以前にも書きましたがGGIは俳句や短歌を作る才はまったくございませぬ、でも俳句や短歌を目にしてあれこれ勝手なことを無責任に夢想するのは好きでございます。
ですから気が向きますと、日曜日の朝日新聞に掲載される「朝日歌壇・俳壇」を結構熱心に眺めたりいたします。
どのようなものが優れた作品であるのか、その判断基準はひとによって実に様々です。その証拠に、この歌壇・俳壇はいずれも4人の選者により一回にそれぞれ十の作品、合計40の作品が選ばれているのですが、選び出されたこれらの40の作品のうち同一の作品が複数の選者により重複して選び出されていることはほとんどありませぬ。たまに一つか二つの同一の作品がを複数の選者により選び出されている程度です
GGIの場合は勝手かつ気まぐれに、優れた作品であるか否か、あるいは表現力がどうのこうのという、できの良し悪しはあまり重視しておりませぬ、そのようなことより、これは強く心に残ってしまうなあと思ってしまう作品を是としております。
心に強く残る作品というのはどのような作品かと申しますと、その一つは、詠む技術が上手とか下手ということではなく、詠まれている内容を目にして、とっても「それがどうした!」と済ますわけにはいかないような作品です。もう一つは、詠まれている内容ははっきり言ってどうでもいいものであり、まったく思わず「それがどうした!」と言いたくなる内容のものではあるけれど、でも、思わず笑ってしまうと申しますか上等のユーモアに包まれている作品です。
かようなしだいで、GGIが気になった、あるいは気にいった俳句や短歌をこれまでもときおり紹介してきましたが、今日はその最新版でございます。
《仕事なく 家賃払えぬ身となりぬ 路上生活送る寒さよ》
調布市 豊宜光(3月7日の朝日歌壇:馬場あき子選)
GGI、この句を目にして思わず「ウッ」となってしまいました。とっても「それがどうした」などという気にはなりませぬ、そんなこと言えませぬ・・・「路上生活送る寒さよ」っていうけれど、とっても「寒さよ」どころの話ではないよなあ・・・大丈夫かあ・・・この先、いったいどうするんだ・・・「寒さよ」どころではないことは文字通り身に滲みるほど分っているけれど・・・それでも、この句の作者、ただ「寒さよ」というしかなかったんだあ・・・表現が下手だの上手だのいう次元の問題ではないよなあ・・・
短歌では、このような「それがどうした」では済まされない作品を決して多くはないのですが、ときおり目にすることがあります。一方、わずか十七文字の俳句の場合は、GGIの独断と偏見によれば「それがどうした」と言いたくなる内容の句がほとんどであります。失礼ながら芭蕉さんの句も含めてそうだと申し上げたらバチがあたったりするでありませうか・・・
しかしながら、ごくごく稀にではりますが、あることはあるのです。思わず絶句してしまうような、とっても「それがどうした」では済まされない作品があるのです。たとえば、かつて2018年8月13日の日記で紹介したことがあるのですが
《水爆が沈んでをりぬ夏の海》 (取手市、御厨 安幸)
2018年8月12日の朝日俳壇に掲載されていた作品です。
水爆が夏の海に沈んでる?いったい何のことだ?この作品を目にしても何のことか分からない方がおられるのではないでせうか。この作品について選者は『某年、水爆搭載機空母より滑落』と説明しています。これだけではいまひとつ分りませんので若干の説明を加えますと、
ベトナム戦争初期、1965年、ベトナムの戦場を後にして那覇港を経て横須賀に向かっていた米空母「タイコンデロガ」の甲板から水爆を搭載していた戦闘機が海中に滑落、回収不可能、そのため今でも、沖縄から奄美あたりの夏の明るい陽光に輝く南の海、そのどこかに水爆が沈んだままであることを読んだ句です。この作品、とても「それがどうした」というわけにはいきませぬ、夏の句ではありますが寒気がいたします。半世紀以上を経た今でも沈んだままであるのですから・・・
この事件、当初極秘にされていたのですが、ずいぶん後になってばれてしまい、その結果、米軍が勝手にオキナワに核兵器を持ち込んでいたことが暴露されてしまいました
次に、読まれている内容はどうでもいいことだけれど、思わず笑ってしまう最新の作品を紹介いたしませう
この日曜日、3月14日の朝日俳壇に掲載されていた作品です
《根拠なき自信湧きたる朝寝かな》 (京田辺市 加藤草児)
ほんとうに、どうでもええやないか、それがどうしたんや!と思わず突っ込みを入れたくなる句です、でも、思わず笑ってしまいます、《根拠なき自信》というのがいいですね!GGIも覚えがありまする、GGI、根拠なき自信だけで生きてきたみたいなものでありますから・・・
選者は「なんだか力がみなぎるような気がする。これこそ朝寝の功徳」と評しております。でもねえ、選者様、力がみなぎる「ような気がする」だけなのですよ。気だけなのです。朝寝から覚めて数時間も経ちますと、根拠はないのですから、モクモクと「湧きたる自信」の雲は胡散霧消しかねないのです・・・
知らなかったのですが、春眠暁を覚えずなどと言いますから、きっと「朝寝」というのは春の季語なんですね。
今日の写真はわが庵の花だよりです。ただいま満開、ただし桜ではなく杏です。よろしければクリックしてご覧くださいませ。昨日、通りかかった人が「杏の花ですか、きれいですね」と声をかけていきました
《杏咲く家と少しは知られけり》 小谷部東吾 掲載誌「 濱」(1999年 )
