してしまいました。「独裁者の部屋」というスウェーデン教育放送により作られた、NHKが主催する教育・教養番組を対象とした国際番組コンテストで「日本賞」受賞した作品です。

白人、黒人、イスラム系など、8人の若者が所在地が明らかにされていない施設に連れてこられ、、そこで8日間、「独裁者」の下で暮らし、若者たちがどのような反応を示したかを記録した番組です。

外を見ることができない外出禁止の閉鎖的な建物に閉じ込められ、制服を着せられ、次いで名前を奪われて代わりに番号をつけられ、「独裁者」の命令に従い、様々な色をした大量のクリップを色別に分類して集めるという退屈きわまる作業を毎日一定時間させられます。

バカバカしくなって大量のクリップを床にばら撒き、そのなかで泳ぐまねをしたあと翌日には所在不明になる若者、泣きながら自分の荷物をまとめて無断で施設から強引に出ていく若者、しかしながら大半の若者は日が経つにつれ「独裁者」の下での環境にしだいに順応していくでのですが、最終日、もうすぐ自由の身になれることになった若者たちの反応がなかなかの見ものと申しますか・・・

これは30分もの8回で構成されており、二回分ずつまとめて4日間、3月半ばに放映されたのですが(GGIは、これはいったい何の番組だろうと思わず引き込まれてみたのは3回目の半ばからでした)、なんと放映開始時間が午前140分から午前240分まで!

とても優れた番組なのでもっと早い時間帯、せめて午前零時前後であればもっと視聴者がいるでしょうけれど、午前1時半も過ぎてからの放映開始では、まるで見てくれるなと言わんばかりです、どう考えましても、わざわざ遅すぎる時間帯を選んだのだと思わざるを得ません。しょっちゅうBS1でやっている米国のプロスポーツの中継なんかをカットすればもっと良い時間帯に放映することが簡単にできたと思われるのですが・・・

でも、放映しないよりはましであったことは確かです。しかし、このように遅すぎる時間帯にしか放映できなかったのは、NHKにおける「報道の自由」が関係していたと思わざるを得ないというのがGGIの独断偏見的な見解であります

GGIとしましては、個人的にはアベ君をはじめとした政府首脳とされる方々とNHK会長にこの番組をぜひ見てほしかったのであります

「独裁者の部屋」に関心がある方は以下のサイトをご覧くださいませ

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2473/2568023/

グッドナイト・グッドラック!


軽めのキャッチコピーでいいの?

2016-04-21 01:22:28 | 日記

先日、市内某所で夕刻から始まった、前期および高齢者が中心の小さな集まりに顔を出しました。出席されたみなさん、新安保法制に関心をお持ちのようであり、参院選前に何か新安保法制をテーマとして市民の集まりを行ってはどうかというのがこの集まりのテーマでありました

金太郎アメのような、どこを切っても似たり寄ったりの紋切り型の意見しか聞かれないような集まりや講演会などををやってもあまり意味がない、前座として、いろいろな問題に取り組んでいる、立場も年代も様々な人たち何人かに新安保法制について日ごろ思っていることや考えていることを自由に話してもらい、集まりに参加された会場のみなさんと意見交換を行ってはどうか、ということになりました。

 GGIも特に異存はなく、みなさんの意見はおおむね一致していたのですが、さあ、ではこの集会の名称はどうするのか、そのキャッチコピーはどうするかということに話題が移りますと、みなさん、なかなかいいアイディが出ませぬ

 新安保法制を考える、新安保法制にレッドカード! 改憲問題を問う、など、いろいろな意見が出ましたが、いずれ平凡であったり門切り型であったり、もうひとつピタッとしたグッドなコピーを誰も思いつきませぬ

 そこで口から出ませの名人、いいかげんなことを思いつく名人であるところのGGIは何気なく口にしました

「《憲法、変えていいの?》っていうのはどう?」

そうしましたら、まったく思いがけないことに、これまで考えあぐねていたみなさんから、あっという間に、「それ、ええなあ」という賛同の声が次々にあがってしまいました

GGIは。まったくの思いつきの極みでありましたので、正直申しげて、やや慌ててしまったのですが、あれよあれよといううちに、安保法制に関する集まりにこのキャッチコピーを使うことに決まってしまいました

なぜ、みなさんがすぐに賛同してしまったの、その理由は定かでないのですが、おそらく改憲問題という大きな国民的テーマであることから、そのままストレートに事の重大性を訴えると、つい身構えてしまって議論があまり深まらない可能性がある、それより軽めのコピーを使うことにより、参加した方々にあまり身構えずに柔軟かつ気軽に安保法制について考え発言してもらえるのではないか、とみなさんがお考えになってからではないかと思われます

GGIとしましては、ほんとうのところ、「憲法、変えてもいいの?」などというコピー、いささか軽すぎるのではないかと、ゆるキャなる「ゆるコピー」ではないかと不安に思わなくもなかったのですが、まあ最近はこのような親しみやすい軽めのキャッチコピーがあちこちで流行っているようでありますから、これでもいいか、と思いつつ午後9時半ごろ帰宅いたしました。

帰りついて、やれやれと遅い夕食をとり、ひと休みしておりましら、床に散乱している新聞や本の茂みのなかに小さな冊子がまじっているのに気づきました

先日、たまにはこのようなモノも読んだ方がいいよと、知人がくれた冊子です

この冊子の表紙には「憲法改正ってなあに?」

この題名を目にしてGGI、いやあ、参ったなあ・・・・このキャッチコピーの発想、GGIの考えたコピーをまったく同じじゃないか!と絶句してしまいました

《憲法、変えていいの?》、《憲法改正ってなあに?》

見事な対句ともうしますか、まるで双子の坊やか仲の良い兄弟みたいではありませぬか!

実は《憲法改正ってなあに?》というのは自民党広報部が考えたものであります。この冊子(中身はマンガです)は自民党広報部の手になるものなのです。憲法問題はムズカシイ問題などと身構えないように、軽めのコピーで行こう!と自民党広報部の諸氏は考えたのです。GGIの発想と瓜二つであります。

この事実はGGIが自民党と同じ穴のムジナであることを証明したも同然であります・・・・

憲法問題あるいは改憲問題は重い問題であることはいうまでもありませぬ。それにもかかわらず、事の本質を直視せず、GGIは軽めのキャッチコピーを考え出すことにより、自民党と同様、人目を欺き、注目を集めようとしてのであります。まことに卑しき下心であります。小手先でなんとなるというまことに安易な人をバカにした発想であります

かようなしだいで、この夜、GGIは深くわが身を恥じ、反省したのでありますが、ことすでに遅し、近き将来、「憲法、変えていいの?」と大きく記したチラシができあがってくることでありませう

今日の写真は自民党広報部による憲法改正理解促進PR冊子の表紙を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

この冊子は自民党の地方組織などに「欲しい」といえばくれるそうであります。何冊でもタダでくれるそうです。みなさんも一読されてはいかがでしょう。マンガですからすぐ読めますよ!

今日も恥多き話で失礼いたしました。

グッドナイト・グッドラック!