UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

学術会議会員任命騒動に想ふこと:「曲学阿世」って知っていますか?

2020-10-24 23:55:37 | 日記
日本学術会議会員を任命するに際して菅首相が6名の候補者の任命を、理由をまったく示さずに拒否したことが問題になっていますね。まあ、はっきり申し上げて、これは菅君、思ってもいなかった首相に突然なることができて(あるいは、ならせてもらって)有頂天、「オレは首相だ、もう番頭なんかじゃないぞ、自助努力でここまで来たんだ、だからなんでもできるんだ」と張り切り過ぎての暴挙の結果であろうというのがGGIの邪推まじりの考えです。

この任命を拒否された6人、いずれも政治的な事柄と接点のある文系の学者(行政法学、刑事法学、憲法学、宗教学、政治思想史、日本近代史)です。6人はこれまでに安倍内閣に批判的な発言をしたことがあるとされています。

菅君が任命を拒否したのは、ひとことで言えば、かれらは現政府・政権にとって好ましからぬ思想信条の持ち主であり国家にとって有害無益であると、管首相とその最側近である元警察官僚で公安のプロである副官房長官が判断したからであることは、まず間違いないでありませう。このことは誰の目にも、野党諸氏だけではなく、もちろん政権を担っている諸氏にも、与党の諸氏にも、賢明なる市民の目にも、明らかでありませう。しかしながら、菅君の行為は思想信条言論の自由を認めないこよによる明らかなる差別行為でありますから、菅君は口が裂けて任命拒否の理由を明言することは今後も決してないでありませう。野党諸氏がいくらがんばっても頑として口を開かないでありませう

などと考えておりますうちに、わが若き日と申しますか、まだ幼き日に、「曲学阿世」という言葉を耳にしたことがあるのを思い出してしまいました。教養なきGGIがこんな難しい漢語を幼くして知っているはずがありませぬ。この言葉、かつての名宰相とされる、あるいはワンマンの代名詞でもあった吉田茂首相が講和条約の締結を前にして、当時の東大総長南原茂(1889~1974、政治学)に対して投げつけた言葉です。

「曲学阿世」とは「史記」に記されている言葉です。「真理を曲げて世の人の気に入るような説を唱え、時勢に投じようとすること」、「世間にへつらって真理を曲げること」と言った意味です。つまり首相の吉田茂は南原茂氏をインチキ学者呼ばわりをしたのです。

日本の独立を認める講和条約は1951年(昭和26年)、吉田茂政権のときに締結されたのですが、連合国として日本と交戦したソ連とは締結されませんでした。しかし、締結を前にして、西側の戦勝国だけではなくソ連とも条約を結ぶべきだとする、いわゆる「全面講和論」が国内にはありました。

当時東大の総長であった南原茂は1950年に退官したのですが、退官直前の三月の卒業式で、学生に向かって平和と全面講和を説くなど、全面講和論を強く主張しました。しかし、この南原氏の考えに吉田茂は強く反発、当時の与党「自由党」の議員総会で演説し、「永世中立とか全面講和とかはムリムリムリ、口先で言うだけの話。南原総長などが政治家の領域に立ちいって口出しするのは、曲学阿世の徒だ」と言い放ったのです。この一言で「曲学阿世」という聞きなれない漢語が一挙に日本列島を覆った、そのため小学生だったGGIの脳みそにも「曲学阿世」という漢語が焼き付いてしまった、というふうにGGIは勝手に記憶しております。

それ以来GGI、一回は誰かに向かって「おまえなんか曲学阿世の徒だ!」で言ってやりたいものだと思っておりました。そして望みを果たせないうちに老いてしまい、このたびの学術会議騒動で久方ぶりにこの言葉を思い出してしまったというしだいです。

曲学阿世呼ばわりされた南原茂氏は黙っていませんでした。しっかりと反論しています。

「曲学阿世などという烙印は、満州事変以来、(天皇機関説を唱えた)美濃部博士をはじめわれわれ学者にたいし、軍部とその一派によって押し付けられたものであり、学問の冒涜、学者に対する権力的弾圧以外の何ものでもない」

「全面講和は国民の何人もが欲するところであって、その理由づけ、国民の覚悟を論ずるには、ことに私には政治学者としての責務である・・・複雑に変移する国際情勢のなかにおいて、現実を理想に近接融合せしめるために、英知と努力を傾けることにこそ、政治と政治家の任務がある。それにもかからず、それを最初から曲学阿世の徒と空論して、全面講和や永世中立論を封じ去ろうとするところに、日本の民主政治の危機がある」

なかなか気骨に満ちた反論ですね。この際、学術会議のみなさん、南原茂氏の元気ぶりを見習ってもっともっとガンバってくださいと言いたくなります。

この南原氏の反論に対して、吉田茂は記者会見で「南原君が反論しようとしまいと、南原君の勝手で、私の知ったことではない・・・事実上アメリカなどとの単独講和はすでにできているのだから、これを法的に講和にもってゆくべきだ」。そして当時の自由党の幹事長佐藤栄作は南原氏の反論に対して「党は政治的観点から現実的な問題として講和問題を取り上げているのであって、これは南原氏などにとやかくいわれることではない。もとより学問の自由は尊重するが、問題はすでに政治の問題になっているので、ゾウゲの塔にある南原氏が政治的表現をするのは日本にとって有害である」と述べています。

いつもながら手抜きでありますが。上記の吉田茂や南原茂の発言の多くはネットに掲載されていた信夫清三郎著「戦後日本政治史Ⅳ、1112ページ」に基づいてGGIが勝手にリライトしたものです

信夫氏はこの吉田茂など政治家の態度について「吉田茂の態度は、まさに官僚的であり、国民との対話を拒否していた。彼の態度は佐藤栄作の官僚的態度によって倍化されていた」と厳しく批判しています。しかしながら、この政治家と学者の真っ向からの批判の応酬ぶりを読んでいますと、隔世の感があります。

と申しますのは、このたびの学術会議会員任命問題においては、首相は任命拒否について理由や根拠に法的妥当性について徹底して口をつぐみ説明を拒否することにより議論すること自体を拒否して、議論を徹底して封じ込んでいるのですが、一方、講和問題では、上記の内容をお読みになってお分かりになると思うのですが、政治家と学者は逃げることなく、少なくとも真っ向から正直に持論を展開しているからです。

信夫氏はその著書で、吉田茂や佐藤栄作を「官僚的態度」と批判していますが、前首相の安倍氏や菅新首相の民主主義の基礎をなす対話・議論を行うこと自体を徹底して拒否するという一方的態度は単なる「官僚的態度」といって済まされる程度のものでないことは明らかです・・・

かようなしだいで、いまから考えますと、少なくとも敗戦後しばらくは、日本には今よりはましな民主主義が存在していたのではないか、というのが後期高齢者の嘆きでございます。

南原茂氏が強く指摘して以来今にいたるまで「日本の民主主義の危機」は続いている、危機は一段と深まっているというべきであろうと、このたびの学術会議会員任命問題に遭遇してGGIは考えるのであります

今日の写真は任命を拒否された学者たちが日本外国人記者クラブで初めて記者会見を行ったことを報じている10月24日朝日新聞の記事を撮ったものです。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック
コメント
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