とつぜん、30度を超える気温になった。日が落ちてから、旧江戸川の遊歩道を歩く。川風が気持ちいい。海、大河、運河、小川、渓流、沼、湖、池。ダム湖。どこでも、水辺が好きだ。子供たちが、花火をしていた。
THE BEST 1200 マーヴェレッツ |
ビートルズやカーペンターズが、カバーしてヒットした「プリーズ・ミスター・ポストマン」は、リズム&ブルースの女性グループ、マーベレッツがオリジナルだ。戦場にいっている恋人からの手紙を待つ女性の気持ちを歌った。女と男のおかれた状況は深刻だ。だが、ブラック・ミュージックの場合、ただ深刻に表現するのは、粋じゃないのだ。ポップに、ヒップにやらなくちゃクールじゃない。深刻をきわめるなら、ゴスペルというシリアスの極致の音楽がかれらにある。それは、いまも昔も変わらない。http://www.youtube.com/watch?v=-nuEY6fQgzk&feature=related
「郵便屋さん、ちょっと待って。わたしへの手紙があるはずよ!」と、リズミックに歌う背景の現実は、重い。1953年に、やっと朝鮮戦争が休戦して、第二次世界大戦からつづいた、若者たちの悲惨な戦死、戦病死、が終わるはずだった。しかし、アメリカは、フランスが敗退したベトナムに深入りしていく。貧乏な若者が戦場で死ぬのは終わらない。黒人の戦死率は、白人とは問題にならないほど高かった。1961年、J.F.ケネディー大統領は、国連を無視して、アメリカ軍事顧問団を3000人に増兵する。(JFKは、ベトナムから撤兵しようとしていた、というキレイな伝説は、あとのことだ。大統領になったばかりのときは、いけいけだったのだ。泥沼への一歩は、JFKが踏みだしたのだ、ほんとうは)。
アメリカが、積極的にベトナムに介入しだしたのが、1961年。マーベレッツの「プリーズ・ミスター・ポストマン」が、黒人たちのあいだで大ヒットしたのは、おなじ年、1961年。
ビートルズの「ツイスト・アンド・シャウト」は、アイズレー・ブラザーズがオリジナルだ。アイズレーは、60年代後半70年代、ファンク・バンドのようになっていたが、50年代から活躍したドゥー・ワップ・グループだ。「ツイスト・アンド・シャウト」の、とうじの映像がみつからないが、アイズレー・ブラザーズが、どんなドゥー・ワップ・グループで、なぜ人気があったかわかる映像がある。http://www.youtube.com/watch?v=VL9xOLpwI0I&feature=related
デビューまえのジミ・ヘンは、このアイズレー・ブラザーズのバックでもギターを弾いていた。イギリス人チェス・チャンドラーが誘う。イギリスでバンドを組んでデビューしないか、と。そうして、ジミ・ヘンは、アメリカをでる。チェス・チャンドラーは、「朝日のあたる家」のアニマルズのベーシストだ。
イギリスに渡るまえのジミ・ヘンドリックスが、どれほどアメリカのリズム&ブルース・シーンで評価されず、仕事に苦労していたのか、悲しい映像がある。スライやサンタナのような若者が、じぶんたちの音楽をつくろうとしていたときだ。ジミ・ヘン自身の苦悩もわかる。食べていかなくちゃならない。 http://www.youtube.com/watch?v=C2wBPix-nmg&feature=related
リズムが悪い、下手なダンスで、下手な歌の、主役ふたりのうしろの、左ききのギター弾きが、ジミ・ヘンだ。黒人がやればなんでもグッド・ミュージックか? という問いの、答えが、この映像だろう。黒でも白でも、ダメなのはダメだ。問題は、音楽に対する真剣さだな、と思う。アメリカで、こんなダサイ仕事で食べていたジミ・ヘン。このジミ・ヘンのすごさを理解して、イギリスに誘ったイギリス人の感性もまたすごい。
ジミ・ヘンへの思いは、たくさんある。死んだ、というニュースを聞いた日は、あまりの悲しさに、荒れた。1970年のこと。ジミ・ヘンは、まだ27才だ。わたしは、22才だったかな……