UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

絶望を旅する兵士たちの歌・・・

2014-07-14 01:15:21 | 日記

7月12日の夕刊、中西進先生による「ナカニシ先生の万葉こども塾」という欄に、奈良時代に徴兵されて関東から九州の防備に向かう兵士が詠んだ歌が紹介されていました

 今夜の写真は、この記事をとったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ、いまどきのこどもはこんなものを読むんだぁ、GGIより賢くなるはずだと感心いたしました、こどもたちに負けてはならじと、思わずGGIも読んでしまいました

 百隈(ももくま)の 道は来にしを また更に
八十島(やそしま)過ぎて 別れか行かむ
                                                       刑部三野(おさかべのみの)の歌

曲がりくねった山道をいくつも超えてきたのに、さらにたくさんの島々を通り過ぎて別れていくのか・・・という意味だそうです

 中西先生が分かりやすいとてもいい解説をされていましたので、GGIはとても感心いたしました。以下に先生の解説を丸写しさせていただきます

 755年、やがて日本に戦雲が高まる前ぶれのように、あわただしく大軍団が組織されました。その折に徴集された兵士の歌をしばらくあげてみませしょう。これは上総(いまの千葉県)から九州の防備に向かう兵士の歌です。彼らはいま難波(なにわ:今の大阪)の港まで、陸路を歩いて各国から集まってきました。古代の決まりでは上総から奈良の都まで、道のりは三十日と定められています。日本は七割が山地の国です。その山や谷を何度も上り下り、道を右に左に曲がってひと月の旅をしました。そして難波から瀬戸内海の集団の船旅、これまたたくさんの島々を巡りつつ続くのです。まさに日本の地形に沿って地図をたどるアリのような、別世界への旅です。死の世界が無数の曲がり道の果てだと信じられて当時です。兵士たちの絶望のほどが、わかります》

この解説には「絶望を旅する兵士たち」というタイトルつけられていました

 いつの時代でも、どこの国においても、国家の命令で動かされる最下級の兵士が置かれている運命は本質的にこの兵士たちと同じでありませう、かつての大戦でも多くの日本軍兵士たちが遥か南の地に何のあてもなく送り込まれ、絶望の果てに死んでいったのです

 「勝手に憲法の解釈を変更してしまって、ことと場合によっては、日本の兵士たちを海の彼方に送り込むことができることにしてしまったアベ君、一度、この万葉の歌をしっかり味わって、兵士たちの悲しみに、絶望に思いをはせなさい」とGGIは言いたくなる今日この頃であります

 グッドナイト・グッドラック!


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