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古い曲が気になる

幌加のルピナス

2009-06-23 | 日記・エッセイ・コラム

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 北海道沼田町のルピナス(のぼりふじ)が美しい、とニュースにある。北海道は、スズランがおわり、ルピナスの季節がきたのか。

 登るわけじゃない。ただニペソツ岳を近くでみたくて、車を飛ばしたことがある。北海道をでるまえのことだ。もう二度とニペソツをみられないかもしれない、と。

 帯広から国道273号線を走って、糠平湖をすぎ、音更川に架かる丸山橋で車をとめる。そこからみるニペソツが好きだった。そして、十勝三股にむかって車を走らせた。1キロくらいのところ、右手に、ルピナスがいっぱいに咲く広い草地があった。もちろん家は、一軒もない。ただルピナスが咲き乱れる草原だった。

 わたしは、その光景の寂しさに言葉を失った。かって、そこには駅があった。駅前にはラーメンが食べられる食堂があった。なんでも売ってる小さい商店があった。幌加の町だ。「お父さんとお母さんは、幌加で出会ったのよ」と、詩人の泉谷田鶴子さんがいっていた。(田鶴子さんは、若くして、がんで亡くなった)。

 国鉄士幌線の幌加駅前には、大きな貯木場があって、製材工場があった。そこで働く人たちの住宅が、駅前から国道までつづいていた。わたしは、高校生のとき、ニペソツ岳からの帰り、なんども幌加まで下って汽車に乗った。二両だけのジーゼル列車だった。

 その幌加の町が、跡形もなく消えていた。ただルピナスが咲く草原だった。ルピナスは、日本の自生の花じゃない。幌加の町に暮らした人たちが、庭に植えたものだろう。人はだれもいなくなって、そのルピナスだけが繁茂していた。

Lupinroad 原野に咲くルピナス

 北海道の林業が衰退して、鉄道路線が消え、森のなかの集落が消え、人びとは、大きな町へ出ていった。

800pxcxblack2  ネットでみつけた十勝三股駅。(1978年12月24日頃、とある)。 いまは跡形もない。駅舎も周辺の人家も、左の奥にみえる学校も、いまは、なにもない。(町のすべてが消えた跡に、レストランが一軒建ったようだ。いま、どんな様子なのか?)。

 この十勝三股の写真には、感動した。正面にみえる山塊は、石狩の連山だ。高校一年の夏、十勝三股駅前の商店の小型トラックにのせてもらって、麓にむかった。メンバーは、部長の国枝幸吉さん、二年生の中村光二さん、そして一年兵の二ッ森くんとわたしだった。副顧問の酒巻先生が同行してくれた。酒巻先生は、大学をでたばかりだった。

 ユニ石狩歩道を登りはじめたときは、晴天だったが、ユニ石狩岳に登り、尾根でキャンプを張った夜から強い雨になった。真夏でも、北海道の2000メートル近い高度の雨は、きつい。寒い。いまと比べると当時の雨具も、テントも貧弱で、テントなど麻地かなんかで、化学繊維じゃない。雨を吸ってどんどん重くなる。濡れたままだと雨が漏るようになる。

 雨を吸って重くなった荷物を背負って、雨雲の濃い霧のなか、音更山を登り、石狩岳にむかった。(重い物をかつぐのは、一年生だ。わが山岳部には、軍隊のようにきびしい序列があった。一年生は、テントや食料や燃料や水など、重い物すべてをかつぐ。三年生は、じぶんの寝袋とじぶんの着替えだけを背負う)。

 あのころも登山用の軽い乾燥食品はあったはずだが、高くてとても高校生では手がでなかった。数日のことだから、乾パンとインスタント・ラーメンだけでも栄養失調になるわけでもないのに、夕食は、なぜか、カレーライスが定番のメニューだった。それも、じぶんらの家で食べるカレーライス、それを再現するための食材全部を買ってもっていく。レトルト食品は、まだない。

 タマネギ、人参、ジャガイモ。みんな重い野菜だ。それに米。「そして、肉だ。肉がはいらないカレーはない、だろ」と、肉を持っていくのだ。真夏、リュックのなかで長時間運ぶから肉は腐りやすい。どうするか? 氷やドライアイスといっしょに包む。この氷やドライアイスがまた重い。山の上で、そこまでしてカレーライスをつくる必要があるのか? しかし、わたしたちは何の疑問も持たず、重い食材をかつぎあげ、カレーライスをつくった。これがうまかった。

