UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

べつに精神的な苦痛を受けたわけでないけれど、受けたことにして・・・

2016-06-10 01:36:56 | 日記

昨6月9日、朝日新聞に「安保法「違憲」713人提訴:大阪地裁、平和的生存権の侵害主張」と題された記事が出ていました。安倍政権が集団的自衛権行使を認めたことは違憲であるとする裁判です。

記事によれば関西の人たちを中心とした713人が原告であるとされています。実はこのGGIも恥ずかしながら原告の一人です。4月はじめ、原告を募集しているという記事が出ていましたので、この問題、やはり直接国家を相手にすることが、成否はともかく、正攻法であろうと思って原告になったのです。

でも事前に全国紙などで原告募集の報道がされていたわりには原告は千人にも達しておりません。少し残念な気がしないでもありませぬ。

この問題に関しましては、GGIはまことに感心なことをいたしました。憲法記念日にあった講演会の会場に赴き、原告申込用紙をたくさん用意して、「え~、原告申込用紙はいかがですかあ、たったの三千円で安保法制違憲訴訟の原告になれますよ~、お安いですよ、いまならとてもお得ですよ! 締切は5月末、どうかお急ぎください!」と物売りみたいな真似をしてかなりの数の用紙をばら撒いたのではありますが、あまり効果はなかったようであります

上記の朝日新聞の記事、冒頭に以下のように記されています。

「集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法は違憲で、《平和的生存権》が侵害され精神的苦痛を受けたとして、主に関西に住む市民が8日、自衛隊出動の差し止めと1人1万円の国家賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした」

つまり、アベ君の行為によりGGIが「精神的苦痛」を被ったから損害の賠償を求めて提訴するというのがこの訴訟の法律的枠組みなのです。

こんなことを書きますと、「おいGGIよ、いいかげんなこと言うな、ノーテンキのおまえが安保法制のおかげでどんな《精神的苦痛》を受けたというのや、ホラもええとこや、バカも休み休み言え!オマエから精神的苦痛を受けているのはオレのほうや!」と叱声の嵐が吹きそうであります。

まことにご指摘のとおりであります。GGIは正直申しまして、何の精神的苦痛も感じておりませぬ。それに新安保法制に熱心に反対しておられる方々から、またしてもお叱りを受けるかもしれませんが、この新法のおかげで我が麗しの祖国がすぐに、あるいは近い将来、戦争を始めたり紛争に巻き込まれたりするとはGGIは思っておりませぬ。その理由はいろいろあるのですが、その一つはいつだったか東大の政治思想史かなんかの先生が次のように言っていたことを信じているからです。

「アベ君は戦争なんてしませんよ、だってあの人は要するに新自由主義ですから。新自由主義というのはメンドウなことは嫌いなのです」

すこし話が脱線いたしましたが、話題を「精神的苦痛」云々に戻しますと、確かかにGGIは精神的苦痛などこれっぽっちも味わってはおりませぬ。でも違憲問題に関する訴訟では、ウソでもかまわないから「精神的被害」を受けたことにしておかないと原告になることはできないという法的制約が日本にはあるのです。これは日本に「憲法裁判所」が存在していないことによるものです。

日本には「憲法裁判所」なるものがないため、こんなおかしなことになっているのです。憲法裁判所があれば「これこれの事実は違憲の疑いがあるから提訴します」ということで話が済みます。でも憲法裁判所が設けられていない日本では、違憲行為があったことが原因でGGIはカクカクシカジカの被害を被ったから訴えますという形式を採らないと憲法問題に関する裁判を行うことができない、という仕掛けになっているのです。

たとえば、死刑制度は憲法第36条に明らかに違反しているとGGIは堅く確信しているのですが、それだけでは裁判を起こすことはできませぬ。憲法第36条には「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」と定められています。「絶対に禁ずる」という強い表現をなされているのは憲法のなかでこの条文だけなのです。常識的に考えれば死刑は「残虐な刑罰」の最たるものですから、この条項を死刑の禁止を意味していることは明らかです。

「死刑が残虐な刑罰でないというのなら、どんな刑罰が残虐だというのや、死刑が残虐でないなら、この世に残虐な刑罰なるものは存在しないことになるやないか!そやから日本の死刑制度は明らかに憲法違反や!これはくまモンみたいなノーテンキやろうにでも分かる話や」というのがGGIの確信です。

ところが最高裁はいまから65年も前の昭和26年にヘリクツをこねまわして「死刑は残虐な刑罰ではない」という判決を下し、この判決が今でも生きているのです。なんという解釈改憲でありませうか・・・第9条の解釈改憲どころの騒ぎではありませぬ。

GGIが死刑判決を受けたり死刑囚になってしまったならば、死刑制度により被害を被ることになるため死刑違憲の訴訟の原告となることができるのですが、GGIは不本意ながら善人ということになっておりますので、原告になることは不可能にちかいのです。理屈の上では、ある人物の死刑が執行されたことによりGGIが精神的苦痛を受けたと言えないことはないのですが・・・(死刑囚の遺族などであれば原告としての資格があるかもしれませんが、これまで遺族が違憲訴訟を起こした例はないものと思われます)

かようなしだいで、GGIは新安保法制で何も精神的苦痛を受けてはおりませぬが、あえて憂国の士として大ウソをつき、原告になったのであります。

朝日のこの記事に「《平和的生存権》が侵害され精神的な苦痛を受けた」とありますが、この《平和的生存権》というのは憲法の前文でうたわれている権利です。

この権利に関しては、上記の記事によれば、航空自衛隊基地の用地買収を巡る最高裁判決(1989)では《抽象的な概念》とされており、そのため裁判で救済を求めることのできる具体的権利ではないとする考え方が主流となっていたとされています。ところが、自衛隊のイラク派遣差し止め訴訟で、名古屋高裁が2008年に「(平和的生存権は)具体的権利性があり、賠償や差し止めを求めることができる」として自衛隊の輸送機がイラクで米兵を運んでいたのは違憲であるとする判決を下しています。

この自衛隊イラク派遣に関す訴訟でも、実はGGIは原告になっておりました。でもすっかり忘れていました。しかし、違憲とする判決の報道があったとき何となく気になりましたので、某知人に電話して「あのなあ、オレ、君に誘われて自衛隊イラク派遣訴訟の原告になっていたような気がするけれど、どうやったかなあ」とたずねました。そうしましたら「アホか!GGI、あの裁判の原告になるよう誘ったのはオマエIのほうやないか!」と叱られてしまいました。まことに恥ずかしきことです・・・・

この週末には、GGIが若干関係しております市民グループが「憲法、変えていいの?」というささか迫力に欠ける名称の集まりを催すことになっています。しかしながら、GGIが関係しますた集まりなどにはおおむねたいして人が集まりませんので、果たしてどうなることでありませう・・・・

今日の写真は朝日新聞の記事をとったものです。朝日のデジタル版にも掲載されておりますので、関心のある方は以下のサイトをご覧くさいませ。

http://www.asahi.com/articles/ASJ6855NTJ68PTIL01L.html

グッドナイト・グッドラック! 

 

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