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
ですから気が向きますと、日曜日の朝日新聞に掲載される「朝日歌壇・俳壇」を結構熱心に眺めたりいたします。
どのようなものが優れた作品であるのか、その判断基準はひとによって実に様々です。その証拠に、この歌壇・俳壇はいずれも4人の選者により一回にそれぞれ十の作品、合計40の作品が選ばれているのですが、選び出されたこれらの40の作品のうち同一の作品が複数の選者により重複して選び出されていることはほとんどありませぬ。たまに一つか二つの同一の作品がを複数の選者により選び出されている程度です
GGIの場合は勝手かつ気まぐれに、優れた作品であるか否か、あるいは表現力がどうのこうのという、できの良し悪しはあまり重視しておりませぬ、そのようなことより、これは強く心に残ってしまうなあと思ってしまう作品を是としております。
心に強く残る作品というのはどのような作品かと申しますと、その一つは、詠む技術が上手とか下手ということではなく、詠まれている内容を目にして、とっても「それがどうした!」と済ますわけにはいかないような作品です。もう一つは、詠まれている内容ははっきり言ってどうでもいいものであり、まったく思わず「それがどうした!」と言いたくなる内容のものではあるけれど、でも、思わず笑ってしまうと申しますか上等のユーモアに包まれている作品です。
かようなしだいで、GGIが気になった、あるいは気にいった俳句や短歌をこれまでもときおり紹介してきましたが、今日はその最新版でございます。
《仕事なく 家賃払えぬ身となりぬ 路上生活送る寒さよ》
調布市 豊宜光(3月7日の朝日歌壇:馬場あき子選)
GGI、この句を目にして思わず「ウッ」となってしまいました。とっても「それがどうした」などという気にはなりませぬ、そんなこと言えませぬ・・・「路上生活送る寒さよ」っていうけれど、とっても「寒さよ」どころの話ではないよなあ・・・大丈夫かあ・・・この先、いったいどうするんだ・・・「寒さよ」どころではないことは文字通り身に滲みるほど分っているけれど・・・それでも、この句の作者、ただ「寒さよ」というしかなかったんだあ・・・表現が下手だの上手だのいう次元の問題ではないよなあ・・・
短歌では、このような「それがどうした」では済まされない作品を決して多くはないのですが、ときおり目にすることがあります。一方、わずか十七文字の俳句の場合は、GGIの独断と偏見によれば「それがどうした」と言いたくなる内容の句がほとんどであります。失礼ながら芭蕉さんの句も含めてそうだと申し上げたらバチがあたったりするでありませうか・・・
しかしながら、ごくごく稀にではりますが、あることはあるのです。思わず絶句してしまうような、とっても「それがどうした」では済まされない作品があるのです。たとえば、かつて2018年8月13日の日記で紹介したことがあるのですが
《水爆が沈んでをりぬ夏の海》 (取手市、御厨 安幸)
2018年8月12日の朝日俳壇に掲載されていた作品です。
水爆が夏の海に沈んでる?いったい何のことだ?この作品を目にしても何のことか分からない方がおられるのではないでせうか。この作品について選者は『某年、水爆搭載機空母より滑落』と説明しています。これだけではいまひとつ分りませんので若干の説明を加えますと、
ベトナム戦争初期、1965年、ベトナムの戦場を後にして那覇港を経て横須賀に向かっていた米空母「タイコンデロガ」の甲板から水爆を搭載していた戦闘機が海中に滑落、回収不可能、そのため今でも、沖縄から奄美あたりの夏の明るい陽光に輝く南の海、そのどこかに水爆が沈んだままであることを読んだ句です。この作品、とても「それがどうした」というわけにはいきませぬ、夏の句ではありますが寒気がいたします。半世紀以上を経た今でも沈んだままであるのですから・・・
この事件、当初極秘にされていたのですが、ずいぶん後になってばれてしまい、その結果、米軍が勝手にオキナワに核兵器を持ち込んでいたことが暴露されてしまいました
次に、読まれている内容はどうでもいいことだけれど、思わず笑ってしまう最新の作品を紹介いたしませう
この日曜日、3月14日の朝日俳壇に掲載されていた作品です
《根拠なき自信湧きたる朝寝かな》 (京田辺市 加藤草児)
ほんとうに、どうでもええやないか、それがどうしたんや!と思わず突っ込みを入れたくなる句です、でも、思わず笑ってしまいます、《根拠なき自信》というのがいいですね!GGIも覚えがありまする、GGI、根拠なき自信だけで生きてきたみたいなものでありますから・・・
選者は「なんだか力がみなぎるような気がする。これこそ朝寝の功徳」と評しております。でもねえ、選者様、力がみなぎる「ような気がする」だけなのですよ。気だけなのです。朝寝から覚めて数時間も経ちますと、根拠はないのですから、モクモクと「湧きたる自信」の雲は胡散霧消しかねないのです・・・
知らなかったのですが、春眠暁を覚えずなどと言いますから、きっと「朝寝」というのは春の季語なんですね。
今日の写真はわが庵の花だよりです。ただいま満開、ただし桜ではなく杏です。よろしければクリックしてご覧くださいませ。昨日、通りかかった人が「杏の花ですか、きれいですね」と声をかけていきました
《杏咲く家と少しは知られけり》 小谷部東吾 掲載誌「 濱」(1999年 )
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!