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「けものたちは故郷をめざす」を読む

2024-04-10 | A 読書日記



■ 安部公房の『けものたちは故郷をめざす』(新潮文庫1970年5月25日発行、2021年5月10日26刷)を読んだ。3月から始めた安部公房作品再読の5作品目。

ドナルド・キーンは、安部公房の代表作『砂の女』(新潮文庫)の解説文の書き出しで前衛作家、安部公房という紹介をしている。そう、安部公房は前衛的な作風で知られている、シュールレアリスムの作家。それで、「え、これ安部公房?」、『けものたちは故郷をめざす』を読み始めると、まずこんな感想を抱く。リアルな描写で読みやすい。

主人公の少年・久木久三の父親は久三が生まれた直後に死に、母親は戦争の犠牲になった。先の大戦、敗戦前夜、天涯孤独の身となった彼は極寒の中国大陸を南進する、帰国を目指して。同行の男は正体不明、国籍さえ定かではない。

極寒の荒野を飢えと疲労の身を引きずるように彷徨うふたり。心理描写と身体感覚の描写は読む者を一緒に彷徨うような気持ちにする。私は暗い気持ちで読み進んだ。

この小説を読んでいてやはり日本への引き揚げの様子を描いた藤原ていの『流れる星は生きている』(過去ログ)を思い出した。

中国国内の地名が出てくるとネット上の地図でその場所を確認してもみた。まだ、こんな所か。生きて故郷日本にたどり着くことができるのだろうか・・・。

先が気になって、昨日(9日)はおよそ300頁の本作の後半、半分を一気に読んだ。『砂の女』もそんな読み方をしたことがあったかと思うが、安部公房の作品では珍しいことだ。

この長編小説の最後、久三は日本船の中の狭い間隙に監禁されてしまうという絶望的な状況に陥る。なんという悲劇。

最終場面の描写を引用する。**・・・・・ちくしょう、まるで同じところを、ぐるぐるまわっているみたいだな・・・・・いくら行っても、一歩も荒野から抜け出せない・・・・・もしかすると、日本なんて、どこにもないのかもしれないな・・・・・(後略)**(302頁)

そして最後の一文。**だが突然、彼はこぶしを振りかざし、そのベンガラ色の鉄肌を打ちはじめる・・・・・けものになって、吠えながら、手の皮がむけて血がにじむのもかまわずに、根かぎり打ちすえる。**(303頁)

この一文をどう解するか。絶望的な状況の更なる強調か。絶望的な状況を打破しようという久三の強い意志の表現か・・・。私は後者だと解したい。

*****

「喪失」あるいは本人の意思による「消去」は安部公房の作品を読み解くキーワードだ。このことは次のように例示できる。『夢の逃亡』は名前の喪失、『他人の顔』は顔の喪失、『砂の女』『箱男』は存在・帰属の消去。異論もあろう。言うまでもなく、これは私見。

そして『けものたちは故郷をめざす』は故郷の喪失。故郷とは何か、そしてその喪失とは・・・。安部公房は自身の戦争体験をベースに書いたと言われるこの作品で、読者に何を訴えたのか。

根なし草の寂しさか。否、久三の最後の窮地を日本の敗戦直後の状況の暗喩的な表現だと捉えて、上掲した最後の場面もやはり暗喩的な表現と捉えれば、その答えを知ることができるだろう。


手元にある安部公房の作品リスト(新潮文庫22冊 文庫発行順 戯曲作品は手元にない 2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印は絶版と思われる作品)

『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月

次にどの作品を読もうかな、と迷ったが『カーブの向う・ユープケッチャ』を読むことにした。


 



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