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古い曲が気になる

自伝「奇妙な果実」を翻訳したのは、大橋巨泉。早稲田の学生のとき。

2009-06-07 | 日記・エッセイ・コラム

 

レディ・イン・サテン+4 レディ・イン・サテン+4

 激しく叫び、甘くコケティッシュにコーラスをきめるだけじゃない。悲しみを抑えた、クールで、突き放した表現で、より深く悲しみを感じさせてみごとなのは、これもまた、アメリカ黒人の音楽だ。その頂点にいるのは、ビリー・ホリデイだろう。http://www.youtube.com/watch?v=h4ZyuULy9zs&feature=related この曲「奇妙な果実 Strange Fruit 」は、白人たちのリンチにあって、木に吊されて殺された黒人のことを歌っている。風にゆれる黒人の死体が、奇妙な果実なんだ。

 とっくの昔に奴隷制はなくなっているはずだが、しかし、アメリカの現実は、激しい人種差別がつづいていたのだ。黒人は、白人のレストランには入れない。おなじバスに乗れない。60年代になって、黒人の地位向上運動が激しくなる。キング牧師は、キリスト教徒のリーダーであり、マルコムXは、回教徒のリーダーだった。しかし、ふたりとも撃ち殺された。過激な時代だったのだ。ブラック・パンサーという武装黒人団体もあった。若者たちだ。(FBIとの銃撃で皆殺しになって壊滅したが)。

 黒い肌は恥だった。すこしでも白いのがいい。ブラウン・ベイビーがもてたのだ。しかし、60年代、「ブラック・イズ・ビューティフル」というスローガンが登場した。黒人の若者たちには、アフロ・ヘアーが流行った。それまで、黒人たちは、強い薬品をつかってアイロンをかけ、直毛にしていた。自然にのばしていると髪はアフロになる。黒い肌は、恥ではない。アフロ・ヘアー、それが黒人としての自覚の象徴だった。(そして、その黒人たちに共感して、世界中でアフロが流行った。もちろん、わたしもアフロ・ヘアーだった)。

 しかし、そんな時代よりずっとまえ、黒人だということだけで吊され、撃ち殺された、1930年代から、ビリー・ホリデイは歌っているのだ。http://www.youtube.com/watch?v=bWtUzdI5hlE&NR=1

 ビリー・ホリデイ My Man http://www.youtube.com/watch?v=IQlehVpcAes&feature=related

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