UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

ヒロシマの被曝者に涙を流して謝ったと伝えられるオッペンハイマー

2024-06-24 19:54:49 | 日記
「原爆の父」と称されるロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた「オッペンハイマー」という映画が昨年米国で公開され大きな話題となり日本でも公開されたことはみなさんご存知ではないかと思います

この映画は高い評価を受けているようですが、その感想は人により様々です。ただ、広島で被曝爆した方々の感想は厳しいものだったようです。「肝心の、原爆投下が広島にもたらした惨状を示すシーンが一つもないではないか・・・」

このような批判に対して、あの映画は伝記映画であり、オッペンハイマーは原爆投下後に広島に足を踏み入れたことがないのだから云々という反論などがありましたが、たとえそうだとしても、やはり日本人としては、映画の出来はともかく、もう一つ納得がいかないというのが私の正直な感想です・・・・

そんなことを何となく思って日を過ごしていましたら、先日、実はオッペンハイマーは被爆者と直接会ったことがあり、その際、謝罪していたことが明らかになったというニュースが報じられました。共同通信が2024年6月20日付けで各新聞各社などに配信した短いニュースです。以下はこのニュースのほぼ丸写しです。

《「原爆の父」被爆者に涙して謝罪 通訳の証言映像発見、広島 
米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」を率いた科学者で「原爆の父」故ロバート・オッペンハイマー博士が米国で被爆者と面会した際、「涙を流して謝った」と立ち会った通訳が証言する映像が見つかったことが20日、広島市のNPO法人への取材で分かった。
 NPO法人「ワールド・フレンドシップ・センター」によると、映像は1964年6月、広島の被爆者らとオッペンハイマー氏の非公開の面会で、通訳として立ち会った故タイヒラー曜子さんが2015年に証言した内容。「(面会場所となった)研究所の部屋に入った段階でオッペンハイマー氏は涙ぼうだたる状態。『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』と謝るばかり」などと語った。
 オッペンハイマー氏は1960年に来日したが、被爆地の広島と長崎は訪れなかった。64年に被爆者らが米国や旧ソ連など8カ国を訪問した「世界平和巡礼」で、広島の被曝者で理論物理学者の故庄野直美さんらが同氏と面会していた。映像は約50分で、同センター設立50周年の式典時に撮影し、保管していた》

これはとても貴重なニュースです。オッペンハイマーは理屈をこねたり弁解することなく、原爆投下に対する自分の責任を素直に認めて謝罪していたのです・・・

原爆投下から来年で70年。原爆投下がほんとうに必要だったのか、人道に反するものではなかったのか、米国の責任を問うべきではないのかという声は今でもあちこちに存在しています。しかし、米国政府はこれまでに一度たりとも責任を認めたことはありません。オバマ大統領もバイデン大統領も、広島を訪れ、原爆資料館を見学しましたが、責任に関する言葉は一切口にしていません。もちろん謝罪の言葉もありませんでした。そして日本の政府も、まことに残念なことに、戦後、この70年近くの間、一度たりとも原爆投下の責任を米国政府に問おうとしたことはありません・・・

私は、この共同通信のニュースは、原爆投下の責任に関する問題を、そして私たちが生きるこの核の時代を、あらためて考えなおす絶好の機会ではないかと思ったのですが、このニュースを報道した新聞各社には残念ながらそのような視点はまったく無いようでした・・・購読はしていますが愛読しているわけではないわが朝日新聞も原爆投下の責任問題に何も触れていませんでした・・・このため日本のメディアのレベルは限りなく低いなあなどと、つい悪口を言いたくなったりします。

オッペンハイマーといえば、彼と直接会って原爆投下について話を交わしたことがある日本人の作家のエピソードを2020年8月8日のこの日記に「オッペンハイマーの顔は青ざめていた・・・」という題名で書いておきましたので、よろしければご覧になってくださいませ。


今日の写真は本文と関係ありません。うっとうしい梅雨空ですので青空の写真を用いました。クリックしてご覧になるには及びませぬ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
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