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古い曲が気になる

マイケル・ジャクソン、逝く

2009-06-27 | 日記・エッセイ・コラム

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 マイケル・ジャクソンのことを書くまえに、ファラ・フォーセットが昨日亡くなったことを伝えたい。チャリーズ・エンジェルを覚えている人も多いだろう。62才。闘病生活をささえたライアン・オニールにみとられた、という。

オフ・ザ・ウォール(紙ジャケット仕様)

 クインシー・ジョーンズが、はじめてプロデュースをしたマイケル・ジャクソンのアルバム。1979年(昭和54年)の発売だ。これがわたしの店では売れた。ジャクソン5のファンはもちろん、コアなリズム&ブルースのファンや、クインシー・ジョーンズのファンにも注目された。(ジャクソン5は、モータウン・レコードをはなれてエピックと契約して、グループ名は、ザ・ジャクソンズになっていた)

 クインシー・ジョーンズは、弱冠21才のとき、ジャズの名盤「ヘレン・メリル&クリフォード・ブラウン」を編曲した才人だ。1954年だ。以来、レイ・チャールズの一連のヒット曲や、サラ・ボーン、フランク・シナトラなどプロデュース作品は多数ある。じぶん自身のヒット・アルバムもある。つねに、時代をリードする名プロデューサーだ。いまも73才で、現役で活躍している。

ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン

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 「オフ・ザ・ウォール」から十年にわたって、クインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンのコラボレーションがつづいた。もちろん「スリラー」もクインシー・ジョーンズのプロデュースだ。クインシー・ジョーンズなくして、マイケル・ジャクソンの成功はありえない。逆には、クインシーは、マイケル・ジャクソンというブラック・ミュージック界最高の才能の若者と出会って、15才のときから、プロ・ミュージシャンとして生きてきて学んだ、すべてを発揮できたのだろう。クインシー・ジョーンズが、マイケルの「オフ・ザ・ウォール」を手がけたのは、46才のときだ。マイケル・ジャクソンは、21才。「ABC」の可愛いマイケルから10年のときがたっていた。http://www.youtube.com/watch?v=C4VCUbL7jsc&feature=related

 マイケル・ジャクソンが、鼻を細くする整形手術をしたあと、ダイアナ・ロスが激怒した、という。「でも、お姉さん(シスター)たちと、おなじことをやっただけだよ」と、マイケル・ジャクソンがいったという。

 ダイアナ・ロスは、モータウン・レコードの大先輩だ。「ドリーム・ガールズ」は、ダイアナ・ロス&シュープリムスが、モデルだ。黒人相手のインディーズ・レコード、モータウンを世界のモータウン・レコードにしたのは、ダイアナ・ロス&シュープリムスの功績だろう。レコード・メーカーが勢いにのると、またつぎつぎスターをだせる。スティーヴィー・ワンダーも、マーヴィン・ゲイも、こうしてモータウンからスターになっていく。そして、若いジャクソン5も登場する。http://www.youtube.com/watch?v=-16fDpOW948&feature=related

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  ベンのテーマhttp://www.youtube.com/watch?v=46rGlj8--Xk&feature=related このシングルが、サウンドコーナーでよく売れた。お客さんは、中学生と高校生の女の子だった。彼女たちは、いま、どれほど悲しんでいるか。