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古い曲が気になる

ハリー・ベラフォンテとキング牧師は友人だった

2009-06-29 | 日記・エッセイ・コラム

 雨がやむと、冷たい北風が吹いて、まるで秋だ。『また秋がくるな……』と、まだ夏がはじまってもいないのに思った。

Belafonte5

 マイケル・ジャクソンの映像をチェックしていて、Making of we are the world で好きなシーンをみつけた。むかし観たとき、ジーンときたものだ。レコーディングのすべてが終わったとき、期せずして、全員でハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」を歌いだす。このシーンが好きだ。

 「ウィー・アー・ザ・ワールド」は、ハリー・ベラフォンテの提唱で、アメリカを代表する45人のアーティストが集まったのだ。1985年1月28日に録音された。曲は、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンが書いた。アレンジと指揮が、クインシー・ジョーンズだ。

 ライオネル・リッチーは、アラバマ州のオーバーン大学の大学院をやめて、タスキーギ大学のときにつくったバンドとともにモータウン・レコードと契約した。まずジャクソン5のバックバンドになったのだ。ライオネル・リッチーは、サックスを吹いた。アラバマ州の黒人大学・タスキーギ大学のときにつくった、そのバンドが、コモドアーズだ。

 ハリー・ベラフォンテは、1956年に「バナナ・ボート」の世界ヒットがあるジャマイカ系のシンガーで、俳優だ。そして、黒人の地位向上をめざす、先鋭的な公民権運動家でもある。マーチン・ルーサー・キング牧師とも親しかった。1963年のワシントン大行進では、キング牧師たちと先頭を歩いた。

 黒人たちから尊敬されるのは、ビッグ・ヒットがあるエンターテイナーとしてだけじゃないのだ。ブッシュ政権の黒人閣僚だったコンドリーザ・ライスやコリン・パウエルを、「白人の主人にこびる奴隷」と痛烈に批判する人なのだ。http://www.youtube.com/watch?v=bgNuzQxRcGA&NR=1

Belafonte at Carnegie Hall

 この1959年のカーネギー・ホールでのライブ盤は、日本でもよく売れた。

 ハリー・ベラフォンテ 「マチルダ」 http://www.youtube.com/watch?v=b36dcPi_KqA&feature=fvst

 

 1963年8月28日。ワシントン大行進の映像。http://www.youtube.com/watch?v=d7s30wFCqlw 大統領が黒人の現在では信じられないことだろうが、当時、アメリカ黒人は、満足に参政権すらなかった。すべての黒人に参政権があったわけじゃないのだ。百年前に奴隷制度がなくなったはずなのにだ。ワシントン大行進は、黒人の完全な参政権と差別撤廃をもとめるデモ行進だったのだ。全米から20万人がワシントンに集まった。

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 LA在住の日本人Mさんが、マイケル・ジャクソンのプライベートな日本語のホーム・ページTHE ONE&ONLYを開いている。ここに2002年、ニューヨーク、ハーレムでのマイケル・ジャクソンの、人種差別に関するスピーチが翻訳されている。すこし長いが引用する。

『 私が6歳か7歳くらいだった時の、遥か昔のインデアナでのことを思い出します。
私はパフォーマーというか、皆さんもご存知でしょうが、エンタテイナーになりたいという夢を持っていた。
夜寝ている時いつも、母は私を起こしてこう言ったものだ、
「マイケル、マイケル、ジェームズ・ブラウンがテレビに出てるわよ!」 と。
私はベッドから飛び起きて、ただ画面を凝視したものだし、すべてのツイストやターンや腰を動かしたり、グラインドしたりしようとしたものだ。Jackie Wilsonも出てきた。他の有名人もたくさん次から次へだ。本当に目を見張るような、際限もないような偉大な才能の連続だった。

この時のアーティスト達が現実に一文無しな状態なのを見る事は本当に悲しいことだ。 彼等は世界中にとてつもない喜びを生み出したのに、 レコード会社を初めとするシステムが完全に彼等を利用したからだ。
レコード会社がいつも主張するように、”アーティスト達は豪邸を建てた”とか、”大金を浪費している”とか、”たくさんの車を買った”とか、 言うようなことではないんだ。そんなこと馬鹿げている。それは言い訳だ。
そのようなことはアーティストが成し遂げたことに比べれば、なんでもないことだ。