  
 ずぶ濡れになりながら、霧のなかの石狩岳の頂に立ち、シュナイダー・コースをすべり下りて御殿にもどってきた。雨はあがっていた。御殿まで、十勝三股駅前の商店のトラックが迎えにきてくれて、幌加温泉にむかった。(御殿は、営林署の巨大な木造の建物だった。深い原生林のなか、突然の大きな建物だ。驚く。木造三階建てだったように記憶する。まさに御殿だ。70年代後半、取り壊されて跡形もない)

 こうして、その高校一年の夏、ずっと雨の濃霧のなか、何の眺望もなく、裏大雪の石狩山系を歩いたわけだ。濡れながら、震えながらのつらい山行だった。だが、たのしかった。雨のキャンプでも、みんなはしゃぎまくっていた。高校生。若い。

 この十勝三股駅の写真は、線路脇に建つ給水塔の上から撮影したのじゃないだろうか。左手前にうすく影がみえる。タンクの上に、ひとが立っているような影がみえる。それが撮影者の影だろうか? 風景は美しい。貴重な写真だ。(十勝三股駅は、士幌線の終着駅だ。蒸気機関車に水を補給するための、給水塔があった)。

 写真の列車の方向の先、そこに十勝と北見・旭川方面の上川との境、三国峠がある。この三国峠側からみる十勝三股を中心にした広大な盆地状の森林の光景は、みごとだ。そのあまりの美しさに畏敬さえ感じる。東川佳人くんは、十勝の風景でも、とくに美しいと絶賛していた。わたしもまったく同感だ。十勝・帯広のひとは、あの景色をみるためだけに、三国峠まで走って、風景をたのしみながら、ゆっくり引き返してくるのがいいだろう。

Okitsu2  JR東海 名松線 伊勢奥津駅に残る蒸気機関車用の給水塔 (撮影者 Nknsさん)

 

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 まずブルースの女性シンガー、ビッグ・ママ・ソートンが歌い、のちに白人のエルビス・プレスリーが大ヒットさせた「ハウンド・ドッグ」。このふたりが、「ハウンド・ドッグ」の作者なのだ。ジェリー・レイバーとマイク・ストーラ。http://www.youtube.com/watch?v=X5JALwwaASg ふたりの若いときの写真もある。

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 「ハウンド・ドッグ」だけじゃない。ふたりは、50年代からたくさんのリズム&ブルースを書いている。「カンサス・シティー」もそうだし、「ラブ・ポーション・ナンバー9」、プレスリーの「監獄ロック」も、ふたりの作品だ。そして、「スタンド・バイ・ミー」こそ、ふたりとベン・E・キングとの共作だ。http://www.youtube.com/watch?v=Vbg7YoXiKn0

 「スタンド・バイ・ミー」を、ジョン・レノンのカバーで知っているひとが多いだろう。オリジナルは、ドリフターズのリード・シンガーだったベン・E・キングが、ソロになって放った大ヒット曲だ。1961年のことだ。ビートルズは、まだアマチュア・バンドだ。ジョン・レノンがカバーしたのは、1975年のこと。(日本のコミック・バンド、ドリフターズは、もちろん、このアメリカ黒人の、リズム&ブルースのグループ、ドリフターズからバンド名をパクった)。http://www.youtube.com/watch?v=a24Odc1qrB0

 日本で、「ラヴ・ポーション・ナンバー9」は、白人バンドのサーチャーズでヒットした。1965年のことだ。しかし、オリジナルのヒットは、黒人グループのクローバーズ、1959年のヒット曲だ。作者は、上の写真のふたり、ジェリー・レイバーとマイク・ストーラだ。http://www.youtube.com/watch?v=iQgKOcjIh4M&feature=related

 サーチャーズ Love Potion No.9 http://www.youtube.com/watch?v=7rXhXLsNJL8&feature=related

 モータウン・レコードのグループ、テンプテーションズのビッグ・ヒット「マイ・ガール」は、リズム&ブルース・グループ、ミラクルズのスモーキン・ロビンソンとドナルド・ホワイトの作品だ。http://www.youtube.com/watch?v=ltRwmgYEUr8&feature=related

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 ビートルズがやっていた You Really Got A Hold On Me は、このミラクルズのカバーなのだ。ミラクルズが発表したのは、1961年のこと。http://www.youtube.com/watch?v=AdDnqSFYXFs&feature=related

 ビートルズ  You Really Got A Hold On Me http://www.youtube.com/watch?v=zs26kKHxjS4

 エルビス・プレスリー Jailhouse Rock (監獄ロック) http://www.youtube.com/watch?v=tpzV_0l5ILI&NR=1