我々が現在闘っていることは、非常に重要なことだと皆さんに知ってもらう必要がある。
なぜなら私はうんざりしているからだ。 私はごまかしに対して心底うんざりしている。
現在の状況で実際に何が起きているのかに関してマスコミがいかに全てを操作しているか本当に嫌気がさしている。
メデイアは真実を話さない。彼等はうそつきだ。
それから彼等は我々の歴史の本を操作している。
我々の歴史書は真実ではないんだ。 それは嘘だ。歴史の本は嘘だ。
皆さんはそれを知らなければならないし それを知るべきなんだ。
ジャズからヒップホップ、ビーバップ、ソウルにいたるまでのすべてのポピュラー音楽の形式や、 Cake WalkからJitter Bug、Charleston、Break Dancingまで異なるダンスの形、つまりこれらのすべては、Black dancingという様式なんだ。

現実逃避という感覚、つまりエンタテインメントという現実逃避を人々に与えること以上に重要なことって何だろう?
歌がなかったら我々はどうなるだろうか? 
ダンスがなかったら我々はどうなるだろうか?
喜びや笑いや音楽がなければ?
これらはとても重要なことだ。

しかし、もし我々が角の本屋に行けば、 たった一人の黒人さえも本の表紙になってはいない!という現実を見るわけだ。
皆さんはエルビス・プレスリーの顔を表紙に見るだろうし、ローリング・ストーンズも見るだろう。
でもそれを最初に始めた本当のパイオニアはどこにいるんだ?
Otis Blackwell は多作で素晴らしい作曲家だ。彼は最も偉大なエルビスの曲の幾つかを書いた。
でも彼は黒人だったんだ。 彼は一文無しで亡くなった。そして誰も彼のことなんか知らないし、つまり、彼について書かれた本なんか一冊もない。 なぜなら僕は世界中探してきたからわかるんだ。
今日私は彼のお嬢さんにお目にかかった。とても光栄だった。彼女に会った時、私にとっては、それはイギリスの女王に謁見するのと同じレベルのことだったんだ。

しかし、今日私はすべての不公正について話すためにここにいる。
皆さんは思い出さなければならない。
私がレコードセールスで過去の記録を全て破った次の瞬間から、、つまり、私がエルビスの記録を、ビートルズの記録を破った瞬間から、ギネスブックの歴史上、史上最高に売れているアルバムとして認知された瞬間から、一夜明けたら、彼等は私を変人、ホモセクシュアル、 児童虐待者と呼び始めたんだ。
私が自分の皮膚を漂白しようとしているとも言った。
彼等は世間の人が私に背を向けるようにするために、ありとあらゆる全てのことをしようとした。
これは全て完全な陰謀だ。皆さんはそれを知らなければならない。

私は自分の人種をわかっている。鏡を見れば、自分は黒人であることがわかっている。
今や変革すべき時だ。 この建物を去るときに、何が(スピーチで)語られたかを忘れないようにしよう!
心に入れて、皆さんの自意識の中に入れて、それに対して何か行動を起こそう!
我々はそうしなければいけないんだ!
長い間待望されてきたが、今や変革がおきなければならない時なのだ。
だから、我々の松明を高々と掲げ、我々が本来当然受ける資格のある尊敬を受け取ろう。

I love you.
I love you.  
どうぞ今日心に留めたことを明日に忘れないで。
そんなことをするようなら、我々は自分達の目的を達することはできないだろうから。
こんな(差別は)やめなければならないんだ。 止めなければならないし、だから私はそれを確実に止めさせるために
自分の最善を尽くすためにここにいるのだから。
皆さん、I love you.
”And remember: we’re all brothers and sisters, no matter what color we are. 
そしてどうか覚えていてください。 我々は皆兄弟であり、姉妹であるということを。
たとえ我々がどのような皮膚の色(人種)であろうとも。”  』

 Michael Jackson Latest THE ONE&ONLY http://mjlatest.main.jp/index.html

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